ひとりびっち・R...びーち

 

 

プラマイのマイ - 2004年07月03日(土)

 このサイトの入り口には「波浪日報」というコーナーがある。
 3行なら毎日書けるかも・・・と思ったのが大間違いだった。

 そもそも日記をつけるということは、私にとって盆踊りの輪に加わることや大縄跳びの逆回しに入ることと同じぐらい苦手だったじゃないか。
 子どもの時あんなに苦手だったことを、たった3行ならば克服できると思ったのが甘すぎる。

 日報が週報に、しかるのちに月報に、そしてとどのつまりは年俸・・もとい、年報になるのは自明だった。

 しかし・・とどのつまりの「とど」って何だろう?
 まさかあの、北の海にいるアイツのことじゃないよねぇ。
 そういえば、中原中也が「北の海にいるのは人魚じゃありません・・」とか言ってなかったか?
 さて、今、出典を顕かにすべく取り出す必要があるのは広辞苑なのか、中也の詩集なのか。
 いや、だから、問題は「人魚」じゃなくて「とど」なんだからさぁ。
 え〜〜い、めんどくさいなぁ。

 ・・・いや・・・めんどくさいのは私のアタマだ。
 なぜ、こう瞑想・・もとい、迷走するんだ?!

 ここはひとつ「とど」は置いて話を戻すと、とにかく更新ができないということだ。

 仕事が忙しいとか、今日はやけに気候が爽やかだとか、黒豆せんべいがうまいとか、ユーロ2004が深夜の放送だとか、理由はいろいろ考えられるところだが、ここで一つ重要な、しかもいい大人が大きな声で言ってはいけない理由があるわけだ。

 しかし私は(思考は迷走するが)現実と向き合う勇気があるので、この際はっきり言おう。

 大きくリニューアルしてから3年が過ぎ、自分のホームページに「飽きた」のである。
 そして一度そう思ってしまうとモチベーションは限りなく下がる。

 そうなった状態での選択肢は2つ。
 「やめる」か「リニューアルする」か、だ。

 しかし、今すぐ「やめる」を選ぶほど潔くもないし、追い詰められてもいないので、とりあえずは「リニューアル」をしようと思っている。

 そう、そしてこのページに飽きずに通ってくださっている読者のみなさんのご想像通り、「ここに書いちゃったらやるしかない」という状態に自分を追いこんでいるわけだ。

 で、先日、友人Yぴゃんに一足早く何度目かの決意表明をしてみた。

 「波打ち際リニューアルするさぁ〜、大々的にマイナーチェンジでね!」
 
 「大々的でマイナーって、それって大きくなるのか小さくなるのか、よくわかんないね」

 「そっか〜 そうだなぁ、大々的はプラ、マイナーはマイだから・・プラマイのマイで記号は "−" だよね」

 「ふ〜ん、そういうことなの?」

 「うん、そういうことだよ。正負の数の概念を正確に把握するのってけっこう難しいよね〜」

 「そうだね〜」


 というわけで、リニューアルの行方は定かではないが、本日の結論。

 持つべきものは友である。

 以上。
 


...

クワガタ - 2003年12月17日(水)

 手首から先がクワガタになった夢を見た。

 しかも両手である。

 クワガタとしては驚異的に大きく、黒光りしていて立派なのだが、手として使うには不向きな形状で・・というか、使えない。
 ギーコギーコと油の切れた機械がくっついているような感覚なのだ。

 「固い! 固すぎる!」と、夢の中で文句を言っていた覚えがある。

 そして目覚めたら首が回らなくなっていたのだ。

 呼ばれても体ごと回転させないと振り向けない=左右がダメ
 給食に出るパックの牛乳も、半分を過ぎると飲むのがツライ=上もダメ
 電車の中で本を読めない=下はもってのほか
 
 常に正面にしか向いていられないという状態は、手がクワガタになっているのと同じぐらい不便で不快だった。

 あれからすでに2ヶ月が過ぎ、ふと気がつけば師走も半ばだ。
 クワガタの朝から比べれば首の痛みもだいぶやわらいで、湿布なしでも暮らせるぐらい回復はしているのだが、どうにもギコギコ感が抜けない。

 目覚めたら昆虫・・といえば、カフカが思い浮かぶ。
 すっぱり丸ごと「変身」していたのなら、後世に残る小説を書けるのかもしれないが、手首から先だけ、というのはどうにも半端でいただけない。

 そんなこんなで気の滅入る年の瀬だが、ものは考えようである。
 今年は手がクワガタなので、暮れの大掃除は省略、もちろん年賀状も書かない。
 とはいえ例年と同じ怠け具合なのだが、後ろめたさは軽減する。

 というわけで、他にもクワガタの免罪符で怠けられることはないか、よーく考えてみようと思っている。


 ・・・うーむ、なんだか文章までギコギコしてるなぁ。


...

