無責任賛歌
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| 2001年07月26日(木) |
全ての知識はマンガから/ドラマ『美少女仮面ポワトリン』第一話ほか |
出勤する直前に見た、朝、8:00からの『とくダネ!』で、小倉智昭が、ハムスターを飼っている子供が「アナフィラキシー」にかかっている例が増えている、と紹介していた。 なんだか聞いたことのない病気だなあ、とお思いの方もいらっしゃるかもしれないが、手塚マンガファンには、この耳慣れない病気も実はおなじみのものである。 もちろん、あの『ブラック・ジャック』に紹介されていた病気の一つで、一種の「過敏症」。最初、蜂に刺された時はなんともないのに、二度目に刺されたらショック症状を起こして死ぬというアレですね。そういうわけで注射することも麻酔をかけることもできないという、難儀な病気なのである。 で、それがハムスターとどう関わっているかというと、それまではごく普通だった子供が、ハムスターに指を噛まれて、急にアナフィラキシー症状を起こしたっていうんだね。 だから正確に言えば、「アナフィラキシーにかかっている」ではなくて「アナフィラキシーだということが判明した」と言うべきなのだろう。 ……うーん、この場合、ハムスターに罪があるとは言い難いだけに、親御さんも本人も、悲しみや怒りの持って行き先がないのではなかろうか。ハムスターのおかげで、病気であるという事実を知ることができたとも言えるわけだし。 でも、このことで「ハムスターは危険だ」なんて誤った情報が伝わってほしくはないのである。病気が判ったご家庭のハムスターは、その後いったいどうなったのだろう。子供に世話をさせることは不可能になったわけだし、まさか捨てられたり殺されたりしてはいないだろうか。
実際、動物を飼うってことに対して安易な考えしか持ちあわせていない人間ってのは多いと思うのである。 「生き物を大切にする心を養える」とか「ペットは家族の一員だ」とか言ってる人間は、私に言わせれば「発狂」してるとしか思えない。 基本的に「自立して生きることのできない生き物を養う」というのは、その生き物を自分に「隷属させている」ことでしかないのだ。たとえどんなにその対象を愛していたとしてもである。 「人間の子供を養う」ことと、「動物を養う」こととは自ずから違う。人間はいずれその「家庭」を巣立っていくが、ペットは巣立たない。というか巣立たせるためにペットを飼うヤツはいないわな。「ペットが家族だ」という言葉の欺瞞は、ここにハッキリ現れている。 逆にこう発想してみたら解りやすいかな。動物ではなく、人間を「巣立たせずに養い続ける」なんてことをしたら、どう? これは明らかに「人権蹂躙」であり、どんなに愛してたって、「虐待」になるのではないかな? 少女を拉致監禁して飼ってたヒトもいたよねえ。あるいは「あなたは私の可愛いペットよ」なんて言って、美少年をマンションに飼ってる有閑マダムなんてのもいたりするよな(そういう願望持ってる女っていそうだよなあ)。 それも「家族」なのか?
私は別に、「ペットを飼うな」とか、「ペットを愛しちゃいけない」とか言いたいわけじゃないのよ。けだものを飼うのには、それなりのルールと覚悟が必要だろうってことなの。実際、なにが起こるか分らないんだから。 以前、『動物のお医者さん』がヒットした時、シベリアンハスキーの野良犬が増えたって話があったよねえ。今回の騒動も、どうせ『ハム太郎』がヒットしてるからって、安易に子供にハムスター飼ってやった馬鹿親が増えたってことなんだよ、きっと。
また殺伐とした事件。 中国自動車道に、中学一年生の女の子が、手錠をかけられた状態で、頭を強く打って死んでいる(正確には救急車で運ばれた先の病院で死亡)のが発見される。 事故とかではなく、何かの事件であることは(自分から飛び降りたのか落とされたのかは判然としないが)間違いないのだが、女の子に「手錠」をかける状況ってのはいったいなんなのだ。 どうもすぐに「拉致監禁」とか「略取誘拐」とかいうコトバが浮かんできてよくないのだが、報道もその猟奇性に興奮しちゃったせいか、とんでもない誤報(?)をしでかしている。 その「手錠」について、病院の関係者が「玩具ではない」と喋っているのを、そのまんま訂正も入れずに放送していたのだ。
あの、玩具でない手錠って、つまり「ホンモノ」ってことでしょ? ということは「ホンモノ」は警察関係者しか使わないと思うんですけど。
今日び、ちょっと頑丈な手錠なら、「玩具として」ゲーセンのUFOキャッチャーにだってあるぞ。鉄バサミでないと切り離せなかったとか病院では言ってたらしいけど、すぐに外せなきゃ玩具であっても鉄バサミくらい使うだろう。 それとも犯人はホントに警官なのか?
先日の花火大会の報道でも、テレビは、例の「茶髪軍団が暴れていた」とか、当事者の発言をまるで検証せずに垂れ流してるとしか思えない。 「証言」は「事実」とは異なるのである。そんな基本的なことも知らないから「誤報」は増えるんだが、それだけ報道関係者にバカが多いって証拠なのだ。 ニュースが結局ジャーナリズムではなく、センセーショナリズムによって成り立ってるってこと、視聴者の側はいつだって心しておかねばならないのだろうな。
仕事を終えてとっとと帰宅。 しげが今日も「私のモナ王、モナ王返せ」とうるさかったので、途中でコンビニに寄ったのだが、そこは「モナ王」を置いてない店であった。 まあ、アイスモナカならなんでもいいのだろうな、と思って、森永の「練乳入りモナカ抹茶」と「チョコモナカジャンボ」を買って帰ったのたが、観測が甘かった。 途端に「モナ王じゃない〜!」とイジケるしげ。 「なんで? 同じモナカじゃん」 「チョコが入ってるでしょ? モナカにチョコは邪道なの!」 ……そんなん知るか。 仕方なくしげ、「抹茶モナカ」の方を取って一口ガブリ。 「皮が違う〜」 何が「皮」だ。たかがアイスモナカだってえのにグルメぶるんじゃねえ。 プンスカしながら冷蔵庫を覗いてみると、非常食用にと私が買っておいた冷凍の「オムライス」が消えているのであった。 ……だからその「オレのものはオレのもの、夫のものもオレのもの」ってジャイアニズムで世の中を渡っていこうってのは人間として間違ってるぞ、絶対。
心の中にメラメラと燃えあがる殺意の炎をなんとか鎮火しつつ、「怒りっぽくなってるのはカルシウムが足りないせいだ」と思って息を整えて、新発売の「生産者の顔が見える牛乳」を飲むと、パックにホントに湯布院の牧場のおっちゃんあんちゃんたちの写真がついているのを発見。 ……「私たちが作った牛乳です」だとお? てめーら牛育てただけだろうがあ! ホントに「生産者の顔が見える」ってんなら、ウシの写真載せろ! で、「は〜い、私、ウシの花子。絞りたての私のおチチ、成分無調整よ♪」とかコメントとって見せろ!
