無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年02月14日(金) いろいろあらあないろいろね/映画『火山高』/映画『黄泉がえり』/『爆笑問題とウルトラ7』(爆笑問題ほか)

 バレンタインデーである。
 いやね、別にどーでもいいことを日記の前置きにするのも何なんだけれど、まあ、マンガでもよくある季節ネタと言うことで。
 ホント、今年はいくつ貰えるかなあ、なんて気にしてるわけじゃないですよ、糖尿だし、今更なにか浪漫が生まれるはずもありませんし(当たり前や)。
 芝居の練習に顔を出してれば、それなりに劇団のメンバーの女の子から何個か貰えたりするんだけれど、たまにしか行かなくなっちゃったから、今年は多分なんもなし。
 しげからは二、三日前にバイト先の人から貰ったチョコを横流しして貰った(^o^)。
 ウチの職場ではそういう「虚礼」は廃止されてるので(そういう言い方されると、なんか違うよな、って思うけど)、やっぱり一個もない。普通の会社とか学校では、マンガみたいに「おまえ、いくつ貰った?」とか男どうしが聞き合うような風景がホントに展開されてるんだろうか。私ゃそんな光景に出会ったことってないんだけど。
 バレンタインネタのマンガで真っ先に私が思い浮かべるのは島本和彦の『燃えよペン』の炎尾燃vsうかつ賢二のバレンタインチョコ対決だが(^o^)、マンガ家さんとか有名人じゃなきゃ、あんな袋いっぱいの勝負なんて出来ないよなあ。チョコの数で男の価値が決まるのだとしたら、私の最盛期って、あの子とあの子とあの子と……から貰ったのって、もう覚えてないくらい昔じゃん! 二桁行ったことないってのは覚えてるんだが(^_^;)。


 うかつなことに、『明日のナージャ』のテーマソングを歌っていたのが本田美奈子だってことに気が付かなかった。新曲発表会に本田美奈子が出てる記事を見て、初めて知ったのである。……声、変わってない? 昔はあんなに透き通るような声では歌ってなかったと思うけど。
 けれど、本田美奈子、とても35歳には見えないなあ。フリフリの衣装を来てるからってことじゃなくて、表情が明るいんだよねえ。それにしても一時期はアイドルの頂点を行ってたのがふと気がついたらしばらく見なくなってたの、どうしてなんだろ? 特にスキャンダルに巻き込まれたって記憶はないんだが。
 『パッセンジャー 過ぎ去りし日々』の失敗が原因だろうか?(^o^)


 仕事帰りの車の中で、しげに今日の予定を聞いたら、「今日は仕事休みだよ」と言う。
 「だったら映画見に行こうか? 久しぶりに」
 「いいけど、どこに何を見に行く?」
 「今日は特に何を見ようって調べて来なかったからなあ。行ってから決めるしかないなあ。どこに行く?」
 「どこがいいと?」
 「そりゃ、キャナルか、粕屋か大野城か……あ、トリアスもあるじゃん!」
 「で、どこにすると!?」
 「オレがここがイイって言っても、『キャナルは車が停めにくい』とか文句言うじゃん! おまえが決めろよ!」
 「わからんよ!」
 「じゃあ、トリアス!」
 優柔不断なくせに、しげは私が何かを決めた場合、あとになって必ずブツブツ文句言うので、ホントはイニシアチブを持ちたくはないのだが、そのまま決めないでいると家に帰りついてしまうので(^_^;)。
 でもこれがあとで大変な事態を引き起こす引き金になろうとは……。

 トリアス久山に着いて、ヴァージンシネマで映画の時間を調べる。久しぶりだし、二本くらいハシゴしてみたいが、連続で見るとなると、ちょうどいいものがなかなかない。メシを食う時間だって必要だ。
 散々悩んで、『火山高』と『黄泉がえり』を見ることに。
 しげが「腹減った」とうるさいので、焼肉を食う。その間もしげ、「時間に間に合うかな、急いで食べんといかんかな」とうるさい。映画が始まるまで1時間半もあって、映画館は目と鼻の先だってのになあ。
 焼肉二人前くらい、10分かそこらで食い尽くすだろう、おまいは……と思っていたら、頼んだ赤味肉二人前、いつもはペロリと食い尽くすのを珍しく5枚ほど残している。
 「どしたん? 残して」
 「今度の公演のためにダイエットしようと」
 ……だったら、肉食うこと自体やめりゃいいんじゃないのか。山盛り二人前の肉の切れ端を五枚だけ残して、どれだけのダイエットになるんでしょうかねえ。


 映画『火山高』。
 吹替え版には林原めぐみが出てるってことだったので、そちらの方を見てみたかったんだが、やってたのは字幕版のみ。
 事前情報として聞いていたのは、「学園抗争ものであること」「日本のマンガに影響を受けていること」の二点だけ。韓国映画自体、これまでに数本しか見たことがないから(例の『桑の葉』とかね)、正直な話、結構タルイ出来なんじゃないかと思っていた。
 ところがどうしてどうして、テンポはいいわ、アクションはもちろんCG処理に頼っているけれども、決して「ムリ」はしていない。あくまで「体技」をベースにして、ワイヤーアクションを多用、「少林サッカー」のように「アニメでもようやらんわ」みたいな過剰な演出を避けて、「やりすぎ」に陥るギリギリの線で留まっている。だからギャグがバカバカしくなる寸前で抑制されて「効いて」いるのだ。

 強大な「気」を持つがゆえに、これまで八つの高校を退学になってきたキム・ギョンス(チャン・ヒョク)。彼はついに陰謀渦巻く「火山高」へとやってきた。
 火山高ナンバー1、「松林一鶴」の異名を持つソン・ハンニム(クォン・サンウ)。
 ハンニムの地位を狙う重量挙げ部主将、「無情魔刀」のチャン・リャン(キム・スロ)。
 火山高の平和を望む剣道部の美しき女主将、「氷玉」ユ・チェイ(シン・ミナ)。
 それを手にした者は乱世を平定するという伝説の書「師備忘録」を巡って、抗争は激化、ハンニムは拘束され、穏健派の校長チャン・オジャ(ユン・ムンシク)は毒茶の犠牲となる。
 しかしそれらは全て、「師備忘録」の秘密をわが手にしようとする教頭チャン・ハクサ(ピョン・ヒボン)の罠であった。
 火山高の実権を握った教頭は、自らの手ゴマとしつつも今や用ナシとなったチャン・リャンを葬るため、学園鎮圧教師五人衆を呼ぶ。そのリーダーの数学教師マー・バンジン(ホ・ジュノ)は、かつてキム・ギョンスと浅からぬ因縁のある男だった……。

 多分、今の若い人たちはこの映画を見て『覚悟のススメ』や『ジョジョの奇妙な冒険』あたりを連想するのだろう。
 実際、キム・テギュン監督がそれらのマンガを読んでいた可能性は高いが、そのストーリーライン、キャラクター設定を子細に見ていくと、これは「学園抗争マンガ」というより、「忍者マンガ」のそれであることに気がつく。
 意識せずして、そのルーツに、横山光輝の『伊賀の影丸』『仮面の忍者赤影』、更には山田風太郎の『忍法帖』シリーズを見出すことができるのだ。最近の学園マンガをあまり読まない私が「ノッてしまった」のは当然だったのである。
 それにヒロインのシン・ミナの「男装の麗人」風の凛々しさ。美しさもポイントは高い。出演者の殆どが実年齢が二十歳以上なのに、彼女だけが設定通りの現役女子高生。いやあ、萌えるわ(萌えんなよ)。

 
 続けて映画『黄泉がえり』。
 梶尾真治原作のSF小説の映画化。3週間限定での公開という話だったけれど、大ヒットしてるらしくて、続映が決定。そう言われると、確かに9時過ぎのわりには客が十数人入っているのは多いほうなのか。
 原作は映画を見たあとに読むつもりなので、ほぼニュートラルな状態で映画を見る。これも、事前情報は「死者がたくさん蘇える」「草��剛と竹内結子が出ている」くらいしか知らない。

 もちろん、それだけの話ではなかったのだが、残念ながらこの映画にはいろいろな「仕掛け」が施されているので、ストーリー紹介が即ネタバレになっちゃう危険があるので出来ない。それでもまあ、かいつまんでなんとか説明していくと……。
 九州・阿蘇。
 ある夜を境に、「この地方だけで」死者が生前の姿のまま蘇えるという怪奇現象が起こる。
 厚生労働省の川田平太(草��剛)は、調査に当たるが、彼が出会った「家族」たちは、まさしく信じられない奇跡にみな一様に涙を流していた。
 58年前に行方不明になった7歳の子供が帰ってきた老婆。
 ガンで死んだ老妻が帰ってきた夫。
 暴力沙汰に巻きこまれて命を落とした夫が帰ってきたラーメン屋の女主人。
 イジメにあって自殺した少年は、自分自身の葬式の式場に現れた。
 娘の出産で命を落とした母親が、年老いた夫と美しく育った娘の元に帰ってくる。
 「現象」は次々と起こりつづける。川田はそれらの家族から話を聞くうちに、ある原因に思い至る……。

