無責任賛歌
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| 2001年07月11日(水) |
変と変を集めてもっと変にしましょ/『コミックマスターJ』7巻(田畑由秋・余湖裕輝) |
昨夜あたりから愚図ついていた天気が、今日は雷を伴った土砂降りに変わる。 やれやれまたかい(´_`;)。 なんだか今年くらい梅雨らしい梅雨というものもないように思うがどうだろう。福岡ってところは、これだけまとまって雨が降って、水害に襲われたりしていても、いざ夏場になってみると、水不足に見まわれたりもする厄介な土地柄である。 平野部にはよく雨が降るけどダムのある山間部にはなかなか雨が降ってなかったりするんだよねえ。ダムの数はこれ以上増やせないのに、年々平野部の人口は増えてってるし。
ニュースが繰り返し今日行われた党首討論を放送している。 ごく当然のように小泉首相(保守・公明は補佐って感じね)を野党が攻撃する形になってるけれど、昔に比べると、なんだかおもねるような批判になっちゃってるなあ、という印象。 昔っていつごろかって、安保闘争の頃だったりするんだけど。いや古いね。 そこまで昔に遡らなくても、まだ社会党が「自衛隊違憲」なんて唱えてて、自民党と明確に政策方針が違っていた頃は、批判の舌鋒は鋭いなんてもんじゃない、怒りと罵声そのものだった。 だからこそ社会党は民意をつかめなかったってこともあるんだろうけど、熱いコアはあったんだよね。一端、与党となった経験を持って以来、もはや社民党はただの抜け殻になっちゃってる。 小泉首相が「社民党は共産党に近いんじゃないか?」と土井さんに質問した時、一瞬私ゃ、小泉首相、なんて柄に似合わぬ(^^)切れ味のある質問するんだ、と思ったんだよね。 土井さん、なんて答えるか。 「断じてそんな心配はありません」 だと。 いや、笑った笑った。もともと共産党に近かった政党がそれ言っちゃあねえ。 社民党、結局は「ウチらに政治理念なんてありません。政権が取れるんなら、村山さんの時みたいに自民党につくことだってありますよ」って本音を言っちまったことに気づいてないのな。 その前段階として保守党の扇さんが、「野党は政策が違うのに『野合』してる」と批判したのに対して、民主党の鳩山さんが「野党が『共闘』してなぜ悪い」と開き直ったことに対する皮肉の意味があったんだろうけどね。 「中身がないぞ自民党」と批判する野党自体にもっと「中身がない」から、自民党がいつまでだって政権取れてるわけでないの。55年体制が崩れた崩れたって言ってたころもあまり信用してなかったけどね、一党独裁こそ難しくなってるけれど、結局は寄らば大樹の陰。民主も社民も自由も、いつ変節して自民党と「共闘」するか分らない政党だってことはすっかり露呈しちゃってるよ。 野合と言えば公明党だって政策違うのに自民党にくっついてるんだよねえ。神崎さん、「首相の靖国参拝をどう思うか」と土井さんに質問されて、「首相には考慮してほしい」のヒトコトですませてたけど、考えてみりゃなんでこれだけですむんだ(^_^;)。 それでも小泉さんはするだろ? 参拝。 したら公明党、「自民とは一緒にやってられん」と連合離脱するか? しないだろ? そこをなぜ土井さんほか、野党はもっと突っ込まないか。つまりは、今の公明の位置に自分たちがいつか立つことを想定してるからでしょ? 「どの程度の答弁したら、信条が違ってるのに連合してる矛盾をなあなあですませられるのか」、今からシミュレーションしてるんだよな、あいつら。 だからそれが国民をバカにしてる行為なんだってばよ。 国民が「ふざけんなバカやろう」と思ってないとでも思ってるのか。 まあ、これだけ野党が自民党に勝たせたがってる状況じゃ、参院選の行方も目に見えてるよねえ。多少は「自民党にばかり勝たせちゃねえ」と言う動きがあるとしても微々たるもんだろうな。
ウチにも「だれそれ候補をよろしく」ってチラシ持ってくる人がいるけど、宗教の勧誘といい、ああいうのってどうしてみんな親子連れ、家族連れで来るんだろうね。 実家じゃ「政治信条は親子でも別」って考え方だったから、親父もお袋も一度も私にどこの政党を支持してるか、選挙の時どこの政党に投票したか明かさなかった。新聞は朝日も赤旗も聖教新聞もとってたから(^o^)、ホントにどこの政党支持なのか今でも判らん。もしかしたら親父とお袋も支持政党が違ってたのかも。?(゜_。)?(。_゜)? でもそういうものではないのかな、民主主義ってのは。 以前、私がある政党に勧誘された時も、オヤジ、「お前の好きにすればよかたい。ただオレはそこは好かん」と言っただけだったし。 おかげさまで私は未だにノンポリであります。 従いまして、この文章、決して特定の政党を支持するものでも誹謗中傷するものでもありません。私にとって政治ってのは昔も今もキツネとタヌキの騙しあいであって、そのドーブツぶりを揶揄するものでしかないのですよ。 そこんとこお間違えなく(^^)。
今日も仕事が終わって帰宅するなり、草臥れてすぐに寝る。 午後9時ぐらいかなあ、寝たのは。 で、午前3時に目覚めてさ、さて、これから日記でも書こうかとしてたら、しげがぐしょ濡れで帰ってきた。 思わず「濡れ鼠さ〜ん」って声かけたくなるくらい。 ホント、チビだから濡れるとドーブツっぽくなるのな、しげって。 早速、風呂に入ろうとして、「ごめん、ソファの上のフクロ取って」と私に頼むので、シャンプーの替えでも買ってあったのかと思って見てみると、中身はシャンプーハット……( ̄○ ̄;)。 そろそろちゃんと目を閉じて頭洗えるようになれよな。
しげが池波正太郎を読み始めたことは前にも書いたけど、ようやく『雲霧仁左衛門』を読み終わったらしい。しげが自分で小説を買って読むってのも珍しい。そんなに面白かったのかと聞いたら、「時代小説が意外と読みやすいのは判ったけど、最後があまり面白くない」ってことだった。 前にも書いたが、池波さん、つまらないとは言わないけれど、私にも少し物足りないのである。ミステリとしては全然だし、市井ものとしても岡本綺堂、山本周五郎の域には及ばない。ピカレスクロマンとしては笹沢左保のほうが上である。どうにも中途半端なんだよねえ。結局、グルメ小説として読むしかねえのかって感じがして。 半藤一利だったかな、「今は、ほかにいい時代モノがないからよく見えるだけだ」と辛辣な批評してたけど、そう言う面はあるだろう。 「ほかに面白い時代小説はないの?」と聞くので、国枝史郎の『神州纐纈城』を貸した。都筑道夫の『なめくじ長屋』は面白がってくれなかったしなあ。これでダメだったら次は山田風太郎か半村良『妖星伝』でも読ませてみようか。 あ、半村の『およね平吉時穴道行』なんかは読んでたっけ?
