無責任賛歌
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正直な話、しげとはもう10年以上も一緒にのたくっているわけだから(しげにとってはついに人生の半分以上、私と一緒にいるのである)、あいつの奇矯な行動にも随分慣れたつもりであった。いきなり踊り出したり(喜びの踊りらしい)、夜中に奇声を上げたり(寝惚けているのだ)、台所で「ひい」と悲鳴を上げたり(たいてい、皿を割ったり、包丁で指を切ったりしている)していても、「よくあること」で驚かないでいた。 今日も、しげが「ちっち、ちっち」(しげ語でオシッコのことである)とぴょんぴょん跳びながらトイレに向かっても、今更「テメエの年考えろ」とか文句つけることもせず(とうの昔に諦めた)、ほっといたのである。 ところが突然、トイレからドスの効いた声が響いた。 「なんじゃこりゃあ!」 若い人には解説が必要だろうが、往年の刑事ドラマ『太陽にほえろ!』中、松田優作扮するジーパン刑事が殉職するシーンで、腹から吹き出た血を見ながら叫んだセリフである。一時期、全国の高校、大学の学園祭、宴会等でこの松田優作のマネがはやって、やがて廃れた。でも未だになにか驚いたときにこのセリフを吐くイタイ人間は存在する。 けれどそれを自分の女房が、しかもトイレで、隣近所にも聞こえるんじゃないかって声で叫んでるのを聞いた時のショックをご想像頂きたい。あなたの彼氏彼女がそんなことしたらどう思うか。……いや、ホントに何が起きたかと思いました。 しげがワハワハと笑いながらトイレから出て来たので、「なんだいったい!」と聞いたら、しげ、ケロリとしてこう言った。 「いやー、びっくりした。もう出る出る」 「……おしっこが?」 「うんにゃ」 「う○こ?」 「うんにゃ」 「……じゃあ、何が出たの!」 「×」 ……ンなことを大声で近所中に言うなあああ! 「だってすごいんだよ! 見て見て♪」 ……ンなモン見せようとするなあああああ!(T∇T) 伏字にしても何のことかは“オトナ”ならご推察頂けましょう。イヤね、驚いたってのはまだ理解できますけどね、悲鳴を上げたってんなら納得もしますがね、そこでなんで松田優作のマネをするですか。ワタシ、しげの考えてること、分らないアルよ(混乱しているのでエセ中国人化しています)。 ちなみにこの文章、ちゃんとしげの許可取って書いてます。あなたも、もしもしげのそばにいたら、いつ何時、あんなものやこんなものをいきなり見せられることになるかもしれません。しげと付き合うにはご覚悟を(~_~;)。
昨日放送されてた『ルパン三世 盗まれたルパン〜コピーキャットは真夏の蝶〜』、途中まで見てたんだけど、作画レベルがまたちょっとダウンした印象で興醒めしてしまった。テレビスペシャルなんだし、1年1本のイベントなんだから、もう少し、構図とか間とかに凝ってほしいと思うんだけど。でも、新創刊された『ルパン三世オフィシャルマガジン』によれば、今回のルパン、原作者のモンキー・パンチは気に入ってるそうだ。うーん(~_~;)。
最近の日記、話題もあっちこっちに飛んでゴチャゴチャとしてたのだが、それで書き忘れていたこともいくつか。
俳優の下条正巳さんの死去もそうで、25日にすい臓ガンのために亡くなられていたのだった。享年88。「『男はつらいよ』の『おいちゃん」死す」と、どの新聞にも掲載されていたが(「下条正巳」の名前より大きかった)、これがもう、二つの点で違和感ありまくりである。 一つは、一作目から同シリーズを見ている人にとっては、森川信以外に「おいちゃん」はありえないという点だ。トラブルメーカーの寅さんを怒鳴りながらも、亡兄の忘れ形見を半端者にしてしまったという負い目を感じさせる演技は、森川信にしか出せない。その意味では二代目おいちゃんの松村達雄とともに、ワリを食った人ではあった。 これだけでは下条さんが大根であったように聞こえてしまうが、そうではなくて、下条さんには確かに「おいちゃん」のような好々爺然とした役も多かったが、役者としての本領は、別のところにあったのではないかと思うからである。これが第二点の違和感。何度かヤクザ役も演じているのだが、そのときの眼光の鋭さ、陰険な笑いなどは、どちらかと言えばこういう役のほうが似合ってるんじゃないかと思わせるものがあった。少なくとも、「おいちゃん」役だけで片付けてよい人ではない(『円盤戦争バンキッド』にも出ていたらしいが、昔、見てたのは確実なのだけれど、「つまんなかった」という感想だけで、あとは全然記憶にない。奥田瑛二が主役だったってのも、かなりあとになって知ったくらいだからなあ)。 『男はつらいよ』シリーズの呪縛は、未だに出演者を解き放ってくれてはいない。倍賞千恵子も前田吟も、三崎千恵子も吉岡秀隆も、もしかすると佐藤蛾次郎や関敬六、朝丘ルリ子まで『男はつらいよ』がらみでしか語られない場合もある。もしも朝丘ルリ子が亡くなったら、「リリー死す」とでも見出しに出すつもりか。 「そういう見方でしか映画を見られないのか」と悲嘆するか、「いや、そういう見方であろうと映画を見てくれる」と好意的に解釈するかは人それぞれだろうが、少なくとも前者が少なければ、DVDボックス『渥美清メモリアル 渥美清・もう一つの世界』なんて企画は通らないのである。「俳優・下条正巳死死去」と素直に書けないマスコミの非常識を声高に叫ぶ人がもっといてもいいと思うのだが。
映画関係のニュースでは『くりぃむレモン』実写化……というのにのけぞる。監督は『リアリズムの宿』の山下敦弘監督。選ばれたのは当然のごとく『亜美』シリーズみたいだ。いくらアニメの実写化がはやりと言ってもそんなもんにまで目を付けるというのは、なんなんだ、と思ったけど、考えてみりゃ、あれが「妹」ブームの元祖なのかも(^_^;)。別に18禁というわけでもなく、一般公開するみたいだし、本当に17歳の女の子使うみたいだから、意外に普通の映画になるのかもしれないけれど、その主演の村石千春って娘、亜美にしてはチトぼーっとした顔しすぎてないかな? いやまあ、「そんなアダルトアニメなんて知らん」と仰る方にはそんなこと聞かれても答えようがありますまいが。一応、参考までに映画の紹介欄を以下に。↓ http://www.fjmovie.com/main/movie/2004/creamlemon.html
