無責任賛歌
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| 2002年07月16日(火) |
乱れる話いろいろ/『ぴたテン』1・2巻(コゲどんぼ)/『桃色サバス』1巻(中津賢也) |
島根でのSF大会、どうやら無事に終わったようである。 DAICONFILMが話題になっていたころからSF大会には興味があったし、これまでにも何度となく参加する機会はなくもなかったのだが、学生時代はともかくカネがなくて、参加は夢のまた夢であった。 当時、学生で参加してた人も多かったようだが、みんなそんなに金持ちなのか? と不可解に感じていたものだったが、あとになって判明したところによると、ホントにみんな金持ちなのであった。いいなあ、いいとこのボンボンは。 じゃあ、オトナになって就職して、いよいよ行けるようになったかと言うと、今度はヒマがない。病気でしょっちゅう仕事を休んでるくせに、と言われそうだが、趣味を優先させてまで仕事を休むってのはそんなに簡単にできることではないのよ。あ、意外と私も常識人か?(^.^) しげも行きたがってはいたのだが、ともかく完全宿泊というのがイタイ。 ともかく回りは見知らぬ人ばかりである。人見知りの激しいしげにとってみれば牢獄にぶち込まれるようなものであろう。私やAIQのみなさんが一緒にいられるのは昼間だけで、夜は別々である。どんなに外見上女っぽく見えなくても(こう書くとしげが男のように見えるのかと誤解されそうだが、しげの名誉のために補足しておくと、しげはオトナには見えないのである。……誉めてないか)、生物学的に女である以上、しげはたった一人、女部屋に宿泊せざるを得ないのだ。いっそのこと、こっそりしげを男ということにして、一緒に泊まろうかとも画策したのだが、私やしげは平気でも、さすがに周りのみなさまがどうにも困ってしまうであろう。 それやこれやで、結局毎年、参加を断念している。 「SF大会、経営ジリ貧!」なんてウワサを聞くに連れ、まがりなりにもSFファンの端っこにはいるんじゃないかと思ってる身にしてみれば、多少ボラれてもいいから協力してさしあげたいなあ、と思っていたのだが、結局未だに参加を果たしていない。 こうなるとなんかもー、一生参加できないかもなあ。 唐沢俊一さんご夫妻やエロの冒険者さんの日記等を拝見すると、今回の大会、旅館の待遇にいろいろと問題があったらしい。田舎の旅館なんてのは、ご当地が一番と思いこんでるから、料理も接待も実はいい加減というところが多い。そういうのにはしげは敏感に反応してしまうから、参加しなくて正解だったのかもしれない。
今日もしげは迎えに来ない。 電話を入れても全く応答がないからやっぱり爆睡しているのであろう。 仕方なくタクシーを拾って帰る。 コンビニに寄って、少年ジャンプを立ち読み。と言っても『ヒカルの碁』しか読んでない。 何と巻頭カラー、ということは佐為がいなくなってもまだ人気は落ちてないってことなのかな。伊角さんが桑原本因坊とタメ張れるところまで来ているけれども、これも人気故の措置か。初登場の目立たなさを思うと、これも意外な展開だ。 再連載が始まって、そろそろ山になるような出来事を起こさないといけないんじゃないかと思う反面、あまりムリヤリな展開にはしてほしくないとの思いもある。あと10巻くらいは続けてほしいと思ってるんだが、ヒカルたちがちゃんと一年一年トシを取ってることを考えると、少年マンガとしてはそのあたりが限界だろう。あるいは、その後はヤングジャンプに移籍して『ヒカルの碁 青春編』みたいにしちゃうというアクロバットな手もありはするが。 でも、そこまでしちゃうと、さすがについてくるファンも激減すると思うが、どうか。
しげに突然、 「アンタ、今朝、腕が痛くなかった?」 と聞かれる。 「別に? なんで?」 と答えると、 「なら、いい」 といかにも隠しごとをしているような返事。 「なんか隠してるな、言えよ、なにしたんだよ」 と問い詰めると、困ったような顔をして、白状する。 「昨日、仕事から帰ってきたとき、寝てるアンタの腕踏んだんだよ」 「あ、ひでえ」 「覚えとらんと? 返事したよ、アンタ」 「……覚えてないなあ、なんて言った?」 「覚えてないけど、なんか返事した『痛い』とかなんとか」 どうやらマトモな受け答えではあったようだ。 しげは寝言ではたいてい意味不明な「しげ語」を喋る。多分どこかから電波が飛んで来てるのではないかと思うが、その悪影響を受けていないかと、心配していたのだ。 まあねー、いくら意識がなくてもね〜、私って理性的だから、間違っててててても、常軌を逸したようなイカレたような気が触れたような脳が腐れたようなことは言ったり言ったりイッたりしないと思ってた信じてたんだけどもちょっとだけ心配してたって言うか大丈夫だったんで安心したって言うかキモイって感じーなわんだほー。b;f−ysiet;qtqx^@zr.eskmkw@f3ljpy<tZwi6mebyw@g(4q@ydue94i,>
『言語』8月号の特集、「日本語は乱れているか!?」。 一応この雑誌、マジメな言語学の雑誌なんだけれど、エクスクラメーションマークにクエスチョンマークを重ねるあたり、なかなかサバケているのである。 けれど「乱れているか?」って疑問形で問題提起されたら、これは「乱れてる」と答えるしかないよなあ(^_^;)。で、そりゃ今に始まった話じゃないし、もともと言葉は時代の変化に従って乱れ、変化していくものである。「乱れ」と「変化」の厳密な区別は言語学者にだって簡単にできるこっちゃない(だから専門誌でこんな疑問形の特集が組まれるわけである)。 問題にすべきなのは、世代間のコミュニケーションが取れなくなっているという事実だ。若い世代の使っている言葉がオトナ世代には分らない、いや、意味は通じるのだけれど、ニュアンスにどうにも違和感を感じてしまう。大人は若者の言葉を「乱れ」と糾弾するが、若者はそれが自分たちの自然な喋りかたなのだから、と反発する。これでは会話が成り立たないのも無理はない。 そしてこの勝負、常に敗れるのはオトナ世代なのである。だって先に死ぬのはオトナの方だからそりゃ負けるってば(-_-;)。若者言葉が敗れるときは、更に若い世代が新たなる言葉を台頭させてきたときである。要するにトコロテンだわな。 しかし、負けが分っているからと言って、敗北宣言したまま諦めるのは、それこそオトナが若者とのコミュニケーションを放棄することになる。若者に反発されようと嫌がられようと、「日本語使え、バカヤロー」と怒鳴りつけてやるくらいのことをしないと、貧弱な言語で満足している若者のメンタリティーは、どんどん鈍化していく。だってよう、いい40代のオトナの男が「〜だしィ、〜だしィ」なんて接続詞使えない状況(会議の席での発言だぜ)が生まれてるんだぞ。こりゃなんとかせねば、と思うのも私一人の独善ではなかろうと思うがいかがか。
もちろん、私とて、決して「正しい日本語」などは話せていない。 この日記においても、堅苦しい言いまわしを避けて、若者言葉に迎合している面もある。「〜とか」「〜ヤツ」「〜のほう」など、ある一定の世代以上のオトナには耳障りな言葉遣いも、あえて使っているところがある。これらはギリギリ昔からある言葉の応用だと自分で納得できるからだ。 けれど、「オレ的には」「ワタシ的には」みたいな「的」の使い方は、私にはできない。 「個人的には」という言葉があるのに、なぜわざわざ「自分」を前面に出して主張するのか、これってただの独善ではないか(「個人的には」という言い方自体、あまり使いたくはない)。 同様に、「オレって○○な人だから」という言いまわしもしない。……これ、我々の世代の、しかもオタクがやたら流行らせたんだよね〜、本人は自己アピールのつもりで使ってるんだろうけれど、実際には相手との間に「オレとキミとは違う」って壁を作ってるだけなんだよなあ。そのことに気づいてなかったバカな男って多かったよなあ。昔、この言葉遣いのせいでフラレた男、何人も知ってるぞ。 80年代、オタクな男がもてなくてもてなくて苦しんだ背景には、こういう言葉遣いのヘタさにも原因があったと思う(女性でこの「〜な人」を使うのは、初めから相手の男を拒絶してる場合が圧倒的に多いのがまた悲しい)。