マンガ、田畑由秋脚本・余湖裕輝作画『コミックマスターJ』7巻。 連載マンガが落ちそうなとき、風のごとく現われ、たとえ明日の朝イチがシメキリであろうと、オリジナル以上の技術でゴーストライターを勤めてしまうという、本物のマンガ家さんが聞いたら本気で仕事を依頼したくなるであろう、「コミック界のブラック・ジャック」のシリーズ。 でも、私は勝手に「コミック版トーキング・ヘッド」(←押井守の実写映画ね)と呼んでいます。意味がわかる人は多分ちょっと人としての道、踏み外してるぞ(^^)。 毎回、マンガ界の内輪ネタをパロディ化してるんだけど、いつもなら「ああ、このネタはだれそれのどのマンガことだ」って、一発でわかる場合が多いんだよね。 でも、「女を知らんうちは妄想爆発でスケベ漫画を描いてた奴がいたんだが女とヤッたとたん話どころか絵まで死にやがった!」ってのはあまりにも候補が多過ぎて誰か特定できんがな(・・?)。 元祖は永井豪だろうけど、最近だとみやすのんきあたりか?(最近ってほどでもないか) 今なんの雑誌で何書いてるんだっけかなあ? でも、この「少年の妄想」がエッチマンガの原動力だってのは、以前、誰だったか評論家も指摘してたことだけど、実際、ピンと来るんだよね。ここで重要なのは、「エッチマンガ」と「エロマンガ」ってのははっきり違うってこと。 あだち充は現在の少年エッチマンガの代表者であろうが(あ、ファンの人、石投げないで)、あだち充のファンでなおかつ石井隆のファンでもある、なんて人はそうそうおるまい。 少年エッチマンガの少女はたいてい童顔で、だけどボディーラインはオトナという、ロリコン+マザコンの両要素を備えてるんだよね。この相反するように見える二つの好みが並存してるところが、日本人のモラトリアムな性癖を表してるように思う。 つまり「オトナになりたいけど、コドモのままで甘えてもいたい」ってことだね。女性にとっては気持ち悪いかもしれないけど、今の日本人の男は、みんなそうなんだから。 昔の日本人はそうでもなかった、というより、現実の女にそうそうナイスバディーの巨乳がいなかったから、マンガにだって、現実感のある女って出てこなかったんだよね。この辺のことは夏目房之介さんも「記号的なチチの時代」として評論してた。手塚治虫の色っぽくないヌードとか、横山光輝の描き慣れてないヌードとか(^^)。 でも戦後、子供たちに栄養が行き渡るにつれて、日本人が追い求めても求められなかった「童顔+巨乳」がある年を境に爆発的に流行することになる。 そう、あの「アグネス・ラム」の登場した昭和50年。この年を私は「巨乳元年」と呼ぶ。 それ以前にもこの「童顔+巨乳」の資格を満たすアイドルはいたんだよね。例えばアグネス・チャン。けれど彼女は「ムネがでかいと売れないから」と、サラしを胸に巻かされてた。アグネス・ラムのブレイクで、ようやくアグネス・チャンも水着になれたということを考えても、アグネス・ラムがエポック・メーキング的な存在であったことは間違いないのだ。そしてついに純然たる日本人巨乳アイドル、「榊原郁恵」「河合奈保子」「柏原芳恵」らが生まれる。この系譜が、イエローキャブのアイドルたちを経て、今の優香あたりにまでつながってるわけだね。 そしてマンガ界にもその影響は大きく、やはりエポック・メーキングな一つの作品を生み出すことになる。 ハイ、もうわかりましたね。 そうです。高橋留美子『うる星やつら』の登場です。 ビキニの鬼娘キャラが「ラム」という名前でなかったら、果たしてあれだけのブレイクをしていたかどうか。『うる星やつら』の初掲載は昭和53年で、「ラム」と聞けば自然と誰もが「アグネス・ラム」を連想していた時代だからこそってことがあるんですよ。 『うる星やつら』のブームがオタクブームを牽引していったことを考えると、アグネス・ラムなくしてナウシカもベルダンディーもアヤナミもあり得なかったという暴論も成り立つのであります。
あ、いかん。 『コミックマスターJ』の話と全く離れてしまった。 \(・_\)今までの話は (/_・)/置いといて。
今回、明らかに「富野由悠季」と判るアニメ監督が出てくるのだけれど、初めて読む人は「ホントに富野監督ってこんな人?」と驚くかもしれない。 なにしろ、初対面のマンガ家に「君、気持ちいいS○Xしてるぅ?」って聞くヤツだし。(;^_^A でも、これ、『ブレンパワード』作ってた時の実話らしいよ。 そう言えば、昔、『機動戦士ガンダム�供^ァ�戦士編』の初日舞台挨拶で、富野監督がいきなリ「学生さんは朝からアニメなんか見に来ないで、帰りなさい」と説教し始めたことがあって、面食らったっけな。 で、あとは延々と「二作目が作られても三作目が作られるとは限りません、みなさんの応援次第です」ってことを喋り続ける。おいおい、さっき「帰れ」って言った相手に向かって「応援してね」ってどういう了見だ、と笑っちゃったね。 あんまり驚いたんで、一緒に挨拶に来てた安彦良和がなに喋ってたか全然覚えてないぜ。 いや、いいんだよ、変人で。 変人でなきゃ、いい作品だって生み出せないし、政治家にもなれまい(^^)。 あ、しまった。全巻揃えた『∀ガンダム』、まだ最終回まで見てないや。
| 2001年07月10日(火) |
踊れば痩せるか/『ちょびっツ』2巻(CLAMP)ほか |
うほほほほ〜♪ 体重が80.4キロ〜♪ ついに80キロラインが目の前に迫ってきたよん。 そりゃさ、腹はまだぽっくり出たままだし、アゴはそのまま首に直結してるし、見た目の変化がないのはなんでやねんって感じだけどさ、体重が着実に減ってきているのは間違いないのだ。夏が終わるころには少なくとも70キロ台にはなっているだろうし、もしかして、夢の、夢の60キロ台ももしかして……? もう踊っちゃおうかな、私ゃ。
ずんどこずんどこ。o(^-^o)″o(^-^)o″(o^-^)o″
