無責任賛歌
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| 2002年06月21日(金) |
やっぱりカネがあると肉/映画『ウォーターボーイズ』/映画『アイ・アム・サム』 |
待ちに待った給料日。 これでようやく極貧生活から脱出である。もっとも、二、三日あとにはまた、その日のメシにも事欠く生活に戻っちゃってるだろうけれど。……って、数日でン十万も使い果たすつもりか。 実の親が、この不況のせいで日銭稼ぐのにも汲々としているというのに、何をバカ学生のような生活をしてるというのか。 あー、なんかアレですね、私が日記に書きちらしてることをですね、いかにも重い経験に基づいた立派なモノイイのように捉えてる人がたまにいるみたいなんですけど、私ゃ昔っから全然変化のない、生活無能力者の性格破綻者なんですから。人生舐めてかかってるおおバカものなので、あんまり本気に取っちゃいかんですよ。
今日は7時からの映画に間に合うように、1時間だけ仕事を早引け。 有休もこんなふうにチビチビ使っていきゃ、そんなに減ることはないんだけれど、たまに二、三日、連続してぶっ倒れるからなあ。本当は今日も半日ぐらい休みを取って、余裕を持って出かけたかったんだけれど、あとあとのことを考えると、そうもいかない。多分と言うか、毎年確実に夏場には倒れているので、そのためにも今はあまり休まずに頑張っとかなきゃいけないのである。 給料が出たら「すしでも食いにいこっかー」とスーパーミルクちゃんみたいなことをしげは言っていたのだが、改めて「すしにするか?」と聞くと「肉!」とヒトコトで即答する。 ……レパートリーというかバリエーションというものがないのか、この女には。ということで、「肉のさかい」で早めの夕食。 けれど、確かに肉系の店に行くのはしばらくぶりである。 この店はいつも割引の金券を500円分呉れるのだが、前に貰った分は4月で期限切れになっていた。つーことは2ヶ月近くこの店に肉食いには着てなかったってことか。 しげはどうせ赤身肉しか食わないだろうと思っていたが、珍しくそれ以外にも冷麺を注文。不味いモノは食いたくない主義のくせに、たまにちょっと珍しいものがメニューあると、後先考えずに食べたくなる悪いクセもしげにはある。こういう店の冷麺って、絶対辛いと思うんだけどなあ。しげに食いきれるのかと思ったら、やっぱり、「麺は美味しいけど辛い」と食い残しというより、ほとんど手付かずの冷麺を押し付けられた。 昼飯を抜いてて正解だったなあ。私はダッカルビ定食を注文していたのだが、腹が空いていなければちょっと食べきれないところだった。
外に出て車に近づくと、しげが急に目を輝かせて、「見て見て!」と私の袖を引っ張る。何ごとかと思えば、車のボンネットにうっすらとネコの足跡が付いているのである。 「かわいいねかわいいねかわいいね」としげはしゃいでるがつまりはヨゴレじゃん。ヨゴレでもネコならいいのか。
ワーナーマイカルシネマズ大野城に6時半に到着。 時間的にはちょうどいい感じ。有休取らずに来れたんだったらもっとよかったんだけどね。8時間労働ったって、昼休みも職場に拘束されてるんだから、こいつも時間の中にカウントするのが本当じゃないのか。だから「9時から5時まで」ってアメリカじゃ言ってるんだし。8時から4時までにしてくれりゃ、映画ももう少し行きやすくなるんだよ。景気快復を本気で考えるなら、そういう措置も取ったらどうなんだ、小林信彦も昔そんなこと言ってたぞ、と内心愚痴りながらリバイバルの映画『ウォーターボーイズ』を見る。 ……去年、見逃してたのが惜しかったなあ。西田尚美をスターダムに押し上げた(^^)『ひみつの花園』の矢口史靖(「やぐち・しのぶ」と読むのだ)監督だと気付いてたら、絶対見に行ってたのだが。 コメディはとにもかくにも基本アイデアで勝負が決まるところがあるので、「男子のシンクロナイズドスイミング」というのは、それだけで半分は成功したようなもの。期待は弥増してしまうが、期待外れに終わらないどころか、実に爽やかな青春映画にもなっていたことに驚く。かと言って、「これが青春だ!」みたいな気恥ずかしい作りにもなってはいないのでご心配なく。ヒトコトで言えば、これ「バカっていいじゃん」映画なのだ。 若い役者さんたちには基本的にコメディ演技はできない。だから一所懸命になればなるほどバカに見える「若さゆえの過ち(^^)」を、そのまんま映画にしたのだ。
今や部員は三年生がたった一人、潰れかかった唯野高校水泳部に新しい顧問がやってきた。それがまた真鍋かおり似の(って本人だけど)美人教師。釣られて、入部希望者が殺到したはいいものの、先生の専門はなんとシンクロナイズドスイミング。あっという間に部員は五人に減ってしまうが、今更やめるにやめられない事情のある五人は、一大決意をして文化祭でシンクロを披露することを決意する。ところが直後に先生は妊娠して産休に入ってしまった。 コーチもいないどころか、カナズチばかりの水泳部の明日はどっちだ?!
真鍋かおりの代わりのコーチがイルカ調教師の竹中直人というのも相当、人を食っているが、小出しのギャグが重層的に積み重ねあげられてストーリーが構成されているのがいい。柄本明がゲイバーのママ役ってのはハマリ過ぎててかえって笑えないが。 恋愛ネタが絡むのはまあこの手の青春ものの定番だから仕方がないが、それほど物語の流れを阻害しない程度なのでこれもよし。っつーかそれもちゃんとギャグになってるし。ヒロインの平山綾もかわいいことはかわいいが、個人的にはメガネっ子三人娘のまん中の秋定“「あぐり」の少女時代”里穂がイチオシだ。自分たちを少しでもかわいく見せようと、メガネを取って、目を顰めながらウォーターボーイズたちを誘うシーンはメガネっ子萌えの心臓を打ちぬくことは必至。思わず私も映画に向かって心の中で応援しちゃったもんね、「違うぞ里穂ちゃん! メガネ取らなくったって君は可愛い! かわいいんだああああ!」。 アホですか? アホですね。 でも、やっぱりバカっていいよ。「なんでシンクロ?」って疑問、アタマのいいやつはどうしても考えちゃうだろうけれど、これを去年見ていたら、絶対邦画のベスト3くらいには押してたろう。去年はホントに日本映画豊作の年だったんだなあ。 ちなみに、水泳部員の一人に、『ウルトラマンコスモス』の主演、杉浦太陽がチョイ役で出ていたぞ。でもどこに出てたか全然わかんないから、この映画までオクラ入りになることはあるまいて(^o^)。
続けて映画『アイ・アム・サム』をハシゴ。 予告編を見たときには、知恵遅れのパパと賢い女の子との愛情生活を描いた感動モノかと思ってたら、ちょっと違ってた。確かにそういう要素はあるけれど、基本的にはこれ、全編が裁判ものだったのだ。 つまり「知恵遅れのパパに子供の養育を任せていいのか?」ってことが児童相談所の訴えで裁判になったところからドラマは始まるのね。 物語自体はそれを結局は「愛情」の問題にスライドさせていくので、予定調和でいささかつまらないのだけれど、それよりも見ている間ずっと気になってたのは、こういう映画が成立してしまうってのは、やっぱり訴訟社会であるアメリカのお国柄だからってことなのかってこと。 「親が知恵遅れでも子供を任せていいのか」って問題自体についての答えは簡単だろう。「程度による」。違うか? で、映画のサムの様子を見る限り、任せてはいけないレベルとは思えない。サム自身は安月給ながらもスターバックスでちゃんと給仕の仕事をこなしているし、子育てに悩みあぐんだら、近所の人に助けを求める知恵も持っている。もしもこれが日本の場合だったら、と想定してみたが、この国もだんだんと訴訟社会となりつつあるから簡単に断言することはできないが、この程度のことなら、まず問題にすらならないのではないか?(つーか、日本の場合、もともと知恵遅れの人が結婚できるかどうかという問題の方が大きいんだけど)。 この映画が「甘い」のは、そういう問題について真剣に考えるなら考えるで、学力のみでサムを親として不適格とする検察側の主張に対して、弁護側が、通り一遍の愛情論でなく、現実に知恵遅れやヒキコモリの人たちがよってたかって娘のルーシーを育てていけたのはなぜか、という点をキチンと検証・主張していないところだ。 『白雪姫』中の「七人の小人」をモデルにしたと思しい、知恵遅れの仲間たちは裁判でサムに有利な証言をすることができない。しかし彼らは一人一人がどこかで日常生活に支障をきたす部分を持っていも、それを補いあうことでルーシーを立派に育ててきたのだ。それは「愛情」のひとことで括れるような単純なものではなく、もっと複雑な要素がそこにはあるはずだ。 弁護士役のミシェル・ファイファーが無能にしか見えないのは、彼女自身がヒステリーに悩まされているからではない。彼らの中に愛情を越えてもなお人間としての尊厳を訴えることのできる「何か」を全く見出せていない点に理由がある。 それはつまり、この映画の制作者たちが「妥協」した結果なのである。脚本の「放棄」だと言ってもいい。おかげで、物語はいわゆるありきたりというよりは逆に現実から目を背けた「『白痴』=純真無垢な心の持ち主」みたいな偽善的な方向にしか進んでいかなくなってしまった。そこのツメが甘かったのが、この映画のなんとも惜しいところだった。