……すいません。疲れてるんです。許してください。 それでもね、腰が痛いというしげのね、背中に湿布を貼ってやったりしてるわけよ、私は。けなげっていうより馬鹿だよね。 ……今、気がついたけど、これって女王様と奴隷の関係……? (;_;)( ;_)( ;)( )(; )(_; )(;_;)(T-T)うるうる〜
帰宅が早くなったので、日頃なかなか見られない教育番組なども見られて楽しい。「ハッチポッチステーション」で、『銀座カンカン娘』が流れたのにはのけそった。マニアックとは聞いてたが、親の世代だってそうそう知らんだろうに。 カラオケなどでは「歌・高峰秀子」とだけしか紹介されていないが、オリジナルはもちろん、高峰秀子・灰田勝彦・岸井明によるトリオ曲なのである。で、「ハッチポッチ」でもちゃんと三人の人形がパートを分けて歌っているのだね。 ……マニアックどころの話じゃないな。これはもうグッチ裕三というか、スタッフの趣味のみで成り立ってる番組なんだろうな。
ちなみにオリジナルの映画『銀座カンカン娘』は、戦後間もないころのモノクロ和製ミュージカルです。 ミュージカルったって、アメリカみたいな豪華絢爛なものが作れる時代じゃないですからねえ。物語自体、開き直って、貧乏画学生が金稼ぎにバイトしまくるという話だったりするわけです。 だいたい、一応当時のスターであるデコちゃんと灰田勝彦がですよ、田圃のあぜ道と下宿の二階で、形だけはロミオとジュリエットよろしく恋心を交わし合うのだけれど、歌の内容はというと、「デートしようよ〜」「お金がないからできないの〜」ってんですから。こりゃもう、抱腹絶倒のものですがね。 世界でもっともビンボったらしいミュージカルですが、何がすごいって、ラストくらいは豪華にシメるかと思ったら、古今亭志ん生の落語で落としちゃうんだから。 貧乏を僻まずに「まいっか」でカラリと仕上げてるセンスがいいのですね。こういう映画がもっと評価されないと、日本のギャグシーンの未来はお寒い限りなのであります。 監督島耕二の代表作、名作の誉れ高い『風の又三郎』よりも、こちらのトンデモ映画の方だと私なんぞは思ってるんですが。
CSファミリー劇場で、『美少女仮面ポワトリン』や、安達祐実版『ガラスの仮面』の第1回などを録画しながら見る。 『ポワトリン』は面白い、という評判を聞いたのが放送後期だったので、初期のころのは殆ど見ていないのだ。 当時は鈴木清順がなんでこんなのに出演してるんだ、と疑問に思ってたけど、脚本家の浦沢義雄さんつながりだったのだね。 しかし、異カタルで温泉治療に来ていて働けないから、自分の代わりに行きずりの女の子をポワトリンにし立てるってのは神様もかなり極道(^^)。しかも「ポワトリンの秘密を喋ったら、カエルにしちゃいますよ」って、脅迫じゃん。 蛍雪次朗さんのディアブルは第1回のころはまだ登場していないのだね。入院中も録画しておいてほしいのだけれど、しげ、ちゃんとやってくれるかなあ。 これももう十年以上前の番組なのだと思うと昔日の感。主演の花島優子ちゃんもとうに引退して一児の母だって言うし。 ……そういえば『トトメス』の堀川早苗は今どこで何やってるんだ?
選挙戦のニュース、当日を別にすれば今日あたりがピークか。 ニュース23で最後の党首討論、という特集を組んでいるが、昨日、小泉首相がどこぞでの演説でうっかり失言しちゃったという「大事なのは教育ですよ。日本じゃ乞食だってホームレスだって字が読める」ってことに突っ込み入れる他党首は誰もいなかったな。 森首相の時なら格好の攻撃材料だったろうに、結局「人気者に逆らうと損」とみんな考えながら「自分のほうが傷つかない」質問を繰り返してるだけなのだよなあ。 確かにね、靖国参拝問題について、土井さんは小泉さんに「参拝すべきでない」と意見言ってるように見えるよ。でも、それは本当に「戦争反対」の理念に基づいた意見だと言えるだろうか。 「靖国参拝は侵略戦争の美化」って言うんなら、首相の参拝がどうのこうのという前に、どうして靖国神社そのものを廃社にせよ、と言わないのかな? 社民党を含めた野党も、また「靖国とは別の慰霊墓地を」と主張する公明党も、ひいては中国も韓国も、「存在を認めて参拝を禁ず」と、奇妙な主張を続けているのである。その矛盾の意味を考えずに靖国参拝は是か非かを問うても意味はない。 あの戦争が「侵略戦争だった」と本気で主張したいのなら、従軍兵士たちは、たとえ「戦うしかなかった」立場であったとしても、みんな戦争犯罪者であり加害者だろう。A級戦犯も一兵卒もそう考えれば立場は同じである。合祀していることが問題なのではなくて、「祀る」こと、「慰霊」すること自体が誤りだ、と主張すべきなのだ。 なのになぜ誰も「靖国廃止」を唱えないか。
「靖国」がなくなったら日本を叩ける材料が一つ減るでしょ?
日本叩きしか考えてないバカの報道をしてるのはもっぱらテレビであって、新聞各紙によればバカを尻目に日韓交流を図ろうとしている民間の団体や学校は多いようである(ホントにテレビはそのことをなぜ報道しないか)。 たいした心配もないのに、さも不安を煽りたてるようなマネをするのは「煽動」と言わないかな? 日本国内になにかのパニックを起こさせたいのか? 「煽動」の恐ろしさは、流言蜚語が関東大震災時の朝鮮人虐殺につながったことを考えてもわかりそうなものだがねえ? 実際、日本のどこがどう軍国主義化してるというのだ。「先祖の御霊を祭る」なんて殊勝なこと考えてる日本人なんて殆どおらんぞ。ましてや靖国に毎年参って、「いつかは中国朝鮮を日本が侵略しますから」とか誓ってる奴なんぞおりゃせんわい(0じゃないかもしれんけど、国政を左右できるほどではないことは自明)。 そんなやつらが大量いるかのように勝手に決めつけてること自体、偏見と差別以外のなにものでもない。そんな証拠が具体的にあるんならあげてみろってんだ。 このままいくと、『オトナ帝国』のような映画が作られているのが復古イズムの象徴だとでもあのバカどもは言い出しかねんな。
| 2001年07月25日(水) |
福岡腰痛クラブ/『庵野秀明のフタリシバイ』ほか |
半ドン生活になればゆっくり眠る時間が取れるかと思ったら、そうでもない。 時間があればあったで、読みたい本、見たい映画はあるもので、つい読み耽り、ビデオ三昧の生活を続けてしまうものだ。 私はあまり頭がよいほうではないので、一読三歎というわけにはいかない。二読半歎、三読一歎くらいが関の山である。 それで、一度読んだ本は読み返し、一回見た映画もビデオで何度も見返すことになるのだが、そのたびにやはり新しい発見がある。 と言うか、最初読んだ(見た)ときには、たいていなにかを見落としているのである。
一昨日の日記に『チビ太の金庫やぶり』の元ネタはなんだっけ? と書いたら友人から「そりゃO.ヘンリーの『改心』やんか、ボケとんのかワレ」(東京人だからこんな喋り方はしないが)と指摘があった。 おお慌てで岩波文庫の『オー・ヘンリー傑作選』を引っ張り出して読み返してみれば、まさにその通り。読んでるのになあ、なんで忘れるかなあ、と思いながらほかの短編を読み返してみたら。 おい、大丈夫か、私の脳。 『賢者の贈り物』も『警官と賛美歌』も、中学・高校の教科書に載るくらい有名で対訳本なんぞも出ているというのにまるで初読。いや、初読のはずはないのだ、その対訳本で訳したという記憶はあるのだから。……それとも訳がヘタクソで私は全く違う物語にしてしまっていたのか? あの有名な『最後の一葉』はどうだろう、と恐る恐る読み返してみたら、これも同様。いや筋こそ同じだけれど、私の記憶の中には、雨が吹き荒ぶ中、絵筆を持って壁に描いた一葉の色が落ちぬよう、何度も塗りなおすジイさん(ベールマンって名前だったんだね)の姿と、「神様! 私に今少しの命を!」と叫ぶセリフまで鮮明に残っていたのに、原作にはそんなシーン、全くないのである。 ……記憶は作られるってホントだなあ。
これは「なにかを見落としてる」例ではなくて、「なにかを作り上げてる」例だったな。だからまあ、本は何度か読み返さねばならないという結論は同じだけどね。
早朝3時。 しげがいつものように仕事から帰ってきた……と思ったら、いつもと違って、気の抜けた声をあげて、 「助けてぇ〜。o(ToT)o 」 「……どしたん?」 「いきなりギックリ腰になった」 仕事中、何か重いものを持った瞬間にギクッと来たらしい。 立ってても痛い、寝てても痛いというのだが、その様子にまるで悲壮感がない。 いや、本人が本気で痛くて苦しんでるのは解るんだけどさあ、痛みがズキンと走るたびに、「あひ〜」とか「うひ〜」なんてアニメみたいな悲鳴上げられてたら、こっちは心配する前に笑っちゃうんだよ。 冷酷な夫ですまないが、面白すぎるしげが悪いのだ。 「儚さ」とか「切なげ」という言葉がおそらく世界で一番似合わない女だからなあ。
かと言って、見てて笑ってるわけにもいかないので、風邪引いてることでもあるし、医者に絶対行くように厳命して仕事に出かける。 出かけようとして、ふと、気づいて振り帰り(コロンボか)、しげに言う。 「……自転車で行くなよ。タクシーで行けよ」 「どうして?」 「その腰で乗れるンかい!」 「ああ、そうか」 私が言わなきゃ、自転車に乗るつもりでいたらしい。で、乗ろうとした瞬間、腰を痛めてることに気がついて「あうっ」となるに決まってるのだな。 風邪引きの時もそうだが、薬で熱を抑えると「治った」、安静にしていて痛みを感じないでいると「治った」と勘違いするくらい、しげは鶏頭なのである。 ああ、こんな馬鹿が現実に存在するのだ。 世界は不思議でいっぱいだナア。