って、ホントに踊るなよ(^_^;)。でも随分お手軽なユメだよねえ、この程度のことでウキウキできるんだから。
お仕事がいろいろと煮詰まっているので、帰宅が9時近く。 テレビをつけると『学校へ行こう』がもう終わるところ。女の子みたいな男の子がたくさん集まって、エチュードだかなんだかよく分らない劇団のまねごとみたいなことをやっていたが、アレ、ヤラセじゃないのかね。 見た目はちょっと変だけど、もちろん、役者として花開くとはとても思えないフツーの子ばかりだ。もしあの子たちが本気で俳優目指してるんだったら、この番組、詐欺みたいなものである。見ていてなんだか気分が悪い。
疲れていたのでそのまま眠り、起きるともう次の朝。 というわけで日記に書くほどの内容がないがね。 なんだか一日があっという間だなあ。
マンガ、CLAMP『ちょびっツ』2巻。 掲載誌の『ヤングマガジン』とCLAMPってのがうまく結びつかなかったんだけど(どっちかと言うとこれ、『スピリッツ』に載ってるほうがしっくりきそうな話だものな。まあ『最終兵器彼女』とかぶっちゃうけどね)、これはつまり『ヤンマガ』の路線変更ってことなのかね。最近あまり丹念に立ち読みしてないから断言はできんけど。 自分を拾ってくれた秀樹のために、それと知らずに「覗き部屋」のバイトを始めてしまう人型パソコン「ちぃ」。その結果、失われた記憶に触れてしまったのか、「発動」してしまう……なんて展開は、実はどうでもよくって、要するにかわいい女の子のエロいポーズを出すためのシチュエーションを考えてるだけなんだろうけど、これに引っかかってくる若い男どもも多いんだろうなあ。 世の中、ムダなエネルギーが有り余ってるわけであって、善哉善哉。
CLAMPはしたたかである。「男が望む女像」というものを心得ていて、それに見事に迎合する。普通、女であれば、その「男の望む女像」を演じることに何らかの拒否反応を示すものだが、そういうものが『ちょびっツ』には一切無い。 秀樹に心を寄せているらしいゆみちゃん、さりげなく胸を秀樹の背中に押しつけてくるが、これだけでも充分青少年のユメをかなえてくれているというのに、つい漏らしてしまった秀樹の「すっげーやーらかい」のセリフを聞いたゆみちゃんのセリフが「堅かったらこわいですよー」(^_^;)。 したたかというより凶悪だな。 男のスケベ心すら許して笑ってくれるなんて女、現実にはそうそうおらんよ。仮にいたらいたで、ほとんどオタク男の餌食にされるんじゃないか。 ……実はそんな感じの娘が私の知り合いにもいて、やっぱりオタク男にストーカーされたことがあるのである。本人は「どうして私、オタクに好かれるのかなあ」と首を捻ったりしてるが、そりゃ、男誘っといて言うセリフじゃねーって。まあ無意識でやってるんだろうから罪はないけど。 『ちょびっツ』がそーゆー変態男の欲望を解消してくれてるんなら、それはそれでめでたいことなのである。でも、言ってみりゃCLAMPは自分達のマンガが「娼婦」扱いされることを承知の上でマンガを描いてるわけであって、それは結局、読者の男のレベルを見切っているってことでもある。 「ほら、君、こんなポーズ、嬉しいでしょ?」 「ここでこんなことしてあげようか?」 「あせらないで、じらされるのも好きでしょ?」 こーゆー女に弄ばれてていいのか男ども。 いいんですか。はい、わかりました、すみません。
マンガ、高橋しん『最終兵器彼女』5巻。 感想は『ちょびっツ』とほとんどかぶるので省く。 ちょっとだけ付け加えれば、作者が男である分、こっちの漫画の方がバカ度は高い。『ちょびっツ』は確信犯であるが、『最彼』は作者が「いいマンガ」を描いてると明らかに勘違いしてるからね。 ……女の子に傷をつけて、それでも愛せるか、なんてネタ、描くなよ。だったら最初っからブスを主人公にして描いて見せなって。
DVD『刑事コロンボ 指輪の爪あと』、LD『刑事コロンボ 魔術師の幻想』。 どちらも再見。 前者は脚本が原作者のリンク&レビンソンだけあって、コロンボが犯人を罠にかけるあたりの描写がうまい。 トリックにからむので詳しく書けないけど、いたずらっ子っぽいピーター・フォークの演技を受けるレイ・ミランドの戸惑うような演技が、さりげないけど絶品。ストーリーと役者とのアンサンブルがこんなに効果を上げてるのは珍しいくらいだ。
| 2001年07月09日(月) |
アンケート募集/『押井守 in ポーランド』ほか |
ここんとこ、よく悪夢を見る。 今朝見たのは職場に遅刻する夢。 なんだ、たいした悪夢じゃないじゃんと言われそうだが、臨場感と言うか緊迫感と言うか、これが半端じゃなくコワイのね。 時間には余裕を持って家を出たはずなのに、時計が異様に早く進むのね。 「え? まだ5分しか経ってないのになんでもう20分も経ってるの?!(この辺の矛盾がいかにも夢だねえ)」 驚いても職場に着いてみればやっぱり遅刻。 途端に同僚たちの冷たい視線が。 「あいつめ遅刻しやがって」「周りにどれだけ迷惑かけてるか解ってるのか」「人間のクズだな」「なめてんじゃねえぞ」「ゴクツブシ」「死んでしまえ」「死ね死ね死ね」 たかが遅刻でなんでそこまで言われにゃならんのか。ビビって泣き出すところで目が覚めた。
……って、ンな下らんことで泣くなよ、オレ(-_-;)。
なんだかなあ、こないだもトイレに入ってたら空き巣がやってきて、動くに動けぬところを金属バットで殴り殺されかけた夢見たし、やっぱり心の疲れがたまっているのだろうか。
しげから「最近散歩してないでしょ?」と言われてドキッとする。 確かに梅雨が長く続いたせいで、散歩をサボってはいた。 その間も少しずつ体重は落ちてはいたので、ま、いいかと休んでたのだ。 ああ、でも80キロのラインがなかなか切れないのはそのせい?
