えびたま

2013年11月19日(火) 目が覚めるとぱんっぱんになってた

産後1週間以上経ち、
お腹は何となく小さくなっている気がするが
のびたかわがぶよんぶよんになってきた。
ここにきてむくみもヒドイ。
かつてない。
朝起きたら顔から足から、全身むくんでいた。

そして、乳房がぱんぱんに張ってた。
熱を持ってたりはしないから、
授乳すれば解消するレベルだけど
搾乳器は買っておこと思い、日中Amazonを物色した。

部屋の乾燥が結構気になって来たので
加湿器を掃除して稼働。
インフルエンザが流行っちゃう前に
早く加湿機能付きの空気清浄機を買おう。



2013年11月18日(月) そいえばまだ尿意が薄い

導尿管を抜いた後、3〜4日は尿意がないと言われたが
まだ薄い気がする。
気がつくと、膀胱がパンパンになってて
何となく痛みを感じ、トイレに行ってみると…
ということが多い。

閑話休題
自宅での育児2日目。
夕べは二度程夜中に泣いたが、
気付かず寝ていたことを大典は悔やみ
次からは自分も起こして欲しという。
わたしが授乳のために起きると、ネコがエサもらえると思って
一緒に起きてしまうので
大典にはネコをあやしてもらうのもいいかもしれない。

リビングの隅に簡易的にベビーベッドをつくり
ムスコはそこに寝かせている。
病院があまりにも別世界だったため
日常が戻って来たーという感じで、うっかりすると
ムスコの存在を忘れて家事に没頭してたりする。
あと、ネコが狂ったよに甘えて来る。
ネコを触る手…、ムスコを触る手…。うう…。



2013年11月17日(日) ネコが騒ぐ時が止まった部屋

退院て、Dr.に何時に出ていいよとか言われて
ホテルのチェックアウトみたく出るのかと思ってた。
午前中退院で、手続きが済めばいつ帰ってもいいそで。

実は大典、朝からバレエの方の稽古があったが
全日休んでくれたらし。
いつでも出られると連絡とってみると
部屋に掃除機をかけるから12時くらいでいい?と。
そんなの帰ってから一緒にやるからと10時くらいにお願い。

大典が持って来た赤ちゃんの洋服に
ムスコを着替えさせて、ナースステーションにご挨拶して
晴れて退院。
本当にお世話になりました。
低体重というほどではないが、小さく生まれたムスコを
みなさんで褒めて伸ばしてくれた気がする。
実際、体重は産直後の重さになっていた。
新生児は一時的に体重が減るもので
退院までに生まれたときの体重に戻るのは稀だそだ。

1週間ぶりの外気だ。
思わず「シャバだシャバだ」とつぶやいていた。
ムスコは初めての外気だ。
入院している間に急に寒くなり、初雪も降ったという噂を
きいていたが、いい天気で気持ちよかった。

自宅でもミルク付加のため、哺乳瓶やら
追加のオムツやら、必要なものを買うため西松屋を経由して
自宅に到着。

部屋は、見た目はキレイなのだけど
つまり大典もいる時間が短かったからで
洗いカゴに残った食器も、炊飯器の中身も先週日曜日のままだった。
そして床にはネコの毛が踊る。

ネコが干渉しない場所にムスコの居場所を決め
お洗濯とお掃除スタート。
時々泣くのをきいては授乳やらオムツ替え。
気がつくと、ムスコの洋服に早くもネコの毛がついている。
コドモ嫌いとおもっていたネコは、
意外と平気で赤ん坊に近寄って来る。
ちょっかいは出さないが、踏ん付けかねない。
気をつけなければ。
あまり神経質に育てたくないが、何か起こるのも怖い。
とりあえず、ガチでぶつかることのないよに、しばらくは目が離せない。



2013年11月16日(土) ムスコの便が大人になってきた

出てるか出てないかわからん母乳だったが
ここにきてはっきりした数字が出て来た。
付加するミルクもそんなに多くない。
場合によっては、今回は付加なしということも。
飲む量がコンスタントに増やせているので
出すうんちの色の変遷が、教科書通りというか
見事だった。
「ご飯ですよ」みたいな濃い緑色から、
めかぶのみじん切りみたいな、鮮やかな緑色。
今日はもう黄色いのが出ている。

