無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年06月26日(土) 宛先間違えてないかな(~_~;)。

 日本ユニセフ協会からダイレクトメールで、募金のお願いが届いた。
 今のマンションに住むようになってからは初めてのことだが、こういうものを一通送るだけでも費用はそれなりにかかっているはずで、どれくらいの世帯に何通送っていて、総額はいくらになっているのだろうかと、つい計算したくなってしまう。実際にはデータがないので細かい計算はしようもないのだが。
 これを送られた人全てが募金に賛同して送金するわけではあるまい。一口3千円以上で、と指定があるのだが、仮に一通送付するのに十円かかるとしたら、三百人のうち一人は一口以上送金しないことには、募金の意味をなさないことになる。別にユニセフを疑っているわけではないが、募金活動自体に胡散臭さを感じてしまうのは、そのあたりのおカネの動きがあまりに不透明だからだ。
 本来、行政が成り立っていないからこそ飢餓の問題は生じているわけで、募金による一時的な救済は対症療法にしかなり得ない。本気で飢餓を何とかしたいのなら、行政の立て直しからやらなきゃ無駄な散財を繰り返すばかりだと思うのだが、実際、ユニセフが何十年間がんばっても一向に世界から飢餓がなくなる気配がないのは、そこんとこに問題があるからと違うんかね。募金活動に反対はしないが、せめてこんな効率の悪い形で庶民に「たかる」ようなマネはせずに、大企業から大口の募金を一括して集めたらどうかと思うんだけど、そのへんどうなのかねえ。


 ゆっくり朝寝、食事は買い置きのうどん、そば。しげに求められるままに作ってやるが、小一時間もしたらすぐに「腹減った」と言い出すので、気がついたら一日五食くらいになっているのである。落ちつかないとすぐ食欲に走るそのクセを治さない限り、ダイエットは絶対無理だと思うぞ。

 コンテンツの原稿を書きながら、一日しげと一緒にDVDを見る。
 『恋は邪魔者』、メイキングもかなり充実。これが遺作となったトニー・ランドールのインタビューも収録されているが、「まだ生きてたのかって思われてるよ」と笑って答えているのが何だか寂しい。ダブル・テイクを披露して見せているあたり、さすが年季の入ったコメディアンは「違う」のである。
 『乱歩R』は一話から最終話までを一気見。これもそのうちコンテンツに載せようと思ってるんだけど、どうやって時間を捻出しようか。

 読んだ本、大塚ひかり『源氏の男はみなサイテー』、マンガ、野間美由紀『新パズルゲーム☆はいすく〜る』1巻、加藤元浩『ロケットマン』8巻、二ノ宮知子『のだめカンタービレ』9巻。


 一昨日の24日、ワーナー・ブラザースが、何度も企画に挙がってはポシャっていたタツノコアニメ『マッハGoGoGo』(英語タイトル“Speed Racer”)の実写版映画制作を再開すると発表。てっきりもう作られないものと思っていたのだけれども、俳優のビンス・ボーンが、自分でストーリー原案をワーナーに売り込んだおかげでGOサインが出たんだとか。また意外な人が『マッハ』のファンだったのだねえ。まあ、アチラでは『マッハ』のファンがかなりいることは知ってたけれども、日本じゃ正直な話「忘れられてる」アニメだからねえ、同じタツノコアニメでも『ガッチャマン』や『キャシャーン』や『ハクション大魔王』(^o^)はリメイクされても、『マッハ』にはそんな声が全然かからないし。同じレースものなら、自分とこの『チキチキマシン猛レース』でも映画化すりゃいいのに……って、ありゃ『グレートレース』のパクリだったか(^.^)。
 『マッハ』の映画化企画が頓挫していたのは「予算の関係」だったそうだから、かなり規模を小さくして、レースシーンも少なくして、「家族愛の物語」の映画になりそうだということである。ならなんで映画化するのか、やっぱりよくわかんないね。
 ……そう言えば、『アトム』や『ドラゴンボール』はどうなったよ。

2003年06月26日(木) 書かでもの記/『コミック★星 新一 午後の恐竜』(白井裕子ほか)
2002年06月26日(水) イカが怖い/『育ってダーリン!!』A・B巻(久米田康治)/ドラマ『ししゃもと未亡人』ほか
2001年06月26日(火) やっかみをキャッチコピーにしてちゃねえ/『高校天使』3巻(加藤四季)ほか


2004年06月25日(金) 演劇人必聴! 森田順平さんのお話。

 しげの「恋愛頭脳」、ついに「非常識」を通りこして「恥」にランクダウン。でも私も「中学生」になってしまったのだった(~_~;)。相性も「普通」に落ちる。……誰か一生懸命「オトナ評」、増やしてないか?(^_^;) けれど14段階あるというランクのトップ評価はなんて名前になってるのかなあ。「神様」かな? ラスト14番目は「崩壊」だったけれども(URLコピーし損なったら「崩壊」と出たのである)。
 ヨシヒト嬢もやってみたそうなのだが、あまりいい結果は出なかったようだ。「あなたの恋愛観は壊れています」ということだそうだが、さていったいどんな質問の答え方をしたのやら(^_^;)。


 今日もトンガリさんと会うつもりはなかったのだが、今度はいきなり呼びつけられた。だから少しは人にも仕事があるってこと考えろってば。
 いったい何の急用かと思って行ってみると、一昨日提出した書類に、不備があったというのである(つまり一日仕事サボってたってことだな)。……今わざわざ呼ばなきゃならんほどの用事かい。それに、その書類、もともとアンタが作らなきゃならないやつなんだってば。あんたが仕事できないから代わりに作ってやってるのに文句を付けてくるたぁ、いい度胸をしている。だいたいそれだって、トンガリさんが会議に出てればチェックできてたはずのものなんである。さらに言えば、私に裁決求められたって、本来それも上司に確認取ってもらわないといけないことなんで、私は何かを言える立場にはない。なのにわざわざ私を呼びつけたというのは、イヤガラセ以外のナニモノでもないのだ。
 腹が立ったので、「会議にも出ないで文句付けられても聞けません」と言い置いてとっとと帰ったが、どうせまた脳内変換して、自分の方が被害者であるような気になっているのであろう。あの人がいる限り、今後も足を引っ張ってくれるのは目に見えている。来年はもう別の部署に転属させてもらおう。うん、絶対にそうするぞ(~_~;)。


