無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年05月22日(水) 風邪引き第一日目/『クレヨンしんちゃん映画大全』(品川四郎編)/『ビートのディシプリン SIDE1』(上遠野浩平)ほか

 朝からノドが痛くなる。
 寝冷えしたという記憶もないが、どうやら風邪を引き始めているようである。
 最近トシを取ったせいか糖尿がひどくなってるせいなのか、風邪を引くと発熱することが少なくなって、ただただダルイ、キツイ、頭痛に咳に鼻水に、という症状を呈することが多くなってるけど、もしかして私のカラダ、免疫不全になってるんじゃないか。
 栄養も睡眠も取ってるつもりではいるんだけど、風邪を引くときはどうしても引いてしまう。ゆっくり仕事を休むことができれば、なんとか三日くらいで回復するんだけれども、なかなかまとめて休めるときがないからなあ。
 もうしばらくはムリをしなけりゃならない感じだけれど、日記の更新をする元気までは出て来ない。
 これでまたズルズルとストックが溜まっていくんである。
 松本清張みたいに口述筆記してくれる秘書が欲しいなあ(ゼイタク)。
 
 しげと下らない会話。
 自分のことを「オレ」と呼び、化粧もせず、ファッションにも気を遣わない、スカートなんて殆ど履いたこともない、猥談もオヤジギャグも平気という、女的な要素をどこかドブにでも捨ててきてるんじゃないかと思えるようなワイルド・しげであるが、それでもたまに女っぽい態度を取ることもある。
 具体的には「照れる」という仕草をするのね。似合わないけど。
 「そう言えば、お前、まだ男の○○○○のことは○○○って言えんの?」
 「……言えないよ」
 「どうして? ○○○○とは言えるんだろ? ○○○○が言えて、どうして○○○が言えないんだよ?」
 「だって、下品なオバチャンが言ってそうじゃん、○○○って」
 「偏見だろ、それ。普通に使うよ、○○○なんて。じゃあ、○○○○なら言えるの?」
 「……」
 「○○○は?」
 「……ギリギリ」
 「○○は? ○○は? ○○○に○が付いたら?」
 「だから○○○○って言えるようになったのも最近なんだってば!」
 「じゃあ、女の○○○は言える?」
 「……いやん」
 ……似合わねーなあ、照れるしげ。
 でも、書いてて気づいたけれど、これ、夫婦間の会話でも充分セクハラ発言になるかもなあ。
 ということで、問題の単語は全て伏字にしたけれど、もしかしたらバレバレかも(^_^;)。それにしても猥談全然オッケーなくせに、どうしてたかが○○○って単語ひとつ口にできんのだろうな。 
 世の女性は、いったいどのように呼んでおられるのか、リサーチしてみたいものである。


 今日こそは『クレヨンしんちゃん大全』を手に入れようと、博多駅の紀伊國屋に行く。しげが「今日は仕事が早いからあまり遠出したくない」と言うのを、「早めに買わないと売りきれるかもしれないから」と説得して、車をすっ飛ばさせる。他の買い物ならば、しげも文句を垂れつづけるところだろうけれど、モノが「クレしん」なので比較的協力的である。やはり夫婦は趣味ができるだけ一致してた方がいい。
 本屋に着くなり早速、マンガコーナーや映画コーナーを探したが、一向に見当たらない。仕方なくナビで検索して、店員さんに在庫を探してもらう。
 どうやら発売が遅れて、まだ倉庫に置いたまま、店頭には並べられていなかったらしい。10分以上待たされて、ようやく現物をゲット。
 表紙には『戦国』の蓮姫や『オトナ帝国』のチャコ&ケン、『温泉』の丹波哲郎の設定資料があしらわれている。人気どころはやはりこのあたりのキャラかな。
 カバーをめくると腹勝徳さん作画の「くれしんガールズ」。こうして見ると、毎回の映画のゲストの女性キャラクター、魅力的で個性的なヒトが多かったよなあ。おう! 指宿と後生掛のムナモトに谷間が! 『ヘンダーランド』におけるまつざか先生の名ゼリフ、「胸あってこその谷間」を思い出してニヤける。でへへ(* ̄∇ ̄*)。
 裏表紙は湯浅政明さんの4コマだけれど、何が描いてあるのか意味不明(^_^;)。どうやらひまわりは実はぶりぶりざえもんが演じている、ということらしいのだが、それってどーゆー意味?(ー’`ー;) ウーン。
 ツイ立ち読みして、カラーグラビア『青空侍』の蓮姫の凛々しさ美しさに見入っていたので、気がついたらもうしげの出勤時間が迫っていた。
 しげ、「食事もして、一度ウチに帰って風呂に入ろうと思ってたのに」と文句を垂れるが、本人も演劇コーナーで本に見入っていたので、文句を言えた義理ではない。それでも機嫌をとって、しげが欲しがった成井豊の演劇本も一緒に買ってやる。
 時間がないので、しげの夕食は仕方なくマクドナルドでテイクアウト。
 そのまましげのバイト先のリンガーハットに直行して、私はそこで食事することにする。リンガーでは私はチャンポンは殆ど注文しない。もっぱら皿うどんと餃子だけなのだが、別に何か拘りがあるわけではない。単に汁物が胃にもたれるからである。
 で、食いながら早速『クレしん』に読み耽る。店員さんはヘンな客だと思ってるだろうなあ(しげの亭主だってことはわかってるのだろうけど)。


 品川四郎とブレインナビ編『クレヨンしんちゃん映画大全 野原しんのすけザ・ムービー全仕事』(双葉社・1785円)。
 全く、皿うどん食いながら何読んでるんだか(^_^;)。
 『戦国大合戦』、当初の仮題は『青空侍』だったそうな。いいタイトルだけれど、それじゃ「クレしん」映画と認識してもらえなくなっちゃうのは必至。さすがに却下されるよねえ。

 しかし、今やすっかりクレしん映画布教委員会別働隊第一番隊足軽を自認する私であるが、第1作『アクション仮面VSハイグレ魔王』を見るまでは殆ど注目なんかしてなかったのだ。
 ただ世間では「下品なギャグで眼も当てられない」だの「子供に悪影響を与える」だの、そこまで言うか的な悪評が横行していた。それがかえって、私に興味を抱かせた。つくづく私ゃヒネクレ者だなあとは思うが、映画がテレビ放送されたのを期に見てみる気になったのである。
 昔からそうだが、親とか世間が眉を顰める作品には傑作が多い。クレージーもドリフもコント55号もひょうきん族も、当時は悪評紛々たるものだった。いつだってアナーキーなモノは良識派の神経を逆撫でするけれども、PTAご推薦のお話ばかりで世の中が成り立ってたら、こんなにキュウクツで不自由なことはない。
 ともかく見ずに批評などはできないと、テレビの前に座ったのが今思い返せば運の尽き(^_^;)。引きこまれた、なんてもんじゃない、唸りましたよ、まずはそのアニメーション技術に、演出に、ドラマに。
 のっけからアクションシーンの連続、シリアスな展開、いったいこれのどこが『しんちゃん』なんだ!?
 「うおおおお! なんだこの大胆なアングルは!? すげえぞこのアクション! 作画枚数何枚使ってんだ!? うおっ! 五段マルチ! 映画じゃないかまるで!(その通りだよ)」
 いや、マジで叫んでたからね、私。
 その様子にやっぱり当時は全く『しんちゃん』に興味のなかったしげも、「なんで『しんちゃん』とか見よん!?」と驚きながら、気がついたら一緒に見入っている。
 それから毎年、映画シリーズのビデオ録画が習慣化する。
 しかも驚異的なことに、『ブリブリ王国』、『雲黒斎』と、映画のレベルがぐんぐん上がって行く。「映画の続編はレベルダウンする」というジンクスをいともあっさり破っていたのだ。
 テレビシリーズの方も、スタッフのマニアックなパロディが爆発する回も多いことを知ってちょくちょく追っかけるようになる。何がマニアックって、『鉄骨しんちゃん』の回などはニャンチュートロ星人の侵略という、「と学会」関連のヒトしかわからんパロディまでやってのけていたのである(録画しといてよかった)。これはもう、「子供ターゲットのアニメではない」と判断するしかない。
 そしてついに『ヘンダーランド』からは映画館に足を運ぶことを決意した。この『ヘンダーランド』が、また「クレしん映画」最高傑作だったものだから、もはや病膏肓、現在に至るという次第である。

