ひぽこんコラム

2008年08月09日(土)




買いましたか、ビッグイッシュー100号記念号?

 表紙にまでREMの文字。。。。驚き。そんな、いえ、そんなことまでしていただくようなバンドじゃ、いえ、いえ、もうしわけない。みたいな気分になりながら、ホームレスのオジさんから買いました。

 と。オジさんと思ったら、その号にちょうどその人の紹介記事が載ってて、オジさんはまだ30代。そうか。30代でもホームレスなんだなぁとしみじみ。でもイギリスじゃ10代のホームレスもいっぱいいるし。そうなんだよね。うん。

 ところで今日は聖路加病院にお見舞いに行っていたのですが、さすが聖路加ってかんじだった。1階にスタバがあったのには驚いた。

 そして聖路加には東京駅からバスで行ったのだけど、東京駅からバスで5分も行くとなんだかすごくフツーなかんじにいきなりなっちゃうのがビックリなんだよね。なんだべ?ってくらいに。丸の内口の方は華やかだが、八重洲口の方はたちまちフツーだ。でもそのフツーなかんじが東京っぽくて、こっちもこっちで好き、と思った。あんなあたりに住んだらおもしろそうかもって。最寄り駅、東京駅っての。

東京の大半はただビルがあってさ、汚くてさ、しみじみしてるよね。ずっと住んでそれに気がついた。今さら。。

2008年08月08日(金)

SUN紙に載ってたピーターの野望↓
“I’m trying to get Michael to come to Seattle for a few days when this is all over in December and play some stuff, get a few things down. I know he’s gonna want to take some time off first, he always does.”
 どうやらツアーは12月くらいまで続くようですが、ピーターはその後すぐにハゲをシアトルに引っ張ってって、レコーディングでもさせようという魂胆です。「ヤツぁまずは休ませてくれよっていつもどおりに言うだろうけどさ」と、なんだか鬼軍曹になってます、ピーター。。。。イエッサー!

 それにしても暑くて。朝からダルダル。よく眠れないからダルダル。ダルダルダルダル。。。。。ダルダルだけど仕事しないと。。。重くてぶよぶよした、このセイウチのような身体に自らムチを打ち、ビシ〜〜ビシ〜〜ッ、働くしかない。
 このナマケモノ、このおデブ、働けっ! 働けっ! ブクブクしてバクバク喰ってるんじゃね〜〜〜っ。働けっ! 働けっ!
 
 ひいいいいいいい。

と。言いながら↑ 昨日「西友」で買った「100円ケーキ」(好きです。オジちゃんが売りに来てました)をモグモグしていた、朝から。。。ほら。セイウチはね、芸するならお魚もらわないとね。
 パクッ。パクッ。パクッ。
 したら芸しろっ! 働けっ! ビシッ〜〜〜。ビシ〜〜ッ。

 ひいいいいいいいいいいいい。


とか言いながらグダグダ働いていたら、地震がっ!
 さらにひいいいいいいいいいいいい。怖いっ。
 内陸地震って、なんか怖い。。。。

 地震雷火事親父。火事と親父は来ないでほしい。親父、そういや、今日、うちの親父の誕生日じゃん。でも生きてるのかも不明。知らないんだ。荒れた家庭です。

2008年08月07日(木) これでいいのだ

 たごちゃんが見つけて、教えてくれた、赤塚不二夫先生の今日の葬儀でのタモさんの弔辞がすばらしい。これを読んだタモさんもすばらしいが、こんなすばらしい弔辞を読まれる赤塚先生も本当にすばらしい。こんな人が死んでしまうなんて、大きな損失だ。でもすばらしい人生に拍手!

