| 2001年08月09日(木) |
チューブがミリオンセラー |
私はいつものようにレジを打っていた。なぜならコンビニでバイトをしているからである。
コンビニバイトの仕事の約60%はこの作業と言っても過言ではない。 お客様が持ってきた商品からいち早くバーコードを発見し、 それをセンサーに読ませねばならない。 それによるタイムロスがあっては、お客様と店員との信頼問題に繋がるからこちらは必死だ。 こちらがそのような気持ちでいることは、 早朝からアイスクリームを買いに来るカップルなどは知る由も無いだろう。 ほんとにいい気なもんだ。
私はこういう客には少し無愛想になってしまう。 だから、もしあなたがカップルに無愛想になっている店員をコンビニで見かけたら、 それは私かも知れないと疑って掛かってもよいだろう。
もしもその店員が私なら、あなたは「日記みてますよ。応援してます」 とアプロって良いだろうし、遠くからチラチラ観察しても良いだろうし、 はたまた「ロッピーの使い方が解らないんですよ。教えてガリレオ」 とか言って、私をレジから引っ張り出して、 自分の真横でロッピーの使い方を吐息の掛かる距離で伝授してもらってもよいだろう。 「教えてチョンマゲ」と言った方は、ごめんやけど教えられません。むろん理由は聞くな。
君が私だと疑ったのならどんな方法でもよろしい。何かアクションは起こせるはず。
それがコンビニ。まさにコンビニエンス。やっぱりコンビニでやんす。
そういうものだ。
しかしながら、君が「この店員は私かもしれない」と疑ったしても、 それは必ずしも私とは限らない。 っていうより、それが私でない確率は、 このさきチューブがミリオンセラーを記録する確立より低いだろう。
疑わしきは罰せず。昔の人は巧く言ったものだ。
私が散歩から帰ってくると、マンションのゴミ捨て場で中村おばちゃんがゴミを整理していた。
おばちゃんとは1度も話した事もないけど、僕は彼女のことを中村おばちゃんと呼んでいる。 名前をつけたほうが親近感が湧くし、他人に説明するのも楽だからそのほうが幾分よい。
私の住む茨木ではゴミを出す日は月・木である。
しかし、今日は水曜日であるのにゴミ捨て場にはゴミがいっぱい積んである。 納得できないから事情を聞くために意を決しておばちゃんに話し掛ける。できるだけ笑顔で。 私は笑顔は大の苦手だが、致し方あるまい。温故知新である。
「おはようございます。今日ゴミの日ですか?」
ごみの整理を中断し、こちらに振り向き中村おばちゃんは答える。
「はい。おはようね。今日は資源ゴミの日でね、カンやビンなどを収集する日なのよ」
朝の光を浴びた思いきりの笑顔は俺を少しドキリとさせる。 当然ながらトキメキのドキリではなく、すがすがしさのドキリではあるが。
「へぇ。そうなんですかぁ」 「うん。そうなのよ。第2第4水曜の朝10:00に収集車が来るのよ。 他には第1第3金曜日に粗大ゴミね。 でも金曜の粗大ゴミは夜に取りに来るから、出すのは土曜の朝でも大丈夫よ」 「はぁ、はい。わかりました。とりあえず今日の資源ゴミ取ってきますね」
僕は小学生ほどの子供達には意外に怖く見られるが、上の人にはいい青年に写るようで、 この日もこの特典が効を奏したのか、ゴミ整理の作業を中断させているにも関わらず、 中村おばちゃんは笑顔で結構親切にお話をしてくれた。
でもただ僕の住んでいるマンションが学生中心のために、 話し掛けてくれる住人が僕が1年半ぶりで、 中村おばちゃんにとっては意外な来客であり嬉しかっただけなのかもしれない。
こんなことは僕が考えても到底解る範疇ではないから、もうよしておこう。 それより一番問題なのは、粗大ゴミの収集車が金曜の夜に取りに来るのに、 「土曜の朝出せば大丈夫」って言った中村おばちゃんの真意である。
子供の時ほど僕がゲーマーであった時はない。
本当に僕はゲームが好きで3度の飯が抜きでもずっとゲームができれば納得できたものだ。
僕達が子供の時にはゲームと言えばファミコンであった。 彼は時代にとって東京タワーであったかもしれないが、僕にとってはマリアナ海溝だった。
