| 2012年10月22日(月) |
ライブにおける子連れ問題のシビアさ |
愛しのmonkey majikのVIP LIVEへ。 朝から浮かれて、多分2、3cmくらい浮いてたと思。
入場前に並んでるときに、 番号を知るため近くにいた人に話しかけたら 香川県からいらした人だった。 すげー。平日に、こんな宮城くんだりのライブまで。 monkey majik愛だ。 彼らが他の都市にいたら、わたしは行けるか疑問。 mmについては仙台住んでて本当に良かったと思うことの一つだ。
その方はわたしより早い整理番号だったのだけど 成り行きでそのまま入場し 成り行きでわたしと一緒にライブ参加。 いやー楽しかった。かっこ良かった。愛してる!! 同じくらいの熱と愛で2時間きゃーきゃーやれるのもいい!! 前に子供をだっこした180cmくらいのおとーさんがいて BlaiseもMaynardもスキマからしか見えなかったけど。
会場から出るときに、わたしの近くで見てたらしき人が 「子供だっこするんなら壁際でやってほしかった」と 言っているのが聞こえた。 あ、なるほど。 たまたま今日はわたしの周りにお子さん連れが多く となりのおかーさんはわたしより背が低く それでも子供を抱いて参加してたが、 子供をおろしてカバンの中身を出そとするなど 周りが狭いのでぶつかってたりした。
子連れだってライブは観たいよなあ。 しかし周りとの折り合いは難しい。 昨日hitomiがTVで「ママシート」を設けたと言う話をしてた。 そいうのって改めて大事だと思。 無国籍でも数年前から託児サービスやってるけど 同年代に子持ちが増えて来たが故に始めたことだった。 利用する人稀だけどね。 どんどんそいうのが増えて、みんな利用して、子連れでもライブやお芝居を 自分にも周りにも気兼ねなく観られるよになるといい。
香川の方とはメアドを交換して別れた。 またどこかのライブで会えるといい。
| 2012年10月21日(日) |
薬をいっぱい入れた袋が見当たらぬ |
明け方までソファでうたた寝してしまったので 布団に入ってから昼近くまで寝てしまう。 のそのそと掃除洗濯など始めると 無国籍お手伝いムスメの今さんから、 今から仙台駅で歌うからと連絡が。 彼女は社会人の混声合唱団に入っている。
公開リハと本番とあるそなので 家事を大雑把にやっつけてから夕方の本番へ。 今さんは、合唱団のほぼ真ん中あたりで 気持ち良さそに歌っていた。 人が歌っている姿って幸せそだと思う。 1時間ほどのプログラムで、バラエティ豊かだった。 前も書いたかもしれないが 三谷幸喜に似た人がやはり2人くらいいた。
| 2012年10月20日(土) |
寝坊で遅刻だけは避けたい |
目覚めると、いつも電車に乗る時刻3分前だった。 わー 久々にやった。 大典を叩き起こしてクルマを出してもらい 何とか滑り込みセーフ。 道空いてて良かった。
夜はチャリで出かけ、 満塁鳥王一座「キョウド町グローバリズム行進曲」を観て来た。 消えたご当地アイドルを捜す その経緯とそれを取り巻く事件を 賑やかな曲と唄にのせ、メリーゴーランドのよにみせる舞台。
前作が震災まっただ中の「キル兄にゃとU子さん」だっただけに ついつい深読みして、どっかで震災が絡んでくるんじゃないかと 身構えてみてしまったが そうか、郷土愛がテーマか? でもそれはそれで、故郷を追われた原発周辺の町や村を 思ってしまう訳で。 もっと何も考えずに観れば良かった。 リズミカルで楽しい舞台だった。
| 2012年10月19日(金) |
ナススベなく残業する黄昏 |
結局今週も踊りのお稽古に行けず 金曜デモも1mmも近づけない。
残業していると、呆然と作業してるので いろいろな考えが去来する。 明日からのお芝居はいつ観に行ことか 今読みかけの本の中身とか こないだ観た映画のフラッシュバックだとか。
今朝、ナカタの夢を見た気がした。 確か警察官の格好していたよな。 久々に出て来て何故警官…。何かの警告か? 単純に一番しそにない格好だから、吹いてしまった気がする。 ごめんよナカタ。
| 2012年10月18日(木) |
うつされたかもしれん |
クールな照明家くどまさは、予定通り今朝チェックアウト。 また来てくれるといいなー。 今度は是非彼女も一緒に。
風邪に感染することを恐れるくどまさが帰った後 なんとなくわたしがノドに違和感。 稽古の最中は忘れていたけど 帰宅してみるとやはりある。 育ててはイケナイ。 葛根湯は大典が飲んでしまったので薬を探さなければ。
| 2012年10月17日(水) |
ソファで寝ると落ちぶれるらし |
明日の無国籍稽古のための準備をしていて ソファでうたた寝してたら 逗留しているクールな照明家くどまさが帰宅。 昨日わたしが観て来たロロの公演を 今日は大典が観て来たので、その感想などを伝えたのだけど 今回大典とくどまさはほとんどすれ違いで あまり会話していない。
それを埋め合わせるよに、何かすごくくどまさと話しているわたし。 高校時代は一緒に行動していても、あまり話す方じゃなかったが 最近公演に関わってもらうよになってから こんなに話す人だったんだと、ちょっと驚いている。 仙台に来る度結構話しては、毎回知らなかったくどまさを知る。 いやー、わたしなど自分が恥ずかしくなるくらいに くどまさは大人で、職人で、いい奴だ。 大典ともっと話せる時間があればいいのに。 何故か今週に限って異様に忙しく、風邪までひいている大典。 チャンスは明日の朝、くどまさが出発する8時すぎまでだ。
