無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
| 2002年07月01日(月) |
戦争は終わった/DVD『名探偵登場』 |
ワールドカップはブラジル優勝で幕を閉じた。 マスコミはもう一連の「事件」を「美談」にすりかえるべく必死である。 テレビじゃ分別臭いコメンテーターが「愛国心がどうのと言われる方もいらっしゃいますが、久しぶりにみんなが一丸となって応援できたのはよかったんじゃないかと」なんて腑抜けたことを言ってまとめようとする。 新聞は新聞で「日韓の溝を埋めることができた」とかなんとか脳天気なガクセイのコメントばかり載せてやがる。 一丸となって乱暴狼藉、相手国を口汚く罵ることが「よかったこと」か? 日韓の溝が、どう具体的な形で埋まったというのか? これが「洗脳」でなくてなんだというのだ? こういうこと言うと「マイナス面ばかりみてちゃイカン」とかアヤつけてくる奴がいるが、これ、プラス思考がどうのこうのって問題じゃなくて、「現実に目を向けろよ」ってことなんだけどな。私も別に、サッカー応援してたやつがみんな国粋主義者のナショナリストの、なんて考えてるわけじゃないのよ。ただ、それは戦前の日本人も同じだったってことなんでね。本土空襲されるまで、戦争とは人が死ぬことだってことをハッキリ自覚してた日本人、多分ほとんどいないんだから。
重ねて言うが、今回のワールドカップは明らかに「代理戦争」としての意味を持っていた。いや、“持たされて”いた。 それが証拠に、サッカーの試合に一国の首相や大統領が出張ってくることの異常さを指摘する人間は誰もいなかったし、三十年前には猫も杓子も金科玉条のように唱えてた「参加することに意義がある」なんて理念を未だに唱えてるやつは、ほとんど皆無になってしまっている。試合に出た以上は勝たなきゃ意味がない。アナタもそう考えてはいませんか? つまりは大半の日本人は、かつての「戦争絶対反対」から、「人さえ死ななければ、戦争は肯定される」ってとこまで(ヤマモトヨーコだね)、そのメンタリティを誰ぞに洗脳されてしまったということだ。これを「国を守るためなら、多少の犠牲はしかたがない」までスライドさせるのはそれほど難しいことではない。 今回、審判のミスジャッジが随分問題になった。あれを「人間のすることだからミスがあってもしゃあない」でも「審判を抱き込むくらいの不正はあるよな」でも「たかがサッカーでインチキがあったからってそれがどうだと言うんだ」でもいいけど、軽く受け流せりゃいいんだけど、これがワダカマリとなって残ってたら、これが次への「火ダネ」になるんだって。 サッカーファンの方は不快だろうが、あえて言う。 あれは「たかがサッカー」だ。 サッカーファンだけが楽しめばいいものであって、国をあげてのイベントにしちゃいけなかったものだ。それを「いろんなとこ」の思惑が絡んで、見事に「戦争」に仕立て上げられてしまった。これで「味をシメた」国は多い。そういう国は、既に「次」を求めているぞ。 その「次」は、誰が、どういう形で提供してくるのか。 それに「乗らずにいられる」理性が、果たしてあの熱狂に無自覚に参加してた連中にあると言えるのか。少なくとも某国には全くないように思えるんですけど、どう? ……私ゃオリンピックも好きじゃないけどよ、今思い返すと高橋尚子個人にスポットが当たってた前のオリンピックはまだマシだったよねえ。
このへんで私も今回のワールドカップについて書くことは終わりにしよう。 結構、「バカが騒いで」と客観的な見方してる人も多いってことがわかったからだ。私は自覚的なバカは好きだが、無自覚なバカは大嫌いである。私の文を読んで「人をバカにするな」と腹を立てる人はいるだろうが、バカにされて腹が立つ前に何がバカかの自覚を持てってんだ。 雨上がりのせいか、いきなり暑い日。 頭痛に血便と、体調も最悪。マジでからだが持たないのに、懸命に仕事。 へろへろになってたのであまり書くことがありません。 っつーか記憶が完全に飛んでるのよ。
DVD『名探偵登場(Muder by Death)』(1976)。 原題が「死による殺人」って、これだけでも意味不明だなあ(^o^)。 さあ、この映画について語りだしたらキリがないぞ。 私のフェイバリットコメディ映画の上位に位置する作品、これを「意味がわからん」とか「デタラメだ」とか「つまらん」とか言うヤツは全員縊り殺してやるから覚悟しとけ。まさしくその通りの映画なんだよ(~_~;)。 『おかしな二人』のニール・サイモンによる探偵映画のパロディ……というタテマエだけれど、実はこの「探偵“映画”」のパロディというところがミソで、特典でもニール・サイモンがインタビューに答えて言ってるが、「探偵“小説”」のパロディではないのである。 まずはそのあたりから語ろうか。
大富豪、ライオネル・トウェイン(演ずるは『冷血』の作家、トルーマン・カポーティ!)は長年探偵小説のファンだった。 しかし、あまりに読者をバカにしたヘボミステリーの多さに辟易し、ついに5人の名探偵を屋敷に呼び寄せて、実際の殺人事件を起こし、その謎が解けなければ笑いものにしてやろうと計画する。 その5人の名探偵が、かつて実際に「映画」で活躍していた名探偵たちなのだ。
まずはディック&ドーラ・チャールストン夫妻。 ダシール・ハメット原作のニック&ノーラ・チャールズ夫妻が活躍する『影なき男』シリーズ(原作は一作だけだが、映画はウィリアム・パウエルとマーナ・ロイによってシリーズ化された)のパロディ。 陽気なアメリカ人夫妻だけれども、モトの映画は随分洗練されてたムードだったから、これにデビッド・ニーブンとマギー・スミスを充てたのは正解。『ハリー・ポッター』ではすっかりおばあちゃんになっちゃったマギー・スミスだけど、この映画の当時はまだまだ若くて、知的な美人。役自体は今一つ知的じゃないんだけど。
シドニー・ワン警部とその息子、これもアール・デア・ビガーズ原作の「チャーリー・チャン(張)」シリーズがモトネタ。と言っても私もこの作家ばかりは原作本を読んだことはない。なにしろ日本での出版点数が少ないし、今入手できる本もほとんどない。そのためにイマイチ無名で、どうしてこんなのが? と疑問に思われる方もいるだろうが、実は戦前のアメリカでは40本以上の「チャーリー・チャン・ムービー」が作られているのである。サイレント期には日本の上山草人(『七人の侍』の琵琶法師ね)なども演じていたそうだが、ワーナー・オーランドやシドニー・トーラーのチャンが有名。1981年にはピーター・ユスチノフもチャンを演じている。 シドニーを演ずるは変装の天才、ピーター・セラーズ。まぶたを一重にして怪しい英語を操り、いかにも胡散臭い中国人を熱演しているが当初はオーソン・ウェルズが演じるはずだったとか。チャンは代表肥満という設定だから、こちらの方がパロディとしては合っていたかも。
ベルギー人探偵ミロ・ペリエと運転手マルセルは、言わずと知れたアガサ・クリスティー原作のエルキュール・ポアロ。 もちろんこの映画が制作された当時は、ピーター・ユスチノフもましてやデビッド・スーシェもポアロを演じてはいない。戦前の映像化ということで、『アクロイド殺し』『ブラック・コーヒー』『エッジウェア卿の死』に主演したオースティン・トレバーがサイモンのイメージにはあったのだろう。あるいは舞台でポアロに扮したチャールズ・ロートンも一時は「これぞポアロ」と言われていたらしく(原作者は演技がフザケすぎてて嫌いだったそうだが)、そちらに対するオマージュの度合いの方が強いかも。なにしろ、そのロートン夫人であるエルザ・ランチェスターが、本作ではもう一人のクリスティーの名探偵のパロディを演じているのだから。 ペリエ役者は『ラ・マンチャの男』でサンチョ・パンサを演じたジェームズ・ココ。「ネスパ?(そうですね)」とフランス語で聞いて、ミス・マーブルスから「ネスパじゃないわ、コーヒーよ」とボケ返されるギャグはベタだけど大好きだ。
四人目のサム・ダイアモンドとその愛人は、またもやハメット原作から『マルタの鷹』のサム・スペード……というより、これはもう、演じるピーター・フォークと、アイリーン・ブレナンは完璧にハンフリー・ボガートと、ローレン・バコールを気取ってますな。もっともこの夫婦の共演はもとネタ映画の『マルタの鷹』ではなくて、レイモンド・チャンドラー原作の『三つ数えろ(大いなる眠り)』の方なんだけど。ボガートが演じるとサム・スペードもフィリップ・マーロウもいっしょくたになっちゃうからなあ。ピーター・フォークは更に『カサブランカ』もちょっくら混ぜてる感じだ。喋り方がいかにもボガートのものマネなんだけれど、地声も似てるんだよね、この人。