“普通の”(^o^)テレビアニメ関係でも、秋以降の新番組のホームページなどが続々と開設されているが、『焼きたて!! ジャぱん』とか『リングにかけろ』とかのテレビアニメ化にも驚いた。面白くなるのかどうか、トンガッたものになるか、無難なところで治まるか、どうにも未知数で、判断に困ってしまうのである。 サンデー系なら『ジャぱん』よりも『かってに改蔵』の方をアニメ化してほしかったくらいなのだが(連載終わったけどね)、料理ものアニメは『ミスター味っ子』以来、間隔置いて作られて来てるし、小学館漫画賞は取ったしで、企画が通りやすかったんだろう。それは一応、分かりはする。分かりはするんだけれども、本当に制作会社のサンライズが面白いと思って作ろうとしてるんだろうか、そこがちょっと疑問ではあるのだ。いくら定期的に仕事を取らないと製作プロダクションは経営していけないものだ、とは言うものの、会社が乗り気じゃないと、ロクでもないものしかできないことは目に見えている。原作は料理ものをマンガとして見せるためにかなり「ムリ」をしているので、そのまま引き写しただけじゃ、ただのヘンなアニメにしかならないし、まして声優演技だけに頼って枚数ケチったりすればショボショボになることは明白だろう。これはテレQでも放映するので、一応、その辺を確かめることはできるんだけど、ちょっとばかし不安。 『リングにかけろ』は……まあいいか。今アニメ化してもファンになる腐女子はいるのだろうなあ。SFファンはどうする?(^o^)
今日こそ『ケロロ軍曹』を見てやろうと、テレビの前に陣取ったが、時間を間違えていた。朝10時からなのに、10時半からと勘違いしていたのである。おかげで未だに「アフロ軍曹」を見られていないのである。来週こそは。 昼から福岡市民会館で、舞台『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』を見る。感想はコンテンツに『そのうち』上げようと思うけれども、いや、スタンディングオベーションのすごいこと。同じ山田和哉演出でも、前回の『GOOD』とは大違いである。レイ・クーニー喜劇の日本化は『君となら』で三谷幸喜が行っており、それが山田氏が最初に演出した舞台だから、「慣れている」と言えば言えるのだろう。 けれど相変わらず喜劇にうるさいしげは、会場大爆笑のこの芝居にも「つまらなくはないけど、好きにはなれないし、面白いとも言えない」と辛辣。翻訳劇の「ムリ」なところにやたら引っかかってるみたいだけれど、それはないものねだりってものなんだけどなア。
深夜、WOWOWで『モンキー・パンチ 漫画活動大写真』第1話。あまりおもしろくない短編がいっぱいと、15分アニメ『幕末ヤンキー』に30分アニメ『スパイ貴族』。 これもアニメーションとして面白いのはオープニングとエンディングだけなんだけど、どの作品も原作読んだことないのばかりだったので、話自体は楽しめた。絵柄としては、これまでのどのモンキーアニメよりも原作の絵柄に近い。『ルパン』もこの絵柄でやってくれるのなら短編だけじゃなくて、ちゃんとした30分ものが見てみたいなあ(不二子の髪形は残念ながらショート・カットバージョンだけど)。
2003年07月31日(木) 女の子がいっぱい/『恋愛自由市場主義宣言! 確実に「ラブ」と「セックス」を手に入れる鉄則」(岡田斗司夫) 2002年07月31日(水) しげ、肉離れ?/『けろけろ 緑の誓い』(矢島さら)/『風雲児たち 幕末編』1巻(みなもと太郎)ほか 2001年07月31日(火) 山田風太郎死す/『新・トンデモ超常現象56の真相』(皆神龍太郎・志水一夫・加門正一)ほか
| 2004年07月30日(金) |
遺産相続って言うのか、こういうのも。 |
仕事中に突然、父から携帯に電話が入る。昼日中、連絡を入れてくることは滅多にないのだが、いったいどうしたのかと思ったら、死んだ母の荷物を整理していたら、預金通帳が出てきたというのである。……って、お袋死んだの、平成7年だぞ。今まで荷物の整理ほったらかしてたのか(-_-;)。 金額はたいしたことなかったらしいのだが、これも「相続」の手続きをしなきゃならないということなのである。「要らないよ、お父さん、貰っときなよ」と言うが、「そういうわけにはいかんったい」と言って父も譲らない。 「めんどうくさいよ」 「おれもめんどうくさいばってん、お前に内緒で処分するわけにもいかんめえもん」 してくれていいのに、と言ったところで聞き入れられそうにないので、仕方なく承知する。ただし、役所で手続きすると言っても、私は昼間抜けるわけにはいかないので、しげに代わりに行ってもらうことにする。 しげにそのことを伝えたところ、月曜日に父としげとで役所に行く段取りを付けたようだ。「父ちゃんとデートやん、どうしよう。何話せばいいかな」としげは焦っているが、こんな味気のないデートもなかろうと思うのだが。 ……それはそれとして、しげよ、親父からの携帯の着メロ、よりによってどうして『キューティーハニー』にしたのだ(~_~;)。
歯医者通い三日目。 きょうの担当はまた女医さん。治療自体は5分ほどで終わったのだが、いったいいつまでかかるのか分からないのは同じ。けれど「どれくらいかかるでしょうか」ともなかなか聞きにくい雰囲気なのである。それと、マスクをしてモノを喋るのは、もちろんそうしてくれないと困ることではあるのだが、どうも市販のものよりかなり分厚いらしく、何を喋ってるのかよく分からない(~_~;)。「うがいをしてください」ってのも、よく聞こえなくて「うえあいおいえうああい」なんて聞こえるのである。、多分そう言ってるんだろうと類推してうがいをするけれども、これも「今、なんて言ったんですか」とは聞きにくいのである。
病院を出て、昨日と同じく、しげと食事でもしようと電話を入れたのだが、クスリが効いていて、呂律が回っていない。 「迎えには来れるか?」 「……むひ」 そりゃ、軟膏だ(-_-;)。本人は「ムリ」と言ったつもりなんだろうが、そう聞こえたことに気づいているやらいないやら。少し時間を置いたほうがよさそうなので、一旦帰宅することにする。 博多駅で買い物などをしていると、結構時間を食って、帰宅したのは七時すぎ。しげはちょうど起きたばかりだった。どこに食事に行きたいかを聞いたのだが、またまた愚問であった。 夕食は「焼肉屋さかい」で焼き肉。しげにはロース、ハラミなど。焼き野菜の盛り合わせを頼んだら、珍しくもイモが付いてくる。しかも角切りで、やや大きめ。以前はなかったメニューだが、焼き芋ってオヤツの感覚だから、あまり野菜を食べてるという気がしない。それに石焼き芋と違って蒸さないから、表面がコゲても中まで火が通りきれないのである。ナナメ切りにしてくれてたらよかったのだが、それだとイモがすぐに崩れてしまいそうだ。企画としては面白いが。ちょっとハズレじゃないかな。
しげは今日、定例の通院日だった。 毎回、どんなことをカウンセリングの先生と話してるのか、報告を聞くのだが、今日は先日見た「ブルース・ブラザース・ショー」について熱く語ったそうである(^_^;)。まあやっぱり「魂が篭ってない!」旨、トウトウと語ったそうなのだが、カウンセリングの先生、どんな気持ちで聞いてたんだろうか。