| 2012年10月16日(火) |
芝居を観に行くと週末な気がする |
クールな照明家くどまさが参加するお芝居 ロロの「LOVE02」を観に行く。
2時間ちからいっぱい好き好き(時々、好きじゃない)と いいまくる舞台。 面白かった。 役者さんたちがどの人も線がはっきりしているし 世界観はシュールだけれど、 美しい舞台美術と白に統一された衣装で、どんな場面も絵になり 何だかストレスなく脳みそになじんで来る。 ラストに向けてのシーン展開は秀逸だった。 とても爽やかな後味。
年代をきいたら、20代前半の人たちの劇団だそで。 わたしが20代前半のとき、こんなセンのはっきりした 舞台を作れていただろか。
終演後、観に来ていたうちのステキ女優・菊田さんとご飯。 話題は亡くなったOCT/PASSの石川さんのことに。 話していて自分で気付いたけど わたしは何とかして石川さんに無国籍の芝居を 認めて欲しかったのだと思い当たった。 多分、石川さんは1、2本しか観ていないはず。 わたしとしても石川さんに観てもらう努力はあまりしなかった。 それで認めて欲しかったとはムシがいいのだけど いざ観られてしまうと、 一番痛いところを突かれそうで怖かったのだと思う。
気付くと石川さんのことを考えている。 決して親しくはなかった。 それでも考えちゃうほど仙台の演劇界で大きな存在だったのだ。 なんでこんなにニュートンのこと考えなくちゃなんないんだ!!と また不条理感に苛まれる。
| 2012年10月15日(月) |
湯船をはり、加湿器をつける |
大典が風邪をひいたらし。 気付けば部屋の湿度が40%になっていたので 慌てて加湿器をつけてみた。 明日明後日に舞台本番の仕事のあるクールな照明・くどまさに 大典の風邪をうつさないために。
仕込みから帰宅したくどまさはマフラーを巻いていた。 「念には念を入れて」と言ってたけど ほんとにあっという間に寒くなってしまった気がする。 職場で、Tシャツに白衣を羽織っただけだと 確実に寒い。かと言って暖房をつけるほどでもなし。 最近何を着ていいかわからなくて困る。
| 2012年10月14日(日) |
香典返しのお茶と、お土産のお茶と |
昼間、友達の劇団の公演へ。 アツく、メッセージいっぱいの舞台なのだけど 長過ぎた…。あの会場で3時間は辛い。
常々思うのだけど、舞台の公式ってできないだろか。 会場と客席から、ふさわしい上演時間が割り出せる公式。 芝居やってる数学者っていないかしら。 大典が大学で数学専攻してたけど、苦笑いされた。
夕方、OCT/PASS theatreの主宰で劇作家、演出家の 石川裕人さんのお通夜に出かけた。 会場に入りきらないほどの参列者の中でお経を聴いていたら 段々怒りが込み上げて来た。 不条理だ。 なんで石川さんが亡くなるんだ。亡くなってどうするんだ。 本人にも誰にもどうしよもない状況だったとは思うのだけど 正に現役まっさかりの、これから先も数々の作品を 残すはずの人だったのに。 読経の後に、お坊さんが法話というか、何か話していたのだけど あまりの温度差に余計に哀しくなった。 どうか、遺された劇作家、芝居人に石川さんが化けて出て 無念とこの先に考えていた野望などを語ってほしい。 結果出来る舞台が石川さんの納得できるものか保証できないけれど。 遺志はこの世に残って続いてほしい。
帰宅後、明日から小屋入りの東京の劇団の仙台公演のために 来仙したクールな照明家・くどまさが来る。 この公演中、うちに逗留するのだ。 石川さんのこともあってか、長い長い話をした。 わたしたちが、身近な人の死に相対して、 どう向き合うべきか、乗り越えるべきか。 ひきずったまま生きているわたしは、
| 2012年10月13日(土) |
震災後走り続けていること |
盛岡まで芝居を観に行って来た。 なべげん、架空の劇団合同公演「震災タクシー」。 架空の劇団くらもちさんが 震災当日、常磐線でいわきを目指していた。 電車が止まってしまった後、数人で乗り合って タクシーでいわきを目指すその道中のお話。
津波が、原発事故が、大変なことになっていることも あまり情報がなくわからないまま ニアミスしつついわきへと向かっていく。 時間が経ち、振り返って「楽しかったな…」と思う。 フキンシンとは思いつつも。
ドキュメンタリーから出発しているというだけあり とてもリアルな心情だと思った。 被害の度合いによっては「楽しかった」なんて 言えない場合もあるとは思うけど あの非日常を振り返ったとき、その状況や体験を ちょっとおもしろおかしく喋ってしまう傾向が自分にもある。
かと言って、否応無しに変わってしまった現状はあるわけで。 ポストパフォーマンストークでなべげんの畑澤さんが 「どういうものを書いても、震災と絡めてみられる傾向にある」と 話していた。 「震災に向き合い、作品を作るのは表現者の義務である」とも。 問題はその距離感である。
終演後、チケットをお願いした出演者の方に 「仙台でもやればいいのに」と話したら 「被災地まっただ中の仙台ではちょっと…」という 遠慮と言うか、気後れがあるようだ。 当事者であることは変わりない。と思う。 この距離感は、仙台でも大丈夫じゃないかと思うのだけど…。
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