いつもの日記

2006年09月22日(金) かつおのたたき

桂浜で坂本竜馬になりきるとお腹が減るのです。
だからご飯を探しに行きました。
高知市街に入って高知城を横目にスルーしてひろめ市場に入場。

実は高知はかつおが名産です。
知らなかった人には豆知識です。
知ってた人には常識です。

その市場の中にある明神丸でかつおのたたきのどんぶりを食べました。
それが美味しいのなんのって。
普段あまり誉めない僕であるのに絶賛しちゃったよ。
舌を巻いちゃったというより気がついた時には巻かれてたよ。
今まで食べたかつおのたたきの中で一番美味しかったね。

というわけで、もし、高知でかつおを食べる方は是非、
「ひろめ市場の明神丸」のかつおを食べて下さい。

もちろんこの情報自体を忘れないように、
君の目にビジュアルブックマークしときなよ。じゃあな!



2006年08月09日(水) ミルクレープ

大学時代に最寄のサンクスで買ってよく食べてた。
それから結構ミルクレープには目が無い。
そして先ほど、けっこうかなり久しぶりに食べた。やはりうまいね。
なのでなのでせっかくなので日記のネタにしよう。

しかーし、「ミルクレープを食べた。美味しかった」で終わってしまう。
広げる術が見つからない。ビジョンメガネくらい見つからない。

仕方無い。別のアプローチを取るより他ない。
ガッツ石松が7ポイント差を強調しているように、
定量的に攻めるのが場合によっては良い。
むろん何事にも定石は無い。全てはケースバイケース。
でも行き当たりばったりじゃなく大事なのは仮説と検証。

定性的と定量的はどちらもあると手の幅が広がる。
「押したり引いたり結局大局観ってことだよ」

そしてミルクレープを改めてみてみる。
そこにあるのは中心角25度の13枚12層のミルクレープだ。
一層一層はクレープ生地と生クリームで構成されている。

これを建物に直すとクリーム部分はフロアにあたる。
クレープ生地は床または天井を示す。
クリーム部分を上部に持たない一番上の生地は屋上だ。

その屋上から一階の地面の生地まで垂直にフォークを突き立てて食べる。
即ちそれがミルクレープの醍醐味。



2006年08月06日(日) 色々と箇条書き

・他人の存在意義を否定することなく自分の存在意義を見つけ肯定していく。人生とはそういうものかなと思う。

・「自分の存在意義が見つからない」と嘆く人がいる。が、既にその人は家族を含めその周りに居る人にとって充分な存在意義を果たしていると思う。自信が無い時はそれを確かめればいい。

・最近人の話をよく聞こうと思う。会話には人柄の全てが出る。おしゃべりは「自分という人間はこうだ」と言って回っているものと等しい。言ったほうが得じゃなく、晒さないのが更に得、なのかなと思う。

・自分に残る物は何かと考えると、金じゃ無いし、物じゃ無いなと思う。残るのは結局自分自身だけだと思う。自分自身がどのような仕組み(システム)を作っていけてるかどうか、それがほとんど全てだと思う。金や物の価値は、手に負えない時代というものにコロコロと変えられてしまうからだ。それを必死で追うのはナンセンスだ。

・本当の価値じゃなく上っ面の価値で物事を判断する人は、単に若いか、そのように育ったかだ。



2006年07月06日(木) 座右の銘を考える

「腹が立ったら自分にあたれ、悔しかったら自分を磨け」村上春樹

確かにかっこいい言葉で、「なるほど」とは思うが、改めて考えてみる。
後者の「悔しかったら自分を磨け」は、まさしくその通りで、自分を磨くために努力をすれば良いのだと思う。
しかし、前者の「自分にあたる」って具体的にはどうしたらよいんだろう?簡単に言ってるけどこの具体化が難しい気がする。村上春樹がよく小説内でやってる、自分の未熟さやくだらなさをリスト化するってことだろうか。

例えば、
「原因に早いうちに気づいて対策を打てなかった責任は僕ではなく担当者にあるだろう。でも、自分がもっと物事を広く積極的に見れていれば防げたかもしれない。だから自分が未熟であることも原因なんだろう」
と考え、その未熟さをリスト化し、自分へ責任転嫁する。
こういうことを「自分にあたる」ということとすると、それなら一旦納得な感じがする。

しかし、結局はその自分の未熟さを埋めるために自分を磨く必要がある。だからこれも具体的な対策でいうと、前者と同じく自分を磨くために努力するってことだと思う。

とすると、結局はこういうことかもしれない。
「悔しかったら自分を磨け、腹が立っても自分を磨け」

うーん。結構かっこいいな。
これを座右の銘としようかな。



2006年07月04日(火) 拾う神

なんだか今日昼ぐらいに一気に何もかも嫌になって仕事したくねーと思った。そして海の底に沈んだように、どんなこともプラスに考えられない日が続いてしまうのかなって思った。いつ頃そこから回復するのかもわからないトンネルに入ってしまうのかもという心配になってとても不安になった。

昼からは会議があり特に役割は無くて発言する必要は無いんだけど、人に会いたくもないなって思った。所詮、揚げ足の取り合いなんでしょ。って思ってね。

やばいなぁと思いつつ、昼休み時間にTUTAYAに行ってミスチルの「箒星」を買った。前から欲しかったっていうのもあるし、ちょっとでも早くに救い上げてくれる何かがきっかけがあるかもしれないって思ってね。

でもそれは即効的には何も与えてくれなかった。そんなもんだよねと今までしてきた経験に照らし合わせてもそう思った。

そんな浮かない気持ちのまま会議に入ったのだが、意外に会議が良い場となって、揚げ足取り合いなんて全く無くて、どうすれば良いかを皆でちゃんと話し合えてた。終わった時には、なんか海の底に沈んでしまう不安は吹き飛んでた。