 仕事は午前中で半ドン、午後から某所にて、俳優の森田順平さんの講演会・朗読会を聞きに行く。
 「某所」って、なんかアヤシイ感じだけれど、実は会員制の集まりで私は本来入れなかったのだが、知り合いに頼んでこっそり忍びこませていただいたのである。だもんで、どこで聞いたのかは書けないの(^_^;)。
 森田さんと言えば、何と言っても『3年B組金八先生』の陰険な(最近は丸くなっちゃったが)乾先生役が有名だけれど、もともと文学座で活躍されていた舞台俳優(現在は退団)。最近は洋画やアニメの吹替の仕事も多く、『WX�掘ゝ‘扱抻.僖肇譽ぅ弌次戮寮亳狂舅此蔑�上自衛隊一佐)役や、『ぼくの孫悟空』の三蔵法師なども演じておられる。プロフィールにはよく福岡県北九州市の出身、と書かれてあるが、本当は京都生まれで、福岡には3歳のころ引っ越したのだそうな。
 ご本人は当然、乾先生のようにインケンなはずもないのだが、役者が役柄と同一視されてしまうことはよくあることである。『金八先生』放映後、近所の子供たちから「あっ、カンカン(乾先生の仇名)だ!」と指を差されて石を投げられた話などを語られて、当時はかなりつらい思いもしたという。まだ若く、憎まれ役を演じることに抵抗を感じていたのを、演出家に飲みに誘われて激励され、ようやく吹っ切れたこと、今は25年に渡って一つの役を演じられるという貴重な経験を役者として誇りに感じていることなど、順風満帆に見える経歴の陰の苦労は、やはり聞いてみなければわからない。
 「乾」という役が掴めたのが第1シリーズ第9話で、「教師になったのは、倒産はないし、夏休みはあるし、安定しているからだ」というセリフをもらってからだという。
 「人間はみな、『フリ』をして生きています。『人生は舞台』というのはまさにそのことです。みなさんも演技をされているわけですが、私がプロの役者であるということは、みなさんよりも一段上の演技を要求されている、ということなんです。そこでこのセリフを『なんてトンデモナイことをいうやつなんだ』と思ってしまっては、役を演じることはできなくなってしまうんですね。
 劇作家のディドローが、『演技のための逆説』の中で、こう語っています。『役への感想は、役者自身ではなく、観客が感じるものである。観客を感動させるためには、自分自身の感動に溺れてはならず、常に冷静を保っていなければならない』。
 つまり、逆に、『乾』とはこんなトンデモナイセリフを堂々と迷いなく言える人間なんだ、という見方をしなければいけないんです。『乾』という人間とはどんなやつなんだろう、どんな経験をして、どんな考え方をして生きてきたのか、そこから『乾』という人間の現実主義、個人主義が見えてくる。そこを考えることで、ようやくこのセリフを言えるようになる。これが、『役』の内面を作る、役を一つの大きな木に譬えるなら、その『幹』の部分を作る、ということなんです」

 これは、内面から役を形作っていくという、『ガラスの仮面』でもお馴染みの(^o^)、アクターズスタジオのメソッド、即ち、演劇人には常識のスタニスラフスキー・システムがベースになっていることである。
 「常識」と書きはしたが、近代演劇の基礎理論であるにも関わらず、若い役者の中にはこんな言葉、聞いたこともない、という人も少なくなくなっている。西洋の演劇に範を求めた新劇の勃興以来、ひところまで日本では、猫も杓子もスタニスラフスキー、スタニスラフスキーとやたら喧しかったものだったが、その反動もあってか、最近の演劇シーンでは(特に小劇場系では)必ずしもスタニスラフスキーシステムは重要視されなくなっているのである。しかし決して無視してよい理論でないことは、自分が役者として演技してみて、「内面のない演技」が説得力を持ちえない事実に気づき、初めて理解できることである。「スタニスラフスキー復権」を唱える演劇人ももちろんいなくなってはいない。
 ただ、森田さんが仰るとおり、スタニスラフスキー・システムは「役」という木の「幹」を作る作業である。木の「枝葉」を作るには、「内面から形」を作るのとは全く逆の、「形から内面を作る」作業も必要になってくる。
 「アクターズスタジオでは、『アニマル・エクササイズ』という演技術も行われています。これは、ミハイル・チェーホフ(アントン・チェーホフの弟)の唱えた『サイコロジカル・ジェスチャー(心理的身振り)』を元にしているもので、平たく言えば内面の表現を行うために、ほかのもののマネをする、動物の仕草などを取り入れる、というものです。
 例えば、マーロン・ブランドが『ゴッドファーザー』で演じたヴィトー・コルレオーネという役です。ブランドとという人はもともとあんな鈍重な演技をする人ではないんですが、あの指で机をなでるような動きは、ゴリラの手の動きを真似たものなんです。
 私もある舞台で、台本のト書きに『時期社長の椅子が用意されてはいるが、全くといっていいほど覇気がない。ひたすら情けない男』とあって、全く自分とはかけ離れた役で、どうにも自分の中に取っ掛かりがなくて、途方に暮れたことがありました。仕方なく、『形から入る』ことにしまして、鏡を見て、とにかく『情けない顔』を作ってみたんです。猫背で歩いて、その時自分の気持ちがどう変化するか。そうするとだんだん気持ちが情けなくなつていくんですね。そうやって、自分の『気持ち』を作っていくんです。
 みなさんも試しに演じてみてください。『好いとう』というセリフを、まずは“普通に”言ってみる。次に“俯いて”言ってみる。“両手を上げて”言ってみる。“両手を広げて”言ってみる。気持ちが変化しませんか?」

