いつもの日記

2009年07月07日(火) ロバートキャパ

ロバートキャパは、ポスターにもなっている崩れ落ちる兵士で一躍有名になり、その後もあのノルマンディー上陸作戦にも参加し写真を撮り、40歳のベトナム戦争で地雷を踏んで死ぬまで戦争写真を撮り続けた。

でも、彼は単なる戦場のカメラマンではなく、エッセイストの一面も持っていて、多くの言葉を残している。

広島に核兵器が使われたことについて、キャパは友人に、
「戦争カメラマンという仕事は終わりだよ、永遠にね。」
と語っている。

キャパは悲劇を探してる訳じゃなく、現実を知らない人に真実を伝える使命感があるだけだ。
「悲しむ人の傍らにいて、その苦しみを記録することしかできないのは、時にはつらい」
痛みを解っている言葉だと私は思った。

良い写真を撮るためのアドバイスとして、
「もし、君の写真が良くないとすれば、それは君が充分に近寄っていないからだよ」
「人を好きになること、そして、それを相手に知らせること」
というのもある。
カメラを知らない私でさえもこれは真理だと理解できる。


私が彼の展覧会巡りに付き合う理由は、このような発見が3回に1回はあるからだ。
もちろん、3回に2回は知らない人の展覧会であり、彼の言葉は基本的に自分に残らないのだが、良いものはやはり良いのである。

私は彼より先に展覧会を終え、展覧会出口にあるグッズ売り場で多くの時間を費やす。
グッズ売り場で何かを買うことは稀なのだが、どんなものがグッズになっているのかは、私にとっては興味深く意外に飽きることがない。

「どんなものでもキーホルダーにすれば良いと思ってるんじゃないよ」
と独りで突っ込みを入れたりしている。
そして、売れ残って倉庫にダンボール箱で積まれているキーホルダー達や、買ったけど一度もどこにも吊り下げられずに机の引き出しに眠っているキーホルダー達を想像して、売れないキーホルダーの一生に考えを馳せたりするのだ。



2009年07月01日(水) 写真展

8Fの大催場ではロバート・キャパの写真展が開催されていた。
先週から始まっていたので丁度今日が中日だった。

ポスターにもなっている崩れ落ちる兵士は歴史の教科書で見たことがある。
そうだ思い出した。
戦争写真家のロバート・キャパだ。

知っている人だと解り、私は少し気が楽になった。
彼が行こうという展覧会の3回に2回は私の知らない人なので大概中盤以降で興味が続かなくなり辛くなるからだ。

しかしながら、この男の好奇心には底がないなと感心する。
悪く言えば好奇心を売りにしたいだけなのかとも思ってしまうほどだ。
もちろんそんなことは本人には言ってないが。

彼は早速1つの写真の前でじっと立って動かない。
目は動いているがその写真だけを見ているようだ。
何を思って、何を観察しているのかは解らない。

もちろん後で、
「何が気になってたの?」
と聞くのだがいつもその回答は私の頭には残らない。

そして私はいつものようにプロフィールを丹念に読む。
そうすれば彼と同じペースで進めるからだ。



2009年06月28日(日) 自己評価

念のため断わっておくが素直に自分自身を絶対評価すると、中の中だと思っている。
あごのラインや目じりの尖り具合や鼻の高さや上唇の厚さが気に食わないからだ。
でもこの感覚が普通なんじゃないかと思う。
本人は自分自身の嫌なところだけが目につき普通より上とは思えないのじゃないかと。

だからもし私が誰かに外見の自己評価を質問されたら、私は中の中と答える。
これは謙虚とかそういうことでもなく素直な意見としてそうなのだ。

ただ、相対的に考えても中の中なの?と言われると、確かに街で声をかけられたり意外にもてたりする事実を踏まえると、平均よりは上なのかなとは思ってしまう。

しかしながら、繰り返しになるが、私はもしこの質問に尋ねられた場合、
自分自身としては中の中だとこれからも言う。
これが素直な気持ちだからだ。

これまで外見だけの話をしてきたが、中身にスポットを当てる。
外見だけなくもちろん中身にも評価はある。
外見が良くても中身が伴わなければ、評価が下がってしまう。
そうなると外見が悪い方が、評価を上げやすいのかもしれない。

万事はメリットだけでなくデメリットも付帯する。
それがこの世の法則。


松屋の込み合った沈黙のエレベーターの中で私はそんなことを考えていた。
誰もが何の言葉も発せず扉の上の緑色のディジタルの数字だけを凝視していた。
そしてエレベーターは8Fに到着した。



2009年06月24日(水) ペア

私はどちらかというと背は平均より低い方で、スタイルも至って普通。
自分で言うのもあれだが顔は可愛い方だと思うので、
総合的にみて外見は上の下または中の上その辺りだと思っている。
一方で、彼は至って普通で中の中。

