琴 星 商 事 日 乗
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2005年12月27日(火)
  南九州走拝記(1) <画像あり>

 昨年末に引き続き、今年の年末も九州へ。去年は大分・福岡を中心に、高千穂と阿蘇を巡る北九州旅行でしたが、今年は未だ未踏の南九州へ。宮崎南部と鹿児島へ行く計画を立てました。交通手段は勿論、車。夏の台風で山陽道が崩れた時は「年末の南九州は断念せざるを得ないかなぁ」と思ったんですが、今月1日に見事復旧。私の免許も無事に取れたので、まだ一般的には仕事納めになっていない本日より2泊3日で急遽予定を立てた次第。

 夫が算出した呉−宮崎までの所要時間は6時間強。5時半起きで出発しました。去年も通った関門海峡を抜け、1年ぶりの九州上陸。でも関門海峡に辿り着いた時点で時間は9時半。夫は「昼過ぎには宮崎に着ける」と嘯いてたんだけど、そこはかとなくそれは無理な気がふつふつと・・・。当初はまず宮崎から北へ向かって都農町の日向国一宮・都農神社へ詣でてから、一気に南下して日南市の鵜戸神宮へ行き、そこから宮崎市内に戻る計画だったんですが、鵜戸神宮は何としても明るいうちに行きたかったので、先に鵜戸神宮へ行くことに変更。結局、14時過ぎに鵜戸神宮に到着しました。


 鵜戸神宮は神武天皇の父・日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)を祀る神社。祭神の産殿址とされる自然の洞窟内に社殿が建っています。西側が海だから夕景もさぞ綺麗だろうと思うけど、初めて詣でる時は昼の青い空・青い海が見たかったのです。
 八丁坂と言われる古い石段の参道を登り、そして下り(かなりキツイ)、辿り着いた社殿は今までに見たことのない形状です。洞窟の中にめり込むかのように社殿が建ってるなんて。うちの妹は高校の修学旅行で此処に来てるんですが、修学旅行先に選ばれる理由も判ります。すごいなこれは!
 社殿正面の崖の下に「亀石」という岩があります。その甲羅部分に「枡形」という穴があって、そこに「運玉」(5個で100円)という素焼きの玉を男性は左手、女性は右手で投げて、玉が穴に入れば願いが叶うとか。穴に入らずとも亀石に玉が当たればいいらしいです。当てるのは結構簡単。私は5個全部当てました(笑)。夫は最初は当たりもしなかったけど5個目で穴に入れました。穴に入った玉は後日回収されるようで、御守として頒布されてました。定期的に入ったのも入らなかったのも集めてるんでしょうね。見目が悪いし。

 参拝を終え、国道まで出る途中の道(多分旧道)で猿の群れに出会いました。最初は子猿を抱えた親子猿。「あっ猿だ!」と思う間もなく、先は猿だらけ。野生の猿の群れなんて初めて見ましたよ。日光ですらお目にかかれなかったのに!

右下が亀石。左から運玉を投げます。青島。右端に鳥居。

 続いて向かったのは宮崎市内、青島にある青島神社。太平洋に浮かぶ青島は干潮時には陸続きになる小島です。今は橋が架けられていて常に歩いて渡れます。
 青島神社の祭神・彦火火出見命は「海幸山幸」神話の山幸彦。ここは海中の海積宮(わだつみのみや)から戻った山幸彦の御宮居の跡だそうで。てことは竜宮城はこの近くかしら。
 境内(つか島内)は南国ムード満点。詳しくないからよくは判りませんが、ソテツとか椰子とかあまり神社に似つかわしくない植物が生い茂っています。
 沖縄では神社に行っていないのですが、南国ムードに神社って合わないのかも。ハワイなんかにも日系人が建立した神社があるんですが、やっぱり不自然なのかなぁ。青島神社自体は、平安時代の文献に名前が確認出来る古い由緒正しい神社なんですけどね。
 鵜戸神宮もそうですが、青い海と青い空がとても印象的でした。

