想
目次|過去|未来
何しろ、500円で釣り銭の来るローソファを
近所のリサイクルショップで掘り出してしまったものだから、
驚くくらいに片付いた部屋になってしまった。
・・・とてもあの恐慌状態からは考えられない。
片付けた本人がそう思うのだから間違いない。
5時間あると、人間、結構なことができるものらしい。
フツーの一人暮らしだったら5時間本気で掃除し続けられるのが珍しいのでは、
などということに思い当たったりもしたが。イヤイヤそんなことはないさ。
| 2002年03月12日(火) |
顔を斜めにすると視界が涙で曇らずに済む。 |
シアワセ とか フシアワセ とか、そういうのは他人が決められるものじゃないんだなぁ。
というのが、ある女優の一人芝居を観た30分後の率直な感想、というか、考え、なのである。
何を今更、とは、どうか言わないでほしい。
どんなに周りが親切でも、どんなに現在に恵まれていても、金があっても、家があっても、他の何があっても、その人が シアワセ か フシアワセ か なんてことは本人にしか決められないことで。
折角そばにいる人を、シアワセにできないのはなぜだろう。とか思ってしまっても、その人が本当に シアワセ なのか フシアワセ なのかは本人にしかわからないことで。
その人がホントウのことを言っているのかウソを吐いているのかということは、もしかしたら、もしかしたら本人にだってわからないかもしれなくて。
それでも、人が人を シアワセ にも フシアワセ にも するというのは確かなことのようなのだ。
ここまで考えて、芝居のタイトルを思い出した。
そうか、所詮あれは幻の、そこに在るわけではないのに確実に存在する、光でしかなかったんだ。
そうか。そうだ。
人は別に、シアワセでなくても生きてゆける。
光という存在それ自体が、既に幻のようなものなのだから。
******
嗚呼。
なんてわかりにくい感想なんだろう。
春。
散歩に最適。
生きていることには、感謝できる。
そんな自分になることができた環境と、過去にも、感謝できる。
現在にも。
一刻も早く感謝できる心境になりたい。
何もしない、という贅沢。
束の間の、嘘のような時間。
何かしようと思えばすることは様々あるのに、
敢えて何もしないことを選べる贅沢。
贅沢だ。
実に贅沢だ。
緩やかに。
そしてたぶん確実に。
時間が流れてゆくごとに、
自らを制しきれなくなってゆく。
箍が外れ、自由になり、開放され。
それは本当に少しずつ進んでゆくのだけれど、
気付いたときにはもう岸辺は遥か遠くにあって、
いくら手を伸ばそうと、声を張り上げようと、
もう元のように救われることはない。
地にしっかりと足をつけて、
自らを支えることも、
もう、今の僕には、
できない。
支えを求めるのは、あまりにコドモじみた行為だ。
今となっては。
自分の他の何かに頼ろうというのが間違っている。
今となっては。
何も知らない素振りをしよう。
何も見ていない振りをしよう。
それも。
今となっては。
誰かが雁字搦めにしてくれるのを 、 ただ此処で待っている。
この身の全ての力が奪われるのを、ただ此処で待っている。
卑怯の烙印は承知の上。
求めることを蔑むのも、
求めることを恐れるのも、
自分の弱さの為せる業でも。
どうしても、赦せないこと。
今となっては。