 1時間半あまりのお話の中で、やはり一番興味を惹かれたのは、文学座での経験を話されるあたりである。杉村春子さんから「役者はセリフが言えなくっちゃね」と言われたことが森田さんの座右の銘となっているそうだが、最近の若い役者に対して森田さんがつくづく感じているのは、「肉声表現の経験の少なさ」であるとか。
 「『ゆゆしき』『つとに』『よんどころない』、こんな言葉を聞いたこともなければ使ったこともない若い人が増えています。それこそ『ゆゆしき』事態なんですが、文化庁はこれを“年長者との会話が減った”“活字離れ”が原因と説明しています。けれど、多分それだけではないでしょう。私の考えるに、そこには『肉声表現の経験の少なさ』があると思います。
 『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝さんが仰っているんですが、人間は、たとえ意味がわからなくても、言葉を声に出すことで脳が活性化していく、というんですね。脳はどんなに栄養を与えても成長しない。脳が成長するのは『知識』によってなんです。
 携帯電話が普及していますが、若い人は声で会話なんてしていません。みんなメール交換ばかりです。バスに乗っても、みんな黙々としてメールを打っていて、その音だけが響いている。テレビを見ていても、バラエティ番組では、たいてい下にタレントが今何をしゃべったのか、そのままテロップが出る。つまり言葉を『話す』時代から『書く』時代に変わって来ているんです。時代の趨勢は変わりようがないとし、昔に戻れと言う気もないのですが、忘れてはならないこともあるのではないでしょうか」

 ちょうど、警察庁が、昨24日に、「万引などで補導、逮捕された『非行中高生』が1日に携帯で電話をかける平均回数は7.7回、メールが42.6回で、それ以外の『一般中高生』を大きく上回っている」ことを発表している。かなり恣意的な超さで、この結果から「肉声表現が疎かになったために、非行も増えた」という結論を導き出そうという予断がミエミエで、腹立たしさすら覚えるのだが(そんなにメールが打てるのは単に学校に行ってないからだろう)、伝言ならばともかくも、今現在、会話ができるのに、メールのやりとりですます、という若い人の感覚は確かにわからない。そんなに相手と喋りたくないものなのか?
 私も、携帯電話を使うようになって(しげに無理矢理持たされて)、数年が経つが、メールのやりとりは専ら「今、電話で会話できない状況」の時に限られている。職場にいるとか、バスに乗ってるとか。あとは「喋り過ぎると電話代がかさむ」からか(^_^;)。
 森田さんは、今テレビで見て「素晴らしい」と思える番組はNHK教育の『にほんごであそぼ』だけだという。時間帯が合わないので私は見たことがないのだが、小学生に狂言や落語ブームを起こしているのはこの番組だとか。……そう言えば、本屋の児童書のコーナーにやたら『寿限無』が平積みにされてたなあ。まさしく、『意味がわからなくたって、言葉を使うこと自体が楽しい』のが落語であり狂言だろう。こういう文化が小学生に浸透していくのなら、確かに森田さんも仰っていたが、「日本もまだまだ捨てたものではない」のである。
 講演会の締めは、森田さんの、中島敦作『山月記』の朗読。
 普通の人が耳で聞くには、漢語だらけでチトつらい話ではあるが、一応ブンガクブでもあるし、私もこれは好きな小説で、暗誦はできずとも文脈自体は概ね諳んじている。「あの単語、どういう意味だったっけ?」と迷うことなく、作品世界を楽しむことができた。
 ただちょっと気になったのは、冒頭の「隴西の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね……、」の「隴西」を「ろうさい」と発音していたこと。これ、実は初版以来のルビの「誤植」で、ほんとうは「ろうせい」と発音しないといけないんだよね。山西省は「さんせいしょう」だし、陝西省も「せんせいしょう」、「西安」は「せいあん」だ。京大系の学者は「ろうさい」に固執してるらしいけれど、中島敦は東大だから(^o^)。
 でもそういう細かいところはどうでもよくて、やはりセリフが感情表現になっているところがさすが役者さんである。『山月記』は淡々と読むと、テンポがいいだけに眠くなっちゃうんだけど、獰猛、冷徹、自恃、哀願、自嘲、さまざまな感情が交錯する李徴のセリフを、緩急自在に語る森田さんの朗読術は素晴らしいの一語に尽きた。
 ここしばらくの『金八先生』は見ていなかったのだけれども、秋から撮入という新作も乾先生目当てで見たくなってきた。


 しげと待ち合わせて、ダイヤモンドシティへ。今日はしげも仕事休みなので、ゆっくりと買い物もできるし映画も見られる。
 回転寿司で食事をすましたあと、「夏に向けて服でも買ってやろうか」と言ったら、しげ、「浴衣がほしい」と言い出す。ちょうどジャスコで浴衣の割り引きセールをやっていた。帯と揃いで2千円〜3千円という激安価格、さらにチラシで一割引きというんだから、ジャスコは庶民の味方である(^o^)。
 ゲタも一緒に買ったのだが、しげ、「今でもこういうの『ポックリ』って言う?」と聞く。いや、言わないのか?
 フタバ図書を回って、本を数冊、DVD『恋は邪魔者 特別版』などを購入。
 映画はワーナーマイカルシネマズ福岡ルクルで『21グラム』。お話自体はまたぞろカミサマがどうとかという日本人にはピンと来ないネタなんだけれど、ともかくショーン・ペンを始め、役者の演技が上手いのと、時間軸がやたら交錯する構成が見事なので、2時間を飽きさせない。ラストにちょっと無理があったけど、まあ佳作だろう。『ザ・リング』のナオミ・ワッツの、なんとまあキレイなキレイなバストも見られます(* ̄∇ ̄*)。


