えびたま

2019年08月22日(木) 選挙ボランティア二日目

午前中に婦人科の検診があったので
病院から選挙事務所に直行。
すぐにお昼ご飯を食べて、間も無く選挙カーに。

昨日とは違う住宅街を鳴らす。
やはりニコニコと手を振り返してくれる人が結構いる。
中学生なんかにも振ってみたら
はにかみつつ返してくれたし、
小学校の近くを通ったら、小さい女の子が
手を振った後、走ってしばらく追いかけてくれた。
工事現場で誘導をしているおじさんが両手を振ったので
「止まれ」かと思ったら、「頑張ってね、応援してるから」と
言われた。
横断歩道を渡りつつ、両手を大きく振ってくれたおじさん。
なんだよ、愛されてんじゃないか共産党。

午後はまた証紙貼りを手伝おと思ったら
もう終わってしまったとのことで、
ビラのポスティングを頼まれた。
前回もそだったのだが、
誰が作って配ってるのか不明な「反共ビラ」が
事務所の近所の地区の集合住宅中心に
ポスティングされたらし。
その反論ビラをやはり集合住宅にポスティング。
結構あっという間に配り終えてしまった。
もっともらってくればよかった。

大したことやってないのに、やはり疲れやすい。
夜は前に途中で寝ちゃったドキュメンタリの続きを観てたが
やはり寝ちゃった。永遠に終わらんのか。



2019年08月21日(水) アナウンスと証紙貼り

市議選の共産党候補者の選挙カーに乗る。
お揃いのTシャツをお借りして、白い手袋をはめて
車の窓からアナウンスしてる間もしてない時も
手を振り続ける。

一緒に乗ったアナウンスの方は、元バスガイドという
ベテランさんで、あまり原稿を見なくても
スラスラと言葉が出てきてたり、沿道の人や対向車の
ドライバーに自然に声をかけていた。
選挙カーってうるさいだけで邪魔にされるんじゃないかと
思っていたが、意外と好意的な反応で驚いた。
沿道の人と目が合うし、手を振ったり、微笑み返してくれたり
会釈を返してくれる人もいる。
ひどい反応を想定してたので、あまり凹まずに済んだ。

事務所に戻ってお昼ご飯。
アナウンスのシフトは埋まってるそなので
何かお手伝いできることはないかと尋ねると
ポスターの証紙貼りが残っていた。
その場にあった1000枚ちょっとを2時間ほどかけて貼る。

今日の仕事はそれだけだったが
なんだか疲れて夕飯前に寝た。
行き帰り、自転車で行ったのだけど
ペダルを漕いでみたら筋肉痛が発覚。
バドミントンの後遺症か、先日かかとの高い靴を履いたせいか。



2019年08月20日(火) paypay使えばよかった

「東京裁判」デジタルリマスター版観た!!
特別料金2500円。レディースデーでも適用なし。
財布に千円札2枚と小銭しか入ってなくて、ギリギリ払う。
12時すぎから始まって、終了は17時過ぎと言われる。
驚異の4時間超え…。

多分、子供の頃終戦記念日あたりに
2夜連続くらいでテレビでやってたやつなんだと思う。
福島のじいちゃんちに遊びに行ってる時で、
朝に新聞のラテ欄をチェックしてたらじいちゃんが
今晩はこれを観ると宣言したのだった。
シベリア抑留経験のあるじいちゃんが
どいう気持ちで観たのか。

「大日本帝国の興亡」を読んでて(まだ2巻の途中)
頻繁に名前が出てくる上層部の人々のその後。
東京裁判の進行に合わせて、審議された出来事についても
説明の映像が挟まり、歴史の勉強になるなあ。

結局のところ、戦勝国による一方的な判決感は拭えない。
政治目的の裁判だったのだなとわかる。
天皇の戦争責任がずっと曖昧だった原因がここにあるのだ。
公正公平な裁判が行われていたら
この国の戦争についての考証や反省がも少し違ったものに
なってたのではないか。
でも同じよに裁かれたドイツは自己反省すごいしな。
国民性によるのか…。