女の方が男より若干外見は良いというのは、一般的なペアなんだろうか。
周りを見てもその例は多い。
銀座で石を投げると必ず当たると思う。

たまに、女も男も上上のペアが居るが、それはやはり目を奪われてしまう。
だが一番注意をひきつけるのは差があり過ぎる場合だと思う。
特に下下の女を連れた上上の男のペアがいた場合、私はその男に、
「この女のどこに魅力を感じているんですか?」
と質問する欲求に駆られる(もちろん質問などしないが)。


てなことを、店のガラスに写った信号待ちの自分達を見て私は考えていた。
やはり自分達はどこにでもいるペアで特に視線が集まるものでは無いなと思えた。
なんだか改めてそう思うとこれが現実なんだと思えて少し悲しくなった。

女の子はシンデレラを夢見ていいのだが、
実際にシンデレラになれる女は1億人に1人という倍率。
これが真実で現実なのだ。

「どうした?信号変わったよ」
「ううん。なんでもない」
「じゃ、行こ」

そして私達は松屋に向かった。



2009年06月21日(日) 週末

朝、彼からメールが入る。
16時に銀座待ち合わせ。
でも特に嬉しさも面倒だとも思わない。

特に予定がなかったから、一人でだらだら過ごすよりは、幾分有意義な週末になるかもしれない。だが、食事をする場所が一向に決まらず、決まったら決まったで味が今一つな店で我慢をしながら料理を食べることになる位なら、ひとり静かにDVD見ながらコンビニ弁当の方が、よっぽどましだ。そういうことにならないことを祈りつつ、電車に乗る。

私は、銀座4丁目のドトールコーヒーに16時15分に到着する。
彼は、女は15分遅刻するものだと思っているらしく、黙々と本を読んでいる。
ただこれが25分ともなると、何かがあったんじゃないかとおろおろし出すから男は可愛い。

彼は私に気づき、手を上げる。
何か要るかと聞かれるが、要らないと答える。
私は自分でグラスに水をついて席に座る。

店内はとても込み合っていてカウンターには列までできてるから、
「いつ来たの?」
と質問すると、
「15時位かなぁ読みたい本があったしね」
「ふーん。そう。で、今日どうするの?」
と尋ねると、
「松屋の上で写真展があるからそこに一緒に行こう」

そして私達は松屋に行く。いつものパターンだ。
彼が見たいものがある、私はそれに付き合う、そしてご飯を食べて、一緒に帰る。
たまに途中でけんかして、途中解散することもある。
でも、これをよく3年も続けてるんだなぁとも思うし、あと30年続けられるとも思う。
だからこそ、結婚という形式なんて別に要らないと思うのだ。



2009年06月20日(土) ONとOFFの狭間で

初夏のランチはテラス席に限る
制服を着た隣席のOL達が2割増しにみえる

ベランダから運動場でしている野球の試合をみる
監督に叱られてる少年は何をしたんだろう

赤いシーツのベッドでうまく寝つけるのだろうか

神社の狛犬の眼に光る何かが埋まっている

空全体が霧がかっているが自分の気持は晴れやかだ
これが何を暗示してるのか解らない

色とりどりの料理なのにモノトーンの味がする

モノレールのタイヤが降ってきて下を通りかかった子供が重体

野党はここぞとばかりに任命責任の追及
総理大臣はまたも変わった
トップは誰でもこの国は回る

動物園のチンパンジーが鬱で部屋から出ようとしない

部屋の観葉植物が蛍光灯に向かって枝を伸ばしている
それは太陽の光じゃないことを解っているのか

海の中から珊瑚が隆起し島になる
その島の上空でできた雲が赤い雨を降らせる

何かの拍子に窓から飛び出るとどんな景色が見える?

公園でフリスビーを投げあう親子
他の家の犬がそこに乱入しているけど楽しけだ

手をつないで散歩しているおじいちゃんとおばあちゃんの後ろ姿

あなたはそう思ってるかもしれないけど
わたしはそう思わない
どちらが真実なのかそれは誰にも解らない
それがこの世界

あなたとわたしの価値観はこのあともどんどん変わってく
だから永遠に幸せにするという保証なんてどこにもない



2009年05月22日(金) 銀河系

佐藤に質問された時に田中は銀河系をぼんやり頭の中に浮かべていた。
そして銀河系の外にあるものを考えていた。
ただどれだけ考えても黒い闇だけだった。

田中は銀河系の中のことを考えはじめた。
銀河系の中のハビタブルゾーンにある太陽系について考えた。
太陽系にある地球について考えた。
地球にある日本について考えた。
日本の中の自分の会社が入っているビルの1フロアについて考えた。

会社の中では誰かが誰かを罵倒していた。
誰かが自分の価値観で誰かを評価していた。
冷遇を受けた誰かが自分は人間として価値が無いのだと考えていた。

大人な人間になればなるほど狡猾にみえて打算的にもみえた。
私情を挟むことはせず機械的でありスマートな人間が一番順当に階段をあがっていった。
会社がシステムである以上、高性能なシステムを持つ人の順にピラミッドは築かれていた。