しかし、「演技」というレベルにおいては、この映画、世界でも最高のレベルに達していると言っていいだろう。 サム役のショーン・ペンももちろんだが、何より信じられないほど豊かな演技を披露してくれたのは、ルーシーを演じた7歳の少女、ダコタ・ファニングちゃんだ。自分が父親よりも賢くなってしまう孤独感、けれどそれゆえに父親から何を受け継いで行けばいいかを学んでいく様子を、ほんのわずかな表情の動きで表現していく。……私ゃ、かつてのマコーレー・カルキンもハーレイ・ジョエル・オスメントくんもべつに「てんさい」とは思わなかったけれど、ダコタちゃんは天才だと言いたくなっちゃったね。結構穴のある設定なのにそれが気にならないのは、彼女の演技によるところが大きい。見て損はしないですよ、この映画。
しげの評価は2本ともまあまあ。『ウォーターボーイズ』にしげが感情移入しないのは分らないでもない。あまり「男の子」に対して幻想持ってないものな、しげは。若い男のバカってのはあまり笑って許せないだろうし。 いつもの如く、帰り道の車の中で、しげは「どこかへいこうか?」とか言い出す。 「温泉にでも行くか?」と答えたら、しげ、なんだかクスクス笑っている。またどうせバカなことを考えてるんだろう、と思ったが、聞いてやらないのも悪いかと、一応聞いてみる。 「何がおかしい?」 「……ラブホと伊香保は似てるね」 ……聞くんじゃなかった(-_-;)。
2001年06月21日(木) つーきも、おぼーろに、しらーああうおの、/舞台『黙阿弥オペラ』(井上ひさし)
| 2002年06月20日(木) |
癒してくれなくていいってば/映画『怪盗ジゴマ 音楽編』/『夏のロケット』(川端裕人)ほか |
朝方、寝床の方からヘンな呻き声が聞こえる。 なんとなくリズムはダース・ヴェーダーの「すーぱー・すーぱー」(私にはそう聞こえるんですけれど、みなさんにはどう聞こえてますか?)に似ている。しかし朝目覚めてみたら側にダース・ヴェーダーが寝てたって、こんなにエズイ(=怖い)ことはないな。 そんな声を出すのはもちろんしげ以外にはいないのだが、いったい何を言ってるんだと思って耳を傾けてみると、「すーぱー」ではなくて、「はーげー。はーげー」。 ……誰がハゲやねん! そりゃな、確かに最近、天頂あたりが薄いよ。抜け毛も多いし、だんだん額も後退してきてるし、髪の毛自体も細くなってきてるよ。こないだ散髪したときにオヤジから「オレそっくりの頭になってきたなあ♪」なんて言われちゃったよ(そんなとこまでムスコが似てきたのが嬉しいか、父よ)。 けどなけどな、「まだ」ハゲちゃいないんだよ。 谷村新司にもさだまさしにもなっちゃいないんだよ。 いや、ハゲになったっていいじゃん。ハゲのどこがいかんのよ。ハゲが魅力的だった人たちだって、今までにたくさんいたぞ。ユル・ブリンナーの立場はどうなる。島田勘兵衛(←『七人の侍』)はあえてハゲになったぞ。宇宙刑事ギャバンだって一時期はハゲだったのだ。コペンハーゲンは立派な都市じゃないか(意味不明)。 くそ、今度はしげが起きてるときにしげのことを○○○○とか○○○○○とか○○○○○○って寝言言ってやる。
今日も今日とて、しげに車で職場まで迎えに来てもらう日々。 これが職場の同僚に羨ましがられることが多いんだけども、困ったことに、「私に視力がないから車の免許取れないんですよ」とか「以前、自転車で子供ハネちゃったもので、通勤に自転車使いづらくなっちゃって」とか、正直に事情を話すと、たいてい相手が「引く」ことである。 軽い会話を楽しむつもりがいきなり重くなったと感じるんだろうけれども、私ゃ別に重い話題を振ったつもりはないんだけどなあ。
病人が病気なのは実はカラダだけではなく、ココロが病気って場合がほとんどなので、だからこそ周囲の人間は病人を「気」遣ってしまうのである。重病患者に「オレはもうすぐ死ぬんだ」とか沈鬱な表情で言われたら、たとえ家族だって声のかけようもないだろう。「オレ、もうすぐ死ぬけどそれまで精一杯生きるよ!」と言ってくれりゃ、「その意気で頑張れ!」ってエールを送ることもできるんだけどね。でもそういう覚悟ができてる病人は少ない。たいていは内心どこかで同情を買いたがってるからねえ。
私にしたところで、病気だのケガだので余命いくばくもないと医者に言われてから既に30年が経っているが(^_^;)、自分で自分の病気を吹聴するのは「これが『憎まれっ子世に憚る』ってことか」、と笑ってもらえりゃいいと思っているからなんである。同情はしなくていいし、惜しまれるだけの価値のある人間でもないから、実は激励だって要らない。 世の中、苦労してない人間なんていないのだから、病気だからって他人と比べで自分は不幸だなんて悲観するこたあないのだ。「なんでオレだけこんな目に」ってブルース・ウィリスみたいなこと言ってるからかえって落ちこんでしまう。その「オレだけ」ってのが傲慢というものなのである。周囲も遠慮は要らないから「別にアンタだけが苦労してるわけじゃないよ」って言ってやれや。 他人より早死にする人間だって、いくらでもいるんだから、死期が迫れば「ここまでってことか。まあ、自分なりによくやったほうかな」と本人が素直に諦めりゃすむことなんである。
私の言質に周囲が引いちゃうのも、「そんな強がり言ってるけれど、本当は心の奥底ではツライに違いない」と勝手に憶測して対応に困ってるせいなんだろうね。かと言って、私が「ホントはつらくてつらくてたまらないんです、ボクはこれからどうなってしまうんでしょう」なんて言ったら、そっちの方がどんな態度を取ったらいいかすっごく困っちゃうと思うんですが、いかがですか(誰に向かって言っとんの)。 実際に死にかけたら、私ゃ根性ナシだから、ホントに「し、死にたくねえよう、た、助けてくれよう」とか言って慌てふためくかもしれないけれども、そのときゃそのときで「みっともねえなあ」と蔑んで突き離して「勝手に死ねば?」とか言って頂ければいいのである。どんな形であれ、他人に関わろうとする行為には、「甘え」が生じるのだ。「甘え」をムリに受け容れなくたっていいでしょう。 私なんかより、しげの方がよっぽど地獄を見てきている。 しげのすごいところは、話を聞くだに「そんな経験したら生きちゃおれんわ」と思うようなことでも、サラリと受け流すというか、場合によっては忘れようとしてホントに忘れてしまっていることだ。別に偉いわけではないどころか、ハッキリ言ってバカなんだけれども、自分の不幸に執着してる人間よりはよっぽどマシだ。 しげもまた、かつて「かわいそう」と言われたことが何度もあったそうであるが、もちろんしげは少しも喜びはしなかった。そんなこと言ってたやつにしげの心が理解できるはずもないし、実のところ本気で「かわいそう」なんて思ってたかどうかもアヤシイ。 全く、世間の人々はどうしてああも平気で病人や身障者に対して「かわいそう」とか「お気持ち分ります」とか言ってしまえるのかね。テレパスかお前は。分るはずもないことを簡単に口にできることに、偽善と相手に対する優越感と差別意識が含まれていることに気付かんのか。ほかに言うコトバがないから、気付いててもあえて言ってるとしたら、よっぽどアンタらのほうがココロの不自由な人だよ。かわいそうだね同情しちゃうね。 ……ね、「かわいそう」って、実質的な「拒絶」でしょ?