昨日の診察で、わたしの方は
帝王切開の傷を閉じていたホチキスの針もとってもらった。
痛みは多少あるが、お薬もまだあるし
母子ともにかなり順調だと思う。

実習の学生さんは昨日までで
お別れに、というか、多分実習の仕上げに
退院後の生活についてまとめた手作りの冊子をもらった。

授乳室通い以外はさしたる用事もなく
何となくのんびりした1日。
夕方、職場のパートさんがお見舞いに来てくれた。
うちのムスコの名前が何になるのかで、盛り上がってるそだ。

大典はフラスコのトライアウト楽日。
さすがに今日は面会は無理らし。
かわりにというか、退院のときにムスコをクルマに乗せるため
ベビーシートを、フラスコ育休中の生田さんから
もらってくれたそだ。
ちゃくちゃく。ちゃくちゃく。



2013年11月15日(金) 小さなノートに詰められた言葉に

昨日の夕方、大典から
午前中面会できるかとメールが。
10-BOXの二代目工房長ヤマキさんから
あるモノを預かったという。

実は、ヤマキさんにムスコの名付け親をお願いしていた。
7月にお会いしたときにお願いしたので
まだ性別もわからないころ。
「男でも女でもいい名前でお願いします」と頼んでいた。

名前は親が付けるべきかもしれないが
何というか、わたしらでは「念」のよなものが
弱い気がしていた。
わたしの趣味に偏っちゃったりすると、歌舞伎関連とか…
特に勘三郎さん関連とか…
悪いことではないかもしれないけど、何かそれは違う気が。
ならば誰か名付け親が…と思った時、
ヤマキさんしかいないと、大典とも一致した。
今一番尊敬できる人だから。

ヤマキさんご本人に恐る恐る相談したところ、
「その子の人生のタイトルを考えるんだね?」と。
そう!!そいう感じ!!
だからわたしの趣味に影響されるのは違うの!!

大典が預かって来たのは、
小さなポケットサイズのノートである。
その中に、わたしの苗字と、大典の名前、わたしの名前
そこから想像されるイメージ、言葉、散文があり
最終的に2つ、名前の候補が書いてあった。

嬉しい。嬉しいけど選べない。
出生届は二週間以内だし、も少し悩むことに。
大典とわたしと、その間に生まれたコドモと
家族としてまるごと祝福されている気がする。
とてもありがたい。

日曜日の退院予定で、そのための診察があり
母子ともに問題なく、退院OKとなった。
もうすぐおうちに帰れる。



2013年11月14日(木) 沐浴に腰痛の不安

夜中の授乳室通いも慣れて来た。
母乳も出てるのか出てないのかわからなかったが
わずかながら出ているらし。
授乳の前後にムスコの体重を計ってその差を出すのだ。
足りない分はミルクを付加。
今は量的には殆どミルクに頼っている状態。

今日も仕事と芝居の合間に大典来る。
昨日頼んだ洗濯物は、夕べ浴室乾燥して持って来てくれた。
丁度沐浴のレクチャーを受けるところだったので
「ダンナさんも一緒に」ということになり
二人ともぴんくのエプロンを着けられ授乳室の奥へ。
顔を清浄綿で拭き、両耳を指で塞いで湯船へ。
頭を洗ったあたりで、中腰の姿勢が辛くギブアップ。
大典と交代してもらった。

こないだぎっくり腰やったばかりでだいじょぶかと思ったが
後で聞いたら、浴槽の底に肘をついていたのだそだ。
なるほど。

沐浴終了後、授乳の時間になってしまい
大典は母子以外立ち入り禁止の授乳室の裏口から強制退去に。
(入るときは誰もいなかったので特別に表から)
そのまま帰ってしまったので
後でメールすると、「自分はラッキーだ」と返事が。
たまたま沐浴練習のときに立ち合えて、という意味だと思うが
入院してからつくづく思うのだけど、
大典がケナゲで泣けて来る。
こないだ頼んだノートPCも、埃だらけにしてたディスプレイを
キレイに拭いてくれてた。

そいえばこの後
ムスコが、妊婦さん向けの母親学級にゲスト出演した。
赤ちゃん貸して欲しと授乳室に駆け込んで来た看護師さんがいて
たまたま授乳が終わったところだったので
連れてってもらうことに。
わたしも見た説明のパワーポイントだと思う、
最後に新生児の写真が数枚出るヤツの後に、本物の新生児を見てもらう
ということらし。
他の子よりも小さくて、より新生児らしいムスコは
大好評だったそな。