 通常、こういった「蘇えりモノ」は主人公が一人、というのが定番なのを、本作が「集団現象」として描いたのは新機軸。ただ、これはやはり諸刃の剣で、設定、演技者の違いで、それぞれのエピソードに出来不出来がある。
 もっとも秀逸なのは、歌手・RUI(柴咲コウ。もっともこの映画の中ではあくまで歌手「RUI」だ)の話なんだけど、どこがどういいかもネタバレになるんで書けません。でもラストのRUIの歌は、これだけでも映画を見てよかったと思えます。
 イジメ少年のエピソードも、演じている市原隼人が実に自然な存在感を出していて胸を打つ。
 反面、臭い芝居がマイナスとなって弱くなっちゃってるのが、要にならなきゃいけないはずの、草��剛のエピソード。草��人気でヒットしてるんだろうから、あれでも感動した人には悪いんだけど、こいつが徹底的にバカで卑怯者で、感情移入が全くできないダメ男なのである。こういうやつって(だからネタバレになるから説明できないんだよう)見てるだけで不快感、感じませんか。まあ、もう少しうまい俳優が演じてればまだマシだったんだろうけれど、からっペタだからなあ。
 竹内結子は『リング』の頃は「この人伸びるんじゃないかなあ」と期待してたんだけれど、なんか普通のオバサンっぽいお姉ちゃんになっちゃったね。でも口元がメグ・ライアンに似てるから(異論は受け付けません)、「癒されたい」男でファンになったやつって、多いんじゃないかなあ(^o^)。
 でもまあ、幕の内弁当みたいな造りになってるから、好きなオカズが二つ三つあれば、合成着色料使いまくりの福神漬けが入ってても許せるってところかね。


 映画館を出る時に、チラシを取っていこうとしたら、しげが私を無視してサッサと出ていこうとする。夜も遅いし、しげに先に行かれてしまったら、私は駐車場のどこをどう歩いて行けばいいか、まるで見えないのだ。
 また、私の視力のことを忘れているな、コイツ、と思ったらカッとなり、また口ケンカになってしまった。いい加減、こういう下らないケンカなんてしたくはないのだが、その原因を作ることをしげがどうしてもやめてくれないのだ。情けなくて涙まで出てくる。どうしてこいつは自分から結婚したい、私の世話をさせてくれと頼み込んできておきながら、私をないがしろにしてコバンザメのようにたかることしかできないのだろう。
 しかも記憶力に欠陥のあるこいつは、私が怒る理由について何度も何度も説明し、そのたびに納得して謝るくせに、次の日になると「怒られた」事実だけを覚えていて、自分がどれだけワガママだったかを忘れて、同じ失敗を繰り返すのである。
 ああ、しかしこれがキャナルだったら、しげがサッサと先に行っても駐車場までは明るいから、こんなに激昂することもなかったのだ。
 じゃあ、悪いのはトリアスに行こうと決めた私か。いや、確かに私が悪いのはその通りなのだが、それは映画を見る場所を決めたことではなくて、しげに「期待」をしてしまったことなのである。気配りが出来ないのはもう諦めたから、せめて人を無視するのだけはやめてもらえないか。それとも、その程度の期待もさせてもらえないのか。

 鬱である。

  
 爆笑問題ほか『爆笑問題とウルトラ7』(新潮文庫・460円)。
 以前、『対談の七人』のタイトルで出された単行本の文庫化。これ、単行本で買ったかどうか思い出せないので、改めて感想を書く。もし以前書いたことがあるような内容があっても、そこんとこしどうかご容赦願いたい。最近、ホントに記憶力落ちてんのよ。
 原タイトルは『荒野の七人』か『黄金の七人』あたりをモジったと思しいが、読者には意図が伝わりにくいと判断されたのだろう、あっさりと改題。けれどコレ『ウルトラセブン』のモジリのつもりなのかね。やっぱり意図は伝わりにくいと思うけど。
 で、その七人というのは、なぎら健壱・立川談志・淀川長治・小林信彦・橋本治・山田洋次・ジョン・アーヴィング。雑誌掲載時に読んだことがあるものもあるが、殆どが初読。
 コメディアンで番組のパーソナリティーをしている人は多いから、みんながみんな話し上手、聞き上手かというとそうでもなくて、ハッキリ言っちゃえば、爆笑問題の二人は、対談の相手としては頗る不向きである。太田光は特にそうだが、聞きどころと言うかインタビューのツボをことごとく外してしまうのだ。
 何と言うか、中学生が学校紹介ビデオを制作することになって、校長先生にインタビューするんだけれど、話を膨らませようとして「校長先生の趣味はなんですか?」とか関係ないことを聞いちゃうようなイタさね、それがあちこちに散見しているのである。
 じゃあ、この対談本がつまらないかというとそんなことはなくて、余りにこの二人が役立たずなものだから、ゲストがみんなホスト役になってしまうという逆転現象が起きる。何も聞かれなくても喋ってやったり、爆笑問題の方に質問したり説教し始めたり(^o^)。
 立川談志と小林信彦は、多分、本人同士は仲が悪いと思うのだが、同じように爆笑問題を「見限って」いるのが面白い。
 談志師匠は、モロにストレートに「金、溜めとけよ」である。落ち目になったら、「俺のように教祖みたいになっちゃえばいいや」なんて言ってるけど、内心、なれやしねえ、と思っているから「金溜めろ」発言になるのである。意地の悪いオッサンである。
 小林さんの「芸が本当にいい時というのは短いものですよ。違いますか?」という質問に、太田光、「僕もすぐ見切られるなと思います」と受ける。既に見切ってるからこそ、前記の質問になってるってのに、気づいてないんだなあ。更に小林さんは「そういうふうに受けとるっていうのは、やっぱりあなたのキャラクターだよね」と否定はせずに受け流すのだから、全く陰険なオッサンである。

 テレビを余り見ない私には、「爆笑問題の旬」がいつだったのかはよくわからないが、『ボキャブラ天国』の初期の頃の爆笑問題には笑わせてもらっていた。今となっては冗談のように聞こえるかも知れないが、私は太田光に日本のバスター・キートンになるべき資質を見ていたのである。それは当時、太田光が自らを全く語らず、またニコリともしなかったからだが、今の彼は実に自らをよく語る。そういうコメディアンに対して、「普通の客」は全く笑いはしないものだ(だから今、爆笑問題の二人を見て笑っているのは普通の客ではないのである)。
 この二人が未だに「売れている」ように見えるのは、スタンピード現象と同じで、みんなが「売れている」と思いこんでいるからだろう。この波に乗って、『笑っていいとも!』のような長寿番組に腰を落ちつけることができたなら、あと10年は持つんじゃないかと思うが、持たなかったからってどうでもいい位置に爆笑問題がいることがちょっとツライだろうな、と思うのである。タガが一つ外れると、いつの間にかレギュラーが一本もない、というエアポケットに落っこっちゃう危険性を孕んでいるからだ。

 なんだかゲストのことに殆ど触れてないけどね、さっきも書いたとおり、この二人がゲストにいかに「あしらわれているか」、そのオタンチンぶりを書いてったらキリがないのよ。興味を持った人は各自、中身については読み解いて下さい。

 ただ、「『注釈』が必要だよなあ、これは」と思った箇所がいくつかある。いや、小林さんとの対談の部分じゃないです。だからねー、あの「韜晦」に全部注釈を付けてたら、もう規定枚数なんかふっとびますって。少しは「分る奴には分る」って書き方、控えてくださいよ、小林さん(T∇T)。
 一つは、216ページで、山田洋次監督が「シャレた映画」として紹介している、ウディ・アレンの映画について。
 「昔、東宝で作ったスパイ映画があって、三橋達也さんなんかが出てたのかな。ウディ・アレンが、そのスパイ映画を買いとって英語に吹替えたんだって。人に聞いた話だから正確じゃないけど、でたらめな台詞にしたり、オカマの言葉にしたり」
 と、語っているのだけれど、タイトルを紹介していない。なんで対談の最後にでも注釈を付けないかなあ。多分、編集者は「爆笑問題」のファンではあっても、映画のファンではないのだろう。出版関係者の無知ぶりって、相当ヒドイって聞くし。
 私も未見なのだが(だって日本未公開だもの)、この1966年制作の「ウディ・アレン監督デビュー作」である映画は、“What's up,Tigar Lily?”。
 元になった映画は、谷口千吉監督作『国際秘密警察・鍵の鍵』。この映画自体は、「トンワン王朝の転覆を企むテロ結社“闇”と、その組織に成り代わろうとする国際ギャング団と、国際秘密警察のエージェント・北見次郎(三橋)との三つ巴の争いを描くもの」だそうだが、これをウディ・アレンは、「エッグサラダのレシピをめぐる諜報戦(^o^)」に仕立て直してしまったのだ。しかも追加シーンまで勝手に撮影して。
 以下に、キャスト比較表(役名に注目!)を挙げるので、これがいかにデタラメなものか、参照して頂きたい(^^)。

 三橋達也(北見次郎→フィル・モスコーウィッツ<インターポール・エージェント>)
 黒部  進(蔡  何 青→ウィング・ファット<笑うギャング>)
 中丸忠雄(ゲ ゲ ン→シェパード・ウォン<麻薬を取り引きするギャング>)
 浜  美枝(ミ ー チ ン→テリ・ヤキ<謎の女>)
 若林映子(白   蘭→スキ・ヤキ<謎の女>)
 中村  哲(ス リ タ イ→外国の首相)
 堺左千夫(稲   川→ごろつき)
 天本英世(沼   口→バーテンダー<蛇の調教をするギャング>)
 <追加キャスト>
 ジョン・セバスチャン(本人)
 ザル・ヤノフスキー(本人)
 ジョー・バトラー(本人)
 スティーブ・ブーン(本人)
 ウディ・アレン(ナレーター/案内役/声)