今日も元気に泳ぎ回っているウチのカメ二匹だが、買ってきた時よりもやや大きくなってきたようだ。と言うか、片方がもう片方よりちょっとばかしデカくなってしまったので、ああ、ちゃんと育ってるんだなあと判るようになったのである。小さいほうは臆病で、水槽の中に置いた島の中に隠れて出て来ないことも多いので、エサを食いっぱぐれることが多い。できるだけコイツが泳いでるときにエサを撒くようにしてるんだけど、撒いた途端に逃げだしちゃうから、その隙にもう一匹が寄ってきてあらかた食べ尽くしてしまうのである。何とか対策を講じないといけないのだが。 でもおかげで2匹の個体の区別がつくようになった(~_~;)。大きい方が「亀吉」で、小さい方が「亀太郎」である。名字の方は未だに掲示板で募集中なのだが、いいのが多くて迷っているのである。まあ、来週くらいまでには決めようと思っているので、考案中の方はお早めに(^o^)。
水がかなり汚れてきていて、ポンプで入れ換える程度では濁りが取れなくなってきている。やはり下の砂からケースから、全部大洗いしなければいけないようなので、亀吉亀太郎を一時期洗面器に非難させて、風呂場にケースを持ちこんでジャブジャブ洗う。亀の生臭い匂いが風呂場に充満して、しげは「クセ〜!」と鼻をつまむが、生き物が臭くなるのは当たり前である。こういうのをイヤがってちゃ、生き物を飼う資格はないだろう。……なんかこの「資格」とか「覚悟」ってコトバ出すと、すぐ「固いヤツ」とか言われちゃうんだけど、そんなん何もなくて簡単に生き物を捨てたり死なせたりするような糞野郎よりゃマシってもんであろう。 水中モーターも中からキレイに洗って、消臭剤も入れたから、水は一気に透明になり、匂いも薄くなった。亀吉亀太郎もスイスイ泳ぎ出した。……長生きしてくれるといいなあ、こいつら。
迷惑メールチェックに引っかからないメールでも、こりゃちょっと怪しいぞ、というものが少なくないのだが、今日来たメールはこんな内容。
題名: メールもらったので返信します watanabe haruka 私のパソコンに件名も本文も書いていないメールが来たので とりあえず返信してみました。 私は女性で渡辺と申します。間違いだったらごめんなさい
あまりクドクドと書いていない普通の文章なので、一瞬、本当に間違いメールなのか、返信してあげた方がいいのかな、と思ってしまったのだが、よく考えてみれば、空メールに「とりあえず返信」する人間なんているわきゃない。しかも「女性で渡辺」なんて、言う必要もないことだし。 念のため、ネットで「とりあえず返信してみました」でGoogle検索してみたら、みごとに数十件、ヒットした。もしかして、この手の詐欺にうっかり引っかかっちゃう人もいたらいけないので、私も本文掲載しときます。同姓同名の「ワタナベ・ハルカ」さんには悪いけれど、これは名前隠しちゃいけないと思うから。
第61回ベネチア国際映画祭のコンペ部門に、宮崎駿監督の『ハウルの動く城』が出品されることが決定。 ベルリン映画祭、アカデミー賞に引き続き、これも受賞が期待されるわけだけれども、ベネチアはある意味カンヌよりも「新しい才能」を発掘することに熱心な映画祭だから、既に功成り名を遂げている宮崎作品にはちょっと不利かもしれないと思う。
読んだ本、マンガ、田中芳樹 ・垣之内成美『薬師寺涼子の怪奇事件簿 摩天楼』1巻。 芦辺 拓・ 宗 美智子『森江春策の事件簿―赤死病の館の殺人』。
2003年07月30日(水) マヌケな人々/『二葉亭四迷の明治四十一年』(関川夏央)/映画『山の音』/『住めば都のコスモス荘』1・2巻(阿智太郎・矢上裕) 2002年07月30日(火) ウチにキンチョールはない。/『ゴーストハンター ラプラスの魔』(安田均・山本弘)ほか 2001年07月30日(月) 八女って全国的にどの程度有名なんだ?/『ロマンアルバム・太陽の王子ホルスの大冒険』ほか
| 2004年07月29日(木) |
やっぱり「じゃないですか」はいやじゃないですか。 |
歯医者通い二日目。薬を詰めてフタをかぶせて一日経ったら取り、一日経ったら取り、の繰り返しだが、いったい治療に何日かかることやら。 昨日担当してくれたのは女医さんだったが、今日は若い男の先生。どうやらご夫婦で経営されているらしい。一応、カルテに眼を通してはいるのだろうが、椅子に座るなり、挨拶もなしに「はい、口を空けて」といきなり治療を始めたのには驚いた。愛想がないのは仕事に徹しているせいなのかもしれないけれど、「こんにちは、調子はいかがですか?」くらいは言ってほしいものである。 折れた歯の根元あたりをドリルか何かでチュインチュインと削られるが、痛みは全くない。薬はよく効いているようである。 治療が終わっても、先生はやっぱり挨拶なしで引っ込まれたので、どうしていいかわからず椅子に座っていると、看護師さんから、「終わりですよ」と言われた。次にいつ来ればいいのか、何の示唆もないので、「あのう、明日また来ればいいんでしょうか」と聞くと、いかにも当たり前、という口調で「そうですよ?」と返事されてしまった。いや、当たり前と言えば当たり前なんだろうけれど、それでも一応「明日また来てください」とか何とかいうのが普通なんじゃないだろうか。ちょっと通うのが不安になってくるのである。
病院が終わってしげに連絡を取るが、どうやら寝ているらしく、返事がない。 仕方なく帰りのバスに乗りかけたところで、電話がかかってきた。「今起きた〜」とふにゃふにゃな声。こうも予想通りたと、意外性がなくて面白味がない。 博多駅で待ち合わせて、夕食はレストランでハンバーグとか。いや、麻酔がちょっと効いてるのかもしれないが、何食ったかよく覚えてないのである(^_^;)。
文化庁の「国語に関する世論調査」の結果が本日発表。「檄(げき)を飛ばす」「姑息(こそく)な」「憮然(ぶぜん)とした」などの言葉について、約7割の人が本来と異なる意味で理解していることが判明。 こういう調査は、たいてい「誤用の多い語」を選んで調査しているので、結果が悪く出るのは当然なのである。だからこの結果のみをもってして、「近ごろの若い者は言葉を知らん」と嘆くのは即断に過ぎるのである。 第一この手の誤用は、若者だけじゃなくて、トシヨリにだっていくらでもいるんだから(^o^)。言葉の意味は時代の変遷に従って様々に変化するのは必然である。辞書引いたって、「【意味】〜、または〜」とか、「【意味】〜、転じて〜」とか、長い歴史の中で意味が一定ではなかったことを示しているものはたくさんあり、誤用の方が世間に浸透してしまって、本来の意味が失われてしまった場合だって、枚挙に暇がない。 シティボーイズのスケッチで、大竹まことが「『カンペキ』の『ペキ』って、『壁(カベ)』だよな?」と言うと、みんないっせいに「そうそうそう」と頷き、いとうせいこうだけが「カベじゃないですよ、下が『土』じゃなくて『玉』ですよ(璧)」と主張するのに、相手をしてもらえない、というギャグがあったが、気がついたら、正しいことを言ってるのは「あなただけかもしれません」という事態に陥っていることは容易に想像できるのである。 だから、正答も誤答もいっしょくた、というのでは意志の疎通ができなくて困る、なんとかして「正しい」日本語を浸透させないと、という主張をされる方の「焦り」も分からないではないのだが、だとしたらこんな大雑把な分析ではなくて、一つ一つの語について、この変化はなぜ起こったのか、それは本当に「ゆゆしき」事態なのか、許容されるべき変化なのか、詳細に検討を加えないことには、なかなか判断もつくまいと思うのである。