帰宅してみると、しげは腰にサポーターを巻いて、のへ〜っとくたばっている。 「どうだった?」 「どうって、湿布と薬もらったよ」 「それだけ? 入院はしなくていいのか?」 「なんで。入院しろなんて言われてないよ」 ……こいつは、去年、車にはねられた時に入院を拒否してこっちに迷惑かけまくったこと、もう忘れているのだな。保険がおりる分だけそうしてもらった方が助かるんだけど。 実際マトモに身動きすることも出来ないくせに、入院しないでほっといてもいいものなのか? 寝て湿布するだけで治るものなの? ともかく動けないというならしかたがない。家事は私がやるしかないので、買い物に出かけることにする。
「買い物に行くけど、ほしいものはあるか?」 「二ク〜」 それしかないんか、お前は。 「あと、『モナ王』。アンタが私の食べたやつ」 ……昨日、冷凍庫に一つだけ「モナ王」があったので、てっきりしげが私の分を買っておいてくれたのだと思って、食べてしまっていたのだ。 観測が甘かった。 私は買い物をすると、必ずしげの分も買っておくのだが、しげは自分の分しか買わないヤツなのであった。 「『モナ王』返せ〜」 「わかったよ、買って返すよ」 そう返事はしたものの、実はこれはむちゃくちゃ理不尽な話なのだ。 なぜなら、私が一昨日買っておいた牛肉四人前、私がひと切れも食べないうちにしげに食いつくされているのだから。
「のどシュッシュ(喉に噴霧する薬の事らしい)も買ってきてねえ」 というわけで、薬局を回って、スーパー「大栄」で冷凍食品だのレトルトおかゆだの、手間のかからぬものばかりを買う。 ちょうど土用の丑の日でウナギがやたらと置いてあったので、それも買う。 二尾で680円ってのは高いのか安いのか。鰻屋で食うのに比べりゃ安いのはわかるんだけど。 帰宅してしげと二人で、温めて食ったが、身はポロポロでマズイとは言わんがウマイと言うほどでもない。ウナギは高くてもやはり炭火焼の店で食べるのに限る。 そう言えば「柳川屋」にももう何ヶ月も行ってないなあ。
結局、しげは仕事も休み。 毎年、夏の時期になるとなんだかんだで仕事を休むのはよくないぞ。
『キネマ旬報』8月下旬号、特集は『猿の惑星』だけれど、表紙で猿たちに「見ざる聞かざる言わざる」のポーズを取らせてるのは日本向けのキャンペーンのつもりなのだろうか。 ……「面白い」と「つまんない」の境界線にあるようなアイデアだなあ。 いわゆるこの「三猿」、日光東照宮の彫刻が有名だし、日本語としてうまくシャレになってもいるので、日本オリジナルと思われがちだが、やはりインド・中国経由で伝わってきたもの。地方によっては股間を押さえた「せざる」ってのもあるらしいが、まあそれだけ「猿」ってのが欲望の象徴として見られてたってことなんだろうな。 で、『猿の惑星』の原作者、ピエール・ブール。 ご承知のとおり、『戦場にかける橋』の原作者でもある。ビルマ戦線において日本群に抑留された経験もある筆者、この『猿の惑星』もその時の経験をもとにして書いた、という説が根強い。 となると、あの猿たちも日本軍ってことになるわけだけれど、だからって腹を立てるほど私ゃナショナリスティックでもないので、素直にSFとして楽しめればいいなあ、と28日の公開を待ち望んでいるのである。
基本的に映画を見るまで特集記事はザッとしか目を通さないことにしてるので、結局読むのは新作映画の制作状況ってことになる。 冬目景の『羊のうた』を加藤夏希で映画化ってのは個人的には期待しちゃいたいとこなんだけど、原作がまだ事件らしい事件も起こっていない、設定紹介の段階での映画化ってのは、ちょっと早すぎるんじゃないのか。 でも仮にも一本映画を作ろうってんだから、途中で尻切れトンボってことにはしてほしくない。原作と違ったオリジナルな展開になって構わないから、一つの世界をちゃんと構築して完結させてほしいのである。 加藤夏希は、SF・特撮ものばかりに出演してくれるのは嬉しいのだけれども、『ロボコン』『まぼペン』『エコエコ』と並べてみると、どうにもこれが新世紀のSF特撮ドラマだ!って力のあるものがない。 そりゃ考えて見れば当たり前で、これ三作ともリメイクなのだ。 特撮オタクってのは、ストーカー的なヤツも中にはいるみたいだが、一度ファンになったら、簡単に目移りしないでそのヒーロー、ヒロインを愛し続ける律儀さを持っている。しかし、そのためにはやっぱり「作品」自体に力がなくてはダメなのである。 いくら『透明ドリちゃん』の柿崎澄子はよかったよねエ、と言ったって、誰が見てたんだそんなん、と言われてしまうのである。 『羊』に私がなぜ期待するか、なぜそんなに加藤夏希に入れこむか。 だって、ここしばらくの特撮ヒロインで、ずっと特撮ものに出演し続けてくれてる女優がどれだけいるかね? とりあえずファンをつける、あるいはトレンディドラマに出演するためのきっかけにする、そんな感じで出演してるやつが多くないか? どうして水野美紀のフィルモグラフィーから『くノ一忍法帖』『くノ一忍法帖�供\讃�女の秘宝』がカットされているのだ。そんなに恥ずかしい役だったのか。はっきり言うが、『ガメラ2』の誰が演じたって変わらんような役柄や、『踊る大捜査線』みたいにどこに出てたかわからんような役より、よっぽど輝いてたぞ。 ファンはいいんだけど、製作スタッフが役者を大事にしないってのが、やっぱり情が薄いと思うんだよなあ。 特撮番組、子供番組に出たせいで、次の仕事が来なくなったって例、いくらでもあるじゃないか。なぜ次の仕事でも使わない。どうして特撮関係者の男優は悪役に、女優はアダルトに行かねばならんのだ(ちょっと嬉しい面はあるけど)。 俳優を使い捨てにする製作状況に対して、ファンとして腹を立てているのだ。 ……断言しよう。加藤夏希は逸材である。 いや、演技的にじゃなくて、特撮ものに偏見がないという点においてだ。 CSのガイドやってる様子見てると、素顔は意外と能天気な姉ちゃんらしいのだが(だからこそ特撮ものにばかり出てるのかもしれないが)、あまり馬鹿にしないでみんなで大事に育てていこうよ。
『庵野秀明のフタリシバイ』。 庵野秀明の、アニメ関係者が殆どいない対談集。というか、殆ど演劇関係者ではないの。 鴻上尚史、野田秀樹、幾原邦彦、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、松尾スズキ、いのうえひでのり、常盤響、田口ランディ、林原めぐみ、Dr.エクアドル。 「もう私、アニメには興味ありませーん」って感じが見て取れるな。 で、当然話はアニメよりも「演劇とはなにか」みたいな話ばかりになっちゃうわけだ。この本、サブカルチャーの本棚に平積みになってたんだけど、演劇棚に置いておいた方がいいんじゃないか。
ある意味、庵野秀明というヒトは、インタビュアーとして類稀なる才能を持った人だと言えるかもしれない。 以前、大島渚と対談した時に、「戦争世代や全共闘世代の人はいいですよね、共通体験というか核があって。私たちにはアニメしかないですから。空っぽなんです」と、恐ろしいことを言ってのけていた。 ……あれだね、これ、普通言っちゃいけないことなんだけどね。言ってみれば、乙武広匡に対して「いいよね、五体不満足で語ることがあるから」と言っちゃうようなもんだ。 それをあえて言うってのは、「私は空っぽです」ってことを自分の立場として開き直ってるわけで、この人の「もう作るものがない」「自殺しそうになった」とか、一連の消極的発言はウソとは言いきれないが、それが庵野さんの創作する立場なのだから、こちらがいちいち心配する必要はないのである。 でも演劇関係者ってのはこういう言葉にいちいち反応するのだね。 例えば鴻上尚史との対談。 鴻上さんは『エヴァ』に並々ならぬ興味を持っていて、なんとか庵野さんから創作の秘密を聞き出そうとするのだが、庵野さんの答えは「そうです」「はい」「いえ」ばかり。結局気がつくと鴻上さんが「演劇の秘密」を語っているのである。 「目の前に役者いるのにノートにね、役者の配置とか描いてる奴はろくな奴じゃないです。演劇なら動いてもらった方がすぐわかる」 「僕らが芝居でね、謎を出すのは、世界って結局微笑みはしないし、世界は決して僕らの了解可能なものではなくて、その中で生きていくしかないのだから、了解可能な世界というものが嘘くさいっていうものがあって」 ……熱く語るよなあ、演劇モノは。 しかも自分は冷静で斜に構えてるつもりだから始末に悪いのだ。だいたい、これだけの演劇人にあって話を聞いてりゃ、どこかで対立があってもいいくらいなのに、この対談集、見事なくらいに対立が存在しないのである。 野田秀樹の天皇話なんか、庵野さんにとってはどうでもいいことだろうに、それでも受け答えしてるんだものなあ。 食えない人なのである。
| 2001年07月24日(火) |
目標達成!……って何が/『腐っても「文学」!?』(大月隆寛編)ほか |
今日から、入院に向けての準備という名目で、仕事はずっと半ドンである。 でも昼のくそ暑いさなかに帰宅するというのは、それはそれで体力を消耗することだ。 ……でもそのおかげなのか、体重はついに……ついに! 79.8キロ! 切ったのだ。絶対に切れないとしげが鼻で笑っていた80キロラインを。 わはははは。最後に笑うのは私だ。 風よ吹け、火よ燃えろ! 私はもう80キロの男ではないぞ! 70キロの男なのだ!!