 もう一つ、「訂正」の必要があるな、と思ったのは本文ではなく、解説の花田紀凱がトンチンカンなことを書いている箇所である。
 爆笑問題の魅力を語るところで、「爆笑問題は品がいい。関西系のお笑いは下品だ」とか、「爆笑問題は知性がある。紳介は知性があるフリをしてるし上岡龍太郎は知性を露骨に態度に出すが、爆笑問題は知性を表に出さない」とか、「爆笑問題は東京人である。小林信彦さんが仰ってるように、東京生まれのぼくには下品な関西弁だらけのお笑いはしっくりこない」などの発言のデタラメさである。
 爆笑問題に知性はないし(花田紀凱よりははるかにあるのは間違いないが、タモリやビートたけしの比ではない)、本文中にもあるが、小林信彦が見限っているのは漫才ブーム以降の関西であって、それ以前の関西は全く質が違うのである。小林さんは以前は新幹線で漫才を見に行くほどの関西ファンだったのだ。花田さんは『日本の喜劇人』で小林さんが藤山寛美をフィーチャーしていることも知らないのだろう。
 私も最近の関西ギャグは全然つまらないが、東京人の傲慢を体現している花田さんの暴言には鼻白む思いがする。
 それに太田光は東京人ではなくて埼玉人だよ(^_^;)。(2003.3.14)

2002年02月14日(木) 夫でも義理チョコ。……夫だから?/アニメ『七人のナナ』第6話/『金田一耕助の帰還』(横溝正史)ほか
2001年02月14日(水) だから初心者なんだってば/『わが師はサタン』(天藤真)


2003年02月13日(木) 絆創膏綺譚/『逆説の日本史7 中世王権編』(井沢元彦)/『魔法使いさんおしずかに!』1・2巻(竹本泉)ほか

 NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』に出演中の歌舞伎役者・市川新之助に隠し子がいたことが発覚。
 相手はTMネットワークの木根尚登プロデュースで、サッポロビール「夏の海岸物語」やP&G「ウィスパー・サイドガード」のCMにも出演していた元歌手の日置明子さんだって。全然知らないな。
 記者会見で新之助さんが正直に「僕の子供です」と認めてる様子がテレビに流れてたけど、あの額のバンソウコウはなんなんだ。そっちのほうが気になるぞ。。
 なにしろバンドエイドみたいにデカイものじゃなくて、随分小さいのである。ニキビだろうか。あんなに小さいんなら、別につけなくてもいいんじゃないかと思うが、小さくても赤黒くなってるとか、うっかり潰してポチになってるとか、ともかく地肌のままで人前に晒すことだけはは絶対にしたくない、という強力な意志があのバンソウコウには込められているのであろう。役者生命をあのバンソウコウに賭けているのである。凄いぞ歌舞伎界。
 でもすぐに剥がれ落ちそうだよな(^o^)。
 新之助さんの答弁が今一つ要領が悪かったのは、バンソウコウが取れやしないかと気をとられてたせいじゃないかと思うが、いかがですか。
 え? バンソウコウのことばかりでかくし子についてはどう思うかって?
 そんな、知り合いでもない他人の家に、ガキが何人いるかなんて、そんなことに貴方、興味持つんですか。


 CS日本映画専門チャンネルで安彦良和監督作品『クラッシャージョウ』を見る。
 公開当時、松竹映画始まって以来の前売り販売を記録したにも関わらず、いざフタを開けてみたら前売り買った人間しか劇場に足を運ばなかったというイワクつきの作品だ。
 これを見て、「高千穂遙は『SFの定義は……』とかウンチク傾けてるくせに、できたのはコレかよ」と文句をつけるファンもいたけれど、高千穂さんによれば『ジョウ』はSFでも「スペオペ」なんで、いい加減な部分があってもいいらしい。だからって、「琴座宙域」なんて言い方するなよな。宇宙に出れば星座はバラバラになることくらい、小学生でも知ってるぞ。
 高千穂さんのテキトーなところ、『ジョウ』についてはあまりうるさく言わないくせに、『ダーティペア』劇場版は「SFじゃない」と怒ってたりしてたんだよ。あれはスペオペじゃなくてハードSFだとでも言うつもりかね(^_^;)。
 でも悪態ついてもSFかどうかを抜きにしても、『クラッシャージョウ』はかなり、面白い。それは本作も含めて、『ジョウ』シリーズがSFであるとと同時にミステリとしての構造も持っているためで、「エレナ」の正体が明かされるのもかなり後半だし、当然マーフィーパイレーツの背後には「黒幕」がいるのである。ラストのジョウの黒幕への尋問は、さながら遠山の金さんか多羅尾伴内である(明智小五郎とか言ってやれよ)。
 主人公が事件に巻き込まれた後、探偵役を務めるようになるこの形式、読者や観客をぐいぐい引き付けるものだから、今ではライトノベルの多くが採用している。本格ミステリほどにはトリッキィな印象はないけれど、「謎」がマクガフィンになっていることは事実なのだ。『スレイヤーズ』の「すぺしゃる」もこのパターンを使うことが多いよね。

 それにしても、ライトノベルがこれだけ氾濫している現在の眼からは、高千穂遙の作品がどうして映画化にまで至ったのかピンと来ない向きもあろう。
 答えは簡単、「ほかにヤングアダルト向けの軽いSFがなかったから」。
 いやホント、80年代のスペオペって、高千穂遙の『ジョウ』『ダーティペア』に、野田昌宏大元帥の『銀河乞食軍団』くらいしかなかったんだよ。アチラには『キャプテン・フューチャー』や『レンズマン』シリーズのようなスペオペの伝統がちゃんとあるのに、日本人はなぜかスペオペだけは書いて来なかったからねえ。ジュブナイルでならその例もあったんだけれど、「オトナのおとぎ話」としてのスペオペは、やっぱり『スター・ウォーズ』ブームを待つしかなかったのだ。
 高千穂さんが『ジョウ』の新作を書かなくなって随分経つ。『ダーティペア』も『FLASH』になったかと思うとこれも中断した。性格は悪いが、高千穂さんの書くものは間違いなく面白いのだ。新装版も出してるんだし、このへんで新作書いてくれよう。頼むよ先輩(大学が同じなんである)。


 井沢元彦『逆説の日本史7 中世王権編』(小学館文庫・630円)。
 井沢さんの「言霊論」は、おおいに首肯できるのだが、何かにつけ「憲法を改正して、自衛隊を軍隊として認めよ」と主張するのはどうにも頂けない。
 それは別にエセサヨク的な絶対平和主義を主張したいからではなくて、井沢さんの「言霊論」に納得しているからである。
 「コトバ」が実体を規定するのが日本人の伝統であったのなら、「自衛隊」を「軍」にしちゃったら、自分から「戦争」始めちゃうでしょう。「軍」って、「いくさ」って意味だから。「いや、これからの日本は言霊に振りまわされてはいけない」、と井沢さんは言いたいのかもしれないけれど、千年以上も残って習俗化し、日本人の意識の底に染み付いてる感覚が消え去るわきゃないよ。
 「自衛隊」が「軍」になったら確実に暴走するね。侵略戦争起こして平気でいるよ。だって「軍」なんだもん。そうなったら井沢さん、責任取れるの?

 今巻は「足利幕府と南北朝」編。足利尊氏の安易な平和主義が、いかに戦争を拡大させていったか、という考証には説得力がある。だからと言って、それをストレートに現代に重ね合わせようとする姿勢もまた安易だとは思うが。
 「過去の歴史に学んで現代を見る」という行為を否定しはしないけれど、それは歴史研究家の姿勢じゃなくて、政治家の態度なんだよね。「その時代の感覚」はそう簡単に現代に流用できるわけではない。わずか10年、世代が違うだけで意志の疎通ができないことだってあるんだから。時代の分析をしてくれるのはいいけれど、「だから現代の政治は」みたいな語り方をするのは誤解を生じさせるよ。作者自身、「昔と今とでは常識が違う」と幾度となく主張しているくせに、どうしてこう自己矛盾を起こすのか。
 これまで省みられることの少なかった足利義教についてスポットライトを当てる視点はいいんだから、青島幸男と比較してどうのって言うのはやめようよ。青島幸男は確かに政治家なんだけれども、足利義教は「政治家」じゃないんだから。そんな言葉で呼ばれたことはないんだから、言霊信仰から言えば、あくまで義教は「将軍」なんである。


 永井豪原著作・セクシーファンタジー・ライティングスタッフ作『永井豪ショッキングエッチコレクション』(講談社・1050円)。
 説明はいらんな、タイトル通り、永井豪のマンガの中からエッチなシーンばかりを抜き出して、解説を加えたもの。
 例えば、SMシーンの解説に、「SMというと特殊な世界のようにとらえていることも多いかと思うが、人間は誰しも多かれ少なかれSとMの部分を持っているものだ」とか書いてあるけど、そんな解りきった駄文にページを費やすくらいなら、もっとエッチシーンを思いっきり収録してほしいものだ。特にカラーページが全くないのがなんとも残念。
 でもイラストだけにしちゃうと、原著作の権利が発生して、使用量がバカ高くなっちゃうんだろうなあ。文章がついてれば、「引用」ってことでタダだもんね。
 ともかくこの本は十兵衛の、菊ちゃんの、法印大子の、女蛮のママの、弁天ゆりの、けっこう仮面のエッチシーンを楽しめばそれでいいのだが、巻頭の永井豪インタビューで、「『ハレンチ学園』がなぜ叩かれたか」についての作者自身による分析は、マンガ表現を考える上では必読のものではなかろうか。
 永井豪は性を描いたから批判されたのではない。「学校」という権威をコケにしたから叩かれたのである。それを性の問題に捻じ曲げるというヒレツなことを当時の親たちは錦の御旗のようにして行った。
 おかげで未だに日本の学校はどこもかしこも実体のない「権威」だけで運営されている。少年犯罪の多発の主たる原因はマスコミの「煽り」だが、親や教育期間に原因があるとすれば、まさしくその権威主義にあると言えよう。で、集団が構成されれば、そこにはどうしたって「権威」が生まれてきてしまうものなのである。
 やっぱり学校制度廃止しようよ。教育はネットで自宅学習する形式にした方が(『21エモン』だね)ずっと社会はマシになるって。


