えびたま

2018年11月29日(木) ミニ典がお手紙書いた

こどもちゃれんじについてきたハガキを
あっという間に見つけて、安代ばあばに
お手紙を書いたミニ典。
かわいすぎる。
わたしが受け取ったら、鼻血と涙が一緒に吹き出す。

どうして安代ばあばに書いたの?と訊くと
「安代ばあばは一人で住んでるから」と。
そうね、それに軽米じいじやばあばには
こないだ会ったばかりだしね。

明日、早めにおうちを出て、近くの郵便局のポストに
投函することにしたらと提案したが、
早起きできるかしら。
最近夜更かししがちなのと、
あんまし関係ないけど、夜中に起き上がって
結構大きめの寝言を言うので、ちょっと心配ミニ典。



2018年11月28日(水) 子供はみんな気になるらし

うちのお向かいに歯医者さんがあって
通りからそこの待合室が見えるのだけど
いつもCGアニメをモニターで流している。
それを窓から覗いて確かめるのが、ミニ典の日課なのだけど
今日は帰り道が一緒になった知らない小学生の女の子が
すごくナチュラルに
同じ窓を覗き込んだ。

一足遅れて、ミニ典も覗き込み、
「スーパーマンの家族のやつだった」と報告した。

ひょっとして、他の子供たちも覗いているのだろか。
二人いるのだから、もっといるに違いない。



2018年11月27日(火) ボーナスが出ないとわかった日

わたしは今のカイシャで年俸制なので
ボーナスは無い。
けど、他の社員は月給制なのでボーナスはある。
そして、わたしの支払われていない残業代も
ボーナス時期にまとめて払うと言われている。シャチョーに。
しかしそれが、夏に続き、無いことがわかった。

それも、シャチョーが他の会社からヘルプに来ている人に
ボーナスは無いと漏らしたらしのだ。
当然その人は、他の人にも話し、
それが今日、わたしの耳にも入った。
無いのもびっくりだが、外部の人にそんな話するのも
びっくりだ。バカが。

それとは別に、ハケンの人が12月、
うちの店に来ることになった。
ので、ハケン会社の人と、話してほしとシャチョーから。
午後に電話が来て話したら、
既に別のハケン会社の人が来る日と重複していることが
わかった。
つまり、「この日は人が足りいている」とわたしが報告した日を
「足りない日」として、バカが発注したのだ。
その証拠に、「足りない日」が、綺麗に補充がない。

二人もハケンはいらないので、どちらかキャンセルしてほしと
シャチョーに電話すると、
付き合いもあるのでキャンセルできない、と。
キャンセル料払えばいいじゃないかと言うと、
キャンセル料はなく、断れない、と。
キャンセル料払えばキャンセルできると派遣会社からわたしは
聞いていたので、そう言うともごもごしてた。
が、最後には、お願いだから二人入れてくれ、と。
ボーナスも払えないのに?ボーナス無いそうですねと言うと、
無いよ、と。
社員に何の説明もなしですか、と言うと
ボーナスはあるとき払いなんだから、説明の必要はない、と。
必要ないわけないでしょ。
しかもわたしの残業代も払わねーし。
などと話していて、だんだん腹たってきて
もーそこで電話を切った。

いらねーハケンに払う金はあっても
社員にボーナス払う金は無いんだと。
バカが。覚えてろよ。



2018年11月26日(月) 残り物の折詰はほぼ消費できた

実家の町のあたりの、葬式の風習として
自発的な弔問客とは別に
「飛脚を出す」と言って、こちらから招待する弔問客がいる。
ままんちによれば、その招待には拒否権がないそだ。
とにかく誰か代表者を出さなければいけないらし。
招待されると、断れない上に、お香典が高額。
ほぼ身内に出すのだろけど、大変だよなと毎回思う。
招く方も、招かれる方も。

そ言うわけで、精進落としのお料理が、ものすごい。
昨日のお料理も豪華で、子供用もあったのだけど
ミニ典は当然食べきれるはずもなく、
70%は持ち帰った。その他に大人二人分の残り物折詰。
わたしも大典も、75%は食べたけど、かなり満腹だった。