80キロライン脱出記念ソング
『もう背中で手が組めるのよ』(著作権放棄・転載可)
♪ ウソじゃないのよ〜。本当なのよ〜。 体重が、体重が、減ってきてるわ〜。 みんなが私のことをブ○だのウ○だの呼んでたわよね〜。 傷ついてないふりしてたけど〜。 ニコニコ笑っていたけれど〜。 ホントは、ホントは、殺意の炎が燃えていたのよ〜。 でももう誰にも私のことを池中玄太とは呼ばせないわ〜。 あとは体脂肪率を15%以下に抑えることだけよ〜。 今はまだ22%だから〜。 今はまだ22%だ・か・ら〜。 ♪
誰か曲つけてくれんかな。(V)o\o(V)ふぉふぉふぉ(V)o\o(V)。
……実際、体重が80キロを切ったのは、10年振りくらいなんだよなあ。多少ははしゃぎたくなるのはご容赦頂きたい。 本気になればダイエットはまあまあ可能なんである。確かに「自堕落な生活してるんだろう」と言われたら否定はしにくいが、かと言って「清貧」を標榜したいとも思わないのだけれど。 何はともあれ、当初の目標(入院までに80キロを切る)は果たせたのだ。 8/6の入院まであと2週間、ちとキツイが、次なる目標を75キロに設定しよう。
仕事帰りにコンビニに立ち寄って買い物。 少年ジャンプ『ヒカルの碁』を立ち読み。 わあ、いきなり「因島編」に突入か? でもこれが「佐為の碁」から「ヒカルの碁」への橋渡しとなるインターバルだとすれば、ドラマ上必要な展開だろう。 でもこのためにあの河合さんが用意されてたのだなあ。あとづけで考えているのかもしれないけれど、ホントにワキキャラの使い方がうまい。 さあ、ヒカルは佐為にもう一度会えるのか。会えたとしてもそれはきっと……。 ああ、想像が膨らむ。けどきっと、その想像を上回った展開を見せてくれるのだ。ちくしょう、次の週がこんなに待ち遠しいマンガなんて、『めぞん一刻』の初期以来だぞ!
夕方、しげがフラつきながら近づいてくると、突然「風邪引いたみたい」と言い出す。 「熱でもあるの」 「ん〜、39度」 「風邪じゃん。いつから」 「昨日から」 「なんで朝のうちに医者行っとかんの?」 「だって風邪って気づいたのさっきなんだもん!」 ……熱が出れば、その時点で普通、風邪って気づくよな。自分が具合悪いことに気づくのにすら時間がかかるのか。アホしげめ。 アレだな、多分しげの脳は尻尾の先と頭と2箇所に分かれていて、それぞれが超ミニサイズなのであろう。 だもんで、神経の伝達に時間がかかるのだな、きっと。 今度から芸名を「ステゴしげ」にしたらどうだ。 ……それでも夜になったら仕事に出かける根性は立派だが、熱でフラついてるヤツの働いてる店に、食事には行きたくないなあ。
出会い系サイトを通じて買春を行った裁判官の裁判、ニュースでは「裁判官を裁判官が裁く」というポイントで報道してるけど、まあ事件自体については「どの世界にもイカレたヤツはいるよな」という感想しかないのだけれど、「おおっ」と思ったのは、被告の方じゃなくて裁く方の裁判官の(ああややこしい)、「ストレス解消のためだって言うけど、ただのロリコン、スケベオヤジじゃないの?」と言うセリフ。 うーむ、「ロリコン」という言葉が別にオタクでもなんでもない一般裁判官の口から出るような時代になるとはねえ。それともこの裁判官、隠れオタクか? まさか、ナボコフの『ロリータ』をキッチリ読んでいるとも思えないのだけれど。
ロリコンと言うと、一般的には「少女しか愛せぬ変態」と単純に理解されてるんじゃないだろうか。でも、原典によれば、主人公のハンバート・ハンバート、確かにロリータに偏執狂的な愛情を抱くけれど、オトナの女性と愛し合えないわけではないのですね。なにしろ、ロリータと親しくなるためにまずはその母親と関係持つんですから(将を得んと欲すれば先ず馬を射よ……違うか)。ロリータの年齢も本作では12歳から14歳。7、8歳の女の子が変質者の犠牲者になってる現実を考えると、まあ若くはあるけれどもギリギリセーフと言う気がしないでもない。
『不思議の国のアリス』の作者、ルイス・キャロルが実在のアリス・リデルにプロポーズしたのは13歳の時だが、出会ったのは5歳の時。これなんか13歳になるまでガマンしたんだからもういいだろう、っていう、キャロルの世間の常識を一顧だにしない姿勢が垣間見えていて、ここまで来れば充分「真性の変態」と呼んでも構わないと思う。 よく読めば、『ロリータ』より『アリス』の方が深層意識にからんでる分、よっぽど変態的なのだけれど、あまりそのことに気づかず「心温まるファンタジー」だと思って『アリス』読んでるマヌケは多いわな。 穴の中の奇妙な世界。奥へ行くほどに現れる奇妙な人々。これ、キャロルのアリスを蹂躙したいリビドーの象徴なんですよねえ。何しろ彼らはみんなイカレていてウソツキでデタラメで、少女を混乱させるためだけに存在するんですから。 その中心にいるのはあの笑いだけの「チェシャ猫」。
『千と千尋の神隠し』も、「アリスの末裔」と考えると、もうその世界観、スケベネタのてんこ盛りですよ。だから10歳の千尋を助けるハクの正体は、宮崎監督の……、いやいや、ちょっとヤバ過ぎてこりゃとても言えねえや(^.^;)。
10歳だとダメ、14歳ならいいと言うわけではないのだけれど、それぞれの事情は結構複雑なのです。 だいたい世間の人は「ロリコン」と言うと、何歳くらいの女の子を相手にすることを想定してるんだろうか。結婚が許可されてる16歳以下か? でも私がしげと結婚した時、しげは18歳だったけどやっぱりロリコンと言われたぞ。くそ。
俳優、円谷浩氏死去。 まだ37歳で肝不全。って、私もこれで死んでもおかしくないんだけど。 新聞記事には「時代劇やウルトラシリーズで活躍した」としか出演作が書いてない。 ……円谷浩がマイナーと言うより、『宇宙刑事シャイダー』自体が、大新聞サマから見ると、誇れる番組とは思われていないのだな。それどころか新聞によっては訃報すら載ってない。そんなに特撮系の俳優は差別されねばならないのか。 確かに華のある俳優さんとは言いがたかったけれど(でも、小林亜星の息子よりゃマシだと思うぞ)、少なくともテレビシリーズの主役張ったことくらい書いておくのが礼儀じゃないのか。 遺作は平成11年の『作家・小日向鋭介の推理日記』だとか。とすると昨年一年はずっと闘病生活だったのかなあ。そういうことも情報として伝わってはこないのである。 なんだか淋しい。 それにしても円谷家はどうしてこうも早死にする人が多いのだろう。円谷英二の子孫たち、まだまだ全員生きてたっておかしかないのに、長男・一、次男・皐(のぼる)氏も今はないのだ。
……ダメだ。あとの言葉が続かん。 合掌。