それほど僕は彼の魅力の溝にどっぷりはまってしまった。 彼の作り出すワールドに僕は心底感服し、そして僕はのめり込んだ。
しかしながら過ぎたるは及ばざるが如し。僕は彼であるファミコンに中毒なってしまった。 一日中、朝から晩まで繰り返させるスタートボタンに、夢をつぎ込んで命を燃やした。
こんな様子をうちの「おとう」は 「ファミコン中毒」略して「ファミ中」といって、全力で更正に掛かった。
彼のする行為は残虐非道であった。
彼は僕達が決められた時間より長くゲームをしているところを見つけると、 画面が進行中でありながらも寸分も迷うことなく、 抜き出しボタンを押さずにファミコンカセットを直接抜いた。
ロールプレイングゲームを途中で抜かれた時の静止した画面は、 縦や横に色々な線が何本も入りぐちゃぐちゃになった僕の頭の中を静かに映し出していた。
時が経つのはやはり速い。もう7月が終わり、8月に入っている。
つい先日大学に入学したところだと思っていたが、もう院の卒業の年である。 ちょっと前に高校に受かったと思っていたが、もうすでに高校生に教える立場になっている。 ほんの少し前に、赤ちゃんベッドに入ってガラガラで遊んで、または遊ばれていたのに、 今は街中で赤ちゃんを見ると「かわいいなぁ」と全く逆の立場で考えてる。
それは大方言い過ぎだろうけど、それぐらい速いってことだ。 この流れから推測すると、この先も同様に速く時間が過ぎていくのは察しがつく。 俺は年老い、そして死んでいくのだろうか。
いや、「死んでいくのだろうか」ではなくて、「死んでいく」のだ。 ガンで死ぬかもしれない。事故で死ぬかも知れない。
もしかすると、モビルスーツ戦でやられそうになり、 「お前もみちずれだぁー」 なんて叫びながら、敵艦(ジュピトリス)に突っ込んで死ぬかもしれない。
それとも、キュベレイにマーク�兇�やられそうになっているところに、 お決まりのように助けに割って入り、自分が身代わりなってビームサーベルを受けてしまい、 「自分の乗ってた戦艦が、ラーディッシュかデニッシュかラディッツか忘れたが、 とりあえずを頼んだぞ!」 とかいう最後のセリフを言って爆発して死ぬかもしれない。
はたまたあるいは、アーガマが被弾したのでコツコツ消火活動をしてたら、 第2波の攻撃がやってきて、名前も無いキャラであるのに 「なにぃ?まただとぉー」 とか叫びながら、吹っ飛ばされて死ぬかもしれない。
どういう過程で俺が死んでいくのかは誰も解らないけど、結局死ぬっていうことだ。
キムタクもケビンコスナーも死ぬだろう。友達も死ぬだろう。父も母も兄弟も死ぬだろう。 みんな死ぬんだ。
死ぬっていうことを単に口に出すより、じっくり考えて文にしていくと、 とても客観的に感じられ、実感が想像できやすい。だからかなり恐ろしい。
彼らがこの世界から居なくなるってことは、本当に許せない事なんだけど、 ねじまげた理論でもいいから無理にでも自分に納得させねば、絶対先に進めないだろうな。
彼らが死んだ時、この不条理を俺は自分に絶対納得させることができないだろう。
死を経験していない人達にとっては、 死を納得することなど死というリンゴの皮1枚の味も理解した事にならないだろう。
そのリンゴを食べるまでは、味は誰にも解らないのだ。
今日旧友にメールを送っていて、結構良い文章だったので無断転記してみます。 ただ書くネタがないからかもしれんけど、その痛い部分を突くのはカンベンしてね。 でもメールじゃないから、いちおう実名は布施明。その辺は突っ込まないで。
同じ教室で共に学んだ友へ くだらない毎日をもがいてる僕からのメールです。 ――――――――――――――――――――――――――――― 送信者:しばやまけんいち 日時:2001年8月6日 11:23 宛先:36HR 件目:帰省?寄生?予感を実感。 ―――――――――――――――――――――――――――――― お久しぶりです。 36HRML企画者のSYです。(メーリングリストは略してML)