今号の寄稿には、もう今更それを言ってもなあ、と感じる「乱れ」の例も少なくない。「生きざま」「温度差」「視野に入れる」などの誤用は、もう止められないのではないか。なぜなら、これらは「若者言葉の乱れ」ではなく、「オトナ」が政治的な都合で自ら作り出した「乱れ」であるからだ(40代以上でも、これらの言葉のどこがどうおかしいのか、説明できない人、多いのではないかな)。 ファミレスのウェイトレスさんの「よろしかったですか?」も、北海道、東北、九州を支配し、今や東京を席捲しつつあるようだ(ネットで検索したら千件以上ヒットしたぞ。やっぱり不快に感じてるオトナは多いのだ)。全く、使い始めたのはどこのどいつだ。 この根の深い「乱れ」に対して異議を唱えるのはまさしく蟷螂の斧だなあ、とは思う。けれど私ももう老い先短いカラダだし、「小言幸兵衛」になろうと決心したので(^o^)、イタチの最後っ屁よろしく、無責任に妄言を吐いて行こうと思う。 ここで再確認しておくが、私は言葉に「正しさ」を求めているのではない。 工夫のない、心を感じられない言葉に満足している連中を、大人であろうと若者であろうと「タコ」呼ばわりしたいのである。 最もタコなのは自分の使う言葉が絶対だと思いこんでいる連中だ。意志の疎通に支障を来たした場合、その原因はどちらか一方にあるのではなく、常に双方にある。それくらい常識として知っておけよなあ。
マンガ、コゲどんぼ『ぴたテン』1・2巻(メディアワークス/DENGEKI COMICS・各578円)。 アニメは未だにオープニング以外全然面白くないんで、さて、原作マンガは読んでみようかどうしようかずっと悩んでた。……悩むほどのことかとは言われそうだけれど、ともかくちょっとでも興味を引いたものには手を伸ばしてみようと思ってるのだよ。 ああ、でも原作はアニメほどひどくないね。 いかにも同人誌上がりの絵柄を嫌う人はいるだろうが、表情のバリエーションが意外にも豊富でいい。湖太郎の困ったり苦しんだり照れたりホッとしたりを微妙な線で描き分けてるよ。作者、きっと女の人だろうと思ってネットで調べてみたらやっぱりそうだった。一般的にキャッチーなのは美紗や紫亜なんだろうけれど、やはり湖太郎や御手洗大のほうがキャラとしては立っている。 『デ・ジ・キャラット』のキャラデザインもこの人だそうだけれど、概してアニメは原作の描線を生かしきれてないねえ。原作の線は、一見、均質に見えるけれど微妙な強弱があるし、コマ割りやレイアウトもアニメみたいに単調じゃない。……アニメのスタッフ、アニメ化に際して露骨に手を抜いてないか? もしかしたらこの原作を、あまり好きじゃないんじゃないのかも。 確かに、ドラマとして考えると設定も人物配置もありきたり過ぎる。今どき『二級天使』をやるかってのはアニメを最初に見たときにも思いはした。けれどこの人がマンガ家としてバケるのはもうちょっと後ではなかろうか。なんか「習作」ってイメージがすごくするのよ、これ。とりあえずは「先物買い」ってことで。 それはそれとして、この人の「コゲどんぼ」ってペンネームの由来ってなに?(@_@)
マンガ、中津賢也『桃色サバス』1巻(少年画報社文庫・620円)。 80年代の『少年サンデー』はともかく面白かった。 高橋留美子の『うる星やつら』とあだち充の『タッチ』を2枚看板に、島本和彦の『炎の転校生』、細野不二彦の『どっきりドクター』『GU−GUガンモ』、六田登の『ダッシュ勝平』、上條淳士の『ZINGY』ほか、よくもまあ、これだけオタク好みの濃いマンガを載せてて、しかも部数を伸ばしてられた(一時期『ジャンプ』を抜いていた)ものだ、と感心するラインナップが揃っていたのだ。 中津賢也(「なかつ・けんじ」と読む)さんも、その一角を担ってたのは間違いないのだが、私は面白いと思っていた『ふぁいてぃんぐスイーパー』、これだけ濃い作家に囲まれてると不利だったのか、2巻で打ちきり(後、未収録の短編を寄せ集めて3巻を出す)、『増刊サンデー』に連載した『黄門じごく変』『徳川生徒会』(結婚した後で知ったが、しげもファンだったそうだ)も2巻で打ちきり、作者本人が自嘲気味に「2巻作家」などと自称していたくらいだった。 確かに中津さんのマンガは、ページ数の関係もあるのか、面白くなる寸前で尻切れトンボで終わるものが多かったんで、作り手も読み手もドラマ嗜好の強い『サンデー』ではイマイチ人気が取れなかったのも分るのである。残念なことだが、『サンデー』ではシチュエーションコメディは受けても、スラップスティックは受けない。 実のところ、中津さんのギャグの本質はスラップスティックであって、シチュエーションコメディにはない。高橋留美子とは違うのだ(『うる星』ではスラップスティック的要素が強かったのが、『めぞん一刻』以降、どんどんシチュエーションコメディに偏っていった)。サンデーの編集者、中津さんを無理やりシチュエーションコメディの枠に嵌めこんだせいで違和感が生じちゃってたのではないか。
角川での今はなき『コミックコンプティーク』での数本の連載を経て、『YANG KING』に移って、ようやく中津さんは本領を発揮したように思う。 『虹色サバス』では、魔神ベルゼビュート(「蝿の王」ですな)の魂を宿した高校生、魔道玉吉を守るために魔女カゴメがやってくるって基本設定はあるものの、エピソードを重ねるにつれ、ほとんどそんなのはどーでもよくなっている。 要するに「追っかけ」と「エッチ」が描けりゃいい、というように開き直っているのだ。だから、出てくるキャラが「カゴメのヌードが撮りたくて追っかける」玉吉のオヤジとか、「玉吉の精液がほしくて追っかける」魔女マユとか、そんなんばっか(^o^)。しまいにゃ「発情期になったカゴメを玉吉が追っかける」なんてパターンまで出て来たぞ。ホントにナニしかないのな、このマンガ(^_^;)。 でも、その開き直りが、この作品でついに2巻作家(ほんとはもうちょっと描いてるけど)を脱出できた一番の理由。角川まではずっと中津さん追いかけて買ってたんだけど、まさか『サバス』でバケるとは思ってなかったから、単行本買ってなかったんだよね。 いやはや、不明の至りであります。
2001年07月16日(月) 私のマスコミ嫌いも根が深い/『雪が降る』(藤原伊織)/『新ゴーマニズム宣言』(小林よしのり)ほか
| 2002年07月15日(月) |
開高健よりは痩せてると思う/『新ゴーマニズム宣言 テロリアンナイト』11巻(小林よしのり) |
台風が近づいてきているようである。 昨日までの涼しさがウソであったかのように、今日はムシムシと暑苦しい。 こういう暑い日にはちょっと女を殺したくなりませんか(c.斉木しげる)。でもそんな理由で女を殺していったら、世の中、ただでさえ女に相手にされずに寂しく自宅で美紗だの紫亜だののフィギュア片手に○○○○しているオタクは多いというのに、彼らのささやかな明日への希望の芽すら摘んでしまうことになるではないか。そんな残酷なこと、ようできまへんわ。 というわけで、今のところ女を殺してはいない。全国のモテない汚い愛想もないオタクの諸君、私に感謝したまえ。君たちのまだ見ぬ未来を支えているのは実は私の愛なのだ。
職場の女の子からいきなり「有久さんって、安部公房に似てますね」などと言われる。あまり嬉しい例えではないが、似ていると言われれば似ていなくもないかな、とは思う。それよりも今時の若い子が安部公房を知っているだけでもオドロキである。読んでるのかホントに。 「顔立ちだけじゃなくて、喋ってることとかも」などと言われたから、実際に読んではいるのだろう。それにしても若い癖に侮れないことを言うやつだ。確かに私には安部公房との共通項がある……というか私の書く戯曲が安部公房の影響を受けてるってことなんだが。 『壁』と『人間そっくり』、あるいは戯曲『ウェー 人間狩り』などは私の書く戯曲の隠しモチーフになっている。 日頃から私は、世間話的に「現実なんてあやふやなもんだ」とかナマイキなこと言ってたから、その子はたまたま安部公房の本を読んで「有久さんと同じこと言ってる!」と驚いたのだろう。ああ、でも若い子と安部公房の話ができるなんて嬉しいなあ。 で、つい悪ノリしてしまいました。 「似てるかな? でも実はもっと似てる人いるんですよ」 「え? 誰ですか?」 「この人」 偶然とは恐ろしいものである。こういう西手新九郎が現実にあるのだから。 たまたまそのとき私が持っていた本が、『裸の王様』。そこの著者の写真を見せた途端、女の子が飛びあがって驚く。 「そっくり!」 そんなに私、似てますか? 開高健に。 オーパ!