 今日読んだ本、林静一・吉元由美・谷村志穂ほか『小梅ちゃん』、マンガ、さとうふみや『探偵学園Q』16巻、たがみよしひさ『軽井沢シンドローム スプラウト』4巻。たがみさん、後書き読むとあの薬やこの薬とかなり精神安定剤服用してるようだけれど、大丈夫だろうか(-_-;)。

2003年06月25日(水) 暗い話、えとえと、……何題?/『風雲児たち 幕末編』3巻(みなもと太郎)
2002年06月25日(火) 揉んだら出る/『松田優作物語』6巻(完結/宮崎克・.高岩ヨシヒロ)/『仮面ライダーSPIRITS』3巻(石ノ森章太郎・村枝賢一)
2001年06月25日(月) 1時間日記(^_^;)/アニメ『名探偵コナン』オープニング


2004年06月24日(木) 子どもの日は端午の節句ではないのだ。

 一日激しくはないがずっと雨降り、ジメジメと鬱陶しい一日。
 同僚から何気なく、「こんなに雨が降るのに、6月のことをどうして『水無月(みなづき)』って言うんですか?」と聞かれたので、旧暦と新暦の季節のズレについて説明をする。一昔前は、カレンダーと言えば日めくりの方が一般的で、どこの家でも床の間の柱なんかに柱時計と一緒にこれがかかっていたものだったが、それにはたいてい一緒に「旧暦」も記載されていた。だからそういう「日常」を知っている者にとっては、今の六月は、昔なら四月〜五月にあたること(一月半ほどズレるのである)を常識として知っているのだが、日めくりよりも月めくりカレンダーのほうが一般化した現在では、「旧暦」もすっかりトリビアになってしまっているのであろう。
 「だから『水無月』っていうのは、今なら7月から8月にかけてってことになります。夏の真っ盛りですから、確かに『水の無い月』なんですよ。梅雨は逆に5月の雨なんで『五月雨(さみだれ)』になります」
 「じゃあ、『皐月晴れ(さつきばれ)』って言うのは? 5月は雨が降ってるんじゃないんですか?」
 「梅雨のさなかに、たまに晴れる日があるでしょう。あれを『五月晴れ』って言うんです。だから今の暦で5月に『五月晴れ』っていうのは間違いなんです。同じように、正月も七夕も今の暦で祝うのは季節がズレてしまってるんで、本来なら間違いです」
 同僚は「知らないことっていっぱいありますねえ」と感心していたが、この旧暦と新暦の季節のズレ、現在では実際にどの程度の認知度があるんだろうか。どうかすると、若い人だけではなく、50、60代の人ですら知らない(あるいは忘れている)場合もあるのだ。それで特に生活に不自由はないのだから、そんな瑣末な知識は忘れてしまっても無理はないのかもしれないが、季節のズレに鈍感になっているということは日本人から「四季」を味わう感覚も失われてしまっている、ということだ。
 正月休み、盆休みの風習はまだ生き残ってはいるが、核家族化が進んでいる現在では、実質上、ただの休みで、特段の「行事」を行うわけでもない。花見は飲み食いの方がメインで(でも、これは昔からそうか)、正月に雑煮を食べたことがない、盆に墓参りなんてしない、という家庭の方が多くなっているのである。
 ……そう言えばもう、何年、獅子舞を見てないかなあ。商店街が消えて、スーパーとコンビニばかりになれば、そりゃ獅子舞だって各家庭を回ることはなくなるというものである。……あなたは、子供のころ、獅子舞にアタマを噛んでもらったことはありますか?
 何だかもう、若い人と話をしていると、同じ日本人だということが信じられなくなってくるし、ここまで自分の「常識」が通じないと、会話をすること自体、怖くなってくることもある。「ハタチ過ぎたらオジサン、オバサン」という感覚は実際その通りで、十代の人間から見れば、40代の人間などは遥か彼方の歴史上の人間になり果ててしまっている。我々40代は中年ではなく老人なのである。「今時の若いやつらは」と言ってるうちはまだ世代の断絶に憤る元気があるが、たいていの老人はヒネクレて寡黙な頑固ジジイと化していくのであろう。30代の諸君、君たちももうすぐそうなるのよ(~_~;)。


 今日は幸いなことにトンガリさんには一日合わず。別にアチラが職場に来てなかったわけではなくて、私が会いに行かなかっただけである。私にだって私の本来の仕事があるし、しょっちゅうあのヒトの仕事の代わりばかりしているわけではないのだ。
 ああ、でもそれだけで気が楽になるんだから、私のストレスの最大の原因がアレであることは間違いないのである。


 冷蔵庫の食料が底をついているので、買い物に行かねばならないのだが、迎えに来るはずのしげがいつまで経ってもやって来ない。電話を入れても音沙汰なし。痺れを切らしてタクシーで帰ると、やっぱりイビキをかいて寝こいていた。
 叩き起こして「レッドキャベツ」まで出かけていって買い物。なかなか買い物に行くのも難しくなってきていたので、思い切り買い込む。
 帰宅して、さて、本でも読もうかと思ったのだが、疲れ果てていたのか、昨日に引き続きそのまま落ちる。だからまだ8時だってぇのに(^_^;)。だもんで、今日読めたのは『新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド2nd』2巻、あとは『キネマ旬報』7月上旬号と『言語』7月号のみ。これについても記事読んでるといろいろ感想書きたくなるけど、キリないから省略。気が向いて時間と体力があったら明日の日記にでも書くかもしれん。