最後の五人目、ミス・ジェシカ・マーブルスはクリスティーのミス・ジェーン・マープル。マーガレット・ラザフォード主演で『パディントン発12時50分』以下四本が製作されているが、これも日本未公開。死ぬまでには見てみたいんだけど、どこかDVD化してくれよ。 演じるエルザ・ランチェスターは浦沢直樹の『マスター・キートン』で有名になったが(^o^)、元々『フランケンシュタインの花嫁』などでも有名だった。今回のマーブルスのオファーは、やはりクリスティー映画の『情婦』で、判事ウィルフリッド卿(夫のチャールズ・ロートン!)の看護婦役で出演していたことも関連しているだろう。 マーブルスの看護婦(でも老齢で今は自分が看護されてる)ミス・ウィザース(演・エステル・ウィンウッド)は、森卓也がスチュアート・パーマーのミス・ウィザースがもとネタだとか断定してたが、これは明かな間違い。映画本編でも「5人の名探偵」と明言してるし、名前の一致はただの偶然だろう。いい加減、あのボケ爺さんの知ったかぶりは誰かなんとかしてくれんか。
探偵以外の人々にもちょっと触れておけば(と言ってもあとは3人だけれど)、主人のライオネル・トウェインはいかにも作家か大富豪っぽい名前だけれど、屋敷の住所が「22番地」。「トゥー・トゥー・トウェイン」で、マザー・グースの歌詞「トゥー・トゥー・トレイン」の駄洒落になっている。 盲目の執事と唖の女中の組み合わせってのはとても日本ではできないギャグだけれども、屋敷の執事が不具だったりするのは怪奇モノの定番。サー・アレック・ギネスとナンシー・ウォーカーがこれを楽しそうに演じている。 アレック・ギネスはちょうど『スター・ウォーズ』撮入前だけれども、その脚本を絶賛していることをニール・サイモンに明かしている。重鎮のイメージが強いが、結構サバけていた人のようだ。前にも書いたと思うが、この人のおかま演技が見られるのは多分この映画だけ。オビ・ワン・ケノービのオカマですよ! あ、それで役名がベンスンマムなのか(「名前は?」とマギー・スミスに聞かれて、「ベンスンマム(ベンスンです。奥様)」、と答えるギャグあり。日本語に無理やり置きかえると、「吉田です」「吉田さんね?」「いえ、「吉田出須」です」ってな感じか。……そんな名前の人間はいないぞ)。 ナンシー・ウォーカーは後に『コロンボ』でもピーター・フォークと共演。あちらではやはりコメディエンヌとしての評価が高いらしい。
残念ながら、5人の名探偵のうち、ピーター・フォークを除く全てが故人。 カポーティにギネスも亡くなった。こんな豪華競演は、二度と見られまい。
本作のパロディぶりは確かに日本人にはわかり難い。 実際、初見のころ、これをマトモなミステリとして見ようとして、そのオチのデタラメさに頭を抱えたものだった。実際、何度見返しても、オチの意味、憶測はできても納得はできない。 しかし、これが後の日本の新本格のデタラメさを予告したものだと考えれば(おいおい)、その先見性の素晴らしさに下を巻くことは請け合いである(^o^)。 これは「ミステリ」のパロディではなく、「へぼミステリ」のパロディなのだ。思い付きとご都合主義で、「途中で作者が犯人を変えることもある」リレー小説のような。実際、最後の最後のドンデン返しは現場で付け加えられたものらしい。ニール・サイモン脚本に基づくノベライズに、そのシーンはないからである。で、アレがアノ人のことを指すとしたら、殺人の動機は……? さあ、未見の方はどうぞご覧あれ。そして私と一緒にアタマを抱えましょう。
DVD版は残念なことに吹替え版を収録していない。 テレビ放送時のフィックス声優による豪華競演はちょっとした見モノであった。 記憶だけで書くのでちょっと間違ってるかもしれないが、デビッド・ニーブンに中村正、ピーター・セラーズに羽佐間道夫、ジェームズ・ココに富田耕生、エルザ・ランチェスターに高橋和枝、そしてもちろんピーター・フォークには小池一雄という布陣であった。カポーティは内海賢二だったかな? なんにせよ、羽佐間道夫のアヤシイ中国人の声が聞けるだけでも、吹替え版は相当な怪作でありますよ。
2001年07月01日(日) 食いすぎたのは、あなたのせいよ/『コメットさん』(横山光輝)ほか
| 2002年06月30日(日) |
荒む心、続く/DVD『マジンカイザー』5巻/『忍者飛翔 雪の章』(和田慎二)ほか |
梅雨続く。
久しぶりの劇団の練習だが、台本の打ち合わせだというのに、集まったのが私としげ、よしひと嬢、つぶらや君、穂稀嬢の3人。 練習自体には参加できなくても、台本のアイデアは出すようにという連絡はしげはちゃんとしている。要するにみんな、やる気自体がないのだ。「やる気はあるけどアイデアがないだけ」という言い訳は却下。マトモに演劇やってるやつはそんな言い訳自体しない。 次の公演のスタートが最初からこれでは初めから気力が萎えてしまうが、しげもいい加減で腹を立てているらしい。 「1回連絡はしたんだから、返事がなくってもいちいち確認取ってあげたりしない。そういうのもうやんなっちゃった」と牧伸二みたいなことを言う。 それはこちらもそういう気分ではある。この日記のアドレスはメンバーには教えてあるし、読んで反応することはできるはずだが、今まで芝居に関していろいろ文句を書き連ねても、全くと言っていいほど反応があったためしがない。かと言って、読んでるかどうかなんて確認は私だっていちいちしない。 演劇が好きでもない人間と一緒に芝居を作れるほど、私には気力も体力もありはしないのだ。演劇は一人ではできない(できる場合もあるがそれはそれとして)。かと言って、やりたくもない人間をムリに集めて芝居を作ったところで所詮それは一人相撲だ。脚本を書くことをやめるつもりはないし、そのために個人ホームページを開きたいと考えてはいる。そうしながらいつも自問自答している。 私は芝居を通じて誰に何を語りかけているのか。 それは何かの実体を伴うものなのかどうか。 答えに届きそうで、それを掴まえようとするとスルリと掌から逃げて行くのだけれども、この夏、1、2本の脚本は上げたいと考えている。 どうやらその程度の時間は取れそうな感じなので。
とりあえず集まった面子で、企画だけは立てる。詳しい内容はまだ発表段階ではないのでおいおい。 そのあと、博多駅によしひと嬢を見送りがてら、紀伊國屋など回る。 紀伊國屋のDVDコーナーに、黒澤明の東宝映画DVDボックス全3巻23作品の発売予告のポスターが貼ってあるのに気づいて、私もよしひと嬢も息を飲む。 ずっと以前によしひと嬢にむりやり『隠し砦の三悪人』と『蜘蛛巣城』を見せて以来、彼女は黒澤明と三船敏郎のファンである。『雨あがる』を「抜け殻」と評するくらいに入れこんでいるので、当然このDVDボックスはほしいのだろう。ポスターを食いいるように眺め、やや上ずりながら呟く。 「単品で買えるなら……ああ、でも半分以上欲しいのばっかり」 私が「オレは買うぞ」と言おうとした瞬間、しげが何かを察したかのように「買わんよ」と言い出す。 「どうして」 「だって、ひとつ4万円近くするんだよ。3巻で12万? ハッ!」 「別に一気に12万使うわけじゃないじゃん」 それに、紀伊國屋は10%引きで売ってくれるから、3万6000円。ポイントカードの割引で更に2千円引き。10万ちょっとで買えるのである。映画ファンでこれを買わずにいられるものか。 けどそうなるってえと、やっぱりどこかで切り詰めないとなあ。 これでもビデオのエアチェックは控えるようにしているし、服は新しく買わないし、それなりに使うおカネを切り詰めちゃいるんだが。 と言いつつ、よしひと嬢を見送った後、またすし大臣で食事。そうだよ、食事代がかかってるんだってば。けれど、ウチの場合、外食したほうがまだ安上がりだということが最近になってわかった。料理を二日分ほど作りおきしておくと、その日のうちにしげが食い尽くしてしまうのである。曰く、「次の日になって温めなおすと美味しくないんだもん」。 これで人に無駄遣いをするなと言える根性が腐ってるのである。
その後、しげと二人でこれも久しぶりのカラオケ。 二人だけだと、今まで歌えなかった歌にも挑戦できる。私の場合はたいてい女性ボーカル曲だが(だってみんなの前ではどうしても熱唱曲ばかりになるんだもん)。あ、もちろんアニソン以外は歌いません(^o^)。 密かに練習していた雛形あき子の『SIX COLORS BOY』(さあ、何のアニソンだかわかるかな?)、やはり音程が所々外れる。もう少しの練習が必要か。 しげは『ミニパト』(よく入ってたな、こんなの)に初挑戦だが結構うまく歌ってる。全くいつの間に練習してたんだ……って人のことは言えんか。
コンビニで風間杜夫の一人芝居、『カラオケマン』のチケットを買う。けれど、期日が9月11日の水曜日の午後六時半から。平日じゃん。しかも場所がサザンクス筑後小ホール(筑後市)。……ってどこだよ(~_~;)。 博多から結構遠そうなんだけれど、本当に行けるのか。 今日は気がついたら『009』を見逃してたけれど、もうDVDで全巻買うことにしたし、いいか。ムチャクチャひどい作画の回もなくなってきたし(その代わり飛びぬけていい回もないが)、絵が荒れたらまた総集編入れるでしょ、多分。