 マンガ、竹本泉『魔法使いさんおしずかに!』1・2巻(完結/エンターブレイン/ビームコミックス・各998円)。
 幻の(^o^)竹本泉初期作品がカラーページ完全再録で復刊。
 タイトルはアラン・ドロン主演の映画『お嬢さん、お手やわらかに!』をモジったものか。『あおいちゃんパニック!』のすぐあとの連載で、しかも当初はアニメ化を前提としていたとか。
 な、な、な、なんでアニメにせなんだか! 凸(`0´)凸 ムッキー!
 何度も書いてるが、アニメ業界は竹本泉を無視しすぎだと思うんである。
 少なくとも『さよりなパラレル』と『ねこめ〜わく』は絶対アニメ化して歴史に残すべきだと思うがな。
 このときプレゼンで勝って見事アニメ化されたのはあの大島やすいちの『は〜いステップジュン』だそうな。そんなもう誰も覚えてないような(私ゃ単行本持ってるが)アニメ作るよりどうして竹本さんを……(T∇T) ウウウ……。

 クルーリーコーン村に引っ越して来た13歳の少女・スウと、イラストレーターの叔父さん・フレッド(当時はまだ「挿し絵画家」と言ってたのね)。無精者の叔父さんの世話をするのに飽きちゃったスウは、お隣りの美人、エリーと叔父さんを結婚させられないかと画策する。けれど叔父さんは、昔、何かツライことでもあったのか、美人が大嫌い。スウの作戦はいつも失敗してしまう。
 ところがあるときスウは偶然、エリーの秘密を知ってしまう。なんとエリーの正体は仙女だったのだ!
 しかも村にはどうやら悪い魔法使いが住んでるらしくて、動物がトンネル掘って銀行を襲おうとしたり、トロールを操って金銀財宝をせしめようとしたり、アヤシイ出来事が次から次へと起きる。エリーの協力で、スウは悪い魔法使いの正体を突き止めるのだが、それはなんと……。
 そんなこんなで大騒動に巻き込まれていくうちに、スウは帰国した両親(考古学者で世界中を飛び回っているのである)のもとに引き取られることに。楽しい仲間たちともお別れに!?

 初期作品だけに、ストーリー展開は途中であっちゃこっちゃふらついてる恨みはあるものの、竹本キャラのオリジンがあちこち顔を出しているのが楽しい。
 主役の働く元気少女・スウはもちろんのこと、エリーが仙女のくせにテレビの昼メロ好きって設定も「竹本キャラの美人はみんなどこかヘン」の基本に忠実。ってどんな基本なんだ。
 そしてこれが初登場だろうな、ワーリー教授こと、ピーター・カッシング!(似てないけど)善人なんだか悪人なんだか分らないキャラを毎回好演してるんだけれど、今回はどちらかというと映画『グレートレース』のフェイト教授(ジャック・レモン)みたいな役回り。ということは、助手のトゥローがピーター・フォークか(^o^)。マヌケでトンマでいいコンビなんだよ、この二人。
 絵柄が今と全く違っちゃってるので、描き下ろしのイラストはないけれど、なかがきとあとがきはいつも通りふんだん。竹本ファンならずとも、これは必読の一冊、いや二冊だよん。優しいお父さんはムスメさんの情操教育にどうぞ(^o^)。(2003.3.12)

2002年02月13日(水) たくさん書いてるけど半日は寝ている(^^)/『ギャラリーフェイク』24巻(細野不二彦)ほか
2001年02月13日(火) 明日寂しい思いをする人は読まないで下さい/『コロンブスの航海』(J.P.チェゼラーニ)ほか


2003年02月12日(水) ラブラブブラブラ/『逆説の日本史6 中世神風編』(井沢元彦)/『バロム・1』1巻(さいとう・たかを)ほか

 本日、2月12日はブラジャーの日だそうだ。
 以下、「今日は何の日」ってサイトからの引用。

 「1913年のこの日、アメリカのマリー・フェルブ・ジャコブがブラジャーの特許を取りました。これはハンカチ2枚をリボンでつないだものだったそうですからビキニの水着みたいなものですね。
 ブラジャーの普及というのは女性の社会進出と連動しています。お家にいる分には別に必要のないものなのでしょうが、仕事をするとなると何かで押さえておいた方が楽。でもコルセットはきつい、ということで、これに代わる下着として考案されたものです。
 しかしマリーのブラジャーは当時はなかなか売れず、1920年代になってからようやく人気が出てきました。(実際に売れたものはコルセットの上だけぶっ切ったもの。)
 日本国内でブラジャーが売れ始めたのは戦後のことです。
 当初輸入物のブラジャーが大量に流入してきたのですが、欧米人と日本人では胸のサイズが違いすぎるので、やむなくサイズの合わないブラジャーをつけている女性がずいぶんありました。
 そこに注目したのが和江商事(現ワコール)の塚本幸一で、欧米のブラジャーを随分研究し、そして日本人の胸のサイズを調べてかなりの試行錯誤の上で日本人向けのブラジャーを発売しました。ワコールはブラジャーのおかげで大きな企業に成長することになります。」

 さて、本題はこれから。
 しげも一応、女であるから、このブラジャーなるものをつけているのだが、実は殆どがスポーツブラで、マトモなやつは殆ど持っていない。
 「なんで?」と聞いたら、「サイズ知らんから」ということであった。
 ところが先日、バイト先の同僚の方に調べてもらって、初めて自分のサイズがわかったそうなのである。
 「ねえねえ、聞いて、オレのブラのサイズがわかったと」
 「……はあ」
 「Fカップ」
 「……えふぅ? 前、Bくらいとか言ってなかったか?」
 「計ってみたら違っとったと。嬉しい?」
 「別にオレは巨乳好きとちゃうわ! ……でもなんか最近、サイズの計り方が変わったんか? 昔は『巨乳ハンター』ですらDカップだったのに」
 「知らんよ!」
 しかし、やだなあ。しげは自分で下着を買うのは恥ずかしいらしく、ともすれば私に買わせようと画策することも多いのである。わしゃ下着屋で「すみません、Fカップ下さい」なんて言うのなんて死んでもイヤだぞ。
 自分が付けるかと思われるではないか。


 昨、11日の午後4時15分ごろ、埼玉県入間市下藤沢のアパートの空き部屋で、男性と若い女性2人が死んでいるのを、栃木県から訪れた女子高生が発見。
 狭山署の調べによれば、三人の死因は現場にあった練炭入りの七輪とバーベキュー用コンロによる一酸化炭素中毒死。発見者の女子高生は、「男性らとはインターネットの自殺志願者のサイトで知り合った。数日前から連絡が取れなくなった。この部屋で集まりがあると知り、心配になって来た」と語る。
 昨年12月9日の段階で、インターネットの「心中掲示板」というサイトに「心中相手を探しております。方法は練炭による一酸化炭素中毒死。場所は埼玉県です」という書き込みがあり、そこで知り合った仲間が寄りあって心中したことはまず間違いがないようである。

 人間らしいココロなどカケラもない私である。だもんで、このニュースを聞いて真っ先に思ったのは、「なにも埼玉で死なんでもなあ」であった。別に阿寒湖とかエーゲ海くんだりまで出かけろなんて言うつもりはないが、よりによってなぜ「埼玉」だったのか。多分、たいした理由はなく、「住んでるところに近かったから」とか、この三人が寄り合うのにちょうどいい場所だったからだと思う。なんだか「おう、ちょっくら自殺してくらあ」みたいなお手軽な感じが、「心中」という言葉と今一つそぐわないように思ったのだ。
 私にも自殺願望は常にあるが、「埼玉で」と誘われたら、「もっとステキな場所はありませんか」と言いたくなる。埼玉県には悪いが。
 生まれ故郷ではあっても、私は博多じゃ死にたくない。「大濠公園に死体が浮かび」って汚そうだし、「福岡タワーから飛び降り自殺」なんてお笑いである。なんで死んでまでギャグ飛ばして世間にサービスしてやらにゃならんのか。
 いや、なんかね、福岡や博多って、人が死んでたらなんか可笑しいような、それくらい「生」のエネルギーがムダに横溢してる町なんよ。だからどこで死んでもなんか滑稽になっちゃうんである。
 「華厳の滝」のような「自殺のメッカ」が生まれるのはなぜか、ということを考えれば、この「お気に入りの死に場所」について考えることは、決して不謹慎なだけの行為ではなかろうと思う。