大月隆寛監修『別冊宝島Real017 腐っても「文学」!?』。 前作『いまどきの「ブンガク」』で、「かつて無条件にエライものであった大文字の『文学』などはもう存在しない。あるのは麻薬のような広告資本にドーピングされた情報環境にかろうじて浮かぶ『ブンガク』だけであり、そしてそれさえも、いまどきの世間一般からすればほとんど問題にされていないようなものだったりする」と書いたのは監修者の大月隆寛だが、その主張に首肯はするものの、こういった「レッテル貼り」に大月氏の文学コンプレックスが見て取れるのがどうもねえ。 私が大学のブンガクブに通っていた頃も、現代作家で評論に値するのは村上春樹くらいのものだとは言われてたんだが、それだって所詮は「文壇」なんて形骸化した砂の城を守るための囲い込みだなあ、と思っていたのである。 別に趣味の世界でいいじゃん、文学なんて、と思っていた私は、そのブンガクブで、氷室冴子や谷山浩子や宮崎駿のグローバル性をアツク語っていたのだね。今思い返せば、それだって充分青い。「文学で世界が変えられるか」などという命題そのものが、ただの権威主義的言質にほかならない。 でも未だに「文学」やってるヤツってエラそうなんだよね。大月さんたちが、たからエラそうな「文学者」たちを引き摺り下ろし、扱き下ろしたくなる気持ちは分からないでもない。
でもだ。 小田嶋隆が、田中康夫について、「不品行も、性的放縦も、傲慢なもの言いも、すべては『作家さんだから』ということで許されてきた」とかいうヒガミ丸出しの貶し方はチトみっともないぞ。 あの人の場合、許されてたわけじゃなくて、コモノ過ぎて歯牙にもかけられなかっただけだと思うけどなあ。長野県知事戦で、田中氏に投票した連中で、『なんとなくクリスタル』を読んでたやつがどれだけいるってんだ。こういうコモノに対してまで僻まねばならないほど文学にコンプレックス抱かねばならんのかと思うと、おいちゃん、情けないよ。 小谷野敦が、柳美里の『命』『魂』や、飯島愛の『プラトニック・セックス』を取り上げて、「『布団』『新生』『黒髪』に感じるような魅力を感じない」というのもただのコンプレックスでないの。明治の文学者の教養ある文章に幻惑されてるけど、教養と文学的価値は別だって事実は、それこそ文学研究の基礎知識ではないのかな? 文章のうまさを除けば、田山花袋と飯島愛は同レベルと言っていい。いや、女々しい分だけ花袋のほうが低いかもしれない。 日本の場合、私小説は、社会に立ち向かう勇気のない作家の糊口をしのぐ逃げ道としてあったものだからね、結局、私小説は私小説ってだけの価値しかないのよ。 ほかにも、栗原裕一郎が『ブギーポップは笑わない』を取り上げてブンガク的に貶したりとか、何考えてんだ、この編集は、と言った感じの記事が多すぎる。 総じて言えることは、「だから誰も『文学』だなんて思っちゃいないものまで取り上げて、『これも文学だ!』と誉めるならまだしも、貶してどうすんのよ」ってことかな。 あの、どうせ権威に対抗したいような革命的な文学論やりたいんならさ、未だに教科書に載り続けてるような作品を取り上げてさ、「夏目漱石は『夢十夜』を除けば後はすべて駄作だ」とか、「島崎藤村と志賀直哉は一生読まなくていい」くらいのこと言いなさいよ(あ、私はそうは思ってませんからね。『暗夜行路』は楽しいですよ〜、夏場のガマン大会以上に汗流せまっせ)。 どうせ文壇から無視されてるヒョーロンカのみなさんばかりなんでしょ? 失うものは今更ないでないの。 あ、太宰と三島は貶しやすいからアウトね。
志が低い。
DVD『遊撃戦』2〜4話。 岡本喜八が脚本を担当したのは1話のみで、2話以降はオープニングに名前こそあるものの、プロットを提供しただけで、脚本は胡桃哲、中みね子(岡本みね子)、長野洋の諸氏が執筆したもののよう。 監督も岡本組の助監督、武林進と山本迪夫の二人が当たっており、にもかかわらず、まるで岡本監督自身が監督しているかのような面白さ。 第二話『砂の英雄』、後の『血を吸う』シリーズの山本監督、西村晃に藤原釜足という芸達者を迎えて、砂漠での頭脳戦をサスペンスフルに描く。砂漠をコマネズミのように走る西村晃が最高にカッコイイぞ! だいたい、主人公の遊撃隊の面々自体が、軍隊からのハミダシ者、アウトローたちだから、これはアウトロー対アウトローの戦いであって、善対悪なんて単純なものではない。「国のため」などと言う美辞麗句に踊らされることを拒否しながら、それでも戦わねばならなかった者たちのペシミズムが日本側にも中国側にもあったことをしっかり描いているのだ。 それでいて、ちゃんとエンタテインメントになってるのだよなあ。第三話『日の丸婆さん』での意外な展開。まさにこれは岡本版『七人の侍』だ。しかも、この潔さは『七人』以上に岡本監督が「戦争」に対してシビアな視点を持っていることを示唆している。 春太太(チュンタイタイ)を演じる浪花千栄子さんがまた「戦うおばあちゃん」をキリリと演じていて、むちゃくちゃカッコイイ。どこかで見たことある人だなあと思っていたら、その昔(ホントに昔だけど)オロナイン軟膏のCMに出てたおばあちゃんだった。渋谷天外の奥さんだったということは、松竹新喜劇にも出てたんだろうなあ。 というか、浪花さんの出てる映画も数多く見てるのに、しっかり認識してなかった。全くこれで映画ファンだなんて笑わせるよな。 第四話『見えざる敵』、敵の正体、まあAだろうというところまでは予測できても、Bってことにするかなあ、したらおもしろいなあ、と思っていたら予測通り。ホントに最後の最後で見せる演出がうまい。 でも、これについては、キャストをラストにもってきた方が良かったよなあ。映画に詳しい人なら、俳優の名前で「見えざる敵」の正体を知っちゃうからである。 もし今後、読者のみなさまが「ファミリー劇場」なんかで『遊撃戦』を見る機会がありましたら、この第四話だけタイトルロールの時は目をつぶっておきましょう(^^)。
| 2001年07月23日(月) |
猛暑に耐えるくらいならクーラー病の方がいい/『(週)少年アカツカ』(赤塚不二夫)ほか |
日記の更新が遅れ気味だがこれも一種の夏バテであろうか。 体重の記録を書きこむのもしばらく滞っていたけれど、ちゃんと毎日、量ってはいたのである。でも殆ど変化がないので飽きちゃってたのだな。 今日の体重は80.8キロ。ここしばらく、この80.4〜80.8の間を行きつ戻りつしてるだけだ。猛暑続きで汗は掻きまくってるのに痩せないってのはそれだけ食ってるからなのかなあ。
