| 2001年11月23日(金) |
僕のメガネはズレやすい |
最近だんだん解ってきた 僕のメガネはズレやすい
「理由は何だ」と問われたら 「扱い方が悪いのです」
だから僕はメガネ屋へ行く 期待を胸にアクセル回す
ビジョンメガネの店内 ただ僕一人寂しいな
でも店員の笑顔は素敵 儲かってなさそうなのに笑顔は素敵
「これなんかゆるいねん。とりあえずなおして」 僕のメガネは手術中
買う気は無いけど見てる振り そうしないと中々直してくれないの
直されたメガネは僕の耳に 吸い付いたようにピッタリヒット
やっぱりメガネはそうでなくちゃ でも 僕のメガネはズレやすい
免許の写真でもズレてます だから 僕のメガネはズレやすい
| 2001年11月22日(木) |
ドラッグストアの野望 |
2001年11月12日(月)の「どうしたらいいのだ」という日記で、電気屋で薬を売っていると書いた。
がしかしだ、薬屋即ち、ドラッグストアはもっと凄かった。
薬屋はいつからか解らないが、ドラッグストアと呼ばれるようになり、 どのようなものでも売ることを可能にした。 日用品やお菓子はもちろんで、CDまで売っているのだが、それに留まらなかった。
自転車
そう、あの足でこぐ自転車。解りますよね、自転車。2つの車輪がついた自転車。 売ってるんです。今では本当にドラッグストアで売ってるんです。
これを知った日には僕は、 「将来お金が溜まっても、絶対に自転車屋はしない」 と誓いましたね。
自転車屋で働くならまだしも、自転車屋をするは、やはりきつい。 絶対みんな清潔感のある白衣を着たお姉さんの居るドラッグストアで自転車を買うだろうし、 対抗して自転車屋で薬を売っても誰も買わないだろう。
チェーンオイルで汚れたきたない作業着にスパナ持ちながら、 「お大事に」 って薬を渡されても、風邪が治るだなんて思わない。 逆に、そんなんで満足するお客さんは違うクスリをやってる。絶対に。
現在、ドラッグストアを取り巻く状況は大方こんなところだ。しかしだ。 僕の推測するところ、ドラッグストアにとって「自転車」は所詮通過点に過ぎないと思う。
ドラッグストアの野望は果てしない。 彼らは僕達の感覚を少しづつ変化させていく。 彼らは彼らが出来る領域を少しずつ広げていく。 僕達にわからないように。気付かれないように。
彼らはそのうち居酒屋を経営し、学校を建て、さらに球団を持ち、ついでに政党を作る。 そして僕は30年後、白衣を着た総理大臣の居る国で、初めての獅子座流星群を見る。
| 2001年11月21日(水) |
ある会社員(男) と 募金ボランティア人(女) |
「募金お願いします!」
と街頭で言ってる人が抱えた募金箱には、みんなの財布の紐がゆるくなるように、 あらかじめ幾らかの小銭とお札が入っている。
そんな現実を知ってしまった僕は、何を思えばいいのだろう。何て言えばいいんだろう。
たぶんこう言えばいいのだ。
「君らがみんなで日雇いのバイト行ったほうが儲かるよ」
「あ、あなたっていう人は何てことを言うの!そんなつもりでやってません」
「それならどういうつもりでやってんの? すぱっと、本音を言っちゃえばいいじゃない。 こういうボランティアをしてる自分が一番好きで、そんな好きな自分になりたいって。 それが一番の目的で、いつもそのつもりだ。って言っちゃえばいいじゃない。」
「・・・・」
「それから、そんな自己満足的なボランティアの募金が終ったら、 一日に集まった募金以上のお金を費やして、呑みに行くのでしょう。 「お疲れ様〜」って盛り上がってね。所詮そうでしょ。」
ある会社員(男)と募金ボランティア人(女)は、白昼堂々街頭でこんな会話で討論をしていた。 僕はそのそばを通り過ぎただけだが、大方話の内容は合っていると自画自賛している。
| 2001年11月20日(火) |
Webに存在するもう一人の自分 |
「Webに存在する自分とはもう一人の自分である」と僕は考えている。
僕達はそのもう一人の自分で、なんでもどんな事でもしたいと考える。
現実の世界においては自分が抱えてる責任、羞恥心、義務、臆病さ、などが交錯し、 それらは絡まった縄のように、ほどけないシガラミを作る。
そして僕達は、そのシガラミのために何もできない。
現実の口は壮大な夢を語り、頭は大いなる野望を創造するが、行動は起こせず、 結果は出ないから、結局僕達は何も出来ずに羽をたたんで、いつもの生活を繰り返すだけだ。
だが、Webの世界ではそれらを可能にする事ができる。