 しかしこの『大全』を読んでも感じることだが、初期4作の監督である本郷みつる監督と、現在の原恵一監督では相当その資質に違いがあるのである。
 ファンタジー、SF志向の本郷監督に対して、日常描写にこだわる原監督。この水と油の二人が組んで傑作を作って来れたということがまずどれだけ素晴らしいことだったか。もしやこれは、日本映画史上、黒澤明と本多猪四郎のコンビに匹敵するほどのゴールデンコンビではなかったか。
 設定資料、絵コンテ、インタビューの数々に評論と、その一つ一つについて語りだしたらキリがないほどギッシリ中身の詰まったこの本だけれど、特に嬉しかったのは、縄田一男さんが『雲黒斎』、『戦国大合戦』を時代劇映画として黒澤、稲垣映画レベルと評価してくれていたことだ。
 権威に阿るのは好きではないが、私のような一介のドシロウトが「しんちゃん映画はいいぞ!」と叫んでも先入観持ってるヒトは一顧だにするものではない。やっぱりお偉いさんのヒトコトの世間に与える影響は大きいのである。「クレしんなんて」とバカにしている人間の方が少数派になる日を夢見よう。
 ネタバレしたくないから『戦国大合戦』の感想も全くこの日記にアップしてないけど、来年のテレビ放映のときには思いっきり書いてやろうかな。 


 『ドラゴンHG』vol4(富士見書房)
 『ダーティペア』が落ちた代原に、なんと吾妻ひでおの『スクラップ学園』が復活。……ミャアちゃん、丸くなったなあ。つーか、「余生」を過ごしてる雰囲気だね、なんとなく。
 往時の勢いがないのはあまり指摘したくないことだけれども、仕方がないことなんだろう。インタビュー記事で吾妻さんが「もう三蔵やナハハは描けない」と言ってるのも、読者としてはそうなんだろうなあと頷くしかない。
 もっとも、かつての「過激な不条理」が今の「まったりした不条理」(なんなんだ)に変化したことは吾妻さんがマンガを描き続けていくためには必要条件だつたのかも知れない。
 かつてのアズマニアとしては、そのまったりゆったりした味わいをゆっくり見守って行くのが正解なんだろうね。


 上遠野浩平『ビートのディシプリン SIDE1[Exile]』(メディアワークス/電撃文庫・645円)。
 『ブギーポップ』シリーズの番外シリーズ、という体裁なので、はっきり言って本編シリーズを読んでいないと全くキャラクターが掴めない、非常に不親切な本である(^_^;)。
 だいたい本編シリーズですら「統和機構」がどういう目的で存在しているのか未だに得体が知れないところがあるのに、その末端の合成人間を主人公にして、しかも本編の登場人物たちを全く何の説明もなく次々と登場させていくのだから、なにがなんだか解らなくなるのは当然だろう。私も「これどのキャラだったっけ?」と思い出しながら読まなきゃならなかったから、読了するのに時間がかかったこと。作者は相当意地が悪いぞ。
 飛鳥井仁、ペパーミントの魔術師こと軌川十助、フォルテッシモ、ダイアモンズのパール、イナズマこと高代亨、ホーリィ&ゴーストこと濱田聖子と結城玲治、リセットこと雨宮世津子……。入れ代わり立ち代わり登場する彼らと再び出会えることは嬉しいのだけれど、だったらどうして肝心要のブギーポップは登場しないのか? という疑問がどうしてもアタマをよぎる。
 語り手たる飛鳥井仁によれば、「試練(ディシプリン)」たるこの戦いに「死神」の出番はない、ということだけれど、その理屈が今一つ腑に落ちない。つまり主人公は「試練」を与えられてるだけだから、「世界の敵」は現われないってこと? それじゃただの予定調和の物語にしかならないんじゃないかってちょっと心配になるなあ。
 その試練を受ける主人公がビート・ビートという探索型の合成人間。まだ自分の能力を使いこなせないひ弱な存在だったりする。試練を与える方は、「最強」の合成人間フォルテッシモ。……この人物配置、なにかに似てるな、と思ったけど、『バイオレンスジャック』の逞馬竜とジャックの関係とそっくりなんだね。
 フォルテッシモがビートに語りかけた「おまえがこの過酷な運命から生き延びて“カーメン”に辿りつくことを、俺は願っているよ」というセリフは、ジャックが逞馬竜とドラゴンとをあえて戦わせた時の別れのセリフと全く同趣である。
ジャックは、「ある目的」のために、関東に生き残る価値のあるものたちに「試練」を与えていったわけだけれど、となると、フォルテッシモもビートに統和機構と渡りあうための何かの役割を持たせようとしてるってことなのかな?
 上遠野さんの作品、最近どうも「どこかで見たような」設定がちょくちょく目立つようになってきているのが気になるところだ。『ホーリィ&ゴースト』が『俺たちに明日はない』にインスパイアされてるのは明々白々だっただけにかえって気にはならなかったけれど、今回、浅倉朝子がアレになっちゃうのはさすがにギャグにしか見えんと思うがどうか(^_^;)。
 面白いと言えば面白いんだけれど、ちょっと書き飛ばしすぎてるんじゃないかなあ。

2001年05月22日(火) 我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』


2002年05月21日(火) ハコの中の失楽/『KATSU!』3巻(あだち充)/『アリソン』(時雨沢恵一)ほか

 なんだか更新遅れが常習化しておりますが、HPの立ち上げを含めて、まだまだ諦めてはおりません。あまり間をトバしてると、ナカミ忘れてしまいますので、遅れ気味ではありますが、順繰りに書いて行きますので。


 平日だけれども、今日はしげの仕事は休み。
 どの店も全て同じ態勢なのかどうかは知らないが、しげの働いてるリンガーハットは、休みの希望は出せるのだけれども、シフトを組むのは店長さんに一任されているらしい。だから、実際に休みがいつになるかは直前にならないと分らないことも多いのである。
 一応、昨日から今日は休みだと言われていたので、滅多にない機会だから買い物につきあうことにする。仕事のある日だと、一日のうち顔を合わせられる時間が2時間もなかったりするので、「今日は疲れてるからやめようよう」なんて言ったりできる雰囲気ではない。
 しげは新しいストラップがほしいと言う。
 ストラップなんかなんでもいいじゃないかと思うんだけれど、しげにはしげなりの拘りがあるらしい。
 「博多駅に行くよ」
 「ああ、ダイソー?」
 「そんな100円グッズじゃなくて、キャラものとかそんなのがほしいの」
 「それなら天神で買った方がよくないか?」
 「天神でもいいけど、どこ探せばいいかわからん」
 「イムズあたりならファンシーグッズの店とかあるだろ。スヌーピーの店とか」
 「スヌーピーしかないやん」
 「そんときゃ他の店に廻りゃいいじゃん。ベスト電器もあるし」
 私の目算としては、ついでにDVDを買いたかったので、ベスト電器に寄りたかったのである。うまいことしげを舌先三寸でだまくらかして、天神行きが決定。
 車は比恵の駐車場に置いて、地下鉄に乗る。
 でもやっぱり、ものごとってのはそうトントン拍子にウマイ具合に行くわけではない。
 肝心のイムズが、あいにくの定休日。
 しげ、「オレが来る時いっつも休みだ」と腹を立てる。
 自分はイムズに嫌われてる、と言いたいらしい。
 この「世間の全てが自分のことを嫌っている」というのは、しげがヤツアタリする時の常套句なんだけれども、次の段階で矛先が私の方に向かってくることは予測がつくので、さっさと別の店にしげの注意を向けさせねばならない。
 福家書店にはストラップは置いてない(当たり前か)。
 ベスト電器を回って、もしもしげの気に入るものが無ければ、アニメイトあたりまで足を伸ばすしかないかな、と思いつつ、地上に出る。
 幸い、ベストの一階で、なんとかしげのメガネに適ったブツが見つかる。
 首から下げらけて、しかもヒモの長さが調節できて、更に本体とアタッチメントで切り離しができるようなのがほしかったようだ。……って、ファンシーグッズである必要ないじゃん。
 当初の目的は果たしたので、LIMBでDVD『パワーパフガールズ/バブルス缶』と『コメットさん☆BOX2』ほかを購入。ここんとこボックスが立て続けに出るので、他にもほしいものが目白押しなのだが控えることにする。
 でもこういう時に限ってヤッカイなものをしげが見つけてくれるんだわ(^_^;)。
 『モンティ・パイソン/プライベート・ポリスマン』のライブDVDボックスが、店頭売りであと残部三箱と広告。これまでのDVDも全て買ってる以上、これだけ買い逃すわけにはいかない。しげももちろん欲しがるんだけれど、さすがにこんなン万円するモノを更にもう一つ買ってる余裕はない。
 「来月売れ残ってたら買おう」としげを説得してとりあえず諦めさせる。
 これで来月までに売りきれてたら、しげの怒りの鉄拳が私の顔面に降り注ぐことは必至なので、この文章読んでる人でLIMBの近くに住んでる人、くれぐれもボックスを買い占めるような意地悪なマネはしないよーに。
 お願いですから(T∇T)。