台風、鹿児島を掠るそうだとかで、福岡の方も小雨がぱらついている。 てっきり駐車場に迎えに来ていると思ってたしげの姿が見えない。昨夜も仕事から帰ってきてから寝つけなかったみたいだから、また寝過ごしているのだろう。それにしても、携帯に連絡入れても全く応答がないというのはどういうわけだ。 仕方なくタクシーで帰宅。 何度か乗せてもらった運ちゃんだったので、裏道を通ってくれて、早めに帰ることができた。私の商売は先刻ご承知の方なので、「大変ですねえ」と労ってくださる。そう、大変なんスから、これでも。 帰宅してみると、やっぱりしげは寝ている。病院の検査では、悪いところ全然なかったんだから、ホントにただのグータラだ。劇団のメンバーに向かっても威張って「全然悪いとこないって〜」と笑って言ってたしなあ。「病院行きたくない〜」って泣いてたのはどこのどいつだ。
しげが仕事に出かけた後、夜食にスパゲティを作る。 焼き肉のタレで下味をつけて、トマトソースにウィンナーを細切りにして混ぜる。本当はタマネギも混ぜたかったのだが、買ってくるのを忘れた。仕方なく長ネギのみじん切りを混ぜるが、別にヘンな味にはならなかった。ちょっと冒険だったかも。 飲みものも尽きていたので、スーパーで買ってきたパックのお茶をいろいろブレンドして、オリジナルティーを作る。麦茶に減肥茶(成分見るとハト麦茶ベース)に玄米茶にグァバ茶。 私はこのお茶を気に入っているのだが、グァバ茶を混ぜるとしげの評判が頗る悪い。 「飲んだらね、喉に奥のほうからウェーって来ると」 というのだが、わしゃ別に毒薬を調合したわけじゃないんだがな。 しげはともかく麦茶派である。私には麦茶オンリーってのはあっさりし過ぎてて喉にまるで引っかからないので、少しは苦味があった方が、と思うのだが、しげは舌がコドモなので、オトナの味がわからないのであろう。 仕方なく、グァバ茶を混ぜたものと混ぜてないものとを作る。玄米茶ベースのあっさり味とグァバ茶メインのオトナ味。 でも、なんでこんなにしげに親切にしてやらなきゃならないのかなあ。料理も作ってくれないし家事もしないし、私が奉仕するばかりだ。 このしげの甘ったれのツケは、そのうちしげ自身にしっぺ返しみたいな形で振りかかって来ると思うけれど、果たしてそのときまで私の方が生きてるかどうか疑問だ。 ┐(~ー~;)┌ マイッタネ。
マンガ、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言 テロリアンナイト』11巻(小学館・1260円)。 タイトル、英語としてはヘンじゃないのか。まあ、ワザとなんだろうけれど。 本文は本文で、ますます活字が多くなってて、マンガにする意味あまりないんじゃないのか、とツッコミ入れたくなってくる。ヘタすりゃ1ページ、ほぼ活字で、フキダシのスキマにちょっと絵があるだけ。ホントに読みにくいったらありゃしないね。 小林さんは「『ゴー宣』は読者に読解力がないと読めない」みたいなことを以前書いてたような気がするが、そりゃどんな本だってそういうもんだよ。『ゴー宣』が読みにくいのは、単にコマ割りとレイアウトがヘタなせいなんだから、掲載誌の『SAPIO』に頼んでページ数増やしてもらってコマに余裕を持たせたらどうかね。でも、小林さんのことだからページが増えたら増えたで余計なこと書きこむんだよ、きっと。 実際、重くて厚くて、なのにやっぱり活字でいっぱいの『戦争論2』も、随分前に買ったまま、途中で放り出して読み終えてない。この11巻も内容的にリンクしてるから、平行して読んどいた方がよさそうなんだけど。
昨年の同時多発テロについて、小林さんの意見と私の意見とは重なるところが多い。……困ったなあ、小林信者と思われちゃうかな。南京事件や従軍慰安婦については意見が違うところの方が多いんだけどな。 でも、あのテロ事件が起きた時点で、「アメリカもついにやられたか、ざまを見ろ」と思った連中は、巷には結構いるんじゃないか。広島・長崎に原爆を落とし、朝鮮で代理戦争を行い、ベトナムで枯葉剤を撒き、今もなおアラブに介入し続けているアメリカを見てなお、アレが絶対的な正義の具現者だと信じてる人間がいたとしたら、そいつは救いようがないアホだと思うが、どうかね。 アメリカが実質的な専制国家だとわかっていながら、日本が摺り寄っていかざるを得ないのは、単純に国家間の勢力バランスを考えればほかに選択肢がないからだってこと、みんなわかってると思ってたんだけどなあ。 なのに、あのテロが起こった当時、ネットの日記なんか見てたら「こんなひどいテロは許せません」とか、「人道的な判断」をしてるつもりでアメリカの味方してた意見もやたらあったもんね。ちょっとでも歴史かじってたり国際情勢を知ってる人間だったら、諸手をあげてアメリカに賛成してもいられないってこと、判りそうなもんだが。 政治家がアメリカの御機嫌伺わなきゃならないのは仕方がないが、民間人がどうして「アメリカがんばれ」を簡単に言えるのかねえ、何も考えてないんじゃないの? 案の定、アメリカのアラブでの無差別空爆が知られるようになると、日本の中での「アメリカ万歳」の声も低くなっていったけどね。……もっと早く気づけって(-_-;)。 人種的な偏見はないけど、未だに「戦争を終わらせるためだったんだから、原爆を落としたのは正しい」(「仕方がない」じゃなくて「正しい」と言ってるアメリカ人のほうが圧倒的に多いぞ)なんて主張してる奴らを信用できるかい。 小林さんのモノイイがナマイキだからって、なんでもかんでも「反対」を唱えていいってもんでもないだろう。アメリカ批判だったら、黒澤明だって『八月の狂詩曲』で「アメリカは被爆者の慰霊をしていない」と批判してたし、宮崎駿だってあのテロに関しては反米的な発言をしているぜ。みんなクロサワさんやミヤザキさんは好きなんでしょ? だったら堂々と「反米」を唱えてみたら?
