想
目次|過去|未来
なんとか無事生還したのは、もう6日ほど前。
生きてます。
今日は、車に轢かれそうになりました。
僕の心臓がもう少し弱かったら、コロリと死んでいたでしょう。
運転手の判断が10分の1秒遅くても、あっけなく死んでいたでしょう。
僕は、悪運の強い人間に違いありません。
早朝の国道1号で転倒したときだって、擦り傷程度のけがで眼鏡も壊れず、
バイクは一部壊れたけれども、たまたま通りかかったタクシーの運転手やその仲間に助けられて走れるようになり、
なんとかその日の内に東京に帰ってくることができたのです。
あのとき親切なタクシー運転手の代わりに通りかかったのが寝ぼけたトラック運転手だったなら、僕はやっぱりコロリと死んでいたでしょうし、
そこまでいかなくとも、たとえばこの細いフレームの眼鏡ひとつ壊れていたならば、僕にとってはほとんど致命傷だったのです。
けれども僕は生きています。少し疲れてはいるけれども、比較的ぴんぴんしているのです。
だから僕は今年も、無謀な旅に出かけてきます。
死なない程度に無謀な旅です。
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<そうやってボサっとしてるから、ひかれそうになるんだ。>
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もしも僕が本当に…、などと考えることほど無意味なことは他にないくせに、つい考えてしまうのは何故だろう。そして、もしも本当にそうだったとして、僕は今さら何をどうするというのだろう。
僕は、完全なる第三者を切実に求めている。決して解決できない悩みの相談役として。
未だに僕は自分のことを中学生か高校生のように考えている。明確に「この時点」という指標のようなものがあるわけではない。ただ漠然と、そう感じることがあるだけだ。たとえば地元で自転車に乗った中高生、特に男の子とすれ違うと、自分と同い年くらいかな、とか、少し下かな、とか思うことがある。申し訳ないことに、実際は10近く離れているに違いない。彼らを同年代と捉えておきながら、その一瞬の後には、彼らの目に自分がどう映っているのか理解する。
妙な違和感。
ああもう自分は彼らとは違うのだ。けれども、あの頃の僕と今の僕と、いったい何が違うというのだろう。
確かにあったはずの10年という期間が、本当に存在したものかどうか疑わしい。ここには、僕がいるだけだ。
家に帰ると死んだはずの母親がそこにいて、自分はなぜか制服を着ていて、というような話とは少し違うが、もしそんなことが突然起きても僕は素直に受け入れるだろう。今の僕の方が希薄、ということは、僕がこの10年を受け入れていないからなのだろうか。
最近よく感じる違和感は、こんなところにある。
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<せっかくだから〜、とすぐに考えてしまう自分は、ちょっとケチくさいぞ。>
電車の中で1円玉を拾い、道ばたでスロットのメダルを拾った。
銀色の平らなモノを拾いやすい日。でもそんなモノって、かなり限られている。
家には相変わらず、壊れたパソコン。
ファンタジー小説ならこんな時、
壊れたパソコンの上に今日拾った2枚の銀貨を乗せておけば、
実はそれが魔法のアイテムかなんかだったりして、
あっという間に直っちゃったりするんだろうなぁ、と、願いを込めて、
拾った1円玉とメダルをパソコンの上に置いておいた。
次に電源を入れたら、パソコンは魔法の力で直っていた。
1週間パソコンを放っておいたことは、物語の読者には当然、内緒。
仕事をしていないときの僕の頭の中はいつもこんなかんじ。
あれから一週間。
無事に病気は治りました。
いったい何だったのでしょう。