調査は、全国の十六歳以上の男女三千人を対象に、個別面接形式で行われている。 六つの慣用句について、それぞれ、本来の意味、それと違う意味を含む五つの選択肢から選んでもらう形だが、その選択肢の内訳は、「正答」、「誤答」が一つずつ、残りは「両方」「この二つ以外」「分からない」となっている。
《慣用句等の理解度》 (○は本来の意味、△は違う意味。数字は%) 「檄を飛ばす」 ○自分の主張を広く知らせる 15 △元気のない人に刺激を与える74 「姑息」 ○一時しのぎ 13 △ひきょうな 70 「憮然」 ○失望してぼんやりしている 16 △腹を立てている様子 69 「雨模様」 ○雨が降りそうな様子 38 △小雨が降ったりやんだり 45 「さわり」 ○話などの要点 31 △話などの最初の部分 59 「住めば都」 ○住み慣れれば住み良く思う 96 △住むのだったら都会が良い 2
この調査をする前に、まず、これらの言葉を「知っているか」「使ったことがあるか」その「浸透度」自体を調査しないとデータとして不充分だと思う(どういうわけだか文化庁は、これらの言葉については浸透度を調べず、他の慣用句、「取り付く島がない」「押しも押されもせぬ」「的を射る」についてだけ、浸透度を調べている。これらの三つの慣用句については、「使わない」という回答が若者の10%を越えているが、これを多いと見るか少ないと見るかは微妙なところだ。どっちにしろ、これらの言葉も「誤用」が多いことでは有名である。「取り付く島がない」は42%が「取り付く暇がない」、「押しも押されもせぬ」は51%が「押しも押されぬ」、「的を射る」を「的を得る」と誤用していた人は54%に上る。これは意味の誤用ではなくて、言葉遣いの間違いだから、会話中、意味が伝わらないわけではない)。 いったい日常生活でどの程度これらの言葉が認識されているか、客観的に判断することは難しいのだが、なんとか類推することができなくもない。少なくとも正答率の高い、「住めば都」などは日常会話の中でも結構頻繁に使うことがあるのだろう。転勤や引っ越しの経験のない人の方が少なかろうし、これなどは「生活密着型」の慣用句と言える。 あとは軒並み誤答率の方が高いが、正直な話、どれも「聞いたことも使ったこともない」人が結構な数でいるのではないか。そういう人があえて選択肢の中から答えを選べば、例えば「檄」と「激」を取り違えて、「刺激を与える」と誤答してしまう可能性は高い。素直に「分からない」と答えた人もいるかもしれないが、なんとなく聞いたことがある、程度なら、人はこれが正答だ、というものを語感のみで答えてしまうものである。だいたい、こういう言葉を「使ったことがない」人にとっては、その言葉の意味が何か、なんて「どーだっていいじゃん」の世界なのである。なんでもかんでも「どーだっていい」で済ましてたら、その人本人が「どーだっていい」存在であることを公言してるのも同然だと思うのだが。 そういうコトバとアタマの不自由な人は別として、思い込みで誤った使い方をしている人はどうしてなのか、ということなのである。言葉は当然、「誰かが使っているのを聞いて」、覚えていくものだから、「そのように勘違いしてもおかしくない状況」が、本来の使用法の中にも存在していた場合だってありえるのではないか。 そう考えると、「檄を飛ばす」の誤用も、あながち完全に間違いとは言えないことが見えてくる。「檄文」を飛ばさなきゃならないということは、それだけ世間の人々が沈滞していて、自己主張できないでいる状況が往々にしてあるということでもある。だから、「檄文」に「元気のない人に刺激を与える」効果があることは充分考えられることなのだ。「檄」と「激」の類似による勘違いだけではない。 「姑息」についても、一時しのぎの手段を卑怯な手段として糾弾することは別におかしいことではない。三谷幸喜の『その場しのぎの男たち』の登場人物たちは、「一時しのぎ」でもあり「卑怯」でもあった。この転用は容易に起こり得るのである。 「憮然」の「憮」の字は、字面通り、「心」が「無い」様子である。本義は確かに「がっかりしてぼんやりしている」ことだが、既に転じて「不満を感じながらどうすることもできず押し黙るさま」との意味で使用される場合が多く、「旺文社国語辞典」(第九版)では、その意味も併記されている。ここから「腹が立っている様子」まで辿りつくのはもうすぐだ。 つまりこれらの誤用は、実際の場面で誤って使われていても、その誤りに気がつかないことも多いと考えられる。「あの人、憮然としているね」と言った場合、ともかく「押し黙っている」点では同じだから、「ぼんやりしている」とも「怒っている」の両方に取れる場合がありえる、ということだ。だから、選択肢を「押し黙っていること」と「おしゃべりなこと」とでもすれば、これは正答率が一気に上がるに違いない。つまり「腹を立てている」を誤答とするのは、「細かいニュアンスの違い」までを問題にした場合に限る、ということになるのだ。 それに対して、「雨模様」と「さわり」の誤用は、正答率との差が近いこともあって、誤用されては困るたぐいのものである。本来の使用法の中に、誤用の可能性もあまり認められない。だから、意味を正しく認識している者とそうでない者との間で、「雨模様だし、早く帰ろうよ」「え? まだ降ってないよ?」とか、「サワリだけ話してよ」「だから最初から話してるじゃない!」と、トンチンカンな会話になる可能性もある。「小春日和」を「春」のことと勘違いするのと同様、「雨」という単語が入っているために、もう雨が降っているものと勘違いし、「触る」という言葉は次にさらに何か具体的な行動に出ることを予想させるから(「つかむ」とか「もむ」とか(^o^))、「最初だけ」というように勘違いしてしまうものであろう。これらの誤用は、実際に正しく使われている状況を経験していれば、間違える危険は少ないはずなのだ。……死語になりかけてるのかなあ、「雨模様」も「さわり」も。 じゃあ、誤用をなくすにゃどうしたらいいかと言うと、これ、「間違った言葉遣いをしてる人間を馬鹿にする」しかないんだよね。まあ、角が立たないように優しく注意する、という方法を認めないわけじゃないんだけど、それこそ経験者には分かるだろうが、言葉を間違えて「恥をかいた」経験がないと、人は学習しないものなのだ。優しく言っても忘れるだけだし。私も、高校のころ、“danger”を「ダンガー」と読んで大恥かいた記憶は、今でも忘れられないのである(もちろん、『帰ってきたウルトラマン』に出てきた怪獣「ダンガー」と取り違えたのである)。 2ちゃんねるで「ガイシュツですが」が流行したのはもう何年も前だが、恐らく最初に「既出」を「ガイシュツ」と読み間違えて馬鹿にされた人は、2度と言い間違え、書き間違えすることはあるまい。ちなみにしげは今でも「示唆」を「ししゅん」と読み間違えています。私が優しく言っても全然訂正できないので、みんなでしげを馬鹿にしてやってください。