 こないだ読んだ柳美里の言い分ではないが、「自殺」という行為が何らかの意味での「自己完結」であることだけは間違いがない。そこで全てを終わらせるのであるから、自殺者はたいていそこに自らのドラマの終焉としてふさわしい「様式」を見出すものだ。
 それは例えば「遺書」を残すという形であったり、死んだ「場所」であったり、首吊りとか入水とか列車飛びこみとかいった「手段」であったりする。自然死と違って、「自殺」は自らの死を演出できる点において、極めて演劇的である(だから柳美里が「自殺」に夢想を抱く気持ちも共感できなくはないのだ)。しかも自殺者は、数限りない選択肢があるにも関わらず、必ずしも「美しく」死ぬとか「安らかに」死ぬことばかりを選択するとは限らない。醜く、苦しむ死をあえて選択する自殺者もいるのだ。だとすれば、自殺者には自殺者だけにしかわからぬ、「この死に方がいい、これしかない」という特別の論理があるのだと解釈せざるを得ない。
 三人のうち、誰も「私、埼玉なんかじゃ死にたくない」とは言わなかったのだ。しかも場所は相当なボロアパートらしい。廃墟マニアでもあるまいし、なんでそんなところで死んだのか。もし、今回の「死に場所」が必ずしも死を演出する絶対要因ではなかったとするなら、彼らを「死」にいざなったものはなんであったのか。

 「ネットで知り合った自殺志願者どうし」というシチュエーション自体が、既に彼らにとっては充分魅惑的なものだったのかもしれない。真相は死んだ本人たちに聞いてみなくちゃわからないことだが、そこでふと気になったのは、山本弘さんは、このニュースをどう聞いただろうかということだった。
 山本さんは『宇宙を君の手の上に』という短編で、ネット上の人間関係が、一人の自殺志願者を救う物語を語った。生か死か、その行き付く先は違っても、ネットを通じた人と人との絆が、生身の人間どうしの付き合いと変わるものではない、という視点においては、山本さんのネットについての認識と、この自殺者たちとの意識の間には共通項があると言える。ぶっちゃけた話、生を希求するエネルギーと、死に埋没するエネルギーとは実は同質のものなのではないか?
 まあ、こんな不躾な質問、山本さん本人に向けられるはずもないが、生はその背景に死という絶対的な事実を踏まえた上でなければ語れるものではないと思う。山本さんはそのことを充分ご存知の上で創作の筆を取っておられるだろうとは思うんだが、そこまで突っ込んで山本さんの作品が論評されることが少ないのが
残念だと思う。


 『千と千尋の神隠し』が第75回アカデミー賞の長編アニメ部門にノミネートされたけれども、まあ受賞するのはほぼ確実ってとこだろう。もっともアカデミー賞は会員による投票制だから、余りに本命が強すぎると同情票が他作品に回って大番狂わせが起きるってこともあるから、最後まで目は離せないんだが。
 もっとも対抗馬が『リロ&スティッチ』とかだからなあ。予告編しか見てないけどヒドイ出来だし。これで受賞できなきゃ、日本人バッシングがあったと疑われかねないから、多分、番狂わせもなかろう。で、受賞記念で英語版の凱旋興行、ダヴェイ・チェイスちゃんのかわいらしい声を聞かせてもらいたいものである。
 実はまあ、そっちのニュースはどうでもよくて(^o^)、「やったぜ!」と思ったのは短編アニメ賞候補に、山村浩二監督の『頭山(あたまやま)』が含まれていたことだ。昨年度の文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門優秀賞や、毎日映画コンクール大藤賞候補にも選ばれていて、この日記でも以前に「見たいぞぉ〜!」と叫んでたものだったが、これでDVD化への道が開けたと思うんである。この手の短編アニメってなかなかDVDにならないからねえ。


 朝、体調が優れず、仕事に1時間遅れて出勤。
 ともかくもう、休むのだけは避けようと思ってるんだが、具合が悪いときは悪くなっちゃうんでどうしようもないのである。
 仕事自体も遅々として進まず。定時に退出してさっさと帰宅、あとは寝たきりなんでたいして書くことなし。


 井沢元彦『逆説の日本史6 中世神風編』(小学館文庫・690円)。
 鎌倉新仏教の展開から、鎌倉幕府の滅亡までを、井沢さんお得意の「言霊信仰」を絡めて説いていく。
 これも細かく感想を書いてったらキリがないから、面白かったところをピックアップ。さてどこでしょう。
 もちろん、「元冦」ですね。ウチのパソコン、こんな常識的な字も出しやがらないんですが、そんなに中国やモンゴルに媚び売りたいんでしょうか。
 あだしごとはさておき。
 博多で有名な元冦のヒーローが二人いる。亀山上皇と日蓮で、この二人のどでかい銅像は、今も博多の東公園に立って、中国や朝鮮の侵略から博多を守るべく沖を睨みつけているのである。
 日蓮がなぜヒーローとなったか、それはもちろん彼が「元冦を予言し」「祈念によって神風を吹かせ元軍を撃退した」という「事実」にあるのだが、もちろんそんなのはただの偶然であろう、と私は考えていた。
 ところが井沢さんは「偶然」どころか「予言は外れていた」とまで説くのである。すなわち、日蓮の予言は、簡単に言えばこういうことである。「邪教を捨て、法華宗を信じないと、外国から侵略を受け、日本は滅びるぞ」である。でも、時の鎌倉幕府は、法華宗を是とはしなかった。つまり、日蓮の予言が当たるのなら、「日本は滅びていなければならない」のである。
 ……あ、そうじゃん(゚゚)。今の今まで気づかなかったなあ。「外国が侵略」までは当たってたけど、後半はハズレ。「神風」は日蓮の意志と関係なく吹いちゃってたのである。実際に日蓮は、自分の予言が外れたことを知ってショックを受け、病気になって死んだんだと。ご本人はどうやら本気で自分の予言が当たると信じこんでたらしい。
 その点では日蓮さん、エセ宗教の詐欺師とは全く性格を異にしているのだけれど、もしも友達だったらどうにも困った、迷惑な人ではあったろうなあ。念のために付け加えておくと、法華経の思想自体は「宇宙全体が幸福にならない限り個人の幸福はありえない」という、別に悪くはない考え方である。戦前の日本のファシズムに利用されはしたけどね。


 マンガ、さいとう・たかを『バロム・1』1巻(リイド文庫・600円)。
 21世紀に入って、『バロム1』がアニメで復活しただけじゃくて、原作まで復活するとはビックリだねえ。しかも文庫だよ。2、3年前に、やたら分厚い単行本上下巻(各巻2667円!)で出た時に買わなくてよかったなあ。
 知ってる人は知ってるけれど、この『バロム1』がなかなか単行本にならなかったのにはわけがある。敵の悪の魔人、「ドルゲ」って名前がドイツ人の名前に実在してたそうで、留学生のドルゲくんが学校で苛められ、それが理由で番組自体も封印、再放送がされなくなってしまった、というものである。なんだか都市伝説っぽいけれども、さいとう・たかを自身が「ゾルゲってのがいることは知ってたからドルゲに変えたのに、なんでそいつまで実在してやがるんだ」とクサしてたから本当だろう。ここに来てやっと出版されたというのは「名前の偶然の一致くらいいいじゃん」という気持ちにドルゲさんたちも寛容になったのか、その程度のことで苛めるバカが減ったのか。後者だったらいいんだけどな。
 でも復活したとは言え、この原作、そんなに凄く面白いってほどのものでもない。もともとさいとう・たかをの絵柄は子供の間ではたいして人気がなく(少年マンガでもさいとう・たかをの人気が出たのは『無用ノ介』あたりからで、それ以前の『ザ・シャドウマン』などはイマイチであった)、マンガ連載当時も「カッコ悪い」という印象しかなかった。まだしも特撮テレビ版のバロム・1のデザインの方がカッコよかったのだ。白鳥健太郎と木戸猛が合体してバロム・1になるって設定は同じなんだけど、原作のバロム・1はムキムキマッチョなおっさんなのである。しかも顔がまた濃くてねえ。『バロム・1』を見たことがない人は、アイシャドウをつけたゴルゴ13に、魔法使いサリーちゃんのパパのトンガリヘアーが乗っかってると思って下さい。ああ、ひたすらキモイ。
 お話もねえ、昔から思ってたんだけど、二人で一人のヒーローに変身って、すげえ効率悪くないか。人間でバラバラでいる時に襲われたら一発でアウトじゃん。もちろんそういうツッコミが野暮だってのは分ってるんだけど、ドラマ的に底が浅いのはどうしても否定できないんでねえ。テレビ版でもそうだったけど、この二人がやたらケンカして、友情エネルギーが足りなくなって、変身できなくなるんだよ。でもって、「俺が悪かった!」「ボクこそ!」って謝りあってさ、それでようやく変身できるようになる。でもその次の回ではまたケンカしてやんの(-_-;)。学習能力ないのかお前らは、ってな。もちっとマシな二人選べよ、コプー(←二人を正義のエージェントにした宇宙意志。「フロイ」ですな)。
 原作版ではドルゲの分身たるゲルゲどもが全然出てこないのも寂しいところ。クチビルゲとかヒャクメルゲとか好きだったんだけどなあ。フランケルゲってのはあんまりだと思ったけど。


 マンガ、横山光輝『横山光輝SF傑作選�◆〆�虫惑星』(講談社漫画文庫・630円)。
 主に1976〜80年時のSF短編を収録。でもどれも元ネタが海外SFにありそうな気がするなあ。巻末の年譜を見ると、これ以降、横山光輝はSF作品を一作も描いていない(もっとも記載漏れがある可能性はある)。作品の中心が歴史ものに以降したからだと言えはするが、パクリネタが多いことが指摘されたからかも。でも横山光輝だけでなく、昭和30年代、40年代に活躍したマンガ家さんたちの多くは、小説や映画のアイデアを自作に流用していたのだ。
 『ポイント4』、海底の古代遺跡が上空を飛ぶ飛行機を四次元空間に送りこんでしまう事件を、エスパーの少年たちが解決する話。それだけ。
 『昆虫惑星』、巨大化した昆虫が支配する惑星。そこを探索に来た調査隊は、そこがかつて人類の住む惑星だったことを知る。これもいくらでも元ネタが探せる作品。有名どころは『猿の惑星』かね。
 『宇宙船マゼラン』、宇宙に行ったら死ぬかもしれないから、地上にいるうちに思いきり遊んどこうよ、という話。いや、ホントにそれだけなんですよ! 『アルマゲドン』はこれのパクリか?(^o^)
 『91衛星(サテライト)SOS!!』、今んとこ横山光輝最後のSF作品。謎の衛星を調査したら、それは食料加工所で、調査員はソーセージにされてしまいましたとさ。なんだか夢野久作の『人間腸詰』。でもこれも海外SFに類似作があったような……。
 まあ、横山ファン以外には読んでもつまらんでしょう。横山光輝もなあ、『バビル二世』の初期の頃までは面白かったのになあ。(2003.3.11)