連日の暑さのおかげで、冷蔵庫の飲みものも消費が激しい。 コンビニで1000mlの緑茶、烏龍茶、麦茶、各98円ナリを毎日3パックずつ買ってきてるのだが、これがあっという間になくなる。 私一人が買ってくるのだけではとても追いつかないので、しげにも頼んで、外に出た時には必ず買ってくれと頼んでいた。 「うん、じゃ、ひと寝入りしてから買いに行ってくるね」 そう言ってしげは、睡眠不足でキツイから、と夕べ8時ごろに寝入ったのだったが。 朝になっても、買いに出かけた気配はない。 なんか疲れてるんなら寝かしてやっとくしかないかなあ、まあ昼買い物に行ってくれればいいや、と仕事に出かけて、夕方帰ってきてみると。 寝惚け眼でしげが「わあ、寝過ごした」。 寝過ごしたって、おい、いったい何時間寝てたんだ。 「いつ起きたんだよ」 「うーんと、昼の2時」。 ……睡眠18時間(-_-;)。普通の人間なら寝ようったって寝てられないだろう。 人間が自堕落にできてるといいよなあ、際限なく寝てられて。
最近、映画に行く機会が減っているので、見たい映画がたまっている。 しげがスティーブン・スピルバーグの映画『A.I.』について、聞いてきたので、てっきり行きたいのかと思ったら、そうではなくて、職場で話題になっているのだそうだ。 「でもあれ、結局『ピノキオ』なんでしょ?」 ……と言われても私だってまだ『A.I.』見てないのに、コメントできるはずもないやんけ。
でも聞きかじった情報だけで判断しちゃうと、「人間になりたいロボット」って余りにも使い古された題材だものなあ。そんなに人間様がエライのか、ロボットはロボットのままでいいじゃんという気になってしまうのだね。 『ブレードランナー』がよかったのは、ルトガー・ハウアーが結局人間性を獲得したのかどうか判然としないところがよかったのであって、人間とその他の存在との間に優劣をハッキリつけちゃうと、映画はそれだけで完結したものになってしまっちゃうのである。 それじゃつまんないと思うんだけどね。なんでアメちゃんはこうも安易に結論をつけたがるかなあ。『アンドリュー NDR114』も結末さえなけりゃ、いい線行ってたと思うんだけどねえ。「人間になってエッチがしたい」っていくらなんでもストレートすぎないか? 「人間になりたい」理由として、説得力があるとも言えなくはないけどさ。 既に我々日本人は『鉄腕アトム』も『人造人間キカイダー』も持っているので、今更『A.I.』を見に行かなくったっていいような気もするが、若い人は映画を見る目を鍛えるためにはクズ映画も何百本と見ねばならぬものだから、別に見に行くのを止めたりはしません。 映画と本に関しては金をいくらドブに捨てちゃっても構わないのです。
しげはあのオスメント君には全く魅力を感じないみたいだが、実は私も同様である。芝居が安達祐実でクサイんだよねえ。あのまま演技が固まっちまうと先々ツライと思うんで、次回作あたりが勝負どころになってくるんじゃなかろうか。
ニュースは終日、明石市の花火大会後の将棋倒し事件の続報である。 と言うか、「いったい誰に責任を取らせるか」の報道に終始していたと言っていい。 もちろん、花火大会を企画した市や、警察や警備会社に責任があることは言うまでもない。しばらくは三者で責任をなすりつけあう泥仕合が展開されるだろうけれど、いずれキッチリ責任を取らされることは間違いあるまい。 でも、「暴れていた茶髪軍団がいた」って報道はなんなんだろうねえ。まるでそいつらが全ての元凶のような言い方だけど、逆に「茶髪の連中が混乱する群集を懸命に誘導してた」って情報もあるぞ。「駅に向かえ!」とか誘導の声がちょっとでも大きかったら、あの鮨詰め状態の中だ、怒鳴って暴れてると錯覚することもあったのではないか。 歩道橋の上に3000人だか詰め込まれている状況で、パニックに陥ってなかったヤツはそうそういまい。もしかしたら、そういう情報を流しているヤツの方が、倒れた人間を踏み殺してたことを誤魔化すために責任を他人におっかぶせようとしている可能性だって否定できないぞ。 どうもみんな、憎しみの矛先を求めて餓狼と化しているみたいで、見ていてどうにもイヤラシイ。 そんなに誰かに責任を取らせたいなら、当日あそこに集まってきた客全員に均等に責任があるってことにしたらどうか。人が集まんなきゃ事故だって起こるわけはないのだから、これ、間違いではないよな。初めから花火大会なんかに行かないか、遠巻きに見るかすればいいだけの話なのに、「人より少しでもいい位置に」と欲にかられて動くから、事故も起きるのである。 でもどうせみんな「俺たちは関係ない」と言い出すに決まってるのだよな。責任を回避したいという意識が誰の心にもある以上は、いつかまたどこかで、似たような事件は起きるのだ。
マンガ、赤塚不二夫『(週)少年アカツカ』。 『天才バカボン』『ヒッピーちゃん』『もーれつア太郎』『おそ松くん』の中からセレクトした短編集。 しげから「なんでアカツカ?」と聞かれたが、買って悪いか。 昔のマンガがつまらないと考えるのは、往々にして読者の錯覚で、その時代の読み方の文脈を知らないせいである場合が多い。 言ってみれば、「歌舞伎」が所作事を知らねばチンプンカンプンであるのと同じで、マンガそのものがつまらないのとは異なるのだ。つまり、その時代の、その分野での「お約束」を知らないと楽しめないようになっているのである。 ニャロメの絵を見て「こんな猫いるわけないじゃん」とか「絵が古い」とか突っ込んだって意味ないってこと。
『おそ松くん/チビ太の金庫やぶり』、収録されてるの、これもしかしたらリメイク版じゃないのかなあ。昔、読んだものより、絵が「新しい」ように思うのだ。しかもラスト近くのコマ運びもおかしい。単にページが入れ違ってるだけでなく、話がうまくつながらないところがいくつかあるのだ。 ……昔の作品を引き写してるうちに、酔っ払ってたんで間違えたとか、そんな理由じゃなかろうか。 多分、これ、赤塚さんのオリジナルじゃないな。
刑期を終えて出所した金庫破りのチビ太、トト子ちゃんのうちの魚屋に住み込みで働いているが、刑事イヤミは、チビ太が再び金庫破りを働くものと考えて虎視眈々と逮捕の瞬間を狙っている。 ある時突然、事件は起きた。トト子がうっかり金庫に閉じ込められてしまったのだ。早く助けないと呼吸困難で死んでしまう。チビ太はイヤミに監視されていることを知りながら、トト子を助ける。 金庫破りの腕を使ってしまったチビ太、イヤミに逮捕されることを覚悟するが、イヤミは「チビ太なんか見たこともない」と言って去っていく。
調べてみると、昭和8年の邦画『女学生と与太者』ってのが全く同じ筋。でも更に元ネタの小説か映画が外国にありそうだよなあ。でもどこの国のどんな作品だか、よく分らないのだ。 ……誰か知ってる人いない?
