| 2007年08月25日(土) |
街なかで返って空いている店で |
実は待ち合わせの時間を曖昧に憶えてて 早めに来たつもりが 時間通りだった。 アエル1階の丸善で 三角フラスコのキュートな主宰・生田さんと落ち合う。
あちらは次回公演の脚本を書き終わり こちらはルコック終了して お互い落ち着いたとこでお茶でも、と のほほんデート。
ドリンクバーの付いてるケーキセットで お得なガラガラ空いてる店で しばらく話し込む。 その後、10年くらい駅ビルに入ってないという 生田さんを案内してエスパルへ。 地下1階の土産もの売り場の あるお店で働く色白智絵ちゃんにも会う。 考えてみれば ほぼ初対面の生田さんと智絵ちゃんであった。 二人は同い年で 共通の友人も多いからなんか不思議。 夕食はLoftの大戸屋で。
ずーっとずーっと芝居の話をしていた。 お互い劇団の代表で似たよな立場で でも理由はそれだけでなく 何だかものすごく近しく感じているので 手の内は探りつつも、好きなだけ話ができる。 相変わらず揺るがない信念、才能、人格。 この人といる時間は、とても刺激的でとても楽し。 そして何より、創作意欲を刺激されるのだ。 無国籍も次回公演に向けて丁度 動き出したところだしね。 書き上がったという生田さんの作品も早く観たい。
次にまたお茶できるのは フラスコさんの秋の公演が終わった後かしら。 そのころはまだ、こちらの稽古も 始まったばかりなはずだし。
暑さに弱い生田さん。 実はわたし今くらいが丁度いい。 負けないで頑張ってね。
昨日の一件もあり 今まで面接を受けた会社に再度連絡。 もっと詰めた話をしてもらうことに。 最後に面接してもらったでっかいとこの 内定の連絡も来る。
それはともかくとして 何だか生き腐れる気がして 発作的に植木屋俳優・勇治さんに あそぼとメール。 後できいたら、見事に仕事の休憩時間を 見計らったよにメールが来てたらし。
仕事終わりが見えない勇治さんをよそに たまたまメールしてきたステキ女優・菊田さんを 巻き込み、先に飲みをスタートさせる。
10時過ぎ、やっと勇治さん合流。 閉店までぐだぐだ話し ここで菊田さん解放。 突然すみませんでした。
終電を逃した勇治さんと、駐輪場にチャリを 閉じ込めてしまったわたし コアな居酒屋・あべひげに非難しよと 春日町へ。 さすがにね、眠ってたねあべさん。 諦めて駅前に戻る。 深夜勤務のホテルマン志望・中田をからかいに。 ロビーでちょっとムダ話。 小一時間程相手してくれた。
いつまでも邪魔しちゃ悪いので 24時間営業のモスへ。 始発まで眠気に潰されそになりながら 二人で話す。 いやはやすまなかったね勇治さん。 また遊んでくらはい。
| 2007年08月23日(木) |
とても気の進まないはなし |
前の前の会社の社長から電話。 戻って来ないか、と。 その後、かつての上司からも電話。 急遽会うことになった。
一年前と比べると会社の組織も 大分変わったし、きみを悪く思ってる社員など 1人もいないから。と。
確かに5年もいたから、芝居をやってるというのも 説明がいらないし 知ってる人ばかりで 全く新しとこに飛び込むにあたっての不安は そこにはない。 のだけど、やはり気が進まない。 のだけど、選べば非常に楽だ。 困った。
| 2007年08月22日(水) |
終わると雷も雨もやんでいた |
中尊寺パーキングエリアで目が覚めた時 既に雨降ってた。 泪雨。 日曜に亡くなった、元AUNホール管理人・大泉さんの 葬儀に向かうため、朝早い高速バスに乗った。 肴町周辺で盛岡在住、ゴムマリのよな先輩・Bさんと 劇団よしこ代表・大沼さんと落ち合い 名須川町にある天台宗清養院へ。
ものすごい弔問客。 盛岡の演劇人が一堂に会しているというくらい。 供花も劇団名ばかり。 演劇人は死んではいけない。 演劇人があれだけ集ってるのに 誰も話さず飲まず笑わず、ただ泣いているなんて 痛々しすぎる。 そしてどこの劇団名も しめやかな場には向かない。
