妄想更新日記
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2002年05月20日(月) 裏切り

朝おきたら兄ちゃんの眼がぱんぱんに腫れてて
チビはわきの下にできものが出来てて
それでも応急処置をして学校と保育園にいかせ
私はそのひ「0の日」の交通当番で黄色い旗持って横断歩道に立ってて(ほかの地域ではこういう事はしませんか?)
遅刻して勤務を後に長くしてもらい
そのあと急いで病院に診察券をだしにいくと友達も外科で受信してて
予約の時間まで皆でケーキ食べて
診察すんだらその子の家で寿司とビールをごちそうになって帰って来ました。


あー...どうして私はこう毎日「なにもない」日が少ないのか?チビとにいちゃんはたいした事無くてそれぞれ薬を貰って帰って来ました。


現在10:30です。今帰って来たばかりです。コドモは一足先に旦那に連れ帰ってもらいました。帰る直前でにいちゃんケッタの鍵なくすし!



そんな訳で眠いので今日はダメです。あしたにでも続きを!!





2002年05月19日(日) お待ちかね?

おこんばんわー*

いやー昨日は飲んだな。深夜2:00まで!友達の家で。保育園の時の同級生ばかり(にいちゃんのね)なので子供達も夜更かししてて気付くと、ちゃんと皆でフロに入って眠っていました。そんで深夜に車で連れ帰り昼まで皆で爆睡。にいちゃんはそのまま学校の友達とチビとわたしらは一週間の買い物に。なんかハードだったようなゴロゴロしてたような。

その飲み会では「会長という役職になれるにはそれなりの力がいるはずだ。だがもっとも必要なのはなにか?そして役職の定義」みたいな、こむずかしい話を馬鹿馬鹿しくはなしていました。酔っ払いは訳分からない生き物です。

まーその話は後日。わーい*ネタが一杯で困るね!

にいちゃんの友達が家に土曜日来ていてその話もあるのですが...


ところで17日日記は熱くてすいません。あちあちーーーーー!

こっそりロムってる日記がいくつかあり(たぶんここで話ても大して共感を呼ばないであろうジャンルだし。)その中とかそうでない中にもいくつかの日記の中で自分の書いた日記に「文句言う」奴らについてのしのごののが書いてあって大層むかついたので、しかし本人は考え込んでるだけとかほかってるだけで怒ってないのですが、(みなさん大人ですので)こっちのほうが辛抱たまらず


「おめーの事だよ!お前みたいなやつが一等むかつくんだよ、聞いてるのか、コラ!!」


....って感じで「アタイはこういう考えじゃい!言いにくるなら言って来てみろウルァ〜!」とほぼ読んでないだろうが万が一でも読んでるかもしれない相手に

正座して聞かンかい!


って勢いで暑苦しく語りだしてみましたが、これ後から読み返してみると




アタイの日記読んでくれる人がいなくて寂しいの、くっすん。お願いだれかかまって!!


としか読めなくてすっごいそれ不本意なんですがこういうのは言い訳すればする程ドツボにはまり、それは現在のあたしがそういう状況と言えるのだが
とっても言い訳したくなりましたが、ここはグッとこらえてですね...




次ぎいくぞ〜〜〜〜〜〜〜!!わりゃぁ〜〜〜〜〜〜!!



ってな勢いで
桃缶様リクエストの「出産日記」です。
この方は私の日記を最初から読破して下さっていたツワモノでした。「暇」なんじゃなくて「根気」があるんですよ。そーでないと私の文章を読める人はいません。今度「これ書いたっけ?」という事があったらお伺いをたてに参りたいと思います。えへ*なにしろ、まわりくどく、長ったらしいですからね。当初は改行もしてないし、かなり辛かった事だろうと思います。感謝感謝*うれしかったです!(包容)ありがと〜〜〜〜〜!!(ぶっちゅ〜〜〜〜〜〜〜〜!!)



















さて、ここからお話モード




出産話しです。





えー産前ぎりぎりまで働くつもりがあっけなく6ヶ月くらいで「切迫早産」の診断書がおりて自宅で金はないけど暇はある悠々自適な生活を送っていました。7年近く勤めた保育園をこんな形で辞めるのは忍びなかったですが温かい保母と父母に見送られ退職しました。今でも年賀状とかやりとりがあり私のホーム的な存在の園です。


姑くはのんびりゆったり暮らしていたものの予定日近くになるとやたらとブルーになってきました。


私は長男の嫁で家はとっても下町。結婚した当初鍵を開けてると「律生チャーン」といきなり玄関をチャイムも鳴らさず玄関口に入って来たり、「**作ったでもっていくわ」とお惣菜をもってきたりされて閉口しました。私は県営住宅の四階に住んでいてそんな密接な接触もなかった生活で。


