My追加
過去のトラウマ日記
なぎさ



 告白

高校3年の時、つきあっていた彼が突然言った。
朝まで一緒に過ごし、遅い朝食を食べに行った喫茶店でのこと。

+++++++++++++++++++++++++++++++

彼は22才。
元ヤンで、昔やんちゃだった分、随分と大人でした。
彼は、薄くてまずいコーヒーを出す古ぼけた喫茶店が好きでした。
オシャレな喫茶店に入るのは落ち着かない、といつも言っていて
仮眠してる学生や水商売のたまり場『ホワイト』が大好きでした。
私はいつもブ−たれて、
「たまには女子大生の行く喫茶店に連れていけ〜」
と彼に頼んでいましたが、
せいぜいヤンキーのたまり場、『モモタロー』どまりでした。

なのに、あの朝は違っていました。
あまり笑わない私を、いつも一生懸命笑わせてくれていたのに
朝から無口・・・・。
おまけにオシャレなペンション風の喫茶店に入っていく。
「もしかして、もしかするぞ〜」
私は彼が別れを告げるか、又はプロポーズかも・・と内心びびっていました。
昨夜、何か気に入らない事をしたのだろうか?
今日、何か記念日だったのかな?
頭の中はいっぱいだったけど、いつもと違う彼の態度に
口には出せずにいました。

モーニングを2つ頼んで、食べ終わった時
彼が唐突に言いました。
『オレ、ちょうせんやねん。』
私は最初何を言ってるのか、意味がわかりませんでした。
「ちょうせん」=「朝鮮人」ということを理解するまで10秒はかかったでしょうか。
意味がわかったあとも、何を言っていいのか何を言って欲しいのか
頭の中がパニックになってしまってました。
かろうじて「うん。」とだけ言いましたが、
その後、彼が何を感じたのか気にして何も言えませんでした。
ここで言っておきますが、私は「朝鮮」という言葉に何も驚いていませんでした。
彼が前から自分の住んでる所を隠しているような気がしてましたし
友人達の中には、ご親切に忠告してくれる人までいましたから。

好きだから、朝鮮人でもいい・・・という気持ちでもありません。
彼の口から事実を知っただけです。
人を徹底的に差別する親の元で育ち、
他人からの言葉で傷つき続けてきた私は、
反差別の意識がとても強かったし
差別用語を使う人や差別意識を持つ人をとても嫌っていました。
今でも『母子家庭状態』とか『犬の里親』といった言葉にさえ
敏感で、よく指摘して母とケンカになります。
彼が「朝鮮人」ということに対して、好意さえ持っていました。
なのに、結果的に彼の告白をさらりと流してしまった。

今でも彼が何を言って欲しかったのかは、想像がつきません。
でも私は『愛してるよ、大好きだよ』というべきだった。
本当に大好きでした。
たくさんの人とつき合ったけど、私の事情を全て理解出来るのは彼だけでした。
それなのに、私は・・・・・

あの時、どう答えたらよかったんでしょうか?
どう言えば、私の気持ちを分かってもらえたんでしょうか?
あの時に返って、誤解を解きたい・・・
あなたの心を分かってあげたかった。
もっともっと、話すべきだった・・・・
受け止めてもらうばかりで、受け止めてあげれなかった・・・
Kちゃん、ごめん。

+++++++++++++++++++++++++++++++

1ヶ月くらいして、彼は電話でこう言いました。
「前の彼女が妊娠してた、結婚するわ。」

私は泣きませんでした。
イヤだとも言いませんでした。
泣き叫びたかったけど、そうしませんでした。
ケジメをつけるのは彼らしいとも思いました。




Kちゃんへ

お元気ですか?
あの頃は、大人としての色々なことを教えてくれてありがとう。
人間としての道をはずさなかったのは、Kちゃんのおかげだよ。
本当にありがとう。

私もやっと母になったよ。
夫は優しい人です。
Kちゃん、これでよかったんだよね?

