無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記




ホームページ |プロフィール |掲示板「トーキング・ヘッド」 |メール
|藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2002年02月21日(木) アホがアホを教育したってねえ/アニメ『七人のナナ』第7話/『鉄鋼無敵科学大魔號改』(唐沢なをき)ほか

 仕事に余裕が生まれてきたので、本もちょっと読めるようになってきた。
 マンガも好きだけど、やっぱり基本的に私は活字中毒なんである。

 晩御飯は、ほっかほっか亭のほか弁。
 つくづく自分とこで料理作らん家庭だなと思うが、私が主婦なら、安上がりでうまい料理を毎日作ったって、飽きたりしないんだがな。
 私は野菜いためとハンバーグ&ミニカツ弁当、しげはビーフ弁当とチキン南蛮。全部平らげて言うのもなんだが、もう少しあっさりした弁当ってないのかな。


 アニメ『七人のナナ』第7話「夜食モグモグ! 料理勝負も受験のために?」。
 もちろん、「今川泰宏監督」でもって、「料理勝負」と来れば、アレを思い出さないわけにはいくまい。
 そうっ! 「味皇様」であるっ!(^o^)
 ……実はちょっと期待しちゃったんだけどね、突然、謎の老人が乱入してきて、ナナの料理を食べるやいなや、宇宙空間にワープして「うまいぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」……んなことするワケないって。
 でも、「夜食勝負」とかテーマを設定するあたり、確かに料理マンガっつーか料理ドラマの基本を作っちゃったんだよね、アレが。
 
 熱を出して倒れたナナに代わって学校に行ったナナっち、その日の調理実習で、神近くんに食べてもらおうと意気込んだはいいものの、完成した料理をテーブルに運ぶ時に、木枯、林葉、森沼の3人組に足を引っかけられて、せっかく作った料理を床にぶちまけてしまった。
 そこでナナっちは、一週間後に3人組と料理勝負をすることになってしまうのだけれど……。

 ナナたちに頼んで、全国から一流の素材を集めて……って、こないだの『009』とおんなじ筋やがな。けど、その食材が間に合わなくって、ナナっちが使える食材はお米と卵だけ。
 フランス料理をこっそり取り寄せてた3人組には勝てそうもない……ところが、その残された食材だけで作ったおにぎりと卵焼きこそが「夜食」にピッタリ、ということで、勝負はナナっちの勝ち。

 まあ、オチの見えた話ではあるんだけれど、主役をオリジナルナナからナナっちに移してるところがミソかな。多分これからそれぞれのナナが主役のエピソードを積み重ねて行くんだろうけれど、ちょっと小ぢんまりとまとまってきてるような印象だなあ。今川監督のファンはもう少し破天荒な展開を期待してると思うんだけど。


 ああ、つい『キャプテンウルトラ』と『サクラ大戦』見損ねた。
 いや、絶対見なきゃならんほどじゃない番組だけどさ、『サクラ』見てるとね、横山智佐って声優として未来がないような気がして、つい同情して見ちゃうのよ。
 CSファミリー劇場『南くんの恋人』第2話。
 先週の第1話の感想も書いてなかったなあ。
 悪口書きまくると思ってる人、いるでしょう(^^)。
 なんたってよう、この番組に出てる○○○○がよう、チバレイに○○○○○○○○○○○○○○、チバレイ、役者を引退しちゃったんだもんなあ。
 私に悪口以外の何を書けというのか。
 しかし主演の高橋由美子、芝居へったくそだなあ。
 いや、他にうまい俳優がこの番組にどれだけ出てるかってと言やあ、その通りなんだけれど、それにしてもヘタだ。顔だちはそう悪くないのに演技力のなさで損してるよなあ。……後に『ショムニ』で色モノに行っちゃったのもわかるような。


 『ここがヘンだよ日本人』、もうすぐ最終回ってことで、なんか「ここヘンサミット」とかいうのを先週から放送してるけど、ある意味、総集編だってのに実につまんない。
 最初は、日本人のヘンテコさをホントに外人さんたちに指摘させる感じの番組だったんだけど、集まって来る外人さんたちがどんどん「ヤラセ」っぽくなっちゃったもんねえ。
 疑いの眼でモノを見るのはよくないことかもしれないが、あの苛められたって女の子の演技っぽさはなんなんだろう。
 東洋系にしか見えないアメリカ人が「鯨は人間より頭いいんだよ!」とアタマの悪い発言をするのはなぜなのか。
 「ホモは精神病」と、医学的知識を無視して叫ぶアフリカ人たちは「黒人は白人より種族的に劣る」と言われたら納得するのか。
 ノストラダムスの大予言を外した連中が新たに解読をし直して平然としてられる神経はなんなのか。
 これが単に出てる外人たちがのきなみアホだってんならまだいいんだが、そういうキテレツな言動で視聴者を面白がらせてるつもりなら、芸としてはちょっと低劣すぎないか(この「低劣」というのは番組自体が「下らない」とか「下劣」という意味ではなく、製作者が視聴者のレベルを低く見積もってるって意味である)。
 ま、終わる番組だから別にいいけど。


 夜、チャットをしていてマンガ家のねこぢるさんの話題になる。
 マンガ家の死に方でどうにもやりきれないのは、自殺と過労死だと思う。チャットでは自殺の原因はラリってたからじゃないかと推測されてた方がいたが、ラリってても死にたくなる人とそうでない人はいるだろう。
 夫のねこぢるyさんがそのあたりの事情を黙して語らぬだけに、何となく推測することも憚られるが、あんなに世間の悪意に敏感な人は、自分自身の悪意ゆえに死の道を歩むこともあるのだろうか、という気がしている。
 憎まれっ子世に憚るではないが、世に永らえる者の多くは、自分自身の悪に無自覚であることが多い。それを我々もまた気付かずに「善人」と呼んでいるのだ。
 世の中、もちっと悪人が増えててくれたほうがいいんだがな。


 夜から雨が降る。
 本を買いにブックセンターホンダへ。
 今月、やたらとモノイリがあるってのに、本ばっかり買ってていいのか。む


 マンガ、唐沢なをき『鉄鋼無敵科学大魔號改』(講談社・735円)。
 タイトルだけだと見逃しちゃいやすいんだけれども、『鉄鋼無敵科学大魔號』の続編。だから「改」なわけだね。
 この「改」って、やっぱりルーツは『紫電改のタカ』あたりになるんかな。若い読者(いるんかそんなん)のためを考えると、この「紫電改」についても詳しく述べねばならんのだろうが、そんなん原稿用紙100枚使っても書ききれんわ。日本海軍の戦闘機の名前だということだけ知ってもらえりゃ、とりあえずタイトルからして唐沢さんがレトロなイメージを持ちこもうとしてるんだなってことがわかるであろう。
 だいたいこの「大魔號」のデザイン自体、大阪万博で公開されたロボット「信介くん」をモデルにしている(現在は「ゆうばりロボット博物館」で見られるとか)。『オトナ帝国』のずっと以前に、「万博」をキーワードにしたマンガをさりげなく描いてるあたり、唐沢さんの着眼点のスルドサが感じられるね。
 ……こうやって唐沢さんのマンガのもとネタ探しを始めたら、それだけで原稿用紙四百枚くらいかかってしまうのでやらないが(せめて「少年キッド」のもとネタが武内つなよしの『少年ジェット』で、「これはトクダネだわ!」の淀川ゆにこが『ウルトラQ』の江戸川由利子だってことくらいは解説せんでもわかってほしいんである)、もちろんネタがわかんなくったって面白いものは面白い。
 あ、でも、東宝特撮映画『海底軍艦』を先に見てると、今回は面白さが倍増するかも(^^)。

 レトロなモノが往々にして「ヘンテコ」に見えちゃうのは、その時代の価値観は、ほかの時代から見たらいつだって「ヘンテコ」だからなんであって、だったらそういうのを全部集めてもっとヘンにしましょ、みんなヘンならええじゃないか、という絶対平等の愛で唐沢さんのマンガは貫かれているのだ。だから楽しい。
 あっ、でも関西ネタで間寛平の「あへあへ」をさせてたのはポーズが違うぞ。しかもネタ的に吉本新喜劇が東京進出した十年前以降のネタしかないもんなあ。「このへんでカンベンしといたるわ」も池乃めだかのネタだと思ってんじゃないかなあ、唐沢さん。あれ、もともとは花紀京のネタなんだが。
 だいたい、「誰がカバやねん」の原哲男に触れずして吉本を語ってはならぬというのは吉本フリークの鉄則である。「船(せん)・場太郎です」も「いっいっいっいっいっ(木村進)」も「やめなはれ、やめなはれ、やめなはれ……やめろっちゅーとんのが○×△□……!(山田スミ子)」も唐沢さんはご存知ないらしい。
 おかげで「ネタが古すぎるのだっ!」てのがギャグとして利かないんだよなあ。これだけはこのマンガで唯一白けたギャグなんだけど、これは北海道出身の唐沢さんにはムリな話だろう。不得意な分野でギャグをかますもんじゃないってことなんだよな。
 考えてみたら、九州に生まれて何が得だったかって、関東と関西の番組が両方見られてたってことなんだよな。関東の落語も関西の漫才も子供のころから日常だった。『シャボン玉ホリデー』と『藤山寛美の3600秒』を同時期に見られてたんだもんねえ。
 もしかして東京でも見られてた関西の番組って、マンザイブーム以前は『てなもんや三度笠』くらいのもんじゃなかったのかなあ。藤田まことだけはしょっちゅうクレージーキャッツの映画にゲスト出演してたし。
 藤田まことと中尾ミエが婚約者同士で出演した時は東京・大阪・九州の笑いが揃い踏みしたことになるんだが、当時はお笑いの中に自分が入れられるのはイヤだったろうな、中尾ミエ。
 ……なんか、唐沢さんのマンガとなんの関係もなくなってきたからこのへんでやめよう(^o^)。