今日は一日、その残り物の消費。
朝から寿司だった。
夜はウニやカニ、ほやも食べた。
何だか、豪華すぎて体に悪い気がする。
美味しかったけど。喉乾いた。



2018年11月25日(日) 伯母の着付けは結局美容室だった

今日は父方のじいちゃんの命日で
伯父が亡くなった日は、東京の大叔父の命日だったらし。

弔辞は伯父の大学の友人と、地元の幼なじみだった。
どちらも、病気になる前の、
将来を嘱望された伯父の姿を話していた。
わたしたちには、想像がつかない。

大典が、伯父が亡くなった知らせを聞いた日に
ぱぱんちがど言う気持ちなんだろと言っていたが、
兄弟が亡くなることがど言う心境なのか、気になっていたよだ。
ぱぱんちは病気の前と後の伯父、どちらも深く関わっているが
それについても、どう思っているのだろ。

うちの会社のこの後は、やはり従兄弟が継ぐことに
なったよだ。今後、大変だろなと思うと同時に
実家の町自体が、かなり寂れているのも気になる。
ネットで何でも買える時代だし、どこで暮らしてもある意味
同じなら、実家に帰るのもアリなんだよなとは
前よりも考えるよになった。



2018年11月24日(土) 中日は無為に過ぎていく

9年前、父方の祖母が亡くなった時
火葬と通夜の後、土日が挟まり、月曜が本葬になった。
この中日をのんびり過ごしたことを思い出していた。
おととの妻の智鶴ちゃんと。

あの時、せっかく岩手に来ているからと大典の実家に
行くことにしたのだけど、ついでに
智鶴ちゃんと当時1歳の甥っ子も一緒に。
話が決まり大典のお母さんに連絡を取る時ぱぱんちが
今葬式中だから、そ言う家の人が来ることを忌み嫌う人もいるからと
気にして、お母さんに了解を取っていた。らしい。
この話、わたしは覚えていなかった。

智鶴ちゃんがフシギに思ったのは
わたしの弟の嫁が行くことを気にするのはいいとして
わたしはいいのか、と言うこと。
この当時、考えてみれば入籍もしてなかったから
わたしもよそんちの娘であることに変わりなかったのだ。

まー、この時で既に付き合ってだいぶ経ってたし
事実婚で両家を行き来するよになってからも10年は経ってたから
ぱぱんちの中ではいいんだ、と言うことになってたのだろ。

今回の中日はどこへも行かずに過ぎた。
ミニ典に誘われて一瞬お散歩に出たくらい。
川に降りたいと言うが、認めるわけには行かず
土手の野原で枯れたタンポポを飛ばしたりして遊んだ。
その後、スーパーのある方に歩いていき、
「スーパーの中をぶらぶらしたい」と言うので
何も買いませんというと、そこからUターンして帰宅した。



2018年11月23日(金) なぜ除雪車は動かないのか

岩手が寒いと噂に聞き
恐ろしかったので、昨夜
大典に頼んで冬タイヤに履き替えてきてもらった。
やっといて良かった。

県境からちらほら吹雪いており
盛岡過ぎた後は、道路に普通に雪が積もっていた。
除雪されていない。

今日が火葬なわけだけど、町の美容室がお休みで
伯母の着付けをできる人がいないと言うことで
わたしがやることになった。
そのため、12時ごろまでには実家の町に着かないといけなくなった。
多分、大典の最短記録で行けたと思う。怖かった。

仏さんはまだ自宅にいて、
斎場に移す前に、お顔を拝めた。
入れ歯をしてたのを知らなかったので、それを外した状態で
すごくおじいちゃんに見えて驚いた。
酸素吸入のマスクの痕が鼻の上についていたのが痛々しかった。

実家の町はものすごく寒かった。
ダウンジャケットを持って行って良かった。



2018年11月22日(木) 忌引きで休めない会社など

カイシャに伯父が亡くなったことを伝え
休みを取れることが決まった。
昨日のうちにシャチョーには伝えており
代わりの人員を探すと返事をもらっていた。

しかし、今週の土曜日は絶対に休めないと
内心思っていた。ものすごく混む予想があるからだ。
そもそもこの日は、一日だけバイトさんが来る予定だが
まだ一度もうちで働いたことがない。
正直、棚の位置もわからない人で、大混雑で役に立つと思えない。
不安なので、普段は土曜は出ないパートさんに
出てもらうことにもしていた。