例の『新しい歴史教科書』、明らかな歴史的事実の誤謬の修正以外は適正、と文科省は判断したとのことで、中国・北朝鮮・韓国が猛反発しているそうな。 相変わらずテレビは中国での抗議行動・デモ行為を報道してるけど、そうやって日本と近隣諸国の間にどんどん深い溝ができているように世論操作していくやり口はどうにも虫が好かない。 中国や朝鮮だって、意見が全て反日ってことはないと思うのである。 先日、台湾での哈日(ハーリー)族を特集したドキュメンタリーを見たが、今の10代、別に昔のことなんてまるで気にしちゃいないのだ。 「昔は昔、今は今」、KINKIキッズを追っかけながら、日本の過去の罪なんて考えてられないよな。別にKINKIが中国人を虐殺したわけじゃないってことくらい、子供にだって解る理屈だ。 日本の「『戦争を知らない子供たち』って認識すらない今の子供たち」だってそんなもんだろう。原爆をアメリカから落とされてるのに嬉々としてハリウッド映画に見入ってたりしてるんだし。 そんな風に過去の歴史なんて気にしちゃいないことを、いかにも歴史認識が甘いように批判することはそれこそ全体主義ではないのか。 どっちもどっちの下らんケンカだと、両国の大半の人々(特に若い人たち)は思ってるんじゃないだろうかね。
この日記を書き始めて、早いものでもうすぐ一年であるが、「中国人、日本のことをそんなに責められるのか」みたいな書き方をしたことが何度かあった。まあ、わざと過激な書き方してる面はあるんだけど、となると、中国や朝鮮の人の一部がこれを読んだら、やっぱり激怒しちゃうのだろうか。 よく読んでいただければ、別に私は日本人が侵略行為を働かなかった、と言ってるわけじゃないってこと、理解できると思うんだが。 私は単に日本人も中国人も、この戦争責任に関連した問題になると、ヒステリックになりすぎてんじゃないか、と思ってるだけなんだけど。ところが「冷静になろうよ」と言ったら最後、「それは日本人の責任回避だ」と中国・朝鮮の人たちは叩いてくるのね。でも、それってただの言論弾圧だよねえ。 だから「そういう人もこの日記を読むかもしれない」と言うことを考えた時、あまり優しげな書き方ばかりしてもいられないのよ。 「自分たちの歴史認識の方が正しいって根拠はどこにあるんだよ。歴史に『真実』なんてもなあもともとねえんだ」みたいに挑戦的な表現しちゃうのは、逆に言えばこの手の問題を「なあなあで済ましたくはない」という私の決意表明でもある。この手の過激な表現はもともとの私の意志を正確に移したものとは言えないが、だいたい、言葉が真実を表せないってことは純然たる事実なのだよ。自分の言葉にある時はオブラートをかけ、またある時は絢爛たる衣装を纏わせ、「演技」させる。それは誰だって日常的にやってることだ。 それを意識的に行おうというのが、「表現」の、ひいては「演劇」の基本なのである。 もともとこの日記は劇団の役者・脚本家として書き始めたものであるから、コトバが「演技」しているのは当たり前の話である。 つまり、近松の言う「虚実皮膜」の境に遊ぶことを、お読み頂いている方とともに楽しもう、とうのが基本的なありようであるのだ。 簡単に言えば、これは事実をもとにした「フィクション」。そう認識していただくのはこれを読む前提なのである。 現実の出来事を扱ってるじゃないか、とのご批判もあろうが、「解釈」は決して「真実」とは一致し得ない。つまり我々の「心」自体が「虚構」を作り出す機能しか持ち得ないのであるから、その虚構を楽しむ、あるいは認めることができない人は結局は自分自身の虚構しか認めない偏狭な人間、はっきり言えば「強迫神経症」であるのだ。 ……多いよね、そういう人。 だからそういう人に対しては、「バカ」とはっきり言ってやることも必要なのだ。一人が言っても効果はない。でも、全く関係ない人間から、「バカ」「バカ」「バカ」と言われつづけりゃ、少しは「オレってバカなの?」と考えるようになる。 それは、「『バカ』と言ってるほうが『バカ』である可能性」も含めた上で、「考える」ことが出来るようになる、ということなのだ。私も自分が正しいなんて思ってるわけじゃない。与えられたデータに基づいたシミュレーションを行ってるだけなのよ。だから私の思考が間違いだと思う人は、新たな「データ」を示してくれればいい。「討論」ってのは、そうやってするものなの。 今の歴史認識論争が論争にもならない低レベルなものになってるのは、データのやり取りもせずに中国や朝鮮が日本を非難してる点に問題があるんだよね。 ……だからさあ、中国にもマトモな人はいるんでしょ? いい加減でバカの暴走抑えないと、中国、朝鮮自体が世界から孤立しちゃうよ。 したいのか。
この日記の「WhoisMy」(他者からの登録状況)を開いてみたら、新しくお気に入りにいれてくださった方がいらっしゃった。 ちびちびと読者が増えていっている感じで嬉しいのだが、どういうところに興味を持って頂いてるのだろうか。同人誌を作られてる方のようで、文章も若々しく生き生きとしているので、私のような中年オヤジの文章が面白いのかどうか、疑問だったりもするのである。 と言うか、しげに一番評判悪いしな、私の文章(-_-;)。テメエの妻から一番嫌われてるってのも寂しいんだよなあ。しかも「理屈が入ってないほうがいい」なんて言われちゃうし。 で、ちょっと思いついたのだけれど、これ読んでる方、もしよろしければ掲示板の方でこの日記のどこに興味を持って読んでるか、アンケートを取りますので、ご回答頂けませんでしょうか。 まあ、ジャンプの人気投票、と言うほどのものではありませんが、どれか一つを選んでお答え頂ければ幸いです。もちろん、初見でこちらに来られたかたでも構いません。