確信 - 2003年07月15日(火)

 というわけで、前夜ひとりびっちをアップした後も、気になる会話の空白に該当するもの(または事柄)は何かについて、びーち家の探究は続いたのである。

 インド人とカレーに匹敵する組み合わせについて考察するのはいい、そしてイギリス人と紅茶はかなり納得のいく近似値だといえよう。
 しかしである、会話を交わしていたのは日本人の青年二人であるという前提が抜け落ちて、明らかに論点がズレていっている。

 いいかね、お嬢サン、私が現代文の試験問題の出題者だったら、似たようなトラップを仕掛けるだろうということだ。
 騙されてはいけない、うっかりイギリス人と紅茶にマークする奴はバカと選別されることになるんだぞ。

 などと、これまた後輪ドリフト級の論点のスライドをかましつつ、そろそろ寝るかぁ・・とつぶやいたところで、ふと私の頭に浮かんできた考えがあった。

・・・・・・・

 「犯人は必ず犯行現場に戻る」というか、いや、違う、「灯台もと暗し」というべきか・・・ねぇ、びー子、もしかしたらカレーじゃない??
 あの年頃の男の子でカレーが嫌いっていう子、聞いたことないよねぇ。

 うんうん、おかん、それは鋭いかも。

 以下は、我々が想定した彼らの会話である。

・・・・・・・

 (缶ジュースを運び終えた台車をガラガラと押しながら青年AとB)

 青年A:なあ、今日昼メシ何にするよ?

 青年B:そうっすね、午前のラストってW駅でしたっけ?

 青年A:そやな

 青年B:じゃ、あそこのカレー屋のランチどうっすか?

 青年A:俺、カレー駄目

 青年B:えーっ? 先輩マヂっすか?

 青年A:あんなウ○コみたいなもん、喜んで食うやつの気がしれんわ

 青年B:いや先輩、日本人でカレー食えないって、ソレありえないっすよ

 青年A:だって、インド人でカレー嫌いなヤツもいるやろ?

・・・・・・・

 これだ。

 そうだね〜 おいらもそんな気がしてきた〜

 いったん「カレー」だとなると、それ以外のケースが思い浮かばないよな。

 うんうん、決定〜!

 さ、寝よ、寝よ

 靴下は・・・ま、いっか。


...

倍返し - 2003年07月14日(月)

 一日も終わり、夕食後の団欒。

・・・・・・・

 私: そういえば今朝なんだけどさぁ
 すれ違いざまに会話の一部だけが聞き取れることがあるじゃん?
 で、それが妙に引っかかる一言だったりするっていうケース

 娘: あ〜ソレね〜、あるある〜!

 私: U駅の通路でさぁ
 自販機のジュースを運ぶお兄ちゃん二人組とすれ違ったんだけど
 その片方がこう言ったんだよね〜

 「だって、インド人でカレーが嫌いなヤツだっているやろ?」

 気になるっていうかさぁ
 その前に何を話していたのか、大体見当はつくけど特定はできないじゃん。

 大多数の人が毎日食べているものを彼が嫌いだったということがわかって、相棒が突っ込みを入れて、それに対するリアクションって考えると辻褄は合うよね。
 でも、インドのカレーに匹敵するようなブツって何だろう?
 ・・って、ずーっと考えちゃったわけさ。
 ねぇ、ねぇ、何だと思う??

 娘: うーん・・インドでカレーときたら、日本は何だろう? 醤油とか?・・

 私: 醤油かぁ・・ちょっと漠然としすぎてないか?

 娘: っつーか、現代文の問題みたいだよ、ソレ

 私: 何が?

 娘: ある文章があって、その前が空白になっていて、その空白に該当する文をア・イ・ウ・エの中から一つ選びなさい、っていうヤツ。

 私: なるほどね〜 でも、今回は選択文が示されてないからさぁ
 彼が大阪人でタコ焼きが嫌い、とかだとピッタリはまるんだけどなぁ
 イントネーション、関西系だったし・・

 娘: だからぁ、おいらも今日似たようなことがあったんだよ〜
 予備校の前で信号待ちをしてたら、隣りに立ってたおじさんがさぁ

 「いや、やっぱり靴下だ」

 って、ポツリとひとりごと・・
 そんで、10秒後ぐらいに青信号に変わって、フツーに渡っていったんだよね。

 私: うわ、ソレ、めっちゃ気になる〜〜!
 「いや、やっぱり」って言うからには何かと靴下を比べたはずだよな〜
 う〜 靴下に競り負けたブツって何なんだぁ〜?