調査では、「新しい表現」として、「若者言葉」の浸透度も同時に調べているのであるが、こちらはより厄介である。なにしろこれは既に「間違い」とは言えなくなっているのだから。 「何気なく」の意味で「なにげに」を使う人が24%、「すごく速い」と言わずに「すごい速い」と使う人が46 %。「一歳年上」を表す「一コ上」は51 %、「チョー」(とても)は21%、「むかつく」は48 %となっている。こんなのも私にはムリをしないと全く使えないのだが、若い人はおろか、大人にも既に違和感はなくなってきつつあるのだろう。全て前回調査より使用率がアップしている。 佐藤雅彦の『毎月新聞』の中で徹底的に批判されていた「じゃないですか」の浸透率も高い。相手に確認を求める必然性もないのに、「歯をみがくじゃないですか。その前に……」のような使い方をされても、「なんで『歯をみがく前に』と短く言えんのだ」と腹立たしいだけなのだが、これも前回調査の13%から19%に増えている。「じゃないですか」という表現が間違いなのではなく、どうして使う必要がない時にまでいちいち「じゃないですか」と言わなきゃならないのか? これもやはり、現代人の不安神経症の表れと言えるかもしれない。人間関係が希薄になっているから、些細なことでも確認を取らないと落ちつかなくなってしまっているのである。しかし、言われた方は、「アンタ、そんなに私との間にカベ感じてたの」と、逆に相手との距離をむりやり認識させられるわけだから、不愉快な気分にさせられて仕方がない。 ところがねえ、六十歳以上のひとでもねえ、8%の人が「なにげに」、20%が「一コ上」、34%が「すごい速い」などの表現を使うと回答してるのよ。その理由を文化庁の国語課は、「こうした言葉が高齢者にも広がったのは、若い人たちとの会話で使わないとコミュニケートできないということも影響しているかもしれない」と分析してるんだけど、そうかもしれないねえ。哀しいけどその気分、わかんなくもないから。私も、「てゆーかあ」とか「〜してるし」とか、無理して使ってるし。でないとホントに私の言葉って、固くなっちゃって、若い人には読みづらかろうし、自分で読んでてもつらくて仕方がなくなることだってあるのだ。 でも、「ムカツク」とかは生理的嫌悪感が強くて、どうしても使えない。てゆーかあ、「ムカツク」気分とかあ、心の中に存在してないから? 使いようがないってゆーかあ(「怒り」の感情がないんじゃなくて、それを腹にためこむような「ムカツク」気分にはならないの)。 まあ、これはよくてあれはダメ、という基準は、意志の疎通がどの程度可能か、という点にあるのだけれど、これには感覚的なものも多分に作用しているので、どうしたって明確な境界線が引けるものではない。結局は「時代の推移」を見て判断していくしか仕方がないのだが、そうなると言葉遣いについてはオールドタイプである私などは、他人と会話すること自体、だんだんイヤになってしまうのである。 ……だから、私だって、毎度毎度「その言葉遣い間違ってるよ」って指摘ばかりしてたかないんだってば。私が他人のコトバの揚げ足取りがやたら好きなヤツだとか思ってたらとんだ誤解だ。そんな、周囲のヘンな言葉遣いをいちいち訂正していったら、あまりに量が多すぎて、仕事もなにもできゃしない。私ゃ9割方のイカレた言葉遣いを見逃しているんだって。ただ、どうしても「今言ったの、これこれこういう意味?」と聞き返して確認しなきゃならないことがあって、それが人によっては「イヤミ」と取られてしまうことがあるのだ。 だから、自分の言葉遣いの方がヘンだって可能性も少しは考えてほしいんだけどねえ。
2003年07月29日(火) ちょっとだけギャグの話/『キャラクター小説の作り方』(大塚英志) 2002年07月29日(月) 肉は血となり肉となる/『砲神エグザクソン』5巻(園田健一)/DVD『マジンカイザー』6巻ほか 2001年07月29日(日) いっじわっるはっ、たっのしっいなっ/『竜が滅ぶ日』(長谷川裕一)ほか
| 2004年07月28日(水) |
会話のナカミがウスくったっていいじゃないの……ねえ。 |
自分がオタクであるかそうじゃないのか、ということをいちいち気にするこたあないと思うのだけれども(そんなもんでアイデンティティーが左右されるなんて考えていること自体、情けないのだが)、ふと日常のハザマで、そういう自分の業と言うか性(さが)と言うか、自らのあり方を問われるような瞬間に出くわすことはあるものだ。 例えば仮に、電車の中で、向かいに座ったいかにもなバカップルが、こんな会話をしていたと、ご想像いただきたい。 「ねエねエ知ってる? 『ドラえもん』のしずかちゃんの名字」 「え〜っ? 知らない〜。アンタ知ってんの〜?」 「知ってるよ〜。常識だよ〜」 「何ナニ、教えてよ〜」 「あのね〜、『ミヤモト』って言うの。宮本武蔵から取ったんだよ」 「わ〜スゴ〜イ、アンタもの知りなんだ〜♪」 ……どうでしょう、あなたがしずかちゃんの“本当の”名字をご存知だとして、あなただったらここで、たとえ向かいにいるのがアカの他人であったとしても、何かヒトコト言ってやりたいという衝動にかられないでしょうか。 ……ちょっと以前にも、こういうことがあった。 劇団の練習中、雑談で手塚治虫の話題が出た時に、今や「歩く無知」が代名詞となっているところの穂稀嬢(ハカセ)が、これなら私も話題に乗れる、とばかりに嬉々としてこう言ったのである。 「私も見てましたよ〜、『ふしぎなメルモ』」 こりゃまた、えらく古いアニメを知ってるものだなあ、そのころハカセ、生まれてたっけ? もしかして再放送で見たのか、あるいはリニューアル版のことだろうかと思って、聞いてみた。 「どんな内容だったか覚えてる? キャンデー嘗めたらオトナになったりコドモになったりするんだけど」 「え〜? そんなんでしたっけ? 私が見てたメルモは女の子と友達になる話でしたけど」 はて、そういうエピソードもあったっけ? と首を傾げていたら、続けて穂稀嬢、こんなことをホザきやがったのだ。 「あれでしょ、メルモって、『トンガリ帽子』をかぶった」。 ……はい、みなさん、ご一緒に。