 
 マンガ、西岸良平『西岸良平名作集 蜃気郎�掘戞柄侏媼辧�300円)。
 3巻で完結か。
 せっかく新登場させた蜃気郎の妹、黒猫やまとが3話だけしか出てこないってのがちょっともったいない感じだけど、ダラダラ続いてもつまんないからこのへんが妥当なとこか。
 それにしても「黒猫やまと」ってネーミングセンスはなんとかならんのか。「蜃気郎」がよくできてるだけに、このいい加減さがちょっとガックリくるんだよね。まあ、それが西岸さんらしいとこなのかもしれないけれど。


 高木幹夫・日能研『自分の子供は自分で守れ 「学力」ってなんだろう 日能研はこう考える』(講談社文庫・580円)。
 なっげータイトル。土曜ワイドか(^^)。
 こういう副題がやたら長ったらしいのは、たいていの場合、読者・視聴者を「これくらい説明してやらないとわかんないだろうな」ってバカにしてるので、たとえその中味がどんなに胸を打つものであったとしても、あまり信用しちゃイカンのである。
 ……とは言え、「円周率3.14が『およそ3』になる」キャンペーンを張った日能研、一気に「日本人の学力はどうなるのか?」と煽りたてて反作用的に「塾の必要性」を訴えることに成功しただけのことはあって、その辺のホンネはあまり表に出してない。
 そのへんが巧妙っつーか、ちょっと卑怯だ。

 中学までで教育は終わり、とする「完結教育」を選ぶか、中学は高校、ひいては大学進学のための準備、とする「進学準備教育」を選ぶか、今の親たちはそれを考えてない、とこの本の作者は述べてるが、親たちにそういう選択を任さないようにしてきたシステムについては、塾である日能研にも責任の一端があるのではないかねえ。
 だいたい、親が「義務教育だけで教育は充分」と考えてる実体が、この日本の家庭にどれだけあるというのか。「円周率問題」では、生徒の学力低下を危惧する世論に追いたてられるように、文科省は「教科書の内容は最低ライン」と苦し紛れの言い訳をしたが、それで「あ、子供はこれだけ勉強したら、それ以上やらなくてもいいんだ」と納得した親なんていなかったぞ。

 学力が低下したって、生きて行く上で困ることなんて、別に何もない。
 しかし、日本の親たちはみんな、そんなふうには考えなかった。
 「せめて高校だけは出ておかないと」。
 「高校卒業の資格がないと、就職もできないぞ」。
 「中卒なんて恥ずかしい」。
 「たとえその教育の中味がどんなに社会的に無駄なものであろうと構わない、子供を高校・大学と進学させたい」。
 そう考えたのが日本の親たちのホンネであるのだ。
 2、30年前なら、そのへんにザラにいた、「別に高校の資格なんていらない商売をすればいいじゃないか。屋台引けよ屋台」ってな発想で子供を教育してた親は、今や日本のどこにもどこにもいなくなってしまった。
 ……あのさ、3.14ショックっていうけどさ、私たちだって、最初に円周率を習った時は「3」って習ったんだよ。それを小学校高学年で、「実は3.14」って「覚えさせ直された」わけ。その当時「だったら最初から3.14って教えとけよ」って釈然としなかったこと覚えてるからね。
 「『およそ3』についての学力低下」を叫ぶんだったら、もっと昔に言っとけよって。
 学校五日制に対する親の不安だって、結局は「自分の子供だけが落ちこぼれて行くんじゃないか」というのがその正体なんだよね。逆に言えば、「自分の子供が抜きん出ることができるなら、学校五日制には反対でなくなる」ってわけ。
 だから、今、学校五日制に賛成してるのは、ホントに数少なくなった「学校の勉強よりももっと大切なことが人生にはある。休みの日はどんどん遊べ」と考えてる親か、全く逆に「休みが増えればウチの子は自ら学んで勉強する。レベルの低い学校の授業を受けずにすんでラッキーだ」と考えてる親かの、両極端に分かれてしまっている。
 でもそんな親は全体の1割。
 たいていの親は「他人のことなんて考えてないエゴイスト」だ。
 よく「自分さえよけりゃいいのか」とか「人に迷惑をかけるな」とか言って子供に説教タレる親がいるが、そういう親はそのセリフ自体が「平等」を装った「差別」であることに気づいてないもんね。自分がラッキーな立場に立ったら、絶対にこんなこと言わないんだからさ、こいつらは。
 「子供のため」なんてことも親はよく言うけど、それは「自分の子供のため」であって、「みんなのため」じゃないのだ。あ〜見苦しい。

 で、文科省は「そんなエゴイストの親は相手にできまへんわ。ウチラは『これだけの学力』しか生徒に提供せえへんさかい、後は塾で学ばせるなと、勝手にしなはれ」と今回の改訂で言い放ったわけだ。まあ、結果的にそうなったってことではあるんだけれど。
 はい、そこに「塾」が付け入る隙ができちゃったわけですね。
 日能研がズルイのは、タイトル通り、「子供の教育は親が考えろ、学校にまかすな」とは言ってるけれど、ターゲットにしてるのは「勉強なんていらないじゃん」って生徒じゃないってことなんだよね。
 だって、「今時、中卒で就職できる企業なんてない」って事実を、この本の中じゃひとっことも触れてないんだから。
 あえてそのことに「触れない」ことで(触れりゃ、それを解消する手段だって提示しなきゃなんないけど、「塾」がそれをするわけない)、親を「進学準備」のための「塾」に誘おうって魂胆だからね。
 所詮は「塾」だって「商売」よ、当然なことだけどさ。

 確かに、教育改革と行政改革が連動していないという知名的な欠点が今度の改訂にはある。中卒で教育過程を修了させるつもりなら、その時点で就職できる受け皿を、各官公庁がまず率先して広げてかなきゃなんないのに、全く逆にどんどん公務員は「狭き門」になってきている。
 いや、だいたい「教科書の内容は最低ライン」とするなら、義務教育修了者は全員「満点」でないと卒業させられないことになるが、そこまで指示してるかね、文科省が。
 結局、「文科省のやることは信用できない」というキャンペーンが功を奏して親たちはゾロゾロと、「塾へ塾へ」と流れる現象を生み出したわけだ。
 けどさあ、この本でもチラッとだけ触れてるけど、ここまで不況が続いちゃうとさあ、「学歴」ってやつがどんどん意味なくなっていくんだよね。みんながみんな「せめて高校」「せめて大学」でゾロゾロ高学歴目指したって、結局は学力のアベレージが下がるだけで、結果的に「学歴」を無効力化することにしかならんわけ。
 「分数ができない大学生」が問題になってるが「九九のできない大学生」だって量産されることになるわけだな。「学力低下」を心配するなら、そういう「社会状況」こそを心配せねばならんのだけどね。
 だとしたら。
 意外とこの杜撰な教育改革、文科省は故意にやってる面があるのかも知れない。
 なぜなら、文科省は同時に「高校・大学の統廃合」も積極的に行っているからだ。
 少子化のせいで誰もが楽して進学できるようになってきた。だからもっと高校大学を狭き門に、というのは分かる。けれど、狭き門にしたって、入って来る連中がやっぱり「みんな揃ってパープー」じゃ状況は改善されない。
 休日に塾にも行かず呆けた連中と、そうでない連中とでは、当然、差がつくはずだ。「大多数の生徒の学力を低下させる」ことをすれば、「それでもなお休日を使っても勉強するやつ」はホントの実力者ってことになるのではないか。
 「自発的なエリート」、これを文科省は生み出そうとしてるのではないか。

 ……んなわけないな。
 だいたい、休日に親から塾に行かせられる子供のどこに本当の意味での「自主性」が生まれるかいって。エリートどころかエゴイストを量産するだけだわ。
 行き当たりばったりの教育改革がどこへ迷走して行くか、これからが楽しみだねえ。