 参拝を終えて九州本土(?)に戻り、宮崎市街に向かいます。でも時間は既に16時。宮崎市街の宮崎神宮に詣でると、当初予定では最初に行くはずだった都農神社は多分タイムアウト。でも日向国一宮にはなかなか行く機会もなさそうな場所だけに行っておきたい。
 ということで宮崎市街をそのままスルーし、一ツ葉有料道路を抜けて北上。日が落ち、辺りが薄暗くなった頃、やっと都農神社に到着しました。17時半。普段ならもう社務所が閉まっていてもおかしくない時間ですが、時は年末。何処の神社も慌ただしく初詣の準備をしている時節です。
 ・・・が、鳥居の向こうに遠目に見える社殿は、既に扉が閉ざされている感じ。あちゃー、もう閉まっちゃってたか。でも折角来たのだから扉越しでも参拝しようと近付くと、注意書きが立て掛けられています。「改修のため仮殿で御参拝下さい」(そんな感じ)。あ、今は常に閉まってんのね、ココ。参道左手の社務所もまだ電気が点いてます。良かった良かった。右手の仮殿にて参拝し、社務所に行って御朱印をいただきました。

都農神社。ISO値を400に上げて撮影。

 さて、本日の宿泊は県境を少々越えて鹿児島は霧島温泉。その前に宮崎市内で夕飯を食べることにしました。宮崎ICを下りてから2ヶ所見かけた気になるお店。でかい水車にたくさんの幟がはためき、暗くなったら煌々と明かりが灯った謎の飲食店。その名は「山椒茶屋」。宮崎ICのすぐ傍にあったので、そこに行ってみました。
 広い店内は敢えて表現するなら巨大なドライブイン。けっして綺麗ではないけど、汚いというほどのモンじゃないです。メインはうどんと蕎麦のようですが、おでんは年中やってるみたい。食べなかったけど、宮崎のおでんってどうなんだろう? ちなみに私は蕎麦を食べましたが、予想通り大した味ではなかったです。やっぱり蕎麦は東日本だよな。出雲除いて。

 食事を終えて高速を一路霧島方面へ。宿は霧島神宮のすぐ近くにあるホテル。値段の割に結構ゴージャスで、部屋も無駄に広い〜♪ 温泉には露天風呂もあって、久々に湯船から星空を見ました。コンタクト入れたままで入ったから、オリオン座もくっきり。嗚呼いい湯(*´∇`*) 湯上がりには浴場の前にあったマッサージチェアなんぞを使ってみたり(企業の宣伝らしく無料)。ロビーにはコバタンがいて、「オハヨー」って喋ってました。他にも何か喋るかも。
 明日は朝イチで霧島神宮に詣で、それから鹿児島・薩摩半島の南端まで行く予定です。

 >>国道220号バイパス(宮崎市内)。完全に南国。


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・過去の「今日」。

2004年12月27日(月) in 九州−宇佐・国東・別府編 <画像あり>
2003年12月27日(土) 初雪だぁ!!
2002年12月27日(金) 若作り
2001年12月27日(木) 続・切断。

2005年12月28日(水)
  南九州走拝記(2) <画像あり>

 昨晩ホテルに着いたのは夜だったので、部屋からは暗闇しか見えませんでした。
 朝、朝食前に温泉に入るために6時半に起き、ひとっ風呂浴びて部屋に戻ってカーテンを開けると、目の前に霧島の峰々が!
↑ガラス越しに撮った2枚の写真を合成(6階だったので窓ガラスが開かなかったの)↑

 一番右手の尖った峰が天孫降臨の地・高千穂峰。一番左のお椀を伏せたようなまあるい雪を被った山が韓国岳。その間、左が新燃岳、右が中岳(写真にカーソルを合わせると山の名前が出ます。要JavaScript)。うわぁい、すごくよく見えるぞ!

 朝ご飯を食べ終え、すぐ近くの霧島神宮へ向かいます。まだ8時半。社殿前ではバイトの人だかボランティアの人だか判りませんが、若めの男の人たちが雪かきをしていました。いや、雪かきというよりは凍ってしまった雪を叩き割ってる感じ?
 バス駐車場の横、三の鳥居の手前には霧島神宮展望台があります。目の前には初めて見る桜島。霧島神宮が思いっきり山の中だからもっと遠いかと思ったけど、こうして見ると意外と近そう。鹿児島空港を飛び立った飛行機が青い空を飛び、桜島の右手には薩摩富士こと開聞岳がやや縦長の富士山チックな山容を覗かせています。今日はあそこまで行くのが目標!

