いつもの日記

2006年03月10日(金) スケジュール

「最近仕事に追われているせいか入力に偏りができてるので出力が巧くできない気がしてたんだが、いつもの調子で始まったのでただの思い過ごしか。というか、そもそも僕が何故このような内容の無い話をこんな遅い時間に無理に書こうとしている理由を説明する必要がありそうか。いや、実は全く逆で、いつどこでどのような経緯で名前を名づけられてこの世に生を受けて育った環境を語るのがスタートかもしれないな。」
僕はこのような事を考えながら逆線表で来週からのスケジュールを引きました。個々のタスクをカテゴリと順番を意識して立て、作業量を考えてそれに応じて線を引きました。そして更にそれをブレイク(詳細化)していきました。できるだけ現実的な線を引けば引くほど実現の可能性が高くなるので、注意しても注意しすぎることは無い仕事です。
「計画しても実行できなくちゃ意味が無いから計画なんて荒唐無稽だ」
と入社したての頃から常々思っていましたが、そうじゃ無いことが最近ようやく解ってきました。神は細部に宿るのです。



2006年03月09日(木) 愛川キンヤ

実は今週は毎日残業時々タクシーという生活でしたが、今日一端の峠を越えられたので嬉しいです。ベストを尽くしたとも思います。今日僕は朝9時から15時まで資料を作り続けました。あまりに集中していたのでトイレにすら行ってませんでした。昔おもちゃ遊びに夢中になりすぎてお漏らししていたという逸話を思い出しました。むろん僕のことです。約3歳です。
今日の会議は8人が出席し資料は10ページを超える内容だったのですが、30分で大筋同意が取られたのです。良い結果です。ちょっとチームに一体感が産まれた気もします。
そういう訳で晩御飯はビールが飲みたくなって飲みました。グラスを水につけて冷やしてキンキンにしてたのでとても美味しかったです。キンキンといっても愛川キンヤのことじゃないですよ。
明日からもがんばろうと思います。みんなもがんばって下さい。たぶん浅田真央ちゃんも15歳だというのに4年後を見据えてがんばっているのですからね。純粋な気持ちを大切にしたいですね。世渡りのテクニックや自分を納得させるテクニックなんて審査員には見抜かれてしまうのですから。以上。



2006年03月07日(火) マスク

僕達は毎日多くの人と会う。

朝起きたら家庭という媒体で家族という人達に会う
出社したら仕事という媒体で関係者という人達に会う
デスクについてネットいう媒体でマイコミュという人達に会う
週末になって面識という媒体で友人という人達に会う

僕達はいつも何かの媒体を通して他人に会い自分をさらけている。
だからかなのか媒体毎にマスクを被る手法もたびたびとられる。

しかしマスクを被っているかどうかは自分にしか解らず、
他人はマスクの自分が本当の自分だと思っている。

それは幸せなことなのだろうか?
マスクを被った人が望んだことだろうか?
逆にいつも素顔でいる人は辛いのだろうか?



2006年03月04日(土) 8畳

今日散歩してたら迷子のおばあちゃんが道を尋ねてきた。
小綱神社に行きたいらしい。
なんでも宝くじが当たる神社だそうだ。
地図を見てあげて一緒に小綱神社に到着した。

8階建て位のマンションに囲まれた8畳程のスペースにそれはあった。
東京都内じゃ仕方ない風景だけどあらためて寂しい気がした。

こんなところに押し込められた神様がなんで宝くじを当たりにしてくれるのか全く理解できなかった。
おばあちゃんに道案内のお礼を言われながらそんなことを考えていた。



2006年02月24日(金) 三者講演

サーシャ・コーエンの日本名である。

彼女を抑え荒川静香は金メダルを獲得した。彼女は銀メダルだ。

「予定してた講演を縮小せねばなりません。
でも仕方ないです。あれだけの演技をされては。」
負けたのにすっきりした笑顔で彼女はインタビューに応じていた。
さすがに銀メダリストである。

会社に行く途中あのような輝かしい成績を残せる彼女達と僕では何が違うのかをいつものようにうつむき歩きながら考えてた。

そして解った。
僕の目線は10m先の地面しか見ていなかった。
彼女達の目線は常に前を向き遠くを目指していた。
それが違いだった。

だから僕は顔を上げて前を向き遠くを見るようにした。
そうするといつも立ってる内幸町の交差点から国会議事堂が見えることに初めて気がついたんだ。



2006年02月23日(木) 自分自身のために書く

かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。高校生の終わり頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思いつきを何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。(109頁)