マンガ、牛次郎・ビッグ錠『釘師サブやん/ゴト師・忍び竜!!』。 今では「ゴト師」という言葉も結構知ってる人が増えてきたけど、当時この『サブやん』でその存在を知った人も多かったのではないか。 パチンコ専門のイカサマ師のことである。 一応プロの釘師であるサブやんが、ゴト師について詳しくないと言うのはちょっと変な気もするが、これはあとで「玉光の書」という「釘師の極意書」をサブやんが読む、というエピソードの伏線になってるのだから仕方がない。 「極意書」なんてものまで出されると、「ンなもんあるかい」と失笑したくなるが、青年マンガというものがまだまだ認知されてなかった70年代、少年マンガとしてはこういうハッタリも必要だったのだ。 このゴト師の組織がまるきり「虎の穴」なので、梶原一騎の影響ってやっぱり強いなあ、と思うのだが、こういう「巨大な敵」がいるからこそマンガは面白くなるのだ。 昔、読んでるのだけれど、細かい筋は忘れちゃってるので、続きが楽しみである。
しげはあれだけ寝ていて今日も早寝だ。 多分、明日も昼過ぎまで寝ているのだろう。人間、落ちていく時はどこまでも落ちていくのだなあ。 ああはならないように気をつけなくちゃ。
| 2001年07月22日(日) |
愚か者の舟/『ハッピーマニア』1巻(安野モヨコ)ほか |
なんだかまた悲惨な事件が起こってるなあ。 兵庫県明石市で行われた花火大会の直後、JR朝霧駅前の歩道橋に殺到していた観覧客の一群が、改札ホーム前の階段付近で将棋倒し、十人が死んだとか。 死んだのは殆どが老人、あるいは年端も行かない赤子・子供ばかりである。 さて、こういう悲惨な事故に巻き込まれて亡くなられた方々のご冥福を祈るに吝かではないのだが。
でも、私の性格の悪いところで、どうしても次の三文字が頭に浮かんでしまうのですねえ。 「馬鹿?」 別に死者に鞭打つつもりはないよ。誰が一番悪いかって、そりゃ市とか警察が警備を怠った点にあるのに決まってるんだから。 でもだ。
別に行政の不手際を庇うつもりはないけれど、予め身動きできなくなるほど混雑するって、見物客がわからなかったはずはないんじゃなにいか? ケガする危険性だって少なくはないとわかっていながら、なぜみんなそんなところに行くのかね。 混雑客が将棋倒しになって、ってのは今に始まった事故じゃない。デパートのエスカレーターでだって起こり得る事態だ。けれど、開店時や時間限定のバーゲンなんかを避ければ、まずそんな事故に遭遇することはない。 結局は「今しか見られないから」とか、「より見やすいところで見たい」「他人より少しでも前に出たい」という欲(「願い」もまた「欲」だってこと、忘れちゃいかんよな)が引き起こした結果ではないのか。 自分のことしか考えてない連中が集まったから、階段を上ってくるやつと降りてくるやつがぶつかってどうにも動けなくなったのだろう。 そんな危険なところへ小さな子供を連れて行ったというのは私に言わせりゃどうかしている。それどころか親が同伴せず、子供だけで行かせたケースもあったようだ。……低学年の子を夜間徘徊させる親はどう考えても異常だろう。 親も加害者の一人ではないのか。
……てなことは、子供を殺した親が一番感じてるだろうから、誰も言わないけどね。でも、それが冷徹な事実というものである。 私ゃ、いつぞやの、河原にキャンプして川に流された家族を思い出したねえ。「子供に思い出を」とか「子供とのコミュニケーションを」とか考えてるのかどうか知らんが、やたらとイベントがあれば子供を連れ出す親がいるがね、それがただの親のエゴである場合も多いのだよ。今回のケースがそれにストレートに当てはまるとは思わないが、子供が親の勝手な思いこみのせいでかえって迷惑してる場合もあるのではないか。 ……思い返せば、そんなところには子供をしょっちゅう連れ出して疲れさせるくせに、子供が行きたがるところには連れて行ってくれないのがウチの親だったよなあ。 ナントカ牧場だのカントカ洞窟だの、遺跡だの史跡だの重要文化財だの、教育効果を考えてなのか、そういうクソ面白くもないところばっかり、ヒトを引きずりまわして自分だけ悦に入ってたがよ、わしゃ未だに『メカゴジラの逆襲』に連れて行ってくれなかったこと、うらんどるからな〜。 そしてアレですよアレ、「大阪万博」の「月の石」!
……見たかったんだ。 「アメリカ館」のを見たかったんだ。 「ブリティッシュコロンビア館」の間に合わせなんかじゃなくて。 コドモが本当に見たいものなんて、オトナには決して分らないのさ。 うっうっうっ(ノ_<。)。
毎年、百道だの大濠公園だので花火大会があるたびに、花火が好きなしげは「ああ、行きたいなあ」とは言うのだ。 ならばと、私が「行くかい?」と声をかけると、しげは首を横に振るのだ。 花火は好きでも、混雑がなにより大嫌いなしげは、くたびれるくらいならかえって行かないほうがいい、と考えるのだ。面白味はないが、それは一つの見識であろう。
この三連休、しげは買い物一つ、片付け一つしなかった。 以前から何度もくどいくらいに、芝居をやるなら家事もきちんとやれ、とは言っているのだ。 でも、溜まる洗濯ものを洗いも干しもしないし、ゴミを片付けもしない。 たまにまとめてやっても何ヶ月かに一回じゃやってるとはとても言えない。日頃、仕事の合間を見てやってるのは私なのだ。 確かに「いい加減でやれよ」とこちらが命令すれば渋々と行動しはする。 しかし、「言われなくてもする」ことが当たり前なことを「言わなきゃやらない」と言うのは威張れた話ではない。 でもそれで威張ってるのだよな、しげは。 「ちゃんと片付けたもん」って。 言われてなけりゃ、やってないくせに、なに威張ってんだボケが。 今回はそう言う言い訳をさせないために、あえてしげに何も言わなかった。 結果は明白である。 しげは「全く」家事をしなかった。言い訳は成り立たない。
で、結局、私が片付けだのなんだのをせねばならなくなるのだけれど、私が家事をやれるのは休みの日しかないのだよね。 その休みの日に練習を入れられたら、ウチで家事をやるものがいなくなる。 私が脚本以外で芝居に参加したくないのはその辺にも理由があるのだ。しげと何度も「家事もちゃんとやります」と約束したが、一度も守ったことがないし、今度も同様だろう。 なら、練習と家事とどちらを優先させるかは決まっている。 ましてや今年、私は休日出勤も多いのだ。
……というわけで、劇団のみなさん。 私は家事と仕事のために殆ど練習に参加できませんが、そういう事情は予めしげに伝えてあることです。 にもかかわらず、演出がムリヤリ私をキャスティングしたのですから、時間が足りない分、役作りについて、基本線は演出の意図を汲むとしても、肉付けは私のほうである程度勝手にやらして貰います。というか、そうさせてもらわなきゃできんよ。打ち合わせする時間なんてないんだから。 同様に、音響プランもこの夏中に、演出意図無視で(っつーか、まだまとまってないんでしょうけど)パッパと進めようと思ってますがその辺はよしひとさん、どうかご容赦。
それにしても、洗濯モノ一つとってみても、二人の一週間分を全部一日でやっちまわなきゃならないんだもんなあ。 干し場自体が全然足りないのだ。 食料の買い置きもない。コメの一粒も残ってない。 洗い場は昨日洗いきれなかった食器が未だに異臭を放っている。 スーパーとウチを二往復して、物干し用のハンガーやら、洗剤やら、柔軟剤やら、コメやら、シャンプーやら、ともかく家事のためのモノを買いこんでくる。 そして洗濯機を回すこと3回、台所を必死で片付けたころにはもう練習が終わろうかという時間。 ……でも、風呂掃除とトイレ掃除、玄関の掃除もまだ残っているのだよなあ。 そこまでやっていたら、とても練習に顔を出すことすらできないので、仕方なく切り上げて吉塚のパピオに向かう。