こいう作品を観ないと、「東京裁判」がどいうものだったのか
知らないというのも、教育がおかしい証拠だ。
極東裁判で裁かれたのが一番悪い奴らだから、と
運よく免れた者たちは無罪放免で、大手を振って生きていた。
結果的に誰も責任は取らなかったのだ。
開戦時の東條内閣なんか岸信介がバリバリ入ってんじゃねーか。
アメリカに雇われたとはいえ、戦後に総理大臣なんて
どう考えても許されねーだろ。
政治家で歴史を顧みないバカが権力を握ってる今に観てこそ
この国のヤバさがよくわかるのだ。

佐藤慶さんのナレーションがよかった。
ご本人も戦争に行った世代だったろな。
昔の標準語が現代と違うイントネーションだったことが
よくわかるのも面白かった。

途中休憩15分あり。
昼飯を食べてなかったので
空腹に耐えきれず、なけなしの小銭でドーナツを買い
カバンを漁って出てきた100円で、飲み物を買った。



2019年08月19日(月) 社会復帰はまだ遠い

半日はお洗濯に明け暮れ
夕方、とある会社の人事の方との面談のため街へ。
結構でっかい企業で、
正直あまり興味はないのだけど一応
労働組合があると聞いて、話を聞いてみることに。

二人の人事担当の方とお会いしたが
男性の方が、なんやら気に入らんらしく
変に牽制された。

前の前の会社が、大きな企業に吸収されて
体制が変わったのをきっかけに辞めた話をしたからか
調剤のピッキングを事務さんがやることに
リアクションが薄かったからか
「変化を嫌う方には向かない会社です」とか言われた。
別に体制が変わったっつったって、いい方向なら残ったさ。
現に最初は、転職する手間が省けたって思ったし。
ピッキングは、今年の4月から省令が変わったからで
それ以前は場合によっては、やらされた立場の事務さんが
書類送検されたくらいのことですよ。
わたしが働いてたの2月までですよ。
そんで、それによって事務さんの賃金は上がったのか訊いたら
キョトンとしてたし。
組合は御用組合みたいだし、そもそも営業時間が長い会社だから
ミニ典が来年小学校に上がるタイミングで勤めるには
向かないと思うから、いいです。

面談の帰りに、保育園にミニ典のお迎え。



2019年08月18日(日) ままんちの忘れ物いろいろ

昨日から生理が始まったせいかやたら眠く
寝坊して、仕事に行くお義母さんを見送らず。
昼寝もたっぷりしてしまい、身支度を整えた直後
お仕事を終えたお義母さんが帰宅した。

なんとなく出発の準備は整っており
小一時間ほどお義母さんとお茶を飲んでたら
ままんちから電話が。
秋田の1泊旅行から帰ったところとな。
そして、本家で預かったいもとのところの姪っ子たちの
お盆玉を渡しそびれたので、立て替えといて、と。
ほんとはコメとか、わたしに運んで欲しものが
他にもあったよだけど、出発時ばたばたして忘れたんだって。

すっかりのんびりお茶した後出発。

いもとのところへは、おととに頼まれたお中元と
智鶴ちゃんに当たった洗濯洗剤(うちの2個は軽米に、1個は安代)
安代のお義母さんからお蕎麦を預かってた。
姪っ子らへのお盆玉を包むポチ袋を探したが、どこのコンビニでも
置いてなかった。(のでハダカで渡した)

夕食をいもとんちでもらうことになっており
お好み焼きを腹一杯食べる。
しばらくいもと家族は軽米の実家に帰れていない。
深夜のお茶会を楽しみにしている智鶴ちゃんもつまらないだろな。
来月のお祭りに、ままんちのお手伝いをしに帰ろかなと言っていた。
うーむ。いもとはいいけど、わたしは単に邪魔者になりそだから
お祭りに帰ることは考えてなかった。

とっぷり夜も更けて仙台へ出発。
いもとんちに着くまで寝てたミニ典は、その後は元気だった。

長者原SAで休憩。
いつも堆肥臭いので、ミニ典が騒ぐのだが
母ちゃんが子供の頃の通学路がこんな臭いだったと話すと
「ジゴクだった?」と訊かれた。
いや、地獄とまでは…。