「それは『トンガリ帽子のメモル』だっ!凸(`△´+)」
まあ、穂稀嬢のような女の子が近くにいる場合にはこういう経験はしょっちゅうするのだけれども、まさか職場で似たような目に合うとは、予想もしていなかったのである。ここからが本題。
今日、昼休みに、同僚の二人がこんな会話をしていたのである。一人は30代半ばの男性Aさんで、もう一人は20代後半の女性Bさん。ちなみにAさんは、以前私に、「六月ってこんなに雨が降ってるのにどうして『水無月』って言うんですか?」と質問してきた人だ。 A「……『ムーミン』好きでしたねえ、アニメ、よく見てましたよ」 B「私、まだ生まれてなくて、アニメの方はよく知らないんですよ。原作は1冊だけ読んでるんですが」 A「原作読んでるだけですごいですよ。私はアニメだけですから。ちなみに好きなキャラクターは何ですか?」 B「やっぱりスナフキンですね。Aさんは?」 A「私はノンノンです」 B「ノンノン?」 A「ノンノン知りません? ムーミンの彼女ですよ」 B「それって、『スノークのおじょうさん』のことですか?」 A「スノークは男ですよ! ノンノンはスノークの妹です」 B「だからそれがスノークのおじょうさんじゃ……」 A「Bさん、ヘンですよ。スナフキンやスノークを知ってて、ノンノン知らないなんて」 B「でもノンノンってキャラクター、原作には出てこなかったような」 A「ノンノンはあれですよ、ムーミンと同じで『カバの妖精』で」
「カバじゃねえ、あれはトロールだ!」と心の声が爆発した。 ここでついに私がガマンできなくなってしまったのも、どうかお察しいただきたい。私はできるだけさりげなく、声にトゲが混じらないように優しく、二人の会話に割りこんだ。
私「『ノンノン』ってのは『スノークのおじょうさん』のことですよ」 B「やっぱりそうなんだ! ……でもどうして名前が違うんですか?」 私「『ムーミントロール』や『スノーク』っていうのは個人の名前じゃなくて、種族の名前なんです。彼らは固有の名前というものを持ってないんですよ。だからムーミンパパに子どもができる前は彼がムーミントロールで、今のムーミントロールに子供ができたら、今度は彼がムーミンパパになって、その子どもがムーミントロールになるんです」 A「じゃあ、『スノークのおじょうさん』と言うのはスノークの娘ですか?」 私「『おじょうさん』というのは『実の娘』という意味じゃなくて、スノーク一族の女の子、くらいの意味です。『スノーク・フローレン』ですね。アニメにする時、名前がないのは日本人の感覚としてはおかしいからと言うんで『ノンノン』という名前を付けたんです」 B「じゃあ、スナフキンというのも種族の名前なんですか?」 私「いえ、あの一族には個人名があるんです。ミムラ、ミイ、スナフキンは兄弟です」 B「あの3人、兄弟だったんだ!」 私「原作の設定ではですね。これ言うとびっくりされること多いんですけど、実はミイのほうがお姉さんです」 B「……逆に見える」 私「それから、『スナフキン』というのは英訳された時の名前で、フィンランド語の原音では『スヌスムムリク』と言います」 A「……そっちの名前じゃ、アニメには向かないですねえ」
後半は完全に知ったかぶりのサロンの馬鹿になり果ててしまったが、Bさんに「スナフキンの本名が分かってよかった!」と喜んでもらえたのでヨシとしよう。もちろん、「ムーミンはカバではない」ことも強調しておいた(~_~;)。 別に、知り合いであろうとなかろうと、間違いを訂正しなきゃならない理由はないのである。仕事上のミスとかじゃなくてただの雑談なんだから、「真実」を追い求めなきゃならないほど切実なことでもなんでもない。 それどころか、こんなお節介ばかりしていると、間違いを指摘されたことで逆に立腹されてしまうことだってある。たとえそれが些細なこと、マンガやアニメの話であったとしても、人によっては「恥をかかされた」と思いこんでしまうこともあるのだ。ヘリクツをこね、ムキになって反駁してこられたり、高慢だの差別的だのと見当違いな誹謗中傷を浴びせられたりすることもある。余計な口出しをしない方が無難だし、リコウな生き方なのである。そんなこたぁ、わかっちゃいるんだ。わかっちゃいるんだけどよう(T∇T)。 オタクかどうか、というよりも、まだまだオトナになれてねえよなあ、オレ、っていうのが今日の感想でありました。マル。
放置するわけにもいかないやな、と覚悟して、仕事帰りに歯医者へ。 以前通ってた歯医者は、知り合いのところではあるんだけれどもヤブで(-_-;)、歯石取り損ねて前歯全部に傷つけてくれたんで見限った。だいたい今度歯が折れたのもその傷が遠因になってるのである。 職場から歩いて3分のところに歯医者があったので、飛びこみでそこに行く。田舎の歯医者で街道からも逸れたところにあるので、客は少ない。そう待たずに診てもらえたが、レントゲンを撮ってもらうと確かにこのまま放置していると黴菌が入りこんで化膿する危険がある、ということである。さっさと剥き出しの神経を取っちまって、上から固めたほうがいいらしいのだが、糖尿なので一日で処置してしまうのはあまりよくないとか。しばらく通って、少しずつ神経を取っていくことにする。
博多駅の紀伊國屋でDVDと本をいくつか購入。 DVDは『鋼の錬金術師』7巻や、『ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL』7巻(完結)など。
今日読んだ本、縄田一男『捕物帳の系譜』。 マンガ、石ノ森章太郎『二級天使』(珈琲文庫)。 鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』1巻(秋田文庫)。
朝DVDを仕掛けておいたあにまる屋のアニメ『フイチンさん』を見る。 『メアリー・ポピンズ』に代表される「お手伝いさん」ものと言うか、あるいは佐々木邦の『苦心の学友』に代表される「学友」もののバリエーションと言うか、昔はよく見かけたけれども、最近のマンガ、アニメではなかなか目にすることが少なくなったジャンルであるが、これがもう何とも言えないくらいに見ていて落ち着くのである。 作画も、原作の線を崩すことなく、また単調な構図に陥ることもなく、「アニメだなあ」と感嘆のタメイキが洩れるくらいに美しい。昭和30年代、40年代のマンガをアニメ化したりリメイクしたりするときには、本当にその時代の精神を「現代にも通用する普遍的なものとして」映像化しようとする姿勢が必要なんじゃなかろうか。今川泰宏版『鉄人28号』にいささかの不満が生じるのは、なにかしら「余計な解釈」が混じってしまっているせいだと思うのである。