2002年02月12日(火) 気がついたらマヨラー(笑)/『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』(上遠野浩平)/『大秘密』(W・パウンドストーン)
2001年02月12日(月) 来年の『ゴジラ』はあるのか/『アニメージュ』『ニュータイプ』3月号


2003年02月11日(火) 映画を見る以外に休日の過ごし方なんてあるんですか/映画『音楽』/『プーサン』/『エデンの海』/『日本一のホラ吹き男』

 朝になっても、やっぱりしげは帰らない(^_^;)。
 いいなあ、夜通し飲んで騒げて次の日に残らないって。まだまだしげは若いわ。

 CS日本映画専門チャンネルで予約録画しておいた三島由紀夫原作・増村保造監督の『音楽』を見る。
 増村監督は『からっ風野郎』で三島を俳優として使ったことがあるが、もう三島の役者としてのド素人ぶりは目を覆いたくなるほどであった。
 ATG(アート・シアター・ギルド)制作のこの映画は、三島の死後に作られたものだが、増村監督からの三島へのレクイエムの意味を持っているのだろう。その原作に『音楽』を選んじゃうというのが増村さんの意地の悪いところである。
 精神分析医を訪ねた不感症の女。
 彼女は恋人と感じることができない悩みを告白する。ではこれまでに感じることは一度もなかったのか? そうではない。彼女にもほかの男とのSEXで感じることはあった。そしてそのときには必ず彼女の体が「音楽」を奏でていた。
 心理分析による推理小説的要素を多分に含んではいるけれど、その結末は何だか今一つ説得力に欠ける(ミステリーとは言いきれないけれど、これを三島唯一のミステリ作品、と評価する人もいるので、結末は明かしません)。三島由紀夫って、才能に任せて書きなぐったような作品も多いし、これは彼のグロな面が作品として昇華しきれないままに出ちゃった感が強い。まあ、珍品として鑑賞するくらいがちょうどいいかも。
 主人公・弓川麗子には黒沢のり子。脱げる人ということで日活から呼んできたらしいが芝居はからっペた。精神科医・汐見は細川俊之。あの舞台口調で麗子を責める様子、医者じゃねーよ、と大笑い。やっぱり大映ドラマの伝統かなあ(^_^;)。麗子の恋人・江上に我等がモロボシダン、森次晃嗣(当時は浩司)。恋人を満足させられなくて悩む姿に、アンヌを幸せにできない宇宙人としての自分の身の苦しみを重ね合わせてみるのもおもしろ……くないって。
 あと、三谷昇のSEXシーンという珍しいものも見られます。見てどうする(ーー;)。


 なんだか完璧にハマっちゃったな、CS日本映画専門チャンネル。
 いやねえ、実際にCMなんか見ててもすっげえセンスいいんだよ。宝塚映画や東宝映画の名作の予告編を繋げて、そこに50年代、60年代のオールディーズをBGMに流す。これが実にハマってんだね。
 もちろん本編中にそんな曲は流れないんだけれど、当時、それらの映画をリアルタイムで見ていた世代にとっては、「ああ、この曲を聞いていたころ。この映画を見ていたなあ」と、「時代の記憶とともに映画を見る」ことができる仕掛けになっているのだ。うまいなあ。
 あるいは『新吾捕物帳』の予告編。BGMがOO7のテーマ! 『江戸の黒豹』よりずっとカッコイイんだなあ。
 しかしこれだけカッコイイCM作っちゃうと、本編見たとき、「イメージ違うじゃん!」ってことになりはしないかと心配である(^_^;)。


 続けて日本映画チャンネルで、市川崑監督の『プーサン』を見る。
 見たい見たいと思いつつなかなか見る機会に恵まれなかった映画の中でも、これは特に見たいものの一つだった。
 いやあ、よかったねえ。
 横山泰三のマンガ『プーサン』と『ミス・ガンコ』が原作、けれど脚本の和田夏十は原作マンガを随所に挟みつつも、ストーリーに一本骨を持たせるには相当自由に脚色、新設定を付与しているようである。「ようである」って言葉を濁してるのは、『プーサン』の原作、今は手に入らないから読んで比較するってことが出来ないからなのよ。昔、何かで再録されてたの見たことはあるんだけどなあ。
 脚色が効を奏したのか、本作は市川崑フィルモグラフィーの中でも最高傑作と言ってもいいんじゃないかってくらいに面白い。私の趣味に合っているというか、ギャグがみな「乾いている」のだ。私の心の中ではこれまでの市川崑のベストワンは『吾輩は猫である』だったんだけれど、もう『ビルマの竪琴』も『細雪』も金田一耕助シリーズも吹っ飛んだね。『火の鳥』とか『竹取物語』とか『天河伝説殺人事件』とかは最初から話にならないけど(^o^)。

 プーサンこと野呂米吉(伊藤雄之助)が、いきなり銀座でトラック(軍用っぽい)に撥ねられるところから物語は始まる。幸い大した怪我もしなかったプーサン、「ぼくは銀座に出て来たのは久しぶりでしてねえ」と呑気なことを言ってヘラヘラ笑っている。車に撥ねられそうになったのも戦後復興の謂いかと喜んでたりしているのだ。
 プーサンの後ろで蒲鉾屋がさかんに「政治の貧困ザンスねぇ!」とナンセンスなことを言っている。もちろんこのセリフで察せられる通り、演じてるのはトニー谷。「家庭の事情」に続いてこの「政治の貧困」も流行らそうとしたところだろう。
 応急治療はしたものの、プーサンは下宿近くの渋谷の診療所に回される。そこの医者・手塚先生は木村功、看護婦・織壁さんが八千草薫。なんだかここ数日、八千草薫ばかり見てる気がするが、1953年当時22歳。匂うがごとき清純な美しさである。『プーサン』『今宵ひと夜を』『白夫人の妖恋』と時代を追って、更に『ガス人間第一号』まで見ていくと、八千草薫が清純な少女から、男を虜にする魔性の女へとオトナになっていく様子がよく分る。で、最後は『サトラレ』の呑気な婆ちゃんになると(^o^)。
 プーサンの住む下宿の大家は三人家族、銀行に勤めるそこの一人ムスメがガンコさんこと金森カン子(越路吹雪)である。越路さん、市川崑作品には『結婚行進曲』『足にさわった女』に引き続いての出演で、このとき御年28歳、後年のハデな化粧はもちろんしてなくて、印象はクールビューティーである。転んで頭を打っても「痛くない!」、銀行では同僚からガメツク借金を取りたて、「映画見るよりストリップの方がいいわ!」と嘯き、恋人(黛敏郎!)との結婚を反対されたら自殺未遂しちゃうという、ガンコっていうより偏執狂的なキャラをサラリと好演している。
 「野呂さんといると気分がのんびりするわ!」と言われてプーサン、ぽわーんとなる、つまり彼女がプーサンのマドンナってわけである。もちろんこの恋、成就はしないんだけれど。
 プーサンの職業は、今で言う予備校の数学教師。けれど塾長(加東大介)から
は安く見られていて、夜間に回されるわ給料は減らされるわ、でも要領の悪いプーサンは文句一つ言えない。それどころか、その要領の悪さが祟って、左翼学生・古橋(山本廉)の口車に乗せられてウッカリデモに参加してしまい、あの「血のメーデー事件」に巻き込まれて、予備校をクビになってしまう。
 慌てて少ないコネをたどって再就職に奔走するが、もちろんどこも雇っちゃくれない。なんとか臨時雇いで潜りこんだのは、倉庫での梱包係。送る荷物はなんと銃弾である。もちろんこれは朝鮮戦争で使われるものだ。
 ラストシーン、銀座をあてどなくさ迷うプーサンを再び軍用トラックが撥ねかける。もうプーサンは笑ってはいない。街路には、汚職事件で失脚したのに、自伝を出してベストセラーになった政治家のポスターがズラリと貼られている。

 世相マンガの映画化は、やはり世相映画であった。
 脚本のセリフにも「戦争になるかねえ」とあるが、多用されるニュースフィルムなどを見ていても、1950年ごろの日本人が、どれだけ戦争の恐怖に怯えていたかが伝わってくる。
 当時の様子を語ってもらうために、岸田今日子がゲストに呼ばれて、八木亜希子がインタビューする形で解説をつけているのだが、「警察予備隊」が街中を行進するフィルムを見た八木さんが、「これ、戦前のシーンですか?」と聞いていたのがトンチンカンではあるのだけれども興味深かかった。
 紛れもなく、アレは軍隊なのである。ただそれが戦前のフィルムではなく、間違いなく戦後の風景だということがハッキリ分るのは、沿道の人たちが誰一人として旗を振っていないことだ。みんな、目の前の情景をどう受け取ればいいのか困惑し、苦渋に満ちた顔をしている。さて、現代だと自衛隊の行進に旗を振る人はどれだけ増えているだろうか。
 かと言ってこの映画が右翼批判の映画でないことは、左翼学生・泡田(小泉博)が浅薄な知識をひけらかしているそのウラで、実は伯父の政治家・五津平太(菅井一郎)に取り入っている様子からも見て取れる。イデオロギーは右も左もアヤシイもんだ、ということをこの時代に喝破していた和田夏十・市川崑の洞察力には感服するほかはない。
 原作マンガにあったと思しいギャグもみな殺伐としている。

