妄想更新日記
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2002年11月26日(火) 母の愛

そーいやー昨日¥100ショップでマンガよんでたらお料理マンガで幼稚園のお弁当に悩む主婦が弁当づくりの得意な奥さんの所にって教えてもらうんだけどオチにそのお弁当づくり上手な奥様はさぞかし小さい頃に素敵なお弁当を食べたと思いきや実は親が共働きで
「働く母の事は尊敬していたけれどお弁当を作って貰えなかったことはずーっと恨みに思ってたわ。だから私は娘にそんな思いはさせたくないからと...」とよよよ...と泣き崩れ「子どもの心に残る素敵なお弁当を作ってあげたいですね」と結ばれてる訳。

カッチーン!ときたね。

私も子どものお弁当には手間ひまかける人だった。でも家の保育園は皆忙しい人ばかり。お弁当の日の朝は夜勤明けで出発時間にしか帰って来れない人もたくさん。私も他の子のお弁当を何度か作ってあげた。そんな中であまりこだわるのをやめてしまった。

私の中で「手料理は母の愛」みたいな思いがあったからだ。でもそれが実際やろうにもできない人が居る。それでもその人は人間としても母としても立派な人でお弁当に手をかけれなくても準夜、深夜明けで少ない時間をくふうして子どもと一緒に遊んであげてる、一緒に何かをつくったり映画を見たり今日の出来事を聞いてあげたりする姿は中々真似のできる事じゃない。自分の身体に鞭打って頑張ってる姿はたとえ弁当作れなくても病気の時休めなくても家がくちゃくちゃでも立派な母だ。

世の中の「おかあさん」像を満たせば素晴らしい母な訳ではないよな。と悟ったからだ。

それまでは家も仕事も完璧にやらねば子どもの為に頑張ってる私をみせねばと思っていた。今はもうそんな追い詰められた思いはない。

でも世の中は要求してくるんだよね。
PTAにでないと学校や子どもの事考えてないとか
手料理こそ母の愛で技術がある人は愛情の濃い証し見たいに思ってたり
子どもがしっかりしてるのは親の躾のたまもの(反面教師ってことばがあるんですが...?)で子どもの出来不出来が親の評価だったり。

そういう社会の風潮を助長させるような本を堂々と売ってる所が腹がたつ。
子どももそれを鵜呑みにするから自分の親がそれをやれてるかやれてないかが気になるんじゃないか?

愛情って色々だよ。
物理的にできなくても
愛がない訳じゃないのに
そこの家の子はお弁当を作って貰えなかった事をずっと恨みに思うのだろうか?
確かにお惣菜だったりしたら家のより美味しくないだろう。
パンなら味気ないだろう。
でも「恨みに」思う?
夕飯が会議のお弁当だと?
私が子どもの喘息発作時でも休めないのを将来彼等は恨みに思うのだろうか?
ひとりでジーちゃんが来るまで家でまってる事を恨みに思うのだろうか?


社会は自分だけの為に回ってるのではない

本当は皆が働けばそのぶん皆が休めるけれどそれを許さない社会ででも誰かが働かなければ社会は回っていかない訳で。

貴方も寂しいかもしれないけど、もっと寂しい人ももっとつまらないものを食べてる人もいっぱいいるんだよ。

あんたの今のその寂しさ味気なさ、色んな所でいっぱい私は埋めたげる。
一緒にリース作って飾って
一緒に会議の後の真っ暗な帰り道今日の話して
一緒に家の掃除をして
一緒に洗濯をほして
一緒に書類打ってるPCの椅子に座って

うらみになんて思わないように。
それが愛情の証なんて思わないように
自分以外の人の痛みがわかるように


手料理だって好きだけどいっぱいつくるけど。


それだけじゃない思いで作るから。


そんな事を愛情の代替えみたいに言わないで!

そんな事を本で読ませないで。


2002年11月25日(月) ビバ¥100ショップ!

今日は旦那とデートでした、この間離婚するとかいってたハナから仲良くなるのは独身モノには解らないかもしれないが流せ。TOTO便器のように。

なんかでっかいショッピングセンターができただよ。ユニ黒とトイジャラスとスポーツ用品とホームフアッション(何?)なんとかって言うのが港のベイシティ近くに出来て一大ショッピングセンターになっただがや。そんな土地があるなんて名古屋は田舎なんだか都会なんだがわからせんでかんわ。

そんでユニ黒で¥500のジーンズを見つけてはいてみたら履けナイナイシックステーィン。byシブガキ隊っていうかアタイのウエストサイズストーリーは60年代から70年代な感じイエー♪1、2、3!フー*(マイケル?)

そんで諦めて買い物の衝動を¥100ショップにもっていくアタイ。

しょーもないものをがんがん買ってすっきり!¥100ショップの醍醐味は「安いから買う」んじゃなくて結果的に高くなろうがその時必要無かろうが
「ストレス解消」の為の場所。買い物依存症になりかけの人を救う為の店なんじゃないかと思うワ。

だから決して「また安物買いの銭失い...無駄なものばかり買ってきて...」と言うのは間違ってるんですよ。

あそこは「何時の日か必要なものを思いきり買う場所」なのです。

旦那の会社の人のおくさんも¥100均でモノを見ないと他では買わないという¥100均マニア。
「そんで家にごろごろあるような篭買ってくるんだよなぁー..」
...って言ってたよと旦那がいいました。

私は「実は...」と私もまさに今日篭を買ったことを告白しました。まさに家にゴロゴロしてます。


「いつか使うため」の篭が!

そんで帰って昼寝もして今日はすっきり。

あーやっぱり休みはいいね!ビバ有休!