ロマンのカケラもないようなドラマがまた一本作られそうな気配である。 TBSの特別企画ドラマ『明智小五郎対怪人二十面相』(8月27日午後9時放送)の制作が開始されたが、名探偵明智小五郎役はなんと田村正和。 ……「古畑」じゃねーか、というツッコミをしたくなる人が大半じゃないかと思うが、原作ファンの眼で見ればもう悪ふざけ以外の何物でもない。 だからよゥ、原作には「神田伯龍にそっくり」って書いてあるってえのに、どうして似ても似つかぬ役者ばかり揃えてくれるかな。モノシラズは明智と言えば天知茂って思いこんでるやつ多いけど、明智は二枚目じゃないんだってば。 それに田村正和って、今いったいいくつだ。いくら何でも明智やるには老けすぎてないか(そりゃ原作でも50代まで活躍してたけど、二十面相と対決するなら、せめて40歳くらいでないと)。おいちゃん、悲しいよ(T△T)。 これまでの映像化で一番イメージに近かった(っつーか他のに比べりゃマシなだけ)のは嶋田久作だけれど、『屋根裏』じゃラリってたし、『D坂』じゃヒゲ生やしてたしなあ。みんなちゃんと原作読んでくれよ。 それでもいつもニコニコ笑ってるけど底が知れないって感じの演技を田村正和がしてくれたら嬉しいんだけど、どうもキャスティングからして、スタッフが乱歩ファンとも思えないから期待は薄い。 さらに視聴者を馬鹿にしてるとしか思えないのが、二十面相役がよりによってビートたけしだってこと。いったい何を作るつもりだTBS。……いつぞやの陣内孝則の明智にも相当腹を立てたものだけれど、正直言って、今回は憤りを通り越して殺意すら覚えるぞ。 これがねえ、NHKの夏木陽介版『明智探偵事務所』みたいに、二十面相(演じるは米倉斉加年!)があのマスクしたヘンなスタイル(原作にそんな描写はない)を一切取らず、あくまで市井の人の中に埋没しているって設定ならビートたけしでも許せないものでもないけれど、スチールにはしっかりあの「怪盗スタイル」で写ってやんの。 中村警部が伊東四朗ってのも、普通は喜びたいところだけれども、どヘタクソなコメディリリーフにされそうな気がしてこれも気が滅入る要素の一つ。 いや、見る前からなんだかマイナス要因ばかり並べたてちまったけど、「見てからモノ言え」が批評の立て前ってものである。とりあえず見ますよ。ああ、見てやりますとも。見てどうか私の懸念が杞憂で終わりますように心から祈る次第です。
『週刊文春』で、林真理子氏が『今夜も思い出し笑い』でナンシー関を追悼している。底の浅い駄文しか書けない人だってことはもう充分過ぎるくらい知っているので、またピント外れなこと書いてるんだろうなあと思っていたが、やっぱり今回も、ナンシーさんの文章を「悪口だけれど品があった」と愚にもつかない誉め方をしている。なんにもわかってないよなあ、品がないからこそ悪口の価値はあるし、俗だからこそ我々の共感を得るのだ。林さんの言い方じゃ、逆にナンシーさんの文章を貶めてるのと変わらない。誉め殺しするつもりか。 「○○だけれども○○」ってのは便利なコトバで、全く何も考えてなくても意味のある文章に見せかけることのできるレトリックの一つである。「乱暴だけれども優しい」とか「猥雑だけれども美しい」とか、一見、相反するものを同価値なものとして並列しているように見えるけれども、そうではない。実は前者の価値をマトモに認めるだけの分析力を持っていない、あるいは認めようとしていないのだが、後者の言葉でいかにも理解しているように見せかけているだけなのである。 偽善者はたいていこの種のコトバを平気で使う。私もしょっちゅう使うから間違いないぞ。(≧∇≦)/ 更に林さんは「ナンシーが自分が太っていることについて一切書かなかったのは、自分を道化にしたくなかったからだ」とかなんとか書いてるが、自分で触れたくなかっただけって、どうして考えないかな。 こういう死去の際の妙な美化自体、生前のナンシーさんだったら真っ先に揶揄していたことだろう。ナンシーさんを誉めるのなら、こんな主観的で確認のしようもない言質でではなく、もっと理性的な人に客観的な言葉で語ってもらいたいものだけれど、語りたい人は今現在、本気で悲しんでいるんだよな。 コラムニストの功績は、再評価がされにくい。作品自体に時事的な話題が多いために、評価する側にもその時代と現代とを結びつける批評家としての目が要求されるからだ。この二十年間のテレビ・芸能界がなんだったのかを再び評価しようという人間が出て来ない限り、ナンシー関の著作は膨大な情報の中に埋もれていくだろう。 時代におもねって、安全なところからの物言いしかできない人間、差別語を糾弾することで事足れりと思っている偽善者が多い今、その可能性は高いように思う。 悔しいぞ。
同じく『週刊文春』から。 小林信彦の『人生は五十一から』でワールドカップを総括。日本が負けた時点で既に総括に入っているというのがいかにも小林さんらしい。ベスト8に入れなかった時点で、確かに日本のワールドカップは終わっているのである。 小林さんも、この一連の熱狂が、マスコミにより大衆が踊らされている結果だという認識をお持ちのようだ。「トルコを圧倒しつつ惜敗」というコトバが大本営発表並のウソであることも暴露している。一点差だろうが、片方が片方より圧倒的に強いということも現実にはある。負けは負けなのだから、このような報道が「偏見」あるいは「主観」によって書かれていることは否定できない事実だ。なのに、それを「惜しかった」と安易に語る人間が、既に「洗脳」されていることに、反論できる人がいるだろうか。 この「夢」はまた次のドイツでのワールドカップで日本がコテンパンにやられでもしない限り、覚めることはないのだろうな。それでも覚めないバカもいるだろうけれど。
DVD『マジンカイザー』5巻。 あ〜、あしゅら男爵が弓教授に変装して光子力研究所を破壊しようって話ですけれど、ところがその日がちょうど弓教授の誕生日で、パーティでむりやりデカバナとヒゲをつけさせられたあしゅら、演じてるのは八奈見乗児さんだから、当然これは「ボヤッキー」になってしまう。「もうお仕置きされちゃて」ってセリフはストーリー上はドクターヘルにってことになるんだろうけど、誰もそうは思うまい。 それはそれで面白いんだけど、こんなオリジナルやるんだったら、原作通りブロッケン伯爵出してくれよ。なんだかこのままだと7巻目にも出て来そうにないんだけれど。もっとも第2期シリーズで出すってんならいいぞ。
DVD『パワーパフガールズ バターカップ缶』。 PPGのボックスもこれで一応一区切りである。これ以降は映画版制作のためにテレビの方はお休み、ということなので、仮にシリーズが再開されるとしても、もうしばらく後になるだろう。でも、『シンプソンズ』も映画にはなってないってのに、やっぱりヒーローもの(?)は強いね。 今回は映像特典はなし。最終回までを完全収録……というか、なんでボックスの3巻目にテレビシリーズの第1話が収録されてるかね(~_~;)。 日本での放映が必ずしも本国の放映順にはなってないせいなんだけれど、日本のアニメだって、海外で勝手に改竄されてることが多くて、それを知るファンは憤ってるってのに、日本も同じことをしてどうするか。もっとも、あちらのアニメはそのことも考えてか、第1話をはっきり第1話と判るようには作ってない(初めから放映話順を入れ替え可能にしてある)のだけれど。
マンガ、和田慎二『忍者飛翔 雪の章』(メディアファクトリー/MFコミックス・598円)。 あー、なんでイマイチ和田慎二のマンガに乗れないかって言ったら、わざとらしいカマトトキャラとか、先が読めるのに作者だけがギャグしかけて気になってるだけのバレバレなネタがやたら出てくるからなんだな。 このシリーズを読むのは初めてだけど、ね太郎が飛翔だってことに真琴が気付かないって、そりゃいくら何でもないでしょ。 ああ、あのね太郎のボケたフリしてる時のへの字口! こんな古臭い「記号」が今でも通ると思ってる作者の傲慢さ! で……、特にヒドイのが、風邪を引いて熱に浮かされている真琴の尻をね太郎が捲るシーン。実はそれは……ってオチになるんだけど、こんな昭和30年代のマンガレベルのバレバレのシモネタやるなよ、みっともない。 そういうのはコメディの定番だって言うかも知れないけれど、シチュエーションコメディは1940年代のアメリカ喜劇だって、もっと設定に凝ってますよ。定番と安易を一緒にしちゃいけない。 『ついでにとんちんかん』みたいに、怪盗本人が全く正体を隠してないのに誰も気づかない(なのに怪しむやつがいる)ってとこまで開き直ってくれりゃあ、ギャグとして笑えるんだが、中途半端でしかも作者本人はごまかせたつもりになってるらしいのがどうにもねえ(『名探偵コナン』も、蘭や小五郎や目暮警部がいつまで経っても「コナン=新一」ってことに気づかないのにムリがあるんだよな)。 クレリア王女が『ローマの休日』のアン王女がもとネタってのも一発でわかるが、作者本人がメイキングでパクリだって自白してどうする。それで免罪符もらったつもりか? せめて少しは換骨奪胎してみせろよ。 ああ、でもどうして毎回ストーリーに腹を立てながらついつい和田慎二を買ってしまうのか。やっぱりヌードの魅力か?