なぎさ


2001年07月08日(日)



 私信

エンピツのメールフォームから、いつもメールをありがとうございます。
返信させて頂いていますが、先日、返信が出来ないメールを頂きました。
たぶん、フォームに書き込んだメルアドが間違ってるのだと思われますが
すごく気になるメールでしたので、ここでメッセージを送りたいと思います。

+++++++++++++++++++++++++++++

○○りんさんへ

メールありがとうございます。

トラウマを持つ者同士、核心に触れてお話しする事は少ないので
すごく気持ちが近く感じます。
一緒に頑張ろうとは言えないけど、
私自身、毎日をクリアしていくしかないかなと思っています。
ただ単に1日を終えるっていうことだけでも
私達にとっては、辛いことなんですから。
1日がクリア出来たら、又明日・・・辛い繰り返しですけれど・・

子どもの事は私も心配です。
普通の母親ではないですから。
普通の家庭を知らない、何か足りない母親です。

でも私達は、周囲の悪意を敏感に察知する能力を
知らず知らずのうちに身につけて来たと思いませんか?
傷つきやすいのは、そのせいだと思いますが
その代わり、痛みが分かる人間になれたような気もします。

又、大抵の事には耐えうる精神力も他の人よりはあると思います。
ここまで生きてこられたんですから、決して弱い人間ではないはずです。
(亡くなられた方が弱い人間だという事ではありません。)
何も考えずにただ楽しく生きられたらどんなに楽でしょうか。
でも私はそんな人生はごめんです。
過去を忘れて楽しく生きようなんて思っていません。
心も体も傷ついた分、見えることがたくさんある。
見える分だけひどく疲れますが、見えないよりマシと思うようにもなりました。

私も今日だからこう言えるのかもしれません。
明日になれば、また、辛い日々の始まりかもしれません。
でも、365日全てが不幸の日々ではないはず。
ちいさな自分だけの幸せを見つけていきたいと思っています。
○○りんさんからのメールも、とても嬉しいものでした。


偶然見つけて頂いたのかもしれませんが
又ご縁があればと思います。
それでは・・・

なぎさ

2001年07月09日(月)



 スキ

今日は怒りに委せて書くので、訳がわからないかもしれません。
とにかく、今書きたいことだけ書いておく事にします。

++++++++++++++++++++++++++++++

あの言葉を、久々に聞きました。
しかも私と同年代の女性から・・・。
前から、「彼女と私は違う」とはっきりと意識していましたが
こんなにはっきりと感じるのは、やはり育ちが違うせいなのか?

彼女は普通の家のお嬢さんだったようです。
話の節々から、親との良い関係が見えますし
人を疑ったりしない行動、例えば
誰も確かめずにドアを開ける、色んな事件をひと事だと思える、などが
今までの人生が幸せなことを物語っています。
人に攻撃などされたことないのだろうな、と思えるごくごく一般の奥さんです。

いつも私に突拍子もない事を言って、驚かせてくれますが
今日も又、驚くべきことを言ってくれました。
『私、痴漢にあったことないねん』
(あーそう・・・珍しいかもね。
 うん、でも、たまたまだったらありえるかも。)
「よかったね、でもアレはむかつくよ」と言う私にこう言い放ちました。

『スキがあるからやん!』

母に散々言われたこの言葉。
あなた、その言葉の意味、分かりますか?
それは私のように絶えず周囲を警戒しながら生活しているものが
あなたのように無防備で、なんの被害も受けないで生きて来た者に言うならまだしも
被害に合ったものに対してよく言えますね。

幼い頃から、男に性の対象と見られてきた私にとっては
自分を壊してしまうような、リスカより痛い言葉なのですよ。
まぁ、あなたには一生分からないでしょうけどね。
その考えは自分1人で守っていて下さい。
私達のようなものを攻撃する道具として使わないで下さい。
今度言ったら、私に首を絞められるくらいのことは覚悟してください。

++++++++++++++++++++++++++++++

無防備なあなたは、娘が被害に合っても気付いてあげれないんでしょうね。
かわいそうな人です。


2001年07月15日(日)



 犠牲者

どこが「しつけのため」?



あんたこそ、「しつけのため」に殴られた方がいいんじゃないの?






ちゃんと言えば?





        「殴ると楽しいから」って。



殴ることが趣味なんでしょ?


あんたは、何をしても殴るんでしょ?