 参拝を済ませて次に向かったのが、高千穂河原。此処に霧島神宮の古社地があるんですが、途中の道路標識に「高千穂河原 チェーン着用」・・・。チェーンは、去年の別府−湯布院間で懲りたので先日購入して積んでますが、そんなに雪の中なの?? 現在地には目立った雪がないだけに想像が付きません。果たして大丈夫なのか判んないけど、大丈夫じゃなかったら引き返そうってことで林道(多分)へ。
 最初のうちは雪もなく、快調に道を飛ばします。しかし登って行くにつれ残雪が姿を見せ、目的地の手前では僅かな轍を残して完全凍結! 雪と氷で埋まった駐車場には車を入れず(有料っぽいし)、氷が溶けていた路上に車を止めて、雪かきしているビジターセンターの職員さんと思しき方々を横目に、古社地にある鳥居の写真だけ撮って来ました。古社地はと言えば・・・雪の下でどうなってんだかサパーリ判りません┐('〜`;)┌
 鳥居の右後ろにはすぐそこに高千穂峰(でも山頂の天逆鉾は見えません)。標高もかなり高い(はず)なので、空も青さを増しています。・・・紫外線強そう(笑)。
 帰路、再び凍結した道(下り)をそろそろと抜け、雪や氷がなくなった辺りで、おっちゃんが3人ほど集っていました。おっちゃんたちが囲んでいたのは何と鹿の(多分)死骸! 霧島は国立公園ですから禁猟のハズです。動物はおろか植物や石ころだって持って帰っちゃダメなハズです。つまり鹿はおっちゃんたちが猟師だとしてもおっちゃんたちが殺したんじゃないはずで・・・・・・・てことは車にはねられた? 殆ど車が通らない林道(要冬タイヤ表示)、下ってくる非地元車・・・
もしや私たち疑われてた??
 いくら何でも鹿をはねたら気が付きますよ。車に傷も付きますよ。はねてませんから。絶対にはねてませんから!!


 そんなこんなで林道を抜けて山を下り、御池(ここからの高千穂峰は絶景!)とすぐ横の霧島東神社に寄り道して、東九州道で国分へ。ちなみに霧島町や国分市、隼人町なんかはぜーんぶ合併して「霧島市」になってます。国分市も、てのは結構驚いた!

 次なる目的地は、旧隼人町の大隅国一宮・鹿児島神宮。途中、大隅国総社とされる祓戸神社を通りかかったので参拝し、それから目的の鹿児島神宮へ。
 鹿児島神宮の祭神は青島神社と同じ「山幸彦」こと彦穂穂出見尊(表記は違いますね)。でも相殿に仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・同皇后を祀っていて、全国正八幡の本宮ともされています。
 参道の奥に鳥居があり、鳥居をくぐると階段です。その参道と階段で近所の高校の野球部員と思しき集団がトレーニングしてました。この階段を駆け上るとは頭が下がります。
 階段を登って、正面に横向きの状態で社殿があります。左手、即ち南側が正面。そちらに回ると「八幡宮」という扁額がかかった社殿の前に「御参拝はこの上です」という立て看板が立っていました。「?」と思ったまま階段を登ると、奥に拝殿が。拝殿の天上の格子には花の絵が描かれていて、八幡宮の社殿があって日が当たらないけどゴージャスな雰囲気。

御池と高千穂峰鹿児島神宮 拝殿

 さてここでお昼。思ったより順調にここまで来てしまいました。此処から一気に指宿スカイラインを通って薩摩半島の南端・開聞町の薩摩国一宮・枚聞神社に行ってから鹿児島市内に戻ってくる予定なんですが、いくら何でも時間が余りそうです。よし、ならば明日行く予定にしていたもうひとつの薩摩国一宮・新田神社にも今日中に行ってしまおう!
 てことでガストでお昼を食べてから指宿スカイラインに乗ります。しかし、有料だけど高速ではない(60km/h制限)この道、山の中なので道がうねっていて飛ばすことも出来ないし景色も単調。食後なことも相俟って猛烈な眠気に襲われ爆睡(すまん夫)。目が醒めると薩摩富士こと開聞岳が目の前に迫っていました。
 その開聞岳を背負って建つ枚聞神社。私とほぼ同時に境内に入った白いコートの女の子がいたんですが、その子は私が写真を撮り参拝を済ませ、御朱印を頂いて(かなり時間かかった)境内をあとにしても尚、熱心に何かを祈り続けていました。ちなみにこの間、夫は駐車場の車中で爆睡(笑)。そうそう、境内をあとにする時、新車の軽トラが車祓を受けてました。あんなに真っ白な軽トラ、初めて見たわ。