現実では多くのシガラミがあって不可能な事も、ここではシガラミなんて考えずに、 できるだけ正直に、最高に素直になって、羽を思い切りのばして、可能にする事ができる。
こういう世界だから僕は、羽をめえいっぱい広げて正直に素直に文章が書けるのだ。
現実の僕にはそんなことは到底出来ない。 現実の僕は、臆病で、保守的で、そしてなにせ自分にたいして言い訳がうま過ぎる。
| 2001年11月19日(月) |
「天体観測」 → 嶋田浩志 〜リンク〜 |
ローソンの仲間とカラオケに行った。
カラオケといえば嶋田君。嶋田君と言えばカラオケ。というぐらい嶋田君は歌が巧い。 ローソンの間では、その事は周知の事実であって、もはや知らない人は誰もいない。 昨日も彼は2、3プロダクションから電話を受けていたほどだ。 嶋田君、即ち本名:嶋田浩志は、まさに第2のラディンにならんかの魅惑なのである。
だからみんなは彼に歌を歌って欲しいと頼む。 「とりあえず欲しい。欲しいのよ。もっとちょうだい」 ってね。男も女も。 僕もアレコレとリクエストした。ミスチルなどなど。
そんな中、嶋田くんと同学年の山口君はこう言った。
「おい浩志。バンプオブチキンの「天体観測」歌ってや。 前にカラオケ行った時に聞いてから、この曲聞くとお前の事思い出すねん」
らしい。山口君の頭の中では バンプオブチキン「天体観測」 → 嶋田浩志 が確立しているのだ。
それから嶋田君は「天体観測」を歌った。 みんながみんな、曲本も見ずに聞きいっていた。 巧すぎて暗いカラオケの部屋はプラネタリウムではないかと錯覚するほどであった。
僕は思わず天井を見上げてしまったけれども、そこには沢山の星があった。 その星は僕に何かを語っていたけど、それは言葉にはできないものだった。 星はただ眩いばかりに輝いていた。ただ、輝いてそこに存在した。ただ、ただ。
終わり 〜「天体観測」→嶋田浩志〜
追伸:オチがオトせない時は自分でもイメージできない世界に入り込むのが鉄則です。
あっ、今世紀最大規模の獅子座流星群を見るのを忘れてしまった!
物事と物事はカテゴリーを問わずに繋がってしまう事がある。 言い換えれば即ち、無断リンク。そんな感じだ。 まぁこんな事言っても何の事だか解らないだろうから、具体的に説明することにしよう。
<シーン1> 隣に住む源さん(84歳)はお茶碗を見ると、お箸が頭の中に浮かんできました。
これはかなり納得である。というのは、お茶碗とお箸は同じカテゴリーに所属するからである。 これらはかなり直接的な繋がりがあり、即ち相互リンクでもある。 お茶碗→お箸 かつ、 お箸→お茶碗 故に お茶碗⇔お茶碗 である。
「ここまでは理解できましたかな。皆の衆。次に行って宜しいかな」 と源さんが言ってます。ということなので、本題のカテゴリーを問わないリンクを説明する。 同じカテゴリーでなくても物事と物事は繋がったりする事もある。ひとつ例をあげよう。
<シーン2> 福井はスピッツの「チェリー」を聞くと、上山を思い出す。
これは福井と上山がカラオケに行ったという歴史がそうさせているのだが、福井曰く
「俺もチェリーを歌うけど、なんでか解らんけど「チェリー」を聞くと上山を思い出すんだよ。 上山のチェリーが別に上手なわけでもなく、どっちかいうと下手やのに」
そうなのだ。こういうリンクは何故か解らないが気付いた時には、深々と脳に宿っている。 どんな原因があるのか解らないが、ふとした事で繋がってしまうのである。 福井の記憶の細胞には チェリー→上山 というログが、刻銘に刻まれているのである。
最近かなり寒いですね。チョコの季節です。 コンビニではメルティーキッスが発売してます。 僕はコンビニでこれを見るたびに「メルティーラブ」を思い出し、思わず口ずさんでしまう。
「あっ、メルティーキッスだ。 ♪メルティーラ〜ブ 放さない 放さない・・・」
スガシカオの「夜空ノムコウ」がどこかの教科書に載るらしい。 誰がこの曲を理解できるのかな。俺には解らん。
これに関し、Google検索すると、こんなことが解った。 以下の事はある個人のHPに書いてあるので、参照する。 --- ・さてスガシカオさんというお名前を初めてきいたって人。 あなたは夜空ノムコウきいたことがありますよね。 その作詞者がスガシカオさんなんです。 キムタクが「僕のこころのやらかいばしょを〜今でもまだしめつける〜」 ってうたってますが、そうこの歌詞はスガシカオさんがかいたもの。 でも本人はうたってません。 以前、スマスマにでてたとき、一晩でつくったといってましたね 北海道で、「明日までだよ、スマップの歌」といわれたらしくて・・・。 でも一日で作っちゃうところがすごい。 ---