↓↓
8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の時間、わずかですが、回復に向かっていましたのに残念です。

 10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年かのちに私がお笑いの世界をめざして、九州から上京して、新宿のキャバレーでライブのようなことをやっていたとき、あなたは突然目の前に表れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。

 赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然のできごとで、私は、あがることさえできませんでした。終わってやってきたあなたは、君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月末にある僕の番組に出ろ。それまでは住むところがないなら私のマンションにいろ。

 自分の人生や他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長いつきあいが始まりました。しばらくは新宿の寿司(すし)屋で夕方に集まっては、いろんなねたをつくりながら教えを受けました。

 いろんなことを語ってくれました。あなたが言ってくれたことは金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしています。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀(マージャン)をする時も、相手の機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀に勝ったところを見たことがありません。

 しかし、その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのために、だまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたことがあります。しかし、後悔の言葉や相手を恨む言葉をきいたことがありません。

 あなたは父のようであり、兄のようであり、時折見せる無邪気な笑顔は年の離れた弟のようでもありました。

 あなたは生活すべてがギャグでした。ギャグによってものごとを無化していったのです。あなたの考えは、すべてのできごとを前向きに肯定し受け入れました。それによって、人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後の関係を断ち放たれて、そのとき、その場が異様に明るく感じられます。それをあなたは見事にひとことで言い表しました。すなわち「これでいいのだ」と。

 いまふたりで過ごしたいろいろなできごとを思い浮かべています。一緒に過ごした正月。そして海外へのあの珍道中。どれもがこんな楽しいことがあっていいのかとおもうばかりのすばらしい時間でした。

 最後に会ったのは五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔はお互いに労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘(ひじ)をつき、にこにこと眺めていることでしょう。そして、おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わせてみせろと言っているにちがいありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。

 人生で初めて読む弔辞が、あなたのものになるとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながらひとこともお礼をいったことがありません。肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼をいうときにただよう、他人行儀のような感じがたまらなかったからです。他の人から、あなたも同じ気持ちだったと聞きました。しかし、いまお礼を言わせていただきます。赤塚先生、お世話になりました。本当にありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。


  号泣っ!!


 これでいいのだ! すごい。どんな哲学的な思索も宗教的なありがたい言葉もすべてを吹き飛ばす一言。これでいいのだ!

2008年08月06日(水) サバのお醤油煮

ダ。。。。ダルイ。

 ダルイからこそ運動!なんて張り切って朝1でジム行ってストレッチのクラス行って、今、自分がどんだけ疲れてるか実感。ウグウグ。テキトーに流し、ヘロヘロになって帰ってきた。

 しかし帰ってきてから腹が減り、近所のお弁当屋さん「わしや」に行って、サバのお醤油煮弁当を買って来たらこれがおいし〜〜〜。ヘロヘロの割には爆食。んぐんぐと冷たいお茶を飲んで、まるで「今、工事現場でオレっち働いてるし〜〜」な勢いでお昼を終えた。。。。オレって。。。。一体。。。。。。

 ところで今週末にはもう秋場所のお相撲のチケット発売日なんです! 瞬く間だぜ〜〜〜。なんで昨晩は相撲友達と打ち合わせ(笑)。初日にするか、千秋楽にするか。。。。ずっと千秋楽を買ってきたが、ここんところの朝ちゃんの様子からすると、初日にとにかく見ておくのがいいかもという話に。
 来場所、また白鵬が優勝する千秋楽なんて縁起悪いぜ見たくないとかいう結論に達して千秋楽はよして、初日にしようということになった。
 しかしこれで朝ちゃんが猛烈馬力出して優勝しちゃって、千秋楽万歳万歳になっちゃったら。。。。。。ああっ。悲しすぎるっ。
 
 お相撲見たい方、発売日にフツーにローソンとかファミマで朝10時にピピッとやれば、いい席買えまっせ。ぜひお試しを! 千秋楽だろうが、初日だろうが、フツーに買えます。なんら問題ないっすよ。

 朝ちゃんは巡業先の北海道で練習してるらしい。スポーツ新聞のインターネット記事にまた大きく載ってた。
 朝ちゃんて、やっぱりこう〜〜やることがおもろいから、記者もなんだか悪口書きながらも楽しそうだよね。筆が乗るって感じが伝わってくるんだ。やはり朝ちゃんはスターだよ、スター。書き手の意欲を誘うんだ。
 