時間はかかったけれど、みんなの予想通り(^o^)、小林さんは『新しい教科書を作る会』を今巻で脱会。もともと右とか左とかのイデオロギーがある人でなし(靖国や特攻隊賛美だけで右翼と決めつける風潮が戦後すぐの時期にはなかったことも今巻で示されてるが、これは本当だ)、その場その場の義憤で動いてる人なんだから、小林さんを広告塔に利用しようって考えてた西尾幹二がアホなんだよなあ。小林さんは「友達」にすると面白い人だけど、「同志」や「仲間」にしちゃいかんのよ。 これで小林さんが柳美里と仲良くなったりしたら面白いんだけれど、さすがにそれはないだろうな。
2001年07月15日(日) 演劇は愛だ! ……ってホント?/『バトルホーク』(永井豪・石川賢)ほか
| 2002年07月14日(日) |
劇団始動……か?/『電人ザボーガー』1・2巻(一峰大二)/『カムナガラ』4巻(やまむらはじめ)ほか |
あ、気がついたら明日で山笠も終わりじゃん。 先祖代々ど博多民でありながら、ここまで山笠に冷淡な人間というのも珍しいんじゃないかと思うが、四十年見続けてりゃたいがい飽きるよ。進歩ないし(伝統芸は進歩しちゃイカン面はあるけどね)。 でもなあ、あっちこっちに飾り山立てて、追い山であっちこっち山笠かついで走り回ってって、それだけの祭だよ? どんたくにしろ山笠にしろ、どうして全国各地からこうも博多に人間が集まってくるのか、地元民にはさっぱり分らないのである。 あの、他地方のみなさん、そちらには地元の「祭」ってないんですか? 今年も、偶然博多駅を通りかかった時に、一つだけ山笠を見たのだけれど、見返しがなんと『ONE PIECE』だよ。 ……似てね〜(~_~;)。 似てないだけじゃなくて、作り手、マンガ読んでないよな。ゾロ、二刀しか持ってないし。しかも歌舞伎みたいに見得切って、目の回りには隈取りまであるぞ。こんなゾロ見たら、熱狂的なワンピファンは激怒するんじゃないか。
「ねえねえ、聞きました? 黒子さん。『スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』が先々行公開、先行公開、そして昨日の公開初日の動員の合計が約40万人、興収5億7000万円を記録したんですって」 「まあ、それってスゴイことなの? 白子さん」 「もちろんよ、なんたって、あの『ハリー・ポッターと賢者の石』を抜いちゃったんだから。このまま行けば、最終的に1200万人の動員、興収170億円、『千と千尋の神隠し』『タイタニック』に次いで、歴代3位の記録を達成するんじゃないかって、配給元の20世紀フォックスは考えてるみたいよ、黒子さん」 「まあ、でもそんなに都合よく行くかしら、白子さん」 「そうねえ、雑誌なんか見てても、見た人が誉めてるのはラストのヨーダとドゥークー伯爵の決闘シーンばかりだから、2時間近くもアナキンがヒネクレてくだけの退屈なシーンを見せられ続けるのはつらいかもね、黒子さん」 「雑誌って言ってもアナタが読んでるのは『アニメージュ』とか『Newtype』とか、オタク雑誌ばかりじゃないの。フツーの人はアナキンとパドメの恋のやりとりが楽しかったりするのよ、白子さん」 「ええ〜? 身分違いの恋とか言いながら、あの二人の恋に反対する姑とか家来がいるわけじゃなし、二人の恋が歴史に大きな危難を呼んだりしてるわけでもなし、のんびり草原で抱きあってゴロゴロしたりしてて緊張感のカケラもないじゃない、あんなドラマの基本も知らないようなおバカで演出不在のストーリーのどこに感動するって言うのよ、黒子さん」 「まあ、いろんな人をテキに回したがってるような発言ね、白子さん」 「だってホントなんだから仕方ないじゃない、黒子さん」 「でも、『タイタニック』に感動しちゃう程度の単純で呆けたメンタリティしか持ってないのが今の若い人たちじゃないの。それにあの二人の恋が大変な事態を呼ぶのは次のエピソード3だから、今はあれでいいのよ、白子さん」 「納得いかないわね、けれど、じゃあ、あなたは『クローン』が『タイタニック』並にヒットするって言いたいの? 黒子さん」 「そこまではムリだと思うけれど、イイ線までは行くんじゃないかしら。だってSF映画って、それだけじゃ絶対ヒットしないけど、付加価値があるとバケることがあるじゃない。『E.T.』がヒットしたんだって、「感動の名作」ってことでウケたんだし。『クローン』の目玉はやっぱりアナキンとパドメの恋よ、前半なのよ、白子さん」 「ああ、あんな幼稚な恋物語で感動できるくらいなら、オママゴトしてた方がマシだわ、どうせなら、『猫の恩返し』の方を見に行ってほしいわね、黒子さん」 「なんだ、結局それが言いたかったのね、もう、ホントにオタクなんだから白子さんったら」
けど、映画がヒットするのは不況の証拠(遠出できるカネがないから)って言われると根っからの映画ファンとしては悲しいなあ。日頃からもっと映画を見とこうよ。
しげは朝から劇団の練習。 私は脚本だけの参加なので、肉体訓練には参加せず、午後を回ってから顔を出す。 参加者は相変わらず少ない。よしひと嬢、穂稀嬢、つぶらや君のみ。ホームページに載ってるメンバーは10名以上いるのにどうなってんだか。パソコン持ってる連中も更新させようって気があるやつ少ないしなあ。 キャストに使えるのは結局女性三人だけ。全く、毎回これだけの小人数で脚本を書けってのは酷ってもんだよ。私だってスタッフでもキャストでも協力したいのは山々なんだが、しげがヒステリー起こすのも毎回なものだから、今回はきっぱり断る。いい加減、私もしげのワガママに付き合うのは疲れた。 脚本は、みんなの考えたものを寄せ集めて、九月、十月ごろまでに完成してほしいとのこと。それだけの期間があればできなくはないが、日記の更新と重なるんだよね、これが(^_^;)。 とりあえず、シノプシスを再来週までにあげよ、との指令。へいへい。
練習は今、エチュードを中心に練習しているそうだ。テーマを決めて、一対一でディベートを行う。つぶらや君はしょっちゅう負けてるそうだが、弁の立たない男って多いよな。これって、やっぱり男系社会の中で男が甘やかされて育ってるって証拠じゃなかろうか。男が男であるってことだけで自分の主張を押し通せることが多いものだから、日頃は何も考えなくてもやり過ごせるのである。ところがいざ、自分の発言に根拠を持たせようとすると、たいていうまく言えなくてシドロモドロになってしまう。 よりによって、穂稀嬢とつぶらやくんのディベートのテーマは「私としげの結婚は正しかったか否か」。で、「正しい」派に回ったつぶらや君、負けてやんの(~_~;)。現実になんとか10年持ってる夫婦だというのに、なんで負けるかね、つぶらや。
ブックセンターホンダで本を買ったあと、夕食は浜勝。 実はヒレカツとロースカツの区別があまりついてないので、ミックスカツを頼む。ジューシーなほうがロースなのかな。 いつもは一緒にトロロを頼むのだが頼み忘れる。こうなると、トロロが無性に食いたくなるので、帰りにスーパーに寄ってトロロイモを買う。けれど米を炊き忘れていたので、トロロ食いは明日以降に持ちこされるのであった。 トロロだけすすって食えばいいじゃないかと言われそうだが、博多にトロロだけを食う習慣はない(あるかもしれんが私はしない)。 熱々のメシの上にトロロをぶっ掛けて、醤油をちょっとだけ垂らして、余りメシとかき混ぜずに食うのが一番美味い。昔は生卵を混ぜたり豆腐を混ぜたりオクラを混ぜたり、いろいろ工夫していたものだったが(悪食とも言う)、最近はトロロだけで食うのが好きになった。 単純な味が一番美味いって気持ちだけれど、単に味覚が淡白になっただけかもな(^_^;)。