 地下鉄で比恵まで戻って、「五風」で夕食。
 ここもすっかりしげのお気に入りである。居酒屋の類に入ることを「飯場の酒臭いおっちゃんがいるからイヤ」とか言って嫌うくせに(昭和30年代かい)、ちょっと小洒落たレストラン風な店になってたら平気で入れるというのは、なんだか気取ってるみたいでそっちのほうがイヤらしいと思うがどうか。
 焼肉も刺身も天麩羅も、庶民の料理は全部頼めるのだから、食い意地の張ったしげには基本的に屋台とか居酒屋が一番似合ってるんだがな。
 いや、私もそうだけど(^_^;)。
 博多の屋台が名物みたいになって、結構ボルようになってから、自然、私の足も屋台から遠のいちゃったのだけれど、基本的に私の感覚での外食ってのは、子供のころから屋台に居酒屋、定食屋なんである。昭和40年代、レストランはデパートにしかなかったしなあ。
 寿司でも焼きトリでも、目の前で板前さんや職人さんが注文を受けて料理を作ってくれるのがいいのだ。ところがしげは私と真逆で、その「顔突き合わす」のがイヤで居酒屋に行きたがらない。そりゃ、私だって子供のころは人見知りしていて、板前さんと話なんかできなかった。けれど両親が板前さんと喋ってる雰囲気は嫌いじゃなかった。
 しげの場合、「だぁーってぇ、お店の人に見られて食べたくないしぃー、話しかけられてもウザいしィー」なんてクソナマイキなこと抜かすコムスメと違って、単純な対人恐怖なんだろうけれど、それにしてもそこまで毛嫌いせんでもいいんじゃないかと言いたくなる。
 暗い照明の下、ボックスの中で周囲を気にせずに食べられる環境の方が好みって……威張って主張できることじゃないと思うんだけど、そういう感覚の方がイケてないんだろうな。
 やはり育った環境が違うのかなあ、とちょっと淋しく思いながらサザエの壷焼きをつつくのであった。美味しいけれど、これも呼子の磯で出店のオバチャンに焼いてもらって食った時ほどに美味くはない。

 帰り、『快傑ズバット大全』と『クレヨンしんちゃん映画大全』を買い忘れていたことを思い出したので、積文館に寄るも見つからず。
 手ぶらで帰るのもなんなので、隣りのセガに寄る。
 UFOキャッチャーで100円イッパツ、「どこでもいっしょ」の「ドリンクサーバー」というのを当てる。
 当てたはいいが、この「ドリンクサーバー」というのが何をどうするものだかよく解らない(^_^;)。しげにも「トロは好きだけどどうするの、これ」と悪態を吐かれる。
 どうも電池で飲みモノを移すか混ぜるかするものらしいのだが、説明書が付いてない。誰か使用方法わかる人、教えてくれませんか……(T∇T)。


 DVD『サイボーグ009/バトルアライブ2』。
 オープニングが先日放映されたばかりの新作に差し換えられている以外には、たいしたリテイクは無し。まあ、0010とのくだりは作画がよかったから、その必要もないんだけれども。
 でもこれから先、あの第1話を流用したオープニングは「なかったもの」になるわけだね。エンディングはシルエットパターンのままだけど、これは2クール分これで通すのかな。
 けれどあとでいろいろリテイクするくらいなら、あと半年、放映時期を遅らせればよかったのに、と思っちゃうところだけれど、遅らせたら遅らせたで、結局、間に合わない回が出てくるんだよな、きっと。


 マンガ、あだち充『KATSU!』3巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 ヒーローとヒロインの間に割りこんできそうな女の子の登場のせいで、人物設定もストーリー展開も『タッチ』のような『H2』のような、って印象がますます強くなってきたなあ。実際、野球がボクシングに変わったただけだし。
 けど、その「いつも同じ」に見える中の、微妙な差異を楽しむのがあだち充マンガの醍醐味だから(ホントかよ)、水戸黄門やゴジラや戦隊シリーズを楽しむのと同じってことなんだろうね。
 その「ほんのちょっとの差異」ってのが、本作では「ヒロインもボクシングが強い」ってことなんだけど、これが結局ヒーローに追従するような展開になっちゃつまんなくなるよなあ。でも軽いラブコメに見えてるけど、あだちマンガって、実は相当リアルなんで、「結局、女はボクサーになれない」って結末になりそうなんだよな。つーか、リアルでないあだちマンガは『虹色とうがらし』も『いつも美空』もなぜかウケない。予定調和が好きなんだろうなあ、あだちファンってのは。
 けど、そういうあだちマンガはもう腐るほど読んできているんである。
 「やっぱり女は男に勝てないのかな」なんて陳腐なセリフが出て来ないことを期待したいな。


 時雨沢恵一『アリソン』(メディアワークス/電撃文庫・640円)。
 『キノの旅』シリーズの作者の初の長編。
 寓話的な短編しか読んだことがなかったから、長編を書ける力量があるかどうかがこの作品で問われた形になってるけど、及第点ってとこじゃないかな。
 これも基本設定は『キノの旅』と同じく、構築された架空世界の設定は多分に「寓話」的である。
 一つの大陸、川で分けられた二つの国、いつ、なぜ始まったかも分らない、長い長い戦争。
 とりあえず「今」、二つの国は「休戦」状態にある。
 この設定にアメリカとソ連の「冷戦」を連想しても構わないけれど、別にそれと限定する必要もない。そういうものをひっくるめた「二つの国」の対立の図式を表してると考えて読んでおけば充分だろう。
 二つの国、東のロクシェと西のスー・ベー・イル。
 お互いの国は、部分的にではあるけれども、交流を持とうという動きがないわけではない。けれど、それを快く思わない人々もいて、決して全てが平和に向かっているわけでもない。
 ヴィルとアリソンは東の国、ロクシェの軍人である。
 と言っても年はまだ17。
 ある時、二人はホラ吹きで有名な老人から、「戦争を終わらせることができる宝」の話を聞く。
 そんな与太話、とまるで本気にしなかった二人だったけれど、この老人が西のスパイらしき怪しい男たちに誘拐されたことを知って、老人の話に小さいが確かな真実を感じはじめる。二人は西に潜入して老人を救出することを決意して、複葉機に乗りこみ、西を目指すが……。