 アイドルのDVD付きお菓子とか、名曲やアニメソングCD付きお菓子はもう珍しくなくなったけれど、ついに名作映画DVD付きお菓子までがでることになったそうな。カバヤ食品から7月中旬に発売される予定の『水野晴郎シネマ館』というのがそれ。何と値段が315円でレンタルDVDなみ、ガム一枚噛みながら映画を1本自分のモノにして見られるという、いったい喜んでいいんだか情けないんだかよう分からん企画。
 日本の映画料金は欧米に比べてもバカ高いから(外資系のシネコンが席捲し始めたころ、入場料金を千円以下にしようとしたら、地元の映画館の反対くらって、高くしたって話もある。オトナ1800円って、ボリ過ぎなのである)、これだけ安くしてくれるのは嬉しいことは嬉しい。もともと映画は、大衆がヒマツブシにぶらっとキラクに入れるものだったんで、カップルのおしゃれなデートの場にされてもねえ、ってところはあったのだから、駄菓子買う感覚で映画を買うのも悪かないかな、とは思うのである。
 けれど、何となく「映画がバカにされている」って感じもするのは気のせいなのかなあ。だいたい映画がもっと気軽に映画館で見られる状況があれば、映画をコレクションしようなんて気だって起こらずにすむのである。時代の趨勢は変えようがないことではあるけれど。
映画のラインナップは以下の通り。
『キリマンジャロの雪』(1952年)
『ふたりの女』(1960年)
『マクリントック』(1963年)
『愛のアルバム』(1941年)
『片目のジャック』(1961年)
『アンナ・カレニナ』(1948年)
『バリ島珍道中』(1952年)
『キング・ソロモン』(1937年)
『古城の亡霊』(1963年)
『黄金の腕』(1955年)
既に持ってるのもあるけど、一通り揃えてみるかなあ。全部買ったって、たった3150円なんだもんねえ。

2003年06月24日(火) 暗い話更に二題/DVD『ななか6/17 <めもりーふぁいる>』/『羊のうた』第1章
2002年06月24日(月) 役者や脳/『三谷幸喜のありふれた生活』(三谷幸喜)/DVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』ほか
2001年06月24日(日) マンガ読みのマンガ知らず/DVD『地球防衛軍』ほか


2004年06月23日(水) ゴジラボックスと、ハモノを持った人々

 さて、ここんとこすっかり「トンガリさん観察日記」になってる観があるけれども、「観察」だけではすまなくなって参りました(^_^;)。
 いやね、もうね、あのヒトについてはね、「心の壊れたヒトだからなあ」という同情はしないことに決めたの。ともかく基本的に仕事をしたくないだけの人なんだな、というコトがスカッと見えちゃったので、遠慮したって仕方がないと気づいたってわけ。気づくのが遅過ぎたんだろうけど。同情も優しさも、この場合は明らかに偽善だわ。
 実際、今日、パソコンのデータを取り出してくれるようにトンガリさんに頼んだら、早速イヤガラセをされたのである。「私は愚か者でマニュアルを読んでも理解ができませんから、オウチ(=あなた)で読まれてご自分でされたらいかがですか?」
 以前は上司が同じことを頼んで断られ、私が頼むとやってくれるというイヤラシイことをしてくれていたのだが、ついに私もトンガリさんの「敵」に正式認定されたようだ。上司はそれで引き下がったのだが、私は「ああ、そうですね、そうします」と言って、トンガリさんのパソコンに割り込んで、データを取り出した。もちろん要領なんか教えてくれるわけがないから、マニュアル見ながらである。見えない目でやってんだから、当然、私はトンガリさんより仕事ははるかに遅い。その間、トンガリさんは手持ち無沙汰。「自分でやれ」と言った手前、私に向かって「早くしてください」とも言えなくて困っている。しょうがなく、鉢植えの手入れなんかしていたが、これだけでもトンガリさんが「仕事する気がない」ことは明白だ。
 イヤガラセに対してイヤガラセで対抗したわけで、気持ちのいい方法ではないが、イジメられて潰れるようなタマじゃないから、これくらいは軽いものである。それに、結局はトンガリさんのやらなきゃならない仕事を肩代わりしていることは事実なので、結局は私の「負け」なのである。でも、負けてもいいから、ともかく仕事を進めないと、ヘタすりゃトンガリさんの「不正」の責任が、こっちにまで振りかかってきかねないんだから。世の中ね、キレイゴトだけじゃすまないものだからね、ある程度はオトナとして汚い仕事も引き受けなきゃならないものなんだけれどもね、おカネの流れだけはクリーンにしておかないとヤバイんだからね。
 でも、オレ、経理の専門家じゃねえのに(つか、やったこともねえぞ)、なんでこんなことやってんだよう(T∇T)。
 泣き言はここまで。負けて仕事してやってんだから、せめて刺したりはせんでくれよ、トンガリさん(-_-;)。


 晩飯はコンビニで買った幕の内。買い物に行きたいのだが、しげと時間が合わないので、「うどん職人」になれない(~_~;)。
 疲れていたのか、横になってマンガ読んでるうちに落ちてしまう。……ってまだ8時くらいだぞ。
 12時に目覚めて、NHKBS2で、『バットマン・フォーエヴァー』を見る。映画館で見た時には前2作に比べてつまんなくなってるなあ、ヴァル・キルマーの大根演技、なんとかならんか、とか思っていたのだが、まだティム・バートンが製作でいる分、次作の『バットマン&ロビン』よりは数段マシだったんだなあと確認。まだまだあのダークなムードを充分残しているし、ニコール・キッドマンの美しさと、ジム・キャリーのキレっぷり(「アイム・バットマン!」)を見られるだけでも楽しい。リドラーにはぜひジム・キャリーがまだ動けるうちに「復活」してほしいんだけれども。