なんだか今日はいつもの三倍は愚痴が多い気がするな。 疲れてるのかな、実際。
2001年06月30日(土) 原稿アップ(´。`;)/『マンガ世界戦略』(夏目房之介)ほか
| 2002年06月29日(土) |
能古島紀行/『ワイド版 風雲児たち』1・2巻(みなもと太郎) |
朝、しげが私より早く起きていることは滅多にない。 たまに起きているときがあっても、それは単に夜通し寝ていなかった、ってだけのことだったりする。 私の方は、一見グータラな生活しているように見えても、夜の睡眠だけはちゃんと取っているので、ここんとこはそうひどい病気にもかからずにすんでいる。運動量は減ったが、しげには内緒で散歩なんかしているので、体重もそう増えてはいない。 しげがしょっちゅうキツイだの眠いだの、体調不良を訴えるのは明らかに栄養の偏重と運動不足が原因だろう(何しろ肉と米しか食わず、野菜と果物は全く取らないのだから、ビタミン不足に陥っていると思われる。脚気になるぞ)。
休日も、ここしばらくは日がな一日寝ていることが多い。 ところが先週、ちょっと太宰府に足を伸ばして味をシメたのだろうか、それでも朝はグースカ寝ていたしげだが、10時を過ぎてやっと起きだして来たかと思うと、またぞろ「どこか旅に出たい」と言い出した。 はっきり言って逃避である。 休日くらい家事の一つもすればいいのに、料理どころか洗濯も掃除もしたくないしげは、ともかく日常から逃げ出したいのだ。 そんなのに付き合ってやったって、私も疲れるだけなのだが、怒ればまたヒステリーを起こすのは目に見えている。しょうがなく、「どこに行きたい?」と話を合わせる。 「どこでもいい、どこか!」 ますます現実逃避だ。多少ナゲヤリな感じで「島にでも行くか? 能古島」と言ったら、「うん!」と喜ぶ。言ったあとでしまったなあ、遠いなあ、疲れそうだなあ、と思ったが、今更取り消しはきかない。「ちょっと遠いな。志賀島でもいいけど(たいして距離は変わらんわ)」とかなんとか言ってみるが、しげのヒトミはもうキラキラと星が煌いていて、「能古島気分」は動きそうにない。 覚悟を決めて、タメイキをつきながらダルいカラダを車に押しこんで、姪浜の能古渡船場へ向かう。
免許を取って半年、もう運転にも馴れていそうなものだけれど、初めての道はやはり緊張するものらしい。しげ、やたらと道を間違える。 こちらもあまり機嫌がよくないから、つい「何やってんだよ」と文句をつけるが、一本道なのになぜか右折されちゃうんだから、文句の一つも出るのは当然だ。 「まっすぐ行くって自分で言ってたじゃないか!」 「だって間違えたんだもん!」 「言い訳になっとらんわ!」 「だったらもう帰るよ!」 「いったん出かけといてワガママ言うな!」 全然楽しい家族ドライブってムードじゃない。 それでも予定より早く車は渡船場に到着。 能古島への船はほぼ1時間に1本だが、ちょうど船が出る10分前だった。乗船料は往復で400円。えらく安いが市営だからなんだろう。一応、観光地だとは言え、それほど客が多いとも思えない。実際、休日の今もフェリーに乗り込もうという客は20人かそこらだ。結構、補助金が出てるんとちゃうかな。
船に乗るのでしげは相当喜ぶかと思っていたらそうでもなさそう。私が浮かない顔をしているせいなのか、船に酔いでもしたのか。それとも、フェリーの安全防止のせいだろうか、スクリューに“カサ”がかかっていて、しげの大好きな「水飛沫」が見られないせいなのか。何となく最後のやつの公算が高いが、そんなの私のせいじゃないのでいちいち慰めてはやらない。 島を背にした席に座ったので、ちょうど博多湾を一望に見渡せる。 昔に比べると、本当に高い建物、そして「広い」建物が増えた。福岡ドームだとかなんとかホテルとかの類だが、ホテル関係のあの横広さはいったい何なんだろうね。そのくせ幅はないから、地震が来たら横にへにょっと倒れそうに見えて危なっかしいんだけど。
島に着くと、同乗して来た人たち、ほとんどがツアーの客だったらしく、観光バスに乗りこんでどこぞに向かう。 観光案内所でマップを貰い、島の北端にアイランドパークってのがあることを知る。何しろ衝動的に来ているもので、どんな施設があるかよくわかってないのだ。 しげに「このアイランドパークってとこに行ってみる?」と聞くが、つまらなそうに「いい」と断る。 「でも他にめぼしいとこないぞ。あとは壇一雄の旧宅くらいだし」 「金印公園は?」 「そりゃ、志賀島!」 博多以外の人にはよくわからんだろうが、「漢委奴國王」の金印が発見されたのが志賀島の田んぼの中ってことになってるのね。 しげ、不承不承アイランドパーク行きを納得する。
島の北端にあると言ってもバスで10分も掛かる距離ではない。博多湾内で結構な面積を締めているように見えるが、実際に上陸してみると能古島はそんなに大きな島ではないように感じる。 自転車を借りて、ぐるぐる回ることも考えたが、坂道があったらくたびれそうなのでやめた。 バスに一緒に乗りこんだのはおばちゃんたちが数名だけ。観光バス組はいったいどこへ行ったのか、他に見るところって、コーヒー園とか壇一雄の旧宅くらいしかないみたいなんだけど。 ちょうどアイランドパークに着いたころから小雨がぱらつき出す。 幸い、雨宿りするほどではないので涼しいくらい。 太鼓橋があったので、しげが渡りたがる。マップを見るとその先には何もないようなので、行っても仕方がないような気がしたが、行かなきゃ行かないで未練がましいことをぐちぐちと言い出すに決まっているので、仕方なく付き合う。 案の定、花壇のほかには何もない。花を眺める気分ならそれでも楽しいのだろうが、雨降りだとなあ。しげも退屈したのか、もとのコースに戻る。
海岸まで行くとレストランなどもあるようなので、そちらに向かうが、途中にウサギ小屋とヤギ小屋と鶏小屋があった。 前にも書いたが、私は動物にエサをやるのが三度のメシより好きだ。本気で大好きだ。 しげは「何でそこまで」と言うが、もちろんエサに飛びついてくるときの動物の動作が可愛いからに決まっている。あんたね、あのね、ウサギがエサのニオイ嗅いでさ、ふんふんふんふんふんふんふんやってるときの可愛さったらないよ。ああいうの見てると、「ふふふ、この愚かな畜生めけだものめ玩弄物め、ありがたくこのエサを押しいただくがいいわ、ふはははは」って、抑圧されたストレスが開放されるような気になりませんか。私はなります。
ウサギ小屋のエサはパンの耳とチーズの短冊。コヤの中の棚に、駕籠がズラリと並べてあって、ハコに100円入れて自由に取って行く形式。 ちょうどアベックが来て金網の柵越しにエサをやっていて、もう何10匹ものウサギが大小取り混ぜてエサに群がっている。 「あ〜ん、小さいのが食べきらん」とか女がブリブリ言ってるので、チビなやつにエサをやろうとしてもデカイのに取られて食べさせられないでいるのだろう。ふっ、まだまだシロウトだ。 アベックからやや離れたところに陣取ると、「撒き餌」をして、ウサギを集める。当然ちびすけは乗り遅れたりはみ出たりして、群れからはぐれる。そこにエサを落とす。ちびすけは首尾よくエサが食べられるというスンポー(c.尾田栄一郎)だ。 でも、せっかくやったパンの耳、ちびすけが食べてる最中にでかいのが来て横取りして行く。……これだからいつまで経ってもチビなのかもな。けどデブウサギの隙を見つつ、ほぼちびすけたちにエサをやり終わって、今度はヤギ小屋へ。 ヤギのエサはもなかの中に小さな塊。ビーフジャーキーの類か。 扉があって「自由にお入りください」とあるけれど、油断したら、ヤギが外に出ちゃうじゃん。これも柵の外からエサをやるが、やる前から猛然と10匹くらいが扉のところに群れてくる。しげは怖がって近寄ろうとしない。ウサギのときには結構時間がかかったが、掌にエサを置いて差し出すと、あっという間に食い尽くされる。なんか、やりがいがないぞ。 次に鶏小屋に行くが、これは高台の上からエサを投げ下ろす形式。鶏がやはり一番危険だからだろうな。奥の方にイケがあって、そこに鴨もいるが、パンの耳は軽いので、うまく投げないと届かない。しげにエサを渡すと、うまい具合に投げて、水面に落ちたパンを食べている。こういうときだけ妙に器用なんだよな、しげは。 今一つ消化不良なので、もう一度ウサギ小屋に寄って、エサをやる(しつこい)。 「また?」としげはほとほと呆れた様子だが、私はこれが楽しみで生きてるようなものだから、有無は言わせない。 「いいじゃん、おまえもやれよ」 としげにもエサの駕籠を渡す。さっきと同じように代金をハコの中に入れようとしたら、もう財布の中には150円しかない。 「おまえ、50円出せる?」 「財布、車の中に忘れて来ちゃったよ」 「じゃあ、しょうがないなあ。どこかの店で買い物して、お釣りを作ってあとで入れよう」 二人でエサをやるが、しげが突然「ねえ、オレんとこチーズが入ってないよ!」と言い出す。なるほど、確かにしげの駕籠にはパンの耳は入っていたが、チーズが入って無かった。 「飼育係りの人が入れ忘れたんだな。じゃあ50円でちょうどよかった」 ……と言うわけで、能古島関係者の方がこの日記読んでたら、今日この日、50円しか入ってなかったのは詐欺ではありませんので悪しからず。 「ああ、けれどエサがやれたから、これだけで今日は満足だな」 しげは私を見て何か言いたそうに口をモゴモゴさせてるが笑ってるのか怒ってるのかはっきりしろい。