 アリソンというヒロインの造型はさほど目新しいものではない。
 冒険心に富む、と言えば聞こえはいいが、要するに昔ながらの「お転婆」である。ナウシカにジムシーを混ぜた感じか(エライ譬えやな)。
 けれど、確かに猪突猛進的な行動を取って相棒のヴィルを振りまわしてはいるけれど、必ずしも向こう見ずな行動ばかり取っているわけではなく、飛行機乗りとしては実に優秀、という設定も付け加えられている。
 それを単にコトバで説明するだけでなく、空中戦の描写を通して描いているところに説得力がある。
 小説でこれだけ空中戦の描写に躍動感を持たすことができていれば、充分作家としての力量があると判断して差し支えないと思う。

 結末というか、「宝」の正体が本当に「戦争を終わらせることができるもの」であったかどうか、厳密に考えると疑問に思えなくもないが、これもまた一つの「寓話」なので、「理想的に過ぎる」と批判するのはやや的外れであろう。
 戦争の原因なんて、実はたいていがつまらぬ誤解と行き違いに過ぎないという意味を読み取ることができれば、この結末で充分なのではないだろうか。
 現実の戦争の当事者たちはその「誤解」すら認めようとはしない。
 だから戦争が尽きることはない。それが現実だ。
 けれど、「寓話」に現実を求めることは野暮というものだろう。
 『キノの旅』の短編の中にはハッピーエンドのものもあればそうでないもの、どっちだか分らないものといろいろ取り揃えてあったが、初の長編のラストにハッピーエンドと言えるものを用意したことは悪くない判断だったと思う。
 オチについては書かないけれど、「こううまくは行かないよな」と思いつつも「もしかしたらこんなふうにいつかは平和に」という希望が感じられる程度の説得力はある。
 決して全てが順風満帆に行くわけではない。
 やはり、「平和」には血も伴うのだ、という冷徹な事実だけは押さえているから。

2001年05月21日(月) アニメな『ヒカ碁』/『臨機応答・変問自在』(森博嗣)ほか


2002年05月20日(月) もっとギャグを!/『蛇神さまといっしょ』2巻(桑田乃梨子)ほか

 『少年マガジン』のグラビア担当の編集者二人が大麻不法所持で捕まったんだと。ああ、マガジンに赤塚不二夫が健在だったら、もう、鬼の首でも取ったかのようにマンガの中にその編集者を登場させて、「大麻ギャグ」を一本上げただろうになあ。
 そういうギャグは不謹慎だと眉を顰める方もいらっしゃるだろうが、それができるってことも講談社に自浄作用があるってことだから、ここはあえて誰かに描かせるという裁量があったっていいんだけど、まあそんなことする余裕はないのだろうね。作家の方もカイシャをからかって首切られたりされちゃかなわんと保身をまず第一に考えるだろうし。
 そのことを考えると、かつての赤塚不二夫がいかに破天荒な存在だったかってことがわかろうってものなんである。
 『天才バカボン』、読んでた当初はあまり気がつかなかったけど、随分カイシャ自体から叩かれてたんだろうなあ。それでも連載が続いてたってのは、やはりどんなに叩かれても、赤塚不二夫が赤塚不二夫としてのステイタスを確立していたから、切るに切れなかったってことなんだろう。
 権威に対抗するにはマンガ家の方も何がしかの権威になるしかない。
 どんなに過激なギャグを飛ばそうと、本人が新人だったり、ウダツが上がらなかったりすると、権威の逆鱗に触れた途端に、切られるし干されてしまう。社会はやっぱり一律の見方しかしたがらないから、「ギャグ」だの「SF」だのといった、既成の概念を破壊するものは基本的に認めたくないのだ。
 結果的に、今はギャグマンガ家にも権威に対抗できるだけの「大家」がいなくなってしまっている。それが現在の「ギャグ不毛の時代」につながってるってことなのだろうが、それって結局、漫画業界の人たちが自分で自分の首を締める結果になっちゃうよ。それでいいのか?


 山本弘さんのHP「SF秘密基地」の『空想科学読本』関係・特別会議室で、あるトンデモさんについに怒りを発した山本さん、サイトへの出入り禁止を宣言した。
 このトンデモさん、BBSを読む限り、本当に日本語の文脈が読めない人で、ほかの方々の指摘を全く理解できていない。
 話題になっているのは、映画『2001年宇宙の旅』での「磁力靴」の表記が誤訳であり、そのことに『空想科学読本』の柳田理科雄さんが気付かないでいる、という山本さんの指摘についてなんだけれど、この方、「磁力靴は作ることが可能なのではないか?」と、的外れなレスを再三付けてきていたのだ。
 ……いやね、磁力靴を作ることが可能だろうが、そんなことを問題にしたって、山本さんへの批判にはならないんですけど……と、山本さん以外の方々も、みなさん揃ってその方に説明するのだが、「私は磁力靴が作れることを問題にしたいだけなんだ!」と聞く耳持たない。
 これだけでも充分トンデモさんなのだが、この方、『こんなにヘンだよ『空想科学読本』』の元ネタ本である柳田理科雄の『空想科学読本』も読んでおらず、それどころか論議の対象になっている『2001年宇宙の旅』すら見ていないのだ。御本人の弁によれば「引用文読むだけで充分」ということらしいけれど、もう根本的に「批評」の原則を知らないとしか言いようがない。
 「メールも送るな」「自分の本も読むな」という山本さんのコトバはいささかキツイように思えるかもしれないが、そりゃ、トンデモさんに関わったことがない人の感想であろう。相手の理解能力が著しく低い場合には、これくらいキツイコトバを使わなければこちらの意図は通じないのである(つーか、通じなかろうと、「絶縁」を宣言するならこれくらいのコトバを使用せざるを得ない)。
 もっとも、以前も書いたが、必然的にトンデモさんが寄ってくるようなサイトを開いたこと自体、これは山本さんが覚悟しておかなければならない事態であったとは思うのだ。世の中、話し合えばなんとかなる人間ばかりで構成されてはいない。作家のみなさんって、ご自身のネームバリューを過小評価しているところがあるから、トンデモさんまでウヨウヨ寄ってくるとは思ってないんだろうなあ。
 さて、第二、第三のトンデモさん、「秘密基地」に既に現れつつあるような気配もあり、山本さんが疲れ果ててサイトを閉じるようなことがないよう、祈るばかりである。


 仕事帰りに買い物。
 私はもうカネがないので、しげに全部任したら、コンニャクばかり買ってくる。しかも形だけは丸いのや薄いのや塊になってるやつとかバラエティ。でも所詮はコンニャク。
 「なんでコンニャクばっか買うんだよ」
 「好きだから」
 ……と言いつつ、買ってきたのにまるで食べようとしないのはどうしてだ。
 ダイエットするつもりで買ったけど、やっぱり肉食ったほうがいいと思いなおしたものなのか。謎だ。


 アニメ『名探偵コナン』、久しぶりに見てたら、例の外人の先生のお話。
 平次が英語を喋れないフリしたり、先生が日本語下手なフリしたりってのをお互いに見破るってくだりがあるけど、声優の演技がヘタなので、どちらもトリックとして成立していない(^_^;)。
 外人の先生が下手な日本語使ってるって言っても、日本人声優がワザトラしいカタコト英語使ってるだけじゃん。しかもそれを見破られた途端、いきなりスラスラと日本語喋り出すんだけど、母国語が英語圏の人間なら、どんなに流暢に喋れるといっても、必ずナマリは残るって。こういう場合は、声優にホントの外人ほ使うんでなきゃウソである。それができないんだったら、トリックそのものを変更するくらいはしてほしいもんだね。
 人気が続いてるからと言って、視聴者をナメて来てないか、アニメのスタッフ。