・・・・・・・

 気になることを娘に話して半減させようと思ったのに、あろうことか倍になって返ってきた。

 そして、この数日前の懸案事項を、今夜も二人で考えている。

 インド人とカレーに匹敵する組み合わせについて、だ。

 「ドイツ人とジャガイモ」

 うーん、イマイチ。

 「中国人と餃子」

 えー、中国だと、餃子ってたぶん一部の地域だけだし、むしろ日本人と餃子の方がポピュラーなのでわ?

 「イギリス人と紅茶」

 を! それはかなり近い!

・・・・・・・・・

 そして夜は更けていく。

 娘は明日予備校の「バカ選別テスト」を受けるらしい。

 だいじょうぶか? お嬢サン・・
 



...

laundry - 2003年07月10日(木)

 コインランドリーの小さなベンチに座り、缶コーヒーを片手に一服する。
 ここはヒミツの小休止をする場所なのだ。

 ・・・・・・・

 春の日、慣れない職場をへとへとになって出た。
 自分のデスクもなければ、お茶を飲む場所もない。
 もちろん、煙草を一服できる場所もない。
 新学期を迎えて、慌しく仕事に追われている先生方には指示を仰ぐ隙もない。
 だから、さしあたって何からはじめればいいのか、仕事の内容も見えてこない。
 ただただ緊張して、他の人の邪魔にならないように規定の時間を過ごさなければならないというのは、芯から気疲れがした。

 一刻も早く腰をおろして、コーヒーが飲みたい、そして煙草が吸いたい・・。
 そんな切迫した気持ちで駅までの道を歩いていたときに見つけたのが、小さなコインランドリーだった。

 入り口には2台の自動販売機、3坪ほどのスペースに洗濯機が5台と乾燥機が2台ひっそりと並び、中央には小さな白木のテーブルと同じ材質のベンチがある。
 粗大ゴミの中から持ってきたダイニングセットという感じで、安物の黒いプラスチックの灰皿がひとつポツンと置いてあった。
 晴天続きの春の日には利用する人もいないのだろう、打ちっぱなしのセメントの床はかすかに下水の匂いがしていて、カラーボックスに無造作に積まれたマンガ本にもしばらく人に読まれた形跡はなかった。

 誰からも忘れられたような静かな静かな空間。
 オレンジ色の日よけのテント越しに西日が射してうらぶれた感じがいい。
 洗濯をしないのに座りこむのは経営者に申し訳ない気もしたが、緊張と疲労を洗濯しているんだから、この際缶コーヒー1本の売上で勘弁してもらおう・・。
 4月のうちは、そんなことを考えながら、帰り道には逃げ込むようにしてそこのベンチに座りこんでいたのだった。

 しかし、梅雨に入ってコインランドリーが賑わう頃には、そのベンチにへたりこむことも少なくなった。
 はからずも数多くの職場(戦場?)を経験してきたことで、環境に順応するチカラが人一倍ついていたようだ。
 4月の最終週には3つの勤務先それぞれで、自分専用の塹壕(机と椅子)も水場(コーヒーを飲める場所)も確保したし、仕事のペースもつかめるようになっていた。
 まるで各地を転戦するゲリラか傭兵のようだよね、と、友人に話して笑えるようになったのだった。

 ・・・・・・・

 今日は霧のような雨が降っている。
 調子に乗って仕事を引受けすぎた傭兵は、2時間の超過勤務を終えて、ひさびさにランドリーで一服している。
 乾燥機が1台、色とりどりの洗濯物をくるくる回していて、洗剤のいい匂いがする。
 道路の向こう側、雨に濡れて青々とした生垣に、クチナシの花がひとつふたつ、水の中の星のように白く浮かびあがって見える。

 もうすぐ夏休みだ。



...