どーぶつにエサをやってばかりもいられない。 自分たちのエサも確保せねばと、レストランでバーベキュー。 「能古焼き」とか「玄海焼き」とかなんとか名前はついてるが、つまりは肉と魚介類ごった混ぜの炭火焼である。初め焼けるのに時間が掛かるが、虫が飛んでくるのを気にしなければ、ベランダで風に吹かれ海を見ながら食うムードは気分がいいし、やはりイカや貝が美味い。一応取れたての魚介類って謳ってるから、本当なんだろう。一人アタマ2500円だけれど、損をした気にはならない。 ちょうどこのベランダが映画『ちんちろまい』にも使われていたところのようだ。ちょっと歩かなきゃならないが、お客さんが来たらここまで案内するのも手かも。
食事に結構時間を食う。 バスやフェリーの時間があるので、帰りはやや足早。小雨もやや強くなってきた。本当はこまで来たなら壇一雄の旧宅も見物してみたかったが、しげの気分が悪そうなので中止。 パークの売店で父の土産にウドンと黒炭石鹸とかいうのを買う。ウドンは能古で作ったという腰のありそうな乾麺である。ウチの分まで買おうかどうしようか迷ったが、しげが「食わん」というので石鹸だけ買う。こちらの方は効用に「毛穴から脂肪を落とす」と書いてあるのにしげは惹かれたらしい。でもなんだかこれって昔「痩せる石鹸」とか言って、中国じゃ二束三文の値段だったのを何千円かで売ってたって詐欺紛いのに似てるような……でもこれは500円くらいだし、まあいいか。 井上陽水が能古島を歌った歌ってのもCDが売ってあって、結構バカっぽくてちょっとほしかったのだが、何となく「これ以上無駄遣いするな」としげの目が語ってる気がしたので諦める。タイトルは忘れた。気になる人は「井上陽水」「能古島」で検索かけるとヒットするかも。私はめんどいのでやりません(~_~;)。
バスに乗って、渡船場まで来ると、しげの気分、本気で悪くなっている。 「バスに酔ったのか?」 「わからん」 しげは自分の症状を説明するのがとことんヘタだ。 気分が悪いのが風邪のせいなのか寝不足のせいなのか食い過ぎのせいなのか、それすら区別がつかない。こちらも対処のしようがないので、ともかく帰ろう、と言うしかない。本当は今日は『スターウォーズ・エピソード2』の先行上映なので、見に行くつもりだったのだが中止。前売券は買っているのでまた来週だな。 土産がサビシイ気がしたので、能古島で獲れたというアサリを買い、父の店に寄って渡す。自分の土産には桃を買ったのだが、これはイマイチ熟れてなかった。桃の本場はやっぱり岡山なのかな。
社会思想社が負債6億8000万円を抱えて事業停止。 ……って、現代教養文庫はどうなるんだ。 一般的にはルース・ベネディクトの『菊と刀』や、アレックス・ヘイリー『ルーツ』の出版で有名だったのだろうが、私にとっては何と言っても戦前の探偵小説家たちの選集を出版してくれていたありがたいところである。昭和50年代の横溝正史ブームで、あちらこちらで探偵小説の文庫化が行われたが、数年経つと軒並み絶版になってしまった。 そんな中、現代教養文庫だけが小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭、牧逸馬らの探偵作家たちをずっとフィーチャーしてくれていた。夢野久作の『ドグラ・マグラ』はまだ角川文庫で読めるが、小栗の『黒死館殺人事件』も、久生十蘭の『魔都』も、牧逸馬の『浴槽の花嫁』も、もう今じゃなきゃ手に入らなくなるぞ。探偵小説ファンでまだそこまで手を伸ばしてないってやつは、今すぐ本屋に急げ(でもできるだけ大きなとこじゃないと置いてないからね)。 あっ、江戸川乱歩の『探偵小説の謎』も教養文庫だ。乱歩が評論家としての力量も第1級であったことを証明する一冊。これを読んでなきゃそれこそモグリってなもんだ。新版が出て数年しか経ってないから、探せば絶対売れ残りがあるぞ。紀伊國屋でも三省堂でもジュンク堂でもBOOKOFFでもいいから走り回るのだ。そして君も探偵小説のロマンに浸りたまえ。
マンガ、みなもと太郎『ワイド版 風雲児たち』1・2巻(リイド社/SPコミックス・各680円)。 全巻持ってるのに持ってるのに、またどうして買わなきゃならんかねならんかね。来月から新シリーズ『幕末編』が発行されるのに合わせて、旧版を再刊してるわけなんだが、一応、ギャグ注を現代に合わせて改訂、更にタイトル字を平田弘史に依頼するなど、買い直しの読者のためのサービスも付けちゃいる。けど旧版を半年に一回、ホントに1巻1巻待ち望んでは買っていたこの身にしてみれば、やっぱりちょっとだけ、もったいなく感じちゃうのである。
思えば最初にこのマンガに出会ったのは、もう20年以上も前、どこぞの定食屋でふと手にした『少年ワールド』(合掌。掲載誌は後に『コミックトム』に移る)で、この第1巻の第5章、関ヶ原の合戦における薩摩藩の「敵軍正面への退却」を描いたシーンを目にしたときであった。 驚いた。 歴史の専門家なら多分周知のことなのだろう、しかし私には全くの初耳であった。関ヶ原の合戦についてなら、映画やドラマで見、本も多少は読んでいたが、このような無謀な激戦を薩摩藩がやっていたとは。 ……と言ってもそんなバカな抗戦をせねばならなかったのには薩摩自身に原因がある。関ヶ原に参戦したはいいが、ほとんど戦う間もなく西軍が破れ、気がついたら東軍全てに包囲されていたというのである。激戦の末、千六百の兵は六十名足らずに。確かにその結果は悲惨だけれど、冷静に考えれば自業自得だし、アホ以外のなにものでもないが、アホほど負けた恨みは深い。 この薩摩のアホウはこの時の恨みを、260年以上にも渡り、東軍の総大将たる徳川家に対して持ち続けことになるのだる。 おなじく「何のために関ヶ原に参戦したか分らない」ままに敗走した藩があと二つ。長州と土佐。みなもと氏は、何と、明治維新はこの三藩の関ヶ原の逆恨みから発したと書くのだ。 驚いたのだ。 それまで私の知っていたたいていの幕末ドラマは、明治維新の原因は、徳川幕藩体制の疲弊と、諸外国の外圧によって、新体制を作る必要に迫られていたためと説かれていた。それが王政復古と藩閥政治という革命とは程遠い形式になってしまったのがなぜなのか、歴史書や教師の説明は今一つ明確でなく、妙な歴史の歪みを感じていたのだが、みなもと氏の説明ならば実に納得が行く。 明治の日本は、心の底から開国、文明開化を望んでなどはいなかったのだ。 戦国の世は決して終わってはいなかった。薩長土佐の人々のメンタリティは、四百年前からストップしたままだった。彼らの復讐心が倒幕の最も中心のエネルギーであったのだ。
……まあ、ホントにそれだけってわけでもなかったと思うけれど、語り口は実に面白い。『ホモホモ7』でしかみなもと太郎を知らなかった私には(マンガ家として『レ・ミゼラブル』その他の世界名作ギャグを描き続けていたことすら知らなかった)、このような一本筋の通った歴史観で、しかもギャグマンガを成立させられるだけの力量をこのマンガ家さんが持っていたことにまったく不明であった。全くマンガの世界は広いよねえ。 その後も『風雲児たち』の爆走は続く。幕末を描く、と言いつつ、時間の省略はしつつも、その幕末に至るまでの伏線となる出来事を丹念過ぎるくらいに描き、黒船来航に至るまでほぼ30巻を費やす。もと出版社の潮出版が「長過ぎる!」と激怒したのも分ろうというものだ。しかし、途中省略された部分も含めてもっと巻数をかけてくれてもいい、と考えていたのは私だけではないはずだ。 なぜなら、それだけ魅力的な人物を、キメの大ゴマを多用して、見事にうねりを持ったドラマとして描ききっていたからだ。 前野良沢(蘭化)、杉田玄白、平賀源内、司馬江漢、林子平、高山彦九郎、ベニョブスキー、田沼意次、田沼意知、大黒屋光太夫、最上徳内、伊能忠敬、高野長英、渡辺崋山、江川太郎左衛門、近藤重蔵、間宮林蔵、遠山金四郎、大塩平八郎、シーボルト、オランダお稲らの事績をただの解説に留まらない分量で描いていく。恥を晒すようだが、私ゃこのマンガで初めてベニョブスキーというトンデモナくオモロいおっさんを知ったぞ。その日本紀行のデタラメぶりったら(チラッとしか日本にゃ寄ってないのに大ドラマをでっち上げるのだ)、ジェームズ・クラベルの『将軍』なんか目じゃないがね。 そしてついに坂本竜馬たちが活躍する『雲竜奔馬』編に突入したと思ったら、数年で、掲載誌の『トムプラス』が休刊。 続きが出るのを待ったよ待ったよ待ったんだよ、ホントに。 ああ、でも読みかえしてもやっぱり面白い。天皇家を「身分証明書発行所」と言いきってるところも、周知の事実でありながら歴史家があいまいにしたまま言及しようとしなかったことをズバッと処断してくれているようで、実に小気味がいい。 今まで未読の方は幸いである。これから毎月、確実に面白いと言えるマンガが読めるのだ。もう5、6巻まで出てるみたいだけど、さすが『ゴルゴ13』以外何を出版してるんだのリイド社(^_^;)、全然本屋で見かけないぞ。注文してでも買いなさい。