2001年02月21日(水) 買い物ブギ/『ブギーポップは笑わない』第1巻(緒方剛志)ほか


2002年02月20日(水) 福岡演劇事情/『KATSU!』1巻(あだち充)/『サムライ・レンズマン』(古橋秀之)ほか

 福岡には「ももちパレス」という演劇・コンサート専門の劇場がある。
 名前通り、百道(ももち)にあるんだが、「よかとぴあ」が開かれる前には、この百道ってとこ、ただの海水浴場で、そんなに年がら年中賑わってたとこじゃ無かった。
 今やホークスタウンが出来て、福岡の集客率ナンバーワンかツーかってとこにまでなっちゃったんだけど、そうなる前から、私はときどきこの「ももちパレス」に行っていた。
 もちろん、演劇の公演を見に行くためにである。
 夢の遊眠社の『半神』の福岡公演もここで見た。あのころの野田秀樹はおもしろかったなあ。
 東京の名だたる劇団が福岡公演を打つ時には、たいていここを使っていたのである。というか、20年以上前になると、福岡で演劇が上演可能なところと言ったら、少年文化会館(高校演劇大会の類はたいていここで上演される)か、福岡市民会館(歌舞伎や新派はここを利用することが多い)か、郵便貯金会館(現在のメルパルクホール福岡。単発の公演はここが多い)くらいしかなかったのだ。
 しかもこれらは全て「演劇専門」というわけではない。
 「ももちパレス」は、演劇人にとっては、「唯一」福岡で本格的な演劇を見せることのできる劇場だったんである。
 しかし、今、福岡の演劇事情はぐっと変わった。
 大劇場、といった感じの施設が、この20年で立て続けに建てられれていった。
 博多埠頭の「福岡サンパレス」を初めとして、「大野城まどかぴあ」や、川端の「博多座」、住吉キャナルシティの「劇団四季福岡」。
 「宗像ユリックス」はちょっと遠いけど(なぜか三谷幸喜の芝居はここが多い)。
 これらと競合するのに、「ももちパレス」は福岡都心部からいかにも遠かった。なにも百道くんだりまで行かずとも、公演が打てるようになったのである。と宇今日の劇団は、こぞって福岡都心部に公演の拠点を移した。
 必然的にももちパレスは寂れて行く。百道自体に客は集まっていたが、魅力のない芝居にまで足を伸ばす客は少なかったし、たまにいい公演をやっても、ホークスタウンに集まる野球バカどもは、演劇を見るような知性をカケラも持ち合わせてはいなかったのである。
 で、ついに決まっちゃったわけだ。
 ももちパレスの廃止が。
 
 昨日、2月19日、特に公演があるわけでもないのに、仲代達矢・山本圭・栗原小巻の三氏が福岡市庁を訪れた。
 ももちパレス存続の陳情である。
 俳優座や無名塾、実は毎年のようにこの「ももちパレス」で公演を打ってたんである。
 福岡に住んでる人でも意外と知らない人多いんだよねー。
 理由は簡単。
 平日、火・水・木の三日間とか、そんな集客率がいかにも悪そうなときしか上演しなかったからなんだよ。
 どうして土・日を避けたかって?
 避けたわけじゃない、土・日は予約がいっぱいで、公演打とうにも打てなかったんだ。
 どこぞの婦人会の日舞の発表会とかのせいでな。
 それでも仲代さんたちはしょっちゅう来てくれてたんだよ、福岡に。見に行きたくてもいけなかったけどさ。
 なのに廃止だ。
 あくまで「ももち」に拘ってた仲代さんたちが改めてほかの劇場を探すのには骨が折れる。下手をしたら、福岡公演自体を断念しなきゃならないことだってありえる(福岡にプロデュース公演は多くても劇団の巡業が少ないのは「ペイしない」ってのがやっぱり大きいんだよね)。
 だから陳情に来られたというのも、おカネのことよりもなによりも、「福岡の人たちに芝居を見てもらいたい」っていう心からの気持ちなんだろうけど……。
 いくら市に陳情してもねえ、いったん廃止が決まったものをそうそう取り消しはできないんじゃないか。
 おそらく、というか確実に仲代さんたちの陳情は無視されるだろう。
 政治的に動いてどうにかさせるってこと、演劇人はホントに不得意だ。 


 ちょっとおカネがはいったので、仕事帰りにしげとラーメン屋で食事。
 なんの気なしに入った店だったけど、餃子とラーメンが意外においしい。
 しかも、なんの記念日なんだかわからんが、この店、今日に限ってラーメンが半額!
 つまり、二杯食ってもおカネは一杯分!
 あのね、アナタ、300円のラーメンが150円で食べれるとですよ、こげなうれしかこつ、ありまっしぇん(T∇T)。
 おかげで、つい、替え玉をしてしまう。
 カロリーめちゃ高いのに。
 ここんとこ確実に胴回りが太くなってんのに。
 でもラーメン、うまかったんだよー。
 餃子はしげにはイマイチだったみたいだけど。全くどうしてそんなに餃子にだけはウルサイのだ、贅沢者め。
 ああ、次の検査の結果がコハヒ……(自業自得だっつーの)。


 アニメ『ヒカルの碁』第十九局「ヒカルの実力」。
 あっ、やっとヒカルのじーちゃん登場。
 本当なら第1話で登場しとかなきゃならないのにカットされてたものな。もしかしたら監督交替って、そういう原作改変に対する抗議が強かったせいもあるのかも。
 けどまたちょっと作画が荒れ出したな。
 それでも各話ごとの差がそれほど激しくないから、まあ見れるけど。

 コンビニに寄って、原作マンガの方も見てみるが、小畑さん、絵がさらにうまくなってるのがよくわかる。今の絵で連載初期のシチュエーションをもう一度描くとああなるのね。いやーアキラくん美しいわ。
 原作者のほったさん、第2部のために韓国の取材をしてるってことだけど、やっぱりこれからは「ヒカルVSたくさんの棋士たち」編になるのかな。


 夜、東京のこうたろうくんから「ジブリ美術館のチケットが取れたよ」と電話。
 ははは、これでたとえシティボーイズのチケットが取れなくてもゴールデンウィークの東京行きは決定だ。
 それはいいんだが、問題は交通費。
 少しでも安く上げるにゃどうしたらいいかしげに調べてもらったんだが、ともかく連休を外せば一人いちまんえん以上得するんだそうだ。
 つまり、東京には4月の27、28、29と行く予定なのだが、26日の夜に出かけて、30日の朝一番で帰れば、飛行機代がそれだけ浮くのである。
 しげはそうしないか、としきりに誘うが、そうなると、30日に仕事を休まないといけなくなるし、はて、どうしたものか。
 「あのさあ」
 「なに?」
 「そうやって、飛行機代を浮かせるのはいいけど、その分、宿泊費がかかるわけじゃん。それはどうすんの?」
 「だから、飛行機代が安くついた分より安いとこに泊まるの」
 「たいした差がないんじゃない? それなら前日に多少高くても早目に帰ったほうがよくない? 仕事前に休めるし」
 「いいと? どこも回れんよ?」
 「回れんも何も、俺が行きたいとこに絶対行かせてくれんやん。それじゃ余計にいたって意味ないし」
 「そんならいいよ、一人で行けば!」
 だぁかぁらぁ、そこでどうして拗ねるかなあ。
 もっとも、その私の行きたいところが「神田神保町古本屋巡り」であることが問題なのかもしれないが。
 ちょっとこの件はもう少し話がもつれそうである。


 もう習慣になりつつある深夜のチャット。
 なぜか今日は「貧乏メシ」話で盛りあがる。
 「ご飯に醤油だけで食ってた」程度はみんな経験してるんだなあ。どうしてみんなそんなに貧乏。
 私の場合、大学時代に貧乏だったのは、生活費を削って本と映画におカネをつぎこんでたせいなんで、同情には値しないんだが。
 「カップラーメンを水だけで食う」とかもみんな実験してたんだねえ。でもあれ、まずいだけだから、まだ舐めるだけの方がましなんだけど。
 「齧っちゃダメ、舐めるべし!」と書きこんだら受けた。
 ……実践理性は純粋理性を凌駕するってか?
 「ここのメンツはサバイバルになっても生き残れるなあ」の書き込みに、「でも健康管理ができずに死ぬ」のレスがついたのに爆笑。
 このホームページを本にして売ったら売れるんじゃないかとの意見も出てたが、さて、管理者の方がそんなしちめんどくさいことをされるかどうか。
 それに、こういう会話をだけに知られることもなく、参加者だけが共有する楽しみ、そういう一種の「特権意識」ってのも楽しかったりするんである。
 例えて言うなら、悟りを開いた仏陀が、「こんなステキなこと、人に教えたくないな!」としばらく悟ったことを隠してた心理につながるような(聞くだにインケツなオヤジだな、仏陀って)。
 「究極の贅沢」ってやつなんだよね。チャットって。


 マンガ、あだち充『KATSU!』1巻(小学館・410円)。
 ボクシングものかあ。
 前にもやったぞ、『スローステップ』だったっけ。
 また、二番煎じでいいのかあだち充……と言っても、今更あだち充がどう作風を変えればいいのかって言われりゃ答えようがないね、やっぱし。
 実際、ちょっとでも「いつもと違う」ことしようとすると人気出なくなるものね、あだちさんの場合。
 私の好きなあだち作品は『虹色とうがらし』と『いつも美空』だったりするんだが、前者が11巻、後者は5巻で打ち切られた。結構描いてるじゃんってことにゃならんのだよねー、なんたって20巻、30巻出すのがフツーの人だから。
 で、この二作に共通してるのがSFだってこと。
 別にSFとしてイマイチってほどでもないから、やっぱり「あだち充とSFのイメージが合わない」という読者の思いこみのせいで人気が出なかったんじゃないかなあって気がする。
 でも、作家のイメージをこうって決めつけるのって、その人の幅を狭くさせるだけだ。ちょっとくらい違和感を感じたって、ある程度自由に描かせる度量が読者の側にもないと、本当はこれから面白くなるはずだったせっかくの作品を、充分に楽しめないままに終わらせちゃうことにもなりかねない、それってすっごくもったいないぞ。
 その点、今回はSFのエの字も出て来ないから、それなりに人気は出るんじゃないかな。結局スポーツラブコメしかあだち充には要求されてないのかと思うとさびしいけど。