はやくこいこい冬休みー


2002年11月24日(日) 誕生日(兄)

昨日はお兄ちゃんの誕生日。
サッカーにいってハリーポッター見て夜は居酒屋で同じ誕生日のサッカーメンバーのパパとメンバーでかんぱーい!総勢20人のパーティ。

今日は学校の友達と健康の森という公園に行って遊び倒しイタリアンで乾杯。そのまま夕方までその友達とあそんで夜は弟とじーちゃんが来てパーティ。

さんざん遊び倒してすきなプレゼントももらってサイコーに楽しいパーティだったのに

申し訳ないけど叱りました。


ずっと宿題を「ない」とか「学校でヤッタ」とか言ってたけど嘘だったんです。今日学校の子とあそんでわかりました。


いや、正確には嘘はついてない。でもミミズのはったような字でくちゃくちゃに書いただけ、うめただけ、の代物はもはや宿題ではない。

実は前からうすうす感じてたけど確証もないしそこまで差し支えない宿題かなと思っていたけれど。ちゃんと事実も分かってもういかんなと。明日にしようかとも思ったけどもういかん。その時に言わないといかん。

オイオイ泣いてました。可哀想だけど仕方がない。

私の仕事場のできないパートさんの話をしてやりました。

どんな結果でもできてりゃいいとこちらに渡されてもこっちがそれを望んでなければそれは「仕事」とはならないんだよ。

「入園おめでとう」のカードをラミネートして周りを切ってね。
がたがたでもいがんでてもしわくちゃでも「ラミネートした」「切った」

でも「入園の大事なカード」でそれを渡す事を考えたらそんな行為は仕事のうちには入らない。

確かに切った、確かにラミネートした。でもそれは「仕事」じゃないし貴方は「考えていない」そんなものに給料は払えない。

息子のその時の宿題はスーパーに行って野菜の生産地とどうやって運ばれてきたかを調べるのですが「メモ帳」にくちゃくちゃに「きゅうりは四国からはこばれてきた」と書かれてあるだけ。先生は「調べてきなさい」といっただけで「ノートに書けといってない」「友達がメモにかいたから僕もそれでいい」とノートにかきません。


コレは「宿題」とはいわないよ。

どこのスーパーで調べたともどうやって運ばれたかもノーとにも書いてない。コレを宿題とよぶ?


それでも向こうも意地になっててあくまでもメモ帳で書くのでそこは明日にしようと無視して
でも内容は書き直してきました。

あんたはそのパートさんと同じ。大人になってちゃんと好きなものを買って好きに生きれるために勉強してるのに「やりゃいい」って姿勢の人に給料は払えない!あんたはいきていけないよ!

相手が何を望んでいるのかいちいち言わないと解らないのか分かってるけど面倒だから解らない振りをしてるのか前者だったら救い様がない。

どちらにしろそんなものでは認められない。

泣いて泣いて...ちゃんと分かってる?

うるさい事言われないようにしたいならちゃんとやれって。「宿題と時間割りと提出物」塾にいけともテスト前に勉強しろとも言ってないジャンか。

はーまた気合い入れ直さねば。


あーところで旦那とは朝起きて二人ともきまずーく普通に公園に連れてって普通にしました。お互いの言いたい事は同じ事をよく喧嘩するので分かってるけどなおらない部分。そこを補いあいつつやってるんだけどどちらかが疲れてくると相手の脆さを受け止める余裕が無くなってくるんだなー。だから私はむりせずいつも楽なスタイルでいなくてはといつも思ってるのですが仕事につまって育児につまってくるとね。

おにいちゃんもそれでもよくやってると思うんだ。今度の個人面談で聞いてくるけど色んな事「最低」困らない程度にはやってるからね。きちんとしてなくても「もう少しちゃんとしようよ」と言われてもたぶんわかっててさぼりたくてでも怒られたくなくて「徹底的忘れ」にしない小猾さをしているんだろうし、どうなのかな普通の子よりは親が会議でどたばたしたりして疲れてごろごろしてるし家庭の事まわしたりしてほっと息抜く場がないと思う。

それで哀れんで「だからいいよ」にはしないけれど「そんなふうに頑張ってる彼」も認めてあげないと疲れてしまうばかりの兄ちゃんになっちゃうんだろうなぁーと。

私がすっかり忘れてた「作品展」でもどう言う段取りなのかとかしっかり頭に入れてるし普通は親が「明日は〜だからね」とか言ってるかもしれないのに息子が私に伝えてくれたりよくやってる。

旦那もそれでも今日も付き合ってくれてるし洗い物しないでねちゃうと起きたらしてくれてたり朝私が寝坊してるとコンビニでパンを子どもに食べさせてくれてたりするし。普通の旦那よりがんばってる。

わたし個人もそうだろう。家事も育児もまわらない。我が家のゴミためのような家は見せられない。

それでも私も頑張ってて誰かに認めて受け止めてもらいたい。

やらなきゃいけない事は山詰みだけど今ここらへんまでは何とか保ってる自分をちょっとは認めてくれないとその「ここらへん」だって自分にはめいっぱいなのにそれ以上頑張るには「受け止め」のエネルギーが欲しい!

自分がしんどいと人をせめてばかり。

せめるのは得意だけど受け止めるのはとっても苦手。

でも頑張って受け止めていこう。私がそうであるように旦那もこどももきっとこのエネルギーがいるに違いない。


まーだから今日は私あらいものサボりますよ。ええ!

だって私だってしんどいんだもん人様にあげるには自分が!


まずは自分が幸せでよゆうがなくちゃね!


お兄ちゃんごめんね。誕生日だったのにーって思ってるよね。

明日からいっぱいokメッセージ送るからね!


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