「しつけのため」だなんて、まともなフリをしないで。





いつも犠牲者は弱いものばかり・・・・。


       
        
          
     



2001年07月18日(水)



 

お母さん、あんたは私を教師の娘だという理由から
何もかもやりたいことを押さえ付け、自分の理想の娘にしようと
私の全てを管理してきましたね。
成績がよいだけでは物足らず、小学生の時には
将来、東大に入れようとまで考えていましたね。
いくらなんでも娘の能力を見抜く力がなさすぎます。
ほめずにヒステリックな小言だけでは、東大に入れる訳がないでしょ。
だいたい、学校で1番も取れないのに、何が東大だ。
頭を殴られ続けてるのに、何、ユメみたいなこと言ってるんだ?
受験の事を言う前に、家庭を振り返ってみたら?

東大がダメなら、京大、早慶、阪大、神大、関関同立・・・
どこまで下げても無理なんですよ。
私は大学など行く気がなかったんですから。
中卒で家を出ようと、固く決心していたんですから。

+++++++++++++++++++++++++++++++

小学5年の時。
酒に酔った父のくだらないダジャレに愛想をふりまかなかった為
殴られ蹴り倒され、隣の部屋のタンスに頭をぶつけてしばらく動けなかった時
母さん、あなたはこう言いましたね。
『ごめんね、ごめんね。お母さん、離婚するから。一緒に家を出よう』
どんなに嬉しかったことか。
殴られたり、家から閉め出されたりしても、
涙なんてこれっぽっちも出ない私なのに
あの時だけは、不覚にも泣いてしまいました。

不覚にも・・・です。
この嘘は、その後なんどもつきましたね。
最初の半年は、「弟が中学生になったら・・・」という言い訳を信じてたけど
その後は、あなたにその気がないことは完全にバレバレでしたよ。
親・親戚にもこの実情をひた隠しにし、
世間体第一のあなたに「離婚」など無理だということを
早く気付くべきでしたね。

小6の時。
鼻血が胸元を濡らすくらい殴られ、
新築した2階の自室にカギをかけ閉じこもった時
私を殴る事を中断させられた父が怒り狂い、素手と足だけで
木で出来たドアを蹴破って、又暴力が再開されましたね。
髪の毛だけを握ったまま、私の体を持ち上げ
鼻血だらけの顔面を又何度も殴りつけたあの時。
母さん、あなたはこう言いましたね。
『もうおじいちゃんとこの養子になって、愛媛で暮らしなさい。』

これは私も信じたよ。
あなたは私をかわいがらず、弟ばかりをかわいがっていたからね。
早くその日がくるのが楽しみだった。
この悪魔の家から逃げ出し、大好きなおじいちゃんと暮らせる・・・。
本当に嬉しかった。
でも結局はあんたの口からでまかせ。
翌日には「なんのこと?そんなこと言った覚えはない」と逆ギレしてたよね。
殴るよりひどいことしてるよ、あんたは。
私に手は出さないけど、父と同等。
人を天まで持ち上げといて、地獄に突き落としたんだよ。
わかってないだろうけどね。

中2の時。
前の夜、父が寝たままウィスキーの角瓶をラッパ飲みした為かどうだか
瓶に不純物(つばか何か)が浮いていたのを
何故か私が「毒」を入れたことになり、こめかみを何回も殴られたあと
うずくまったところ、腹を蹴りまくられ、本当に死ぬかと思った時
母さん、あなたはこう言いましたね。
『なぎさ、一緒に死のう。お母さんも一緒に死ぬから。』

この嘘はすぐ分かったよ。
きっと私が死ぬのを待って、あんたは生き残る算段だったんでしょ。
これもバレバレ。
私の成績にしか興味のないあんたが、
私の気持ちを無視し続けてきたあんたが
もうグレかけていた私と一緒に死ぬ訳がないでしょ。

もし、私が死を選んでたとしても、1人で死んだよ。
あんたなんかと死ぬ気なんてさらさらない。
新聞に『夫の暴力に耐えかね、母子無理心中』なんて
事実と違うことを世間にさらしてしまう。
どうせ載るなら
『アルコール依存症の父の暴力の果て、母にも見捨てられ投身自殺。
 〜衝撃の遺書、級友に託して〜 問題教師も処分決定!』
がいいと思うよ。

全部あんたの言う事は、その場の思いつき。
慰めてるつもりなんか?
私がひどい目に合ってるのに助けもせず、
「やめて、やめて」と言うだけのあんた、
恨まれないように私の気持ちを諌めてるつもりなんか?