2013年11月13日(水) 帝王切開の傷をまだ自分で見ていない

夕べから深夜の授乳室通いが始まった。
ミルクを付加する都合上、昼間から3時間ごとに通うのだけど
夜中もだから、お互いさまとは言え、周りに気を遣う。
お向かいのベッドの人は、赤ちゃんが別な病室にいるらしく
搾乳して届けているようだ。
会うにもわざわざ面会に行かなくてはいけないよなので
同じ病室で、他のベッドから赤ちゃんの声がきこえるのは
複雑だろなと思ったり。

昨日に続き、実習中の学生さんがついて
何か細々とやってくれる。楽ちん。
背中の麻酔の管が取れ、晴れて今日から入浴可に。
産科の中のシャワー室が空いているかも
学生さんが見て来てくれた。
入浴中、ムスコはナースステーションで預かってもらえる。

仕事と芝居の仕込みの合間に、大典が来る。
面会時間は3時からだが、家族は時間外でも
病室以外の場所でなら面会可とのことで
食堂で、昨日菊田さんにいただいた彦いちのあんみつを食いつつ。
忙しいとは思うけど…
入浴したときに、帝王切開の傷の上に巻いてあった腹帯を
初めて見たのだけど、血まみれで
でもそれは術後つけてたやつとは1回取り替えてたものだったから
最初の腹帯(きっともっとべったり血がついてる)と、
替えがなくなった産褥ショーツを洗って欲しと
お願いした。

大典は今週末に、三角フラスコさんの大阪公演前の
仙台トライアウト(試演会)を控えている。
昨日は仕事は休んだよだが、今日明日は仕事もしてから
小屋入りだそだ。
その上わたしの入院。ネコの世話。

コドモは、両親の「ここぞ!!」というタイミングをみて
生まれて来ると言う。
とすると
12日早く生まれたのは何か意味があってのことなのか
単に間が悪い子なだけなのか。



2013年11月12日(火) アヒル口を褒められるムスコ

2日めの夜、初めて一晩一緒にいたわけだけど
むずかるたびにおっぱいを含ませると
子宮がてきめんに収縮するので、その度後陣痛に襲われる。
背中に入っている麻酔は、腹部を開けた傷には効くが
子宮の痛みである後陣痛には効かないそだ。
途中でナースステーションに預ければよかったのにという
意味のことを看護師さんに言われたが、
そんなことできると思わなかったんだもの。

人よりチビだけど、おっぱいの飲み方はうまいらし。
見る看護師さんごとにそう言われる。
ミルクの飲みっぷりもいい。
食い意地が張っているのかもしれない。

日中は割と長く眠っている。
眉間にシワを寄せて寝ている顔はぱぱんちに似ている気がする。

ところで、実習に来ている看護学生さんらが
わたしら母子を看ることになった。
指導に、師長さんぽい貫禄の看護師さんがついている。
部屋にあった入院のしおりに、自動洗髪機があるのをみつけ
きいてみたら、故障中のため学生さんらで洗ってくれると言う。
高い個室はシャワーがついているが、今空いているので
洗髪台をそこに運び、3人掛かりくらいで洗ってもらった。

昼過ぎ、フラスコの小屋入りのため仕事を休んでいる大典が
仕込みの合間をみて荷物を持って来てくれた。
一応パソコンを持って来てもらう。
LANケーブルでネットが見られる病室なのだ。
が、やっている暇があるかどうか。
3時間ごとの授乳だが、1回に1時間くらいかかる。
残り2時間の合間、検温だの検査だの、ムスコのむずかりだの
何かしらがある。意外と暇なしだ。

夕方、無国籍の人々がお見舞いに来てくれる。
ステキ女優・菊田さんは彦いちのあんみつを携え
骨太女優・かなえさんはクッキーと、何故か
クリスマスオーナメントのよなライトを3つ。
きっと何か買わずにいられなかったんだろな。
コドモ好きが顔に出ていた。
最後におてんば今さんも現れ、皆さん携帯やスマホを手に手に
ムスコの撮影会。