TN君の帰省を受け僕の帰省の連絡です。 11日未明〜15日未明で帰省する予定ですが、結局予定は未定。 帰省し、実家で寄生虫のごとくゴロゴロと本を読む予感。 日記を欠かさず書いているが、最近筆がいい感じで進むのを実感。 わけもなくマリオが突然入るのは土管。
土管の中で、隠れコインを探すような感じで研究を進めていて、 ほんとに先の見えない感じでほんとにイヤになってたんですが、 先日ようやく結果が出そうな手応えを感じ、 助走幅は短いながらもBダッシュでしゃがんで滑り込んで、 入りこんでコインをいただきって感じです。
これでこの先も思うように結果が出てくれれば、キノコまで食べちゃうぞって思ってますが、 大きくなってしまってはただでさせ狭い部屋がもっと狭く感じてしまいそうなので、 チビマリオでここは我慢の時です。(僕の部屋は約5畳)
個人レス↓ TN君へ > メーリングリストを作ってくれたSY君,そしてSM君,ありがとう。 ちなみに私は企画者であって、製作者はSM氏です。 この辺をはっきりさせとかナイト、のちのちビジネスの話があった時にもめて揉まれて、 厄介なことになっては正直ゴメンやからきっちりしときましょう。まぁそんなとこ。
MKTへ 実家には帰るのですか?それだけ。また連絡して。
それではみんな、次会う日まで売買。
PS:暇な人や暇ではない人は僕のHPで見ていってね。それでは。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 最後の文は結局誰にも当てはまる事です。実はココだけの話。
「わたし、あなたのこと好きよ」 女は男に向かって唐突に言った。 女は化粧中であったので、鏡を覗きこみながら、マスカラでまつげを整えながら言った。
「うん。僕も君のこと好きだよ」 男は鼻毛カッターで鼻毛を切りながら答えた。 男は女の化粧をただ待つのも暇だから鼻毛を切っていたのだ。
女はその様子を横目で見ていたのだろう、 マスカラを持っている手とは別の手でテーブルをバンと叩きながら言った。 「わたしが真剣に言っているのに、鼻毛なんて切りながら答えないでよ!」
やれやれまただ。 とりあえず怒りたいという年頃なんだろうか。 どんなことにでも突っかかりたいという気持ちがミエミエだ。 ふうっ、と一息ついて男は女のほうに体を向き直して答えた。
「おいおい、ちょっと待て。自分のことは棚に上げてその態度か?」 「はっ、何が?」 「君は化粧しながら言った。僕は鼻毛を切りながら答えた。これのどこが違うというんだ」 「・・・」 「君は自分の都合で「化粧>鼻毛切り」かも知れないが、 大きなカテゴリーでみると「化粧≒鼻毛切り」であることは間違い無い。 だから決して君は僕には立てつく事はできないよ」 「そーだね、そだね。はいはい、そーでした。ごめんなーさーい」 これまた、女は化粧をしながら答えた。
意味も無く立てついた事を悪いと解っていながら、 しっかり謝らずに、化粧をしながら謝るとは結局解っていないな、と男は思った。 ここは当然責めるべき処だ。 が、ここで女の誠意の無い謝った態度の事を重ねて責めたら、 僕達ははなかなか抜け出せない泥沼に入ってしまって家を出るのが遅れてしまう。 と男は考えて、責めるのを止めた。
電車に乗っている時にでもこの事は言えばいいさ。 だって既に太陽は頭の真上を過ぎたし、土曜の午後より日曜の午後の流れは特に速いから。
先日ヤフ−を眺めているとこんな記事があった。
このデータから他国が普通で日本が異常だと結論をづけるのは容易なことだ。 これほど豊かであるのに日本の国の子供はこの日本の社会に満足していないのだ。
少しも自分というものを確立もできていない存在であるのに、 個人を主張することが一番大切なことだと教えられ、 なんでも自分の思い通りになると勘違いし、 自分の底のない桶のような満足を求めていればこのような結果になっても当然だ。