 派出所に飛びこんでくる拳銃を持った男。「弟を殺して来ました!」と震えながら叫ぶ。応対する警官・甲賀(小林桂樹)は驚く様子もなく、「あ、弟殺しね」と奥に通す。
 ザンバラ髪の女がやってきて、「精神病の息子を殺しました!」。甲賀、また「あ、息子殺しね」と奥にやる。
 薄汚れた子供がやって来て、「ネズミ殺したよ」。目の前にぶら下げられたネズミを見た途端、「ぎゃあ!」と言って卒倒する甲賀。

 警察署への通報が二つ、一つはルンペンの中年男の首吊り、もう一つは若い裸の美女(ガンコさんである)の自殺未遂。署内から一斉に飛び出す警官隊(このあたりはキーストン・コップ調)。全員が美女の方に殺到して、男の方の張り番は、首吊り死体を前に寒空の中、「遅いなあ」と呟いている。

 笑えるかどうかは別として(^^)、「時代」は小さなギャグ一つにも横溢している。
 今、この映画を見る人の中にはその暗さに閉口して、暗澹たる思いにかられてしまう人もいるかもしれない。失職してちょっとおかしくなったプーサンが部屋でキャベツを頭に乗っけて「うへへへへ」と薄ら笑いを浮かべているシーンなどはたしかにゾッとする。けれど当時の庶民の多くに、そんな言い知れぬ不安を感じる気分があったのではないか。
 全く、平和国家ニッポンと言いながら、日本人が戦争の恐怖に怯えないでいられた時間ってのをどれだけの期間、共有できていたというのだろうか。そんなことを考えながら見ていくと、この映画、素晴らしく面白いのである。

 あと、市川崑映画には定番のギャグ、フスマの裾挟み、この時代からやってたのを発見。うーん、面白いんだかなんなんだか。 


 興奮して見てたのに、睡魔が襲ってきて、夕方まで寝る。
 休日は昼寝せよ、と遺伝子が命令しているのであろうか。んなワケないって。


 目覚めてからもCSに齧り付き。
 だからって、見た感想を全部詳しく書いてたら、時間がいくらあっても足りゃしない。このへんでちょっとトバします。
 『エデンの海』。
 山口百恵文芸シリーズ第4弾、でもって三浦友和以外とコンビを組んだ初めての作品でもある。お相手は南条豊だけれど、映画自体、教師と生徒の禁断の恋、と言っても「高校教師」的な妖しいムードはまるでなく、健康的というよりはお子様ランチ的なヤリトリが延々と続いて、今見ると気恥ずかしくなるばかりだ。でも当時はこれでもドキドキしながら見てたんだよなあ。
 興行的に弱いと踏んだのか、山口百恵が初めて水着姿を披露するし、体操服姿でおしっこちびっちゃうなんてサービスサービスなシークエンス(何でや)まである。でもやっぱり山口百恵が演じるには違和感ありまくりの役だ。
 百恵ちゃんにレズ的愛情を寄せるヘンなオバサン役に樹木希林。逆に先生を一人占めされて嫉妬するクラスメートにデビュー当時の浅野温子。冷徹な前のクラス担任教師に岸田森。南条豊に思いを寄せる女教師に紀比呂子。陰険なヘコキ教頭に井上昭文。温厚な校長に伊藤雄之助。役者はみんないいんだけどなあ。
 『日本一のホラ吹き男』。
 植木等主演、「日本一」シリーズの佳作。
 これも何度見たかわかんないなあ。やたらテレビでも再放送されてた気がするけれど、一番調子よく出世しちゃう話だから、人気があるのかも。でも結局はどれも似たり寄ったりだよな。時々『ゴマスリ男』とかと混同しちゃうので、定期的に見返す必要があるんである。
 オリンピックの陸上選手だった植木等、アキレス腱を切っちゃって選手生命を断たれちゃうんだけれど、ご先祖様の巻物を発見して、心機一転、ホラを吹いてうまいこと出世しちゃおう、と太陽電気に就職する。
 この就職するところまではすごく面白いんだよね。大言壮語ばかりするものだから面接にはアッサリ落ちちゃうんだけれど、警備員でなんとか会社に滑りこむ。そこから社長にコネつけて……。そのへんまではまさしく植木等自身の知恵なんだけれど、冷暖房電球の発明は谷啓の手柄だし、ダム建設の入札をするためにワザと自社の情報をリークしてライバル会社を騙すっていう展開は陳腐だ。全体の構成がまとまってるから余りつまらないという印象はないけれど、アイデアが今一つっていう恨みはある。
 ヒロインの浜美枝にはもう少し活躍の場所が欲しかったな。あと、ライバル会社の社長役で、『ウルトラQ』の一ノ谷博士こと江川宇礼雄が出演してることもチェックポイント。


 夜、東京のこうたろう君から電話。
 上京についての用件だったのだが、気がついたら最近見た映画の話ばかりしている自分に気がつく。「八千草薫はいいぞ!」って、なにを今更。映画を語るにしてももう少し落ち付いたらどうか。(2003.3.11)

2002年02月11日(月) うまいぞもやしマヨネーズ/『ONE PIECE ワンピース』22巻(尾田栄一郎)
2001年02月11日(日) 水の中の失楽/アニメ『も〜っとおじゃ魔女どれみ』1・2話ほか


2003年02月10日(月) 夢見が悪い日ってあるよね/映画『金髪の草原』/『うさぎとくらたまのホストクラブなび』(中村うさぎ・倉田真由美)ほか

 久しぶりに夢の話である。
 しょっちゅう見てるとは思うんだが、朝、目覚めたときにはもうたいてい忘れてるものでね。
 以前、私の職場の同僚で、セクハラが理由で辞職した人がいた。
 と言ってもそんなに珍しいことでもなく、私の知る限りでもソレで問題を起こした人間がこの10年ちょっとの間に5人もいた。私の知らぬところも含めるなら、もっと数が多いことであろう。全く、どうしてウチの職場、そんなに女に飢えてるやつばかりいるのだ。……てなことを真っ正直に書いちゃうから、私は職業が明かせぬのである。もし社名をバラしちゃったら、四月から新しく入って来る女性の数が減っちゃうじゃん(^o^)。
 さて、そのセクハラ同僚であるが、私が出勤してみたら、なんと復職してニコヤカに声をかけてきたのである。
 「あれ? 退職されたんじゃなかったんですか?」
 「それがこのたびの恩赦で復帰できることになりまして」
 恩赦ってなんの恩赦だ。それに問題にはなったが別に逮捕されてたわけではない。このへんがやっぱり夢である。
 その同僚、実に明るい顔で「これであと三回まではおサワりセーフですよ!」と鼻息荒く断言する。どうも法律で一回罪を償ったものはその代償に三回までは悪いことをしてもいいことになったらしい。けれどいったいどういう理屈なんだかよくわからない。
 「さあ、有久さんも一緒におサワりしましょう!」
 するか! もう2年近くも会ってない元同僚がいきなり夢に出て来たというのもワケが分らないが、なんでおサワりの仲間に誘われなきゃならんのかもサッパリわからん。そんな願望でもあるのかと心配になるなあ(ーー;)。
 

 朝、車で職場まで送ってくれたかと思ったら、夕方は寝過ごして迎えに来ないことが殆どのしげだけれど、今日は珍しく寝過ごさずにしげ迎えに来る。
 正直に「珍しいね」と言ったら、しげ、急に怒り出す。
 「悪かったわね、フン!」てな感じだ。誉めてんのになあ。
 頼んでおいた洗濯ものを干したかどうか聞いたら、「アンタが干す番やん!」とまた怒り出す。「おまえだよ!」「あんた!」「おまえ!」「あんた!」。
 これがケツにつくのがエクスクラメーションマークじゃなくてハートマークだったらラブラブバカップルなのだが、毎回これではただのバカップルである。
 しかししげもこう毎回機嫌が悪くしてて疲れやしないだろうか。