そんな埒もないことを車の中でぼんやり考えていたら、しげが、「どうしたと?」と聞いてくる。 しげは私が考え事をしていると必ず声をかけてくるが、考えてるのはたいていはこんな取りとめもない「よしなしごと」だし、聞かれたときには相当頭の中で未整理な考えが乱舞している状態になっているので、返事のしようがないのだ。 それを愛想がないとか嫌ってるとか言われてもこっちが困る。 で、今度はこちらが「メシはどうする?」と聞くと、「どうしよっか?」と聞き返してくるのだ。質問に対して質問で返されたんだから、自分では意見がないのかと思って、じゃあ、『すきや』にしようか」と言うと、不満そうな顔をして「アンタだけ行きぃ、オレは行かんから」と言う。 「なんだよ、文句つけるんなら最初から聞くなよ」 「オレ、言ったよ、『どうしよっか? 王将?』って」 「聞こえてねーよ。『王将』がいいなら、『どうしよっか』なんて言う必要ないじゃん。最初から『王将』に行きたいって素直に言えよ。テキトーな日本語使うな」 日記にも「いい加減『王将』に飽きた」みたいなこと書いてたから、しげも言葉を濁したのかもしれないけれど、言葉を濁そうが、「ここに行く!」と決めたら、しげは私の意見なんか聞きゃしないのである。 私もそれが分ってるから、食事をどこでするかなんて主張、日頃はしていないんである。そんな態度でエスコートだけはしてほしいってのは、思いあがりも甚だしい。頑固なくせに優柔不断な態度を取るって、支離滅裂じゃんかよ。 ……で、しげが車を乗り入れたのは「すきや」でなくて「王将」。 ほら、私に聞く意味なかったじゃん。 昨日、急にラーメンを食いたくなったしげ、いつものなんとかセットのほかに更にラーメンを頼む。「食い切れねえだろう」と止めるが、ヤケになってるしげ、口に目いっぱいコメツブを詰めこんで、グチャグチャ小汚く食っている。……そんな食い方したって美味くもなんともないと思うが。いつもいつも思うことだが、ヒステリー起こしたって自分が損するだけだとわかってるのに、どうしてこう、自分のコントロールができなくなるのかなあ。
『クレヨンしんちゃん』の映画版に飢えるあまり(シンエイ動画、早くDVD出せ)、LDで『ヘンダーランドの大冒険』を見返す。 エンディングテーマの雛形あきこ『SIX COLORS BOY』はすっげえ名曲なんだけれども、何度練習しても音程をうまく調節できなくて歌えない。男が歌って楽しい曲でもないんで、しげが歌ってくれると嬉しいんだけどなあ。……ってカラオケにそうそうしょっちゅう行く余裕はないのだけれども。
音楽に飢えてるのかな、ついでにビデオ『怪盗ジゴマ 音楽編』も見返す。 和田誠のアニメ、というより、寺山修司の短編ミュージカルに監督の和田誠自身が「曲」をつけたという、もう私にしてみればこんなゼイタクな作品はないってなくらいの傑作なんだけれども、当然、カラオケにこんな曲が入ってるわけもない。 由起さおりの演技力は、『家族ゲーム』やドリフのコントや『お江戸でござる』なんかでも証明ずみだが、その最高傑作はこのアテレコだと断言する。最初にこのアニメ見たのは広島アニメーションフェスティバルでだったけれども、前説に出てきた和田監督が、「キャスト見たら驚きますよ」と言っていたのが、事実、「由起さおり」の名前がテロップで出た途端に「おおおおおっ!」と歓声があがった。 全詩をご紹介したいところだが、怪盗ジゴマに盗まれた、少女の歌を一曲だけ。
呼ばないで 流れ行く雲を 呼ばないで さすらいの町を ああ 呼ばないで 私の名前を
呼ばないで 悲しい酒場を 呼ばないで 古いピアノを ああ 呼ばないで 私の名前を
いくら呼んでも振り向かない 私の心は闇だから 闇だから
……実は私が寺山修司ファンになったのは、この詩に感銘したからである。闇を持つ女じゃなきゃ、魅力なんてないよな(だから誰に同意求めてるんだよ)。
マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』25巻(小学館/ビッグスピリッツコミックス・530円)。 表紙のフジタ、クチビルがえらく赤くてカマっぽいんですけど、何かあったんですか、細野さん(^_^;)。 「ジョコンダの姉妹」を読んで初めて知ったのだけれど、盗難にあった美術品は、それと知らずに購入して二年経つと、もとの所有者に返さなくていいって法律があるんだね。しかもそんな泥棒天国な法律作ってるの日本だけなんで、美術窃盗犯は、せっせと絵画なんかを日本に持ちこんで「二年間」寝かせてるんだとか。 こりゃアレだね、そんな法律が有効だってことは、もしも「盗難されたものは須らくもとの持ち主に返さなければならない」って法律ができちゃったら、お偉いさんで、コレクションを手放さなきゃならなくなる奴がやたらいるってことなんだろうね。でもそれだけ日本人には本当の審美眼がなかったってことじゃないの。ツケは返そうよ。 ……って全然作品批評になってないけど、最近は知識的な好奇心でしかこのマンガ、読んでないからなあ。どうしてもこういう感想になっちゃうのよ、ご勘弁。
川端裕人『夏のロケット』(文春文庫・670円)。 あさりよしとおのマンガ、『なつのロケット』が本作の影響化に書かれていたことは知っていたのだが、実はそれほど期待していたわけではなかった。改作されたマンガがおもしろかったからと言って、そのもとネタたる小説もまたおもしろいとは限らないからである。 ……いや、狭量な考えでした。これもまた「男の子必読」の小説です。と言っても女性を差別するわけではないけれども、「なぜ人は宇宙を目指すのか?」という質問に対して、「考えるまでもない、そこに宇宙があるからだ」と言いきれる人間でないと、この小説、楽しめないのではないか。
新聞社の科学部担当記者である「ぼく」=高野は、過激派のミサイル爆発事件を調査しているうちに、そのミサイル製造に、かつて所属していた高校天文部の友人が関わっているのではないか、と疑問を抱くようになる。 「ぼく」と四人の仲間は、かつて、本気でロケットを打ち上げようとしていた過去があったのだ(もちろん非合法)。そして今、オトナになり、科学者、技術屋、企業家、歌手となった彼らは再び結集し、「個人レベルで飛ばせるロケット」の開発・打ち上げを計画していた。 いつか火星に行くために。
常識的に考えれば、たった五人で有人宇宙ロケットを打ち上げるなんてことは絶対に不可能であろう。これを一つのファンタジーとして考えるなら、それはそれでドラマとして成り立たせる方法はいくらでもある。細かい設定は無視して、「こんなこともあろうかと」、新開発の技術でも超合金Zでもでっちあげればいいのだ。 しかし、作者はあくまで、「現在の技術だけでも、宇宙ロケットを製造することは可能」という点に徹底的に拘った。資金、材料、ロケットの規模、実効性、全てに拘り、そのディテールを重ねて行くことによって、企業にその気さえあれば、超低予算(と言っても何十億かはかかるけど)でロケットを打ち上げることが可能であり充分ペイすることを証明していくのだ。何しろ、合金製造のために日本の「刀鍛治」に依頼にまで行くのである。そのアクロバティックだがリアリティのある設定に何度酔いしらされたことか。 もしあなたが、かつて「流線型のロケット」に憧れた過去を持つなら、本書を読みながら、知らず知らずのうちに五人に感情移入しながらロケットの実現を「本気で」応援している自分の姿を発見していることだろう。実際、読了後に思ったものだ。どこぞの企業、法律違反無視、会社つぶす覚悟でロケット打ち上げる度胸を示してはくれないものかと。 物語中、彼らの計画は何度も頓挫しかける。最大のピンチは、爆破事件を追う警察に、ロケット製造をミサイル製造と勘違いされ、秘密の実験を繰り返している島を発見されそうになるクライマックスである。 時間との戦い。近づく嵐。マスコミのヘリコプターが上空を迂回して行く。警察はもうすぐそこだ、早く打ち上げなくては間に合わない、ところがそんなギリギリの状態のときに、メンバーの一人がとんでもないことを言い出す。果たして打ち上げは成功するのか。 ……これ以上はネタバレになるので言わないが、彼がある瞬間「笑った」時、私は読みながら「泣いて」いた。