出せるもの - 2003年05月09日(金)

 この春、思いがけず採用された職場は遠かった。

 特に金曜日の勤務先は、中距離列車でかなり北上した市の最寄の駅から徒歩30分という道のりである。

 しかし、木枯らしが身にしみる冬でもなく、カンカン照りの日差しに汗を流す夏でもなく、季節は春、風薫る5月だ。
 見知らぬ町の、行き交う人もあまりない道を、青い空や街路樹の緑を眺めながらゆっくりと歩いて行くのは楽しかった。

 と、そこで、ある標語の看板が目にとまった。

 この手の看板にありがちなケースだが、赤いペンキで書いた最重要語句が、黒いペンキより先に退色してしまい、まるで試験問題かクイズのようになっている。

 そして私は(たぶん、ほとんどの人がそうだろうと思うが)、何の得にもならないのに、空白に当てはまる語句を一生懸命考えてしまうのだ。



 こわいとき○○○○○が出せるぼく!

 ・・・何が出せるんだろう?

 いや、むしろ、何が出せればいいのだろう?

 私は考えた。

 ずーっと考えながら歩いていった。

 標語の常として5・7・5で作られていることはたぶん間違いない。
 すると問題の消えた赤文字は7文字でなければならない。

 指折り数えながら、いくつか例文を考える(ぶつぶつ声に出しているかも)。

 こわいとき すかさず刃物が 出せるぼく!

 ・・・これはちょっとアブナイ。

 こわいとき あっさり財布が 出せるぼく!

 ・・・これはちょっとヘタレだ。

 こわいとき くるりとお尻が 出せるぼく!

 ・・・あまりに恐いとパニックになるから、あり得ないとはいえないけれど、一般的じゃないな。

 こわいとき ぺろりと舌が 出せるぼく!

 ・・・まあ、お尻よりは出しやすいけど、出せばいいってもんじゃないよなぁ。

 うーむ。

 そうこうするうちに、道沿いの風景はすっかり田園に変わっていた。
 田植えが終わったばかりの田圃、前の週には白い花が咲いていた梨畑、そして青々とした麦の穂を揺らして風が渡っていく。
 畑の横の小さな児童公園からは幼い子どもたちの歓声が聞こえてくる。

 ん?

 を!

 その公園の入り口に解答を見つけた。

 

 考えながら歩くこと20分、出勤前に正解を知ることができてほっとした。
 私の性格だと、授業中にかたっぱしから生徒をつかまえてこう聞きそうだ。

 「ねぇ、ねぇ、こわいときに出せるといいものって何だと思う?」


 ・・・・・・・・・・・・

 現実では、こういうバカ話をするのを憚られるような、凄惨な事件が起きています。

 こわいときに何が出せるか、というより、子どもたちにこわい思いをさせるようなことが起こらないでほしいと心から願ってやみません。



...

締める - 2002年12月31日(火)

 あっという間に大晦日である。
 怠け放題に怠けた「ひとりびっち」も、ここは一つ締めが必要だ。

 というわけで、クリスマスイヴに仕入れて寝かせておいたネタを繰り出すことにしよう。



 締めるといったらコレだろう。

 出処は読売新聞の12月24日付、朝刊一面に掲載されていた書籍の広告である。

 前夜に終電間際まで働いて帰り、泥人形になったような気分で目覚めた朝、ぼんやり眺めていた新聞にこの広告を見つけたとき、疲れも忘れて吹き出してしまったのだった。

 この画像で細かいところまでお読みになれるかどうかわからないが、まず著者の名前にご注目あれ。

 「日本つれづれ紀行I 褌(ふんどし)の旅」の著者が、越中文俊さんなのである。

 大真面目なコピーに、この著者名・・・。

 で、左側の「褌ものがたり」の方の謳い文句にまたまた仰天した。

 すばらしき下着―褌の魅力のすべてを一冊に凝縮。100点以上の写真・イラストで解説した『褌大全』。

 「○○大全」の類は数多く存在するのは知っていたが、褌にもあったのか!

 もう、びっくりするやら可笑しいやら。

 残念ながら褌とは縁がない性に生まれついたので、男が「褌の紐を締め直す」感覚は絶対に味わえないが、伝統ある下着というだけでなく、褌には何か精神的なものがあり、隠れたファンも多いのではないかと笑いながらも思った。

 しかし、褌が締められない身としては、ここ一番という時に、何を締めて取りかかればいいのだろうか。
 腰巻の紐じゃ様にならないし、そもそも和服を着ない。
 それに、パンツのゴムはゆるめが好きだ。

 ・・・。

 というわけで、今年も結局何も締まらないうちにもうじき除夜の鐘が鳴る。

 とりあえず来年は色のついた帯を締められるように、空手の稽古に励もう。

 


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