「風の歌を聴け」からの引用だ。
僕にも高校生位の時にクールに生きたいと考え、思っても発言しないようにした時代があった。そして上記と同じく、僕も発言できない人間になっていた。今思うと、若気の至りだなと笑い飛ばすしかない。

あと村上春樹の物語について思った事があったので下記に記しておく。

村上春樹の物語には、どうしようもなく救えない弱者と、権力や能力は無いが一般論で片付ける強者が存在すると思う(初めにしたクールの話は村上春樹自身の話なので弱者と強者は存在しない。即ち物語と無関係)。その対比が、彼の物語の本質で、その強者にも愛があるから美しい話になるのだと思う。愛の無い一般論者は2流の政治家か2流のメガメディアだ。

「しかし少なくとも、書くたびに自分自身が啓発されていくようなものじゃなくちゃ意味がないと思うんだ。自分自身のために書くか・・・・・・それとも蝉のため書くかさ」(114頁)

この日記の多くは自分自身のために書いてる。たまに蝉のために書く時もある。全ては気分次第。



2006年02月22日(水) 投げずに我慢する

「ビル間移動の際に鯛焼きを買った。1個150円だ。
歩きながら一口食べた。小学生に見られた。
行儀よくないね。袋にしまった。
今日はなんか疲れた。仕事したくないや。このまま帰りたいな。
今日は一旦帰って改めて明日からやればいいや。
でもまてよ、明日からなら気分一新できる保障なんてどこにも無いね。
無いはずだよね。ならばどうあるべきか?
おそらく投げたい時に投げずに我慢するというのは結構大切なんだろう。
そしてそれはある意味スキルだし自分のためだ。
よし。ならば、少しづつでもぼちぼちやるとするか」
「ふむ。ということはまだ頑張れるってことだね?」
「えぇ、まぁ一応」
「じゃあ。頑張りたまえ」



2006年02月21日(火) 事象との距離

僕が昼ごはんに和光の特ヒレかつ弁当を食べてた1時頃、
38.7度の小さな彼女はすでに38.2度まで熱を下げていた。

僕がボスの缶コーヒーで休憩してた3時頃、
小さな彼女は遊びつかれて寝て、37.8度度まで熱を下げていた。

僕が仕事で少し擦り切れて家に着いた22時頃、
小さな彼女は晩ご飯を240ml飲み切って37.5度まで熱を下げていた。

上記の文とは全然関係無いけど「羊をめぐる冒険」を読み終えた後で、
いま「風の歌を聴け」を読んでる。これも2回目だ。
最初読んだ時に黄色の蛍光ペンで線を引いた所があった。10Pの文だ。

ハートフィールドが良い文章についてこんな風に書いている。
「文章を書くという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事象との距離を確認することである。必要なものは感性でなはなく、ものさしだ」

この日記にも同じくそういう意味があると思う。



2006年02月14日(火) 認識こそ幻想だ

「認識こそ幻想だ」と右翼ナンバー2は僕に言った(羊めぐる冒険・206頁)

無知の知とは、
「自分がある知識を知らないという事に気づく」
だけで無く、
「既知の事象について自分の認識は間違っている?幻想かも?と感じる」
も含むんだなと思わされた。

具体例を言うと、保守的な人間は自分が保守的だとは思っていないんだと思う。僕が自分の事を高慢な人間だと思っていないと同じくらいにね(笑)



2006年02月13日(月) セックス・アピールの本質

引き続き羊をめぐる冒険の話だ。長くなっていますが。

上巻141頁で鼠の僕への言葉だ。
「女の子一人一人には綺麗な引出しがついていて、その中にはあまり意味のないがらくたがいっぱいつまっている。僕はそういうのがとても好きだ。僕はそんながらくたのひとつひとつをひっぱりだしてほこりを払い、それなりの意味を探し出してやることができる。セックス・アピールの本質とは要するにそういうことだと思う」

確かに。。
と唸る他ない。

しかし、上記は、セックス・アピールを人間的で理性的なものとして定義している訳だが、それだけでなく、動物的で感情的な自分の力を揚々と誇示することもセックス・アピールだと思う。だから、セックス・アピールは人間的なものと動物的なもの2つの本質があると僕は思う。

場合によってどちらかの方法を取捨選択していければ、巧くいく可能性が格段に上がると思われるが、そうはいってもそこは自分次第だと思いますね。要はバランスですが。


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