 そのあと、日本映画専門チャンネルで『ほしのこえ』を見ていたら、しげが仕事から帰って来る。
 溜め息をついて「今日警察呼んだよ」というものだから、いったい何があったかと聞いてみたら、店に来たヨッパライの客が、注文をした途端にテーブルに突っ伏して爆睡、呼んでも押しても起きなくなってしまったのだそうな。そのまま身体を壊されても困るし、お巡りさんを呼んで、食べてもいない食事代を払わせてお帰り願ったそうだが、またあとで「なんで食ってもいない食事の代金払わせた!」とかクレームつけてこないかね。そんなやつ多いし。


 「Yafoo!オークション」に出されていた鴉丸嬢のイラスト(ちょっとえっち)が、めでたく2300円で落札された。初め500円からの競りで、ここまで釣り上がったのだから、なかなかのものじゃなかろうか。もっとも、そこまで釣り上げたの、しげだけど(^_^;)。
 でも落札したのは結局どこかのオタクさんらしい。ほかにも『ときめきメモリアル』なかのイラストを落札しているから、そちら系がお好きな方なのだと思われる。ちゃんと「お使い」いただけるのであれば鴉丸嬢も本望であろう。
 ……しかし、鴉丸嬢のイラストの値段の相場がそのくらいということは、うちのホームページにお願いしてるイラストにも、もう少しイロつけてあげなきゃいけないかな。とか言いながら、まだ全然貰ってないんだけれども(^_^;)。でも公演がひと区切りつくくらいまではチョイ無理かな。

 今日読んだ本、マンガ、加藤元浩『Q.E.D.』18巻、ゆうきまさみ『鉄腕バーディー』5巻、島本和彦『炎の転校生(小学館文庫版)』6巻。小説類は継続して四、五冊を平行して読んでるので、今日読了したものはなし。


 東宝が、『ゴジラ』シリーズ全作品を収録した30枚組みのDVD-BOXを発売することは既報だったけれど、その特典が決定した。
 映像特典を収録した3枚組みの『ゴジラ スペシャル・アーカイブス』で、海外版『怪獣王ゴジラ』『SF 怪獣シンセサウンド ゴジラ伝説』『SF 交響ファンタジー ゴジラファンタジー』、全て以前ビデオで発売されてたものだけれど、一応は「初DVD化」が謳い文句。
 あと封入特典として、品田冬樹造形のソフビ製彩色済み「初代ゴジラヘッド」を付属。サイズはゴジラの着ぐるみの頭部と同じという大型のもので、DVD-BOXを収納できるようになっているとか。つまりコレクターは部屋にドンとゴジラの頭部を置いて悦に入れるってわけである。
 ゴジラファンの私なら、こういうのも垂涎じゃないかとお考えの方もおられようが、残念ながらそこまでではない。自分がオタクじゃないなあ、と心底思ってしまうのはこういう時で、もともと「グッズ」にそれほど惹かれるほうではないのだ。そりゃ、Tシャツだのマグカップだのを買うことはあるが、それはあくまで「使う」ことが目的なので、コレクションすることではない。オーディオコメンタリーが好きなのは、関係者のナマの声から、映画製作の現場に思いを馳せ、想像の翼を広げることができるからである。興味があるのは「人」であって、「物」ではない。特典として「無理矢理くっついてくる」ものは基本的に好きではないどころか、モノによっては「余計なものが付いて来るから買わない」ことだってあるのだ。
 ……あのさー、私が単品でなくてボックス買いするのは、基本的に「収納スペースを少なくする」のが目的なんで、逆にどでかい特典が付いて幅取っちゃうのはメイワクなんだよね。『エヴァボックス』も、それ自体はデカイけれど、トールサイズで全7巻とか出されるよりは本棚に収納しやすかったので助かっているのである。アンタ、『スペクトルマン』だって、あんな本棚に入れられねえ「スペクトルマン頭部ボックス」なんかにしなけりゃ絶対買ってたって。頼むから単発ディスクで出しなおしてくれよ。『悪魔くん』は全26話を2巻、『仮面の忍者赤影』は全52話を4巻にまとめてくれている。別に私ゃ、本棚に全集並べて威張りたい類の人間ではないので、こういうのが一番ありがたいのだ。
 だから東宝にも言いたいんだけれど、毎回毎回ゴジラ作るたびに通常版とスペシャル版の両方を出してるけどよ、特典ディスクを余計にトールケースで付けなくても、2枚組ケースで充分対応できるだろうがって。それでちょっとだけ分厚くなるとか、グッズが付くなら付くで別添えだったりするなら、こちらも特に文句はないのである。
 思うんだけど、こういう商売が成り立っちゃうってのも、見た目だけの「形」に乗せられてしまう「痛い」オタクがやたらいるからなんだよねえ。それが事大主義であり権威主義であることの証左であるってことに、なして気づかんかね。それとも気づいててやってるのかね。だったらオタクが馬鹿扱いされても何も文句は言えんぞ。「馬鹿でもいい」と笑ってられるならいいけど、「馬鹿」と言われると怒るからなあ、ホンモノの馬鹿は。私ゃ、自分が馬鹿だと分かってる馬鹿は好きだが、馬鹿だと分かってない馬鹿は見たくないよ。
 実は『ロード・オブ・ザ・リング』も、三部作ボックスを予約しちゃってるんだけれど、これも単発でそれぞれ買うよりゃコンパクトになってないかな、という期待があるからだ。で、買ってみてやたらドデカかったりしたら、アタマ抱えることになるんだけれど(『アメリ缶』のときにはちょっと参ったね)、店頭買いしようとしたらもう売り切れてたってこともあるから、カンで予約するしかない面もあるのである。特にカサ張るオマケが付いてた風でもないし、割高になってた感じもないから、多分大丈夫だと思うんだけれど。
 ……というわけで、「ゴジラボックス」は買わないから、安心しなさい、しげよ(^o^)。