マンガ、うしおそうじ作・一峰大二画『電人ザボーガー』1・2巻(完結/角川書店・各1470円)。 今はなき『冒険王』に連載されていた、ピープロ特撮ヒーロードラマの一峰大二による最後のコミカライズ作品。これがなんと28年ぶり、初の単行本化である(毎回思うが、いくら復刻とは言え、この高価は何とかならんか)。 当時はもちろん、番組の方も見ていたのだけれど、『スペクトルマン』や『快傑ライオン丸』は好きで夢中になって見ていたから、細部もまあまあ覚えちゃいるのだが、『ザボーガー』あたりになると、どうも二番煎じ三番煎じ、ドラマに迫力不足を感じていたせいか、細かい設定はすっかり忘れてしまっているのである。 もともと私は、ヒーローものは悪役が好きかどうかで判断してるところがあるのだが、『ザボーガー』の場合、「悪之宮博士」ってネーミングでもうダメだった記憶がある。そんな名前のやつがおるか、ガキだからって舐めんなよって印象を受けていたのだった。 番組自体、視聴率的に苦戦してたんだと思う。ザボーガーがストロングザボーガーに改造されたかと思ったら、あっという間に終わってしまった。……テコ入れに失敗したことが露骨にわかる終わり方だった。
マンガ版はもう、あの一峰大二のアクの強い絵柄でも平気、という人でないと楽しめないんじゃないかなあ。私などはあの腰を妙にツイストさせた絵柄見ると、「おお、一峰!」とか思って嬉しくなっちゃうんだけど。 悪之宮博士が、アリを飼っていて、その手足を潰して楽しんでる描写などは、『スペクトルマン』にも同様のシーンがある、一峰さんお得意のモチーフ。要するに弱い者イジメなんだけれど、これはピープロの、というより一峰さん自身の正義感が生み出した描写だろう。 「悪」とは何か、「正義」とは何か。悪とはつまり、弱者を虐げるものであり、正義とは弱者を守るものである。それだけを聞くと、随分単純な絶対悪、絶対善の価値基準の世界のように思われるかもしれないが、必ずしもそうではない。それは、正義が悪に破れるパターンを描く時、一峰さんの絵に特に力が入るところでもわかる。 『スペクトルマン』で、蒲生譲二はしょっちゅう宇宙猿人ゴリに破れている。ムーンサンダーの回では、一度、完全に死んだ。その回のラストのコマは1ページを使ったゴリの高笑いである。絶対的な悪の前では正義は往々にして無力であること、正義はただ汗を流し、うなだれ、歯噛みして悪の哄笑をなすすべもなく聞いているしかないこと、それは当時は実にリアルな描写であった。 また、善もまた悪をなすことがあることを、「ダストマン」や「クルマニクラス」の回では、テレビ版以上に一峰さんのオリジナルな解釈を加えて描いていた。実を言うと、私は『スペクトルマン』に関する限り、オリジナルであるテレビ版よりもマンガ版の方を圧倒的に評価している。 『ザボーガー』でもそういった描写がないわけではないのだが、残念なことにページ数の関係もあったのだろう、安易な結末、ダイジェスト的な展開で終わる場合が多く、マンガとしての完成度は『スペクトルマン』『ライオン丸』に一歩も二歩も差をつけられている。物語が単純に見えるのは、『スペクトルマン』に比べて、主人公が幼く描かれているせいもあるのではないか(大門豊がストロングザボーガーを作るために、松江健に向かって「きみのマシーンとザボーガーを合体させれば鬼に金棒」なんて頼みこむのもちょっと発想が幼稚なんじゃないか)。 それでも『ザボーガー』には、見捨てるに躊躇する魅力が多々残っている。悪之宮博士に利用され、主人公の大門豊をおびき出す囮にされてもなお、悪之宮を慕うミスボーグの健気さとかね(やっぱさあ、歯を食い縛って流す汗の描写がイイんだよ)。 一峰大二なんて知らない、という若い人も多いと思うけど、食わず嫌いしないでちょっと手に取って見てみてほしいのである。マンガ喫茶やネットカフェででもいいからさ。
マンガ、やまむらはじめ『カムナガラ』4巻(少年画報社/YKコミックス・520円)。 「侵略者」の正体、「さとがえり」の真の意味が今巻で明かされるが、侵略者と被侵略者の関係が実は逆であった、というパターンはもう、枚挙に暇がないくらい見て来ているので、ちょっと拍子抜け。 斎野が語っていることが真実なら、今は記憶をなくしている九谷、剣の一族としての記憶を取り戻したら、現代人としての倫理観との間で葛藤が起こると思うんだが、そこを今後どう処理するかな。 面白くなるかどうかはそこをうまく描けるかどうかにかかってると思う。
東京のこうたろうくんからお中元が贈られて来たので、お礼の電話をかける。お中元と言っても、中身は野菜ジュースの詰め合わせ。「栄養偏らせてんじゃねーぞ」という意味で、贈答品というより見舞い品である。しげ、ちゃんと飲めよ。 久しぶりに声を聞くので、期分が高揚したのか、気がついたら発言がいささか暴走する。オタク話だの、ここには書けないヤバい話など(^o^)。 『クローンの攻撃』を「スゲエぜヨーダ、クリストファー・リー!」と、思いきり誉めて話しておいたので、こうたろうくんもきっと見に行ってくれるであろう。私一人が前半の「アナキンいじいじ物語」に付き合う苦痛を味わうというのは不公平というものである。
2001年07月14日(土) シナリオ完成!/『クレヨンしんちゃん』30巻(臼井儀人)ほか
| 2002年07月13日(土) |
病院への長い道/『エンジェル・ハート』4巻(北条司)ほか |
ここのところ、通院が途絶えている。 体重の変化はなく、太っても痩せてもいないが、病状もつまりは変化がないということである。つまり決してよかあないってことなんだけど。 このまま全く検査をしない、というわけにもいかないので、今日こそは病院に行こうと思っていた。 しげも最近体調を崩すことが多くて、朝夕の送り迎えもままならなくなっている。誰しも一年にいっぺんくらいは悪いところがないか診察してもらったほうがいいのだけれど、しげのように会社に属していない者は、たいていこれをサボる。で、ガンだのなんだのに冒されて手遅れってことになってしまうのである。というわけで、昨日からしげには「お前もついでに健康診断してもらえ」と命令しておいた。 ……おっと、こんな「妻の身を案じる夫」のフリをしていると、またしげから「偽善者」と呼ばれてしまうな。もちろん、私の思惑は、しげのどこにも異状がなければ、文句を言わせずこき使おうというハラである。
9時を過ぎてもフトンの中で丸まっているしげに、声をかける。 「オイ、病院行くぞ」 しげ、顔も出さずに、恨めしげな声で、「……行かん」。 「なんでだよ、昨日、行くって約束したじゃないかよ」 「だって、何て言えばいいのかわからん」 「健康診断してくれって言えばいいじゃん」 「それでどこも悪くなかったら、『コイツ、健康なくせに病院に来やがって』とか思われるもん」 そんな医者がどこの世界におるか。 要するにしげは病院が怖いのである。 「注射が怖いんか? 四の五の言わずに行くぞ」 「アンタ一人で行ってきい」 またいつもの対人恐怖症である。 いつもなら、しげなんかほったらかして自分だけ出かけるところだが、いい加減、譲歩してやるのにも飽きた。バカにはバカと、ハッキリ言ってやらねばかえって酷だ。 しげを少しばかり「優しく」説得する。
どてぽきぐしゃ。