3時ごろ(あと30分しかねーや)にようやく到着。 案の定、「遅かったね」とは言っても、しげは強く追求はしない。そりゃ、自分が家事ほっぽらかしてる負い目があるからな。 よしひと嬢のシナリオはまだ第2稿が完成せず。 とりあえず、冒頭部分だけでもあわせてみる。 穂稀嬢がなんと私の愛人役である。 ……なんつーかねー、私と穂稀嬢、親子ほどトシが離れてるんだよね。私が大学生のころにはこの世に影も形もなかったんだから。二人並べて、はい、カップルですよって、誰が信じるかってんだ。私はしょぼくれたデブの中年だし、穂稀嬢は今が花の美少女である。釣り合わないことこの上ない(そもそも私をキャスティングした時点で無理があるのだ)。 それをただのエンコーじゃない、ちゃんとした愛人にするってんだから、こいつは相当な外道だ、と思って、冷酷なキャラで演じてみた。 穂稀嬢がまた、トシは若いのだが、セリフを言わせるとまあ、なかなか色っぽいのな。 こっちも外道になってるから、合わせてみるとなんだか日活フィルムノワールみたいな雰囲気が漂う。 こりゃ、いいセン行くかなあ、と思っていたら、演出のしげからダメだしが出た。 「もっと若くやって。20代後半くらいで」 ……はい?(・・;) 「それじゃ冷たい中年オヤジだから」 いや、実際その通りなんスけど。 「ハカセ(穂稀嬢のことね)も、甘えるような感じじゃなくて男より立場が上って感じで」 どうも演出は、愛人のシリに敷かれた若い男ってのを演出したいらしい。 でもなあ、男ってのは自分のプライド犠牲にしてまで愛人作ったりはしないものだがなあ。その点でいけばその演出、あまりリアリティのあるものとは言い難い。 けれど、私に20代を演じろ、ということはとりもなおさずリアルな演出はしない、ということなのだな? 非リアルな、エキセントリックな演技を求めるのならば、それはそれでやりようはあるのだが、さて、本当のところどうなのだろう。 どっちにしろ脚本が完成していない段階で「その解釈はおかしい」とも言えない。第一稿とはキャラクターが相当変わるということだから、その結末を参考にすることもできない。 しばらくは手探りで行くしかないなあ。 入院している間にいろいろ考えてみるかな。でも病室で(多分、大部屋)セリフの練習するわけにもいかないし、イメージトレーニングするしかないなあ。 よしひと嬢との掛け合いの方は、なかなかテンポがよい。 と言うか、こちらの関係はよしひと嬢(こちらは妻役。なんか両手に花だな♪)は「わが道を行く」キャラクターなので、私がどんな役作りをしようが基本的には関係がないのだ。
実際、今回の芝居の面白いところは「コミュニケーション不全」の問題が意識的に盛り込まれているところだ。 親子がいる。 恋人がいる。 夫婦がいる。 友達がいる。 けれども彼らは会話しているか。 言葉を交わしはしているかもしれない。しかし、お互いに言葉を受けとろうとしているか。 形だけの親子。 形だけの恋人。 形だけの夫婦。 形だけの友達。 傷つくことを恐れるあまり、そういう人間関係しか作れないようになっている人々。 彼らは、彼らの「夢」の中にいるだけだ。
芝居の内容について、今はまだあまり詳しいことは言えないので、ちょっと思わせぶりな言い方にはなっていますが、ご容赦下さい。 ……でもやっぱりテーマが押井だよなあ。 よしひとさんも押井ファンだし、これはしゃあないかな。
練習後、パピヨンプラザのロイヤルホストで、よしひと嬢、穂稀嬢を交えて食事。 会話しながら、ふと、穂稀嬢から「私を本名で呼んでくれるのけーしーさんだけなんですねえ」と言われる。 みんなはもう、穂稀嬢のことを「ハカセ、ハカセ」と呼んでるんだけど、私ゃ「ハカセ」と言われるとどうしても『オバケのQ太郎』のデコチン頭の「博勢」を思い出しちゃうので、現役美少女の穂稀嬢とはイメージが合わないのでとてもそうは呼べないのである。 それに最初に本名で紹介されたので、別にアダナつけなきゃならない理由もないし。基本的に私は劇団メンバーはみんな本名で呼んでいるのだ。 逆に、私が自分のことをみんなには芸名で呼んでくれるようにお願いしているのは本名だとしげとの区別がつかないという単純な理由である。 でも「けーしー」はないよなあ、とちょっと思っちゃいるのだが。
よしひと嬢、「昨日の『USO!?ジャパン』、見ました?」と聞いてくる。 ネットでも話題になっていたが、『BLOOD THE VAMPIRE』のメイキングビデオの押井守が着ていたトレーナーの犬の目が瞬きした、というものだ。 私は見ていなかったのだけれど、あの番組は一見して「でっちあげ」があけすけな番組なので(というか、オカルト系でマジメに心霊現象を取り上げたことなんて殆どないのではないか)、どうせ『USO』スタッフのヤラセだろう、と、気にも留めなかった。 だってタイトル自体、ちゃんと「USO」(嘘)と断ってるし。 案の定、ウチに帰って、『BLODD』のメイキングを見たら、犬は瞬きなんか全然していないのであった。
マンガ、安野モヨコ『ハッピー・マニア』1巻。 名高き平成の名作を今まで読んでいなかったというのは、不明の至りだが、文庫化を記念して一読。 読者の女の子は、結構、主役のシゲカヨに感情移入して読んじゃうのかなあ。 岡田斗司夫さんが『フロン』で紹介していた「オンリーユー・フォーエバー症候群」の典型だものな、シゲカヨって。 だから彼女が幸せになれないのは実現するはずのない「夢」を追い続けている本人のせいなので、私は感情移入など全くしない。 かえって、「こんな女にもタカハシみたいな『キープ』が現れちゃうから、いつまでたっても世の中から『馬鹿女』が消えてなくならないんだよなあ」と思ってしまうのだ。 こういうことを言うと、「女の子が夢を見ちゃいけないの!?」と文句をつけてくる女の子がいるんですよねえ。 お答えしましょう。 いけないに決まってます。 それどころか、あなたはハッキリ、世の中に害毒を撒き散らしています。だってあなたは「タダで体を売ってる娼婦」なんですから。 世間の男から、カラダだけしか相手にされてないのも自業自得と思いなさい。 多分あなたは、お父さんお母さんから「いつまでも夢ばかり見てんじゃない」とか言って叱られたことなんてないんでしょうね。 タカハシもなー、「この人にはボクがついてなきゃダメなんだ」とか思ってるあたりゴーマンだよなー。自分が庇護者になれる相手を見つけてるだけ(つまり自分が劣等コンプレックスを感じないでいられる相手を探してるだけ)だから、実はカラダだけのつきあいしてるほかの男よりももっとシゲカヨのことバカにしてるんだよねー。本人気づいてないけど。 と言うか、世の女性諸君、男は女をそんな風にしか見てないよ。 例外はありません。 安野モヨコもタカハシを好青年風に描いてるあたり、これが純愛みたいなもんだと錯覚してるのかなあ。客観的かつ冷静に見れば、これはただのバカ女とバカ男との絡み合いです。 だから楽しいんだけど。好意的に解釈すれば、安野モヨコ、「この世にはバカしかいない」という視点でこの『ハッピーマニア』を描いてるのかなあ。 誰の言葉だったかなあ。 「不幸は幸福を追求し始めた時から始まる」って、言ってたのは。 いい加減「いつか幸せになれる」なんて夢から覚めなってば。
マンガ、佐藤竜雄原作・滝沢ひろゆき作画『学園戦記ムリョウ』3巻。 ちょくちょくテレビアニメの方も見てるけど、マンガ版とストーリーが遊離してないのはかえって今時珍しい。 アニメはアニメ、マンガはマンガでストーリー変わるほうが当たり前だしねえ。 でも那由他の声に朴瑠美は合わんぞ。老けすぎじゃ。 ……とは思うけれど、ナユタが一番感情移入しやすいキャラではあるんだよね。ムリョウは「作りもの」だし。 個人的にはジルトーシュさんの無責任男ぶりがいいですねえ。サナトス星から送り出されてきた知性体兵器に「サナドン」なんて勝手に名前つけちゃうあたり、マイペースそのものですもんねえ。
マンガ、宮崎克脚本・高岩ヨシヒロ作画『松田優作物語 ふりかえればアイツがいた!』5巻。 村川透がこのマンガの取材を拒否したそうである。 ……潮時ではないのか。 「伝記」というものは結局はその人物をブランド化する行為にほかならない。実像などハナから描けるはずはないし、ましてやこのマンガは大きな二つのネックを持っている。 一つはこれが「マンガ」であること。 映像が残っていない、証言のみからその時の情景を再構築してみても、それは全く別のものにしかならない。ほんの少しの一致も有り得ないのである。 もう一つは初めから「松田優作美化」のバイアスがかかっていること。 松田優作の暴力行為が「武勇伝」の一言で片付けられる分析の甘さはなんなのだろう。暴力は絶対いけないなどという教条主義的なことを言いたいわけではない。証言者の「でもそれは彼の優しさ」という言葉をそのまま映像化することがその人物を描くことにつながるのか、という問題だ。 このマンガはあえて避ける。松田優作の狂気について。 狂気をタブーにしていて、彼の演技の、人柄の、何を描けるというのか。「シュバイツァーはいい人でした。マル」式の小学生向け伝記のレベルから何歩先をこのマンガは行っていると言えるのか。 「ヤングチャンピオン」じゃ、もともとこれが限界なのかもしれないけれど。
マンガ、新井理恵・津上柊子・古館由姫子・古結あかね『世にも奇妙な物語 コミックの特別編』。 なんちゅーかね〜、画力がなくて構成力もないマンガ家さんにお仕事あげようって企画なのかもしれないけどね〜、脚本がみんな「どこかで見たような」感のあるものばかり選んでるのはなぜだ。 なぜこう、最初の数ページでオチがわかる原作ばかり選ぶかねえ。
三連休が終わって、疲れが取れるどころか、増えてるのは何か理不尽な気もするが、しげと結婚したこれが宿命と言うものであろう。 でも、宿命に逆らうのが人間の道という考え方もあると思うな。
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☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
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