5人の方々が読んだ弔辞は どれも哀しすぎた。 架空の劇団のくらもちさんが、市の演劇協会会長の文を 代読したのだけど 介添えのお坊さんがマイクを外そうとしたその時 泣きながら大泉さんに呼び掛け始めた。 「早すぎるよ」「信じられないよ」と。 「今にも原チャに乗って『誰の葬式?』って 現れそうなのに」と。 「もっといろいろ一緒にやりたかったよ」と。
大泉さんは、若い演劇人を慈しんでくれてた。 どんなにつたなくつまらない芝居でも 真剣に批評してくれる 一番近しい大人の演劇人だった。 それと同時に素敵で大きな役者で 盛岡のアマチュア演劇界には欠かせない人物だったはずだ。 だから、高校生だったわたしたちは 大泉さんと知り合えたことが ものすごく嬉しく誇らしかった。
葬儀が終わって境内に出ても 誰も帰ろうとしなかった。 千春さんの出待ちしてるみたいだな、と思った。
見回すと、高校時代一緒に芝居した友人も ちらほらいたのだけど、わたしには気付かない様子だった。 この人たちには、わたしが盛岡を出た後 13年分多い千春さんと過ごした時間がある。 彼等の哀しさとわたしの哀しさは明らかに違い 例えわたしが泣いても、それはもらい泣き程度なのだ。 盛岡にいた3年間、もっと出来ることがあったのかも 知れないと、今になって思った。 もっとお世話になっていたかったと思った。 彼等がうらやましく もらい泣きしか出来ないのが悔しく 葬儀でわたしは泣かなかった。
夕方のバスで仙台に戻る。 家に戻る前にあべひげに行き お水をもらいお清めをしてもらう。 お前の居場所はちゃんと仙台にある、と あべさんが言った。 仙台で、後悔しないくらい、 動けるだけ動けばいい、と。
先日、ネットの接続設定を ADSLからメタルプラスにした。 ら、電話器周辺からカギが出て来た。 何のカギだかわかんないのでほっとく。
夜、ルコックで一緒だったアキさんとヒトさんが 自転車を借りにいらっさる。 アキさんは大阪からいらして受講してたのだけど 9/2にメディアテイクでやるルコックの発表にも 参加するため、本科の講義が終わった後も 仙台に留まっているのだ。 他にもノティくん(東京)とイクさん(千葉)も 一緒に、仙台在住のヒトさんの家に集団合宿するという。 で、仙台逗留中の移動手段として うちの自転車を1台貸し出すことに。
この自転車は、大典が仙台に来た時使ってるもので 前回の公演で来た時、安いワイヤーロックを付けていた。 番号を合わせると開く、カギのいらないヤツ。 が、番号のとこがサビサビで動かない。 切ってもいいから、とお渡し。
と、ハンドルにリングロックが付いてるのに気付く。 カギがあればワイヤーロックを切った後使えるのに。
ここで記憶が最初に戻る。 試しに部屋に戻って取って来たら 見事に開いた。 使ってやって下さい。
| 2007年08月20日(月) |
面接はメトロポリタンで |
3社目の面接である。 札幌に本社のある、社員も何千人規模の でっかい企業。
面接官の1人は札幌からで 先週の猛暑が和らいだ今日の仙台でも 北海道に比べると流石に暑いと言っていた。
勉強にお金を使ってない会社は ほんとにダメなんだろと 今更ながら思う。 今まで受けた2社も、ここも 社内での学習制度がきっちりしていた。 転勤もあるとはきいてたけど 通えないところだの、引っ越さなきゃいけないところだのは 流石にしません常識的な範囲でねと言われる。 結果は1週間以内に連絡が来るとのこと。
さあ、どうしよ。 一応内定いただいてるとこもあるけど 結果が出揃うまでに もう一度お話ききたいとこもあるし。 夏休みも残り少なくなってきたね。
| 2007年08月19日(日) |
ルコック終了と恩人の訃報と |
飽くまで研究発表。 研究途中だから。 とはいえ、見せ物としてはシュールだよなと 思った発表であった。 でも久々に人前で芝居みたいなことして 作ってく課程も、本番も楽しかった。
打ち上げはコアな居酒屋あべひげにて。 19人全員出席。 来年もまた会えるといい。 県外から来てる方々もいるけど、その人たちともきっと。