プロローグでは、火星に着陸しようとする宇宙飛行士たちの描写が紹介されているが、この小説のラストは、直接このプロローグにリンクしてはいない。このプロローグがただの夢なのか、それとも主人公たちの未来の姿なのかは明示されないまま終わる。その間の物語を補完するのは読者の手に委ねられた。ということなのだろう。
2001年06月20日(水) べとべと、ぬめぬめ、もわああっ/『トガリ』3巻(夏目義徳)
| 2002年06月19日(水) |
VS借金取り(^o^)。って、笑ってる場合かよ/『卓球戦隊ぴんぽん5』(桑田乃梨子)ほか |
指揮者・作曲家の山本直純さんが18日、急性心不全のため死去。享年69。 どの記事を見ても、音楽番組『オーケストラがやってきた』とか、「大きいことはいいことだ」の森永のCMとか、『男はつらいよ』の作曲とか、長髪、口ひげ、黒縁眼鏡とか、小沢征爾とのやりとりとか、そんなもんばかり取り上げているが、オタクとして真っ先に挙げなければならないのは、東映動画『どうぶつ宝島』の作曲だろう。山本さん、この映画ではムッツリの声までアテている。ムッツリだからほとんど喋らないんだけれども(^_^;)。 カラオケに入ってないのが悔しくてしかたがないのだが、『ちっちゃい船だって』はアニソンベストテンを選出するなら私は絶対に上位に入れる。もっとも入ってても私が歌っちゃ雰囲気ぶち壊しだが。しげはコドモみたいな声してるんで、いっぺん聞いてみたいんだがなあ。 ……歌を知っている人がいたら、私のために歌ってください(←黒澤明『素晴らしき日曜日』的演出)。
(作詞:石井浩一 作曲:山本直純 歌:ヤングフレッシュ) ちっちゃい ちっちゃい ちっちゃい ちっちゃい船だって 大きい 大きい 大きい 大きい夢のせて どこまでも どこまでも どこまでも ゆくぞ ゆくぞ パイオニア号 ちゃっぷん ちゃっぷん ちゃっぷん ちゃっぷん 波のうえ ざんぶら ざんぶら ざんぶら ざんぶら こいでゆく どこまでも どこまでも どこまでも ゆくぞ ゆくぞ パイオニア号
なみも かぜも おひさまも みんな みんな みんな みんなともだちだ ゆくぞ ぼくらのパイオニア号 ひゅう ひゅう ひゅう ひゅう 風きって 希望を 希望を 希望を 希望をおいかける どこまでも どこまでも どこまでも ゆくぞ ゆくぞ パイオニア号
なみも かぜも おひさまも みんな みんな みんな みんなともだちだ ゆくぞ ぼくらのパイオニア号
昔はこの「パイオニア号」というところが聞き取れなくて、てっきり「フロンティア号」だと思っていた。『宇宙大作戦』の連想でそう思っていたのかも。 でも本気で思ってるんだよ、200本を越える山本さんの映画音楽の中で、これが最高傑作だったって。……あ、涙出てきちゃった(T.T)。 アニメの最高傑作が『ど宝』なら、特撮の代表作は『怪奇大作戦』。 主題歌の「恐怖の町」は、作詞・金城“ウルトラマンの生みの親”哲夫&作・編曲・山本直純という超強力コンビ。サニートーンズの低い声を思い出して歌ってください。
「ギャーッ!」
闇を引き裂く 怪しい悲鳴 誰だ 誰だ 誰だ 悪魔が今夜も 騒ぐのか オー! SRI SRI 謎を追え SRI SRI 怪奇を暴け Let's go!
「フフフ・・・」
墓場の影で 怪しい笑い 誰だ 誰だ 誰だ 死神が 歌い踊るのか オー! SRI SRI 悪を討て SRI SRI 正義を守れ Let's go!Yeah!
「ウグッ!ア アアーッ!」
街角を走る 怪しい影が 誰だ 誰だ 誰だ 妖怪が獲物を 狙うのか オー! SRI SRI 謎を解け SRI SRI 平和を築け Let's go!
あと、『マグマ大使』(テーマソングよりガムの歌の方が好きって人、多いような)や、あの伝説の時代考証無視のトンデモ番組、NHK『天下御免』(平賀源内=山口崇&杉田玄白=坂本九!)も山本さんの作曲。「船出だぞ〜、船出だぞ、この浦ふ〜ねに帆をあげて♪」って覚えてる人いるかな? なんだかね、山本さんの曲って、どれもサビの部分でちょっと転調するところがあるんだけれど、そこがなぜか切なくて泣けてくるのよ。鈴木清順の『殺しの烙印』も山本さん。あのダークな音楽が山本さんとはちょっと信じられないくらいだが、こうなるとその作品世界の広さに驚嘆しないわけにはいかない。 オタクにカルト、御用達って感じな人なのに、意外にオタクな人たちがその死に反応しないのは、やっぱりご本人のキャラクターの印象が強すぎて、曲の価値を我々が見誤っていたということではないのか。
某信販会社から職場に電話。 「あなた冷蔵庫の代金払ってないでしょ。払ってよ払ってよ払ってよ」 「……あれ? 振込用紙で払いましたけど」 「それは5月分でしょ? 4月分がまだなのよ。払ってよ払ってよ払ってよ」 「4月分の振込用紙って届いてないんですけど」 「送ったわよ。今日までに払わないと、後は一括で払ってもらうわよ」 「用紙があればお送りするんですけど」 「4月分のはもう送れないのよ。後は銀行振込しかないの。払ってよ払ってよ払ってよ」 「でも銀行に行く時間ないんですが」 「だったら来月まとめて十万払ってね払ってね払ってね」 で、ガチャッと電話切られた。払ってないこっちが悪いんだろうけど、振込用紙の再発行もできないってどういうリクツなのか。 察するに4月分の振込用紙、新聞かなんかの間に挟んで捨てちゃったんだろう。本とビデオとゴミの中に暮らしてるとこういうことはままある(だから片付けろよ)。しかしいきなり十万の出費は痛いことは痛いが、もともとローンでものを買うのって嫌いなので、一括して払っちまえるんならそっちのほうが楽だ。今回はいきなり冷蔵庫がぶっ壊れて仕方なくローン組んだんだけど、今後はローンでものを買うことなんてまずなかろうから、実際ほとんど痛痒はないのである。 けれど今月はDVD買うのはちと控えよう(^_^;)。来月はまた別だが。
しげ、迎えの車の中で延々と職場の愚痴を垂れる。 なんでもただでさえクソ忙しいところにもってきて、いきなり人件費削減のお達しが出たそうで、時給も出ないのに残業させられることが増えそうなんだと。 「夜2時半で上がるはずが1時間もただばたらきしなきゃなんないんだよ」 景気は底入れしたはずじゃなかったのかなあ。客が来てるから忙しいんであって、更に人件費を減らそうってのは単にけち臭くなってるだけって気もするが。 バイトやパートが辞めようかどうしようか相談してるそうだけれど、経営の基本間違えてんじゃないか、リ○○○ハ○ト(今更伏字にする意味もないな)。
帰宅したら、ちょうど新聞屋さんが契約更新のお願いに来ていた。 新聞に特に好みというのはないので、引っ越し以来10年、某新聞を取っているのだが、更新のたびごとに結構なモノをくれる。確かあまり高価なものはあげちゃいけなかったんじゃないかと思うんだが、実際にはいろいろ貰っている。 今回貰ったのはダイエー戦のチケット。けどしげは広島カープ以外の球団はクソだと思ってるからなあ。一緒に行ってくれるかどうかは心許ないのである。
アニメ『ヒカルの碁』第三十六局「オレの名は」。 各話ごとにヒカルがオトナになったりコドモになったり激しいけれど、今回はまた随分と丸っこくて目の大きいヒカルになっちゃって……と思ってスタッフを見たら原画がみんな中国の人。けれど、一昔前だったら「外注=どヘタクソ」という図式が成り立っていたものだったけれど、今や技術の彼我の差はそれほどでもない。 今回もやや演技の付け方にぎこちなさは残るものの、外注だとは言わなければ分らないのではないか。もっとも、演出や絵コンテ自体は日本でえんどうてつやさんが担当している。原作とは微妙に構図を変えて、ヒカルに置いていかれそうになる佐為の不安を演出しているあたり、ちょっとした工夫だけれど効果が効いている。 けれど気がついたら、原作もかなりの量を消化している。この分だとクライマックスは案外近いかも。
ドラマ、『女と愛とミステリー 痴漢冤罪殺人連鎖 私はやってない! 教師現行犯逮捕の恐怖体験 伊良湖岬の変死体は痴漢を自供した銀行マン 二つの事件を結ぶ謎に挑む美人弁護士』。 ……タイトルなげーよ(-_-;)。 つーか、これだけで充分ストーリーの説明ができちゃってるよ(^_^;)。 痴漢に間違えられる教師役は、村上“今更言われたくないだろうがスカイライダー”弘明。 で、美人弁護士役が田中“ゴジラ×メガギラス”美里。 てっきり法廷ものになるかと思ったら、途中から痴漢に間違われて自殺した会社員の謎を、裁判ほったらかしで追いかけることになるアクロバットな展開。……っつーか脚本がデタラメだよ、これ。 石野真子と故・伊藤俊人さんが出演していたので、つい見ちゃったけど、こんなテキトーなのが伊藤さんの遺作だとしたら悲しいなあ。
