想
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人を殺したことはない。
どうしてもこいつだけは殺さなければならない、
と思っていた人間もいたけれど、
いまは、そうしなくて良かったのだろうと思っている。
それはやはり環境の所為だったり、
無駄なように見えて無駄でなかった年月の経過によるのかもしれない。
いろいろな、物事を、論理を、人間を、知った。
もしもあの時殺していたら。
迷わずに、殺していたら。
当時は小学生だったから、社会復帰はしていたかもしれないけれど。
そして、たぶん、
殺すか殺さないか、
殺したか殺さなかったかは、
紙一重なのだろうと今でも想う。
内容は本当に良かった。すごく良かった。めちゃめちゃ良かった。
会場が満員だったのも分かる。
客が何人も立ち観になったのも肯ける。
でも、あの酸欠になりそうな空気と暑さには参った。
参りましたよ、本当に。
脚本家の存在を感じさせる、むしろそれを前面に押し出したような、芝居。
自分の人生も本当は単なる虚構なのではないかという問いかけを、
堂々と客の心に突き付けるような芝居。
キャスト3人で、あれだけの迫力が出るとは。天晴。
舞台美術も巧く作られ、使われていた。感心した。
前川清も良かった。(・・・観ていない人にはさっぱりか・・・。)
今、自分が存在しているのは確かなことだし、
(とは云え「この」空間では意図的に創られた存在でしかないが)
これが自分にとっての現実なのだから、
誰に何と言われようとこれが現実なのだけれど、
空想の世界にいるのが本当の自分だったり、
実はこれが空想の世界で自分が気づいていないだけだったりするなら、
それはそれで面白い。
面白いけどそんなことあり得ない、と油断できるのは、
自分が「自分」の現実しか知り得ないからで・・・。
もしかしたら、もっともっと曖昧な世界に自分は存在していて、
気づいたら自分が自分でなかったりするのかもしれない。
んーん。謎。
難しいことだけれど、こういう‘哲学的な’問いに面と向かうのは
実に充実した時間だ。充実した、非生産的な時間。
神は誰だ。神は何だ。神は何処に居る。
救いの手を請う対象としての神ではなく、
自分、世界、その他全ての創造主としての神は。
人間の想像の限界を超えていなければならない神などというものが、
いったい何処に存在しうるというのか。
・・・これもまた、充分に矛盾した問い。
探すなと言われれば、余計に探し出したくなるのが人情。
止まらない哲学。終わらない哲学。消えない哲学。
それでいい。
屋上なんかに続く階段の手前に
「立ち入り禁止」
という札がぶら下がっていたりするけれど、
「飛び降り禁止」
にしたらどうだろう。
1泊で尾瀬に行ってきた。
活動的で行動派な同居人と、
夏が来れば想い出したくなると歌われる水芭蕉を見に。
もうやや終わり気味なところもあったが、
水芭蕉にも香りがあることを発見。
湿原にも香りがあることを発見。
1日目には、虹の両足も見た。
だいぶ、幸先の良いような気がした。
今は筋肉痛が来ている。
いやはや。
遥かな尾瀬ー 遠い空〜