2008年08月05日(火) 北大路欣也さま

 そう、これが聞きたかったんだ。。。。タモさん。。。。

 2日に肺炎で亡くなった漫画家、赤塚不二夫さん(享年72)をタモリ(62)が追悼した。4日、本名の森田一義でコメントを発表し「私の恩人でもある赤塚不二夫氏が亡くなりました。この世界に入ろうとした時に突然私の前に現れてデビューのきっかけを作り、その後の物心両面での援助は肉親以上のものでした」と感謝した。関係者によると悲報後は落ち込んだようだが、この日の「笑っていいとも!」の生放送には予定通り出演した。
 2人が初めて出会ったのは75年。場所は東京・歌舞伎町の飲食店「ジャックの豆の木」だった。タモリはピアニストの山下洋輔氏を介して同店に呼ばれ、珍芸を披露。怪しい外国語を操るギャグなどの独演に笑い転げ「天才の出現だ」と喜んだ赤塚さんから宿泊先を聞かれ「ない」と答えると、東京・目白のマンションに招かれた。同居した1年の間にテレビ局を紹介され、30歳でデビュー。タモリのブレーク後もよく飲み明かし、2人がふざけて見せるSMショーは新宿で人気だった。

 タモさんがきのう「いいとも」で、100万円の服を持ってる話をしてた。知り合いからお礼でもらった生地でコートを作ったら、その生地はとんでもないものだったらしい。そう、とんでもなく高いもの。ほかの人からの話でその生地でスーツを作ったら600万円したとかそんな話もしてた。
 こういう話はほかの成金がすると本当に嫌味なのに、どうしてだろうか、タモさんがすると、ぜんぜん嫌味じゃなくて、へ〜〜、そういうのがあるんだ!どういう生地なんだろう!とまるで知識をもらったみたいな気になる。好奇心をそそられて、ワクワクする。
 品格なんてエラソーに語るおばさんがいるが、あのおばさんにはまったく品格なぞ感じないが、タモさんには本当に品格を感じるんだな。うん。

 タモさん。。。。タモさんに会ってみたい。でもなにも話なんて出来ないかもなぁ。
 考えたら日頃、オジさんにインタビューするってことはほとんどないな。ああそうだ、昔、井筒監督にインタビューしたくらい? いや、ハゲもオジさんか(爆)いや、あれはオバさん。。。。(爆爆)。そうかぁ。オジさん。オジさんてどんな話するんだろ? オジさんへのインタビューは未知な世界で面白そうだなぁ。
 ほかに会ってみたいオジさん。。。。中村哲先生。生きていたら植村直巳(号泣)。平幹二郎(これもオバさんか?)。あああ。そうだ! 北大路欣也!!! 
 ってなんだかアタシの好きなオジってみんな濃そうだな。。。。うん。

2008年08月04日(月) 読書のすすめ

 結局あれから藤沢周平先生の「暁のひかり」も読み終えました、やっと。これは暗い暗い「又蔵の火」よりは幾分明るめで、と言っても決して明るくはないのですが、でも救いようのないドロドロ具合が薄まってて、というか、ええっと、なんだろ?(笑) あっちが自暴自棄破滅型に対して、こちらはコンチクショー、こうなっちまったぜ型というか。ええ。思わぬ方向に転がっちまったぜ。。。。的な。ただ中に「しぶとい連中」という話がありまして。。。これの女が嫌いっ。いるんだ、こういう女。でもって男はたいていこういう女にだまされるんだが、女はこういう女が嫌いなんだっ! キイイイイッと怒りっ。 現代も江戸も、そして藤沢周平先生も、同じっていうか。男ってば、こういう女が決して嫌いじゃないのね、キイイイイ。キイイイイでした。

 次は有名な「蝉しぐれ」でも読んでみっかな。。。。

 ところで今朝の東京新聞の朝刊に、江戸川区にある「読書のすすめ」という本屋さんが紹介されていた。心に悩みを抱えた人にピッタリの本をたくさんすすめてくれる本屋らしい。。。昔の本だろうと売れてない本だろうと、たくさんダンボール紙でポップをつけて、売ってるらしい。
 ちょっと興味がある。今度行ってみよう。
 私の興味をひく、私を助ける本はあるだろうか?