予定より2時間ほど遅れたが、「説得」が功を奏して、しげ、出かけることをしぶしぶ承知する。……全く、病院に行くまでに体力気力消耗させやがって、グスグス泣くんじゃねえ、どうせ行ったら行ったで、開き直って受診するに決まってるくせに。 案の定、行き付けの病院に出発したときにはしげの涙もすっかり乾いていた。 病院に着いた時には、もう11時を回っていたので、待合は結構混雑。 散々待たされて、尿検査と採血。採血の結果はすぐには出ないが、尿の結果はいつもと変わらず悪い。ここんとこまるで運動してないしなあ。診察してくれたのは、かかりつけの先生ではなくて院長先生。時間帯がズレたので交代したのか。 「あの、最近、腕がよく痺れてるんですけど」 「両方ですか?」 「いえ、片方だけです」 「じゃあ糖尿のせいではないですね」 「……寝違えただけですかね」 「そうでしょう」 ちょっと疑心暗鬼になりすぎた感じだったが、かと言って油断して食べすぎないように注意はしなければなるまい。前回の検査結果も相当悪いのである。 しげは心電図まで取られたそうだが、どこといって故障はなかったとのこと。 と言うことは、具合が悪いとしょっちゅう言ってるのは、仮病かダラクサ(=ナマケモノ)なのかどっちかだな。 このやろう、思いっきりこき使ってやるから覚悟しろ。~凸(-~~- )
しげ、「ねえ、オレがどこも悪くなくてガッカリ?」と出かける時の泣き顔はどこへやら、ケロッとして聞いてくる。 呆れて「バカ」とだけ返事。それ以外に答えようがないわい。
コンビニで『週間文春』を立ち読みしたら、小林信彦さんが『人生は五十一から』でヘンリィ・スレッサーが今年の4月2日に亡くなっていたことを書いていた。ああ、その死亡記事は見逃してたな。 スレッサーと言えば、『怪盗ルビィ・マーチンスン』。小林さんはこれを「ぬるい作品」と評し、「こんなのを載せてたから、『ヒッチコックマガジン』は潰れた、と人から言われた」ことを書いているが、代表作と言われる『ママに捧げる犯罪』よりも日本で一番人気があったのが、この『怪盗ルビィ』であったのだ。だって私ですら読んでるし(つーか、これしか読んでませ〜ん)。 しげは読んで「つまんない」って言ってたけど、自分では大泥棒のつもりなのに、何をやっても“善意”の行動になってしまうってところが洒落ててよかったんだけど。和田誠が映画化したときには、ルビィは女(小泉今日子)に変えられたけれど、これが『ヒズ・ガール・フライデー』の故智に倣ったことは一目瞭然だし、ルビィというキャラクターがより可愛らしくなっていて、これは成功だったと思う。 映画化に合わせて、文庫カバーが私の好きな画家さんである楢喜八さんから小泉今日子の写真に変えられちゃったのは残念だけど。映画の宣伝をしたいときは、オビを付けるだけにしてほしいものである。
DVD『必殺必中仕事屋稼業』、一気に6話から12話まで見る。 『必殺』シリーズを余り熱心に見てなかったのは『時代劇は必殺』とか言っときながら、全然時代劇じゃなかったからだけれど、こうして通しで見ると、時代劇になってるのとなってないのとの振幅の差が激しいね。 第八話の『寝取られ勝負』は、下飯坂菊馬脚本、三隅研次監督で、セリフなんかもしっかり江戸江戸してるんだけれど、第十二話の『いろはで勝負』は、もう笑うしかない。半兵衛と政吉が、乱れた遊郭を潰すために中に潜入するのだけれど、味方のフリをするためにでっち上げたソープランドのアイデアが評判取って大繁盛する。でも、当時から江戸にソープはあったんだけど。湯女ってそんな役割だし。奇を衒いすぎると、かえってつまんなくなるものだ。 江戸の雰囲気出せてないと言えば、おまき役の芹明香、どう見ても現代人。好きな女優さんだから文句言いたかないけど、三隅監督には嫌われてたみたいだなあ。第八話では付け足し的に最後にワンシーン出てるだけだし、第十話では全く出番がない。池波正太郎から始まったシリーズだから、時代劇としてきっちり作りたい人と、おもしろけりゃ何でもアリの人と、スタッフ間でも考え方の違いがあったんじゃないかなあ。 まあ、バカ時代劇は誰でも作れるんで、時代考証ちゃんとやってくれてる作品の方が私は好きだな。もちろん、「仕事屋」なんて職業が当時なかったことはわかってるけど、その、ドラマ造りのための虚構と、ただのいい加減とはワケが違うからね。だからホントはご新造さんには歯に鉄漿しといてほしいんである。婆ちゃんの世代まではやってたんだから、私には違和感ないしなあ。 ああ、でも三十年近く前のドラマだから、ゲスト出演者も、相当数の人が死んでるなあ。 菅貫太郎、和田浩二、菊容子、天津敏、神田隆、真木洋子、東野英心、藤岡重慶、岡田英次、みんな故人だ。しかも、お年だし仕方ないって人がほとんどいないぞ。若死にが多すぎる。ドラマ見てても、なんか切なくなってくるね。
マンガ、北条司『エンジェル・ハート』4巻(新潮社/バンチ・コミックス・530円)。 あ、なんだかいきなり日常編に入っちゃったな。 それも、香と阿香との組織適合性がほぼ同一、という「奇跡」があってこそのことだけど、奇跡の大安売りはどうもねえ。ジャンプ系のマンガ家さんはやっぱりどうしてもハッピーエンドを望むのかね。……だったら最初から香を殺すなよ。ドラマ造りのためにキャラを勝手に使い捨てしといて、後で適当に辻褄合わせするいい加減さ、腹立たないのかね、かつての『シティー・ハンター』ファンは。 けれど、アクションシーンより日常描写の方がずっとうまいな、北条さんは。細かく書きこんでるし、デッサンはしっかりしてるから、「うまい」と錯覚されてるけど、北条さん、マンガとしては下手なほうだ。細かく描きすぎてるせいでアクションなのに絵が「止まる」こと多いんだよね。まだ『キャッツ・アイ』のころの方が線に伸びがあったぞ。 こういうほのぼのした展開にしといて、また最終回で阿香が死ぬようなことになったら、本気で北条さんをマンガ家として最低のレッテルを這ったがいいと思うぞ。……怒ってるなあ、オレ。そんなに香が好きだったのか。
2001年07月13日(金) ふ、ふ、ふ、ふ○こせんせぇぇぇぇぇ!/『悪魔が来りて笛を吹く』(横溝正史・野上龍雄・影丸穣也)ほか
| 2002年07月12日(金) |
ある事件の記憶/DVD『アベノ橋魔法☆商店街』vol.1/『奇妙な論理�機Ν供戞複諭Ε�ードナー)ほか |
さあ、この事件も若い人にとってはとっくに風化してしまった事件だろうか。 いや、この事件だけは多分されないね。本当はしてしまったほうがいのかもしれないけれど。
神戸市で1997年(もう5年も前かよ)に起きた連続児童殺傷事件の犯人、自称酒鬼薔薇聖斗の中等少年院の収容期間が2004年まで継続されることが決められたとのニュース。 中等少年院は原則20歳未満を対象としているため、本当なら酒鬼薔薇は来年4月に20歳9か月で出所する予定だったが、さらに1年半以上も大幅に延長されたことになる。 「異常性の際立った少年犯罪に対し、司法の判断も極めて異例となった」と記事にあるけれど、そこまで「異例」を通すならいっそのこと、実質終身刑にしてしまえばいいのにと思うんだけど、そこまではできないんだろうね、加害者の「人権」に配慮するとかの理由で。 でもなあ、本当にそれでいいのかねえ。どうせマスコミは酒鬼薔薇が出所したら、そのこと報道するんでしょ? そりゃ名前や顔写真、どこに住むことになるかとか、個人情報は出さないかもしれない。でも「出所した」って事実だけは報道するつもりでしょ? だって、今回も「何年後に出所する予定」ってこと、事件が「風化しないように」わざわざ知らせてくれてるんだから。 あのさ、マスコミさんや、あんたら、国民が怯えるの面白がってるだろ?