道を歩いていれば「どこいくの」「ちょっと買い物へ」といえば「何買うの」「コンビニにコーヒー買いに」といえば「うちはコーヒーなんか家では飲まん。珈琲屋(喫茶店といえ)で充分だが」とかえんえんと続く。

どこ行こうが何しようが勝手だろ!と何度毒を吐いた事か。


もともとそういう地域柄と言うのをさしおいても実は私がこんなふうに構われているのは理由があります。

かつひさ家は代々ここにずっと住んでいて近所とは顔なじみ。旦那もじーちゃんもここの小学校を出て中学校をでて...周りもほとんど代わり映えのしないメンバーでずっと暮らしてる土地柄。おせっかいでも温かく、旦那がじーちゃんに叱られて家を追い出されるとそのままお隣の家に逃げ込んでほとぼりがさめるまで休憩するなんてザラ。

そんな下町情緒溢れる家に暮らしてた旦那ですが旦那が小学校3年弟が幼稚園の年長の時におかあさんが亡くなりました。

本人達はさほど意識もしていないのですがこの土地柄で「母親が居なくて男で一人で一生懸命子育てしてるえらいじーちゃんとひねくれもせず立派に育ってる息子(旦那)たち」という図式はとっても色濃く、なにかと心配してくれ手伝ってくれ、本人質も「母親が居ないからって言われるような事はするな」と頑張って生活していたそうです。


それはそれで素晴らしくて、それはそれでいいのですが、もー結婚していい大人になってるんだからとってもほっといてほしい気持ち。

結婚してからもすごく値踏みされてる感じで嫌でした。共働きもどれだけ色々言われた事でしょう。

親戚に至っても皆同様で親戚一同が本当に旦那達を可愛がってるのがわかります。「やっと結婚できたね」「コドモできてよかったね」と「普通」の生活を諸手をあげて喜んでるのが分かります。


「コドモを早く作れ」


このプレッシャーも並み大抵ではなかったです。不妊治療っぽい事に結婚前から着手したのもそれもあるし、結婚してからはまだ一年もたってないのにず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと言われました。付き合いが長かったからってのもあるけど「こうなる事が眼に見えていたから」先送りにしてたのに...案の定。

実は正直もう少し「新婚」を楽しみたかった。でも外圧に負けてしまったって感じです。治療しつつの妊娠でホッとしたのが一番ですが「もう少し心の準備が出来てから欲しかった」ってのが一番で正直「ばんざーーーーーーい」とならなかったのはにいちゃんには一生内緒です。

「つくらされた」って感じだったんだモン。「作りたくてつくった」にしたいよ!命なのに...なんで?と自分の心の弱さを嘆きました。今でも胸がぎゅっとします。
(不妊治療中の方すいません。あと帝王切開の方も読まない方がいいかもです。御気分を害されましたか?以下それでも自分の思った通り正直に書き連ねて行きます。嫌な気分になられた方はどうぞ御退室ください)



つくるだけでもこれだけ大騒ぎの周りと親戚。正直私の実家は母の病気で親戚中からのけもの状態だったのでこんな暑苦しい状況がうっとおしくてたまりません。


妊娠中も働いてる事を散々出勤の度に色々言われ疲れて帰宅する時はわざわざ近所の人に会わないよう遠回りをしてこっそり帰ったりしたものです。

すでにちょっと気持ち的にノイローゼっぽかったのになんと私は「過期産」だったのです。「過期産」とは「出産予定日」より出産がおくれる事で一般的には二週間すぎるとコドモも母体もよくないので「帝王切開」でだしてしまいます。


その頃には予定日1週間前から我が家の電話は毎5〜6件は普通に「まだ産まれないの?」と電話のかかってくる状態でした。

かけてくる方は「一回」「2回」のつもりでも色んな人がかけてくれば受ける方は結構な量で。

私は知り合いや友人も多くてその子たちからもかかってきてて彼等には親戚のような意図はないと分かってるのに「お願い!もうかけてこないで!!」って感じでした。となりに住んでいるじーちゃんも毎日ニ回はコールです。


わかってるんです。皆が心配してくれて皆が待っててくれてる事。これって幸せなことなんですよね、ありがたいことなんですよね。


でも初めての出産で一番不安なのはこの私です!!


それなのに


「大丈夫なの?」「お医者さんにちゃんときいたの?」(当たり前だ)「病院変えたら?」(今さら!)「お産で昔は死んだ人もいるでね」(...。)


.....いい加減にして!!と怒鳴りたくなるのにこらえて対応して一番自分が不安なのに「大丈夫です」と言うむなしさって!それを追い討ちかけてこられるって!!