 池田香代子再話、C・ダグラス・ラミス対訳『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス・880円)。
 今頃こんな本読んじゃってスミマセン(^_^;)。
 もちろん読み物として楽しむつもりは全くなくて、フォークロアがこのような形を持った経過に興味があったのである。
 提示されている数値に相当誤謬があるのではないか、という批判が結構あったようだが(伝達過程で起きたものもあったろうが、一応、出版に際して訂正できるものは訂正したとか)、フォークロアに正確さを求めても余り意味はないだろう。
 ただでさえ、ヒトは自分の望む解答をこそ真実と思いたがる。とりわけ、こういう統計上の「数値」というもの提示されると、いかにもそれが冷静かつ客観的な「事実」を表している、と思いこみがちだ。しかしそれはやはり大いなる錯覚であると明言せねばなるまい。
 「え? そんなこと言われたって、実際、世界中の男女の比率はこの通りなんじゃないの?」と反論される方はおられよう。……いえね、私は別にこの数値が間違ってると言いたいわけではないし、実際、殆ど正しくはあるんだろうと思いますよ。
 けどね、その数値を受け取る側には必ず「主観」があるってことも「事実」なんで、そのことを忘れちゃいけないって言いたいわけ。特にこの数値は、まるで「伝言ゲーム」のように、殆ど検索されないままに主観から主観へと伝えられていったものだってこと、そのことは充分注意しなきゃならない。

 この数値には、確実に伝達者たちの「願望」が込められている。
 例えば、本書の解説によれば(実際、本文よりこの解説の方が圧倒的に面白い)、「同性愛者の数の比較」なんてのは、元々の文章にはなく、伝達の過程で加えられていったものだという。そこには「世界にはこんなに多くの同性愛者がいるのですよ、そういう人たちに対して偏見を持たないで」という「伝達していく過程での誰か」の願いが透けて見える。つまり、「数の多さ=存在意義」という「意味」をデータの受け取り手に喚起させる作用が働いているんである。
 他にも、クリスチャンが案外少ないことや無神論者が結構多いことなど、数値化されて初めて認識させられた読者も多いのではないか。
 けれど再三繰り返すように、たとえその数値が事実であったとしても、そこから読み取られる「意味」には、本来受け取り手の主観に従って相当な振幅があってしかるべきなのに、実際には伝達者たちの「願望」によって、ある程度の「シバリ」が掛けられていることに注意しなければならないということなのである。
 多分、気がついている人は多いと思うが、これは「集団の総意」に基づく「マインドコントロール=洗脳」であるのだ。

 怖いことに、この「洗脳」には宗教における教祖のような「実態」が存在しない。
 ウワサやフォークロアの怖さは、伝達の過程で様々な情報が付与されて行くために、その根源的な責任を特定の誰かに求めることができない点にあるのだ。この本は決して「悪意」で作られたものではないけれども、あまりこの「数値」に躍らされない方が賢明ではないかと思う。
 ちょっと考えて頂ければ頷けると思うが、意図的に数値に「ウソ」を交えれば、「意味」も簡単に変容してしまうのだ。


 吉田浩『日本村100人の仲間たち 統計データで読み解く日本のホントの姿』(日本文芸社・893円)。
 というわけでもう一冊、明らかな便乗本も読んでみました(^o^)。
 フォークロアでない分、「洗脳度」はこちらの本の方がより高い。小泉人気のまっただ中の時期に書かれただけあって、既にデータ自体が古くなってるから、実際に洗脳される人は少なくなってるだろうけれど。
 2冊読んで結論が出せるのは「数値なんて流動的なもので、それに引きずられてこれが絶対、なんて思い込むのは危険」という当たり前過ぎることなのでありました。


 マンガ、桑田乃梨子『蛇神さまといっしょ』2巻(完結/白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。
 うーん、また二巻で終わっちゃったか。すごく好きなマンガ家さんなのに。
 相変わらず桑田さんのマンガは「乗り越えることのできない恋」がテーマで、あまり長いこと続けると悲惨になるばかりだから、適当なところでオチつけるしかないってのはわかるんだけど、それにしても短い。もう少し間にいろんな事件を起こして長く読ませてくれないものかなあ。
 「神様(蛇だけど)と人間の恋」なんて、話を膨らまそうと思えばいくらでも膨らませられそうなもんだけどね。
 同時収録の『そういうことだから』は未完の連載。やっぱり、話を膨らませるのはヘタなのかな(^_^;)。

2001年05月20日(日) 念の入った話/DVD『NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生�機戮曚�


2002年05月19日(日) 今日は一日寝て本・ビデオ……っていつもや/『Sink』1巻(いがらしみきお)ほか

 朝寝して、午前中のアニメは殆ど見ず。
 ゆっくり休まないとカラダが持たなくなってるので、寝るときはとことん寝る。
 寝ていても腹は減るが、食事を作る元気がない。
 近所の「めしや丼」でミックス定食を食べる。ミックスって何がミックスかって言ったら、トンカツとすき焼きなわけだね。
 いつものように肉をしげに分けてやったが、そのあとしげが「腹がイタイ」と唸り出す。
 いつも注意しているのだが、一気にかっ込みすぎているのである。そんなに慌てて食わなくても、誰もお前のメシを奪い取ったりはせんわい。……といっても納得しないのは、よっぽど昔、ど貧乏な生活してたんだろうなあ。
 やっぱり「一文無しの貧乏は罪」ってのは正しいかもね。


 『笑点』を見ていたら、柳家小さん追悼ということで、平成8年正月の映像が流れていた。
 既に6年が経っているわけだが、それでもこのとき小さん師匠は八十過ぎ。年のわりにはふっくらとして若々しいと言えなくもないが、やはり落語は聞くに堪えない。
 しかし、聞いていてツライとは言っても、芸がヘタなのかというとそれも簡単には言いきれないのが難しいところである。というのも、間の取り方は年季が入っているから、実にうまいんだよね。八十過ぎであれだけテンポよく話せるってのは立派なものだ。けれど、声はくぐもってるし役の演じ分けはできてないしで、噺のナカミ自体が聞いていて全く掴めない。
 これが不思議なことで、会場のお客さんは実によく笑っているのである。会場の方があまり聞き取れないだろうと思うのにそれだけ笑ってるってことは、やっぱり生の迫力ってものがあるのかも知れない。
 やっぱり「間」が悪いとどんなギャグも笑ってもらえないものなあ。ウチの劇団の連中、落語もあまり見ないけれど、やはり今のうちに談志の高座くらいは見ておいた方が(見れねーって)。


 アニメ『サイボーグ009』第30話「未来都市(コンピュートピア)」。
 まあ「HAL」モノですな。
 原作発表時にも「イマドキやるかい、こんなネタ」とは思ってたけど、009のSF性を強調するためにはこの辺でこういうエピソード挟んでおかないとって判断なんだろうね。
 004が語る、「自分のからだに組み込まれた機械が思い通りに働いている時には、ついそれが機械であることを忘れて、感情移入してしまう。所詮は機械のはずなのに」というセリフ、『009』シリーズのいいセリフは殆ど初期作品に集中しているように思われがちだが、これは後期シリーズの中でも特に本作の根幹のテーマに関わる問題のセリフだ。これをやっとかなきゃ、確かに『009』は「カッコいいサイボーグもの」ってことにしかならないものね。
 けれど、この手のセリフって、実はほぼ004に集中しているんである。
 ある意味、機械のからだになってしまったことについて余り葛藤を覚えていないようにすら見える(現実ならそんなことはありえまいが)ほかのキャラたちの悲しみを、彼が一手に引きうけているのだ(張々湖が悩む姿って余り見ないし)。
 それを考えると、全身武器という最も人間離れした改造を施され、そのせいなのか、最も「機械」的で冷静かつニヒルに見える004が、一番人間としての心の弱さを持っていると理解することもできる。
 後半の「機械に恋愛感情が生まれるか?」って話より、004のこのセリフをじっくり聞かせたかったんじゃないかなあ、スタッフの方がたは。
 もう一つ、この話は原作者の石ノ森章太郎自身がコンピュートピアのエッカーマン博士として登場しているので(輪郭が全部白ヒゲだけど)、それもエピソードに選ばれた理由かもしれない。
 ……けど、今回の作画監督の本橋秀之さん、『ヒカ碁』と平行で大変なのはわかるけど、後半Bパートの作画修正はちょっと手を抜いたんじゃないか。Aパート後半の009が襲われるあたりの絵が安定していただけに、後半の弱さが目立っちゃうぞ。