私は「出所しても酒鬼薔薇がまた犯罪を起こすのではないか」という心配はあまりしていない。通り魔なんていつでもどこでも出るもんだよ。明日、我々は別の通り魔に襲われるかもしれないわけだよ? 酒鬼薔薇一人を恐怖したってしかたないじゃん。道端でウンコ座りしてるヤンキーの兄ちゃんたちの側通る方がよっぽど怖いわ。 なのにマスコミさんはいちいち知らせてくれるよねえ。彼だけがあたかも危険であるかのように、不安を煽ってくれるよねえ。後始末もようせんくせに。 で、あとを引き継ぐのはネットの仕事だ。酒鬼薔薇が出所した途端、ウソもマコトもいっしょくたで彼の個人情報が出回ることは目に見えている。名前をどう変えたか、何の仕事についたか、今どこに住んでいるか。人の口に戸は立てられないのだ。
ネットにそこまでの力があるか、という疑問を持つ人は、2ちゃんねるが堂々と存在している現在、もうあまりいないと思う。 はっきり言って、酒鬼薔薇の本名も顔写真も、既に相当ネットで出回っちゃってる。この期に及んで酒鬼薔薇に社会復帰が可能だと考えるのは甘すぎるのではないか。 しかももう一つヤバいなあ、と思うのは、巷に溢れる情報には相当数、ガセも混じってるだろうってことだ。私もかつて、酒鬼薔薇の写真を見たことがあるけれども、ホントにどこにでもいそうな顔なんだよ、これが。こいつに間違われそうなやつ、知り合いで少なくとも5人はいるよ。 数年経って、出所した時の彼の顔は当然成長して変わっているだろう。となると、もと「酒鬼薔薇」に擬せられてしまう人間は、恐らく今以上に続出するのではないか。
新聞やテレビがさ、情報を伝えるのが使命だって考えてるのは分るよ。けど、いつもいつもニュースは垂れ流しで、その後のことなんてなにも考えてないじゃんか。 酒鬼薔薇の更正を誰もが信じられるほどにこの社会が成熟しているならばともかくも、それは期待薄だろう。だとすれば、マスコミがやってることは、「情報による恐怖政治」、ヒトラーのユダヤ謀略論と何ら変わるところがない。 こうなると私ゃ、酒鬼薔薇が出所してきてまた犯罪を起こすんじゃないかって心配より、誰かが疑心暗鬼になって、酒鬼薔薇自身を殺しゃしないか、あるいは全く関係のない人間が酒鬼薔薇と疑われて誰かに殺されやしないかなんてことまで心配しちゃうよ。 と、これでも誤解を招きそうなので補足すれば、私は酒鬼薔薇の身を心配してるんじゃなくて、どんな形であれ、あの事件がきっかけとなって、再び「殺人」なんて事件が起こること自体を避けてほしいと願ってるのよ。 そこまで考えてるか? 司法。 法律改正が間に合わなくて、どうしても出所させなきゃならないとすれば、社会不安を解消するための手段、今から考えておかなきゃならんのじゃないか? 前から思ってんだけどさあ、人権派の方たちを1ヶ所町に集めてさあ、コミューン作ればいいんじゃないかと思うんだけど、どうかね。出所した犯罪者はその町で働くんだよ。体のいい「佐渡島」じゃないかって思うかもしれないけれど、人権派って、やたら多そうだから二県か三県くらいは集まるんじゃないの? それだけ広けりゃ、出所して来た人たちも「島流し」されたって印象を持たなくてすむでしょ。回りの人も絶対優しいはずだし偏見持ってないだろうし。
でもまあ、現実には酒鬼薔薇の弁護士だって、「できるだけひっそり住め」くらいの処置しか取らないだろうね。で、ほかにどんな凶悪な事件が起ころうとも、その対処としては常に対症療法のみしか行われないのである。 司法や人権派とやらが何もしないのであれば、我々は「気にしない」ことで対抗するしかないのである。だってそれじゃ気がつかないうちに殺されちゃうかも、と疑心暗鬼になるのが一番マズイ。民衆が躍らされ慌てふためいてる様子を見て、内心喜んでる連中がマスコミなんだから、やつらをわざわざ喜ばしてやるこたねえやな。本当に恐怖を撒き散らしてるのは酒鬼薔薇ではないよ。 人生なるようにしかならん。死ぬときゃ死ぬんである。それくらいの覚悟がないと生きてけないんだろうね、実際の話。
またしげを待たしちゃいかんと思って、勤務が終わるやいなや、玄関先に出るが、しげの車が見えない。携帯に連絡するが繋がらない。また寝坊しているのだ。ちょっと最近頻繁だなあ。 外は結構な雨。空気も湿っぽくて暑苦しい。 てっきりしげが来てくれるものと思い込んでいたので、傘は用意していない。 全く、来なくていいときにはやたらひっついてくるくせに、人が困ってるときには来やしねえ。マーフィの親戚か、おまえは。 同僚が「失礼します」と言って、横を通りすぎていくが、「あ、どうも」と答えて突っ立ったままのこちらはアホみたいである。 バス停まで歩いていけばぐしょ濡れになることは解りきっているので、もうタクシーで帰ろうと思って、職場から玄関先まで来てもらう。 職場は山の上にあるのだが、以前は運動もかねて山の下まで降りて行き、そこからタクシーを拾っていた。職場の前からだと、いくら金額が違うかというと、これが結構な額で、2、3百円は余計にかかるのだ。 何となくその、2、3百円かかっちゃうってのが業腹なので、どうせカネがかかるのならちょっと遊んじゃえ、と思って、博多駅を回ることにする。 ……いや、遊ぶったって、ホント、本屋とか回る程度なんですって。 博多駅まで直接タクシーを乗りつけるのも軽く2千円を越すので、福岡空港の地下鉄駅まで行ってもらい、そこから地下鉄で博多駅まで。紀伊國屋で本やDVDを物色したあと、マクドナルドで食事。 なんかもー、しげと顔を合わせたくもなかったので、そこで8時過ぎまで本だのなんだの読みながら時間をつぶす。
マンガ、北崎拓『なんてっ探偵▽アイドル』9巻(小学館/ヤングサンデーコミックス・530円)。 原案協力に井上敏樹がいるせいか、展開がますますアニメシリーズっぽくなってきたなあ。怪盗リストが登場した時点で頭を抱えてたけど、今度は「ナイスバディ、キュートな笑顔、そして鋭い勘……。トリコロールの魅力をひとりに凝縮したアイドル、藤巻ゆかり」の登場と来たもんだ。 でもなあ、アキラが結果的に真相にたどりつくわけだから、こいつもただのバカキャラとして登場させたってことは分るんだけど、そんなありきたりの設定、もういい加減でやめにしないか? 『金田一少年』と『コナン』を私は散々貶してるけれど、それはかつてのミステリ(主に小説や映画)が持っていた「謎と論理」や「冒険」、「怪奇」といった面白さのエッセンスを、薄めて薄めて拡大再生産してるだけで何一つ新しい魅力を付け加えていない点に尽きる(ともかく、全ての事件において「犯人の動機の弱さ」が指摘できる)。 それでも、それまでミステリに触れたこともないような読者にまで間口を広げたってことで、この二作は一応エポックメーキングとして評価できなくはないのだ。でも、後続がアタマ悪い作品作っててどうするかね。 どうも「どうせ漫画」「たかが漫画」ってとこに安住してる気がしてならないんだよなあ。