 好きな女の子とお近づきになりたい……という極めて不純な動機で、その子の父親の経営するボクシングジムに通うことにした高校1年の里山活樹。
 けれど意中のその子、水谷香月は、父親嫌いが高じた大のボクシング嫌いだった……。
 展開としては、活樹の意外なボクシングの才能が目覚める……って感じになるんだろうけど、結局は天賦の才能があった、みたいな展開、あまり好きじゃないんだよなあ。
 才能とか努力とか、そんなもんをいちいち付与しなきゃ、人は人を好きになる資格がないってことなのかね。その人の性格さえありゃいいんじゃないの? ……って感じのマンガを描いてたころのあだちさんの方が好きだったな。
 実は、「なんの才能もない、優しいというより優柔不断、さらにスケベで、スポーツや勉強の取り柄もない」男の壺がなぜかモテるって話、あだちさんは一つしか描いたことないんよ。
 それが『みゆき』なんだね。
 この話の活樹も、ボクシングの実力が全然伸びなかったらいいのにな。伸びたらその辺のよくあるボクシングマンガと同じになっちゃうし。
 ……と言いつつ私は『はじめの一歩』は全く読んだことがないのであった。


 古橋秀之『サムライ・レンズマン』(徳間デュアル文庫・770円)。
 うおおおおお! おっ、おもしれええええ!
 いやもう、びっくりしちゃったっつーかなんつーか、次のページをめくるのがもどかしい小説に出会うのなんてひっさしぶりだよ、ヤマちゃん(誰やそれ)。
 いや、実のところ、そんなに期待して買ったわけじゃなかったんだよね、この本。
 スペースオペラの金字塔、E・E・スミスの『レンズマン』シリーズは、確か中学生の時に少年向けにリライトされたSFシリーズ(当時の少年たちはたいていそれでSFに触れたんだがどこの会社の何というシリーズだったか忘れた)で一冊(多分『銀河パトロール』)を読んだだけで、全作は読んでない。中味も忘れた。 
 どっちかと言うと、私は日本初のCGアニメと言われた(^o^)映画版『レンズマン』やその続編のテレビアニメシリーズ、コミカライズ版の村野守美や三浦みつるのマンガで、レンズマンシリーズには触れている。どれも「若き」キムボール・キニスンが成長していく物語で、筋は殆ど『スター・ウォーズ』(と言っても『レンズマン』の方がモトネタなんだけど)。
 ああ、あと、あれも読んだな。栗本薫のパロデイ『エーリアン殺人事件』。主役の名前はゴールデンボール・キニスン。ベッタベタやがな。
 まあ、薫ちゃんはどうでもいいんだが(^^)、こういう「元祖」スペースオペラが、「日本で」アニメになったりマンガになったりってのは、当時なかなか不思議な現象だった。『キャプテン・フューチャー』なんて、NHKでアニメ化されてたんだもんなあ、出来は最悪だったけど。
 けれど、『レンズマン』のアニメの方は、初期のCGのどうしようもなさを除けば、割合よくできていた。テレビシリーズが作られたのも宜なるかなである。
 でなければ、この『サムライ・レンズマン』、買おうなんて気にはならなかったろう。
 ……でも、まさか一読三嘆、もう次の作品が読みたい! なんて気にまでさせられることになろうたぁね。
 ホントに瓢箪から駒、予想もしてなかったことだったんである。

 だいたい、このタイトルだけ見たら、ああ、『レンズマン』のパロディかって思うでしょ?
 いかにもパチモン風だし。
 ちっちっち(人差し指を立てて横振り)。
 違うんですよ。
 これ、ギャグでもなんでもありません、至極マットウな小説……っつーか、「正統な」小説だったんですよ。
 どういう意味かって?
 ふっふっふ、知りたいでしょう。
 わかりました、教えましょう、けどね、けどね、これは、私と、あなただけのヒミツですよ、誰にも言っちゃダメですからね(……それは……無理だろう)。
 これね、この『サムライ・レンズマン』ね、なんと、なんとなんと、アチラの『レンズマン』の権利持ってるエージェントとちゃんと契約して書かれた、「正統な」レンズマンシリーズの続編だったんですよ!
 ……驚いた?
 私も驚きました。

 あのキンボール・キニスンが、クリスが、ウォーゼルが、バスカークが、ふたたび悪の宇宙海賊ボスコーンと戦うために集結する!
 そして、銀河パトロールの新しきエース、タイトルロールにもある通り、武人であり、群がる敵を振れることなく投げ飛ばすアルタイル柔術の使い手、己の道を、剣の道を極めることにその命を賭ける、新しきグレー・レンズマン、シン・クザク!
 しかもねえ、しかもねえ、これがなんと「盲目の美剣士」なのよ!
 それって、つまりさ、アレだよ、ね? う、「宇宙の机龍之助」!
 アニメ世代には、『ルパン三世』の石川五右衛門がよりストイックに、かつニヒルになって登場、と言ったほうがピンと来るかな。
 いやもう、「どっひゃー!」だね!
 こんなとんでもないアイデアを思いつく作家がいようとはいようとはぁ!
 もう、このカッコよさをどう説明したらいいんだろう!

 恒星トランジア。
 要塞ビルに篭城する麻薬業者を前にして、若きレンズマン、銀河パトロールのウィリアム・モーガンは途方に暮れていた。
 そこに突然、衛星軌道上からレンズを通じて、もう一人のレンズマンからテレパシーが送られてくる。
 「今から突入する」
 耳を疑ったウィリアムの目の前で、まさしく宇宙から「垂直落下」してくる一つの物体!
 あれこそが装甲宇宙服に身を固めたシン・クザク!
 「余計な手出しは無用」
 轟音とともにビルに墜落!
 そして、ウィリアムが中に駆けつけた数分後には、シンは、既に麻薬業者の組織を壊滅させていたのであった。

 くううううう、かっこえええええええ!
 いや、この後もいちいちストーリーを紹介していきたいが、それでは未読の人の興味を半減させてしまうことになる。
 後はぜひ!
 そのおもしろさをご自身の目で確かめてほしいのだ。

 でも、もうちょっとだけ言わせてもらえれば、ヒロインのキャット・モーガン、この子がもうとんでもなくイイ!
 いくつもの種族からなる多種族混成姉弟の長女、一人で何人もの妹弟たちを育てていかなければならないために、隕石工夫の仕事につき、すっかり男勝りなケンカヤロウになった。
 けどな、定番かもしんないけどな、そういう子だからこそ、優しさの本当の意味を知ってたりするもんなんだよ。
 彼女の啖呵を聞いてみれば、そこに人への思い、人の心を踏みにじるものへの怒り、それが思いっきり溢れてることに気がつくハズだ。
 ああ、もう、抱きしめたいぞ、キャティ!(勝手に愛称で呼ぶなよ)  

 ところでシン・クザクって漢字で書くと「孔雀真」? 

2001年02月20日(火) 女房の家出/『× ―ペケ―』1〜3巻(新井理恵)ほか


2002年02月19日(火) さだまさしファンだったことが恥ずかしくて言い出せないやつ多いと思うぞ。……私もだ/『シックス・ボルト』(神野オキナ)

 きょうのお仕事。
 シュレッダーの前に椅子を置いて座る。
 要らなくなった書類をどんどこぶちこむ。
 うぃーん、ばさばさばさ。
 ときどき詰まるので、ペン先でほじくり出す。
 ほじほじほじ。
 また、うぃーん、ばさばさばさ。
 急に機械が、へにょにょにょにょ、と止まる。
 「ごみがたまりました」の表示。
 ゴミをビニル袋に入れてまとめる。
 機械が止まると、途中まで突っ込んでた紙がまた詰まってしまう。
 ほじほじほじ。
 またまた、うぃーん……。

 これで一日は終わり。
 全く、忙しいんだかヒマなんだか。


 さて、みなさんに、ここでクイズを出そう。
 大修館書店の『言語』という雑誌に、投稿されてた質問だ。
 「氷やドライアイスから立ち上るあの白い気体、名前は何というでしょう?」

 かち。
 かち。
 かち。
 かち。
 かち。

 ちーん。

 さて、君の答えは何かな?
 靄(もや)? うーん、それは水面に立ちこめてる気体のことだね。ちょっと違うなあ。
 霞(かすみ)? 霧(きり)? それも山とか平野とか、広範囲なところに一面、立ちこめてるって感じだよね。

 では、正解を言おう。
 「ゆげ」である。

 氷のゆげ?
 どうして?
 「ゆげ」って「湯気」って書くんでしょ? 氷から出てるのに湯気?
 変じゃん! ……というみなさまの声が聞こえてくるようだね。
 でも、これホント。
 ちゃんと『日本国語大辞典』に書いてあるんだよね。氷から立ち上る白い蒸気のことって。

 それでも納得いかない人のために、じゃあ、もう一つの正解を教えよう。
 「けむり」である。

 ケムリって、火が燃えたら出るやつじゃん!
 漢字だって「煙」って「火へん」がつくぞ!
 もっと納得いかーん!

