目次過去未来


2002年02月19日(火)  積極的に願ったりはしない

自分が死ぬということ。
もう、二度と、大切な人と言葉を交わせないということ。

そんなことを積極的に願ったりはしない。

ただ、このところよく想う。
 このまま死んでしまってもいいかなぁ、とか。
 この続きはもう見られないのかぁ、とか。
 恵まれた人生だったなぁ、とか。
 ・・・・・・。
積極的に自分の意志で死ぬことを考えるのは何年も前にやめたから、
もう少し生きていく方向に積極的になってもいいとは思うのだが。

きっと疲れているんだろう。

だから、ここにも面白いことのひとつも書けなくなっている。
人を笑わせるには、自分が笑う体力を持っていないと駄目だ。
人を笑わせるエネルギーは貯めておけないから、
誰かから貰うか、自分で産み出すかしなきゃならない。
自分には今その力がなくて、誰かと笑い合う時間もなかったら、
ちょっと休憩するしかない。

ここらでちょっとひとやすみ。

もしも今死んだら、と、愛車で風を切りながら想う。
いいことはあんまりないなぁ。

もちろんだ。そこで時間は止まるのだから。

それでも、
 先刻のタイミングでハンドル切らなかったら一瞬だったなぁ
と、いうようなのが止まらない。

ただちょっと、睡眠時間が足りないせい。そうにちがいない。


2002年02月18日(月)  ばれた。

ずっと吐いていたかった嘘のひとつだったのに。

・・・いや、悪いのは自分だけです。


2002年02月15日(金)  過去のこと

実のところ、
忘れたいと思っているんだろうか。
それとも、忘れたくないと思っているんだろうか。

時々、想う。
一部始終を忘れてしまえたら。
それは凄くラクな在り方に思える。
同時に、凄く寂しい在り方にも思える。

たとえば、理想郷と同じこと。
もしもどこかに理想郷があったとして、自分はそれに気付くだろうか。
常に存在する幸福。先には幸福しかない。
悩みも苦痛も、ない。空腹も〆切もない。嫌なことは何ひとつない。
記憶の一部は確実に抹消だ。
そんなところにある幸福を、自分は幸福と認識できるだろうか。
今と同じように、日々の「しあわせ」を感じられるだろうか。

***
それにしても、ユートピアという概念は、謎だ。
そこには、自分以外にも人が暮らしているのだろう。
人々の求めるものは、統一的なユートピアなのだろうか。
やはり、どう考えても謎だ。むしろ徒の夢か・・・理想か。

本当は苦痛である筈のものを、そう感じないだけだったら、嫌だなぁ。
***

忘れられないとわかっているから忘れたいと思っているだけなら、
それは自分や周囲に対する甘えでしかない。今は多分、甘えている。
いざ、本当に忘れてしまうとなったら、忘れたくないと思えるだろうか。

忘れたい記憶だけを忘れたとして、人はどう変わっていくんだろう。

忘れられなくてもいい、せめてもう少し離れられたら。
もう少し、自分を振り回さずにいられたら。


2002年02月12日(火)  最強の敵の前で迂回を決定。

肩の荷を無理やり降ろした。
とはいえ、先延ばしにしただけだが、
切羽詰っていたときよりは、先が見えてきた気がする。

やらなければならないことは、とかくやりたくないことだ
と、以前に書いたことがあるようなないような気もするが、
「やらなければならないやりたくないこと」を、
単なる「やりたいこと」に変えてみた。
ビミョウに反則気味でも、この際仕方がない。

一時的に肩から降ろしただけの荷物は、
また近いうちに背負わなければならない。かもしれない。
それでも、
やっぱり自分はちょっと阿呆だなぁ、と思うくらいで、
間違ったことをしたなぁ、とは思っていない。

後悔は嫌いだ。



2002年02月10日(日)  未諦

自分は大物になる、と、
昔は何の疑問もなく思っていた。
漠然とだが、確信を持っていた。
それが今は・・・。

などと書いて終わりにするつもりだったが、
やっぱり今もどこか諦めていないところがある。
まぁ、元から根拠がないのだから、諦めるも何も。

何故か、小さいころからあった選民意識。
子どものころから危険思想の持ち主だったとは。

振り返る場所は増えるばかり。
通ってきた道は長くなる一方。
それにつれて「将来の夢」はだんだん現実的になっていくけれど、
それでもどこかで、忘れていないことがある。

夢が現実に近づいていく今の生活。
何か違う、とは思っても、何が違うのか、はっきりしない。
なんとか、現実を夢に近づける生活に。

今の自分は、高望みの魅力を忘れてしまっている。
一刻も早く、自分を信じる方向へ。


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