若い人達はなぜライブに行くのだろう?
家でCDを聞いたら済む話なのに、わざわざ高いお金を払ってライブに行く。なぜだろう?
その理由として、1つ目は、そのミュージシャンを見たいから。 2つ目は、そのミュージシャンが発するエネルギーに触れたり、吸収したいから。 確かに、それらがまっとうな大きな2つの理由だろう。 (それ以外にも理由は沢山ある。だが、これが主要な理由である事に変わりは無い)
でも僕が先日行ったロックのライブには、それらの2つのことを目的に来ている人は、 あまり居ないように感じられた。
そのライブはオールスタンディングライブであったが、そこに居たみんなは、 ミュージシャンのエネルギーを触るとか吸収するとかではなく、 ただ自分のエネルギーを発散しているように感じられた。 また、ダイブを何度も敢行し、自分を誇示する場所であるとさえ思っている人もいるようだ。 僕は後方からの何者かのダイブのせいで、その何者かの足によって、 目の上を蹴られて赤く腫れてしまった。 それにメガネを落としてしまい、雑踏に踏まれて危うく再起不能になるところであった。 危ない危ない。
そして、そのライブが終った時に、飛んで踊って手を突き上げていた若者達は、 「楽しかった」「スッキリした」「気持ちいい」 という感想を残して去っていくのである。
この感想は上の2つの理由を持って聞きに来ていた人から発せられる感想ではない。
やはり彼らはそれをライブとは捉えていないようであった。 それはまさにロック・アトラクションであったと思う。 そうであるなら「楽しかった」「スッキリした」「気持ちいい」という感想は充分頷ける。
今日は神戸商船大学で学生最後の発表でした。まぁまぁそこそこです。 最近気づいた事ですが、ちょっと前まで自分はプレゼンはとても苦手だと思っていたが、 「意外に結構できるやん」って思えてきました。
これは慣れなのか?それとも、成長なのか?それとも、自信なのか? そのあたりは完全に詳しくは究明できないでしょうが、 「自分への自信」「研究への自信」「プレゼンへの慣れ」 という要素がプレゼンを巧く運んでいるように感じる。たぶんそれであっていると思う。
でも、プレゼンが巧い人と比べると僕なんてまだまだ全然足元以下です。 彼らのプレゼンは聞き手の立場に立てれていて、とても解りやすいです。 だから僕も次からは少しづつ相手の立場に立ち、解りやすいものに努めていくつもりです。 でももう学会での発表も終わりなんだけどね。これが最後で。
物事全てにいえる事だが、ある程度に達するまでは、自分のことだけを頑張ればよいが、 頑張ってある程度のレベルに達したならば、 それからは他者の存在を考えて、改善・改良してかねばならないだろう。
当然ながらある程度のレベルに達したからといって、慢心して、向上するのを止めて、 名誉や利益をのさばるようになったら終わりである。 でもほとんどの日本人はそのようになるのは当然かのように教育されているから、 そのようになっても仕方は無いですがね。
でも、それでは駄目なんですよ。それでは価値が薄い。薄っぺらい。
昨日なんとか2年間の総まとめである発表を終えた。
発表自体はほとんど問題なく過ぎ、質疑応答で別の研究室の教授から、 根本を否定するような事を言われたが、それでも無事終ったのでよしとする。
これで何も心配することなく残された余暇を楽しめそうである。 とりあえず、大阪に居れる間にしか出来ないような場所に行ったり、 学生の自由な間にしか出来ないような事をやっておこうと思う。
ちょっと昔の自分なら自由の身であっても「何をしたいのか?」がはっきり解らなかったが、 今の自分は少しは解ってきているようで嬉しい。 これを成長というのかは解らないが、僕はこういうことは成長だと思う。
「自分の意志で行動できなかった事」が「自分の意志で行動できるようになった」 そうであるなら、それは成長だと思う。
でも明日にはまだ神戸で最後の発表が残っている。 実はそれが総締め。頑張ります。とても日記らしい日記でした。
生きてる証を 時代に打ち付けろ 貧弱な魂で 悪あがきしながら 何度へましたっていいさ 起死回生で毎日がレボリューション 人生はフリースタイル 孤独でも忍耐
いつも心にしてたアイマスクを外してやればいい 不安な迷いと無二の親友になれればいい 旅立とう 明日は無いぞってな具合に
腑甲斐ない自分に 銃口を突きつけろ 当り障り無い 道を選ぶくらいなら 全部放り出して コンプレックスさえもいわばモチベーション 人生はいつもQ&Aだ
駆け引きの世界で 僕が得たものを ダスターシュートに投げ込むよ 白地図を広げて 明日を待っていたい
Mr.Children 「I'll be」 より抜粋
あまり時間がございませんので多くは書きません。 なんてったって明日は修士論文の発表があるものですから。
へこんだり、いきったりしながら人間は成長するものだと思っています。
へこむことは僕にはいい薬というか、とても大事なエネルギーです。 何にも変え難いモチベーションです。そう思うようにします。
そうなった原因を探り、状況を分析し、それからどうやって立ち直るか、 と考え行動することはとても大切なことだと思います。
それに、自分の言っている事をそのまま 「そうだそうだ」 と連呼されるだけでも嫌ですから。
だから、君みたいな友人が必要なのです。 僕にとってはかけがえの無い存在です。
でもやはり認められる事は一番嬉しいです。 それに少しも認められないと自信が持てないので前にも進めませんし。
誉められたり、非難されたり、そのバランスを巧く保って、 適度な刺激を受けていきたいものです。なんだかそう思いました。
| 2002年02月16日(土) |
毎日負けずにその日のボーダーラインを越える |