 でも、中国語でも「煙」の字をアテてるんだよね。
 要するに、「それを出すものが何であるか」ってことは全く昔の人は気にしてなかったってことなんだね。
 白くて気体だったら、それは全部「ケムリ」。
 コトバが意味を正確に伝えるものなんかじゃないってことが、こういう実例からもよくわかるねえ。


 アニメ『しあわせソウのオコジョさん』第20話「ツカハラ、夢の日々/オコジョ番長!日直編」 。
 たまにしか見ないんで今まで気がつかなかったけど、アニメのオコジョさん、「コジョピー」って名前がついてるのね。
 原作では確かナナシだったと思うけど。
 原作が短いから、1話にするのにいろいろアレンジ加えてるけど、どっちかっつーと、面白くないギャグを面白くしようと腐心してるようにも見えるな、原作者には悪いが。
 でもまあ、オコジョに日直をさせるのは無理がある……と考えたところで、あっ、これって、何かのパターンに似てると思ってたけど、小林まことの「What's Michael?』じゃん、とやっと気がついた。
 うーむ、おもしろくはあるけどイマイチハマれんなあと思ってたのは二番煎じだったからか。納得。


 夜、しげが、「もやしマヨネーズ、自分で作っても全然おいしくならん」とブチブチ文句を言うので、湯がいて、よく水を切ってメシに乗せてつくってやる。
 「どうだ? うまいか?」
 「……うまい」
 やっぱり作り方がザツなだけだな。

 更に目玉焼きに生姜焼肉、ごま塩フリかけのおにぎりを作ってやる。
 「食べ終わったら、皿渡せよ」
 「ああ、わかった」
 この「食べ終わったら」というのは、私は「自分の分を食べ終わったら、残りを渡せ」と言う意味だったのだ。だって、目玉焼きも二つ、生姜焼きも山盛り、お握りも四つ作ったのだ。
 普通、これ見りゃ「二人分」と誰もが気付くと思う。
 でも「はい、食べたよ」と返されたのは、カラの皿。
 「……オレのは?」
 「……ああ、ゴメン、全部食べた」
 すぐ謝ったから許したけどさあ(しげが「謝っても許してくれない」と私のことを非難するのがウソだということがこういうところでもわかる)、でも気がつけよな、量見て……って、考えてみりゃ、日頃から二人前三人前をペロリと平らげるしげに「二人分」という感覚がないのも当然だったのだ。
 宴会とかじゃ、ネコかぶって少食のフリするくせに。かぶらんときもあるからもうバレてるか、こいつの本性。


 ニュースを見ていると、宮崎駿が、金熊賞の受賞記者会見で「自分の映画が子供をダメにしてる」と発言。
 わあ、また例の「宮崎節」だ。
 もちろん、こんなことを宮崎さんが本気で考えてるわけないんで、だったらとうの昔にアニメーター辞めてるに決まってる。
 世間じゃこの宮崎さんの「言ってることとやってることが違う」ことに反発してる人も多いようだが、なあに、昔からのファンにはこのテキトーぶりが楽しいんですって。
 だって、『やぶにらみの暴君』パクリまくっときながら、「今の若いアニメ作家はみんなコピーのコピー」なんて言っちゃう人ですもん。お前はオリジナルマモーか。
 もちろん、宮崎さんにホラ吹いてるって自覚がないわけがない。あの無責任さ、テキトーさは明らかに確信犯なんである。
 あのさ、植木等の無責任男、公共の場では「これからのニッポンはぁ」とか、必ず大層なこと言ってたよね、あれと同じなのよ。あるいは『炎の転校生』の伊吹。
 「心に棚を作れ!」
 自分を棚に上げずに、ものが言えるか! ってのがモットーみたいな人なんだから、我々はそのいい加減さを楽しんで見てりゃいいのである。
 ……ジブリのスタッフは大変だろうけど。


 東京都世田谷区の東急田園都市線三軒茶屋駅で、昨年4月、銀行員の牧顕さんが暴行を受けて死亡した事件で、東京地裁は19日、傷害致死罪に問われた少年二人に対して、検察側の求刑通り、懲役3〜5年の実刑判決を言い渡した。
 とまあ、ここまでなら、ごく普通の裁判なんだけどもね。
 さて、このあとが見モノだったんである。
 裁判長の山室恵氏、判決後に、「酔った被害者が絡んだとはいえ、命を奪われるまでの落ち度はなかった。遺族らの無念さは察するに余りある」と述べたあと、「唐突だが、さだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか」と二人の被告に問いかけたのだ。
 ……あの、私、正直に言いますが、テレビの前でこけました。
 あの、ガッコーのセンセーが生徒叱るんじゃないんですよ、裁判ですよ、しかもよりによってさだまさしの『償い』〜?
 あの、私がコケた理由、ちょっとわかりにくいと思うんで、さだまさしの『償い』、ちょっと引用しますね。

  月末になるとゆうちゃんは 薄い給料袋の封も切らずに
  必ず横町の角にある郵便局へ とび込んでゆくのだった
  仲間はそんな彼をみてみんな 貯金が趣味のしみったれた奴だと
  飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

  僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ
  たった一度だけ 哀しい誤ちを犯してしまったのだ
  配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に
  ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた

   人殺し あんたを許さないと
   彼をののしった被害者の奥さんの涙の足元で
   彼はひたすら大声で泣き乍ら
   ただ頭を床にこすりつけるだけだった
 
   それから彼は人が変わった
   何もかも忘れて 働いて 働いて
   償いきれるはずもないが
   せめてもと毎月あの人に仕送りをしている


  今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣き乍ら走り込んで来た
  しゃくりあげ乍ら彼は一通の手紙を抱きしめていた
  それは事件から数えてようやく七年目に初めて
  あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

  「ありがとう
   あなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
   だからどうぞ送金はやめて下さい
   あなたの文字を見る度に主人を思い出して辛いのです
   あなたの気持ちはわかるけど
   それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
 
   手紙の中身はどうでもよかった
   それよりも償いきれるはずもないあの人から
   返事が来たのが ありがたくて ありがたくて
   ありがたくて ありがたくて ありがたくて
 
   神様って思わず僕は叫んでいた
   彼は許されたと思っていいのですか
   来月も郵便局へ通うはずの
   やさしい人を許してくれてありがとう
 
   人間って哀しいね だってみんなやさしい
   それが傷つけあってかばいあって
   何だかもらい泣きの涙が とまらなくて
   とまらなくて とまらなくて とまらなくて

 あー、この詩を読んで感動した人にはすみません、私はこの詩にゃ全然泣けんのです。
 裁判長は、「この歌の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君らの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と諭したとか。
 さらにさだまさし本人も、「交通事故で夫を亡くした知人から聞いた実話が元になった歌です。加害者を許した被害者と、被害者からそのような言葉を引きだした加害者の誠実さの両方に心を動かされました。裁判長は二人の少年に、誠実な謝罪こそが人の心を開くんだと言うことを訴えたかったのではないでしょうか」と話したとか。
 そうかあぁ?
 「加害者が被害者を許した」って、ホントにそうかぁ?
 いや、広義に解釈すれば「許す」範疇に入ってると言えはするだろうけれど、この詩の中の被害者の奥さん、はっきりと「あなたの文字を見る度に主人を思い出して辛いのです」って言ってるんだぜ?
 前後の「あなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました」とか「もうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」とか、方便でしょ?
 「二度とアンタとは接点持ちたくない」って言ってんだから、これ、完全に「拒絶」じゃん。普通「拒絶」を許されたこととは言わんぜ。
 これなら、自分のクビ締めながら泣いてる相手に向かって、「気持ち悪い」って言ってやるやつのほうがよっぽど相手を許してるだろう(^o^)。

 この奥さんが優しい人だってのはそうかもねえ。
 「『あなたの手紙を受け取ると、こいつカネさえ払ってれば償えると思ってるのか、ああ殺してやりたい復讐してやりたい』って気になるから手紙送らないで」なんて書かないもの。いや、もともとそんな人じゃないんだろうけどさ。
 仮にこの「ゆうちゃん」が誠心誠意、償う気で送金してたとしても、それは被害者の生を取り戻すことにはならない、どうやったって償うことなんてできないんだって「限界」を露呈しているのだ。
 それをよくもさだまさし、「やさしい人を許してくれてありがとう」なんてあまったるい解釈ができたもんだ。
 さらにそれを引用する裁判長も、これで本気で被告が反省すると考えたのかね。ヘタすりゃ、「送金し続けたらいつか加害者の遺族も許してくれる」なんて甘っちょろいこと考えた可能性だってあるぞ。なんたって実刑とは言え、人を一人殺しといてわずか3〜5年で出てこれるんだからよ。
 詩なんてさあ、読む人間によってどうとでも解釈できるんだから、こういう「裁判」みたいにキッチリした解釈を下さなきゃいけない時に語ったりしていいものじゃないよ。
 そう思いません?