実はそうなんですって。 教科書にも載せちゃう歌をスガシカオは一晩で作ったのです。
スガシカオにとっての「やらかいばしょ」って、 締め切りが近くてもなかなか動けない自分の心の弱い部分という事でしょうかね。 たぶん。
それとも、ただ単に「やらかいばしょ」って、中のホイップチョコのことかな。
まぁなんでもいいや。
なんだかこんな下らん事を書いてて恥ずかしくなってきた。 でも時間もないしこれでいきましょう。OK。OK。 締め切り締め切り。
| 2001年11月16日(金) |
会話においてのポリシー |
夜、阪大ボクシング部の同期の寿志と長い間電話をした。 電話終了時間は午前3時前になっていた。
僕らは最近の阪大のボクシング事情やなんやらを語った。 それから話題は2転3転した後に、お互いの己自身のキャラの話になった。 キャラとはキャラクターの略で、その人の性格、人格、持ち味、というような事だ。
それから寿志は言った。 「君は昔より面白く無くなった。昔の方が断然面白かった」 と。
それに関して確かに自分でも思うところがあるから、それは納得できた。 「そんな事は無い!」とつっぱるつもりなんてさらさら無い。
しかし、面白くなくなった原因を2人で探ると、見えなかったものが見えてきた。 自分1人だけでは全く気付かずに、解らない事柄は沢山あるが、 寿志は、局部には直接触れずに間接的に巧く僕を答えに導いてくれたのだ。
昔の僕は会話において、 「自分が喋って面白ければ良い」 と思っていて、それを正に実行していた。 だから、人の話を聞く事なんて嫌嫌嫌で、相槌すらもめんどくさかった。
だが、大学に6年弱もいると沢山な事を学ぶ。 色々な人と話をして、様々な価値観に出会う。 そんな中で僕も変わっていったのだろう。
今の僕は会話において、 「その人がやっていて、自分がやっていない経験を聞きたい」 と思っている。
これが絶対正解とかそんなこと決まってないけど、 今の僕はこれがイイのだと感じているらしい。
だから今の僕は、昔よりは一歩引いてる処があるし、その分勢いも無いはずだし、 ボクシングで毎日殴られたお陰でろれつがまわらないし、さらによく噛むし、 昔より絶対断然全然面白くない。 まったくもっててんで面白くない。
もし僕と話をする時があれば以上の事を心に留めておいて下さい。 お願いします。
コチジャンを君はご存知だろうか? これは甘辛い味噌であるが、韓国料理のビビンバや焼肉に欠かせないものなのである。
僕はこの「コチジャン」に初めて出会った時、あろうことか「ユチジャン」と読んでしまった。 「コ」と「ユ」を間違うこともわかるが、この災いはこの時ばかりに留まらなかった。
僕の頭はもう完全にコチジャンをユチジャンとインプットして、抜け出れなくなったからだ。 僕はこの後何度も何度も間違えた。
僕「あの、すみません。ユチジャン取ってくれませんか?」
店員「えっ?何でしょうか?」
僕「だから、ユチジャン下さい」
店員「あぁ、あぁ、コチジャンですね。はいどうぞ」
こんな失敗をする度に僕の顔は真っ赤になってしまった。 辛いコチジャンだけで真っ赤になっていた訳じゃない。
日曜の朝のコンビニには、ご婦人共が、家族の朝ご飯を買いに来る。
彼女達はだいたい、 「オニギリが4つ、お茶が4つ、パンが4つ」 という風に家族の人数に合うように買っていく。
僕はレジでそれを打つのだが、たまに 「オニギリが5つ、お茶が5つ、パンが4つ」 というような買い方をするご婦人がいる。
こんな買い方をされると、僕は少しなえる。 家族の中で一人だけがパンが食べられないなんて。
兄弟が多くて、ケーキなどキッチリ等分して食べていた自分の境遇に照らし合わせると、 とてもじゃないけど耐えられない。
そして、ご婦人達がそんな買い方をするたび僕は兄弟達の事を思い出す。
1番目の姉は結婚したけど、うまくやってるかな? 2番目の姉は結婚問題でゴタゴタしてるけど頑張ってるかな? 末っ子の弟はいつでもどこでもまだまだハイテンションかな?
「僕も僕なりに頑張るから、頑張ってな」
僕は、店前の道路のゴミを掃きながら、朝の冷たい風をあびながら、息を白く出しながら、 赤い朝日に照らされ赤くなった雲を見ながら、静かに呟く。
弟よ 君の目にはこの僕はどのように映っているのかな。
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