いつもの日記

2009年10月08日(木) 2回目

その次の週の土曜日も山下は菅野の家にいた。
菅野は佐恵子の結婚式に出掛けていた。

山下は先週と同じく菅野手帳を開き、中を確認して元の場所に戻した。
特別に増えた情報はなかった。
山下は思っていた。
「なぜ僕はこんなことをしているんだろう」と。
もしそこに新しい何かが書かれたことで自分にに何ができるというのだろう。

この盗み見る行為は基本的に誰にも公表できない行為であるので、
ここで発見する新たな情報により自分の心が揺らされ行動につながった時に、
その行動の根拠について質問されても自分は何も言えないのだ。

「なんであなたはそんな事をしたの?」
と問われても
「なんとなく」
というしかないのだ。

となると、この盗み見の行為自体どんな意味があるというのだろう。
結局、裏で動かれようとそれは事実でしかなくどうすることもできないのだ。


山下は冷蔵庫から紙パックのオレンジジュースを出しコップに注いだ。
そして、そのコップを持ってリビングのソファーに座り、テレビをつけた。

お昼のニュースは、先週の日曜日に最高裁判所内で起きた殺人事件について報道していた。
山下は一口オレンジジュースを飲み、テーブルに置いた。



2009年10月06日(火) 手帳の中身

山下は手帳を手に取り表裏と観察してみた。
ほとんど擦れてなくほとんど新品同様に見えた。
でもこれは2年は使っている物なのに状態がいいなと山下は思った。

山下はボタンを外し中を開いてぺらぺらをめくってみた。
中身はリフィルのウィークリー型で、スケジュールを書く欄の下に、TO‐DOリストがあった。
本日の予定が書かれているところまで開いてみた。
今日の日曜日には佐恵子と書かれてあった。

今週の月曜から土曜までの予定を見てみた。
土曜のところは特に何も書かれていなかった。
直前に誘ったんだからそりゃそうかと思った。

月、水、木曜日は会議が多いと言っていたが、朝から夕方まで隙間なく予定が埋まっていた。
水曜日の夜には線が引かれていたがそれが何かは書かれていなかった。
水曜日にだれかと行くと言ってたような気もするし、行ったと言ってたような気もして、
思い出そうと思ったのだが、一向に思い出せなかったかった。

諦めて次の週をみた、相変わらず月、水、木曜日は会議が多かった。
その次の週もそうだった。

1か月ほど進むと何も予定が書かれていないウィークリーページに変わった。
更に進んでもどんな予定も書かれていなかった。
2010年3月28日週でウィークリーページが終わり、次からメモのページに変わっていた。

メモのページは罫線を気にせず自由な文字が書かれてあった。
数ページしか使われていなかったが、全てが仕事のメモのようだった。

「あいつは水曜日に何をしていたんだろう?」
山下はその疑問を残したまま手帳を閉じ、カバンの中の元居た場所に戻した。
そして立ち上がって数歩下がって手帳を客観的に眺めてみた。
手帳は何時間もそこに居たようにしっくり馴染んでいるように見え山下はよしと頷いた。



2009年09月15日(火) 手帳

菅野は夜遅くまで佐恵子の披露宴の打ち合わせがあるからと外出した。
残された山下は朝食兼昼食を買うためにマンションの1階にあるコンビニに行った。
さんざん悩んだ挙句に結局山かけうどんとおにぎりを買って部屋に戻った。
そしてテレビをつけた。

昼前のニュースに21歳の浪人生に妻を殺された木下さんとその娘が出てきた。
明日最高裁の裁判があるという。
1審2審とも無期懲役という判決だったがそれを不服として上告し最高裁判まで来ていた。
裁判官曰く「無計画で突発性なもので初犯であり、反省も伺えるため、死刑にはならない」
ということらしかった。

ただ、木下さんは、「法廷での犯人の素振りをみてると反省の態度は感じらない。全く救う必要のない人間だという気持ちが日増しに強くなっている。必ず死刑にすべきだ」と訴えていた。
4歳になったばかりの娘は父の左手の袖の部分を掴みながらをカメラをじっと見つめていた。
口は横一文字で何も言葉は発していないが、鋭い目は全てを語っていた。

山下は「ほんとにこれどうなるんだろ?」と一人で呟いてTVを消した。
そして、さて今日は何をするかなと考えていた。そして、辺りを見渡した。

菅野の会社用のカバンがTVボードの横にガバッと空いてちょうど手帳が見えた。これまで一緒にでも勝手にでも一度も見たことなかったのだが、ふと山下は菅野が手帳に何を書いているのかなと思い、かばんから手帳を取り出した。