アンケートには以下のサンプルをコピーしてご使用ください。
<読者アンケート>
この日記を読んで、面白いと思ったモノにマルを三つ以内でつけてください(その他は省きます。ご感想を自由にお書きください)。
1 筆者(有久幸次郎)の無責任な私生活ぶり。 2 筆者の妻(しげ。)の無軌道な破綻ぶり。 3 筆者と妻の犬も食わないケンカバトル。 4 たまに出て来る劇団メンバーの変な言動。 5 筆者の、世間の方々とのよく分らない交流関係。 6 筆者の、社会時評に見せかけた世の中に対するウラミツラミ。 7 筆者の、人生や愛に関して自分だけが深いと思いこんでる洞察。 8 映画・ドラマに関する話題。 9 特撮・SFに関する話題。 10 小説・ミステリーに関する話題。 11 マンガに関する話題。 12 アニメに関する話題。 13 明らかにツクリだと思われる嘘話。 14 おもしろいとこなんてね〜よ。
15 その他 →
ご芳名(匿名でも可)→
『押井守 in ポーランド』読む。 映画『アヴァロン』の撮影記録だけれど、押井さんがまさしく「監督」であることが実によく見えてくる貴重な記録。 何がって、思い切りが実にいいのだ。 言葉の壁、習慣の違い、そういうトラブルが起こることは初めから予想がついている。だから、「トラブル」を起こさない、というより、トラブルが起こりそうになった時に(簡単に言って仲間割れが起きそうになった時に)、どう対処するか。 「僕は現場をやる時は誰と心中するかってのを決めることにしてる。誰が正しいかではなくて誰かを親分にしたてないと物事は前に進まない」 で、押井さんはわざわざ日本から連れてきた日本人スタッフを無視しまくるのだね。ひでえ話だが、それが「監督」なのだ。 なんだかなあ、押井さんのことを「天才」と呼ぶ人は多いが(唐沢俊一さんの場合は皮肉だけどね)、映画を仕切っちゃいるけど、我を通したりはしてないんだよね。というか、初めから「妥協」してる。押井作品はテーマが毎回共通してるからなんだか思想的な映画作家だと錯覚されやすいけど、私は押井さんは「職人」だと思っているのだ。 でなきゃ、『紅い眼鏡』に根っからの「アニメ職人」である大塚康生さんを出演させたりしないでしょ。庵野秀明が「映画監督はどんなものを作りたいかではなくて、この予算と時間でどの程度のものが作れるか計算することです」と言った時、押井さん、初めて庵野さんを誉めたものな。 実際にはそう計参することによって、自分の作りたいものも作れるようになるのだから。
マンガ、細野不二彦『ギャラリー・フェイク』22巻。 オタクアミーゴス会議室でも話題になった、アニメの表現をアートに取り入れた某人物をモデルにして、「パクリ屋」と断言した「カリスマ真贋」を収録。 ああ、それだけで面白い。 筋立てはなんだか短調で要領をえなかったけどね。
DVD『刑事コロンボ 構想の死角』。 スティーブン・スピルバーグ監督と言うことでやたら有名だけれど、新人時代のものであるせいか、切り返しのカットがやたらヘタクソ。 普通のショットとガラス越しのショットを交互に繋ぐバカがどこにいる。 ストーリーも最後が性急で、コロンボシリーズの中ではまあまあといった出来だと思うけどね。
| 2001年07月08日(日) |
夫婦で暑気あたり?/『昔、火星のあった場所』(北野勇作)ほか |
しげが「寝ても寝ても寝ても寝ても疲れが取れないよう」と嘆いている。 でもそんなに最近は寝てないんだよね。 だから夜通し6時間の立ち仕事、ネットサーフィンしたあとは部屋の模様替え、宴会でカルピスチューハイ四、五杯空けて、次の日は朝から劇団の練習なんてアホなスケジュール立ててたら、いくら20代っつーても、カラダが持たんだろう。 ……そういやしげってまだ20代なんだよな。 でも私はじきに40代。 ……トシの差夫婦ってやだなあ。
休日出勤で、まる一日お仕事。 休みがないと、私も疲れが取れない。40の坂を越えると体力がガタッと落ちると言うが、40どころか30越える前から私ゃ睡眠不足がモロに体に来るようになってるぞ。 徹夜なんか全然出来なくなってるものなあ。 睡眠時間が五時間を切ると体に来ること来ること。全身がダルイし意識はしょっちゅう朦朧とする。 だからせめて一週間に一日くらいは休みの日を確保しておきたいんだが、ここ1ヶ月ほど、それがまるでままならない。休めたのは病気でぶっ倒れたときくらいのものじゃないのか(^_^;)。 しかも今日はクーラーのない中でのお仕事である。 暑い。 蒸してる。 茹だってる。 眉間にシワが寄るのが自分で判る。 ああ、意識が飛びそうだ。 ハッと気がついたら、目の前に誰かの死体があって私の手には包丁が、なんて事態になっててもおかしくないかも。って、シャレにならんこと言ってるかもしれない(-_-;)。