『スター・ウォーズ』エピソード3の正式タイトルが『Revenge of the Sith(シスの復讐)』に決定。最近、エピソード6『Return of the Jedi』の邦題が、『ジェダイの復讐』から原題通り『ジェダイの帰還』に改められていたのも、これの伏線だったというわけである。 『スター・ウォーズ』には全くハマらなかった、と、これまで日記に何度も書いてる私であるが、好きなキャラクターがいないわけではない。『帝国の逆襲』でのヨーダなんかも人を食った態度が相当好きではあるのだが、やっぱり銀河皇帝パルパティーン(イアン・マクダーミド)と、ドゥークー伯(クリストファー・リー)の二人なくして、スターウォーズ・サーガはありえない、というのが悪役絶対主義者である私の主張なのである。ダース・ヴェーダーはどうなんだって? だってアイツ、結局日和るから(^o^)。 タイトルから言っても、また、エピソード4への繋ぎという意味を考えても、今度のエピソード6に期待したくなるのは当然なのである。だいたい正義のヒーローなんて、一本調子の馬鹿ばっかりなんだから、権謀術数、知能と謀略の悪役の方に憧れるのは当然なのである。 ……いや、だから自分にないものを求めるから「憧れ」になるんであって、私個人は悪事に手を染めるようなことはナニモしてませんからね、念のため。
映画の話題、もう一つ。 当初、スティーヴン・スピルバーグが監督する予定で製作に入っていたけれども、『シカゴ』のロブ・マーシャル監督にバトンタッチされることになった、フジヤマ・ゲイシャ映画『さゆり』のヒロイン候補に、『グリーン・ディスティニー』『ラッシュアワー2』『HERO』のチャン・ツィイー(章子怡)の名前が挙げられているそうな。 しげがまた嫉妬するとイヤなので、あまり大きな声では言えないが、チャン・ツィイーは、最近の女優さんの中では“かなりの”お気に入りなのである。中国映画、香港映画の女優さんというのは、まあ美人さんは多いのだけれども、どの映画に出ても似たような使い方をされることが多いし、ちょっとトシ食ったらすぐにワキのどーでもいいような役に回ってしまって、あまり長続きしないことが多いので(ジョイ・ウォンが四十にもならないうちに引退するとは思わなかったよ)、ファンになりがいがないのである。 アクションがスタントなしでも結構こなせることがチャン・ツィイーの強みではあるのだが、出る映画、出る映画、ひとクセもふたクセもあるのが小気味よいのである。公開待機中の映画が数本あるが、古典アクションで金城武と共演する『LOVERS 十面埋伏』、カンヌ映画祭で話題を呼んだキムタク主演『2046』、鈴木清順監督久々の新作の『オペレッタ狸御殿』と、殆ど節操がないと言うか、イロモノに果敢に挑戦している印象すらある。そこに『さゆり』が加わるとなると、ヘタすりゃ致命的に評判を落とす危険すらある。こうもあの企画この企画と飛びついているのは、果たして熟慮の結果なのか、それとも逆に何も考えていないのか、それは分からないけれども、こういうデタラメな女優さんこそ応援したくなるのは、オタクの人情というものであろう。ホレ、押井守が佐伯日菜子に入れこんでたのと同じような心境なんですって。……譬えが分かりにくいか。 『オペレッタ狸御殿』でも日本語の歌を歌ってるそうだが、『さゆり』は完全な日本人である。『キル・ビル VOL.1』のルーシー・リューのカタコト日本語みたいになる可能性は頗る大なのだが、「それが楽しい」という映画の鑑賞の仕方だってあるのだ。「映画・ドラマのトンデモカタコト日本語」なんてサイトを誰か作ってたら、きっと大人気になると思うんだがね(私は疲れるので作りません)。なんにせよ、チャン・ツィイーがオーディションに合格しますように。マーシャル監督、よろしく頼みますよ。
1988年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の実行犯の一人で、服役後、今年になって別の監禁事件を起こして再び逮捕された会社員、神作譲被告の初公判が東京地裁で行われた。 これまでの報道では、今年の4月に、被告の知人の男性が、自分が好意を寄せている女性と交際しているのではないかと思い込んで、男性を脅したときに、自分の起こした女子高生殺人事件を持ち出して、「おれは少年の時に10年懲役に行った。女を監禁した」とすごみ、「女を取っただろう」といいがかりをつけて、車のトランクに押し込んで、スナックに約5時間監禁して、暴行を加えた、ということになっている。 公判で被告は起訴事実自体は認めたが、「脅迫のせりふは言っていない」と主張している。 ……いやね、脅迫の言葉を言おうが言うまいが、監禁した事実は事実なんだから、なんでここだけ否定するのかね、そこんとこがなんだかよくわからないんである。この程度の否定で、罪が軽くなるものなのかね? あるいは本当にそんな言葉は吐いてないのかもしれないが、じゃあどうして被害者の男性は被告に前科があることを知ったのか、それもよくわからない。まあ、更に「知人」の誰かがこっそり男性に耳打ちしていたのかもしれないけれどもね。 この事件でまた、「加害者に厳重な刑罰を」という世間の主張は高まると思うが、だからと言って、刑法が改正される見込みはあまりないと思うのである。例えば少年犯罪の増加に伴って、少年法は確実に厳罰主義に傾いていて、改正もされているのだが、結果は犯罪の低年齢化を招いただけだった。これが「人権派」の「厳罰主義は犯罪の抑止力にはならない」という主張の根拠ともなっている。 私に言わせれば、少年法が存在していること自体、ナマヌルイんであって、小学生だろうが幼稚園児であろうが、犯罪者は犯罪者として処断しなきゃ厳罰主義とは言えんだろう、赤ん坊がナイフを振りまわして、誤って人を刺し殺したら過失致死罪に問え、そこまでやらなきゃ本当の意味で犯罪を抑止する効果はない、と思っているのだが、そこまで言うと「何もそこまで」と尻込みして「加害者擁護」に回ってしまう人が多いのである。所詮、このクニの人たちは、自らも悪に徹して悪を処断する勇気も覚悟もありゃしない。トホホだよ。 もちろん、神ならぬ人間に、人間を裁ける権利などない。いや、私は別に神を信じちゃいないが、人間が人間を裁くことがどれだけ傲慢なワザであるかは承知している。しかし我々はあえてその「神の代理」たる傲慢を行わなければならないものなのだ。治安がどうの、という問題を言いたいわけではない。社会は人間が存在しなければ成立しえないが、社会を成立させるためには人間の外に人間を越える「何か」が存在しなければならない、ということなのである(宗教でならそれは「神」になるし、一般的には「法」がそれを代行している)。「憎むな、殺すな、赦しましょう」の月光仮面だって、どくろ仮面を殺しているのだよ(相変わらず譬えが古くてすまないねエ)。 ここは、死刑囚の死刑執行ですらためらわれるクニである。みんなで犯罪者を人権擁護の美名の陰に隠し、ヌクヌクと成長させながら、その事実から眼を背けている国である。これももう何度も書いてることだが、よっぽど残忍で残虐で目を覆いたくなるような犯罪でも起こらない限り、何も変わりゃしないって。