2009年09月11日(金) 有楽町駅までの道

菅野達は店を出て有楽町駅までの道を歩きはじめた。山下はツタヤで借りたDVDがあるからそれを菅野の部屋で見ようといつものように言った。菅野はそれに対しうなづきもせず、来週佐恵子の結婚式があり披露宴に呼ばれていると言った。そして、その話の流れで「結婚ってどう思う。必要だと思う?」と山下に尋ねた。

山下はうーんと唸り頭を揺らして考えていた。2人は無言のまま暫く歩いた。

客観的にみると菅野が山下を試しているようにも見えるが、それがいつもの2人だけのコミュニケーションだった。菅野は山下が十分に考えて話すことを知っていたしそれをさせてあげたいとも思っていたからだ。

そして山下は前方上方を見ながら
「やっぱ、いつもお前が言ってるように俺は結婚という形には拘らないけどな。一緒に居たいから居るでそれで終了じゃない?」
と言った。

「そうだよね。私もその考えだから何で結婚なんてするんだろう?って思っちゃうんだよね」
と言って菅野は山下の横顔を見た。

山下の横顔には表情がなかった。

結婚という話題に興味がないし特に反応しなればならない話題でも無いと考えているように見えた。ただ表情がないことからそれだけ真剣にその物事に対し考えているという捉え方もできた。要は菅野は結局のところ山下の本音を掴めずにいた。それは掴もうとして掴めないのではなく本音が解らないことに課題感がないだけだった。菅野はそれだけ自分は自分で他人は他人だと割り切った考え方のできる女だった。



2009年08月02日(日) Y党

私達は松屋を出て並木通り沿いのイタリアンレストランに向かった。昼は何度か行ったことがあるが夜は初めてだった。昼もいる若いホール店員が「夜にも来てくれたんですね」という目で迎えてくれた。

予約はしてなかったのだが待たずに席に案内された。といっても、客が入っていなかった訳ではなく8割の席は埋まっていた。いい込み具合だなと思った。

単品で頼んでいくと結局コースぐらいの値段になっちゃうよねという議論の元、私たちはコースを注文した。コースの種類は一番リーズナブルな物にした。パスタとピザは取り分けて食べるために2人が食べたい物を2人で相談して決めた。前菜は各々が決め、ドリンクは2人ともビールにした。料理の種にかかわらず、ドリンクはまずはビールだというのが私の考えだ。もしシャンパンがあればそれを優先するかもしれないが、その選択肢がなければ何も言わなくともとりあえずビールを持って来ても文句はない。

ビールが来て乾杯した。続いて前菜も来て食べながら飲んだ。彼はフォークを伸ばし、私の前菜をとって食べ「やはりそっちだった」と言った。やりとりも結果もいつものことだ。

彼は、写真展のこと、最近買ったデジカメのこと、渡瀬のことを話をした。私は、夏休みの旅行のこと、上司の悪口のこと、職場の伊藤さんのことを話をした。彼は続いて、選挙についての話をした。

「もう少しで選挙だよね。でさ、昨日夜3年ぶり位に親戚の叔母から電話が掛かってきたんだ。その叔母さん筋金入りのY党員で選挙事務所とかでも色々手伝ったりしてる人なんだけど、『どう元気にしてる?』とか『どんな仕事してるの?』とかいう世間話を結構とりとめなくするから解ってはいるんだけど、『で、要件は何ですか?』って聞いたら、『そうそう。あのね。もう少しで選挙じゃない。だからY党に入れて欲しいんだよね』って切り出されたから、自分の考えはこうでこうだという説明をしても『でも、それはそうで・・・だからY党だよ』と平行線。もう面倒だから『解りました。Y党に入れます』と言うと、『ありがとう。よろしくね。絶対だよ』と電話を切られたんだ」
と彼は話した。

「それは強烈だね。。」
と私は答えた。そして、そんな叔母が私には居ないことをホッとした。

「もちろんY党には入れないんだけど、そもそも政策説明抜きで『とりあえず入れて欲しい』というような党に政権を任せられる訳はないんだよね。もちろん、ここに任せたいと思う正党なんて無いけどね」
と彼は言った。

「そうだね。でも、電話のやり方自体も嫌だね。前段の世間話って、結局興味無いんでしょって思っちゃうよね。せめて、逆にして欲しいよね。本題を言った後に、世間話をして、穏便に終わらせるというか。なんで、そういう当り前のことが解らないんだろうね。。」
と私は言った。