2001年06月29日(金) フェイト教授、さようなら/『スカルマン』7巻(石ノ森章太郎+島本和彦)ほか
| 2002年06月28日(金) |
犬も歩けば/『仮面ライダーSPIRITS 受け継がれる魂』(村枝賢一監修)/DVD『続・黄金の七人 レインボー作戦』吹替版ほか |
朝がた見た夢。 細かいところは忘れたが、しげがなんと妊娠している。 いや、私の妻なわけだから、妊娠したって別にヘンじゃないんだが、さすがに結婚して十年経っても何の音沙汰もないと、確かに私かしげのどちらかのタネが腐ってんじゃないかって気にはなる。 ただなあ、これはなあ、夢だからなあ、ホントじゃないから書いたって構わないんだが、書いたら書いたで私の人格が疑われそうだから(今更)悩むんだが、しげが夢の中では10歳若返っているのである。ちなみに今しげは28歳だ。 でも私はロリコンじゃないぞ。ヨメさんは若い方がいいとも思ってない。趣味的にはやっぱり練れたオトナーな女性がいいなと思ってるんである。 これはあれだな、昨日か一昨日、何気なくしげの学生時代の写真(15歳だぜ。オイ)を見て、まだ痩せてて目つきも今ほど険しくなくていかにも少女少女してるのを見て、ああ、コイツにもこんな可憐なころが、とかなんとか考えてたせいだろう。 何しろ、若いだけじゃなく、妊娠してるくせに「痩せて」いたのだ。夢の中のしげは。
昨日から急に暑さが増してきて、ややバテ気味。 少し体調を整える意味もあって、今日は半日休みをとってしげとゆっくりしようと思っていたのだが、しげの方も今日は疲れていてダウン。 仕方なく、一人で天神などを回って買い物などする。 道すがら、職場の近所の総菜屋、「ボナペティ」がつぶれているのを発見。ああ、やっぱりなあ、客、ホントに入ってなかったものなあ、これで仕事帰りにおかずを買って帰れる店が減っちゃったなあ、と残念に思うが、そんな風に感じるのはウチが家事をしない家庭だからだ。多分、このあたりの家々は、普通に家事する家庭が多いのだろう。総菜屋が繁盛しないのも当然なのである。
博多駅で、本屋を回ってたときに、知り合いの女性に声をかけられる。 かつて職場で同僚だった方で、今は別の仕事に就かれているのだが、昔の職場の悪口(つまり今の私の職場なのだが)を延々と聞かされる。 まあ、その人の事情も分らなくはないのだが、ウチの職場でのその人の仕事ぶりもお世辞にも芳しいとは言えない感じだったので、往来の場でもあり、こちらも「はあ」とか「ええ」とかそんな相槌しか打てない。 つーか、実はその人、大きな声じゃ言えないが、職場を去る時、ウチの職場の備品をいくつか盗んでいっているのである(^_^;)。いや、ご本人としては備品を「整理」するために「預かって」いると主張なさるのだが、自宅に持ち帰ってりゃ、それは普通は「窃盗」と呼ぶのだ。 「預かりモノ」なら、返してもらうのが必然なので、こちらもやんわりと「お困りなら、私が取りにあがりましょうか?」と水を向けてみる。その人の「窃盗」は職場にもバレていて、いささか問題にもなっていたので(ならなんとかしろよ上司)、偶然会ったのを機会に、個人的になんとかできないかと思ったのだ。案の定、アチラも渡りに船だったのだろう、「お願いできますか?」と嬉しそうな顔をする。 だったら、最初から持ってかなきゃいいのに、とも思うが、今更それは言ったってしかたがない。改めて連絡を取る約束。具体的に書けないことも多いんで省略してるが、なんだかこういう裏でコソッと動く仕事が多くなってるな、最近の私。
自販機でお茶を買っていると、またもや偶然、知り合いの若い女性(さっきとは別人)に会う。 一人で行動した途端に、こうも声をかけられるということは、しげと一緒に行動してる時にも、誰か知り合いとすれ違ってる可能性は高いな。おそらく、普段は声をかけるのを遠慮してるのだろう。私自身は視力が極端に悪いので、知り合いとすれ違ってもまず気がつかない。それでこれまでの人生、貴重な出会いを随分逃してきたのかも知れないが、それは関知しようもないことだ。 今日、出会った女性も、「実はよく見かけてるんですよ」と仰る。 やはりしげと一緒の時で声をかけにくかったそうだ。以前会ってた時よりも随分キレイになっていたので、「恋人でもできたの?」とセクハラ発言をすると、「全然」と照れる。私も立派なオヤジになったものだ。 近況を聞いてすぐに別れたんで、艶っぽいことは全くない。読者諸賢にとっては期待外れだろうが、しげにとってはこれも立派な浮気になるんだろう。でも向こうから声をかけてきたんだから、こりゃ不可効力ってものである。こういうことがイヤだから、しげはしょっちゅう私と一緒にいたがるんだろうなあ。 この程度の彩りが人生にちょびっとだけあるのはいいんじゃないかと思うんだけどダメですか、しげさん。
晩飯は一人で「COCO一番屋」。カレー専門店にしては、ルーにコクがないのがネックだが、その分、具沢山なので栄養的には重宝している。ただ、なんといっても一品の単価が高い。カレーのチェーン店がほかに見当たらないから一応繁盛しちゃいるようだが、同種の店が現れたら競合は難しいのではないか。 福岡にはラーメン店は腐るほどあるけれど、カレー店は意外と少ない。不況脱出に美味くて安いカレー店ってのはいいアイデアだと思うんだけど、誰かやってくれないかなあ。
ゆうきまさみさんのHP(未だに暫定でコンテンツが増えてないぞ)「逃げちゃダメかな」で、少年サンデー連載の『KUNIE』が最終回を迎えたこと(ウチキリにあったこと)について、愚痴を述べている。 心半ばにして倒れる無念は分らないでもないが、元々クライマックスを作ることがヘタなゆうきさんにしてみれば、『究極超人あ〜る』のようなまったりとしたマンガならばともかくも、ああいう本格的なSFものは本人の希望や意図はともかく、客観的には「体質に合わないことやってるなあ」という印象が強かったんで、まあ仕方がなかろう。一年間、5巻分続いただけでもサンデーの温情は感じていいと思う。ジャンプだったら10週で打ち切りだ(ジャンブの連載自体に向いていないけどな)。 クニエがもちっとヒロインとして破天荒な行動してくれてたらとか、遠い島とかじゃなくて日本近辺で大々的なカタストロフが起こってりゃとか、読者にしてみても隔靴掻痒的な展開が多かった。ファンでもあるし、マンガ家生活がこれだけ長い人に対して、こんなこというのは気が引けるのだが、キャラデザインはともかく、ゆうきさんは未だにマンガのレイアウトやコマワリ、背景の指定(多分アシストに描かせてるのだろうが)に同人誌臭さが残っていて洗練されていない。率直に言って、「動き」がないのである。だからアクションを描かせるとどうにもその欠点が露呈してしまう。『パトレイバー』がヒットしたのは、あくまでメディアミックスのおかげであったことをもう一度自覚してもいいのではないか。 捲土重来は『バーディ』や新連載になるみたいだけれど、もう一度「まったり」路線を考えてみてもいいんじゃないかなあ。同じアクションものでも『ヤマトタケルの冒険』みたいに全く冒険しないような感じで。
石森章太郎プロ・村枝賢一監修『仮面ライダーSPIRITS 公式ファンブック 受け継がれる魂』(講談社/マガジンZKC・950円)。 第一部が完結したところで今までのおさらいって感じで出されてるけれど、あまり見所のない編集。後半のかつてのテレビスタッフインタビューもありがちな監督や俳優に偏ったものでなく、技斗や美術スタッフにスポットをアテているのは工夫と言えば工夫だが、華がないし、マニアには周知のことしか語られてないし、第一、マンガ『仮面ライダーSPILITS』と直接の関係がない。かつてのテレビシリーズと今回のマンガ版との関係をより密接に解説する方針で編集した方がよかったのではないか。 初心者にもマニアにも中途半端な解説書にしかなってないのは残念である。