 でもなんか、笑顔で〜〜とかのハウツー本みたいのばっかりだったらどうしようか? 大暴れしてくっか。。。グアワアアアオオオオ!とか叫んで。無意味にパティ・スミスの歌でも歌って叫んでくるかな。。。。。と。どうしてこうも私は常に挑戦的態度なんだろうか? これ、改めないと、駄目だな。。。。。でもこう。なんかね。野生なんだよね。うん。あ。でも一見ね、一見大人しそうというか。そうは見えないんだよね。でも中身はね。野生なんだよね。大暴れなの。そのギャップがね。。。。ねえ。大変なんだ。

 

2008年08月03日(日) 赤塚先生ご逝去




 今夜、たごちゃんとうちの近所のアイヌ料理店に行ったら、こげな張り紙が。ヒグマ。。。。。届いたのか。
 食べませんでした。それは。ただ、シカはうまかった! 今度奈良に行ったら大変だ。ぜんぶ喰いたくなるかも。



 暑い。。。。暑いから何も考えたくないが考えなくちゃいけない原稿のことがあり、朝から調べ物をしたり、でもイヤになって藤沢周平読んだり、お風呂掃除してみたり、でもヘバって横になったり。何も続かない。

 ところで。昨日小学校〜高校にいっしょだった友達からいきなりメールが着た。ビックリ。図書館でCREAを読んでいたら私の連載を見つけてビックリして、そしてたぶんこのHPを見つけてメールをくれたのだ。
 彼女は中学校の先生を昔していたのだが、今もしてるのだろうか? 詳細はまだ分からない。このあいだオカンが入院したときに、その小さな病院の屋上で洗濯物を干しながら、彼女が昔働いていた中学校が見えて、その人のことを思い出していたばかりだったのでオオオッ!と驚いた。
 その人はとても強そうに見えて、ものすごい繊細な、そしてものすごくシャイな人だった。今はどんなオバさんになってるのかな?
 学校の先生、みたいな人は私の周りに今はいないので、もし今もそうなら、学校の話とか聞いてみたい。中学校なんて、ほんと、モンスターピアレンツとかさ。いるのか?とかさ。

 それから、一昨日の夜、帰って来たらアパートの塀に子猫がいた。ニャアニャアないてて、隣の子がこっそり飼ってる黒白の猫がベランダに出てきちゃってギャアギャア鳴いてて、ビックリ。子猫にニャアアと話しかけると、ものすごい顔でニャアアアと鳴いてくる。
 ああでも。どうすることも出来ない。ワタシは飼ってあげられないし、どうしよう?
 と。迷いながら一回部屋に帰ったが、そうだ、エサがあるんだと思い出して、しまってあった猫缶を手にいそいそまた外に出ると。。。。ガ〜〜ン。もういない。。。。。
 子猫ちゃん、どうしたんだろうか?
 そのときふと。猫も好きに飼えないような暮らしをどうしてワタシはしてるんだろうか?と思った。
 こんなところに住んでいないで、どっか田舎の、でっかい借家でも借りて、猫だの犬だのヤギだの飼って、自由に暮らせたらいいのに。と思った。そう思ったら涙が出た。

 子猫はオレンジちゃんだった。オレンジ色と白の毛の子。どこに行ったか? 生きててほしいなぁ。

 ニャロメーも死んじゃったね。。。。。

2008年08月02日(土) ブラインド・パイロット

ジョニー・マー先生がすっかりREM化してる1枚↓ ハゲは仲間はずれ。



 マー先生は以前も書いたように、一瞬だけお会いしたことがあるが、とても感じのいい人だった。だいたいあのオアシスのギャラガー野生兄弟も手なずけ(オレも手なずけたが)、誰とでも仲良くやるんだ、マー先生。あのモリッシーみたいなナルシズムの塊みたいな人とバンドやってたんだから、そりゃ忍耐力は抜群だろうなぁ。

 ところで。日本のE社からサンフランシスコの音楽配信会社へと華麗なる転職を遂げたSちゃんから、素敵なバンドを教えてもらった。なんでもitunesだけでビルボード入りしちゃったらしく、しかもツアーはぜんぶ自転車で廻ってるという体育会系らしい。myspaceのここを見てやってください。曲も聴けます。とてもいいです。私も気に入りました。ブラインド・パイロットといいます。