名前は?とやはり訊かれたが、まだなので
通称「ミニ典」に。
7月の仙台公演のとき、大典の職場の方々が
わたしのお腹にむけて「ここにミニ典さんが〜」と言っていた。
しばらくはそれを採用。



2013年11月11日(月) チマオはイヤだ

昨日一日絶食だったが今朝から食事できることに。
朝、昼は全粥で、夕食から普通のご飯。
病院に来てからずっとしてた点滴も外れ
午後、フォーレも抜いたので歩けるようになった。
まだ背中に麻酔の管が入っていて
薬液が入った小さな袋に繋がっているのだけど
ベッドを出る時いつも忘れて引きずってしまう。
ヒモでクビから下げてなきゃいけない。
これが外れれば、お風呂に入れる。

母乳はまだ出てる気配はなく
3時間ごとに日齢×10mLのミルクを飲まさなければいけない。
短い距離なら歩けるが、授乳室まで通うのはまだいいとのことで
看護師さんが哺乳瓶に入れて持って来てくれた。
オムツの替え方も教えてもらう。
新生児用だけど、ムスコはちっちゃいのでぶかぶかだ。
産着もぶかぶか。
頭が冷えないよに、スタッフお手製の帽子を被っているが
烏帽子みたいになるので、
ちっちゃい歌舞伎の並び大名みたいだ。

夕方、盛岡公演でお世話になったゴージャスな制作・綾香さんが
お見舞いに来てくれる。
昨日偶然仙台に来ており、うちのステキ女優・菊田さんと
飲もうと思って連絡を取った際、わたしの出産を知ったと言う。
急遽、盛岡の友だちや先輩らのお祝いを持って来てくれたのだ。

ムスコの名前はまだ決まっていない。
そのことを話すと、綾香さんが最近出会ったというすごい名前を
お勧めされる。
「千万億」と書いて「チマオ」
すげー。音はチマっとしてるのに、字は剛胆!!
でも却下だ。



2013年11月10日(日) 病院のベッドにて片付け途中の部屋を思う

早朝6時くらいに破水。
すぐに大典を起こし、病院に電話すると
「何分で来られますか?」と。
「30分程で」と答えたものの、
軽くパニックで準備に手間取り、到着に45分程かかった。

診察して破水と確認され、すぐ帝王切開することに。
が、日曜早朝というのに既にわたしも含め
3件の帝王切開が入ってしまったと言う。
わたしは2番め。
10時くらいになっちゃいますすみませんと言われたが
まだこっちはココロの準備もできていない。

結局手術室に呼ばれたのは10時40分頃だった。
下半身麻酔で、帝王切開。
滞りなく50分ほどで全て終了。2300gの男の子が出てきました。
出血は羊水も含めて850mLほど。
多いのか少ないのかわからんと思ったが、
貯血した血は使わなかったそなので、普通以下だったのだろ。

病室に移されて、ほどなくムスコも連れてこられた。
ちいさい!!ちいさいけど爪とかちゃんとついてる!!
連れてこられてすぐ寝てしまったけど
生まれてずっと泣き通しだったそな。
しばらく親子水入らずで過ごす。

家を出る時、ままんちにだけはメールしていたのだけど
偶然東京にいたという。
夕方頃、岩手に帰る新幹線を途中下車して顔を出してくれた。
靖国神社のお守りをくれたが
その中で観たプロパガンダ映画に腹を立てていた。
日露戦争から第二次大戦まで、日本に都合のいいよに描いてたらし。
ふと、今の世に生んじゃったがために
戦争に行かされるよなことにならなきゃいいと思った。

19時頃、ままんちは泊まらずに岩手に帰ると言う。
大典もフラスコの稽古があるため、
ままんちを駅まで送りつつ帰って行った。

消灯時、今晩ムスコはナースステーションで預かってもらうことに。
まだ自力で体を起こせないし、導尿管も入ってるので歩けない。
但し、2時間ごとくらいに、おっぱいを吸わせるために
ムスコは連れてこられるし
看護師さんが体温、血圧と傷の状態を看に来る。
熱が若干出てたので、看護師さんらに起こされる時間以外は
汗びっしょりかいて眠れた。

わかってたけどお腹はふくれたままだ。
なのに中身は入っていない。今朝までいたのに。
預かってもらっている間、何だか寂しかった。


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