マーティン・ガードナー著・市場泰男訳『奇妙な論理�機 修世泙気譴笋垢気慮Φ罅宗�In the name of science)』『奇妙な論理�供 酋�飛ぶ円盤からユリ・ゲラーまで―』(社会思想社/現代教養文庫・各630円)。 社会思想社がぶっ潰れたんで慌てて買った二冊。 いわゆる「擬似科学」の解説本で、載ってる話はたいてい『トンデモ本の世界』シリーズの中で紹介されてるものだけれど、驚くべきことはこれがアメリカじゃ1952年に出版されてるってことだね。日本でトンデモ本ブームが起こったのはせいぜいこの10年。それまではそれこそインチキがはっきりバレてる清田某なんかをマスコミはずっと持ち上げてたんだからね、無知なる大衆を騙し続けてきたその罪は相当深い。 まあ、私も70年代のユリ・ゲラーブームのときには一所懸命スプーン擦ったけどよ、当然一本も曲がらん(^_^;)。そう言えば大学時代に「俺はスプーンを曲げた!」と主張していた長野のNくん、お元気ですか(見てないって)。 ユリ・ゲラーを完全にインチキって思ったのは、ルーム・ランナーのCMに出たときだったね。だって、全然ルームランナー買う気にならなかったから。 この世に超能力が全くないとは言わんが(火事場のバカ力とかはありそうだしな)、少なくとも、たかがスプーン曲げてるだけで「超能力だ」と主張しているうちは、信頼しちゃいかんよ。あの人たちも「この力を平和のために使いたい」とか偽善的なハッタリをかまさなかったら笑って見てやっていいんだけどね。だからスプーン曲げと人類の平和との何がどう関係してるってんだよ。どうしてあの人たちはただの「超能力ショー」を披露するだけでがまん出来ないのか。やっぱり無能力者ほど、「実は自分にはスゴイ力がある」って幻想にすがりついていたいのかもね。 考えてみれば、ユリ・ゲラーなんかは詐欺師としてはかわいいものである。彼ら超能力者、霊能力者、宗教家が本物かどうか判別するのは簡単で、カネを集めたがってるかどうか見りゃいいんだからね。 けれど、科学者の場合はホントに資金が必要な場合があるから判別しにくいんだよね。少なくとも「大学では私の新理論を理解できないから、民間施設の委嘱を得て活動してる」なんて言ってるやつは大ウソつきだろうけど。
この本は別に超能力のインチキを暴露してるだけじゃなくて、例のヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』のインチキ(彗星の接近がモーゼの紅海分断を起こしたってやつね)や、地球空洞説やらオルゴン理論(オルゴンエネルギーで病気は全部治せるとか)、ダイアネティックス(サイエントロジーですね)なんかも取り上げている。 いつの時代どの国でも、何か超自然的なものに惹かれる心理というのは分らなくもないが、問題は、そういうのの大半が詐欺だってことに気づかない人間がなかなか出てこない、あるいは少ない、といったことの方に問題があると思う。 だってなあ、やっぱりノストラダムスの予言が外れたあとでも「あれはノストラダムスが予言したから滅亡が来なかったんだ」とか「実はあれは1999年ではなかった」って言い張ってたやつ、知り合いに結構いたし。否定したらヒステリー起こすしよ。全く、何をどうしたらこんなバカが生まれてくるんだ。 人を騙す方も騙される方も、現実世界の中で自分の価値を見出せなくて、虚構の中に生きようとしてるんだろうけれど、だったら自分たちだけで生きてってほしいものである。
徳間書店『アニメージュ』8月号。 あー、『魔王ダンテ』、テレビアニメ化っすか。脚本が上原正三。今更だよねえ。それにあの原作、ドラマとしては相当破綻してんだけど、今の視聴者の眼から見たら物足りないんじゃないかね。もちろん、映像としてスゴイもの見せてくれたら面白いんだけど、テレビの小さなフレームで、それが伝わるものかどうか。やるなら劇場で一本、中身を凝縮してやってほしいんだけど。誰も見に行かんか。 まあアニメにするなとは言わないけれど、先に『デビルマン』の続き、飯田馬之介さんに作らせてほしいけどなあ。
アニメーターの石田敦子さんがエッセイ『愛を追いつめろ!』の中で、伊藤俊人さんとナンシー関さんを追悼している。ひとことだけ、「たださみしい」。 何万言を費やすより、ジンと来る。石田さんも多分、同世代。
角川書店『Newtype』8月号。 林原めぐみの『愛たくて逢いたくて』(実は読んでます。わはは)、ゲストがなんと内田春菊。この組み合わせはなかなかビックリだなあ。 2ちゃんねるなんかでも、内田春菊バッシングは相当スゴイものがあって、もうリクツもクソもなくなって感情の垂れ流しになってるけど、まあ、それだけ人の琴線に触れるものを描いてるってことだ。作品がいかに内田春菊の実生活をモデルにしていようと、エッセイや後がきで元夫の悪口言いまくってようと、それが内田さんの「作風」なんだからねえ。文句つけるんなら読まなきゃいいのに。全く何様のつもりなんだか。 離婚に関してはいろいろあったはずなのに、黙して語らぬさくらももこや倉田真由美に比べりゃ、内田さんのほうがよっぽど潔いわ。黙ってるほうが潔いってのは大間違いだよ、だって、「自分のほうが悪者」と受け取られること覚悟の上で書いてんだからさ。
対談自体は、何しろ載ってるのが『Newtype』だからね、余り過激なことは載せられまい。 内田さんのプライバシーにも入りすぎちゃいないけど、林原さんが性的なことを高校のときに読んだ内田さんのマンガで開発されたってのは面白いな。私ゃ、内田さんのマンガは今に至るまでずっと性的にストイックなマンガだと思ってたんだけど。『幻想の普通少女』なんて特にね。 男に簡単にマタ開こうが、それが性的に開放されてるとは限らない。だから、内田さんのマンガのキャラクターは男に抱かれて気持ちよくても、すぐに別れる。性の開放ってのがホントは心の開放だということならば、そこに辿り付くには一朝一夕にはいかないんじゃないか。だから内田さんは今のダンナで3人目か? 未だにストイックな心を持ちつづけてると思うんだけどね。
DVD『アベノ橋魔法☆商店街』vol.1(スターチャイルド/KIBA779・1890円)。 うーむ、悩んだ末に結局買った『アベノ橋』DVD。 オタクがこうも細分化してしまった今、たとえガイナックスの新作と言えど、ヒットするとは限らない。だいたい、キッズステーションでの放送ってのがとても人口に膾炙するとはとても言いがたいしね。よほど「面白いぜ!」という要素がない限り、口コミも効果がなかろう。 で、5年後には「幻のアニメ」になるであろうことを見越してDVDを購入(^_^;)。実はウチの本棚にはそーゆーアニメが多いのよ。『宇宙海賊ミトの大冒険』とか『デュアル!』とか、もうみんな忘れちゃってるだろうなあ。好きだったんだけど。 本放送時は見逃していたので第1話は初見なんだけど、なんだこれ、大阪を舞台にした『オトナ帝国』じゃん。脚本のあかほりさとる&山賀博之がそのことをどの程度意識してたかどうかは分らないけれど、実際そうなっている。消えて行こうとする「アベノ橋商店街」をなんとかして残したいという思いが主人公のアルミとサッシを別世界に飛ばしてるって設定だし、エンディングには「太陽の塔」も出てくるし。藤原啓治さんがパパン役で出演してるのは偶然だろうけれど。大阪のことはよく知らんけど、阿部野橋って実在してるのか? もしかしてガイナックスがこんなの作ったのは、東京者に『オトナ帝国』を作られた大阪者としての腹いせだったりして。主人公のサッシがオタク少年ってのもなんとなく『ハレのちグゥ』のハレみたいだよねえ。打倒「シンエイ動画」ってか? 思い返すに、オタクマインドに溢れてたアニメって、10年ほど前まではガイナックスの専売特許的なとこがあった。それは、かつては思い切り卑俗な形でのパロディ(モブシーンにどこかで見たようなキャラがいるとかね)として現れてたんだけれど、しばらくナリを潜めていたところに、実に効果的な「演出」として洗練された形で『オトナ帝国』にやられてしまった。 ガイナックスの人たち、内心では悔しく思ってたんじゃないかな。本来、『オトナ帝国』のような作品はガイナックスが作るべき作品ではなかったかって。 『彼氏彼女の事情』が途中から失速して以来、『フリクリ』にしろ『まほろまてぃっく』にしろ、ちょっとガイナの方向を模索してるって感じがある。っつーか、アニメの制作者たちって、昔はアニメファンでもいざ自分が作り手の立場になると、他人の作品を見なくなるんだよね。で、だんだんと作るものが時代からズレていくことになる。手塚治虫も黒澤明も死ぬまで他人の映画をやたら見てたことはスゴイことなんだけど、そのことの意味、ガイナックスは考えているのかどうか。 この『アベノ橋』はもしかしたらガイナックスの「焦り」なのかもしれない。
2001年07月12日(木) 怨念がおんねん(古)/『平成十三年度版 九州怨念地図』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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