 
 神野オキナ『シックス・ボルト』(メディアワークス/電撃文庫・640円)。
 うーん、エヴァンゲリオンチルドレンか? これも。
 作者はそう思われたくないかもしれないけどさあ、イラストからして似てるんだからしゃあないって。
 2015年(ジェッターマルッスゥー♪)、異星人から一方的な宣告を受け、地球の存亡を賭けて限定戦争が行われることになり、戦士として選ばれたのは17歳の高校生たちだった……。
 ってまあ、なんだかモトネタを探るにこと欠かないような設定もそうだけどね、読んでてアタマ抱えたのが、主人公たちのネーミングよ。
 真永見由宇(まなみ・ゆう)!
 久遠院氷香(くおんいん・ひさか)!
 間月 蛍(まづき・けい)!
 アイラ・クォレル!
 黒原梨津絵(くろはら・りつえ)!
 ……どこの世界の人間じゃ。
 安藤隆信(あんどう・たかのぶ)って普通の名前のやつも出てくるけど、ザコキャラだし、何となくあの俳優さんに名前が似てるんで、もしかして作者がファンか? という疑いも捨てきれない。
 しかもよう、氷香と蛍はレズの関係でさあ、でもそのことが本筋にはさして関係してこねーの。単なる「彩り」ね。……んな彩り、要らん。
 黒原っつーのが地球人側の司令官なんだけど、これが主役陣たちと全くと言っていいくらい関わらない。……だったらこんなキャラクターなんかいらねーじゃん。黒原が無能な副官を罷免するエピソードなんがジャマなだけだ。そういうの書けば戦争のシリアスさが出せるとでも思ってるのか? 甘いよなあ。
 もちろん、戦いの中で死ぬキャラも出て来てさ、戦争ってなんなんだよう、みたいな展開もあるんだけど、それがもうどうしようもなく甘い。
 愛する相手が殺されて、それまでは冷静だったやつが途端に激昂して、敵に向かって絶叫しながら突進してくなんて陳腐な展開、これまでどれだけ見せられてきたことか。ロボットアニメか。
 もう、ホントに妄想の中だけで作ったって匂いがプンプンしてるよねえ。
 あれっスよ、高校の文芸部崩れで、今までヤオイ小説しか書いてなかったような女の子がだよ、私もえっちものばっかじゃなんだしぃ、ちょっとシリアスなものを書いてみようと思ってぇ、それからぁ、SFにもしてみましたぁ、っつーてよ、書いてみたはいいけれど、やっぱり自分のシュミモノになっちゃったって、そんな感じィ?
 こないだ読んだ『コンセント』も結構恥ずかしい小説だったけど、この『シックス・ボルト』も相当恥ずかしい。いろいろリクツをこねくり回してるけど、結局アンタがやりたいことって耽美? ってのが見えちゃうとこがねえ。
 この流れって、絶対『グイン・サーガ』っつーか栗本薫の悪影響だよな。
 せめて、ヒロインの名前を権田原花子にしても、ちゃんとシリアスが書ける筆力を身につけてから小説は書こうね。



(訂正&お詫び)
 ……とかなんとかヒデエこと書いたら、作者の神野さんから、「名前は実在人物と重ならないためにワザとしたことです」とご丁寧なメールを頂きました。うーん、こんな無名日記のいい加減な記事にまで目を通していただけるとは……。
 この日記を書いた時、こう思ったのは事実なんで、今更削除はしませんが、ネーミングの件については私の完全な誤読ですので、ここに訂正させていただきます。作者の神野さんにも不快な思いをさせてしまいました。申し訳ありませんでした。



 ああ、一回書き上げたやつがなんかパソコンがイカレて消えちまったんで。UPするのに時間がかかっちまった。
 うっうっうっ、神様に見離されてるよう(T-T)。

2001年02月19日(月) 語源の楽しみ/ミステリチャンネル『ポワロと私』ほか


2002年02月18日(月) くまくまくまっ/アニメ『エイトマン』第1話「エイトマン登場」/『すべてがFになる』(森博嗣原作・浅田寅ヲ)ほか

 さてさて、まあとりあえずは“めでたい”ことから。
 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が、第52回ベルリン国際映画祭の最高賞の金熊賞に、イギリスとアイルランドの合作でポール・グリーングラス監督の「血の日曜日」と並んで選ばれた。
 センパイが作ってるアニメであるにもかかわらず、『千と千尋』を私は貶しまくっている(^^)。だってさぁ、実際、過去の作品(『ナウシカ』以前ね)よりつまんないんだから、しゃーないじゃん。
 もっとも、映画祭の都都逸だか洋喇叭だかの審査員たちが、宮崎アニメに触れたのはこれが初めてかもしれないし、ショック受けたのもわからんわけでもない。審査員長はインドの人だっていうから、宗教的な偏見がなかったのも幸いしたんだろう。
 もちろん、この受賞に不服な人たちも、世界には多いと思う。
 『ハリー・ポッター』と同じように、「あのような原始的アニミズムを礼賛するような反キリスト教的映画は云々」とかなんとか、バカガイジンが喚き出すんだろうってことも見当つくし。
 誉めるにしろ貶すにしろ、文化的背景を何も知らずにガイジンさんはモノを言うから、今回の受賞だって、そんなに素直に喜べるものじゃないんだよねえ。

 けど更に予測がつくのは、日本のジャーナリストやヒョーロンカ連中が大慌てで、かつて『千と千尋』を貶してた人が誉め直したり、逆にあくまで頑強に否定したりとか、醜態をさらすだろうってことだ。
 ちょうど、黒澤明の『羅生門』をその年の5位に留めた『キネマ旬報』の評論家連中が、同作がベネチア映画祭金獅子賞を取った直後から、掌を返したように
誉めそやし始めたように。
 他人の批評とか、賞を取ったとか、そんなこととは関係なく映画を見ることができる評論家ってホントに少ない。気がついたらそういう「権威」に振りまわされてたってことが、アタマよさげなヒョーロンカほどあるんだよな。

 当たり前の話だが、どんな映画にだって、いいとこ悪いとこ、両方ある。
 視点を変えてみれば、いいものを悪く、悪いものをよく評価することだってできる。
 だから、批評をする際に絶対に考えておかなければならないことは、自分が、あるいは他人が、それぞれどういう文化的フィールドに立ってモノを言っているのか、それを明確にする必要があるってことだ。でなけりゃそれはただの「感想文」にしかならない。
 「批評」とか「評論」ってのは、実は単体で成立するものじゃなくて、他人との間で交わされる弁証法なんである。だって、批評って、その批評するための対象となるべき概念がなきゃ成立しえないんだし、その時点で「対象=他者との接点」は生まれてるわけよ。そんなこともわからないエセ評論家がどれだけ多いことか。

 宮崎さんがそういうエセ評論家を相手にするはずもないから、たいていは犬の遠吠え程度にしか聞かれないだろうし、そんなヒョーロンモドキは泡沫のように消えていくだろう。
 本当に消しちゃならないのは、「『千と千尋』が賞を取った」なんて、ただのお題目じゃなく、ある映画が人に見られ、語り継がれ、また人に見られて行く、その「中味」であり、そういう過程をたどる「歴史」なんである。
 さあ、せっかくベルリンがきっかけを作ってくれたのだ。
 まだ食わず嫌いで『千と千尋』を見に行っていないやつ、誉めるも貶すも君の自由だ。今から映画館に走れ。
 しげ、お前のことだよ。


 頭痛が激しい。
 しげが「不潔にしてるからやん。風呂に入って歯磨いて髪洗ったら治るよ」というのでそのとおりにしたらますます痛くなった。
 しかたがなく寝たら、そのまま五時間、くたばったまま。
 寝る時間が不規則になって、またまた体調不良に。
 夜、しっかり寝たいことは寝たいんだけど、夜ほどやりたいことが増えるんだよね、ホントにどうしたらいいんでしょ。


 CSファミリー劇場『エイトマン』第1話「エイトマン登場」。
 平井和正・桑田次郎の原作は『8マン』だがアニメは『エイトマン』。周知のことだが若い人のために老婆心です。
 放映期間が昭和38年11月7日から39年12月24日ってことは、私ゃ0歳から1歳だよ。
 でも、確実に本放送で見てるし(再放送を見た記憶はない)、「あ、『鉄腕アトム』や『鉄人28号』より絵がカッコイイ!」と思った記憶はあるから、0歳でもうモノゴコロはついてたんである。アイキャッチは「おお、こうだった!」ってはっきり思い出したし。そんなこと言ってるとなんかすごいみたいだけれど、私と同世代の人間ってたいていそうなんだよね。当時はオトナたちはシャカリキになって「テレビばかり見てるとバカになる」って、百万言を費やしていたが、テレビアニメが私を初め、当時の子供たちの脳を活性化させたことは間違いないことなんである。

 もちろん、40年も前の、テレビアニメ創世記の作品であるから、脚本も稚拙、作画技術・演出ともに稚拙、というのは事実である。
 今の子供たちが見て面白がるかっていうとそれは確かに難しかろう。
 にも関わらず、意外に、本当に意外なのだが、ドラマツルギーの骨格自体は結構しっかりしているのだ。これには驚いた。

 警視庁の刑事・東八郎(声・高山栄)はピストル強盗・でんでんむし(声・近石真介……多分)追っていた。しかしそのワナにかかり、逆に車で轢き殺されてしまう。
 そこにやってきた谷大和博士(村松為久)、東八郎の脳がまだ生きている、と死ぬ前にその人格と記憶を開発したばかりのスーパーロボット・エイトマンに移植する。
 しかし、スーパーパワー、高速移動、変身能力などを有するエイトマンだったが、東八郎の死体が残っている以上、元の刑事に戻ることはできなかった。でんでんむしを捕まえたエイトマンは、そのとき救った関サチ子(上田美由紀/現・みゆき)を秘書に、探偵事務所を開くことにする。
 警視庁には七人のセクションが七つある。しかしエイトマンはそのどれにも属さない八人目の男……その正体は谷博士と田中善右衛門捜査一課長(天草四郎)しか知らないのだ。