 時間は14時半。予想通りまだ時間があります。指宿スカイラインに懲りた我々は新田神社に向け下道をGO! 途中、枕崎の手前で通りがかった海岸沿いの展望スペースから見た海越しの開聞岳は見事でした。海上に見えた島影は屋久島とか種子島とかかなぁ。

 新田神社には2時間弱で到着。新田神社は神亀山という亀形(らしい)の小高い山の上にあります。勿論、麓から階段の参道が山上まで続いているんですが、駐車場は山腹。
 私、なにげに昨日の鵜戸神宮で筋肉痛です。長い階段を登る気にはとてもなりません。なので山腹の駐車場まで車で行き、残りを階段で。
 ここの祭神は霧島神宮と同じく天孫・瓊瓊杵尊。その瓊瓊杵尊の御陵とされる可愛山陵が社殿の裏側にあります。


 今宵の宿は鹿児島市街(こっちも温泉付き)。ホテルのランクは霧島のが上だけど、温泉は個人的にはこっちのが気持ち良かったなぁ。夕飯は天文館のモスバーガーで食べました(笑)。


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・過去の「今日」。

2004年12月28日(火) in 九州−大分・阿蘇・高千穂編 <画像あり>
2003年12月28日(日) 義務
2001年12月28日(金) 大掃除なんて

2005年12月29日(木)
  南九州走拝記(3) <画像あり>

 今日は朝食をパスし(普段食べないから、昨日食べたら調子悪くなった)、夫が食べてる間に私は温泉に朝風呂へ。窓の外、左手に桜島が見えました。湯船に浸かりながらだと見えないのが残念。

 今日のメインはその桜島。鹿児島港からカーフェリーで車ごと上陸します。ホテルをチェックアウトして鹿児島市内の照國神社に詣でてから、フェリーターミナルへ向かいました。桜島フェリーは何と24時間運行だそうで。所要時間は僅か15分、運賃は人は150円、自転車は100円、自動車は3m未満で820円。早いです。格安です。流石通勤通学の足。島民の生活には欠かせないんでしょうね。9時発鹿児島港発のフェリー、即ち桜島港を8時40分に出港したフェリーの折り返しに乗ったんですが、鹿児島港到着時には凄い数の車が下りてきました。
 目の前に浮かぶ桜島。島なんだから海の向こうに見えるのは当然なんですが、その左手に霧島の山々も浮かんで見えます。特に高千穂峰と韓国岳ははっきりと。これなら天孫降臨もあったかもなぁ、と感じました。

 海を行くこと15分、桜島港に到着した私たちは、まず港のすぐ傍にある「道の駅 桜島」へ。桜島に来たからには是非ともお目に掛かりたい物、それは「桜島大根」! ありました、ありましたよ桜島大根! 巨大な蕪にしか見えないその大根、お値段なんと2,000円!! 物も値段もビッグすぎ!! 食べては見たいけど、2,000円じゃ買えませんよアナタ。

フェリー上から霧島連峰後ろのみかんは普通のサイズ
左はフェリー上から見た霧島連峰、右は桜島大根(後ろのみかんは普通サイズ)。

 そのまま国道224号を直進し、次にやって来たのは有村溶岩展望所。1946(昭和21)年の大爆発で流出した溶岩原の小高い丘に位置し、「溶岩展望所」の名前通り、周囲は一面溶岩です。桜島(の火山)もよく見えます。所々に「退避所」が設けられているあたり、活火山のすぐ傍なんだなぁという感じ。
 ところが、見上げた桜島はとても静かで、噴煙ひとつ上げていません。な、何で? 桜島っていつでもモクモクしてるんじゃなかったの?? テレビで見る桜島はいつも噴煙上げてる気がするのにぃ!
 ・・・なぁんて憤っていたら、目の前の桜島が申し訳程度に噴煙を吐きました。うう、あの100倍くらいの煙が見たかった・・・。

