ひぽこんコラム

2009年10月27日(火) のりピーTV、楽しませていただきました

PS:手話教室で「私はお金がありません」とかふざけて大騒ぎばかりしてたら、今日帰りがけに、あんまりふだんしゃべらないオバちゃんが、もう使わないスカーフとかカーディガンとかくれた! 
 おもらい小僧和田。 わああいわああい。うれしい。すごくなdなかアダルト〜〜〜なスカーフたくさん。首廻りが冷えていつもスカーフ巻いてる(家の中でも)私はすごくうれしい〜〜〜〜〜。オバちゃん、ラヴ。手話教室、続けていて良かった。。。
 しかし今日、何、習ったっけ?????
 ぽか〜〜〜〜ん。。。。


 昨日は雨の中、たごちゃんがウチに来ていっしょにお昼ご飯を食べた。お昼ごはん食べてすぐにたごちゃんは帰ったから、なんだかまるでOLランチのように、2人でオリジン弁当で弁当を買い、味噌汁だけ作り、そしてノリピーのワイドショーを見ながら、突っ込みいっぱい入れて見ていた。こういうのは友達と、突っ込みながらゲラゲラ笑うのに最高だ。

 もうTBSなんてさ、悪乗りして、裁判所の傍聴のために配られたリストバンドの材質とか、1本のコストとか、実際に作った印刷所?まで行って取材してんの。バカでないの?と思いながらも、そのリストバンドが配られるっていつ分かったのかしら? わかって速攻で行ったのかしら?とか思った。もうゲラゲラこれなんて大笑いだ。

 そしてたごちゃんと、ノリピー、復帰するかなぁ?とか言い合い、するよねええ、こんだけスター、実際前よりスターなんだから、芸能界のハゲタカたちが黙ってるわけないじゃんとか言う。

 そしてもし私が復帰をたくらむなら、まずは婦人公論でインタビュー出し(笑)。その後、日本じゃなくて台湾とかの巨匠・・・ホウ・シャオシェンとか、香港のピーター・チャンとか、いい監督の映画に出させて、女優復帰させる。日本人てさ、外国映画に弱いから、それでも禊ぎよ、禊ぎ(笑)。

 などとたごちゃんに話して、またゲラゲラ笑う。

 こんなにも私たちを楽しませてくれて、ありがとう、ノリピー。

 にしても。婦人公論で復帰インタビュー←決め付ける。。。。やりてえええええええ。オレ、やりてえええええええええええええ。ひいいいいい。やりてええええええええええ。

 いっしょに涙とか流しちゃってさ。「辛かったんですね」なんて相槌打っちゃってさ。

 ひいいいいいいいいい。やりてえええええええええええええ。

 ああ。。。たくさんの人にインタビューしたいよな。朝さま。。。ポール・マッカートニー、レナード・コーエン、亀井静香。。。今そんな人たちにインタビューしたい。

 でものりピー、インタビューしてええええ。おもしれええええ。でも決して本音など語らないの。そりゃ当然だよなああ。うん。

 あ。梨本さんは、絶対復帰なし、芸能界は甘くない、なんてダンコ言ってますが、復帰したら一番に飛んでいくんだろうな、なんてバカなことまで考えたです。

 ちなみに私、大昔に梨本さんにお会いしたことあります。本当に汗かいて、恐縮です、って言ってた。すごくうれしかった。

2009年10月26日(月) プリント・エクスチェンジ

PS:胃カメラの結果はなんでもなかった。。。なんとかかんとかいうポリープでよく出来るものらしい。。。なんだかよく分からなかった。よく分からない結果に1000円もまた払わされた。そしてブタインフルの患者(あきらかに!)が急患でやってきて、ヒイイイと逃げた。


編集者のヒラカツさんが、写真を交換し合ってそれをネットにアップしていく、というのをやってて、これはアメリカの写真家の人が始めたものらしいが、それでこのあいだダブリンのタルト屋さんの写真をヒラカツさんに送ったら、こんな写真を送って来てくれた。。。




 み、見えない? 見えないよね。。。。うちにはスキャナーがないから、ヒラカツさあああんんん、ごめんなさあああああああい、うちはちゃんとアップできないのおおおおおおおおおおお。うおおおおおおおおお。

 ところでずっと風邪で頭痛で先週はほとんど胃カメラ〜胃痛〜風邪〜頭痛で死んでいました。でも昨日だけは動いて幕張まで仕事で行ってきた。

 幕張ではちょうど東京自動車なんとかショーがやってて、たくさんの人が来ていた。今年はもうダメとかなんとかTVでは言ってたが、なんのなんの、たくさん人がいた。TVって本当にダメダメに言うね。そんなことないよ、たくさんの人がワンサと押し寄せていたよ。そりゃ前より減ったかもしれないが、それでもやっぱりまだまだ車を好きな人はたくさんいて、たくさんの人がうれしそうにやって来ていた。TVの報道を鵜呑みにしてはいけない、とまた思った。

 ところで昨日のその幕張の用事というのは、ビジュアル系ロックフェス! ビジュアル系がどうのこうのまったく分からないのだが、とにかく音が大きすぎて死んだ。音が大きいのは心臓バクバクで死ぬ。帰り道、心臓バクバクで死にそうになってた。やめてけれ。。。

 そして帰ってきてからユキさんに「爆音で死んだ」と書いたら、パンクスのユキさんは爆音がダメなんて信じられないというメールが来た。そうなんだ、爆音OK派と爆音死ぬ派がいる、この世には。私の周囲のザッツ・虚弱チームは全員爆音死ぬ派。ユキさんのがレアだと思うが、ユキさんチームは爆音OK派らしい。心臓だけじゃなく耳が弱い私はもう死んだ。死んだ。しかし爆音にするのは、今回の場合は下手隠しなんだと理解した。上手な人もいたが、下手な人が大半だった、私が聴いた限りは。お金をもらって演奏するバンドはやはり音楽性云々の前に練習しなきゃ。