 さて。今朝もまた病院。昨日も病院行ってた。今週は和田ちゃんのウツウツ通院週間だった。
 昨日はかかりつけ医に行き、中野区検診の結果をもらい、いつものように特に何も出なくて、あれから糖尿も特に何ということもなくて、こんなに具合悪いので血液は正常で、うううむ? とかということから話し始め、でもずっと私の心の奥底のザワザワと波立つ話をしていたら、ウギウギ涙が出てしまい、ビロビロ泣きながら話をした。私のかかりつけ医はそういうのもゆっくり聞いてくれるから、かなりいい先生だと思う。看護婦さん(美人)が心配してティッシュ持ってきて、涙を拭いてくれて、背中をなでなでしてくれた。いい人だ。
 でもって私が「とりあえず鳥インフルエンザで死ぬまで生きます」と言ったら「あ、鳥インフルエンザなら僕のが先に死ぬからね。ここにみんな患者着たらそりゃ1番に移りますから」と自信たっぷりに言ってた、先生。そうだ、と思った。鳥インフルエンザって医者から死ぬね。そうなったら患者はみんなどうしたらいいのか? そうか。だからそうやってみんな死ぬのか。。。。。
 好き勝手やろう。。。。。やっぱり。ハゲツアーも行ってやる!

2008年08月01日(金) 100号記念はR.E.M.で!

PS3:なんかいっぱい書いてるけどムカついたので。。
 ある編集部から書評をお願いされて、タイトルが面白そうだったので本を送ってもらって読み始めたら。。。。こ、これが構成もメチャメチャで文章があまりにもうしわけないが下手くそで、読みづらいことこのうえない。きっと別の人が書いたら面白かったろうに、なんじゃこれ?という代物だった。
 だからそう編集者にメールすると、読まないでそのまま送ったから内容は知らなかったという。えっ?だ。この時点で。
 そしてじゃあどうしよう?というから、困りましたねみたいな感じで代替案も少し言ったりもしたけど、結局「じゃ、やめましょう。来週辺り本を送り返してね」なんていうメールが来た。
 ドン引きである。
 その雑誌。硬派とか言われてる。その道ではツウとか言われて、内容を誇る雑誌とか言われてる。
 でもこのありさまっていうか。何? ありえん。。。。。
 目も通してない本を書評にとりあげようとして、ライターに仕事を依頼しておいて、送り返してね、だ。
 失礼にも程があって、ビックリ仰天。なんでそういう仕事の仕方しか出来ないんだろう?
 本もドン引きだけど、その編集者はさらにドン引きドンドン引きだ。
 

PS2:ああ。また、やってもた〜〜〜。

 今日は昼からジムの体操教室に出て、終わったらなんかもおおスタミナ切れ。肉、肉、肉が食いたい〜〜となりぃ。肉=炒め物=中華!って思っちゃったんです。
 で。チャリを流してると、まずはコージー富田がやってる飯処があったんですが、さすがお笑い芸人の店らしく大しておいしそうではなく(爆)、ふと見ると隣に小さな中華屋。昔からあるな、そういえばここ。。。とふと思って、何も考えないままにガラッと入ってしまったんですぅううううう。ううう。
 で。そこは入ったとたんに失敗だと分かる店で〜。いや、入る前から気づけよなんですが、とにかく腹減ってたから健全な判断ができなかったんす。
 出てきた水はコップが汚れて、オヤジの指紋付きという王道っぷり。
 テーブルはタバコの灰。
 あちこちがタバコやら油やらですすけて、なにやらドブ臭い。。。。ドブ臭い〜〜〜〜〜〜。ひいいい。

 ああああ。あああああああ。もう悲しみいっぱいなんですぅ。
 やってるのは父ちゃんと、その息子。息子は「バンドやっててぇ、昼はここ手伝ってるしぃ」みたいな優男でさ〜〜〜。
 ああああ。あああああああ。悲しみのスタミナライスをお願いしました。
 そして出てきたそれは、野菜がシナシナに死んでいて、味はどこにでもあるタレそのまま。。。。ご飯はなんか臭いがして、スープは息子が出してくれたのですが、これはまぁ、フツーの卵スープ。
 
 とにかくしかし食べました。まぁ、結局食べてるんだけどさ。だって頼んじゃったし。700円もするし。しかし食べながらも悲しみ悲しみがこみ上げ。水だけは死んでも飲みませんでした、ハイ。
 
 結局「はやらない店」ってさ、努力してない店だよね。オヤジ、オレがまだ食べてるのにノンビリ座ってテレビ見始めちゃうし。ぜんぜん〜緊張感もやる気もなし。せめて立ってろよ、と思う。
 