マンガ、桑田乃梨子『卓球戦隊ぴんぽん5』(白泉社文庫・630円)。 おおおう、ついについに、くわ太さん(←桑田乃梨子さんの愛称だよ)が文庫に! でもてっきり、『ひみつの犬神くん』か『おそろしくて言えない』が先だと思ってたけどな。特に『おそろしくて』はCDにまでなったし(塩沢兼人さん主演。合掌)。けれど出たら出たで、あとがき書き下ろし魔の桑田さんのことだから、また、オマケマンガ描いちゃうんだろうな。実際描いてたから新書版持ってるのにまた文庫版まで買っちゃったわけなんだけども(もっとも買ったのはしげだ)。 しかし、オマケマンガが描ける、ということは、それだけキャラクターに「余韻」があるってことでもあるのだ。桑田さんの物語は、一応の結末を迎えはするのだけれど、いつも「このキャラはこれからどうなるのかな?」ということが気になる。このマンガも、なんたって連載時は「ぴんぽん5」が結成されるところで終わっていたのだ。……これから話が始まるとこやん。というわけで、短期連載された続編、『超卓球戦隊ぴんぽん5R』と『合宿戦隊ぴんぽん5』、それに描き下ろし『戦隊だもの』を加えて全1冊に構成した「完全版」がこれ。でも、描き下ろし加えても、まだ「先」がありそうな感じで終わってるんだよなあ。主役の兄まで登場させるし(主役が裕次郎だから兄さんは当然、慎太郎。弟が軟派だから、兄さんは……って結構アブないネタになりそうだよ、コレ)。 ……続編描こうよ、桑田さん。タイトルは『卓球戦隊ぴんぽん5すーぱーず』とかで(^o^)。
昨日の『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』の続き。
乱歩と正史の因縁は更に続く。 戦後の金田一耕助のシリーズ化は、かつての明智のシリーズ化の時と実に事情が似ている。初め、シリーズ化の予定がなかったのを、増刷が出るほどのヒットを飛ばし、金田一は続編が書かれるようになった。類似点はそれだけではない、金田一の第一作『本陣殺人事件』、第二作『獄門島』と続くあの傑作群を、江戸川乱歩は手厳しく酷評したのだ。曰く、「殺人の動機が不自然過ぎる。もっと穏便な方法がとれたはずだ」。 ……ハッキリ言って、難癖に近い。その穏便な方法が取れないことが『本陣』のメイントリックと言ってもいいので、それを否定されたとなれば、他の点をどんなに誉められても「駄作だ」と言われたのと同じだからだ。 その批評を読んだあと、正史が「エドランめ、エドランめ」と絶叫して激怒する様子を、家族が目撃している。正史は、「もうそろそろパクってもよかろう、もう自分は江戸川乱歩を越えたのだ」と思っていたところに、「動機が弱い」などと言われて、乱歩がかつて自分に作品を酷評されたことの復讐をしている、と感じたのではないだろうか。いや、それまでにも乱歩は、正史の『真珠郎』などを「本格探偵小説ではない」と切って捨てていたのだが、自信作をそこまで断じられた場合、恨みは骨髄だろう。 もちろん、そこには愛憎両方の感情が渦巻いていると思われる。乱歩に負けたくない、乱歩を落とし入れたいという思いと、乱歩にもっと書いてほしい、叱咤激励したい気持ちも当然あっただろう。 実際に戦後の乱歩は、『怪人二十面相』シリーズのほかはほとんど小説を書かなくなっていた。雑誌『宝石』の編集長となったことをきっかけに、正史に対抗する気概に燃えて、ようやく長編本格探偵小説『化人幻戯』を書いた。そして、通俗アクション小説の主役となっていた明智小五郎が、初期の理知的な名探偵として帰ってきたのだ。 誰もがこれを誉めそやし、乱歩に次作を書かせようとした。しかし、乱歩の「誉められないと書かない」クセを知らない若手作家が、あるとき『化人幻戯』を酷評してしまった。 乱歩の本格探偵小説は、これが最後になった。
横溝正史は、乱歩が死んだ時、遺体にしがみつき、号泣した。 以後、正史は10年間、創作の筆を折る。角川書店が仕掛けた横溝正史ブームにより、再び新作を書きはじめるが、実はその正史ブームの前に「江戸川乱歩ブーム」があった。 正史の、本当の復活の理由は実はそこにあったのではないか。 70歳を越えた作家が、なおも創作意欲を抑えることができなかった理由は、死ぬまで乱歩に勝つことだけを創作のモチベーションにしていたからではなかったか。
正史の長編最後の遺作、『悪霊島』は、乱歩が、そして乱歩の尊敬する谷崎潤一郎が、そして正史自身もかつて題材として扱った、「双生児」にまつわる確執の物語である。 乱歩と正史が、同じ探偵小説の両巨頭として、常にずっと、お互いを鏡のように映しあっていたように。
2001年06月19日(火) 孤独な自転車乗り/『となりのののちゃん』(いしいひさいち)
| 2002年06月18日(火) |
狂乱の終わり……始まり?/『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店)ほか |
職場で今日はほほを紅潮させてる人というか、やたら興奮気味な人が目立つなあ、なんぞ悪い病気でも流行ってるのかと思っていたらと、今日は例のアレだ、ワールドカップ決勝リーグの日本対トルコ戦があるんだったね。 結果は1−0で負け。これで俄かナショナリストたちの狂乱が収まるとなればこちらも安心して日々の生活を営めるというものだ。 サッカー自体は嫌いじゃないが、サッカーファンは嫌い、というのは、アニメは好きだがアニメオタクは嫌い、というしげなんかのスタンスによく似ている気がする。人のシュミに文句をつける気は毛頭ないが、押しつけがましくて「自分が世界の中心」てな態度を取られてると確かに困りもんなのである。 具体的にあまり詳しいことは書けないが、ウチの職場でも今回のワールドカップに関して、下らん諍いが二、三件、起きちゃっててね。バカらしいったらありゃしないのよ。……たかがサッカーだぞ、仕事優先しろって。 サポーターだかフーリガンだか、サッカー応援してれば、それに付随した行為はたとえ社会の規範に抵触するものであっても許されると踏んでるフシがあるんだよな。んなバカなこと許されるわきゃないんだけども。 しかし私は、そういうバカ行為すら、あえて否定はしないでいようと思う。 川に飛びこむなら飛びこめ。暴動も起こして構わない。イベントとか祭というものは基本的に秩序の破壊だ。応援に熱中してりゃあ、そういうバカが出てくるのはイベントの必然なんだってば。そういうバカが出てきちゃ困るってんなら、最初からワールドカップを開催なんてしなけりゃいい。 バカを煽って作り出してきたのはまさしく過剰報道してきたマスコミなんだから、今更、「もっとマナーを」なんてったって、誰も聞きゃしないのである。コメンテーターとかいった連中がサポーターたちを糾弾するのは間違っちゃいないか? けどねえ、俄かサッカーファンのみなさんよ、バカならバカでいいから、自分がバカであるという認識くらいは持っててほしいんだよ。だってそうじゃないと、アンタら、自分がやったことのオトシマエすら付けられないじゃん。タイホされる覚悟くらいはしとけよ。警察に捕まったからって暴れてんじゃねーや。みっともない。
その狂乱騒ぎも日本敗退でようやく収束するだろう。ニュースでも、「気が抜けた」と言ってたファンが結構いたし。 考えて見れば日本は実に「ちょうどいいところ」で負けたのではないか。 予選リーグで敗退せず、ベスト16までは生き残った。これで一応の満足は日本人に与えたし、未来への希望も与えた。 韓国を先に立てた恰好になったから、韓国から「日本があんなに勝つのはケシカラン」とか難癖付けられる心配もないし、ジャッジの不公平や開催国の有利さに対する批判とかも全部、韓国に押しつけられる。 案外、計算した「負け」じゃなかったのか、今回の負け試合。もっとも、選手たちは無心に戦っていた者が多いと思うし、お膳立てをした黒幕がいるとしたらトルシェ意外にはいないだろうが。いや、黒幕のワリにゃ目立ってるが(^o^)。もし、この邪推が当たってるとしたら、なかなかの策士だね、トルシェは。サッカーの監督としてはどうかとは思うが。 でもこれでようやく、遠慮せずに「サッカーファンの9割は猿だ」と堂々と言えるようになるな。やつらが興奮してた時には、下手なこと言ったらマジで闇討ちされそうな気配だったし。 ……え? そんな「遠慮」なんか、これまでだってしてないだろうって? そんなことないですよぉ、ちゃんと人のこと気遣って、遠回しないい方しかしてませんよぉ。だって「猿」なのは「サッカーファン」だけに限定してるし(^o^)。 けど、ホントに自覚しておけよ。今回のワールドカップ、「選手と選手」の純粋なゲームでなく、「国と国」との「代理戦争」になってたことは否定できない事実なんだってことをな。サッカーファンの連中が、潜在的なナショナリストだってこと、証明されてるでしょ?。