 

2009年10月25日(日)

 私の仕事の基本は愛だ。愛がなければ仕事できない。

 それを再認識。金金金のカネゴン和田だが、金だけだと身体がまいってしまう。

 愛情を注げない仕事はできない。

 と。

 風邪ひいて寝込んでおりました。ふうう。

2009年10月23日(金) 意固地な家族

 きのうここに暗いことを書いたら、シモマンちゃんらから心配するメールをもらってしまった。いやいや、すいません。ああ書きながらもオカンとは、みなさまと同じように腹立てたりしながら付き合っておりまするので。オカンとはしかしなぜにああも腹たつ存在なのでしょうかね? 永遠にオカンと娘は腹たて合うものなのでしょうね。

 でもときどきいますよね、仲良し親子。いっしょに旅行したりとか。そう言う場合はオカンが出来た人間なのか。娘が出来た人間なのか。うちは共に出来てない人間なのですぐに言い合いですわ。

 オトンとはしかしまったく連絡もとってないです。ちょっと前にオトンがガンとかなんとか言うから一瞬だけ会いましたが、やっぱりすごくイヤで、3分で出てきちゃいました。なんだろうか。。。あのイヤさは。。。よく分からない。。。というか、ほんとは分ってるんだろうけど。。。とりあえず分からないことにしておきたいというか。。。

 しかし人はなかなか分かり合えないものなのですよね。たとえ家族でも。分かり合えるための努力をお互いがしようとしない限りは分かり合えない。そしてオトンと私は永遠にその努力をしようとしないし、オトンに関してはそんなことを考えたこともないというかんじだから、永遠に無理なのだと思う。

 意固地な家族の意固地な関係はグルグル廻って廻って、こんがらがってるわけっす。

2009年10月22日(木) 家族ってなに?

PS:今夜から日テレで夜、新しいドラマが始まる。
『傍聴マニア09』とかいうの。今夜は11:58から。30分ドラマだべさ。これは北尾トロさんが原作〜〜〜〜〜〜〜なんだって!
おお。見なければ。
 しかし第1回。タイトルが傍聴マニア09で、今日の内容が「強制わいせつ罪」・・・・時間は夜12時って。。。。なんかすんごい、すんごいエロいのを想像してしまう中高生男子なんてのがごっそりいそうだ。。。。生唾ゴックンみたいなぁ。。。←オバさんだね、この書き方。



 夜中にユッコから電話がかかってきて、あれこれ愚痴や悩みを聞き、ふと自分の子供の頃を思い出した。

 うちの親はしょうもない、しょうもない、と何度も書いているが、そのしょうもなさの主な理由は両親共に不倫をしていて、家になんてちっとも帰ってこなかったことが主因だ。私はだいたい一人家に居て、姉が居る時もあったけど、でもまぁ、高校時代はたいてい一人だった。

 あるとき珍しく父親が家にいたが、そこにリ〜ンと電話が鳴って私が出ると、見知らぬ女の声で、父にだった。父はいそいそとその電話に出ると、「おっ、行って来る」とそのまま出かけて帰ってこなかった。なんだかそのときはあまりに露骨だったので「あれは誰ですか?」みたいな手紙を書いて父に渡したのだが、それには返事はなく、その後も父はあまり帰ってこなかった。

 母親にはいつも電話が男からかかってきたのだが、男の電話はいつもまず2回リーンリーンと鳴らして、一回切り、その後もう一度かかってくるのがそれだった。そんなの。すぐに気がついた。母が飛びつくように出るからだ。そうしてそういう電話があった夜は母も帰ってこない。

 家族であるけど、だれも家族のことを考えてなかった。母も父も親である前に男と女であろうとしていて、私はそれをいつも他人ごとのように見ていた。どうでもいいやって。

 母の男はうちにも来て、別になにしてるわけじゃないんだけど(母は家でマッサージの仕事とかしてたから、お客さんとして来ていたし)でも見たら、これが母の男だ、とすぐにピーンと分かった。私が高校生のときだ。

 父親の相手の女性は家のすぐ近くのスナックのおばさんだった。おばさんは私を味方にしようとしたのか、私をスケートに連れて行ってくれたり、どこかでご飯を食べようと、沼津駅の向こうのほうまで連れて行かれたこともあった。でもなぜだかすごく、この人に殺されるのかな?と思ったりした。きっともしかしたら相手もそう思っていたのかもしれない。

 その後父はよそに子供を作り、その女性と所帯を持った。20歳になった頃、その家に呼ばれると、私にとっては母違いの妹がいた。まだ2歳くらいだった。今はもうその子も大人だ。どうなってるんだろうか。新しい奥さんは私に腕時計を買ってくれた。ふだんの私なら選びそうもない、華奢で女らしい時計だった。その後壊れて捨てた。

 今になると、すべてどうでもいい。母はその後もっともっと困った男と付き合い、殺されそうになって、私が交番に走ったこともある。結局その男は詐欺師で大きな借金を背負わされて、私もいろいろ迷惑をかけられた。

 今になると、ほんとうにすべてどうでもいい。どうでもいいが、子供が親に「迷惑かけられたで料」ってのを請求できたらいいのに、などとまた金勘定して考えるオレがいる。

 家族は大切に、って私にはあんまりよく分からない。今は姉ともあまり話さないし、ほんとうにすべてどうでもいい。
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