2003年07月28日(月) ついに出ますよ、アレが/『タク坊の毎日』(中川いさみ)/『最良の日、最悪の日 人生は五十一から�◆戞幣�林信彦) 2002年07月28日(日) 台本書いてると仕事してる気になるなあ/『アベノ橋魔法☆商店街』2巻(完結/出口竜正)ほか 2001年07月28日(土) アイ・ラブ・アッシー。……違うって(-_-;)/『スーパーロボットマガジン』第一号ほか
| 2004年07月27日(火) |
だけーどボクにゃ前歯がないよ、虫歯の虫〜に食べられた♪ |
昼間、突然しげからメールがある。ちょうど仕事の合間だったからよかったが、そろそろ『帰ってきたヨッパライ』をCメールの着メロにするのはやめようかと思う。 内容は「今日、早く帰れない?」というもの。いきなりそんなことを言われても困るが、いったいどうしたのか聞き返してみると、「寂しいと」と一言。また持病の鬱が始まったらしい。とは言え、仕事がひと段落するには、もうしばらく時間がかかる。 なんとか都合をつけて早引けすることにして、しげには「3時まで待て」とメールをする。ばたばたと仕事を片付けたのがちょうど3時。追い立てるようにしげから「今着いた」とのメール。駐車場に出てみると、待ち伏せていたようにしげの車が停まっている。 車に乗りこんでも、しげは口を尖らせてモジモジしているばかりなので、「なんかあったのか?」と聞くが、はかばかしい返事をしない。いつものことだが、急にそんな気分になっただけらしい。「こういうのは困るぞ。しょっちゅう休むわけにはいかないし」と言うと、「わかっとう」と言って、涙目になる。これ以上は何か言っても無意味なので、ともかくどこかに食事に行くことにする。 食事をする前に銀行に寄ってくれ、と頼んだら、ダイヤモンドシティまで連れて行かれた。「ここなら銀行も食事もいっぺんに行けるから」というのだが、あちこちうろつき回るだけで神経が疲れてしまうと言うのだから、かなり煮詰まっているのである。
フタバ図書で、コミックスなど数冊を買う。 しげはこないだ月嶋つぐみの『天使的探偵団』を読んで以来、「こいつらの人間関係はどうなってるんだ〜!」と喚いている。実はこの作品には『殺し屋田中一郎』という姉妹編があって、そちらとキャラクターの一部がリンクしているのである。『天使』を読んだだけではその人物相関図がよく分からないので、しげはあちこち本屋を回っては『田中一郎』シリーズを探していたのである。 「そんなにこのマンガ面白かったか?」 「うんにゃ。でもよくわかんないところがあると気になって仕方がないんだよう!」 ……その反応は「鬱」というよりも「躁」なんじゃないのか(~_~;)。 秋田書店のサスペリア・ミステリーを置いてある本屋自体少なくて、途方に暮れていたのだが、さすがフタバ図書、全6巻が見事に揃っていた。まあ、買いはしたけど、こういう買い方って、相当なムダガネ使いである。ケチなしげがそれでもほしがるのだから、やっぱりしげは今、躁状態にあるのである。
ワーナーマイカルの前のフードコートで、食事。買ったばかりの『ガンダムエース』にかかっていたヒモを噛み切ろうとしたら、突然、歯が折れた。前から上顎の糸切り歯が虫歯になってはいたのだが、こんなに簡単に折れるとはなあ。よく見ると歯のウラにポッカリ穴が空いていて真っ黒。オモテからその「黒さ」が透けて見えるほどである。相当放置してたせいだろう、と言われそうだが、前にかかってた歯医者がヤブで、歯石を取ろうとして、歯の根元を削りすぎて折りかけたことがあるのだ。これはそのときの適当な治療が尾を引いているのだろう。 痛みも特になかったのだが、しげの方が慌てふためいて奇声を上げる。 「病院に行きぃ!」 「そうだな、そのうち行くよ」 「明日行きぃよ! 黴菌が入って死ぬよ!」 その危険がないわけではなかろうが、それにしても慌てすぎである。なんでも、しげが学生のころ、本当に虫歯の毒が脳に回って死んだ先生がいたらしい。別に私は歯医者嫌いではないので、通院するに吝かではないのだが、そう煽られるのもかえって行きにくいものである。 映画を見ようかと思ったが、しげが特に見たいというほどのものがない。『マッハ!』も『セカチュー』も『ハリポタ』も、昼間から1800円もかけて見たくはないと言う。仕方がないので帰宅。 帰りに「グッデイ」に寄って、カメの抗菌・消臭リキッドなどを買う。カメが休むのにちょうどいい岩の置物などはないかと探しているのだが、適当なものがない。時間がか買ったので、駐車場で待たされていたしげ、ますます落ちこんでいる。「オレよりカメが好き、オレよりカメが好き」とブツブツ恨めしげに呟いている。恨み節を口にしているうちは、しげの鬱もたいしたことはなかろう。
酔って階段から転落して入院中だった中島らも氏が、26日に死去。享年52。 こないだ事故のことを日記に書いた時に、何となく感じてはいたのだが、こういう時の予感は往々にして当たる。多分、事故のニュースを聞いたらもファンの大半がそう思ったに違いない。こんなことなら、裁判で実刑くらってた方がよかったんじゃないか、というご意見もあろうが、「更生」したらも氏などらも氏ではないのは、以前も日記に書いた通り。そうなるべくしてなったのである。運命にとやかく文句をつけたところで、やるせないばかりである。 らもさんについては、これからいろんな人が語るだろう。わかぎえふさんはもとより、シティボーイズのみなさんも、竹中直人さんも、いとうせいこうさんも、いつかどこかで、何かを語ると思う。けれど多分、その誰一人として、自分がらもさんの本質を本当に語れるとは思わないに違いない。エッセイストだったり作家だったり、ミュージシャンだったり、二十面相さながらの方だったが、ご本人が自分の本当の顔を忘れてしまっていたように思える。 グータロウ君に電話して、「らもさん死んだよ」と告げる。「『ガダラの豚』まだ読んでないんだ」と言うので、「あれはいいぞ」と勧める。直木賞に落ちて推理作家協会賞を受賞した作品だが、あれはSF大賞を取ってしかるべき作品だった。
2003年07月27日(日) 揺れて揺れて揺れて/『のだめカンタービレ』1・2巻/『平成よっぱらい研究所 完全版』(二ノ宮知子)ほか 2002年07月27日(土) イナジュンはいいねえ〜♪/DVD『カタクリ家の幸福』/『雨柳堂夢咄』其ノ九(波津彬子)/『ガンダムエース』9月号ほか 2001年07月27日(金) 『クレしん・オトナ帝国同人誌』完成!掲示板も見てね/『怪』11号ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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