DVD『サイボーグ009』3・4巻。 先月買い損なっていたので2巻まとめて。 0013編から放浪編あたれまでだけれども、比較的テレビの方でも作画がよかったあたりだが、それでも間に合わなかったところがあったと見えて、0013の加速装置が働くあたりにハイライトが加えられたりしている。 『深海の悪魔』のラストで、テレビ版では死んだはずのベルクとドジ新兵がちゃっかり生き残ってたのは、考えてみりゃ当然の展開。コメディーリリーフを殺したままにはできないものねえ。 そういう改変があるのに、作画の粗かった『幻影の聖夜』がほぼテレビ版のままってのはちょっと納得がいかない。テレビシリーズがクソでも、DVDのときにリテイクすることを期待して見てる面もあるんだから、ちったあそういうファンのことも考えてほしいもんだ。
更にまたまた買ってしまったDVDボックス、ここまで来るといくらビンボーしてても誰の同情も買わないことはわかってるので(って買われたこともないが)、言い訳はしません。私はただのゴクツブシです。□\(- -;) ハンセイ。 で、今度は何を買ったかっていうと、『黄金の七人』BOX。 これも若い人には何それ? って感じになってるんだろうなあ。BSでもしょっちゅう流れちゃいたんだが、その分、地上波じゃとんとご無沙汰。こういうエンタテインメントの名作はせめて二、三年の間を置いてテレビで流しててほしいものだけれど、テレビ屋連中は映画を文化遺産だなんて思ってなかろうから(きゃつらは自分たちが作ってるものすらそんな風に考えてるよな)、情報だけが多くて現物に当たれぬイビツな状況は当分改善されないんじゃないかな。 せめて『映画百年史』みたいな番組を常時ゴールデンタイムで流すくらいの気概のあるテレビ局がありゃいいと思うんだが、そんな企画じゃ視聴率は取れないとかアホなこと考えてんじゃないか。看板だけ立ててナカミがなきゃそりゃ、視聴率なんて取れやしないだろう。ただの映画解説番組ならそうなることは目に見えてる。過去の名作と現代をリンクする視点を持たないと、面白いものにはなるはずもないが、そういう才覚を持った人間がテレビ局の上層部にはいないんだろうね。こういう状況だとテレビの黄金時代が60年代までって小林信彦の説も首肯せざるを得なくなるのである。
さて、今回のDVDボックス、『黄金の七人』ボックス、と銘打っていながら、4巻セットのうち、黄金の七人シリーズは実は一本しか入っていない。 どういうことかと言うと、そもそも第一作、『黄金の七人』自体が入っていないのである。 どうやら版権買い取った会社が分かれたせいらしく、第一作がIVCから単発販売、第二作『続・黄金の七人 レインボー作戦』がキングレコードからボックス仕様で、という変則的な販売になっちゃったのである。最初はそのことに気付かなかったものだから、ボックスしか予約してなかったんだけど、慌てて第一作の売れ残りも購入。オトナの事情があるとはいえ、こういうのはなんとかしてほしいものである。 じゃあ、ボックスの中身のあと三本はどうなってるかというと、本来シリーズものではないが同じマルコ・ヴィカリオ監督の作品で、“日本でだけ”シリーズものとして公開された『新・黄金の七人 7×7』と『黄金の7人 1+6 エロチカ大作戦』及び特典ディスクをカップリングしているのである。 特典ディスクの中身、マルコ・ヴィカリオ監督のインタビューはなんと日本の観客のための撮り卸しである。ってことは『黄金の七人』の人気があるのは本国よりも日本ってこと? もしかして『ルパン三世』人気の逆影響なのかな。 『新・黄金の七人』が『黄金の七人』シリーズとして公開されていることを知って、監督が「ひどい話だ、聞くんじゃなかった」と憤慨してるのには笑った。やっばりこういう他国での改変って、監督には一切知らされないままなんだね。日本製のアニメが海外でズタボロにされてるのも似たような事情なんだろう。 どうせなら主演のフィリップ・ルロワやガストーネ・モスキン(昔はガストンと表記してたように思うがフランス人からイタリア人に変わったのかよ)、オリジナル峰不二子(この言い方も生粋のファンには噴飯ものだろうが)ロッサナ・ポデスタにもインタビューして欲しかったなあと思うが、役者さんはあまり旧作についていつまでも語られるのは好きじゃないだろうねえ。 特典ディスクのメダマは、土曜映画劇場吹替版『続・黄金の七人』。切り替え仕様にすればいいのに、どうしてわざわざ特典の方に収めたかっていうと、本編カットが30分近くあって、オープニングやエンディング、音楽の差し換えもムチャクチャあるから(^_^;)。 ジョルジャ役ロッサナ・ポデスタに故・平井“スターシャ”道子、「教授」役フィリップ・ルロワに広川“しちゃったりなんちゃったりして”太一郎、「将軍」役エンリコ・マリア・サレルノに小林“次元”清志。これはこれで貴重なんだけど、やっぱりというか当然というか、広川太一郎のアドリブはセリフのないところにまで波及していて、冷静沈着な教授のイメージを損なうこと夥しい。広川さんのアドリブはやっぱりバカ映画の補填にこそふさわしいんで、こういうキッチリ作られたコメディには向かないんである。
けれど、女性ボーカルによる、「だーばだ、だーだば、だーばっ♪」ってスキャット聞くと、やっぱり燃えるねえ。たいていの人は『11p.m.』と勘違いするが(のも実はトシヨリ)、モトはこっちだ。 第一作のソフィスティケートされた泥棒モノから、雑然としたスパイアクションモノ風になっちゃったのは残念だけれど(監督インタビューで「007の影響は?」と聞かれて「忘れた」とトボケるあたりがご愛嬌)、それでも第一作の各キャラクターに再び出会えたことは嬉しい。特にロッサナ・ポデスタの美貌と小悪魔的な裏切り女の魅力はここに最高潮を迎える。ハイ、私も昔はあの真っ黒なボディスーツに悩殺されましたですよ。 けれど、ジョルジャが持ってた隠しカメラ(ライカか?)、いくら当時カメラが高級品で種類が選べなかったからと言って、ほかにもっと小さいのはなかったものか。あんなにデカくて音もハデなんじゃあ、撮ってるとこはバレバレだわな。まあ、ワザと捕まるためだからそれでいいんだろうけど。 とりあえず特典だけ見たけど、本編はそのうちゆっくり見返そう。ってそんなひまあるのか。
2001年06月28日(木) 事故&カラオケ地獄変/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』�機��供憤舵�良和)
| 2002年06月27日(木) |
緩やかな統制に異議を/『七人のナナ』&『アベノ橋魔法☆商店街』最終回/『王妃の離婚』(佐藤賢一) |
仕事帰りの晩御飯、どうするかと、車の中でしげに聞いたら、「今日は寿司の気分」だとか。 「でも、カネないし。諦める」 「諦めることないよ、俺が奢ってもいいし」 「なん、あんた、カネあると?」 「あるわけじゃないけど、寿司一回奢るくらいはあるよ」 「……明日は?」 「毎日はムリだよ! ってゆーか、毎日寿司食うかい、普通」 「……じゃあ、要らない」 「なんで? 寿司食いたいんじゃなかったんかい」 「食いたいけど食わん。だって、今日食って明日食えんのって悔しいやん」 悔しいってよう、そりゃ単にぜーたく言ってるだけじゃないか。貧乏人のクセにつましい生活はしたがらないやつなんだよなあ。 そのくせ、次の瞬間、「ねえ、どこか遠くに行きたいね」とか言い出すのだ、このスットコドッコイは。 「じゃあ、休みに三井グリーンランドにでも行くか? 前から行きたがってたろ?」 「いいけど、オレたちみたいなのが行っていいと思う?」 この「オレたちみたいなの」とはどういう意味だ。 実際の自分は傲慢なくせして、言葉だけは卑屈なふりをするこういったしげの態度に接すると、正直な話、イラダチを抑えきれないのである。しかも「オレたち」だなんて私もしげといっしょくたにされてるし。わしゃ三井グリーンランドに行っちゃいかんのか。行ったら追い出されるのか。っつーか、三井グリーンランドのどこにどう遠慮しなきゃならないのか。皇居やバッキンガム宮殿だって庶民に開放されてるんだ。どうして遊園地に遠慮しなきゃならん。 もう口を利きたくなくなって、「だったら行くな!」と言って、車の背もたれを倒して寝る。 素直に喜びゃいいのに、どうしてこうヒトコト多いのかな、しげは。