 あああ。あああ。悲しみ。どうしてワタシはこうも失敗してしまうのだろうか。こうも駄目な店に引き寄せられてしまうのだろうか? 
 オレん中に渦巻く暗い情念が呼び寄せるんか? 裏街道歩む渡世人の血なんか? しがないさいころ振りにはそんな店がお似合いなんか? ←藤沢周平流れの妄想です。

 とにかく悲しみのランチ。700円。出たらその隣に喫茶店があって、そこで同じスタミナランチが750円で出てました。小奇麗そうなお店でした。。。。


ps:テレビで福田の顔を何回も見て、ほんとにぶん殴りたくなった。あいつと、飛騨牛偽装の丸明の社長、似てる。どこ吹く風〜〜〜〜。


 今朝の北尾トロさんのメルマガから勝手にコピペ
  ↓
ビッグイシュー100号&5周年 記念イベントのお知らせ

 2008年8月1日、雑誌『ビッグイシュー日本版』は100号を、
そして2008年9月11日には5周年を迎えます。これも、貴方さまはじめ読者や市民の皆さまの大いなる関心とご協力をいただいたお蔭と心より感謝します。ありがとうございました。

この5年間、私どもは貧困問題の象徴ともなっているホームレス状態の人々に仕事を提供し、自立を応援する事業を続けてきました。この間777人が販売者に登録し、76人の人が卒業しました。また、08年6月97号までの4年10ケ月で、累計265万冊を売り、販売者に3億890万円の収入を提供することができました。

 5周年とビッグイシュー基金1周年を記念して、ビッグイシューとこれからの日本社会の関わりと、社会を担う若者の未来を考える集いを持ちたいと考えました。どうぞご参加いただきますようご案内します。

100号、記念対談に香山リカさん、特集は「戦争は克服できる」

100号記念対談では香山リカさんがビッグイシューについて語ります。巻頭インタビューは創刊号に登場した「R.E.M.」。特集では米国陸軍、外交官として活躍し、イラク戦争開戦の日に辞任したアン・ライトさん、「イラク国際戦犯民衆法廷」の裁判長阿部浩己さん、元駐レバノン特命全権大使でイラク攻撃へ意見具申し、外務省から辞職勧告を受けた天木直人さん等が登場します。

<茂木さん、香山さんら招き、東京・大阪で日本の若者と社会の未来を考える集い>

 茂木健一郎、香山リカ、大津和夫、雨宮処凛、生田武志の各氏をお招きし、東京、大阪の2ケ所で日本の若者と社会の未来について考え、提案する集いを行います。

●9月7日(日)東京5周年記念の集い

第1部 記念講演「ビッグイシューと社会」

茂木健一郎氏(ソニーコンピュータサイエンス研究所)

 ☆コーヒーブレイク

第2部 対談「若者を包摂できる社会を語る」

香山リカ氏(精神科医、立教大学教授)/大津和夫氏(読売新聞社会保障部記者)

日時 2008年9月7日(日)13時半〜17時
/場所 明治大学リバティホール(JRお茶の水駅徒歩5分)
/参加費 1,500円(資料代などを含む)

参加申し込みはFax(03−6802−6074)又はメール(tokyo@bigissue.jp)で

定員 500人 (定員になり次第締め切らせていただきます)

●9月12日(金)大阪5周年記念パーティー 

第一部 対談「若者と最底辺の今を通して希望を語る」

 雨宮処凛さん(作家)×生田武志さん(ルポ『最底辺』著者)(司会:佐野章二)

第二部 パーティー 飲食をしながらビッグイシュー販売者を中心に参加者の交流

日時:2008年9月12日(金)18時半〜20時半
/場所:大阪市中央公会堂(地下鉄御堂筋・京阪「淀屋橋駅」下車5分)/参加費:3,000円/定員 150人(定員になり次第締め切ります)
お申し込みは FAX(06−6457−1358)又はメール(info@bigissue.jp)で


・・・・・ひいいいいい。インタビューは創刊号にも出たR.E.M.!なんかビッグイッシュー日本版にとってR.E.M.は記念なんだ〜〜〜〜。ひいいいいい。事務所に送ってあげようか。。。。日本版。ひいいいいいい。驚き〜〜〜〜。

2008年07月31日(木) ジローラモッ!