 昨22日、韓国人貿易会社社員、金鮮一(キム・ソンイル)さんが、イラク武装勢力「唯一神・ジハード」に拉致・殺害された事件で、韓国内は「派兵反対」VS「戦闘部隊を派遣すべき」という、国論を二分する事態になりつつあるようである。
 日本人の中には、例の三馬鹿ほかが無事解放されたことで、「イラクの武装勢力も『話せば分かる』人たちなんやねえ」とか脳天気に考えてる人もかなりいたようだけれども、これでちっとは「あいつら所詮テロリスト」という事実を認識してくれたんじゃないかねえ。認識してほしいけれども。
 まあ、日本人拉致を行った「ムジャヒディン旅団」って組織は、場当たり的に結成されたイラク国内の抵抗勢力で、まだ宗教指導者の勧告を聞き入れる余地があったけれども、今度の犯行を行った「ジハード」は純然たるウサマ・ビンラディン麾下であるアルカイダのアブ・ムサブ・アル・ザルカウィが結成した組織であり、当初から人質に助かる見込みはなかった、という違いはある。テロリストにも「穏健派」と「過激派」の多少の差はあるってことなんだろう(~_~;)。
 けれど、結局は、彼ら抵抗勢力の唱える反米、反西欧闘争とやらが、一般市民も巻きこむ無差別的、非人道的な、到底国際世論の賛同は得られないただのテロであることは疑いようもないことなのである。エドワード・エルリック曰く、「関係ない人間も巻き込む復讐に正当性もくそもあるかよ。醜い復讐心を『神の代行人』ってオブラートに包んで崇高ぶってるだけだ」なのである。
 また同時に、マース・ヒューズ中佐が言うように、「なりふりかまわん人間ってのは一番厄介で怖ぇぞ」でもある(マンガって本当にタメになること言うよなあ)。狂信的な宗教団体の何が怖いって、その宗教の本義も目的も関係なくなっちゃって、手段と行為だけが突っ走っちゃうことなんだけど、ともかくあいつら、まさしく「刃物持ったキチガイ」になってるんだものなあ。日本人の中には、自国内でキチガイが刃物振り回して人を殺したら、すぐに「キチガイなんとかせえ」「さっさと死刑に」と堂々と主張する人が多いんだから、その論法を首尾一貫させるんだったら、「テロリスト殲滅」ももっと訴えなきゃならんのじゃないかね。
 私も典型的な日本人であるから、何度も日記に書いた通り、「触らぬ神に祟りなし」、「イラクなんかに行くなよ、もう」が基本スタンスである。「復讐が何かを生むわけでもない」とも思っているし、ましてやアメリカの復讐心に追従するなんて言語道断だろう、多国籍軍だなんて、自衛隊、もう一線を踏み越えてるだろうが、さっさと引き上げぇと言いたい気分は山々なんである。
 けれどもう、日本はウサマ・ビンラディンの「標的」になってしまっているのだ。「キチガイ」に理屈は通らない。「敵の殲滅」以外に、この事態を少しでも解決する方法があるのなら、教えてもらいたいものだ。取りたくはない方法だとしても、ロイ・マスタング大佐が語るように(またかよ)、「われわれもまた死ぬ訳にはいかないからな。次に会ったときは問答無用で潰す」しかないのだ。自称・平和主義者たちの言にいつだって説得力がないのは、ここで具体的な方法を示さずに「争いはやめましょう」「話し合いで解決しましょう」という「スローガン」しか示さないことにある。
 ある一定の集団から完全にキチガイを排除はできないように、テロリストの根絶だって、それはただの理想論にすぎず、不可能なことは分かっている。犠牲者は常に生じ続けるだろうし、日本人だけが安全でいられるわけもない。福岡にだって軍事施設はあるし、標的にならないなんて保証はどこにもない。死者は出るのだ。けれど、その死者を、毎年百人、二百人単位で抑えるか、一万人、十万人単位に拡大させるかで判断するなら、どっちがマシなのか、「国家的判断」に基づくならば、答えは自明のことだろう。「テロ支援国家」ならばまだしも、「テロ組織」そのものが国家となるような事態を招聘してはならないんである(いや、既にそうなってる国はあるけど)。
 何だかねえ、何言ったって虚しいばかりだけれどねえ、一庶民に過ぎない我々は、いざという事態は覚悟して、せめて自分が犠牲にならないことを祈ることくらいしかできることはないのよ。哀しいけどこれ、戦争なのよね。そうしたのはブッシュの糞野郎だが。
 今回の事態で、韓国政府は拉致殺害事件を正式に「テロ行為」と認定、非難して、テロに屈せず予定通りイラクに追加派兵することを決定している。「国論の二分化」とは言っても、何と言っても60年前だろうが1000年前だろうが、他国から受けた傷は絶対忘れず復讐を誓うお国柄である。どっちみち「強硬手段」が世論を席捲していくのは時間の問題だろう。火に油を注いだと言うか、キチガイ同士が絡み合う結果になったと言うか、まあそれはアメリカ対アルカイダ、あるいはイラクの時点で既にそうなってはいたのだけれど、つまりは国が狂えば、人も狂うということだ。好戦を唱えようが反戦を唱えようが、狂気の時代にあってはそれはどちらも所詮は狂気だ。これから我々は否応なしに集団の狂気に巻き込まれていくのだろう。あとは積極的に狂うか、消極的に狂うかのどちらかを選択する以外にない。寒い時代だとは思わないか?(だからアニメで落とすなって)

