| 2001年12月03日(月) |
44歳になってローソンでローキック |
「日記がよく続いているね」
と色んな人から言われる。 大体は、自分の研究室関係者や、僕の昔の友達関係者や、僕の家族関係者や、 私のバイト関係者や、阪大ボクシング関係者から言われるのがほとんどであるが、
ゴクたまに、「いつも日記見てますよ。」 とローソンの客からも言われたりする。
そして、ゴクゴクと一気飲みできるくらいゴクたまに、 「応援してます。これからも続けてください。」 っていう女子高生も現れる。
「女子高生に声をかけられるなんて、いい世の中になったものだ」 と、ニヤピン賞をとれるくらいニヤニヤしながらレジを打ってると、
「レジを打ちながらニヤニヤするなんて不謹慎だぞ!」といきなり説教するオッサンもいる。
そんなオッサンには、「お釣りの代わりにおでんの大根を額につけるぞ。このやろう」 と思うのだが、やはりお客はお客です、あと一歩のところで踏みとどまるのです。
それから、僕はあの女子高生の笑顔を思い出して、 「しょせんオッサンのタワゴトだ。最後に愛は勝つ」 と自分を納得させて、また新たなオッサンに立ち向かうのです。
しかしながら、このオッサン達は何人倒しても何人倒しても、店に入ってきます。 ほんとにキリがありません。 だから最近では、彼らが店に入る直後にローキックで倒すようにしています。
ほとんどのオッサンは、なにも警戒せずにスタスタ歩いてやってくるので一撃です。 ごくたまに、飛び跳ねてやって来るオッサンに気をつけるくらいです。
いつまでコレを続けるのかは不明ですが、とりあえず命が20キたまるまでやるつもりです。
下馬評によると、20キは多い過ぎるかも知れませんが、 このサキユキ不透明なこの世の中においては、20キも少ないくらいではないでしょうか。 命は多いに超したことは無いですし、今後の激動の時代を過ごすには絶対必要だと思います。
20年後の44歳になってから命が足りなくなって、またこのローソンまで戻ってきて、 店の扉の前でローキックして命をためるなんてことは、絶対避けたいですからね。
| 2001年12月02日(日) |
リズム と 言葉の響き |
僕の日記には、文法上間違った使い方の慣用句や、故事成語や、諺などが数多く登場する。 それに負けじ劣らじ誤字脱字もかなりの数登場する。
この点に関し、読者に断っておきたい事がある。
それは、誤字脱字は意識せずになってしまう僕の性質であるが、 慣用句などは「文法上間違っている」と、充分わかっていて使っているということである。 間違ってることは百も承知です。わかっててわざとやってるんです。
なぜなら僕は日記の内容と同じくらい
リズム と 言葉の響き
というものに重きを置いてるからなんです。
それらが充分な働きができるなら、文法なんて見て見ぬ振りです。 文法なんて僕にとってはうざったい校則みたいなものなのですから。
| 2001年12月01日(土) |
コーヒーでも飲みながら・・・ |
土日とボクシングの試合を見に行ってきました。
やはり熱い。だからやはりイイ。イイね。 研究室の生活に比べると、とてもじゃないけど温度差がありすぎる。 後輩達も見違えるほど強くなってたし。
こんな事を書いていると、自分の意味をほとんど見出せない生活に嫌気が差してくる。
ふぅ。コーヒーでも飲みながら、音楽でも聞こうかな。
♪ ちょっとだけ増えすぎた 重い荷物なんて置いて行こう 大丈夫 なるようになるのさ いつでもそうやって笑ってたじゃない 大丈夫 なるようになるのさ 構わず行こう 思いのまま 「大丈夫」:斎藤和義
| 2001年11月30日(金) |
僕のマイブームはファンヒーター |
色々と取り込んでいて更新できませんでしたので、一気にUPする事をお許しください。
具体的に申しますと、取り込んでいたのは、洗濯物でした。 更新できてませんが、行進はしてます。進んでいます。 理想の自分に向かって今日も気を吐いてます。つもりです。