PS:ちょこっといたずら書きしたらクビ。婦女暴行してもOKって、この国の倫理基準が分からん。。。。婦女暴行OKなら、いたずら書きの人をもどしてやれ。大人の都合で曖昧な判断を重ねていると、またどっかでクビまわらなくなるで。


 お下劣なことを言うようだが、このところずうううううううううううううううううううっと「尻」が痛かった。

 こうして椅子に座ってパソコン打ってると、さらにずっとたたみに座っていても。しかし立って歩いてても。

 ワタシは「尻が痛い〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」と心でうめき声を上げていたのだ。

 しかし。そうそう人には言えず(いや、言っていたが。実際は。オバちゃん。恥ずかしいなんてないんだ。もう)痛い尻をナデナデし、尻、痔か? 痔か? と泣いていた。

 とにかくこの尻の痛み。普通の痔の痛みと違うというか(ええ、ええ、よく分かっていますもの)。
 肛門様の周りのが痛いんだ。肛門様にも違和感がいっぱいなんだが、それよりも痛みは肛門様の周り。一体なんだろう??と不思議で、そして「肛門の周りの痛み」でググッてみたら。。。。。。出てきた言葉は「痔ろう」。

 ひいいいいいいいいいいいいいいいいいい。
 知ってますか? 痔ろう。それは肛門様んところから横の方に管のように穴が空いて、膿みがでて、手術するしかなくて、何度もなると癌になってしまう、おそろしい痔ろう。ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。

 ひいいいいいいいいいいいいいいい。じ、じ、痔ろうかもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお??
 痔ろう体験者の人のブログなど読むと「最初はただ回りが痛かった」などという記述がいっぱい。うぐうぐぐぐぐ。な、なんてこったい!!!!と、和田の頭ん中はもう痔ろう、痔ろう、痔ろうでここ数日はいっぱいになっていたんだ。。。。。。。

 あぐううううううううううううううう。
 痔ろう。二郎。次郎。治郎。ジロウ。ジローラモっ!!!
 がるううるるる。

 でもって。このままじゃいかん!とまたワタシは立ち上がることにした!
 って、むろん病院に行くだけなわけだが。。。
 最近は病院というと、かかりつけの診療所に行くが、今回は痔ろう。またそんな心配してもかかりつけ医は一笑に付して終わるだろうから、最初から肛門様の専門医へGOしかないっ!!と、以前に大腸検査を2度もした、大久保の社会保険総合病院に行くことにした。ここは肛門様の治療ではすごく有名なところなんだ。

 でも。ここでまた少し悶々するのは20年変わらず。悶々して(でもな、なんでもないのにまた大金払う羽目になるのかも?)とか、(このあいだ中野区の検診受けたばかりだから、せめて結果出てからでいいんじゃ?)とか思った。頭はグルグルだ。
 でもでも。そう思いながらも肛門様は痛む。夜になったりすると、肛門様の違和感と痛みは尋常じゃない。

 こ、これはやはり行こう!!!!!
 私はやはり意を決して行くことにした。いざ大久保へ!

 で。行きました。ちょっと寝坊して、10時過ぎにのこのこと。大混雑?と思って行ったら、あら、意外と空いてる。しかも以前は大腸肛門科だったのが→ただの肛門科になってる。どうやらここはもう肛門様のみに特化したらしい。ううむ。肛門様だけじゃなく、ずっとずっと腸が痛いのも相談したかったのだが、駄目なのか? 寂しい気持ちになって座っていると、空いてるから瞬く間に呼ばれて、瞬く間に順番が来た。

 で。肛門様治療に特化したこの科。診察室=肛門様診察ベッドなんだ。ひいいいいいいいい。昔と変わってる。まだそこに医師はおらず、看護士さんが「じゃ、ベッドにお尻出して横になって」などと言う。ひいいいいいいいいいいいいいいいいいい。もうううう。いきなり尻なのだ。医師と最初に顔をあわせるじゃなくて、最初に尻をあわせるのだ! なんたるデリカシーのなさというか、人権無視というか、んもっ! これだから大きな病院て嫌い。ふん。