2003年06月23日(月) 暗い話二題/『鉄腕バーディー』1巻(ゆうきまさみ)/『金色のガッシュ!!』11巻(雷句誠)
2002年06月23日(日) ふつーの休日/『狼には気をつけて』4巻(遠藤淑子)/『民俗学者 八雲樹』2巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか
2001年06月23日(土) 愛のバカクサ物語/『フロン』(岡田斗司夫)/DVD『ウルトラQ』1巻ほか


2004年06月22日(火) トンガリさんの逆襲……の失敗(^o^)

 今日もあまり長く書きたくはない気分。
 気候の変化もこここんとこ激しい。一昨日、いきなり37.7度を記録したかと思うと、昨日は一転、昼頃まで涼しくなり、2時過ぎにはまた暑くなって、今日はやっぱり蒸し暑いのである。クーラーに当たっていなくてもクーラー病に罹りそうな塩梅である。
 トンガリさん、昨日、仕事の不備を指摘されて少しはコタエたかと思っていたら、まるで(-_-;)。私を捕まえると、「仕事してないのはオウチ(←トンガリさん用語で「あなた」。どうやら長崎のほうの方言らしい)たちでしょう」と反撃してきた。とにかく相手を責めることしかアタマにないから、自分のミスについては一切認識できないようになっているのだ。いくら説明をしても、理解力自体に欠落がある以上、何を言ってもムダである。
 同僚に「あまりきつく言って、イジメになるのもいやなんですけどね」と話をしたところ、「アレがそれくらいでメゲるもんかい」と言われたものだったが、まさしくその通りであった。結局また昨日と同じく、ダンマリし始めたので、「ともかく、仕事してないのは事実なんですから、やってください」と言い置いた。どうせしないだろうけど。

 しげは今朝から体調を崩して夜まで爆睡。まあいつものことである。帰宅して、買ってきたコンビニ弁当を食わせてやる。一緒にCSアニマックス、『探偵学園Q』『妖怪人間ベム』『ドラゴンボールZ』『新エースをねらえ!』『銀河鉄道物語』『はいすくーる!奇面組』『萌えよ剣』『爆裂天使』などダラダラと見る。
 しげが仕事に出た後は、DVD『乱歩R』。とりあえずは第1巻、『人間椅子』『吸血鬼』。放映中に見損なったエピソードもあるので、今日から全話ゆっくり見て行って、コンテンツに挙げようと思っているのだが、これもいつになるかわからんのである。


 読んだ本、『ダ・ヴィンチ特別編集6 金田一耕助』、マンガ、田中保左奈『暗号名はBF』1巻、井上和郎『美鳥の日々』7巻、荒川弘『増刊 鋼の錬金術師』2巻。 


 クロアチアで開催された第16回ザグレブ国際アニメーション映画祭で、山村浩二監督のアニメ『頭山(あたまやま)』が最高賞グランプリを受賞。国内外のアニメーション賞を総ナメ、という印象だけれど、こうなると唯一『頭山』を落とした米アカデミー賞の“目の低さ”の方が際立つ格好になるね。
 同時に宮崎駿も功労賞に決定。日本人の受賞は1984年の手塚治虫依頼でしかも二人同時というのは、快挙なのだけれども、さて、アニメ誌や世のオタク、腐女子連中がどの程度の感慨をもってこのニュースを受け入れるだろうか……って、たいした騒動になりゃしないってことはこれまでの流れから見当はつくのだけれども。モノの分かってるオタクなら、お二人の実力は先刻ご承知、静かに喜びはするだろうけれども今更驚きはしないだろう。はしゃぐとすればミーハーな方々だろうが、そもそもミーハーは「ザグレブ」ったって、「それどこ?」程度の認識しか持っちゃいまい。
 しかし、『頭山』のどこがどう優れているのか、もともとの落語が持っているナンセンス性と、その映像化に際しての卓抜なアイデア、そのあたりはもっと分析、評価されていいと思うのである。宮崎駿がなぜ海外で高く評価されたかについても、あまり納得できる批評を聞いたことがない。
 そういった「ナカミ」ついての論議がないままだと、結局は受賞した事実だって、日本においては形骸化しちゃわないかと、それが心配なのだが。もうしてるか(-_-;)。


 例の『ゲーム脳』のトンデモ先生、長崎佐世保同級生殺害事件について、「長時間のパソコン使用が脳の働きに悪影響を及ぼした」なんて言っておられるそうである。
 ……だったら、パソコン使いまくっている世のサラリーマンの犯す事件のほうが、より残虐で多発する危険があるはずなんだけどねえ。パソコンを長時間やってると、「創造力や理性など人間らしさに関係する脳の前頭前野と呼ばれる部分の機能が低下する」。と言ってるそうだけれど、これって単に「パソコン長くやってると、くたびれてイライラしやすくなる」ってだけのことじゃないの? そんなんご大層に分析せんでも分かりきったことじゃん。逆に、パソコンやり続けてたら、ホンワカ爽やかで優しい気持ちになったら、その方がよっぽど気味が悪いよ。それ、確実にラリってるから。
 でもこれで世間じゃ、慌てて「パソコン禁止!」って騒ぎ出すオッチョコチョイも出るのだろうなあ。でも今回ばかりは「パソコンを破棄せよ」なんてキャンペーンは張れないと思う。なんたって、「パソコン」は既に大多数の人間にとって「必要悪」として認められているんだから(自衛隊みたいだな)。ムダなことやってるよね、ホントに。

2003年06月22日(日) 寂しいニュースばかり/映画『シベリア超特急2』『シベリア超特急3』
2002年06月22日(土) 発熱は冷やしてあげなきゃいけないもんでしょ/『楽勝!ハイパードール』vol.1(伊藤伸平)ほか
2001年06月22日(金) 冷蔵庫は8年で買いかえるものだそうな(電器屋談)/『ななか6/17』1巻(八神健)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)