確かにそうだねと彼は言った。

料理はメインが終わり、ピザとパスタが出てきていた。店員が適度に動き、店内も適度にざわついていた。外を見るとすっかり日は落ち、夜の銀座は、夜の仕事の人が縦横無尽に駈けていた。昼から夜に変わって、昼の選手と夜の選手の一斉の選手交代がなされていた。



2009年07月31日(金) 動画

殺人事件の被害者で結成された遺族の会というものが作ったyoutube動画について考えていたのだと山下は説明した。

菅野も渡瀬もそういうのがあるとは噂で聞いていたが、実際は見たことがなかったので、山下はその場にモバイルのパソコンを出して動画を流した。

「ねえお母さんはいつ帰ってくるの?」
という子供の会話でその動画は終了していた。

その動画にはいろいろなコメントが寄せられていたが、
「無罪にすることが弁護士の仕事じゃなくて、被害者側の言い分だけなく、加害者側の言い分も正しく伝えるために弁護士がいるべきだと思う。そして、明らかに荒唐無稽な事実をねつ造するような言い分なら加担をしてはならない。被害者と遺族の気持ちが思い計れるなら現実的でない無罪主張はすべきでない。そして、そもそも無罪ということは、再犯性がないということを確信を持って言えないと主張できないはずで、もしそれで無罪となり再犯したとすれば、その責任は弁護士さえも負う必要があると思える。でも弁護士が悪いというより弁護士にとって裁判は、弁護士の評価や給料をを決めてしまう勝ち負けのゲームになってしまっているから、その仕組み自体に問題があるのだと思える」
というコメントはだけは一際長く、目立っていた。

「この母親は再犯で殺されたのかな?たぶんそれは闇なんだろうけど、このコメントある程度はその通りで問題は投げかけているけれども、どのようにすればいいかっていうのがないね。あるべき仕組みって全然イメージできないや」
と渡瀬はしっかりとした言い回しだがテーブルの上の空気をめがけて言葉を発した。
一種の独り言のようでもあった。

私もそれについて考えてはみたが何もでてこなかったので早々に切上げ次のドリンクを頼むためにメニューを広げて一通り眺め、そして1つに決めてメニューを閉じた。



2009年07月30日(木) 弁護士とは

弁護士とは、
大な知識と着実な調査と綿密な戦略と高い能力により殺人犯を無罪にできる人達
である。

「弁護側は、被告が事件当時、心神喪失状態にあり刑事責任能力はなかったとして無罪を主張している」とニュースは報じていた。


「日本って人を殺しても無罪になる国なんだねー」
と小学一年生の娘は父親に言った。

「殺人したのに無罪だなんて、遺族には地球がひっくり返っても通らない道理なんだけどね」
と父親は答えた。

「ねえお母さんはいつ帰ってくるの?」
と娘は言った。



2009年07月15日(水) 仕事

渡瀬君は今2つの大きなプロジェクトに参加しそこでプロジェクトリーダーを務めていた。彼はその2つのプロジェクトの概略と状況とその後の見通しをそれぞれ簡潔に語った。私はそのプロジェクトの実態は全くわからないが、その話しぶりから渡瀬君にプロジェクトを任せれば安心だなという印象を持った。そして渡瀬君と比べてしまうとひときわ山下は仕事ができないように思えた。その思いが根底にあったのだろう私は渡瀬君の話に何度も頷き、何度も褒めた。

渡瀬君は首を少し振りながら言った。
「いやいや僕なんてまだまだですよ。それより山下は偉いなと思うんです。相手が偉くなればなるだけ自分を安くしちゃうのが人間じゃないですか。山下はそれがないんです。たまに拘り過ぎてる場合もありますが、その姿勢は偉いと思うんですよ」

私は、これは本心なのかと疑ったが、場の状況をみて謙虚に言えるところができるなぁと感心してしまった。逆に偉い人にもスタンスを変えないから山下は出世しないのだ。(もちろんそれだけでもないが)
そして、彼はたまに拘るのではない、いつも拘っているのだと訂正できたが辞めた。

山下は私たちのやりとりの横で何も言わずにちびちびお酒を飲んでいた。私たちの会話をBGMにして別の何かを考えているように見えた。



2009年07月10日(金) バス

たしか2か月前に私は初めて渡瀬君と出会った。彼と渡瀬君は同期ということもあり仲が良く定期的に飲んでいるのだがその場に私も成り行きで行くことになった。

彼とは違い渡瀬君はスマートなサラリーマンだった。ネクタイこそしてなかったが、皺のないスーツはまめに手入れがされていた。大衆居酒屋の席とはいえビジネスバックは無造作に放り出されるのではなく、きちんと立てて置かれていた。その中はきちんと整理されていて、ノートと財布と手帳の場所はいつも決められたところに納まっているようだった。