思いあまってじーちゃんに手紙をかきました。「もうその話はしないでください。産気づいたら一番に知らせます。だから暫くいろいろ言わないで下さい。不安でまわりから押しつぶされそうです。」と。


「せんが細かい」って言われましたけどね、後に。それでもとにかく黙ってくれました。


とうとう予定日13日過ぎました。明日でいよいよ決断せねばなりません。帝王切開か普通分娩か。


母体もコドモも正常。胎盤も古くなって行くはずですが、機能は衰えておらず羊水も澄んでいてまだきれいなまま。....迷う所です。


しかし私はその日の検診でドクターにお願いしました。お年を召したベテランの男の先生で淡々としててもかなり面白い先生で優しくてちゃんと説明して下さってこの人がいるからここに通っているって感じの信頼度100%の先生。

だからいいました。




「実は嫁ぎ先の状況がこういう風で周りにも申し訳ないし、そう思う自分がもう精神的に追い詰められてて耐えられない、自然分娩はあきらめます。もう帝王切開でお願いします」と。






ドクターは「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん.....」と唸ってましたが

「そうですねもう明日で14日ですし...わかりました。明日もう一度来て頂いて陣痛の気配がなければ帝王切開にしましょう」


とおっしゃって頂き私はもう晴れ晴れとした心のつかえがとれたような気持ちでじーちゃんに報告して(じーちゃんは眉をしかめつつも納得してくれましたが)ドキドキしながら寝床に入りました。


ベットの中で明日かっ捌かれる自分のお腹とコドモを思うと自分の心の弱さやこの嫁ぎ先の状況への不満がイッキに吹き出してべっとでシクシク暫く泣いていました。




















.......トゥルルルルルルルルルル.......



















電話?













誰?こんな時間に...今深夜1:30だよ?



















「あーもしもし、かつひささんのお宅ですか私**病院産婦人科の**と申しますが律生さんいらっしゃいますか?」



















夜分にすいませんと謝りながら彼はいいました。








「律生さんやっぱり明日の帝王切開ね、やめようよ?

だって胎盤も元気で羊水も澄んでて赤ちゃんも貴方も元気なんだよ?どこにも帝王切開しなきゃならない理由なんかないよ。
今までずーーーーーーーーーーーーっとカルテみて悩んでたけど電話しました。やっぱり命なんだから。赤ちゃんは「出たい」ときに「出たい」んだから。事情で帝王切開にならざる負えない人も居て大丈夫な事だけど母体もコドモも「負担」がない訳じゃない。
周りの人がどうこう言ったっていいじゃないですか、そんなに負担なら私が貴方の家に電話して差し上げます。医師としてしっかり貴方の状況を伝えてあげます。だからちょっとまってくださいよ。
たった一人の命の話ですよ?あとちょっとで絶対産まれると私は確信してます。
貴方も赤ちゃんも「ベスト」な状態でぎりぎりまで普通分娩をめざしましょう!もし、ちょっとでも危なくなったら私が責任持って帝王切開にしますから。あかちゃんが「出たい」っていう自然の声を待ちましょう?皆で一緒にぎりぎりまでがんばってみましょうよ。だから律生さんがんばろうよ!?ね?」



電話の途中から大泣きしました。先生に言われた一言一言が染み通る感じで大切な事を見失おうとしてた自分のおろかさや自分の本当の出産に対する気持ちが見えて来たり「親切心」から言ってくれてるからと何も言えないで苦しんでたりあくまでも「イイ嫁で」「認められたい」とそういう事ばかりにこだわっていた事や「つくらされて」とすごく不快な気持ちでいた自分が今まさに「産ませる」事を理由もなく自ら選択しようとしていたのかとか...

とにかく「赤ちゃんを産む」という作業に真摯でなかった自分とそんな私の事を夜中の1:30まで考えてくれて一生懸命熱弁してくれるこの年老いた先生の事がもうたまらなく有り難くて「唯一の味方」って感じで。


もう鼻水ずるずるさせながら「そうします、お願いします」と言って電話を切りやっと本当に安眠できました。すごくひさしぶりのきもちがしました。


次の日旦那とじーちゃんに、てん末を話すと「その方がいいよね」と言ってくれやっと全員が意見の一致を心から出来たと言う感じで病院に向かい、くすぐったい感じでその先生の検診をうけ、

「まだまだ胎盤も羊水も良好です。貴方の身体は元気があって赤ちゃんに居心地がいいんでしょうねぇ、しんぱいしないでくださいね、陣痛が来ても慌てなくていいですからね。一緒に頑張りましょう」



と検診を終えて家族中が腹をすえ直しゆったりと構えることができました。




















しかし..その日の夜中










やっときました!陣痛が!!




















続く。(笑)


2002年05月18日(土) 飲み会でした

コドモが昼遊びに来てそのあいだずっと部屋の掃除やって。

そんで夜は飲み会。だんなは別口で飲み会。


あーもう眠いのでねます!


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