 脚本は原作者平井和正本人。
 谷博士がちょうど東八郎の殺害現場に現れたのはなぜかとか、谷博士が八郎の死体を隠しとけば元の刑事として復帰できたんじゃないかとか、設定の細かいミスはいくらでもあるんだが、八郎がロボットになってしまった悲しみ、自分の力を悪用することすら可能というジレンマ、それを乗り越えて正義のために戦う決意、その感情の起伏こそがドラマツルギーを生み出すのだとツボを平井脚本は抑えてるんである。
 まあ、悪党の名前が「でんでんむし」であるとか(コケるとホントにでんでんむしになる。オイ)、警官が何十人も一台のパトカーに乗りこむとか(『ブルースブラザーズ2000』の40年前……ってモトネタは『オペラは踊る』だね)、このあたりの今見ると苦しい場つなぎギャグが、もともと脚本にあったとは思えないけれど、技術の無さを細かいカットの畳み掛けでカバーして見せようって演出、なかなか意欲的である。

 関係ねーけど、この記事書くのに、エイトマンのスタッフとか声優とか、ネットで調べたけどまとめてキチンと書いてるサイト、ひとつも無いぞ。
 昔のアニメのデータ、やっぱりどこかでキチンと保存しておこうよ。


 給料日前でそろそろ生活費が底をついてくる。
 もちろんDVDボックスとか買わなきゃカネは減らないのだから、自業自得である。
 食事を安上がりですませたい時はガストに限る。
 ということで、今晩のメシは目玉焼きハンバーグ380円、二人で760円。 最初は「吉野家に行こうか? 200円かそこらで牛丼食えるよ」って言ったんだけど、しげが「吉野家って牛丼か牛丼か牛丼しかないんよ、選べないじゃん!」とのたもうたので、ガストにしたのだ。
 でもここだって安いの食おうと思ったらハンバーグかハンバーグかハンバーグしかないんだが。


 夜はまたまたチャット。
 『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』の話やらで盛りあがる。いいオトナが「私も泣いた」「俺も泣いた」なんて喋りあってるなんて、異常な状態(^_^;)。
 そこのHPの管理人の方が、「まだ『オトナ帝国』」を見ていない」と仰るので、みんなで「見ろー」「見ろー」と洗脳する。
 もう、こうなると立派な宗教だ(^o^)。


 マンガ、森博嗣原作・浅田寅ヲ作画『すべてがFになる』(ソニーマガジンズ・651円)。
 えー、私が買ったのは「ソニーマガジンズ」版ですが、今は「幻冬舎」に版元が移っとります。ずっと読んでなくてほっぽらかしてたんで、感想書くのが遅れちゃいました。
 うーむ、浅田さんの絵は嫌いじゃないんだが、小説読んでるとやっぱり違和感あるなあ。
 犀川はもっとムサイ印象だったし、萌絵ちゃんはもうちょっと理知的な顔立ちを想像していた。黒目がちっつーか、どこを見ているかわかんないようなキャラデザインで、どっちかっていうと白痴的にすら見える。
 いや「白痴的」ってのは私の主観か。見る人によってはかわいいのだよ、これが。
 もちろん萌絵ちゃんは犀川の「ホームズ」に対する「ワトスン」なんだから、絵にする時はバカっぽく描いたっていいんだろうけど、それは実は安易な手段。理知的に書いて理知的でない行動取らせた法がリアルなんだよな、本当のとこは。
 けれど、マンガになっても、原作小説の、ミステリーのトリックとしては物理的に成立不可能ないくつかのミス、修正されてないね。もっとも修正のしようもないし、修正する気もないんだろうけど。でもオビに「ミステリィ」と銘打つのはやめたほうがいいよなあ。


 マンガ、北崎拓『なんてっ探偵アイドル』7巻(小学館・530円)。
 ……なんか、5、6巻まとめて1回の感想で充分じゃねーかって気がしてきたなあ。一応ミステリィだから、ルール守ってトリックのミスとかいちいち書かねえしよう。
 もっとも更に5、6巻も続くかどうかわからんが。でも7巻まできたし、意外と行くかも。行くのかホントに(+_+)。
 でもスゴイよー、怪盗リストのピアノ消失トリック。
 どんなバカなミステリ作家でも、ここまでのバカトリックを考えつけるか(いや、考え付いても恥ずかしくて書けんだろう)ってくらいスゴイからねー。
 いいよなー、今はどんなバカでもミステリーが書ける時代で。こんなんでいいのなら、ホントに百本でも二百本でもミステリー書けちゃうよなあ。
 まあ、思いっきり貶してるけど、絵が安定してきてアキラちゃんがかわいいので許す。多分8巻も買う。マジかよ(^_^;)。

2001年02月18日(日) HPの原稿はまだ1/10程度です/ドラマ『百獣戦隊ガオレンジャー』第1話ほか


2002年02月17日(日) ヘンなメール/『百鬼夜行抄』9巻(今市子)/『空前絶後のオタク座談会�◆.淵�ヨシ』(岡田斗司夫・山本弘)ほか

 疲れて朝は熟睡。
 確か『忍風戦隊ハリケンジャー』は今日からだったと思うが見損ねた。
 何度かこの日記にも書いていることだが、「戦隊シリーズ」は私の世代だともうあまり思い入れないんだよねえ。しげからも「アレはいいコレはいい」と勧められちゃいるんだけど、積極的に食指は動かない。
 言っちゃなんだが、劇団の連中が殆ど戦隊シリーズのファンなのは、単に子供のころに洗礼受けたからってだけの話じゃないのか。今の眼で見ても、ドラマ。映像センスともに出色の出来である『ウルトラQ』なんかと比べると、レベルが違い過ぎる。
 やっぱり私にしてみれば特撮・SF番組の数ある中の一本って位置にしかないんで、しげが戦隊シリーズの主題歌曲集を買うの見てると、「いや、買うなとは言わんが、それより先に買っとかなきゃならんもんがもっとあるんじゃないのか、『ウルトラシリーズ全曲集』とか伊福部昭とか」と思ってしまうのだ。
 ……え? 別にどっちも買わんでいい? 失礼いたしました。
 「戦隊シリーズ」があまり特撮ファンの中でも面白いモノとして認識されてなかったってのは、ゆうきまさみが「でもあのカット割りは評価できる」と言ってたことでも証明できる。ただそれも10年以上前の評価だし、コアなファンが増えていけば、ちったぁ鑑賞に耐えるもの作んね〜となってスタッフも考えたりするんじゃないかと思って、私もときどき見てみたりはするんだが、なぜか私の見る回に限って、すっげーつまんなかったりするんである。
 それでもさすがに1・2話はくらいは物語のフォーマットでもあるし、少しは気を入れてるんじゃないかと思うんで見てみようとは思ってたんだがなあ。
 なんにせよ、「食わず嫌い」は嫌いである。
 見もしないで「どうせつまんないんだろ?」と決めつけることは私が一番嫌うところなので、ともかく来週はなんとかがんばって起きて見てみよう。


 『仮面ライダー龍騎』第03話「学校の怪談」。
 ああ、何かいきなりガラス割ってますけど(^_^;)。
 ええっと、ガラスっつーか鏡の世界の中で、龍騎とナイトが戦ってる様子、優衣からは見えてるわけね?
 それは優衣だけに見えてるわけじゃなくて、通りがかりの他の人にも見えてるんじゃないの? だったらなんでみんな騒がないのよ、それとも気がついてるのは優衣だけだったってこと?
 割ったガラスの破片がどうなったか。
 なんと、鏡の世界の方と、現実の世界の床と、両方に落ちてったのだ!
 これって、分裂したのか?
 こちらの世界で壊したモノが、アチラの世界でも壊れる。これは解る。
 けれど、向こうで割れた破片が同じく向こう側に落ちるのっておかしくないか?
 しかも、鏡の中での爆発とかがこちらの世界に影響を与えた気配はないんだよなあ。
 ……待てよ、考えてみたら、こちらの世界にいる人間が鏡の世界にはいないじゃん。
 もしかしたら、私が見落としてたのかもしれないけれど、アレって「鏡の世界」なんかじゃないんじゃないのか。なら、アレは全くの別次元なのか。
 ああっ設定がよくわから〜ん!