今日もまた晩飯は「王将」。 ラーメンと天津飯のセットを頼む。 日頃は晩飯にとんこつラーメンなど食べないのだが、いつもいつも定食ばかりでは飽きが来ていたのだ。 しげは相変わらずのスタミナセットで、唐揚げだの餃子だのにパクついていたが、私がラーメンを食べ終わったころになって、いきなり箸を私のラーメンドンブリに突っ込んできた。 「何するんだよ!」 「……ラーメン、残ってないかと思って」 「ほしいなら、先に言えばよかったのに。でなきゃ自分で注文するとか」 「アンタが食べてるの見たらほしくなったんよ!」 やっと短い麺の切れ端を見つけると、舌先に乗せてにちゃにちゃ噛みながらニカッと笑うしげ。 ……人の物がほしくなるって、そりゃ誰にでもあることだろうけれど、まさか実行に移すとは思わない。いくら夫婦の間柄だからって、しげの精神年齢、ちょっと低過ぎないか。 最近しげは、職場で一緒に働いてるオジサンから「クッカーって、料理全部作れるの? 偉いねえ」と誉められたそうだが、幼稚な仕草から10代くらいに見られてるのではないか。そのことをしげは憤慨しているが、だったら、もちっとオトナな行動取れよ。たかが一本の麺を食べるのに、人のドンブリまで浚うなよ。 いや、別に私ゃ、盗まれた一本の麺が惜しかったから言ってるワケじゃなくて(^_^;)。
ドラマ『盤嶽の一生』<第8回>(最終回)「男と女」。 全9回、とあったが、新聞には今日が最終回、とあったぞ。「幻の1話」でもあるのか。どっちにしろ、8回で終わり、というのは短か過ぎる印象だが、別に打ち切りにあったというわけではないらしい。 ともかく、ここしばらくで一番上質な時代劇を見せてもらったって感じである。白井喬二の原作が入手困難な現在(それどころか山中貞雄の脚本集まで本屋で全然見かけねーぞ。タイアップぐらい考えてないのか)、貴重な映像化だった。 『盤嶽の一生』というタイトルを昔聞いたときには、主人公の侍が、死んじゃうまでを描くのか、と思っていたが、『女の一生』などとはやや趣きが違っていたようだ。つまりはこのタイトル、騙されて騙されて、それでも人を信じずにはいられないお人好しの、一生コイツは呑気なまま青空のように生きていくんだろうな、と思わせる侍の「性格」を象徴しているのであった。 融通が利かない無骨さ、それでもどこか爽やか、というキャラクターならば、本当に往年の三船敏郎に演じてもらいたかった感じではある。けれども役所広司、無骨さの中の軽みを今一つ出しきれていない恨みはあるものの、通して見れば、よく頑張ったと言えるのではないか。 コアな時代劇ファンなら、殺陣などにもいろいろ注文をつけたくなるところだろうが、役所広司の殺陣は近年の腰の座っていない役者の中では、随分見応えがあるほうである。至芸とも言うべき戦前の嵐寛寿郎、近衛十四郎、昭和3、40年代の三船敏郎、若山富三郎あたりと比較したりするのは酷というものだろう。
「騙す」物語となればいつかは出てくるだろうと思っていた宗教ネタ。 教祖が桃井かおりってのは、どうなんだか。人を騙す新興宗教の教祖としては 呑気過ぎるんじゃないかと思ったが、教祖自身も騙されてたって役だから、まあいいのか。昔と違って、近年の桃井かおり、悪女役が似合わなくなってきてるけど、役者として小ぢんまりと収まってしまいそうで、ちょっと心配である。 阿地川盤嶽(役所広司)は、源助(梨本謙次郎)とおりん(広岡由里子)という農民夫婦の家に厄介になっていた。 村の周辺では、お蝶(桃井かおり)という女が「正直庵」という額を掲げて、霊験あらたかというお札を農民たちに売りつけ、農民たちから「生き神様」とあがめられていた。盤嶽は珍しくも、お蝶に疑いをかける。実際、「正直庵」は裏で久左衛門(國村隼)という、怪しげな男が糸を引いていた。 盤嶽はお蝶に、「人の弱みにつけこんでお札を売るとは」と怒るが、お蝶に「盤嶽さんは強いからいいが、弱い人には神様との間を仲立ちする人が必要」と言い返す。 実はウチの母親も、晩年、似たようなことを言っていた。若いころは死ぬのも怖くない、と嘯いていたものだったが、病状が進んで、死を覚悟しなければならなくなってきて、信心が芽生えたらしい。気持ちは分らないではない。母が危篤状態に陥った時、私も神様にマジで祈ったし。もっとも、結局、母は助からなかったから、キリストさんもお釈迦様もマホメットさんも、「アンタは神様なんて信じなくていいよ」と言ってくれたんだなと思って、無宗教なまま、今に至っているが。 もちろん、盤嶽もまた強くなんかない。だから騙され続けている。人を信じないではいられないのは、とりもなおさず自分自身が弱いからだ。 あえて騙されることに身を投じる人間がこの世に存在するのは、人がみな弱いことの証明である。その何か強いもの、自分のようなちっぽけな存在をすら包んでくれる大きなものに包まれたいという願望は、誰にだってあるのだ。そういった人のニーズに一番手っ取り早い形で答えているのが宗教なのだから、一概に否定できないってのは私にだって分るのである。 しかし、盤嶽同様、私は自問自答せざるを得ない。 ならばなぜ宗教は庶民に安易な夢を見させる方向にばかり転んでいくのか? 人間の苦しみは、そう簡単に消えてなくなるものではない、信心すれば救われるというのは幻想だ。実は有名どころの宗教の教祖はキリスト教にしろ仏教にしろ、たいていそんなシビアなことを語っている。「人間、諦めが肝心」。宗教の教義は実はこんなものだったりするのだ。 しかし、それでは宗教は広がらない。儲かりもしない。だから「継承者たち」は、たいてい民衆に甘いことばかりを言う。呪文だけ唱えてれば、お布施をあげてれば、それだけで救われる、という安易さは何なのだろう。 そんな安易さに引っかかってしまうほど、追いつめられている人が多いのか。そんなに自分に自信のない生き方を、覚悟のない生き方をして来た人が世の中には多いのか。それはその人の強さ、弱さとは関係がないようにも思うのだがどうか。 例えばしげはムチャクチャ弱くてバカな人間だが、それでも宗教にハマることだけはないと思う。人間、どんなに弱っちくても、神様に頼ったって損するだけじゃん、くらいの理性は働かないものなのか。
生糸問屋の清兵衛(石橋蓮司)が、自分の娘・お糸(田中規子)と久左衛門を娶わせるために、邪魔なお蝶を始末しようと企む。盤嶽の活躍で、清兵衛の陰謀は阻止されるが、不思議なことに、お蝶を殺そうとまでした久左衛門が、またお蝶とヨリを戻し、旅に出る。 「男と女とは何だ」と考え込む盤嶽。 男女の中に疎いのはこういうキャラクターの定番だけれど、『人情紙風船』の山中貞雄脚本を元にしているのなら、もう少し深刻な展開になっても、というのはまあ無理な希望か。『紙風船』は山中貞雄の遺作だし、到達点をもって過去の作品を評価していいはずもない。 サラリと流したその手際も、リライトした脚本家に帰されるべき称賛だろう。
本を少し片付けようと、書庫に篭ったら、つい、藤原昌幸(現・富士原昌幸)の『刑事戦士Xカリバー』全4巻とか、蛭田達也の『コータローまかりとおる!』全59巻とか読み返してしまう。 そんなことやってたら、本の整理なんかできねえって(-_-;)。 けれど『コータロー』、やっぱりおもしれーわ。自慢じゃないが、私はテコンドーもグレイシー柔術の存在もこのマンガから学んだ。っつーか、日本でそれらの武道が人口に膾炙するようになったのは、このマンガが取り上げた以後のことだ。『コータロー』は、明らかに、日本に武道を普及させるのに一役買っているんであるが、そのワケは、しょーもないギャグを交えながらも、そのアクション描写が的確であるからにほかならない。……実はホントに「的確」かどうか、格闘技に詳しくない私には断定はできないんだけれど、少なくともそう思わせるだけの密度を持った描写をしていることは間違いないのだ。 けど、KCコミックス版はもう絶版なのかね。ワイド版だけでも30巻越えてるから、全59巻なんてとても新しい人の購買意欲をそそらないってのは分るんだけども。