しかしながら、最近この日記を書くことの無意味さを少し感じてしまっています。 こんな日記なんて書いて、いかなるものか。と疑問に思う次第です。
誰かを助けるわけでもなく、誰かを喜ばせるわけでもなく、ただの自己満足。 ただのマスターベーションに過ぎないのではないのかと思っています。
自己満足ばかりしすぎると、そんな事ばかりやってていいのかって思えてきたりする。 でも逆に、他人に対してばかり時間を使いすぎてても、そう思うものです。
ようはバランスなのでしょう。バランスバランス。やはりバランスですね。 11月も終わりです。いよいよ寒くなってきました。
最近の僕のマイブームはファンヒーターです。 だって、ファンヒーターの前からいつまでたっても離れられないほど、心奪われてますもの。
| 2001年11月29日(木) |
もちろん目覚ましなんてかけません |
そろそろ普通の日記を書く時期でもあるので書こうと思う。 あまりひねらず、ただ純粋に気持ちを書いてみたいと思い、書きます。
本日は、修士論文の中間発表がありました。 そのため、昨晩は大学に泊まりました。 30分の睡眠を3回に分けてとって、なんとか乗り切りました。
しかし、発表はあまり満足いくものでは無かったです。 巧く言葉が出てこず、よく噛んでしまって、もたつき、ずれこみ、 結局はまとめの部分を、聴衆に駆け足でおおくりするしか無かったです。
「まぁでもいいや、しょせんは中間発表だし」 と思って自分に言い聞かせてますが、本番ではもっときっちりやりたいと思いました。
前々から思っていたことですが、僕はかなりあがりやすいです。 別に高価なテンプラ粉を使っているわけではないのですが、揚がり易いのです。 僕は揚がってしまうと自分の持ち味の10分の1も発揮できません。 まるでトロを揚げてしまうようなものです。
こういう人には練習しかありません。練習あるのみです。 繰り返し繰り返し練習し、体に馴染むまでやらないと駄目なようです。 したがって、もし君が、大衆の面前でスムーズに話している僕に、万が一遭遇したなら、 それは一重に僕の努力の賜物であって、僕の元々の性質なんて事は絶対に思わないで下さい。
そんな切なる願いを胸に僕は床に就きます。 もちろん目覚ましなんてかけません。
この疲れた僕の目が開いた時が、次の日の始まりなのです。 所詮日付なんて人間がただ利便的に定めた区切りでしかないのですから。
「その神戸にあるお店のビビンバね、レタスとかも入ってるし、めっちゃ変わってるのよ。 でも、変わってるだけじゃなくて、とにかくおいしい。マジでやられたわ。」
「やられたという事は、君の負けだという事だね。」
「・・・」
「即ち、言い換えると店が勝って、君は負けたんだね。 なんだかんだ言っても、君は負けた訳で、店が勝者なわけなんだよ。 このことに関し君がとやかく言える権利も無いし、言うべきものでもない。 店の勝ち、君の負け。という事実しか何も語らんのだよ。」
「あのね、ちょっといい。」
「ふむ。何か?」
「けんちゃんと話してても全然面白くない。もうしゃべらんとって」
・・・・・
明後日の僕はこんな会話をしているのかもしれない。
「茨木って外人多いね。なんでだろうね」
「メッカですもの」
「えっ??・・・」
「だって外人のメッカですもの。外人というものを初めに外人と認めた発祥地ですもの。 だから、この外人のメッカである茨木に彼らは集まるのです。お解り?」
「はいはい。もうそろそろ時間だし。帰るね」
「気をつけて帰ってね。そろそろ暗くなってきたし、それに加えてここはメッカだし。」
明日の僕はこんな会話を楽しんでいるかもしれない。
Q1:ターミーと聞いて、ターミネーターが思い浮かぶ人は正常な日本人である。→○ Q2:ターミーと聞いて、彼が思い浮かぶ人は僕と同じリクルートの内定者である。→○ Q3:彼を知っているならば、ターミーと聞くと、必ず決まって彼が思い浮かぶ。→○
ターミーというネーミングもさることながら、 人間かどうかも不確かな彼ではあるが、僕と同じくリクルートに内定を頂いている。
そんなターミーと先日、同内定者の勇志の家で飲んだ。