 さてさて、此処は桜島。国道も大した交通量はありません。というワケで免許取得後僅か2週間、バリバリ初心者の私がハンドルを握ることに! 初心者マークを車の前後に貼り付け、いざ出発! おっかなびっくり国道を走っていたら、うっかり桜島を出てしまいました(夫も気付かなかった)。そのまま「道の駅 たるみず」まで頑張ってドライブ。ここから見る桜島も綺麗です。噴煙は相変わらず米粒程度だけど(涙)。霧島連峰も見えました。

有村溶岩展望所より僅かだけれど確かに噴煙「道の駅 たるみず」駐車場より
左は有村溶岩展望所から、右は道の駅たるみずから見た桜島。真ん中は辛うじて噴煙。

 垂水方面ではなく桜島にそのまま留まるためには、えらく細い側道(何やら工事中?)を入らなければならなかったモヨウ。道の駅で夫と運転を代わり、再び桜島へ戻ります。目指すは「黒神の埋没鳥居」。1914(大正3)年の大噴火で埋まった鳥居がそのまんま地面から笠木だけを覗かせてるんだって。
 黒神集落に入ってすぐ、埋没鳥居はありました。現在も埋没鳥居の奥に鎮座する原五社神社の鳥居。その鳥居の前には説明書き(英語併記)の看板が。
 「大正大噴火の前兆は、すでに3日前から始まっていました。島内いたるところで井戸が沸騰し、海岸には大量の死魚が浮き、地震が断続的に起きていたのです。」「間断なく轟く爆発音と火山雷、降り注ぐ噴石の雨、更に翌13日には溶岩の流出が始まり、30億トンの火の波が瀬戸海峡を横断、桜島と大隅半島を陸続きにしてしまったのです。ここ黒神でも全戸687戸火山灰に埋没しました。」「高さ3mの原五社神社の鳥居は、笠木だけ残して辛うじて見えていましたが、時の村長 野添八百蔵は、爆発の猛威を後世に伝えるため発掘の中止を指示。そのままの形をとどめることになりました。」
 ・・・やっぱり自然というのは恐ろしい時はとことん恐ろしいですね。しかし井戸が沸騰とは。そりゃー普通じゃないですよ、マグマ上がってますよ。

 埋没鳥居そして桜島をあとにし、山を越えて向かうのは宮崎・都城市。昨日頑張って新田神社にも詣でてしまったので、今日は宮崎にUターン。時間の許す限り、宮崎で見残した所を回ります。
 まず目指したのは都城総鎮守・神柱宮。もう元旦まで3日。ここも氏子の方々が新年を迎えるための準備に追われていました。真っ青な空の下、参拝。南九州は空が青いなぁ。


左、黒神の埋没鳥居。右、神柱宮。コントラスト強くて申し訳ない。

 さて、時間はお昼前。このあとは一昨日行けなかった宮崎市の宮崎神宮へ向かう予定ですが、その前に都城市街のファミレスでお昼を食べました。このファミレス、南九州(?)ローカルみたいなんですが、何と席に着くと何も頼んでいないのに水と一緒にスープが出て来ました。すげーサービス! 近所にあったら重宝するよ!
 此処からのんびり下道で宮崎まで行っても1時間かからない程度。でも高速もあります。では折角ですから松本佳月、高速デビューと行きましょうか。
 前に書いてますが、私の通った教習所は高速から遠いので高速教習はシミュレーターです。実車での最高速度はせいぜい70km/h程度。宮崎道の都城−宮崎間は80km/h制限ですがそれでもまだ未経験の領域。でもまあとにかく、お昼を食べたファミレスから国道10号を北上して、いざ宮崎道へ! 目指すは宮崎IC手前、料金所の先にある清武PA!
 初めての高速は思ったより何てことなかったです。つーかシミュレーターの方がよっぽど恐かった(マジ)。でもさっき桜島で運転しないでいきなり高速乗ったら、もっと恐かっただろうなぁ。一番難関なのかもしれない料金所は、ETCのためノンストップ。でもあの狭い所に車で入るのはちょっとドキドキしました。時速45km/hならセーフということは夫が実験済みなんですが、それはかなり心臓に悪い感じなので安全に20km/hまで減速して通過しときました。