2019年08月17日(土) 外食は閉店ギリギリ

昼前にままんちが町のなんちゃらで
秋田に出かけると言うので、それに合わせて
わたしらも出発。
まずはお隣の久慈市へ。大典の伯母さん夫婦を訪ねる。

ここ数年訪ねるよになった久慈の伯母さんち。
ミニ典を孫のよに可愛がってくださるので
ミニ典もすっかり馴染んでわがまま放題だった。
例によってたくさんご馳走になり、夕方近くに安代へ出発。

安代では、まず温泉に行き、帰りに先日行ったカフェで夕食。
大典ミニ典が長湯で、カフェのオーダーストップギリギリだった。
ミニ典は、先日1/3しか食べなかったパスタを完食。

今日もばあばと寝る、と、割と早めに布団に入ったミニ典。
何度か咳や泣き声が聞こえ、大典とばあばの部屋に駆けつけたが
その都度治っており、先日のよな
狐憑き級の夜泣きにはならずに済んだ。

わたしは案の定だが、筋肉痛がヒドイ。
着替えの時、両腕が上がらない。



2019年08月16日(金) ミニ典、情報量多すぎて悪夢

なんかダラダラ過ごしていたのを見かねてか
おととの妻の智鶴ちゃんがお出かけを提案。
八戸にある「こどもの国」。
遊園地と、屋内にアスレチックもあるとな。

ちょっと頭痛がしてたのだけど、お薬飲んで出発。
台風が近づく中、遊園地はポツリポツリときていた。
ミニ典は、ゆるいスプラッシュなんちゃら見たいのと、
メリーゴーラウンドに乗り、もういいと言う。
せっかくだから、智鶴ちゃんと甥っ子姪っ子と
ジェットコースターに乗った。

雨がひどくなる少し前に、屋内施設に移り、
子供らは叫びながら網でできたよなアスレチックで
遊び始めた。
登っていくと、結構高くて、ミニ典は最初降りられなくて
泣いていた。
従姉妹のお姉ちゃんに手を引かれて降りてきたが
その後はいつの間にかきゃーきゃー言いながら
平気で高いところまで登って遊ぶよになった。

こりゃー今晩はコテっと寝るに違いないと思って帰ったら
夜はぱぱんちままんちがバドミントンに行くとな。
まだお盆中だからきっと、うちの家族しか来ないと言うので
ついていくことにした。
ダイエットのため、最近はおととも参加しているらし。
甥っ子姪っ子も行ってて、いっちょまえに試合したりするのだそだ。

うちの両親は、わたしが小1くらいの頃からバドミントンを始め
今まで続けている。わたしもたまについてって
多少はやらされてた。
もう、何十年ぶりだろ。
ミニ典は年下の従姉妹と走り回り、大典と飲み物を買いに行ったり
忙しそにしてた。

スポーツで汗をかくのは久しぶりだ。
こりゃーわたしもコテっと寝られそと思ったら
帰ったらテレビで「千と千尋」やってるじゃないよ。
案の定、ミニ典は最後まで観てしまった。

夜中に狐憑きのよにうなされるミニ典。



2019年08月15日(木) ナニャドヤラは難し

昨日親戚廻りをしている時、本家の川向こうの地区で
盆踊り大会があるのを知った。
ので、夕方また嫌がるミニ典に浴衣を着せて
何故かままんちが以前買ったいたと言う浴衣をわたしも着て
おとと家族と一緒にいそいそと参加。

17時からとポスターには書いてあったが
それより前からカラオケ大会が始まっていたらし。
辺りが暗くなってから盆踊りで、その後大抽選会。

踊りが始まったら帰ろと思ってたが、
姪っ子が踊りたいと言い、そのお姉ちゃんが好きなミニ典も
踊っていくと言うので
行きがかり上残って踊ることに。
踊りは「軽米音頭」と「ナニャドヤラ」と言う
岩手県北青森南部一帯に伝わる意味不明の舞踊。
実はどっちも知らない。
少し前に踊れるおばさんたちがいたので、
その振りを見ながら踊ったのだけど、
「音頭」はいいとして、「ナニャドヤラ」は
おばさんみんな振りが微妙に違う。
どの人を見ていいかわかららない上に、音どりも難し。
なんだこりゃー。

