想
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パソコンが、「ディスプレイ真っ暗病」に罹っている。
白い背景に黒文字なら辛うじて見える程度に、真っ暗。
誰か治し方を教えてください。
目が疲れた。
| 2004年07月03日(土) |
虜/レシーバー?/<す→せ> |
西日暮里経由で秋葉原、石丸電気でイヤホンとイヤホン延長コードとCD-Rを買い、還元されたポイントでノートパソコン冷却シートを買って、飯田橋で用を済ませてから秋葉原と日暮里と北千住で乗り換えて家に帰るまで、エンドレスで「ハチポチ」。惚れそう、というか惚れた。それでも第一印象は「歌にみがきのかかった松たか子」。
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「イヤーレシーバー」という長い名前はどうも落ち着かない。
3392円もするイヤホンを買ってしまった。
貧乏なのに。
しかし、どうやら右耳と左耳では耳の穴の形か大きさが若干違うようなので、サイズの違うイヤーピースがついているのは良い。
‘密閉ダイナミック型’という仰々しい形式で、心地よい装着感。
眼鏡の人間にフック型はあまり適当とは言えず、かつ耳を覆う形のヘッドホンは持ち運びに不便。というわけで、原点に帰る。
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<荒んだ生活から、今すぐ抜け出せ!>
そうさ!夜中にこんな日記読んでるあんたのことさ!
そして、机の上に仕事を放置して100通のメール消去に時間取られてる俺のことさ!
| 2004年07月02日(金) |
汚名以外は返上/<し→す> |
几帳面の集団のような職場で、パートの奥様方に「几帳面なのねぇ」と言われた。
仕事にはだいぶ慣れてきた。一方で、まだ初心を忘れてはいないらしい。この調子。
几帳面すぎるのはよくないのだろうが、仕事の質から考えると「大雑把ねぇ」と言われるよりは、いくらかマシ。だと信じたい。
半年も経たないうちに「横着者ねぇ」とか「ふしだらねぇ」とか言われないように頑張る。
このバイトを始めて、そろそろひと月半になる。
体調さえ悪くなければ、仕事自体はとても楽しんでできる。
とはいえ、相変わらず休日返上で内職もあるわけで…。
平日だって、当初の予定より1時間や2時間は毎日長く働いているわけで…。
自分の人生に対して、5月までの遊びすぎのツケを払っている感じ。
金も時間も、返せるものなら返せるうちに。
ということにしよう。
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自分に責任がなければいくらでも謝ることができる、という性格は、かなり得のようだ。
日頃の人間関係はうまくいかないかも知れないけど。
ははん。知ったことかー。
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<死ぬ気でやらなくても、本当にやる気があれば意外となんでもできるもんです。>
これが信条であり、人生でもある。悪いか。悪いな。だいぶ悪いね。ごめんなさい。
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遠くの友人が電話をくれた。
本当に充実した生活をしているようで、良かった。
*
時折感じられる空白に目を向けなければ、何もかも順調にいく、気がする。
けれども、その選択によって何かが確実に損なわれていくことも知っている。
逃げることを誰も責めやしない。ときには逃げることを勧める声すらある。
現実に目を向けるより、現実から目を逸らすほうが、簡単だ。
安易で、容易い選択。その繰り返しでも時間だけは一律に流れ去る。
だからこそ、現実と真摯に向き合おうとする人を応援したい。
というのはあくまでも独り言だけれど。
*
気づいたらもう、丑三つ時だ。
寝ることにする。
明日は秋葉原で買い物。
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月が赤かったことを突然思い出した。
深夜はいつもこんな気持ちだったのかもしれない。無理だ。
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抱えている切なさを いっぺんに。
やっぱり根本は、表現力より感性なのだと思う。
技巧を突き詰めた先にある‘誰かの歓心’を買っても仕方がない、