 メールチェックなどして、ここしばらく、ウィルスも送られてこないし平和だよなあ、と考えていたら、なんだかよくわからないがイタズラメールらしいモノが来ていた。
 まあ、その人が偶然この日記を見つけて(いや、可能性はありそうなんである)「自分のことだ」と思っちゃったりしたらヤヤコシイことになりそうなので、詳しい内容はここには書かないが、どうもオツムのネジがちょびっとヒン曲がっている人らしい。
 ああ、やっぱりこういう人っているんだよなあ、こういう人と日常的に付き合ってる人って大変じゃないかなあ……とか考えてたけど、当面のその人のターゲットは私なんである(^_^;)。
 さて、どう対処していいものか、と思案に暮れたが、いい解決方法も思いつかなかったので、困って知り合いなどに相談してみる。
 結論は、「知らんフリしとけばあ?」。
 それで向こうが何も言ってこなけりゃそれに越したこたぁないな。


 アニメ『サイボーグ009』第18話「張々湖飯店奮闘記」 。
 脚本が久方ぶりの大西信介さん。
 作画も安定していて、ようやく安心して見られる話になったかなあ、という感じ。
 ……やっぱり、今回のシリーズ、スタッフの層が薄いんだろうなあ、脚本を含めて、出来のいい回とショボイ回の差が激しすぎるもの。
 黒い幽霊団との新たな戦いに移る前に、サイボーグたちの生活の拠点を作っておこうってことなんだろうが、原作とは微妙に設定が違ってるな。
 つーか、009、エピソードによって、レーサーだったりギルモア博士の研究所の助手だったり、立場が違うんで、まあ、どれかに統一する必要はあったんだろうけど。
 一緒に生活していた仲間が、張々湖の料理で実は繋がっていた、という設定が秀逸。
 特に、戦後も残る地雷のせいで、村に届けるはずだった食料を一気になくしてしまったピュンマが、張々湖に鍛えられたことを思い出して小麦粉だけで料理を作るエピソードは、ほんのわずかな時間に『009』のテーマが凝縮されたかのような名創作。
 「料理」はまさしく生活の根源であり、我々の日常を築き上げる原動力となるものだ。その「日常の力」こそが、たとえ戦地であっても平和を取り戻していく唯一の力となりうるのだと、訴えているようではないか。
 で、唯一、張々湖から料理を習わなかったジェットだけがワリを食う、というオチも粋だ。
 まあ、料理は国境を超えて絆を作る、みたいな『美味しんぼ』的な話になっちゃってはいたけどね。
 ……これも、原作からは「張々湖が高名な料理評論家を迎えるために、食材を009たちに集めてもらう」ってとこしか使ってないから、脚色の妙ってとこだろうね。フランソワーズのチャイナドレス姿は原作よりも数段グラマーなプロポーションで、GOOD(^^*)。009もさりげなく(でもないか)誉めるあたり、意外とタラシだよな。そのワザも教会で覚えたのか。
 ……え? なんで009だけ名前で書かずにナンバーで呼んでるのかって?
 ジェラシってるからに決まってるだろう!

 しかし、どうもこの秀作の快進撃も今週までのようだ。
 来週放映予定だった『まぼろしの犬編』が急遽『ディノニクス編』に差し換え。しかも予告編の作画、また全然動いてない。
 ……また、落としたのかよ(-_-;)。


 マンガ、今市子『百鬼夜行抄』9巻(朝日ソノラマ・800円)。
 ……最近、買ってる本の「妖怪」率、高くなってる気がするな。
 1巻買った時にはまさかこんなに続くとは思ってなかったけど、もしかしたらホントに百話行くんじゃないか。
 となると今ちょうど折り返し点、というところかな。
 主役の飯島律、7巻で大学生になったから、18巻まで行けばどうしても社会人にならざるを得ないけど、『返礼』の回で、1年ほど妖魔にとり憑かれた時期があった、と紹介されているから、その間の「書かれざる物語」を書いて行けば、結構それくらいは持つんじゃないかな。
 しかし、9巻も重ねているというのに、語り口のウマさにますます磨きがかかってるってのには仰天する。そんじょそこらのミステリ作家よりよっぽどミスディレクションがうまい。
 それでもミステリファンのハシクレとして、「これはここでこう引っ掛けてるな」と作者のワナに気づいて真相に辿りつくことも多いのだが、今さんヘタすりゃ二重三重の引っ掛けを用意してるからねえ。
 『笑う杯』に出てくる「大奥様」と呼ばれる謎の老婆、こいつが幽霊か妖怪の類だろうってことはすぐにわかる。作中に「年とった家政婦さんがいる」とかいうセリフが出てくるから、一瞬、その人のことかとも思ってしまう。家政婦と見せかけて実は……というパターンかなと。
 ところがさりげなく「自殺した最初の奥さん」とか書いてあるものだから、あ、さてはこの人の幽霊だな、「家政婦」は引っ掛けだな……と思ったら更にそれも引っ掛けなんだもの。
 いや、ほかにも『隣人を見るなかれ』なんか叙述のトリックとしても傑作。別にミステリマンガじゃないのに、どうしてそこいらのミステリマンガより数段優れたトリック使いまくってんだよ。
 後書き読むとさあ、意外と行き当たりばったりに描いてるんだよねえ、作者。多分、作者、自分がミステリ史上に残るトリックを考案してるんだなんて、これつぽっちも気付いちゃいないぞ。……才能だなあ。
 『コナン』とかに飽き足らない人は、『百鬼夜行抄』を読むべし(ほんとかよ)。
  

 岡田斗司夫・山本弘『空前絶後のオタク座談会�◆.淵�ヨシ』(音楽専科社・1575円)。
 伏字だらけのオタク座談会もはや5冊目、よく続くよなあ、クレームも相当来ているだろうに。
 もっとも「あの伏字は私のことでしょ!」なんて怒鳴りこんで来たりした日には、その人が伏字の本人だと自ら白状しちゃうようなもんなんだが(^o^)。
 今回のゲストは伊藤秀明・かないみか・原恵一・渡辺宙明の四氏。
 『hm3』の客層考えてみると、この連載が続いているのが不思議なくらいなメンツだ。ギリギリかないさんが「声優」なわけだけれども、表紙飾る方ではないし。
 けれど、オタク界の裏話を、多少のタブーはあっても比較的突っ込んで知ることができることってそうそうあるこっちゃない。前方に立ちふさがる壁を乗り越え、更に10冊、20冊と続いてほしいものだ。

 最初のゲストの伊藤秀明氏、わかりやすく「サンダーバード研究家」と紹介されているが、その程度の肩書きで収まりきれる方ではない。「なんでもコレクター」でいいのではないか(ホントはセルワーク・イラストレーター)。
 ともかくこの人がいるおかげで世の中にLDボックスだのDVDボックスだのが氾濫したのだということがよくわかる対談。つまりは我々からおゼゼを搾り取る悪魔だな(^^)。
 何がアコギかって、例の『NHK少年ドラマシリーズ』のDVD、『タイムトラベラー』のスチールがDVD発売のあとに見つかったので、「『七瀬ふたたび』なんか一度商品化したやつだから、ここに入れればいいじゃありませんか。フォトギャラリーに入れたら絶対マニア買いまっせ!」なんてNHKにアドバイスしてるんである。
 ……そうかあ。『七瀬』、もうビデオテープで持ってるんだがなあ……。
 今回のDVDには『タイムトラベラー』のスチールが収録されてるのかあ……。せっかく買わずにいたのに、買わなきゃならなくなったじゃないか!
 伊藤さんとはそういう人である。

 かないみかさん、山寺宏一さんの奥さんであることは知ってたが、田上和枝さんの娘さんであることは忘れてたなあ。
 そういや、小川びぃさんの声優辞典に書いてたっけ。
 かないさんのイメージってやっぱりメロンパンナちゃんなのかな、一般のイメージは。
 『アイドル雀士スーチーパイ』で散々スーチーを脱がしまくった私としては、どうにもかないさんの「も〜う、エッチィ!」と言うセリフが耳について離れないんだが(おいおい)。あ、あと、『究極超人あ〜る』の西園寺えりかの「あははははははははは!」をやれる声優がいたという感動もあったね。
 ……代表作じゃないか。
 それと、この対談中に「田中公平が●●●●の悪口を言うと1時間でも2時間でも喋る」というのは誰のことだかすぐにわかるのだが、しげがその人の大ファンなので、その答えは言わない(^^)。

 『クレヨンしんちゃん』の監督、原恵一さん、拙稿を読んで頂いているのでしょうか、恐縮です。
 って、去年の夏コミで山本弘さんが出した『オトナ帝国の興亡』のことね。
 この対談の中でも、名前は出てないけど、私の原稿のことに触れていただいてて、すっごく嬉しかったのだが、雑誌掲載時にカットされてた部分にも、私の発言を取り上げていただいてる部分があった。
 もちろんネタにされていじられてるんだけど(^_^;)。
 でも、岡田さんや山本さんにイジってもらえるようなものが一応は書けたんだなあ、と思うと、感慨無量。
 ああ、今年も同人誌作りたいなあ。

 渡辺宙明さん、読み方は「ちゅうめい」でいいんだそうな(ホントはミチアキ)。中野昭慶を「しょうけい」と読むのと同じ(注に本名は「あきよし」って書いてあるけど「てるよし」だよな、確か)。
 この人の歌も結構カラオケで歌うこと多いけど、『忍者部隊月光』は歌い忘れてたなあ。私もさすがにこれは再放送でしか見てない。でもいかにもチュウメイ節のルーツで燃える曲なんだよなあ。
 あのイントロのデンデケデンデケが007のメインテーマだって話してくれたの初めてじゃないか。なるほど、言われてみればその通り。……「げっこ〜う、げっこ〜う、忍者〜、ぶーた〜い〜」って、若い人にゃ全然わかんないネタだね、すみません。
 『ゴレンジャー』の「バンバラバンバンバン」もチュウメイさんのアドリブ作曲か。わかるなあ。秘蔵エピソードの紹介はこの対談が一番多いかな。
 ヒーローソングの秘密を知りたい人には必読!

2001年02月17日(土) ゴミ箱はティッシュの山……鼻水で/『2001年映画の旅』(小林信彦)



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)