+++++++++++++++++++++++++++++++

その後、私が並の高校に入学したことで
あんたは、私をずっと責めていましたね。
大学に進学しなかったことも、ずっとずっと責めていて
毎年毎年、この年になっても、大学受験をしろといいますね。
でも感謝して欲しいくらいだよ。

数々の嘘を聞き流し、懇願するあんたの希望通り地元の高校に入ったことを!

バイト先のスナックのママの家や、離れに自室がある友達の部屋から登校し、
「並」の高校を「バカ教師曰く、史上最低の成績」で卒業したことを!

卒業前の2月に、3年で只1人毎日登校し、単位と出席日数を稼ぎ、
あんたが最もバカにしている中の1つ、『中卒』にならなかったことを!





2001年07月19日(木)



 権利を下さい

頭が重い、ガンガンする。
立ち上がるとめまい、食欲もなし。
変な音が聞こえる、これって幻聴なのかも。
昨日の日記が原因?
いや書かなくても、どっちみちこんな症状はしょっちゅう。
普通でいられる日は短い。
苦しく辛い日々の方が圧倒的に多いのだから。

何か食べ物買いに行かなくては、とコープに行く。
パン屋の横に休憩テーブル。
ここに座ったことが、新たな苦しみの始まりだったのか。

+++++++++++++++++++++++++++++++

ミキちゃん、家も知らない、ただ公園で会うだけの小学3年生の女の子。
初めてあなたのお母さんを見たよ。
いつも太陽と遊んでもらってるお礼を言おうと思った。
だけど、ほんの数メートル先まで近付いた時、見てしまったの。
あなたのアゴが天井を向くぐらい、殴られていたところを。
公衆の面前で、3回も。

あなたのお母さんの怒りの原因は、あなたが甘えたことだよね。
お母さんと一緒にカートを押したかっただけだよね。
それなのに、なぜ?

その瞬間、唇をかんで泣くのを我慢してたあなたを私は見ていたよ。
あれは、殴られ慣れている顔。
決して、子どもらしい顔ではないよ。
殴られた痛みではなく、私達同類にしか分からない「心の痛みに耐える顔」。

そして数秒後には私達をみつけ、笑顔を見せてくれたね、
何ごともなかったかのように。
まるで、幼い頃の私。

ミキちゃん、あなたはこれから何回殴られるんでしょうか?
どういう大人になっていくんでしょうか?

お父さんは守ってくれるの?
殴られてもお母さんが好き?

+++++++++++++++++++++++++++++++

小泉さん、私に『虐待されている子どもを保護する権利』を下さい。

『親の仮面を被った獣(けだもの)を、抹殺してもよい権利』を下さい。


・・・・・・ミキちゃん、そうしたら私はあなたを救える?





2001年07月20日(金)



 しあわせの基準

昨日の日記、末尾に間違ったことを書いてしまいました。

どんなに自分が「しあわせ」であろうと思っていても
他の人にとっては、「しあわせ」と感じないものもある。
幸せの押し売りは迷惑でしかありませんよね。
反省します・・・すみませんでした。

++++++++++++++++++++++++++++++

彼女が言ったことを思い出しました。

「私は、娘の体の心配をしたことはあるけれど
 決して娘が『不幸』だとは1度も思った事はないよ。
 私自身もとても『しあわせ』。」

彼女の娘は体に障害が有るのですが
同情の目を向けたり、不幸だと決めつける人に対して
うんざりしているとも言いました。

「私達と比較して、自分達が『しあわせ』だと言いたいのか!」
と怒ってもいました。

そして、いつもこう言います。

『私のしあわせは、この子が障害を持って生まれてきた事。』

『この子のしあわせも、そうであって欲しい。』

++++++++++++++++++++++++++++++

しあわせの基準は人それぞれ違う。
彼女のしあわせは彼女の中に。
私のしあわせは私の中に。

『しあわせの基準』をちょっとだけ広げてみようか・・・。

2001年07月22日(日)
初日 最新 目次 MAIL HOME



↑エンピツ投票ボタン
My追加

My追加