と思わせるだけの力が、鋭い作品にはある。感性の豊かさが作品の力だ。
失ったものがもう二度と戻らないとわかっていても、語りかけずにいられない切なさ。
たぶん、完全なフィクションとはいえないのだろう。最後の数行は本心に違いない。
読み手にとっては、本当はどちらでも良いようなこと。
全てフィクションなのだとしたら、作者は救われるかもしれない。
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単なる読者でしかないサイトの、短編の感想。
てきとーになってしまった。もう寝る。
| 2004年06月28日(月) |
下妻物語/<さ→し> |
27日
「下妻物語」@シネクイント。
くせのあるキャスト。若手俳優の贅沢な使い方をしている。
「ひとりじゃいられない症候群」なんてことまで言われている現代の若者にも、ぜひ見て欲しい。
身近に桃子のようなロリータ女子高生がいてもお近づきになれるとは考えにくいが、あの生き方は天晴れだ。
嶽本野ばらの原作も気にはなるところ。しかし、映画がとても良かったのでおそらく読まないだろう。
本編とは100%関係ないが、TBSの斎藤アナが取手出身だというのは初耳だった。
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<365日、大忙し>
数ヶ月前なら真っ赤な嘘だったけれど、いまは現実になりつつある。
身体的にはかなりハードでも、
人生を浪費する感覚を味わわずにいられるのはある意味ではラクだ。
今週中には今年の半分が終わる。
今年起きた出来事の1つひとつは確実に遠い過去のものになっていくが、
1年の半分、という意味ではあっという間に感じられるのが不思議だ。
| 2004年06月27日(日) |
削除したくない理由があるので |
独白、と受け取ってもらうのがいちばんいい。
遠くの友人の日記を読みながら、つまらない意地を張っている。
無神経で傲慢。
それ以外に、生きていく道はないんじゃないかとさえ思う。
本当に誰も傷つけずにいたいのなら、
僕らは一生、かたく口を閉ざしていなければならない。
いや、黙って生きていくことすら許されないだろう。
単純なことだが、誰かが生きていれば、誰かが傷つく。
誰かがいなくなったとき誰かが傷つくのと、それは同じくらいの割合かもしれない。
こんな抽象論がきっと、傷ついた人を不快にさせるのだろう。
極めて具体的な現実から導き出した結論でも、結論は常に抽象的になりがちだ。
もし彼女がこれを読んでいたら、夏に会う約束は断られるかもしれない。
そんな些細なことを気にしながら書いている。
会えないのは、とても残念だから。
理解したい、慰めたい、受け入れたい、信じたい、優しくしたい、認めたい、休ませたい。
いろいろな思いや考えがあって、あるいはほとんど無意識に、
人は人を慰めようとするし、相手を近いと感じるほど接触しようとする。
大事な相手だからこそ、どうにかしたいと思う。
そんなふうに自分に関わってくる人の言動を否定するのは、
自分に余裕がないからだ。相手に非はない。
かけられた言葉を否定せざるを得ない辛さがあることは、
(「理解」という言葉は気に障るかもしれないから)「想像」できる。
けれど、受け入れられない自分が、周囲を傷つけるのだと思う。誰かが自分を傷つけたように。
傷つけることを覚悟していなければ、人と接することはできない。
これは開き直り以外の何ものでもない。
けれども、僕はこれを身につけた。ただそれだけのことだ。
そうやって、大切だったはずの誰かが、どこかへ行くまでじっと待っている。
これは、遠くの友人とは何も関係のないこと。僕は卑怯だ。
傷の深さや数を測ることはできない。
傷の手当てができるのは、時間だけだと僕は思っている。
本人にしか治せないという人も、人の手が必要だと思う人も、
環境が大事だという人もいるだろう。もちろんだ。
どれが正しいのでもないし、どれが間違っているのでもない。
僕は卑怯だ。
遠くの傷ついた友人にメールを出すことも手紙を書くこともできるけれど、
こういう形で言葉を並べて、できる限り自分を傷つけないようにしている。
彼女は十分に傷ついている。僕はその傷を逆撫ですることしかできないかもしれない。
だからこうやって、思ったことをただ書くだけだ。
彼女を直接傷つけないかわり、彼女を直接いたわることもできない。
もしも彼女がこれを読んでいなかったら、あるいは読んでも気にしないでくれるなら、
夏に会えたときに彼女の話をただ隣で聴いてこようと、ぼんやり想っている。