次に、田中は自分自身のことについて考えてみた。

会社で上に行くということは高性能なシステムを築くということと同義である。
高性能なシステムを築くことは人間的価値と全く関係はない。
高性能なシステムを築くために人生を送っているわけではない。
もちろん人間的に価値のある人間になることが目的でもない。

まずは自分の周囲にいる人間を幸せにしたい。
それから困っている人をできるだけ多く助けたい。
たぶんそれだけなんだろうと改めて確認していた。


佐藤は、質問に何も答えず考え続けている田中に対し、
「どれだけ考えても無駄だぜ。この世は結果しかないんだから。事実しかないんだから。誰かが困ろうが泣こうが、色んな気持があろうがなかろうが、関係ない。ただ受け入れるだけさ」
と言った。

田中は
「それも正しい」
と言った。

良く晴れた日のランチを終えた後のビルの屋上で手すりにつかまりながら2人は話していた。ビルの前の公園は、ピクニック気分のOLとピクニックの家族連れが芝生を取り合っていた。

この様子を銀河系の外から確認するには、人類の栄枯盛衰を何往復しても届かなかった。



2009年04月19日(日) 親の自覚と責任

昨日バタバタ出かけたせいで、家の中が泥棒が入ったかのように散らかっているので、昼まで掃除をして、そして乾いた洗濯物を取り入れて畳んで、洗った洗濯物を干した。昼ごはんを作るのも面倒だし、天気が良いからスーパーで買って、船着き場のテラス席でランチをすることとなる。ランチの後は近くの公園に行き、娘に連れ回され何度も滑り台を滑らされる31歳男。途中疲れたのでベンチに座り、スーパーで買ったデザートのコーヒーゼリーを食べながら娘の滑りを見守る。自分より大きいお姉さんやお兄さんにも配慮しながら順番を守って遊ぶ姿にこんなに小さい体でも色んな事を考えてるんだろうなぁと感心というか感慨深くなる。「もう帰るぞ〜」というと、「嫌だ〜」と言う。「じゃあ、あと何回?」と聞くと「3回!」と答える。そして、3回きっちり滑ると、何の不満も残さず満足して帰ることになる。さすがに疲れたのか、抱っこした後すぐに肩で寝てしまった。親の自覚や責任というものは、子供が安心して親に体を預ける度に、積み重なっていくものなんじゃないかと思う。



2009年04月13日(月) 結果しかない

昨日の夜に38度を記録した僕の体だったがきちんと静養することで今日の午後には平熱にもどっていたお粥と林檎のお陰だとおもうしかしながら最近は平日にはこのような事態にはならず決まって休日に発熱し休日中に納まってしまう平日はそれだけ緊張しているということなのだろうかしかしながら今日も寝ていて仕事の事が頭よぎり月曜の朝一の会議のことを考えていた最近はiPodで音楽を聴いてるせいか家のmarantzのコンポはあまり稼働していないだが最近伝い歩きを始めた娘が蓋をかぱかぱ開けるせいで液晶の調子がおかしいさて保証期間内ということで治せるものか解らないさて最近買ったウィークリーのリフィルを見ると今日の日付の横に102ー263の文字がある何のことだろう?と考えてると2009年が始まって本日が102日目ということを示していることだということが解るということは2009年は残り263日ということになるまだ1/3も終わっちゃいないでも1/4は終わってるすべての経験がその後の自分を作るならばどんな経験でも前向きに受けとめそれを120%のFBができるように言い訳はしてはならないのではないかと改めて思う未熟なるもののしるしとは大義のために高貴なる死を求めることだその一方で成熟なるもののしるしとは大義のために卑しく生きることを求めることだこの世界には結果しか無いそれについて自分がどう思うかどうかに意味はなくあるのはその後の結果だけだ



2009年03月09日(月) ブレスト7

右となりの席では、カップルが神妙な顔で長い話をしている。別れ話かもしれない。
左となりの席では20代前半のOL2人が、上司の悪口と彼氏の話で盛り上がっている。

中山は大学卒業を控えた暇な頃、他の人が何でそんなにも色々と話すことがあるのかと猛烈に知りたくなり、それを確かめたいと思ったことがあった。そこで、中山は1人でカフェに入り、隣席のサラリーマンの会話を始めから終りまで盗み聞きしたことがあった。
でも、そこには新しいものは何もなかった。上司が自分の子供ことを話し、部下が自分の家庭の事を話し、もうひとりの部下が新入りで可愛い宮前さんを狙っているというどこにでもある話があっただけだった。結局みんなどこにでもあることについて何時間も話しているだけで、本当にためになることを誰も話してないのだと、中山は気づいた。
中山は心底肩の荷が下りた気がした。なぜなら、自分が知らないところでためになる話が繰り広げられていたら、自分は置いてかれるんじゃないかという焦燥感を常にくすぶらせていたからだ。中山は特に目指しているものなどなかったが、漠然とだが生き急いでいる感を常に感じさせる人間だった。

「では、話を戻そう。『メディア批判』の小説ってどんな感じになりそうかな?」
と、念のため聞いてみようという感じで、石井が尋ねた。


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