 ビデオ録画していたシティボーイズのライブ『鍵のないトイレ』を見返す。
 このWOWOW初放映版の時には、それ以前の「ラジカルガジベリビンバシステム」の舞台のクリップ集もオマケについていたのだった。
 ……このころの大竹さん、動いてたよなあ。髪も全然真っ黒だし。
 スケッチとしてはこのころの方が今よりも随分シュールではあったのだ。それでも客が引かずに笑ってたってのがシティボーイズの凄さなんだよねえ。その凄さってのが、あの三人の一人一人が表現している「狂気」がそれぞれのベクトルを持ってアンサンブルを奏でていることにあると思ってんだけど、そのへんの分析はそのうち「シティボーイズ論」みたいな形で書いてみたいな。……ンな時間ないって(-_-;)。


 マンガ、えんどコイチ原作・小西紀行漫画『リトル 〜神様修業中〜』(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 奥付を見ると、出版は去年の四月(実際は三月か)。買ったのはそのころだと思うんだが、今までずっと積読だった……とゆーか、部屋ん中のどこに行ってたかわからんかった(^_^;)。そんなこんなでまだ読んでない本、溜まってるなあ。全く日記つけてるヒマなんてホントはないんじゃないか(でも書く)。
 それはさておき。
 今回、えんどさんは原作のみで、マンガは別の人が描いてるわけだけれど、絵がえんどさんよりはるかにウマイのにもかかわらず(えんどさんゴメン)、読んだ印象はえんどさん本人が描いたのと殆ど変わらない。絵柄が違っていても、ストーリーラインがまさしくえんどさんだなって思えるからだろう。
 話は『死神くん』の天使版。……って、コンセプトちょっと間違えてないか。
 『死神くん』は、人の命を奪うはずの死神が人の命を助けることもあるという逆説的な設定が面白かったわけで、それを天使にしちゃ、なんの変哲もない。天子が人を助けるのはフツーじゃん。
 神様も実は人助けの修業中、としたのが工夫のつもりなんだろうけれど、私みたいなトシヨリになっちゃうと、「それって石森章太郎の『二級天使』じゃん」と言いたくなっちゃうんだよね。もともとえんどさんの人情マンガって、オー・ヘンリーかドーデみたいな「どこかで聞いたような」話が多いんで、新味を出すのがむずかしいんである。「『週刊ストーリーランド』じゃないぞ」って感じか?
 月刊ジャンプの連載だけど、1巻分の連載で打ち切りってことは人気がなかったんだろうなあ。このあとえんどさんはまた似たようなコンセプトで、自筆で『エンド・ゾーン』を描くことになる。やっぱ、絵の描ける人は誰かに描いてもらうより自分で描くべきだろうねえ。 
 

 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』5巻(講談社/KCM・440円)。
 時々ミステリ関係の掲示板やホームページ見て回ってるんだけど、子供ならともかく、いいトシしたオトナのミステリファンがこのマンガ誉めてたりしてるんだねえ。「独創的なトリック」とかなんとか。……どこがや。
 なんだか今回も「ミステリマンガ」って言うより、昔の学習雑誌のフロクについてたような「推理クイズ」って感じの話が多いんだけど(-_-;)。
 だからいくら「QクラスとAクラスの争いが」とか言われたって、「どっちもレベル低いじゃん」という印象しか持てないんだけどね。
 でも、これはもう「小学生向け」と割りきってるので、文句をつけるつもりはない。ともかく、キュウの恩人ってのが金田一はじめではありませんように、と祈るばかりだ。


 マンガ、いがらしみきお『Sink』1巻(竹書房/バンブーコミックス・980円)。
 いがらしみきおがweb上で連載しているマンガの単行本化。このマンガの作者名を隠して、人に「このマンガ、誰が描いたかわかる?」って聞いても、当てることができる人、皆無に近いんじゃないか。それくらいいがらしさん、絵柄を変えて「シリアスなホラー」に挑戦しているのだ。
 え? あの『ぼのぼの』のいがらしさんが? とか、ちょっと古いファンなら『ネ暗トピア』のいがらしさんが? とか意外に思うだろう。
 けれどこれが面白い。
 概して、ギャグの傑作を描く人にシリアスを描かせると、素晴らしい作品をモノにする人が多いけれど(山上たつひこの『光る風』とか、とり・みきの『山の音』とかね)、本作もまだ1巻のみだけれど、掛け値なしの傑作になりそうな気配。
 「sink」という単語は「沈む」とか「衰える」という意味の動詞だそうな。名詞だと「台所の洗面台」という意味になるそうだけれど、第1話の第1コマ、まさしくその洗面台の排水溝に水が流れ込んでいくシーンから始まる。
 ごく平凡な山下家の日常に少しずつ変化が現れ出したのは、息子の駿がガールフレンドの弓をストーカーの三浦から守ろうとして刺されてしまったことがきっかけだったのか、それとも父親が未成年者連続殺人事件の現場に偶然出くわした時に、異様に首の長い女を見かけたことが原因なのか。
 その後も山下家の周りでは微妙に異様なことが起こり続ける。
 両手が異様に長い男、井本。
 電柱にぶら下がった自転車。
 誰かが家の中に入りこんでいる気配。
 大学の校舎の塀にめり込んでいる無数のタイヤ。
 そして少しずつ「変化」していく息子の駿。
 繰り返されるデジャ・ビュ。
 友人の林教授は「バランスが崩れ始めているんだよ」と語るが、彼とて何かを知っているわけではない。これらの「異状」は何かの予兆なのか、それとも「啓示」なのか。いずれにせよ、このマンガを読んでいるうちに、読者の我々の心は我々の体から離れ、このアンバランスゾーンに紛れこんでいくことになるのだ。
 ……そう、なんだかこれ、いがらし版『ウルトラQ』になりそうな気配なんだね。どういう展開を見せるのかまだまだ先の予測はできないけれど、出だしだけでこれだけ興味を引かされると、どうしても期待が膨らんでしまう。
 これ、完結したら誰かが映画にしそうだけど、中田秀夫に撮らせたらいいものになりゃしないかな。キャストは余りスター的な人を選ばないで、地味でも演技力のある人を配役してほしいね。主役の山下は内藤剛志あたりがイメージかなあ。林教授役には、ぜひとも谷啓をプッシュ(^o^)。

2001年05月19日(土) 地上の星々/『狼には気をつけて』2巻(遠藤淑子)


2002年05月18日(土) 世界の中心で馬鹿と叫んだ女/『彼氏彼女の事情』13巻(津田雅美)ほか

 更新が遅れてるの、ずっと風邪引いてたせいですねん。
 頭痛と咳と喉イガと鼻水と下痢と戦いながら、更新……って、パソコンも基本は体力なんですねえ。
 ……はふー。

 ここんとこ、またウィルスメールが届くようになっている。
 添付ファイルを開きさえしなけりゃ感染することはないので、片っ端から削除してるんだけど、ほかのサイトを覗いてみると、どうやら、またハヤリのようにあちこちに送られているらしい。
 相当、広範囲に渡ってるみたいだから、犯人は一人ってことじゃないみたいだね。ってーと、これも同時多発テロみたいなもんなのか? 季節の変わり目の風物詩って考えるには、ちとタチが悪い。
 しかしウィルスが問題になるたびにいつも思うことなんだけれど、実行者はいったい、どういう心理でこういう行為に走ってるんだろうかってことだ。
 単に人が困る様子を見て喜んでるだけなのかなあとも思うけれど、やっぱりココロに何か傷をお持ちの方々かもとも思う。
 私の書く文章に何か不満があって、文句つけたいのなら、堂々とウチの掲示板に書きこんで頂いて構わないんだけどなあ。そのためにウチんとこは初めから「悪口OK」を標榜している。悪口書きこんだからって決して「来るな」とか「オマエのアホな話に付きあってられるか」とか邪険にするつもりはないのよ、ホント。私の体力があれば付き合いますとも、どこまでも(^^)。
 せっかくだから「なぜに私はウィルスを送ったか」というのを自己分析して書きこんでくれたら、こりゃすごく面白いと思うな。そーゆーの、滅多にあるこっちゃない。芥川龍之介じゃないが、「犯罪者が自分の心理を冷静に分析した例は余りあるまい」と自負できるぞ。
 ……おっと、アレは「自殺者」だった(^_^;)。