渡瀬君は
「どうも。渡瀬です」
ときちんとした姿勢ではっきり言った。
眼は誠実で曇りがなかった。

私が勤めている会社は女性ばかりの職場である。そして基本的に私の仕事は、社外の人とコンタクトをとらないので、対外的なビジネスシーンはあまり無い。そして最近接した男と言えば私よりも一回りの上の若干頭が禿げている部長か、この自由奔放で何を考えているのか解らない彼くらいで、若くきちんとした男のきちんとした態度でのきちんとした言葉は私を緊張させた。そして渡瀬君は私より2歳若かった。

私が荷物を整理し座るまでの間に彼は手際よく定員を呼んで私から飲み物のオーダーをとって注文をした。

「菅野さんは最近仕事が忙しいって山下から聞きましたけど、今日は早いけど大丈夫ですか?」

「それは大変ですね。その5年目の子はこの先やっていけるんですかね?」

「女性だからそれは仕方ないのか。ところで、お酒強いほうですか?結構飲んでるなと思って」

「あぁ、あの店ですね。僕もたまに行きます。料理も美味しいですが、定員が気取ってなくていいですよね」

「あのドラマ面白いですよね。他にはどんなの見てます?」


と渡瀬君との会話は流れるように進んだ。
それは、バス停に完全に停車しないバスを想像させた。即ち、バスがバス停近くで徐行している間に、会話という乗客が乗り降りを行った。バスはバス停で1秒も止まらない。もちろん信号にも引っかからない。赤信号で止まらないように渡瀬運転手は慎重にアクセルとブレーキを使い分けた。そして、乗客を飽きさせないように、簡潔で明瞭に会話のテーマを乗客に投げかけた。

一方、山下が運転するバスは信号に何度も引っ掛かっていた。乗客はイライラしていた。私はその様子を、山下バスに併走し滑らかに進む渡瀬バスの車窓から眺めていた。山下バスに乗ったらなぜ私はイライラしてしまっていたのか、今では良く理解できた。



2009年07月09日(木) 2

写真展を後にして私達はエスカレーターで7Fに降りた。

夕食までは少し時間があったということもあるし、デザイン性の高いリビング・キッチン用品を私が見たかったということもあったからだ。筒の長い白い加湿器や生活感を排除したフードプロセッサなどをゆっくりとゆっくりと歩きながら眺めた。後ろについてくる彼が写真展について話しを始めた。
「で、正直どうだった?何か気に入ったことはあった?」
私が答える前に彼は言葉を続ける。いつもそうだ。
「俺は正直なところ想像の範囲の中かなって感じ。ま、期待し過ぎてたということもあるけど。でも、教科書にはモノクロの写真しか載ってなかったから解らなかったけど、カラーの写真とかを見ると、自分達と同じ時代の人なんだなってなんだか親近感が沸いて、なんていうか過去の人の話じゃないんだと思ったんだよね。で、戦場の市街地にいる子供の写真も多くあったけど、その子供が何かを感じている目を表情を一番効果的に取ろうとしている写真からも本当にキャパが平和を望むが故に写真を撮り続けているということが良く解った気がしたんだ。実は、この写真展に来る前までは、単にキャパは戦争写真家として自分の興味や写真のプロフェッショナルとしてだけで、戦場に赴いているだけなのかと思っていたんだけどね。ま、それが浅はかな考えだったのかもしれないけどね」

「ふーん。私は特に前情報無く行ったから、そんな変化は無かったけどね」

そう答えながら私は、
「あなたはいつも相手の話を聞く前に、自分の言いたいことだけ言っちゃうから、会社で信頼を得られないのよ。だから、同期の渡瀬君みたいにポンポンといい仕事がまわってこないのよ。それに話が取り留めな過ぎるのよ。もう少し整理してから話してよ」
と思っていた。

でも、それをここで言っても仕方がないということは解っていた。だから口には出さなかった。このことはこれまで幾度となく言ってきたということもあるし、本人が課題として認識するまでは、物事は変わることがないからだ。言うだけで変わってくれるというお気楽な話はどこにもない。

指摘について大切なポイントは、彼自身が課題と認識しなくちゃと感じ始めている時に、それを逃さずタイムリーに指摘することなのだ。


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