盛岡の友だちと大典から、電話とメール。 高校時代、無国籍立ち上げ以前から お世話になっていた 元・AUNホールの管理人・大泉千春さんが 亡くなった。と。
ついこの間、 照明家として活動してる友だちが 盛岡でのある劇団の公演に参加したとき 大泉さんに「いい明りだ」と褒められた。ときいた。 彼は高校時代、大泉さんに照明をけなされたのをバネに 今までやってきた部分もあったので 「もう辞めてもいいかも」などと思うくらい 嬉しかったらし。 ほんとについこの間の話なのだ。 1ヵ月も経ってない。
この話を思い出したら 現実感のなかった訃報が、ふいにリアルに迫って 泣けて来た。
| 2007年08月18日(土) |
終わってしまうよ早いのだよ |
もう一ヵ月経ってしまうのが信じられん。 会社を辞めるきっかけにもなってしまった ルコックが終わってしまう。
なので、今日は 明日の発表のリハだの準備だの。 まあ、あまし造形も寸劇も自信ないのだけど がんばろと思う。 コアな居酒屋あべひげ店主あべさんから 連日発表観に行くから頑張れとメールも来てるし。 いろんな方々と知り合うことができたし いろんな考え方、アプローチがあるのだと 発見もたくさん。 実りある一月だったが、もっと知りたい。 来年も何とかして受けられないだろか。
そやってまた来年の今頃 仕事辞めてることだけはないよにしなければ。
昨日皆遅かったためか 今朝は行方不明で遅刻の人が多かった。 高校くらいの学祭前夜と夏休みが一緒に来たみたいな 雰囲気である。 楽し。
| 2007年08月17日(金) |
なんでんかんでん社長似の社長 |
昨日の夜、岩手からの帰って来た大典。 朝は手早く冷麺などをつくってくれた。
面接2社目。 何だか、わたしが前いた会社の社長といざこざが あったらし。 敵の敵は味方!! あの社長の被害者と思ってもらえたらしく 終始笑顔で面接終了。 いつでもおいでなさいと。 結果は面接の7日後と求職票にあったんだけど。
まだもう一社面接を控えているので 少し待っていただくことに。
こちらも良さそな会社であった。 3つの会社の合資なのかね? 店舗は多いけど、規模はそんなに大きくなく。 やはり社内の意識が高く 医療過誤の調査会みたいのを設けてたり 勉強会もこまめにしてる。 店舗間の交流もあって 薬剤師どうしの情報交換を重視しているらし。 去年は同年代でまとめてグループ研究したそだけど 今年は年代違いチームを何グループか作って 研究発表しているのだって。
こうなってみると 今までの会社がどんだけ意識低かったのだと 貧乏くじを引き続けて来た気がしてしまう。
よく考えよ。ほんとに。
夜はルコック。 今日は徹夜覚悟。 深夜バスで東京に帰る大典を見送りに ちょっとだけ抜けてその後 翌朝4時までぎりぎりと工作。
| 2007年08月16日(木) |
3人で定員オーバーの部屋だ |
福島のじいちゃんばあちゃんちからの 帰り道中の両親が部屋に寄る。
やたらと食料品を置いてってくれた。 おはぎ 炊き込みご飯のおにぎり キュウリ ピーマン カボチャ ミルククッキー 食パン 野菜ジュース 茹でたとうもろこし
その他 ばあちゃんとこに 業務用の杏人豆腐があったとかで しかも多量で食いきれなかったそうで その余りをでかいタッパーに持たされて来てた。 それも見送りがてらもらう。
わたしが持ってきたタッパーに分けてもらったのだけど けっこうたぷたぷしていて オタマなどがないとすくい難い。 5階まで戻るのもなーと思ってたら ままんちは車の後部座席の床においた 小さめのタッパーをささっとはらって すくってわけた。
咄嗟にみなかったふりをした。
ちなみにこの小さめタッパーは ぱぱんちが福島に忘れて来た犬のドーラちゃんの 水飲み皿のかわりである。 わたしの部屋から持って来たものだから 床に置いてた時間は30秒ほどだと思うけど。 神経質に気付いてしまったけど 食ったところできっと平気なのだわたしの腹。
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