 朝寝して、昼少し前に鴉丸嬢のお宅に出かける。
 しげ、劇団のHPの方に私の書いた台本を無料配信しようと思ったそうだが、自分のファイルから昔のやつがスポッとなくなっていたんだそうな。
 私は自分の書いた脚本には執着がなくって、端から忘れて行くので、当然のごとく保管なんかはしてない。で、劇団の連中に聞いてみたらかろうじて鴉丸嬢が捨てずに持っていたというので、アリガタヤとばかりにそれを受け取りに行くことにしたのだ。
 さて、この段階では我々にさしたるトラブルはなかった。

 鴉丸嬢、春めいてきたせいか薄手な格好。
 もともと浅丘ルリ子並に痩せてるヒトなんで、薄い恰好をするとますます薄く見える。よく生きてるよな。
 ビンボーなことは先刻承知の上なので、ワザワザここまで来てそのままサヨナラというのもナンなので、食事に誘ってみる。
 「時間はあるの?」
 「夕方、大勢(其ノ他君のこと)にクッキー作って持っていく約束はしてるけど、それまでは空いてるけど」
 ……「ケド」が多いぞ。このあたりの言葉遣いにすぐ反応しちゃうのが私が古い言語感覚の持ち主だってことなんだろうケド。
 「どこに行くの?」
 「『かに一』でどうかな?」
 「ああ、あの一夜にして『スタミナ太郎』が『かに一』に変わったという……」
 何だか建物自体がいきなり別の建物に変わったみたいだな。秀吉の一夜城じゃないんだから、一日で建物が建て変わるわけないじゃん。ノボリが変わっただけだよ。
 鴉丸嬢にこういうヘンテコな教え方したのはもちろんしげだ。こういうモノイイが物事を針小棒大にして、ちょくちょく我々の間で事実を歪曲させて行ってる原因になってるんだが、いくら注意してもしげは自分の物語の中だけで生きようとする姿勢を改めない。
 つーか、本気で自分の作った虚構の中に入りこんでたりするのだな。
 それはそれで構わないけどさあ、その妄想の中に私を巻き込むのはやめてくれ。お前は『うる星2』のラムか。

 それはともかく、鴉丸嬢、食事に付き合う気になったはいいが、ここで大きな問題が生じた。
 実はロドリゲス(しげの車の愛称)の後部座席、この間の公演の荷物が乗っかったままなのである。しげの腰の調子が治ってから一緒に部屋まで上げよう、と話をしていたのだが、なかなか元に戻らないので、仕方なく放っぽって置いたのだ。
 つまり、鴉丸嬢の乗る席がない。
 「荷物のスキマに乗ってもらうしかないよなあ。この間もよしひとさん、そこに乗ってたし、平気平気♪」……とかへらへら笑ってた私であったが、もちろん、女性をそんなヒドイ目に遭わせるわけにはいかないのである。
 で、頑張ってハマりこんだわけですがね、小道具で使ったゴミ袋の間に。
 「どう? 苦しい?」
 「いや……苦しくはないけど……」
 「けど、何?」
 「……あ・づ・いぃぃぃぃ」
 おお、私はちゃんと「けど」の使い方を心得ているぞ。さすがオトナ……ってマジで暑いんだわ、このゴミ袋の間ってヤツが。
 狭いとか、苦しいとかじゃないのね、このゴミ袋ってのが市指定の透明なヤツじゃなくて、黒一色なものだから、日に当たってるとだんだん熱を持ってきちゃうわけよ。そうなると暑いっつーか「熱い」。このままずっと放置されたら死ぬ。確実に死ぬ。
 「ちょっと『かに一』まで距離あるからガマンね」
 ……そこは「から」じゃなくて「けど」だろう。ガマンはするけど、早いとこ店に着いてくれ……と思ってたら、しげ、思いっきり道に迷いまくる。
 「あ、さっきの道、逆に曲がった」
 「も一つ手前で曲がんなきゃいけなかったんだな」
 「ああ、また同じ道を走ってる!」
 ……マジで私を殺す気か(-_-;)。
 なのにしげのやろー、笑いながら、
 「後ろの車が微妙に車間距離取ってるねえ」だと。
 その後ろの車の運転手とできるだけ目を合わさないように苦労している私の身にもなれや。

 しげ、車中で鴉丸嬢に向かって、他人の悪口を口汚く言いまくっている。鴉丸嬢も応酬するように悪口を言いまくる。
 詳しい内容は余りにひどすぎてとてもここでは書けない。
 悪口好きの私ですら閉口するほどだから、その過激ぶりは想像して頂きたいところである。「他人の悪口を聞くのは大好きだから隠さずに書け」と仰る好事家の読者の方には申し訳ないが、どうしても知りたければしげ本人に聞いて下さいな。
 日頃、私に対しては「世界の中心が自分だと思ってる」とか「他人を見下して生きてる」とか散々文句をつけてるクセに、しげの態度はまさしく自分を棚に上げている。もっともコイツが自分を棚に上げるのは日常茶飯事なので今更驚きもしないが。

 ただ、ヒトコトだけはっきりと言っておきたいことは、この「世界の中心」なんたら発言を、私に対して何か不満があるたびにしげは口にしているのだが、これも全て根も葉もないしげの被害妄想に過ぎないということだ。
 そりゃあ、確かに私も「博多は世界の中心である」みたいなことを口にすることがあるが、こんなのは主観的なハッタリで、客観的な事実でないことはアホでない限りすぐにわかる。お国自慢、ご当地自慢というものはそこまで思いきって言わなきゃ体をなさないから語ってるだけのことで、こんなのにいちいち目くじらを立てるしげの根性自体がネジくれているのである。
 だから広島人はよう(以下自粛)。
 結論を言っちゃえば、「世界の中心が自分だと思っている」のは私でなくしげなのである。だから他人が自分の上に立っているように感じられるのが許せない。それは、相手が夫たる私であっても変わりはしない。
 本来、人間というものは自分が言われて一番イヤな言葉を他人に浴びせかけるものである、というのは志水一夫さんもどこかで言っていたことだが、これはまさしく真実だろう。自分が世界の中心でありたいから、威張ったやつが許せないのである。自分が他人を見下し馬鹿にしているから、同じ言葉で他人を罵倒するのである。
 始末に悪いのは、しげのような対人恐怖症な人間にはよくあるタイプなのだが、自分自身の心の弱さというか、他人に虐げられるかもしれないという不安を紛らすために、たとえ相手に全く悪意がない場合でも、常に他人より優位に立っていなければ気がすまないがゆえに、ムリヤリ相手の悪意をでっち上げて罵倒を繰り返し続けることである。
 そんな妄想の対象にされるほうはたまったものではない。
 だから私は、しげと話をしながら、しげの話に矛盾や思いこみがあると判断した時には、その根拠を示して「そりゃお前の妄想だ」と指摘をする。
 冷静に事実を指摘すればしげも少しは納得するかと思って言うのだが、これがまた困ったことに往々にして、かえってしげの心の火に油を注いじゃう結果になるのだね。私にしてみれば、これはただの事実の指摘に過ぎないから、何も問題はなかろう、私自身、全くしげを蔑んでなどいないのだから、と思うのだが、しげは自分の考えが否定され、しかも反論の余地もないものだから、追いつめられた恰好になる。
 で、「自分が馬鹿にされた」と思いこんで、結果、ヒステリーを起こしてしまうのだ。
 なら、最初から冷静に話をせずに、しげの言うことにウンウンと相槌を打ってやってりゃいいじゃん、と仰る方もおられようが、そっちの方がよっぽどしげを馬鹿にしているというものだ。相手に理解力がないと初めから決めつけて会話するようなあからさまな差別を自分の女房相手にしたくはない。他人にならするが(^_^;)。
 私がしげのことを「馬鹿だ」というのは、その会話した結果の事実を報告しているのであって、初めから偏見を持って「馬鹿だ」と言ったことは一度もないのだ。
 だから私は毎日懲りもせずにしげと会話をし、そのたびに「馬鹿か」と言い続けているのである。
 それともしげよ、初めから「お前のような馬鹿とは会話なんぞできん」と言ってほしいか? 何度も言うが、自分の妄想で私を極悪非道の大悪人に仕立て上げるのはよせよな。確かに私は善人ではないが、少なくともお前みたく、目の前で○○○○○○○○○○○○○○○するようなマネはようせんぞ。