なんとか犯罪者にならずに帰宅(おいおい)。 偶然しげと帰りが一緒になって、マンションの上からしげが私に声をかけ、手を振っている。 なんだかなあ、しげのやつ、街中では私に声かけることすら恥ずかしがって、しょっちゅう迷子になりかけてるってのに、どうしてこんなちょっとしたことでも喜んではしゃげるかなあ。 「今日の練習はどうだった?」 「あ、喜びぃよ。台本、よしひと姉様にウケてたから」 「……何が?」 「×××んとこが」 「……なんで?」 「其ノ他くんが×××で兄さんも×××ってとこがあるでしょ? 実際に演じてる時の様子が眼に見えるようだって」 ×××の様子なんて想像して喜ぶもんじゃないと思うが。 台本未定稿の内容に触れる部分ですので、伏字なところがありますがご容赦下さい。あの、別に淫靡な内容だからカットしてるわけじゃありませんので。
疲れ果ててたしげは、そのあとすぐ泥のように眠るのであった。 最後に「『雲霧仁左衛門』録画しといてえ」とだけ言葉を残して(^_^;)。 あれだけ「時代物は難しいからヤだ」とか言ってたのに、しげは古本屋回って池波正太郎の原作を探し出してくるし、ウチにあった梅安シリーズも読み始めるし、急に池波づいているのである。 私は、池波はほかの時代作家ほどにはハマらなかったのだが、別にキライだというわけではない。回りにファンも多いみたいだし、ちょうどいい機会だから、と買い込んだ『鬼平』もまだ『唖の十蔵』しか読んでないので(第一話やんけ)感想もUPできないのだが、夏場の入院の時期使ってなんとか読破してみようかな。 あ、昨日のしげの突発的模様替え症候群発動のせいで、『鬼平』もどこかに沈んでいるのだ(おかげで岡野玲子の『陰陽師』10巻も唐沢なをきの『うらごし劇場』もまだ途中までしか読んでないのに行方不明だ)。読みたいときに本がない。で、仕方なく2冊、3冊目を買う羽目になるのだな(-_-;)。 テレビシリーズの『雲霧』のナレーションが津嘉山正種なものだから、あの低く抑揚のない声で「享保のころ、当時市中を荒らす盗賊たちがいた」なんて語られると、なんだか「オトナ帝国」のケンが歴史の歪みを問い質すようにこちらに語りかけてるようで、ちょっとコワかったりするのである。 ナレーションの「語り」はただの語り部でなくて一種の「批評」である、って言ってたのは誰だったかなあ。 徳川夢声か三國一郎だったっけか。誰か覚えてない?
北野勇作『昔、火星のあった場所』読む。『かめくん』の作者の新作かと思ったら、文庫リニューアルのデビュー作だったのだった。 第4回ファンタジーノベル大賞受賞、って、あの酒見賢一の『後宮小説』の流れなわけだな。あれ、最初は受賞作を毎回アニメ化、とか謳ってたけどニ作くらいで潰れたんじゃなかったのかなあ。後書き見ると「いかに売れなかったか」とか書かれてて、なんだかかわいそうな限りである。 あのシリーズも、たしか「日生劇場」とか銘打ってて、路線的にはスタジオジブリの二番煎じを狙ってるのか、でもそれじゃ売れねえよなあ、と思ってたのだが、多分四回目ともなるとアニメ化もされてないんじゃないかなあ。
でも一読して驚いた。 ネタが去年私が書いた台本『鴉』とまんま被っている。つまり量子論的宇宙における不確定な世界の中でヒトはどう生きられるのか、というような話。 説明し出すと長くなるので、簡単に書いちゃうと、量子物理学では世界とは、観測の上に成り立つものであって、つまり私たちが「何かを見る」ことによって、それはそこにあるのだと。言いかえれば私たちが何かを見ようとしなければ、それがそこにあるのかないのかは確率的な存在でしかあり得ないと。それを「シュレジンガーの猫」と呼ぶんですね。 ……この説明でよくわかんない人は専門書読んでください。あるいはあさりよしとおのマンガ『HAL』でもいいです(^^)。 そんな世界で主体的に生きることはまるで無意味だ、と言うのが私の結論。じゃあどうやって生ききゃいいのかっていう話になるんだけど、もちろん、開き直るか諦めるか笑うしかないんだよね。あるいは、最後の手段として、「どこかに戻ろうとして逃げる」。……という、オチまで似てたよ。おいおい(^_^;)。 その辺の感性が似てるのって、やっぱり作者と私が同世代なせいなのかなあ。 念のため言っとくが、盗作なんかしてないからな。 シュレジンガーの猫を私は「鴉」に置き換えたわけだけれど、北野さんはなんと「タヌキ」に置きかえている。 かつて「門」がこの世界に開いてしまった時から、あの火星は四散し、この世界は人間とタヌキの二つの勢力が争う世界となった。 ……マジメなヒトが読んだら気が狂いそうになるような世界観だ。もちろん、ルーツはフレドリック・ブラウンの『発狂した宇宙』なわけだから、SFファンならこの程度の設定、軽く乗り越えて楽しめることであろう。もとの出版社である新潮社のおエラさんがたにはムリみたいだったらしいけど。 しかし、読みながら鏡を見せられてるような感覚に陥るってのは奇妙な経験だった。面白いんだかつまんないんだか判断つかねえよ。
マンガ、細野不二彦『タケルヒメ』1巻。 時代もので妖怪退治もので、となると設定的にはありきたりなんだけど、何しろ作者が細野さんだから読んだ印象はまんま『バイオハンター』。グロなの私はちょっと苦手なんだけど。 主人公のタケルヒメがちょっと知恵遅れ気味、という設定は諸刃の剣、という気がしないでもない。主人公が悩んだり成長したりってのがない分、物語としてはすっきりしてるんだけど、「知恵遅れ=純粋=破邪の資格」って図式はいくらなんでも短絡的過ぎないかな。 帯に「巨匠・初見参!!!」なんて書いてあるけど、細野不二彦がいつ巨匠になったのかとちょっと首を捻った。いや、好きな作家さんだけどさ、巨匠って祭り上げなきゃ売れなくなったのか、と思っちゃってね(-_-;)。