角川書店編『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店・1995円)。 横溝正史生誕100年を記念して出版された三冊のうちの一冊。そうだよなあ、まず角川がこういう本を出さないとなあ。何しろ金田一耕助シリーズはおろか、『蔵の中』まで映画化くらい入れこんでたんだし(もっともコレだけはさすがにヒットしなかったが)。 文庫もカバー一新で12冊が復刊されるみたいだし、今まで横溝正史の探偵小説(やっぱりホントはミステリーとか推理小説って言いかたじゃなくて、この表現に拘りたいよな)に触れたことがない若い方には、ぜひ、この機会に一冊でも多く、横溝作品を読んでほしいのである。 坂口安吾が「アガサ・クリスティーに匹敵する実力」と評価した世界探偵小説のベストテンに入れてもおかしくない傑作群を横溝氏は量産してきたのだ。 復刻される文庫本を、名探偵金田一耕助の事件簿順に並べてみる。 昭和12年『本陣殺人事件』 21年『獄門島』 22年『悪魔が来りて笛を吹く』 23年『夜歩く』 『八つ墓村』 24年『犬神家の一族』 25年『迷路荘の惨劇』 26年『女王蜂』 30年『悪魔の手毬唄』 『三つ首塔』 34年『仮面舞踏会』 35年『白と黒』 『悪霊島』と最後の事件である『病院坂の首縊りの家』が復刻されないのは残念だが、これだけでも充分横溝正史の真骨頂は伺えるラインナップだ。 特に、これまで過小評価されることの多かった『白と黒』が含まれているのは、その慧眼を声を大にして称えたい。横溝正史賞を受賞した小川勝己が、本書のインタビューで、「おそろしくフェアに書かれている」と評価してくれているのがラインナップに影響を与えたのかもしれない。 しかも、カバーデザインまでが「白と黒」のシンプルなカラーで統一されているのだ。これがもう、美しいったらない。横溝正史は全冊持ってるけど、もう一冊、買っちゃおうかな。 未読の方は、この機会にぜひ、時代順に読んでもらいたい。
特集記事の中で、個人的に一番の目玉だったのは、やはり江戸川乱歩との往復書簡だろう。乱歩と正史のほぼ全作を読んでいる私も、書簡までは手が回らない。これだけで、しょうもないインタビューだの対談記事の多いこの本を買った甲斐があったというものだ。 この偉大なる二人の探偵作家が、終生親友であり、同時に憎悪も抱きあったライバルであることは、意外に知られていない。丹念に両作家の作品を見ていけば、必ずしも関係者から話を聞かなくても、お互いを意識しながら作品を書いていったことが分るのだが。
驚いたのは、正史が、『屋根裏の散歩者』を乱歩が書いた時点で「『明智(小五郎)』はもうそろそろお止めになってはどうでせう」と書き送っていることだ。 もうそろそろも何も、『屋根裏』は、『D坂の殺人事件』『心理試験』『黒手組』『幽霊』に続く明智小五郎シリーズ第五作、「もう止めたら」というほど作品を重ねているわけではない。これらは全て大正14年に一気に書かれたが、第一作の『D坂』が「いい主人公を考えつきましたね」と人から口々に誉められたから、本来初めの二作で終わる予定だったのがシリーズ化されたのである。乱歩は「誉められないと書かない」といういささか困った性格の作家だったが、つまり誉められれば誉められただけ、傑作を書いてしまう人だったということだ。 横溝正史がそれを知らないわけはない。しかも、『屋根裏』は、前二作の『黒手組』『幽霊』のような腑抜けた凡作と違って、紛れもなく明智小五郎の事件簿の代表作でもあるのだ。 横溝正史はこのとき江戸川乱歩の才能に嫉妬し、彼を落とし入れたのではないか。あまり信用してはもらえないかもしれないが、一応、根拠と言えるものがいくつかはある。 一つは、この直後、乱歩が長いスランプに入ったことである。 次作『一寸法師』で明智はいきなりそれまでの和服の貧乏書生から、洋装のハンサムに変身する。しかも、どうやら本作を明智シリーズ完結編にしようとしたフシまであるのだ(何しろ最後にはあんなことしちゃうし)。更に『一寸法師』の出来映えに嫌悪を覚えた乱歩は、このあとなんと失踪してしまう。これも正史の手紙がきっかけになったと考えるのは穿ち過ぎだろうか。 もう一つ、正史は、金田一耕助の造型に明らかに初期の明智を流用している。随筆では一切そのことに触れようとしなかった正史だが、『横溝正史読本』での小林信彦との対談で、「明智が変わったから、金田一をああいう男にできた」とハッキリ語っている。……常識的に考えたら、「金田一は明智のパクリですか?」とは分っててもとても聞けない。小林信彦、よくぞ聞いてくれたってなものだ。
正史が金田一を造型したのは、明智が変わってから20年を経過した戦後のことだから、その連関性は薄いようにも思える。 しかし、その「変わった」明智シリーズに、実は横溝正史をモデルにした人物が新たに登場していた、と言えば、驚く方もおられようか。と言っても、それなりに根拠はあるのだが、これもまた私の邪推ではあることを先にお断りしておきたい。でないと熱心な正史ファンの方の中には、ショックを受ける方もいらっしゃるかもしれないので。 それは明智の妻、文代夫人である。 ……あ、そこの人、コケたりしない(^_^;)。 女じゃん、と突っ込まれそうだが、この文代夫人、初登場からしばらくは、スパイ顔負けの女探偵として活躍していたのだが、小林少年が登場してからは体を悪くして療養生活に入ってしまうのである。 実は正史のデビューは乱歩より早い。しかし、横溝正史は若いころから結核を患っていて、乱歩が招聘するまで、兵庫で引退して薬局の主人をしていた。それを乱歩の旺盛な活動に触発されて、上京してきた。雑誌『新青年』の編集長もやった。作家活動も再開したにもかかわらず、再び喀血して、正史は岡山に隠棲してしまう。 そのあと、乱歩は衆道趣味の知人である岩田準一と、ソチラ方面の資料収集に深く関わっていく。しかし、もともと乱歩が「美少年に会いに行く」趣味を共通して持っていたのは、正史とであったのだ。しかし正史は乱歩から「捨てられた」。明智が、その伴侶を文代夫人から小林少年に移していったように。 これを正史はどう受け取ったか。 明智は乱歩だ。 文代は正史だ。 乱歩が呼んでくれたから、正史は作家になった。なのに乱歩は、もう自分のことは忘れているかもしれない。 戦後、正史の体調が回復し、明智を自分のものにしようと考えたのは、乱歩自身を取り戻したいとする、モトカレとしての代償行為ではなかったか。 ……長くなったので、続きはまた明日の日記で。
2001年06月18日(月) オンナノウラミ/『うる星やつら 努力、女の道!!』(高橋留美子)
| 2002年06月17日(月) |
范文雀はプロレスラー!?/『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを造った男たち』(武田康廣) |
仕事が立て込んで来ているので、チョイと気張ってバタバタと片付ける。 体調がいいときはこの程度の仕事、難なくこなせるのだ。 迎えの車の中で「オレってやればできるよな」と言ったら、しげが「つまり普段はやってないってことじゃん」と突っ込む。 やってないんじゃなくて、やりたくてもできないんだよ。仕事遅らせてる事実に変わりはないが。
しげが「今日はなんだかスシ気分」と言うので、回転すし屋を目指す。 もっとも、夫婦揃って金欠病なので、いつものボッタクリの「すし大臣」には行かない。一皿100円オンリーの「しーじゃっく」に向かう。3号バイパス沿いには適当な間隔を置いてメシ屋の類が結構あるので、食事には事欠かないのである。これで本屋さえあればなあ、というのが我々夫婦のいつもの述懐。マトモに本を買おうと思えばどうしても博多駅かキャナルか天神まで出ねばならぬのである。 細野不二彦の『ギャラリー・フェイク』の新刊も浦沢直樹の『アナザーモンスター』も未購入。週末は本屋回りしないとなあ。