 CS日本映画専門チャンネルで『金髪の草原』を見る。
 大島弓子の原作を犬童一心が脚本化、監督も務める。
 記憶を失い、自分を20歳の青年だと思いこんだ70歳の老人・日暮里歩は、ホームヘルパーの古代なりすを憧れのマドンナだと思いこむ。
 原作マンガがそうであったように、日暮里老人は自らの意識そのままに青年の姿で現れるのだが(演じるは伊勢谷友介)、少女マンガの手法をそのまま実写映画に持ちこむことには違和感を覚える。かと言って、これをホンモノの老人に演じさせてしまっては大島原作を使う意味はないわけで、結局、マンガの実写映画化は難しいよなあ、というありきたりな結論を導き出して嘆息するばかりである。
 伊勢谷友介、熱演で老人っぽく見えるところもあるのだが、やはりヒョイと若者らしさがチラホラと見え隠れしてしまうのが痛い。
 なりすを演じた池脇千鶴という女優さんは、東芝のCMで普段着の演技ができる人だなあ、と感心していたが、この映画でもいい意味で芝居臭さのない、少女らしさを好演している。私が若いころなら絶対に入れこんでるところだ(^^*)。
 しかし、基本的には地味な女優さんで、大島マンガにおける「マドンナ」のイメージとはかけ離れている。でも、大島マンガの女性はみな、設定自体は実に生々しいのだが、その正体は「妖精」なんである。妖精を演じられる女優さんなんてそうそういるものではないから、これは仕方のないところか。
 実写じゃなくてアニメにしていたら、ともちょっと思ったが、これもアニメーターに実力がないと、『綿の国星』アニメ版のような、なんだかなあ、なシロモノになってしまうだろう。名倉靖博あたりなら、きちんとアニメ化してくれそうな気はするがなあ。
 大島弓子の映画化作品は多く、萩尾望都や竹宮恵子の映画化作品に比べればはるかに完成度の高いものが多いのだが、それでも「傑作」、とは呼びにくいのは、やはり大島弓子のキャラクターが一旦、マンガというフィルターを通して生身の人間が濾過されているからだろう。それをもう一度生身に戻しても、まずセリフがキャラクターに乗らないのである。
 原作にはなかったと思うが、日暮里老人を訪ねたかつての旧友・神崎(加藤武)とのやりとりで、「エノケンの映画をよく見にいったよなあ」「行った行った」「でもおまえはすぐシミキンのファンになってな」「し……しみ?」とあったのはなかなか凝っていた。
 シミキンが台頭してきたころ、戦争が始まる以前には、もう日暮里老人の記憶は失われていたのである。それを聞いた加藤武の、静かに受けるだけの演技は絶品である。日暮里の知らぬ戦争で神崎は片腕を失っているのだから。
 こういうところに映画の白眉を見るのはやや意地の悪い見方だとは思うけれど、このシーンを見るだけでもこの映画を見る価値はあると思う。


 日本映画専門チャンネルで続けて、黒澤明監督作品『悪い奴ほどよく眠る』。これも随分前に見たっきりで久しぶりに見たが、以前は地味で長ったらしい印象だったものが、全く逆にサスペンスフルにハラハラドキドキ、画面から目が離せなくなっていたのには驚いた。なにしろ2時間半の長尺をまるで退屈に感じないのだから凄いことである。
 ストーリーは逆に一本調子だなあ、と思うようになった。説明的なセリフが多いのもテンポを阻害していて気になるところだ。
 汚職事件の責を取らされて自殺に追い込まれた父親の復讐を誓った西幸一(三船敏郎)の計画自体、今見るとかなり杜撰である。汚職の中心人物の一人・岩淵副総裁(森雅之)の娘婿になりおおせたまではいいのだが、復讐の相手を脅かすのに夢中になりすぎて、あちこちでボロを出してしまっている。幽霊騒動まで起こすのはちょっとリアリティに欠けるだろう。
 特に薄幸な跛の妻・佳子(香川京子)を愛するあまり、かえって抱くことができない、というのは最大の失敗だったろう。そのことが結果的には西自身の身の破滅を招くことになるのだが、復讐者の人間的な優しさが自縛の紐となる展開は、この映画が制作された昭和35(1960)年当時においてもいささか古臭過ぎはしなかったか。
 当時、政府筋から汚職事件を扱うことについて「圧力」があったとも聞くから、そのような結末のツメの甘さは、黒澤監督の妥協の産物なのかもしれないが。
 いささかステロタイプになってしまったとは言え、登場人物たちのキャラクターとしての存在感にはやはり眼を見張る。
 誰かが指摘していたことだが、この『悪い奴ほどよく眠る』は、黒澤版『ハムレット』であると。
 なるほど、復讐鬼・西幸一はまさしくハムレットである。佳子もオフィーリアも、愛する人の愛を受けられぬまま狂気に陥ってしまう。佳子の兄・辰夫(三橋達也)はレイアティーズであり、岩淵はもちろんクローディアス王だ。ああ、幽霊騒動が起きるところも似てるか(^o^)。
 しかし『ハムレット』と違うのは、復讐の相手であるクローディアスに当たる岩淵は、死ぬことなく、ラストでゆっくりと深く、安眠するのである。その分、観客の感じる悪辣さはクローディアスの比ではない。『白痴』で絶対的な善人を演じたのと真逆の日本人的「悪」の象徴を森雅之は見事に演じきっていると言えるだろう。
 ほかにも、お人好しが災いして、岩淵たちの罪を背負わされて自殺させられそうになったのを西に助けられ、同じく復讐を誓うも、どこか頼りなげな和田課長補佐を演じた藤原釜足、小心ゆえにただただ怯えながら自滅して行く白山課長の西村晃、冷酷な殺し屋がこのころは似合っていたデビューしたばかりの田中邦衛など、ワキ役、チョイ役にも見所が多い。
 ちなみに、西幸一のテーマソングは、一時期、私自身のテーマソングであった(^o^)。映画館を出て、今見た映画のテーマソングを口笛で吹くようであれば、その映画は名作と言えるのではないか。
 未見の方は、ぜひ。
 

 晩飯は久しぶりにカレー。
 実は前に買っておいたカレールウがまだ余っていて、そろそろ作っとかないと賞味期限がヤバそうだったのだ。
 こないだ作った時には人参を入れ忘れていたので、今日はちゃんとそれもスーパーで買った。肉は安い豚肉のブロックを角切りしてたっぷりと。普通のカレーの軽く三倍はぶちこんでいるだろう。それだけ作っていても、しげに食わせた途端にあっという間に消えてなくなってしまう。
 しげに「カレー食うか?」と聞いたら、「ケンカしとうけん、いらん」とむくれていたが、実際に皿についで「ホレ食え」と言ったらペロリと食った。しげが怒りよりも食欲を優先することなど、先刻ご承知なのである。

 しげ、職場での飲み会があるとかで、夜中に出かける。
 「いつ帰るん?」
 「わからん」
 ということは「朝まで帰らん」という意味だな(^_^;)。
 しげは最近、こんな職場の付き合いが多くなったけれど、10年前、バイトすることすら怖くてなかなかできなかったころに比べると、随分社交的になったものだ。もっとも職場での話を聞くと、トンチンカンなことをしては笑われているようで、付き合い上手になったというわけでもないらしい。
 なんにせよ、バカやってもそれが人に笑われながら受け入れられるということはメデタイことである。マジメな人間ほどバカを排除するからなあ。
 「人をバカにするな」と怒る人間は、実はバカを差別して迫害する種類の人間なのだよ。自分は正しいと思ってる人は無意識のうちに他人を差別してること多いから、気を付けようね。


 中村うさぎ・倉田真由美『うさぎとくらたまのホストクラブなび』(角川書店・1575円)。
 女性がソ○○○○ドに全く縁がないごとく(客として行く、という意味ですよ)、ホストクラブもまた男には全く縁がない。しかも男の場合、客としてでなくても縁がないヤカラが殆どではないか(^o^)。
 で、一応の、興味を、持って、読んで、見た・の、だ・が……。
 ホストには外見は関係なくなれる。という笑劇……否、衝撃の事実であった。そういうのって、女の場合だけだと思ってたのになあ。
 ソ○プだとさ、よく聞く話だけれど、「MEGUMI並の巨乳でっせ」と言われて喜んで指名したら、出て来たのがウシだったとかトドだったとかスカイドンだったとか(^o^)言うじゃないのよ。それでも「とりあえず損だしなあ」とスカイドンをせめてガヴァドンだと錯覚させてナントカするのが男の悲しいサガなんだけれど、ホストクラブの男どもがみんなパパイヤ鈴木とかドラえもんとかだったら店がつぶれないか。体重でではなく。
 でもホントにこのお二人、取材の最中、ブサイクやデブに当たりっぱなしである。もしかして某脂身三兄弟でもなんとかなってしまうのではないか(^o^)。
 いや、これが冗談ではなくナントカなってしまうかもしれないのだ。くらたまさんは博多出身だから、当然博多の取材もある。その博多の『サーカス』という店、ホストの三分の一がオヤジらしい。くらたまさんはそこのオヤジとジルバを踊ったそうな。
 オヤジでジルバ! 強力である。オマケの方が豪勢なタイムスリップグリコのようだ。仮に私がオヤジホストになるとしたら、いったい何がオマケとしてつくだろうか? 歌も踊りも、楽器も全部ダメだしなあ。オタ話。これってセールスポイントにはならないよなあ。
 いやいや、「オヤジ」という一見マイナス要因に見えるものですら、売りようによっては渋い魅力ということで商売として成り立ってしまうのである。世の中何が当たるかわからない。ましてや「オタ話ホストクラブ」なんて、全国でもどこにもない。脂身三兄弟と組んで作ったら、結構、隠れオタク女が集まってきたりしないだろうか。語るセリフは全てアニメ・特撮の名セリフか、そのアレンジにする。
 どうです、そこのお嬢さん、めくるめくオタクの世界に、今宵一夜、貴女を誘ってさしあげましょうか。
 ▽~ヽ(・_・)ノ~▼チャ △_(。_。)_▲チャ ▽~ヽ(^-^)ノ~▼チャ!
 ……すみません。今朝の夢見が悪かったせいか、妄想が私の体を離れてアンバランスゾーンに入ってしまってます。今までの十数行の内容は、全て忘れて下さい。m(__;)m(2003.3.10)

2002年02月10日(日) 男が女に暴力を振るうワケ/『仮面ライダー龍騎』第02話「巨大クモ逆襲」/アニメ『サイボーグ009』第17話「決戦」ほか
2001年02月10日(土) 「html」って、はいぱあ・てくのろじい・まきしまむ・ろぽ……じゃないよな/映画『狗神』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)