気づいたら、大典も踊りの輪に加わっていた。
安代にも「ナニャドヤラ」があるが、その振りとはやはり違い
面白いから入ってきたよだ。
途中、振りが簡単な人が入ってきて、その人を見ながら踊ってたが
やはり最後までよくわからなかった。
おととに、「何周しても困惑した顔」と言われた。

踊りの輪に加わった人に、番号が振られた抽選券が渡され
大抽選会になだれ込む。
わたし大典ミニ典と、3枚抽選券があったが
景品の種類はかなりあって、ランダムに抽選してたのに
当たったのは全て洗濯洗剤。
おととのとこは智鶴ちゃんと、姪っ子二人分でやはり3枚。
洗剤と指定ゴミ袋のセットと、レトルトカレー5食分が2つ。
洗剤率高し。



2019年08月14日(水) 地獄絵は今年も無かった

お盆の初日、お墓参りと親戚廻り。
安代のお墓には、少し早いけど昨日お参りしてきた。
本家を始め、町内の親戚を一通りご挨拶してきて
今年は伯父の新盆なので、夜は
「四十八灯篭」という行事のために再び本家へ。

この風習、灯篭の中の24本のロウソクに火をつけて
燃え尽きるまで故人について集まった親戚で語り合い
それをもう1ターンやる、というものだそな。
24×2で48。
本家の従姉妹たちがお客さんを甲斐甲斐しくもてなす間
わたしらは呑気に子供たちと裏の河原で花火。

子供の頃、じいちゃんがロケット花火に火をつけて
川に向かって放り投げてたなとか思い出す。

そいえば、夕方本家に行く時、ミニ典が行きたくないと
ダダをこねて泣き出した。
すると部屋に引きこもってたばあちゃんがミニ典に
100円玉と500円玉でたっぷりお小遣いを渡して
「お小遣いあげるの遅くなってごめんねごめんね」と言う。
へそを曲げていたミニ典が泣き止み、大人しく本家についてきた。
お小遣いにつられてと言うより
全く関係のないばあちゃんに「ごめんね」と言われて
ほだされたと言う感じ。
しかもばあちゃんからは、それより前にお札でお小遣いをもらっていた。
ありがとうばあちゃん。



2019年08月13日(火) 迎え火は前夜祭なのか

大典のお姉さん家族が来るというので
軽米への出発をその後に遅らせ
高校生と小学生のいとこのお兄ちゃんたちに
遊んでもらうミニ典。

そこへ、大典の盛岡の叔母さん家族が盆の挨拶に。
(大典の)いとこのお姉さんが小学1年生の娘さんも
連れてきたので、俄かに家の中は子供率が高くなる。

大人子供併せて、玄関にたくさんの靴が並び
「昔みたいだねえ」と皆さん感慨深そだった。
大典が子供の頃は、父方母方両方のいとこと
その家族たちが、安代の家に集まり大騒ぎだったらし。
親たちが歳をとり、子供達は家庭を持ったり亡くなった人もいたりで
今ではお盆の墓参りの時期に、ちらほら顔を見せる程度になっている。

わたしも子供の頃、福島の家には
ままんちの兄妹の家族で大集合して
大人たちが夜中までトランプしてたり
子供だけで離れの家に蚊帳を吊って寝たり楽しかったな。
一昨年じいちゃんが亡くなった時、
斎場にみんなで泊まったのが、何十年かぶりの大集合で
不謹慎だが、ちょっと楽しかった。

叔母さん家族が帰ってしまい、大典の誕生祝いのケーキを
お姉さん家族と食べて、夕方、軽米に出発。
うちの実家では、ぱぱんちが丁度迎え火を焚くところだった。
そのまま花火を始めたが、迎え火ってお盆の初日にやるんだっけ
初日の前日にやるんだっけ。
そしてそもそもお盆は何日からだっけ論争に。
軽米は14〜16日なのだそな。


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