WOWOWでコロンボの新作、『新刑事コロンボ・奪われた旋律』見る。 新シリーズになって以来、レベルダウンの著しいコロンボだけれど(エド・マクベイン原作のやつなんて最低だった。『87分署』とじゃ世界観が違いすぎる)、今回はまあ原点回帰、といった感じで印象は悪くない。 監督が旧知のパトリック・マッグーハンで、犯人の音楽家がコロンボの前でいきなリ歌い出すような、『プリズナー�癸供抂瞥茲離┘�セントリックな演出はあるものの、適度にユーモアを盛りこんだ適切な演出を行っている。 でも、コロンボのプジョーがガス欠になって、仕方なく犯人の車に乗りこむ、という展開、いかにもコロンボらしくていいんだけど、あとで「あれは犯人と会話するためにわざとやった」とネタバラシするのはどうかなあ。トリックの解明に解説は必要だろうけど、捜査の過程ではコロンボの行動はもっと謎めかしておいたほうが効果的だと思うんだけどね。 アリバイトリックそのものはチャチでなんだけど、体内であっという間に分解されて痕跡が残らないはずの睡眠薬がなぜ死体から検出できたのかってトリックの方はそう悪くない。私はすぐに気づいたけど。 コロンボが、と言うよりピーター・フォークがトシを取ったということを感じさせないように、やたら走りまわさせてるけど、ちょっと痛々しくはある。 もう昔みたいなしつこさ、胡散臭さを前面に出すのは無理だろうから、ミス・マープルみたいな好々爺のイメージてやっていってもいいんじゃないかなあ。
| 2001年07月07日(土) |
オタクな××話/『こんな料理に男はまいる。』(大竹まこと)ほか |
七夕だけど、小雨がチラホラ。 今年も織姫は涙にくれていよう。 ……いや、お姫様、一年に一度会えるか会えないか、なんてアテにならない相手よりも、このボクの熱い、燃えるハートに触れも見でさびしからすやウヒウヒウヒ、というのは椎名高志のギャグ。 どういうわけだかウチの職場にも竹笹が飾ってあって、「有久さんも短冊を」といわれたので、つい、「妻が料理を作ってくれるようになりますように」と書きこんでしまった。 私はいったい何を夢を見ているんだろうね。
大竹まこと『こんな料理で男はまいる。』を読みながら、まあ、このレシピを読みながら料理を作るような女はやっぱりバカな女だろうな、などと不遜なことを思う。レシピに頼らず、自分の目の前にいる男が何を求めているか、それを見ぬいて料理を作る。そんな難しいこと出来ない、と文句を言うようなら「男と一緒にいる」意味はない。「私だけを見つめてほしい」と女が男に望むのなら、女も男のためだけの料理を作れなくてどうするのだ。 もちろん、私がしげに作る料理はしげのためだけの料理である。しかし、しげが私のために作る料理はそうではない。しげ自身の料理でしかない。
私の知り合いの女性で、花嫁修業で料理学校にさくさく通い、いざ結婚後は存分にその腕を振るって、毎日毎日ビーフストロガノフノフホフとか舌平目のムニムニエルとか、そんなもんを作り続けたけれど、夫はだんだん料理を食べ残すようになり、更には家計も逼迫しだして、一時期、離婚の危機に陥った、という人がいる。 ちょうどそのころ、その女性は私に「あなたと結婚すればよかったかしら」などと、その気もねーくせに私をダシにして自分の正当性を訴えたりもしていたのたが、なんか男を徹底的にナメてくれる女だなあ、と内心立腹していたのである。 私なら女の作る料理を喜んで食べてくれるだろう、というふうに思われていたのだろうが、私だって、そんなケッタイなものを毎日食べたいとは思わない。 大竹さんもこの本の中で書いているように、男が女に求めるのは、「安い食材で、定まった普通の味で、工夫のあとを見せずに」「ほっとできるような、温かくてしみるような味を一緒に味わいたい」。 それだけなのだ。 「私はあなたのためにこれだけのことをしてるのよ」なんて料理は嫌われるだけだ。かと言って「こんなもんでいいだろう」なんて手抜きがミエミエの料理も願い下げである。 月並みだが、男に対する思いやりが感じられる料理。 それだけで充分なのだ。同じ料理でも盛り付けにちょっと工夫をするとか、それだけでも男は嬉しいのである。 なのに、その程度のことすらしない女は多い。それが男への思いやりになるってことになぜ女は気づかないか。 実は女は、男に料理を作ってやる時、愛を注いでいるように見えて、逆に男に甘えているのである。本人は男に尽くしているつもりでも、実は男の愛情にしなだれかかっているだけなのである。そんな女は、男の心を読むこと自体しようとしない。ただただ自分の愛情を押しつけて、それを受け入れない男を恨むばかりである。 「美味しい料理作ってあげるね」なんて言われて喜んでちゃ男のほうもバカだ。そういう女の料理はたとえ美味くても不味いのだ。
