想
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今日はとことん うだうだ ぐだぐだ して過ごした。
朝から体調が優れなかったせいもあるのか、あまり悔いはない。
おそらく、あと1、2ヶ月もすれば、
後悔と逼迫でここに何も書けないくらいになっていることだろう。
・・・天気予報よりは当たりそうな予感。
体調の所為にしていては、終わるものも終わらないのだろうが。
***
どこかで、
今まさに自分が取り組んでいる仕事は、
そろそろ終盤の時期なのだと聞いた。
一般的にはそうなのか。 そうなのかもしれない。
自分としては、まだ取り掛かり始めたばかりなのだが。
人より何ヶ月遅れているか、
考えるのも面倒なので、止めてしまった。
| 2003年10月19日(日) |
池袋ぶらぶら/素朴な疑問 |
11月1日に結婚式を挙げる叔父への結婚祝いを買うために、
姉と池袋の西武で待ち合わせた。
池袋になったのは、姉がその周辺に住んでいるから。
彼女は財布の紐が固い人間代表なので、
電車賃をこちらに払わせようという魂胆である。
チッ。
インテリアコーナーの、食器が置かれている辺りを物色していると、
なんと、ブルーオニオンの絵付けの実演に出会った。
素焼きのカップとソーサーに、
マイスターだというドイツ人らしき男性が絵付けをしていた。
職人の技というものは、本当に素晴らしい。
作品が素晴らしいのはもちろんだが(売り物だし)、
作る工程にも思わず見とれてしまう。
その道40年という、淀みのない本物の手つき。
一歩間違えば機械のように見えてしまうかもしれない正確さ。
しかも、真剣なはずなのに、ピリピリした空気は全く感じられない。
熟練の職人さんってすごいなぁ、と、子どものように感心してしまった。
一方、それとは全く関係のない品物をお祝いに選び、
そこで姉とは別れる。
とてもではないが彼女の長い買い物には付き合っていられない。
そう思い、昼飯に入ったレストランで、
予定外に焼かれすぎたスパゲティグラタンを、
あまりの不出来さ加減に、悲しい思いをしながら食べた。
・・・アレじゃぁ客来なくなるぞ、あの店。
さて、もうひとつの目的である積み木を買いに、
サンシャインのトイザらスへ。
(西武には、ちょうどいいものがなかったため。)
そこで、何とか使えそうな積み木を発見。
店員さんに中を見せてもらい、早速買うことにした。
これでなんとかなるといいなぁ・・・。
ついでにと思い、サンシャインで服を買ったが、
家に帰り着いてから見てみると傷物だった。
店に電話したら返品か交換が可能とのことだったが、
池袋まで行くの、正直めんどくさ〜。足代もかかるし。
今度はいつ行こう。池袋。電車で30分。
***
素朴な疑問。
ポポロクロイスって、いつからアニメに。
最近、そういうのがやたらと多い気がしますが。
友人と銀座でデート。
11時に待ち合わせだったが、
起きたときには出かける時間で、
いつものように僕が遅刻。
しかも、30分の遅刻。
大変申し訳ない。
いつもいつも迷惑ばかけとります。
という訳で11時半に地下鉄銀座駅に着くと、
友人は改札を出たところのコーヒー屋でコーヒーを飲んでいた。
何も口にせず出かけた僕も、カプチーノと、
ほうれん草とチーズのパイと、小さなチョコレートのパイを。
美味い。コーヒーもパイも、かなり美味い。
しかも、カプチーノに好みのフレーバーを追加できるときた。
これはいい店を発見したぞ、友よ!
感激と空腹から、おかわりを。カフェなのに。
そのとき食べたズッキーニの出来立てパイがまた、めちゃ美味かった。
彼女と一緒にいると、本当に美味いものとよく出逢う。
その店で、彼女から土産物やらなんやらのベストセレクトな品々を頂き、
こちらからは博多土産をプレゼント。
その後、相田みつを美術館へ。
***
自己否定と自己肯定
卑屈と傲慢の狭間
というメモを先日残した。
みつを自身が親鸞聖人の言葉から読み取っているのが、
この「自己否定」と「自己肯定」である。
相田みつを本人の言葉にも、
厳しく自己を戒め、悪い部分を抉り出し浮き彫りにする部分と、
自分や人間を絶対的に認めようとする寛容の態度の両方が見られる。
深く「にんげん」を見つめた人。
人間である自分をずっと追求しながら、
卑屈にも傲慢にもならないようになんとかバランスを取りながら、
自分の本心に忠実なたくさんの言葉を生み出し、遺した人。
いまの僕には到底、できないことばかり。
嫌気が差すほど卑屈で、そのくせ驚くくらい傲慢で。
それを正そうという努力がこれっぽっちも見られない。
んー。なんだか人間として最底辺にいる気がしてきた。
問題なのは、言葉だけ取り繕っても駄目だということ。
面白いと思うのは、
とても宗教的な、仏教的な言葉が多いのにもかかわらず、
彼の言葉がたいへんな数の人々に受け入れられているということだ。
それにしても、いい‘勉強’になった。
ただ、いまはまだ‘頭で’わかっているだけのこと。
自分の身体に相田みつをの言葉を納得させて、動かさなければならない。
彼の言うところの、「具体的に」というやつである。
たぶん、いまの自分にいちばん足りなくて、いちばん必要なもの。
***
美術館に入ったのは1時過ぎ頃だったと思うが、
出たときには3時をまわっていた。
ふたりで先ほどのカフェへ再び入り、
4時半頃にそこで別れ、僕は博品館へ。
しかし、お目当ての積み木はなかった。がっかり。
肩を落としてJR新橋駅構内の立ち食い蕎麦屋で
どうということもない温かい月見そばをすすって、帰路についたとさ。
実はその夜、むしろ丑三つ時もとうに過ぎた時刻から、
昼にはできない×××談議で相当盛り上がった、なんて、
僕と彼女とパソコンしか知らないことだ。
誰かに助けて欲しがっている自分がいて、
それなのに、何故自分がため息を吐いているのかわからない。
誰かに見せるためのものではなく、無意識にこぼれ出るため息。
明日は友人に会える。
よくわからない自分のことは、ひとまず棚に上げておけるだろう。
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明日は博品館で積み木を探す予定。
好都合なヤツが見つかるといいなぁ。
相田みつを
自己否定と自己肯定
卑屈と傲慢の狭間