 清武PAで夫と運転を交替し、宮崎神宮へ。県総合博物館や県民文化ホールも抱えた広い森の真ん中に鎮座していて、市街地とは思えぬ静けさ。森の中にあるところ、神明造の社殿や拝殿の配置なんかは、規模は違えど明治神宮を髣髴とします。ここの祭神は神武天皇、明治神宮は明治天皇だけど、ま、似たよーなモノと言えば似たよーなモノかも?(ぉぃ

 続いて西都市の都萬神社へ。初日に行った日向国一宮・都農神社と何だか似た名前ですが、こちらは日向国二宮で総社。都農神社は大己貴命、都萬神社は木花開耶姫が祭神。
 社務所で御朱印を頂いている時に御守や御札を見ていたら、馬が描かれた交通安全ステッカーを発見! 折角なので購入。あんまり車に色々貼りたくはないので、ダッシュボードにでも入れておこう。
 裏手の駐車場に向かうため本殿の脇を通ると、奉納された酒樽がたくさん積んであったんですが、「逢初」って焼酎・・・南九州は御神酒も焼酎なんだろーか。でも都萬神社って日本書紀によって「我国で初めて米を以て造られたお酒の発祥地」と証明されているらしいんだけど・・・逢初、思いっきり芋焼酎ですがいいですか?

宮崎神宮拝殿都萬神社本殿。酒樽山積み。
左は宮崎神宮拝殿、右は都萬神社本殿(側面に酒樽が積まれてます)。

 さてさて。都萬神社の鎮座する西都市。西都と言えば(個人的には)西都原古墳群です。その西都原まで神社からすぐ。都萬神社もその社格に相応しく延喜式にも記された古社。遥か昔、この辺りが栄えていた証ですね。
 辿り着いた西都原古墳群は何処かで見た風景。そうそう、三次の風土記の丘も出雲の風土記の丘もこんな感じでした。此処は風土記の丘第1号なんだそうで。何処の風土記の丘も似たよーな感じなのね。そりゃまあ、古墳がドカドカ建ってるだけと言えば建ってるだけだから、当然だよな。
 この古墳群は全部で311基の古墳から成り立つそうですが、大部分が未発掘で謎が多いんだそう。個人的には「御陵」=天皇家の祖先の墓とされる古墳が含まれてるとこが興味深いですね。陵墓参考地である男狭穂塚と女狭穂塚は、それぞれニニギノミコトと妻・コノハナサクヤヒメの墓とされています。コノハナサクヤヒメ、そう、都萬神社の祭神ですね(ちなみに富士山の浅間社もそう)。でも時代が大きく合わないとか。何だかなー。
 残念だったのは、今日が12月29日だということ。6世紀後半に築造されたとされる鬼の窟古墳(首長の墓らしい)などいくつかの内部等が見学出来る古墳や、博物館、資料館、古代生活体験館。全て公立ですから昨日が仕事納めです。即ち、既に年末年始の休暇でぜーんぶ閉まってます。むうう、呉の大和ミュージアムは年末年始も無休で稼ぐというのに。

鬼の窟古墳遠景女狭穂塚正面。男狭穂塚はこの後ろ。
左、鬼の窟古墳。右、女狭穂塚。真ん中は管理事務所みたいな建物の脇にいた埴輪。

 さてもう夕方。買い物とかしつつのんびり帰るとしましょう。何故のんびりかって、ETC深夜割を使いたいから。0時過ぎに廿日市ICを出れればOK〜。

 これで九州各県で未踏なのは長崎のみ(佐賀もちょっと掠めただけですが)。でも阿蘇はまた行きたいなぁ。夏に。高千穂峰も、夏なら登ってみたいかも。天逆鉾が見たい。


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・過去の「今日」。

2004年12月29日(水) in 九州−湯布院・久留米・太宰府編 <画像あり>

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