 「かに一」で、私としげが向かい合わせに座ったら、鴉丸嬢、しげの側に座るか私の側に座るか迷う。
 しかもそのワケというのが、私の隣に座るのはいやだし、向かいで顔見ながら食うのもイヤだしと、はっきり言うのである。
 この糞ナマイキなションベンくさい小娘が、と内心思うが、顔にも出さず、「向かいで俯いて食えばいいじゃん」と言う。しげに負けず劣らずこの鴉丸嬢も口が悪い。口が悪くても、これで悪意がないのだから実に始末が悪い。
 なにしろ、ウチのメンバー中最も温厚なよしひと嬢のことまで無意識のうちに悪口を言っているのだ。
 「よしひと姉様って、すっごくオトナだよ」
 「そりゃ知ってるけど」
 「いや、ココロじゃなくてカラダでも」
 「……何が言いたいんだよ」
 「こないだの公演でさあ、姉様、ブラウス着てたじゃん? それが結構薄くって、控え室で姉様、『ああっ! これじゃビーチク見えちゃう!』って言ってたの。『ビーチク』だぜ『ビーチク』。いやあ、姉様ってオットナあ♪」
 ……二度も三度も嬉しそうに繰り返すなよな(-_-;)。
 これで誉めたつもりになってるのが怖いよなあ。
 何度も下ネタ連発する女性って、ツマラン男にターゲットにされる率高いぞって言ってるのに、まぁだわかってないのだ。
 鴉丸嬢の過激な発言については、やはりここにはとても書けないナニだのナニに関するものもたんとあるのだが、これも聞きたい人は直接本人に聞いてくださいませな(-_-;)。ウチの劇団の公演に来てくれれば確実に会えます。

 鴉丸嬢、そのままウチに来て(帰りも私はゴミの中。とほほ)、台所を借りてクッキーを作る。しげと二人で作っていて、両方の作ったものを味見してみたが、しげのはとことんガサツである。
 型がうまく作れなかったからって、形状から勝手に「餃子クッキー」なんて名前つけるな。ホントに餃子の味がしてきそうじゃないか。馬鹿でかくて食いにくいし。
 ……あ、考えてみたらこれ、しげの久しぶりの手料理だな(お菓子だけど)。だけどしげが料理作るたびになぜか「料理」に対する概念が私の中でガラガラと音を立てて崩れていってるんだけど、この責任はいったいどうつけてくれるつもりなんだ。
 

 アニメ『クレヨンしんちゃん』は長編、「さらばまたずれ荘 またずれ大捜査線だゾ」の巻。
 またずれ荘編完結編として、程よく纏まってる感じ。
 原作と登場キャラが相当かわっちゃったのはオトナの事情というヤツなんだろうけど、それでもつまんなくはなかった。
 この「つまんなくなかった」というのがクセモノで、その「オトナの事情を考慮しても面白いアニメは作れるんだから、そういう事情はあってもいいのだ」という発想にスライドされちゃうのが困りものなのだ。
 表現の規制が肯定されていいわけはないんだけどねえ。

 鴉丸嬢はテレビで『しんちゃん』がかかっていても、全く目を向けようとしない。ここまで「嫌い」を押し通すってのは、それはそれで徹底していて潔さそうではあるが、未だに「なぜ嫌いなのか」だけは口にしようとしない。あれだけ悪口好きなくせに、この点だけは不思議なことである。
 ようやく時間がきたので、しげ、鴉丸嬢を車で其ノ他君ちまでお送りする。
 ……やっぱり女性が二人以上集まると、男は勝てんねえ(^_^;)。


 マンガ、津田雅美『彼氏彼女の事情』13巻(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。
 今巻より「有馬編」のスタート、だそうな。
 んー、ここんとこ脇キャラの番外編的な展開ばかりだったから、ようやく本筋に戻ってきたって感じかな。
 確かに、プロローグとしては充分に面白い。
 優等生の仮面の後ろでどす黒く蠢くもう一人の有馬……というよりそれが有馬の本性だったりするんだけれど、これが今後どのような形で「発動」して行くのか、それが宮沢雪乃との関係にどのような変化をもたらすか、適当にお茶を濁さずに描き切ってくれれば、随分面白いことになりそうだ。

 考えてみれば、この物語、宮沢の「見栄」から始まった物語なのである。
 何巻だったか、結構初めのころだったけれども、宮沢がイジメにあったあと、その首謀者に向かって、「私ならもっとうまくやる」みたいなセリフを吐いていたこともあった。
 他人を騙し、誤魔化し、仮面をかぶってやり過ごし、巧言令色、権謀術数は社会の常識、みたいな冷徹な視点がこの作品には元からあったのだ。
 リアルである。作者の人間認識がどのようなものか、窺い知れる。
 しかし、奇妙なことに、その人間観においてはこのマンガ、実にリアルでありながら、同時にアンチリアルというか、いささか前近代的な要素・設定もこのマンガには見られるのだ。
 なんたって、有馬は、もともと「メカケの子」であり、今の両親に貰われた「貰われっ子」であるのだもの。おいおい、そんなん小説だったら昭和の半ばあたりでもう絶滅してるような設定だぞ。『赤と黒』か『日のあたる場所(アメリカの悲劇)』か『安城家の舞踏会』かってなもんで。少女マンガにはそれがまだ生き残っている……というより、作者は何となく「ワザと」そんな古めかしい設定を作中に持ちこんでいるような気がする。
 ドラマがそこまで現実から乖離していないと、有馬の憎悪はリアル過ぎて、「花ゆめ」の読者にはキツイ、と作者は判断したのかも知れない。

 作者自身は、極めて「現実的」な人なのではないだろうか。
 コミュニケーションとは自分を相手の前で「作る」ことであり、決して本性をさらけ出してはならないと、なんだか藤村の『破戒』を想起させるような「戒律」を自分に科して生きてきたんじゃないかって気もする。
 いや、憶測でたいした根拠があるわけじゃないんだけれども、実際にこのマンガ読んでると、この人、愛だの恋だの、思春期の夢物語は余り信じていないように思えるんだよ。
 だって、有馬が本気で宮沢を愛すれば愛するほど、二人の道は遠く離れるように設定されてるんだもの。有馬の本性は、かつて自分を蔑み、罵倒してきた者たちへの「復讐」にあるんだから。

 この物語が「悲劇」とならずにハッピーエンドを迎える可能性はあるのだろうか。そのへんを、作者に聞いてみたいくらいだけれど、もし悲劇として押し通すことができたら、これはもしかしてスゴイ傑作になるかもしれない。
 ……なんだか、このままいくと有馬、人の一人や二人くらい殺しそうな気配があるんだけど、少女マンガでそこまでやるかなあ。
 やってくれたら面白いね。

2001年05月18日(金) 増えるワカメのごとく……/『鬼切丸』20巻(楠桂)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)