 と言いつつも。確かに診て貰いたいのは尻なので、仕方なく言われたとおりに尻を出す。そして横になってタオルをかけられ、大人しく壁を見つめて「我無常也」などと唱えていると、カーテンをあけるシャ〜という音がして、医師登場。そして背中越しに「お尻痛みあるんですね?」と言うと、私が答えるが先に「ブキッ」と尻を診始める!! ウゲッ。もうかよ〜〜〜〜〜!と突っ込みを入れる間もなく診察だぁ。

 仕方なく私はいつもの「こういうときは重病人声」で、ポソポソと尻の痛みを訴えた。すると医師はブキブキッと肛門様を押しまくり、右、左、どっちが痛い?とか聴く。左側。。。と言うと、こっちか?とまたブキッと押すから、痛い〜〜〜〜!と叫ぶと、ふむふむと1人言を言って、はい、終わり、と診察終了。そのまま医師はどつか行っちゃって、また看護士が着て「はい、ズボンはいてくださいね〜〜」とニッコリ。

 な、何? 今の何? あれで終わりなの? と思ってると、またさっきの医師(だと思う。なにせ顔見てないから同じ人物か不明なのがおそろしや)がやってきて説明をしてくれた。

 そして医師いわく「あなたのこれは自律神経の乱れです」という。えっ? 自律神経? 「こんなところに通ってるんですか?」と言うと、「あたりまえ」と言う。

 で。自律神経が乱れていると、この肛門の横、特に左側が痛くなるんだそうで、それを訴える人は多いんだとか! 
 さらに私が腸が痛く、それもしかもすごく下の方の左右というと、そこもまたそういう精神的なものからの腸の痛みが顕著に現れる場所だと言う。

 「今は痔はありません」とかで(えがつた)。とにかく自律神経を整えること、気にしないことが大切で「痛い痛いと思ってばかりだとさらに悪くなるから気にしないこと」と言われた。へ〜〜。そうなんだ。そんなことがあるんだ。自律神経失調症ってさ。尻まで痛くするんだ。ビックリ。

 医師は「尻だけで会ったとき」は素っ気無かったが、オレが「私、自律神経ボロボロで安定剤も飲んでます」とか言ったからか、とても優しくゆっくり話してくれた。そうか、そうなんか、となんだかナットクできた。

 むろん腸が心配なら、前にやった腸のカメラいれる検査もやってもいいと言われたが、とりあえずそれは保留にした。あれは過酷だから、やるとしても夏はイヤだ。

 そんなわけで、痔ろうではなかったっすううううううううううううううううううううううううううううう!
 グッバイ・ジローラモッ!!

 とは言っても今も痛い尻。尻。尻っ。グスン。グスン。

 あ。社会保険総合病院。看護士さんや医師はそうやって感じよかったですが、受付とか感じ悪っ。特に肛門科の受付にいる若い女、超〜〜感じ悪っ。でかい声で「アタシ、計算何回もしてもあわないわ」なんて言ってるし。。。。バカ女。

 それから、お金のなさそうな女の人が「保険証がない」と言って、診察してくれとお願いしていたら、断っていた。具合悪いって言っても診察してくれないんだね〜。「区役所に行け」とか言ってた。具合悪い人を追い出すんだね、病院て。そりゃ今はどこも経営が難しいんだろうがさぁ。そういうのを見ると、そう言ってる女受付の顔をマジマジ見つめてしまう。この人、これでこの女性が死んだらなんとも思わないのかな?って不思議。因果応報って言葉をおしえたくなるんだ。耳元で。意地悪な悪魔声でさ。

 いろんな声、使い分けます。はい。

 ちなみに診察代は高額を心配してたが、810円だった。早く行けば良かった。。。。。


PS:どうやらハゲちんら、11月にUSツアーの第二弾がありますね! おおおっ! 今度こそ行っちまうかな。無謀にも。すごく無謀にも。なんか、とんでもない場所に。。。。。ぐおおおおおん。ぐおおおおおおおおん。ぐおおおおおおんんんん。

PS2:そのハゲちんがイタリアで今週の日曜日、観客にベタベタ触られながらマンオンザムーンを歌うyoutube。しかし顔は疲れてるなぁ。そしてその疲れた顔がこんな風に下りて来て、目の前で歌われたら怖いなぁ。うん。
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