思い通りにならない時や、批判・否定をされた時は誰だってへこみます。
そうなれば、調子が良くて自信を持っていた少し前の自分は、 全く虚像かのように感じられます。 そしてそのギャップを感じ、自分の浅はかさを軽率さを感じて、へこむのです。
それは意外にも予期せぬところから急に襲ってきて、 一気に自分をへこみの溝に突き落とすのです。
そうなればなかなか前のように戻るのは困難です。 マイナスがマイナスを呼び、何もやっても巧くいかないことが多くなります。 それは当然です。自分に自信が持てないんですもの。 自分の意見や行動ですら、「これでいいのかな?」って疑ったりしてしまいます。
僕は今そんな状態にいます。あまり自分に自信が持てない状態です。 そんな時、他人にアドバイスを求めます。 「このような状態を脱出するには、どうしたらいいのですか?」と。
大抵の人は言います。 「時間が解決してくれます。時間が経てばそのうち自信を失っている自分を忘れます。 それから徐々に自信を取り戻していけばいいのです。要は時間です」
確かに納得です。「アドバイスをありがとう」と言います。 でも僕は「そんな受身でいいのだろうか?」と思います。 こういうときだからこそ、気丈に頑張るべきなのではないかと思うのです。
自信を持っている時は、誰だって何でも出来ます。 だから調子の悪い時でも、毎日負けずにその日のボーダーラインを越えていくことは、 とても大切だと思うのです。 僕はそれが本当の力だと思うのです。そしてそこから本物の自信がつくのだと思うのです。
| 2002年02月15日(金) |
いい人間とげすな人間の取り扱い説明書 2 |
実のところ、バランスとモラルは直結しています。だから、
バランスを厳しく設定できる「いい男」は、モラルが高い人間です。 バランスを曖昧に甘く設定している「普通の男」は、モラルがそんなに高くない人間です。
バランスを考えない「やばい男」は、モラルというものが何かを知らない人間です。 バランスを考えずに欲を求める「げすな男」は、モラルが全く欠如している人間です。
人間的な義理・秩序・恩などをしっかり考え、行動できる人が「いい男」であり、 それらを考えようとしなくて、見てみぬ振りをするのが、「げすな男」なのです。
さて6日間に渡って書いてまいりました「いい人間 げすな人間」如何だったでしょうか。 こんな事を我が物顔でかける私は何者でもなく、「げすな男」であるかもしれませんが、
「いい女や普通な女」は「げす」に騙される事なく、「もっといい女」を目指してください。 「いい男や普通な男」は「げす」に憧れることなく、「もっといい男」になってください。 「げすな男やげすな女」は自分を「げす」だと認めて、少しづつまっとうに生きてください。
これが僕が一番言いたいことです。 これもすべて自分をここまで育ててくれた日本のために言いたいのです。
追伸:ちょっと自分は調子に乗りすぎていた感があります。 意外に自分が一番「げす」かも知れません。ちょっと疑ってみます。
| 2002年02月14日(木) |
いい人間とげすな人間の取り扱い説明書 1 |
前4回に渡り「いい男(女) げすな男(女)」を紹介しました。
人間にはこの他に「やばい男 普通の男 もっといい男」がいます。
「やばい男」は、両親に甘やかされて育って、この世にある欲しいものは勝ち取るものではなく、 与えられるものだと教えられて心底信じていて、コミュニケーションすらもできなくて、 自分の殻から出れないとか出たくない男のことをいいます。
最近かなり増えてきています。自分の子供がこのようにならないように注意が必要です。
どんな人も自分に嘘をつくことは嫌です。できるなら自分に嘘はつきたくはないです。 でもずっと自分に嘘をつかないというのは大変なので、誰だって自分に嘘はつきます。 このように人々は、自分に嘘をついたり、つかなかったりするので、 そのバランス(比率・割合)はそれぞれ個人によって決まります。
「いい男」はそのバランスが厳しく設定できている人です。 「普通の男」はそのバランスが曖昧で、甘く設定している人です。 「普通の男」は、やはりその名の通り「普通」なのです。
ちなみに、「やばい男」はこのようなバランスというものを考えない人達です。 考えないだけなのかもしれませんが、考える事が出来ないのかもしれません。 しかし、そんな細かい状況なんて考えなくても、とりあえず彼らは「やばい」のです。
そして、「げすな男」はその自分に対するバランスがどうのこうのというより、 「その物事が自分の欲を満たすかどうか」 ということでだけで自分に嘘をついたりつかなかったりする人間なのです。(続く・・・)
| 2002年02月13日(水) |
げすな女の条件(下種) |
げすな女ほど
自分に嘘をつくのがうまく
相手や他人に対して不誠実だから
相手や他人を騙すような自信をねつ造することができ
とにかく横柄で
相手に対し自分を過度に押し付ける
しかし根底では自分に自信がないからみんなに嫌われるのが恐いので
世間的に価値あるお金や地位や過去の栄光やブランドを使って
現在の貧弱な自分自身を武装して創って
周囲の人間を囲って群れる
そして自分の私利私欲のためにしか動けないから
相手や他人に対して多くを要求し
くだらない女だと相手に悟られて捨てられるのが恐いから
相手をきつく縛るのです
それからやはり品がない
いい女ほど
自分に嘘がつけずに
自分に正直だから
自信をうまくみせることができず
謙虚であり
自分をわきまえているから
相手に多くを求めず
相手をきつく縛らないのです
それからやはり品がある
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