「マリンポリス」と前は言ってた「しーじゃっく」。結構あちこちにあるチェーン店だけど本社はどこなんだろな。ネタはやはり「すし大臣」とは比べものにならないくらい「薄い」。厚さも味も。 けれどマズイと言うほどではないし、何より安いので庶民は本来こんなもんで充分なのである。「すし大臣」を行き付けの店にするなど、言語道断。と言っても所詮はどっちも回転寿司なんだけどさ。そう言えば普通の寿司屋もすっかりなくなっちゃったねえ。 ふと気づくと、しげが店内のソフトクリーム販売機をチラチラと物欲しげに見ている。 その態度で何を望んでいるかは一目瞭然だが、無視するのも何なので、一応「食べたいの?」と聞いてみる。しげ、コクンと頷いたあと「アレ、食べ放題かなあ」とつぶやいて指を舐めている。 「シズラー」じゃあるまいし、ソフトクリームだけバイキングってわけないじゃん、と思うが、しげがいつまで経っても販売機から目を離さないので、仕方なく従業員のねーちゃんに「あれ、おかわり自由なの?」と聞く。 ねーちゃん、「あの、1回だけなんですけど」と困ったように答える。ほーら見ろ、店のねーちゃん困らせちゃった。ある意味、私よりもしげの方がよっぽどクレーマーだ。 でも結局、一回こっきりのソフトクリームも注文。二人で1個を分ける。 味はまあ、普通のバニラでしたね。それで値段が210円というのはちょっと高いぞ。
唐沢俊一さんの裏モノ日記を読んでいたら、奥様のソルボンヌK子さんが、酔っ払って「ジュン・サンダー杉山清貴とオメガトライブ」とダジャレを飛ばしているのを読んで、大笑いする。 いやね、ギャグが面白いからってんじゃなくて、このギャグ、しげもしょっちゅう言ってるからなんだけどね。もっともしげは「ジュン・サンダー杉山」までしか言わないけど。 「おい、ちょっとこっち来てみな、ソルボンヌさん、オマエと同レベルのギャグ言ってるよ」 「なに? なんのこと?」 面倒臭そうにパソコンの画面を覗きこんだしげ、憮然とした顔をする。 「思いついてもフツーは言わないけどなあ。ソルボンヌさんも酔っ払ってるからこんなしょーもないこと言ってるんだよな。つまりシラフのお前とヨッパライのソルボンヌさんのギャグレベルがどっこいどっこいってなワケで……」 「オレ、ギャグなんか言ってないよ」 「……え?」 「だから、ジュン・サンダー杉山でいいじゃん」 「……マジか? お前」 「だって、どこで名前を切ったらいいかわかんないし」 「自分で勝手に名前くっつけてんだろうが!」 どうやらしげのアタマのなかでは范文雀とサンダー杉山は同一人物らしい。なんでや(-_-;)。
俳優、室田日出男が15日、肺がんのため死去。享年64。 まだ64だったのか。ここしばらくの老け込み方がひどくて、見た目は80歳くらいに見えていたのだが、やはり病気だったんだろうなあ。 室田さんについては「ワリを食ってる人」という印象が常にあった。 役者として演技力はあるし、幅の広い人だったとも思う。なのにその実力を生かす役に恵まれてはいなかった。ピラニア軍団の中では、川谷拓三はドラマで主役を張るほどに「出世」したが、本来、室田さんがそのあとに続くべきではなかったか。悪役・脇役に留まらない存在感が確実にあったからだ。 なのに、映画での使われ方は主役の「引き立て役」以上の役が与えられない。代表作のように言われている『仁義なき戦い』シリーズをまともに通して見たことがないので、何とも言えないが、ほかの『白昼の死角』『影武者』『マルサの女』と言った作品も、室田さんが何の役で出ていたのか、すぐには思い出せないのだ。 今、思い出せるのは『魔界転生』の宝蔵院胤舜。魔界衆の一人だと言うのに、何ら見せ場を作る所がなくやられていた。あんな役なら出す必要もないだろう、というくらいの軽い扱いである。 『悪霊島』などはもっとひどい。室田さんが演じた磯川警部は、原作では「磯川警部自身の事件」と言ってもいいくらい、重要な役割を担っている。なのに映画ではただの刑事役に格下げされて全く見せ場がなかった。 重要な役でも、室田さんが演じるとなると、役が小さくされてしまう。アクが強過ぎて監督たちに嫌われてるんじゃないか、と邪推したくなるくらいである。室田さん自身はそのことをどう考えていたのだろうか。
武田康廣『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを造った男たち』(ワニブックス・1470円)。 今でも覚えているのは、ガイナックスが『王立宇宙軍』を製作している最中に、宮崎駿が「アレは若い人たちがバンダイを騙して作ってるんです」とかなんとか『アニメージュ』にコメントを寄せていたことだ。宮崎さんはほかにも「まさかアニメーターでメカや爆発は描けても人間が描けないやつがいるとは思わなかった」とか、庵野秀明さんを想定して揶揄したりしている。 宮崎さんの韜晦癖を知っている人には、これが遠回しな援護射撃であることはわかるだろう。「DAICON」オープニングアニメなどで、その実力はオタクにこそ浸透していたものの、世間的には、全く無名の新人たちがいきなり8億の巨費を投じて長編アニメを作ったのである。ヒットする保証はどこにもない。しかし、成功しなければ、彼らに未来はない。 当時、『アニメージュ』は『王立宇宙軍』に破格のページを割いていた。人気アニメーターの新作や声優がらみならばともかく、このようなことは異例だったが、恐らくそこにも宮崎駿の「押し」があったのだろう。 『王立』は、当時のアニメファンに、なんとしても見ておかなければならない作品だと刷り込まれることになった。そして、『王立』で盛名を馳せたガイナックスは、その後も『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』というヒット作、超ヒット作を生み出して行くことになる。
著者の武田康廣氏は、ガイナックスの取締役で、ガイナックスの前身、ダイコンフィルムで『快傑のーてんき』を演じたその人でもある。 アニメ創世記ならばともかく、一介のアマチュアグループがプロダクションを作り、世界的にも最高レベルのアニメを連発することになるとは、まさに奇跡。その裏事情が読めるとなれば、矢も楯もたまらず飛びついてしまうのはアニメオタクならば当然だろう。 モノ造りに順風満帆ということはない。 人は常に離合集散を繰り返す。それはアマだろうとプロだろうと、モノ造りに集った者たちの運命なのである。今やガイナックスの顔となった庵野秀明、山賀博之、赤井孝美の各氏も、常にガイナックスの中心にいたわけではない。自ら恃む者たちが集まれば、イニシアチブを誰がとるかという命題から目を背けるわけには行かないのである。 結果、多くの人々がガイナックスから去った。追い出された人も大勢いる。元ガイナックス社長の岡田斗司夫さんもその一人だ。「何もしない社長を社長として頂くわけにはいかない」、武田氏の主張は確かに正論だが、正論なだけにそこにはかえって「逃げ」の姿勢が見られる。負い目のある人間は、攻撃的に出ることが往々にしてある。さりげなく自分のことはオブラートに包んだように書かれているが、武田氏も相当各方面から「何もしない」ことで憎まれていたのではないか。例の脱税事件において、同じく取締役の澤村武伺氏に「任せきり」で、「経営に対する無関心」を生んだことが事件の原因、と殊勝に聞こえるようなことを書いているが、反省しているようでいて、責任を澤村氏に押しつけた恰好になっている。こういう「優しげな逃げ腰」の文章は、読んでいてあまり気持ちのいいものではない。 しかし、誰が悪者か、なんてことを追及したところでそれはしかたがないことだ。確かに、どんなに丹念に読んでいっても、武田氏がガイナックスにおいてどれだけ重要なのかさっぱり分らない。要らないんじゃないか、このヒト、とも思う。おかげで、批評のしようがないのだが、そういう「何の仕事をしているのか分らないヒト」も組織には必要なのだ。人と人との緩衝地帯として。
それにしても、『おたくのビデオ』も脚本は岡田斗司夫さんになってるけど、実は山賀博之さんだったとはねえ。岡田さん、もしかしたら自分では一本も脚本書いてないのかも。
2001年06月17日(日) 父の日延期(^_^;)/映画『高校教師』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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