捨てる神あれば、拾う神ありだなって思いました。



2006年06月30日(金) 課題設定と3つのパーツ

「物事を良くしていくには課題を解決すればよい。あらゆる物事は全て、inputと処理とoutputの3つにパーツに分けられる。ここでいう物事は、本当にあらゆるものを指している。人間であったり、仕組みであったり、だ。
課題を解決するためには、まずその課題がこの3つの内のどこで起きてるかを特定する必要がある。input方法に問題があるのか、処理に問題があるのか、それともoutput方法に問題があるか、だ。
もし、その課題がこれらのパーツを横断している場合、基本的には、その課題は分けて考えたほうが良い。逆に言えば、一旦捕らえた課題設定が大雑把であったので設定し直しをする必要があるということかもしれない」
グレーのスーツを着た中堅風サラリーマンが、同じ会社の新人君に言ってるようだった。
「もう少し具体的に言った方が解るかな。この物事を人間としよう。そうするとinput方法はコミュニケーションの聞き方及び情報の吸収方法。処理は思考。価値観や前提知識がかなり影響を与える部分だ。output方法はコミュニケーションの話し方及び情報の伝達方法。具体的にいうとこういう感じ」
僕はソファーの席で本日のコーヒーのアイスのトールサイズを飲んでいた。



2006年06月21日(水) 先生

スケジュールのレビューにてエスノ先生に手痛い指摘をされた。
さすがエスノ先生だ。やるべきことを解かっておられる。

だから僕はエムガワ先生からアドバイスを貰いつつ、
テイムラ先生に別の観点でヒアリングをした。

その時、後ろの方でワイダ先生はトラブル先生でエスカレーション先生もままならない程のドタバタ先生だった。
ビルの外は車先生が何百台も行き交い先生で晴天先生だった。

後日ある裏のラインから聞かされることになるのだが、その日のある瞬間にこの世界の全てが「先生」になっていたらしい。
目的は何かと尋ねると「悪ふざけ」らしい。

「さて」と思った。とりあえず仕事するか。



2006年06月19日(月) 「ノルウェイの森」感想文2

<上巻・212P>
「いちばん大切なことはね、焦らないことよ」とレイコさんは僕に言った。「これが私のもうひとつの忠告ね。焦らないこと。物事が手に負えないくらい入りくんで絡みあっていても絶望的な気持ちになったり、短気を起こして無理にひっぱりたりしちゃ駄目なのよ。時間をかけてやるつもりで、ひとつひとつゆっくりほぐしていかなきゃいけないのよ。できる?」
(最近仕事をしていても良くこのように思うことがある、丁寧に着実に投げずにやっていかないと結局余計に絡まって遅くなるのだ)

<下巻・170P>
「自分に同情するな」と彼は言った。
「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
(その通り。永沢さんの言葉)

<下巻・227P>
直子の死が僕に教えてくれたのはこういうことだった。どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。
(この哀しみをいつか経験する時この言葉を思い出すのかな。それとも陳腐だと思うのかな)



2006年06月18日(日) 「ノルウェイの森」感想文1

4年振りに再読。
最初に読んだ時より面白かった。
レビューは別途書くとして、心に残った文をここに記しておく。

<上巻・18P>
「ねぇワタナベ君、私のこと好き?」
「もちろん」と僕は答えた。
「じゃあ私のお願いをふたつ聞いてくれる?」
「みっつ聞くよ」
直子は笑って首を振った。「ふたつでいいのよ。ふたつで十分。」
(ユーモアがある素晴らしい回答だと思う)

<上巻・49P>
深刻になることは必ずしも真実に近づくことと同義ではない
(深刻になる時と、真実に近づく時を状況にあわせて巧く切り替えなくてはならないことが難しいのだと思う。早すぎては「冷血」に見られ、遅すぎては「引きずり過ぎ」だと思われるからだ)

<上巻・105P>
「自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」
(その通り。永沢さんの言葉)

<上巻・144P>
「ある種の人々にとって愛というのはすごくささやかな、あるいは下らないところから始まるのよ。そこからじゃないと始まらないのよ」
(愛には色々な始まり方があるのだろうと思う。だから始まり方よりそれが如何に変わっていくのかの方が重要だと思う。緑の言葉)



2006年06月07日(水) フォルクスのサラダバー

最近のランチはフォルクスによく行く。
ハンバーグランチセットならサラダバーがついて700円弱だ。
悪くない。

しかしサラダバーの皿は小さく全ての野菜を一度に盛るのは難しい。
なぜなら盛るべきものが10種類もあるのだ。
たった直径15cm程度の皿で何ができよう。

僕はランチを共にしたエスノさんにこの不満を爆発させた。
「なんでこの皿もっと大きくならないんですかね。僕基本、何度も取りに行くの嫌いなんですよ。できるなら一度だけにしたい。あんな作業は」

エスノさんはしばし考え笑顔で答えた。
「確かにそうかもしれない。でもさ、これ以上サラダバーの皿を大きくするとテーブルが一杯になってしまう可能性があるんだよ。解るだろ、いつもライスと肉とサラダバーの皿でテーブルの上がほとんど支配されているのを。だからおそらくサラダバーの皿のサイズは、そのテーブルの占有率も考えた上での最適なサイズなんだと思う。フォルクスを侮ってはいけないよ」

確かにほんとにその通りだと思った。
フォルクスを侮った僕が馬鹿だった。
そして僕の不満は一気に解消された。
何事も相談することは大切なのだ。


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