26日の唐沢俊一さんの裏モノ日記で、ワールドカップのあの加熱騒ぎを冷ややかに批評されているのを読んで、なんだかホッとする。 まずは香山リカ氏のエッセイに触れて、「若者の抑圧をその底に見、それを意図的に煽動する者が出てきたとしたら」という香山氏の言葉を引用されているのだが、これが杞憂でも何でもないことは既にオウム真理教の事件などでも証明されている。実際、乗せれば動くバカはいくらでもいるってことをマスコミが宣伝してくれたようなものだ。戦争を歓迎する人間は多くはないが、戦争になってしまったら、唯々諾々と従うのがほとんどの日本人の国民性だ。だから、国捨てて逃げても非国民じゃないって言ってるのに。そんな考え方してたら、世界の難民はみんな非国民ってことにならんか? 唐沢さんが「日頃、ドメスティック・エゴに対して冷笑的、あるいは否定的な見方をしている人が、サッカーというフィルターがかかっただけでコロリと愛国者になってしまう。こういうのは腰が座っていないのである」と書かれているが、腰が座ってないだけならまだいい。サッカー見ざれば人にあらず、みたいな態度を取られるのが迷惑なのだ。 これは「『クレヨンしんちゃん』はいいよ、見ようよ!」という趣味に関する勧誘とは全く質が違うものだ。私は普通の人が『クレヨンしんちゃん』を見ないからと言って怒りはしないが(日記中で私が腹を立てていたのは、あくまで「劇団員」や自称「オタク」のくせに『しんちゃん』を差別している点であることに注意していただきたい)、彼らは彼らに同調しないこと=敵と見なすのである。 そりゃいくら何でも考え過ぎじゃないか、と言われる方もあろう。しかし、単にサッカーが好きなだけなら、ワールドカップ以外のサッカーの試合にだって、興味を示すはずではないのか。なのに、今のサッカーバカの大半は、「日本を応援する」ことにしか興味・関心がない。深層にある共同体意識や愛国心を、「趣味」や「嗜好」のオブラートに包んで提示していることは否定のしようがないのである。 私は何もナショナリズムを全面的に否定しようとは思わない。 ただ、国に対する思いを、仮想敵国を作る、敵を倒すという形でしか表せないのは、結局は精神の脆弱さを露呈しているだけであり、いずれは何者かに洗脳煽動される危険を孕んでいることを指摘したいだけなのである。 私ゃ自分が強い人間だなんて思わないけどさあ、あんなお仕着せの中身がスカスカなイベント(念のため言っとくけど、これはサッカーというスポーツ自体がつまらないと言いたいわけじゃないからね。趣味レベルのものがムリヤリ国家的イベントに仕立て上げられてるってことを言ってんの)に乗せられるほど欲求不満に陥っちゃいないんだけど。
これだけの熱狂が起きた、ということは、とりもなおさず他人に乗せられるばかりで、自分のアタマで考えようって人間が減ってきてるってことだ。「自分のアタマで考えてない」ってことにカチンと来るなら、ワールドカップ以前と以後とで、サッカーのルールにどれだけ詳しくなったか、説明してみろ(何度も言う通り、これは純正のサッカーファンに対する批判ではありません。俄かファン、エセファンに対するものです)。 熱狂するなら他にもいくらでもあるだろうに、なんでもっと世間にオタクが増えないのか(そこに話を持ってくるかよ)。
唐沢さんは更に、「現代アニメ論」を展開されているが、これについても大いに賛同したいのだが、書きだすと長々論文になってしまうので省略。 ただ、何度もこの日記でも書いてるけど、若い人が昔のアニメや特撮を知らないのは仕方がないことだけど、「知らなくたって恥じゃない」と開き直るのはバカなだけだからやめた方がいいぞ。そりゃ、トシヨリが若い人を慰めるためのコトバでぁって、バカな自分を正当化するために使うコトバじゃないよ。 別に威張るわけじゃないけど、オレたちゃトルストイもドストエフスキーも漱石も読んだ上で、『クレヨンしんちゃん』は面白いって主張してんだよ。でなきゃ、言葉に説得力ってものが出て来ない。自分たちのコトバにどれだけ人を納得させられるだけの論理があるかどうか、ちったあ考えろよな。 ……唐沢さんの「情報は現在のそれが過剰になればなるほど、歴史的つながりが絶えてしまうものなのである」ってコトバ、諦観してるみたいで悲しいなあ。
アニメ『七人のナナ』第25話(最終話)「合格発表!! 心の丘に花の咲く?」 あ〜、しばらく見てなかったら、「影ナナ」なんてのが出て来てるよ。 ダークサイドっつーか、ウィリアム・ウィルソンっつーか、この手のパターンはいやになるほど見てきてるんで、飽き飽きしてるんだけど、結末が更に「あなたもやっぱり私だから」って言って合体しちゃうってのもあまりにも定番で安易過ぎないか? 同じ安易でもね、本来、一年経っても七人のナナが元に戻れなかったら死んじゃうって話だったのが、実はそれ、お爺ちゃんの勘違いでしたって肩透かしは別に腹は立たないのよ。それは話を引っ張るためのマクガフィンみたいなものだから。 けど、そうやって七人のナナがいるなら、影ナナだって復活してなきゃヘンじゃん。結局、オチ付けるために八人目のナナを出したのはいいけれど、物語としてうまく着地できなかったってことじゃないのかね。 せっかくハチャハチャな展開で久しぶりに楽しめるギャグアニメになるかと思ったら、また今川泰弘の説教臭さが出てつまんなくなっちゃった。だから「自分の気持ちに正直になることが大切」なんて薄っぺらなスローガンでアニメ作らないで欲しいんだけどなあ。
アニメ『アベノ橋魔法☆商店街』13話(最終回)「甦れ!まぼろしの陰陽師☆」。 あー、サッシの正体って安倍泰親だったのね。 って実はこれ、ネタバレなんだけど、どーせ若い人は安倍泰親なんて誰なんだか知らないだろうから、名前出しても大丈夫だろう。第一、本編中でも泰親についての解説、全くないし。 これまでの色々なアベノ橋商店街が全てサッシの心の中の仮想現実だったってのは、ブラウンだしディックだし押井なんだけれども、それはもうバレバレなのを承知の上でいろんなスラップスティックな世界を見せてくれたんだから、これはこれでいい結末なのかもな。 結局最後はまた別の世界に逃げこんだだけじゃないのかって疑問は残るけど。 ……で、最終回なのに予告編つけるなよ(~_~;)。
佐藤賢一『王妃の離婚』(集英社文庫・720円)。 第121回直木賞受賞作なんだけど、確か、受賞はしたものの、評者の誰かが、「これが佐藤賢一の代表作とは言えない」とかなんとか言ってたように思う。それでも受賞できたのは、井上ひさしの強いプッシュがあったおかげらしいんだけれど、あの人、小説を読むのも書くのもヘタだしなあ。 あまり期待しすぎないように、と思って読んだんだけど、なんというか、惜しいね、この作品。 フランス国王ルイ12世は、一介の諸侯に過ぎなかったころ、11世から娘を押しつけられて妻としていた。国王に即位した今、彼は王妃ジャンヌを疎んじて離婚の申し立てをする。原則として離婚が認められないカソリックにおいて、唯一の法の抜け穴は、結婚自体の無効を言い立てることだった。 しかし、「結婚の事実がない」と主張された王妃ジャンヌは、聴衆の前で厳然と異議を唱え、夫に徹底抗戦の構えを示す。だが新国王に阿る裁判官たちは、ひたすら王妃に不利な証拠ばかりをでっち上げた。 かつて11世に追放された恨みを晴らすかのように、その娘が裁かれる様を傍聴に来ていた弁護士フランソワは、裁判のあまりの不正ぶりに憤り、また、王妃の毅然とした態度に惹かれ、弁護を引き受けることになる。 ……ネタはすごく面白いんだよねえ。多分ある程度史実には基づいてるんだろうけれど、キャラクターが魅力的だし、敵も味方も権謀術数の限りをつくすあたりはまさしく波瀾万丈、フィクションの面白さに満ちている。、 けど、文章がもう、どうにもいただけない。 一見、この人、文章がうまいように錯覚するんだけれど、それは朗読を意識したと思しい、韻文的な文章によるものである。だからリズムに乗ってスラスラ読めはするんだよね。でもその書かれている内容がひたすらクドくて(-_-;)。 例えば、検察側が王妃に要求した「処女検査」、この説明が延々と続くの。しかも同じ内容の文章が何度も出てくるし。作者、何をそこまでバージンに拘るかって突っ込みたくなるくらいで。 ハッキリ言って、うまい作家なら、この半分の量でもっとキビキビした小説が書けるよ。抑制が効いていない文章はひたすら「ダラしない」だけだ。裁判の結果はだいたい予測がつくので、そこをどう退屈しないように面白く見せるかってのを工夫するのも作家の手腕の見せ所なのだけれど、あっさり終わらせちゃったからねえ。アレじゃ、ヤルことヤッたら、もうそれで裁判はどうでもいいって感じじゃん。これこそ肩透かし。 飛ばし読みすれば、まあまあ面白がれるんじゃないかとは思うけれど、じっくり読むのはオススメしません、ハイ。
2001年06月27日(水) 「マチャアキ」離婚ってあまり言われてない。時代か(+_+)/DVD『八岐之大蛇の逆襲』
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|