ターミーがターミーたるゆえんに、存在感というものがある。 彼のごつくてワイルドなイデタチからは、金色(こんじき)のオーラが発せられている。 ミスターオクレの存在感を1とすると、彼の存在感は300万はかたい。 トリプルミリオンなんてあってもないようなものなのである。
しかし、意外なベビィフェイスから繰り出される彼のトークには、一貫性はほとんど無い。 彼のトークの根本には「適当」という文字がハッキリと刻まれている。 そんな「適当トーク」ばかり聞いてると、僕は彼の内部を何も理解しえなかった。 でも、ただひとつだけ解った事は、彼はラーメンがかなり好きだという事であった。
そして、そこから解った事は、それは正にターミーがラーメン好きな人間という事であり、 「ターミーが人間である」ということの証明にもなった。
先日一晩かけて話した事の収穫は、たったこれだけであったが、 ターミーが人間だと解っただけでも大した収穫だった。
「悩んでいる事無いのよ。いつでも、どこでも、羽を思い切り伸ばしなさい」
その本は僕にそう呟いた。 僕は紀伊国屋でその本を読んでいたのだが、「これだな」と思って元気が出てきた。
店を出てから僕はさっそく思い切り羽を伸ばしてみた。 とても気持ちのいいものだ。
と、実感する前に、通行している人達は、僕が伸ばした羽をきっちりよけていった。 ある人はかがんで、またある人は肩越しにかわして行った。 だから、みんなとても歩きにくそうだった。
一人のおばちゃんが言った。 「こんな人の混むところで羽なんて伸ばさないでよ。やるなら自分の家で伸ばしなさい」
おばちゃんの理論は確かに正しかったのだが、 僕の実質5畳という狭さの部屋では、羽を伸ばすのも困難なのだ。
僕は読書家では無い。だから本を読むのは嫌いだし、長い文なら読む気がしない。 昔から僕はそういう性質で、小さい頃はゲームさえあれば満足であった。
「そんなふうに本や長い文が嫌いなあなたが、何故日記を書いているの?」 と君が疑問に思うならば、答えるけどいかがかな。というわけで、君たちの疑問に答えよう。
僕は、文章を読むのは3度の飯より嫌いだが、書くのは3度の飯より好きらしい。 ある時から僕は自分という存在を表現するための手段として、 文章を書くということで快感を覚えるようになる。
それが最初に劇的に訪れたのは、たぶん中学校の頃だろう。 僕の通っていた中学には、「お話会」という学校の行事が、年1回開催されていた。
そこでは、クラスから1人選ばれたクラスの代表は、体育館のステージ上で、 ただ一人立って全校生徒に向かって、自分の文章を読むのである。
この光栄な立場にあろう事か僕は、1年と3年の時にクラスの代表として選ばれる。 年1回のお話会が3年で3回あったから、3回中2回僕は選ばれていることになる。 3の2だから、打率に直すと.667。
これは凄い。かなり凄い。おいおい凄い。 これは、MVPをとったイチローですら、たぶん一生超えられない数字でもある。
小泉首相がこの事実を知ったら「すごい。さすがだね」と誉めるありさまだろう。 イチローがこの事実を知ったら、彼は悔しさのあまり一日の素振りを300回は増やすだろう。
だいぶ話は逸れたが、以上の経緯より僕は文を書く事が、意外に得意で好きらしい。 そして自分の書いた文章を誉められることが一番嬉しいのだ。どんな事より。
そういう訳だから僕は文を書いている。でも、僕は読むのは嫌いである。 ということは、僕は皆に文を読んで欲しいが、僕のように読むのが嫌いな人も居るはずだ。
僕はこの読むのが嫌いな人にも、読んでもらうために文章の量に気を使っている。 読むのが嫌いな人は、文章の量に敏感で、読むべき量が多いとかなりなえる。 量がかなり多いとわかった時点で、読む気がしなくなるのだ。 だから僕は、僕みたいな読者に考慮してなるべく1ページで抑えようとしている。 なるべくというぐらいですけど。
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