今朝出勤して、事務さんたちに伝えると
絶対休んだ方がいい。もし出てしまうと、
親が死んだ時にも出ろと言われる。と。
そりゃそーだ。他の人も休みにくくなるし。
なので、ありがたくお休みいただくが
心配なのは土曜の人員。
まさか、初めまして今日だけ働きますの人と
来て1ヶ月しか経ってない新人さんの二人に任せるわけにいかないくらい
あのバカでもわかるよねと思っていたら
わからなかったらし。

土曜の代理人員について確認したら、「二人いるから」と。
バカが。
急遽、もう一人のベテランパートさんにお願いして
出てもらえるよにしてもらった。
なぜわたしが人員確保に気を回さなければいけないのか。
バカが。



2018年11月21日(水) ぱぱんちは2度電話を鳴らす

今日昼ごろ、伯父が亡くなった。
仕事が終わって家に戻るとぱぱんちから電話があり、
急変だったと伝えられた。
伯父は、ぱぱんちの兄だ。

伯父は、家族の中では、ちょっと厄介な人だった。
実家に帰って、本家に挨拶に行くと
変な議論をふっかけてくる。と言うか
持論を延々と展開させ、それが正しいのか正しくないのか
よくわからないのだけど、
聞いている方の意見は聞かず、
誰も認めないけど、それがこの世の真実であると
演説を打つ。
大体は、いもとの夫だの、大典だのに聞き役を押し付けて
わたしらは伯母やいとこと歓談するという感じ。

わたしが中3の時に亡くなったじいちゃんは
この伯父に、自分の興した会社を継がせるのではなく
次男であるぱぱんちに継がせると早い段階で
決めていたと聞いている。
それは伯父が、ものすごく頭が良かったから、何か研究職とか
店を継ぐよりも、もっとすごい仕事ができそだと期待して。
と、聞いている。
大学は理学部物理系に入学し
(ぱぱんちはじいちゃんの勧めで経済学部)
家に戻る予定はなかったはずが、学生運動に傾倒したことが
きっかけで、病気になってしまった。

結局伯父は、その病気のために実家の町に戻り、じいちゃんの死後
家業を継ぐことになった。
伯父の持病は良くなったり悪くなったりを繰り返しつつ
ぱぱんちとままんち、伯母の4人の共同経営のよな形で
店をやってきた。(という感じに子供のわたしは認識している)

伯父と、あまり言葉の通じる交流を持ったことがないなと思う。
何か意見を求めたり、訊ねる時の手土産以外の贈り物をしたり
そ言うことをしたことがない。
どちらかといえば、なるべく顔を合わせたくないなと思う。
でも、伯父の訃報を聞いて、それほどショックを受けない自分に
ちょっと引いた。

確か今、伯父のところには、3人のこどものうち
長女と長男が一緒に暮らしており、
離れて暮らしている末っ子の次女は、
偶然昨日面会に来ていたそだ。
イトコたちと伯父の親子関係は、わたしにとって実は未知で
彼らの悲しみも、想像がつかない。

葬儀は今週末、
今後の家業も含めて、どうなるかわからないが
できる限り、力になろうと思う。

夕方、ぱぱんちからまた電話があった。
今後の日程が決まったのかと思いきや
「昼ごろ兄貴が亡くなって…」と言われ、恐怖を抱く。
多分、あちこちに電話していて、わたしに電話が通じたことを
忘れたのだと思うけど、大丈夫か?



2018年11月20日(火) ミニ典は風呂場の王様

お風呂に入るなり、ミニ典は
目を瞑って口をむぐむぐ動かした。眠い時の仕草だ。
遊び疲れて、すでに眠くなってたらし。

早く寝たいと言うので、あったまるのもそこそこに
体を洗い始める。
いつもは立たせたまま洗うが、眠いので椅子に座ってしまった。
「王様だね。ミニ典はどこの王様だ?」と訊くと
「みやぎ」と答えた。


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