彼らは自分の満足することが何かもはっきり解っていないのに、 今の社会では満足できていないと思ってる。 彼らに「どうすれば満足するの?」 と尋ねても大方ははっきりと答えられないだろう(僕の勝手な推測だが)。
どうすれば満足するかを解っている者だけが、 初めて満足していないことも解ることができるのではないだろうか。
当然ここでいう満足とは、人間社会においてまっとうに生きるという事が前提になっている。
だから、当たり前の事だが、殺人で満足するということは、成立しない。
日本の未来を考えた時、この問題は日本にとって最重要課題だと思う。 だからこの事態を率直に受け止め、僕達は早急に対処していかねばならない。
日本の未来を動かしていくのは僕達なんだから。 そして、その日本を受け継いでいくのは僕達の子供達なのだから。
| 2001年08月02日(木) |
「健一」という名をつけられて・・・ |
僕の実家は京都府与謝郡岩滝町である。 そこは京都府なだけであって、みんなの想像するマイコや河原町のある京都ではない。 その町には駅すらコンビニすらない。そんな町で僕は産まれ、そこで育った。
僕は母親のおなかから産まれて出てきた時、左足か右足か忘れたが、 かたほうの足のつま先がすねにくっついているほど足首が異常な角度で曲がっていたらしい。
そのため、生後暫くはその足首を矯正するために、器具らしいものをつけていた。 生後まもない子は体も頑丈でないから、矯正は簡単なのだが、両親はこんな僕を見て 「この子には、健康が一番だな」 と思ったのか、僕は両親から「健一」という名を受ける事になった。
人間の赤子への命名は変なもので、命名されるものの意志や状態は無関係な事が多い。 赤ちゃんの状態に関わらず、生前1週間前に決まってたり、 流行の名前とかで「拓哉」などとつけられたりするものだ。
だが、人間の赤子とは別で、犬などは無関係でないことも多い。 だれも白い犬に「クロ」とは名前をつけないだろうから。
今、実家には「チョモランマ」という白い犬が居る。(エベレスト=中国語:チョモランマ) その名と犬自身は、毛が白いからという理由もあって、決して無関係ではない。
ところで、今は居ないがちょっと前に飼っていた犬は「ポンタ」という茶色の犬だったが、 おとう(父・義男[読み:よしお])だけはいつも「コロ」と呼んでいた。 こんな小話を挟むところではないが、今でもこれに関しては心底???である。
というわけで、犬に対しての命名方法と人間の命名方法のスタイルは、 多くの場合異なっているが、僕は自分の生後の状態で名前が決まったという事は、 赤子であるが自分の状態が命名に関して少しでも両親に影響を与えたと思うと、 「健一」という単純な名前でも良いと思えてきたのでした。
ちょっと待て!というほど暑い。 朝起きて当然ながらシャツが塗れている。当然涙ではない。同時にあの話を思い出す。
山月記(中島敦)で虎になった主人公の李徴が、虎になった事を苦悩して袁サンに言う。
「己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない」
暗に涙で濡れたんだというこの表現が非常に俺は好きだ。
高校の国語の授業でこの話を聞いたが、その時からずっと離れない。
昨日見た映画の結末や、読んだ小説の内容も忘れたりするくせに、 このように意外にいつまでも残って覚えてたりするのも不思議なものだ。
千と千尋の神隠しでも湯婆婆言っていたが、
「忘れているだけで、いつまでも覚えているものさ」
そういうものだろうけど、 1度でも思い出すと言う作業をしないと、 そういう思考のコネクトは構築されないような気がするのだが。
その1度忘れていた事を思い出すという作業は自分の内外問わず、 なにかしらきっかけが必要だろう。
そんなとこかな。あぁでも今日はとりあえず暑い。 だからこんなことはドウデモヨイ!
7月の最後くらい休ませろってんだ。 だから、お休み。おやすみ野菜。
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