私も結婚して10年になるが、しげに美味しい料理を作ってもらったことは一度もない。初め美味しくても、あとで必ずしげが「美味しくない?」と聞いてぶち壊すのである。「不味いか?」と聞かれれば、「そんなことはないよ」と答えざるをえない。そう答えることを強要されて美味しく味わえるはずがない。だから、「そのヒトコトを言わなければ美味いのに」と何度もしげには叱ったのだ。なのに何度も聞くものだから、私は結局返事をしなくなった。そうしたらしげは料理自体、全く作らなくなった。 私はしげに料理を作ってもらうために結婚したわけではないので、それはそれで仕方がないことではあるのだが、それにしても10年間マトモな料理を一度も作れなかったというのはバカにもほどがある。 しげの不安神経症も理解出来なくはないのだが、こちらはたいした要求をしているわけではないし(と言うよりほとんどといっていいくらい要求はしていない。手間かけなくていいと言ってるし)、本人に自分の病気を治そうという気があれば(つまり他人を気にするのでなく気遣うようにすれば)、料理は楽しい作業だと思うんだがなあ。 要は人を思いやる喜びをしげが経験したことがないというのが一番の問題なのだろうな。料理のことは、しげの生き方そのものに欠陥がある一例なのである。多分、過去にいろいろトラウマだのPTSDだのがあったのだろうが、もういいトシなんだからいい加減で自分でなんとかしてくれないと私ゃ知らんよ。先に行くのは私の方なんだから。
入院手続きをするために仕事を早引け。 職場から自転車をかっ飛ばしていると、突然「ぷしゅううう」と気の抜けた音と同時に後輪がへしゃげる。わあ、またパンクだ。タイヤを見ると3センチほどの釘がブッスリと刺さっている。どうも釘が巻散らかされてるところを通りすぎたらしい。これはチューブ自体がイカレていそうな気配である。 ウチには四台自転車があるのだが、一台は既にしげがパンクさせて半年も放置したまま、いくら叱っても自転車屋に持っていこうとしていない。さすがに二台もパンクしたままでいるわけにはいかないので、帰宅するなりしげに自転車屋に行こうと誘う。 「行けないよ、お客さんが来るから」 「そんなの聞いてないぞ」 「いちいち言わなきゃならない?」 ちょっとムカッとしたがこれから病院にも行かねばならないのでケンカなどしているヒマはない。 「誰が来るの」 「ハカセ」 「何しに」 「部屋の模様替え」 「はあ?」 しげは夕べも仕事、今晩は飲み会、明日は練習と、寝る時間も余りないはずなのである。それなのに、なぜ今、模様替え? 第一、昼間は私も台本を書かねばならないというのはしげも承知のはずなのだ。側でドスンバタンと片付けされてて台本が書けるか。 「じゃあ、自転車どうするんだよ。明日、日曜だから今日しか修理には出せないぞ」 「夕方出すよ」 「そう言って出さないつもりだろ」 「出すよ!」 嘘をついているのは一目瞭然だが、押し問答をしていては病院に行く時間すらなくなる。あとでみっちり叱ってやろうと思いながら病院へ向かう。
入院先は西新の成人病センター。 予想通り地下鉄駅から近いはずなのに路地裏で道に迷う(^_^;)。 でも大きい割に目立たない建物だったので、見つけにくかったのも仕方ないか。こんな小さなところで設備はちゃんと整っているのか、などと失礼な心配。 着くなり看護婦さんから「入院手続きなら電話でいいのに」と言われてガクっとなる。紹介状まで書いてもらったんだから自分の足で行かねばならんのだろうと、てっきり思い込んでいたのに。 身長、体重、血圧と測られるが、なんだか最近の計測器もハイテクになったもんだね。身長計によっかかっただけで勝手に機械が動いて、身長も体重も測ってくれるのである。 身長171.6センチ、体重……え? 昨日は81.0キロジャストだったぞ。 は、83.4キロって……? あ、そうか、これは服着たままからだな、それでこんなに多めに……。途端に看護婦さんの無常な声が。 「服の分は予め引いてありますよ」
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あ、いけない。 意識がちょっと飛びました。 今までの検査結果から見ると、病状は私の予想より大分、悪化しているらしい。私としては8月末に入院したかったのだが、8月6日からの入院が決まる。 盆休みは一応帰宅出来るみたいなのだが、どっちにしろ8月はほとんど不自由な生活を強いられることになるみたいだ。 ああ、携帯用のDVDプレイヤー、この際だから買っちまうかな。 でも持ちこみ禁止と言われたら意味ないけど。 ホームページの立ち上げや日記の更新のための準備も七月のうちにしておかないとなあ。
帰宅するとしげが穂希嬢と確かに片付けをしている。 おお、確かにリビングが広々として、四、五人は座れる程度のスペースができている。 でも、そのスペースを埋めていた本とビデオの山は……? 何のことはない、寝室のスペースが全て消えているのだ。 ……「模様替え」って場所移動しただけやんけ。寝室眠れなくして、どうやって今晩寝るんだよう。
自転車の修理もやっぱり駄々をこねて行こうとしないので、仕方なく自分で行く。その分、台本が進まなかったが、今回の原稿の遅れはしげのワガママが原因なので、文句は言わせないからな。
マンガ、魔夜峰央『パタリロ西遊記』2巻。 猪八戒を美形にしたのは(ちょっとヒューイットっぽい)いいアイデア。 パタリロに孫悟空をやらせるっていうからどんなに破天荒になるかと思ったら、随分原作に忠実だ。と言うか、もともと原作自体が破天荒なのである。 でも、三蔵法師のマライヒと、那托太子が、羅漢のバンコランを挟んで恋のさやあてってのは、仏教徒が読んだらどう思うのかなあ。 クリスチャンと違って余り怒んないような気もするけど。
夜、中洲の『魚民』でAIQのみなさんを囲んでの飲み会。 11月24日(土)の「2001 AIQ ODYSSEY」のチラシのゲラが出来たのでそのご披露。でも日付とかに誤植が結構あるのであった。エロの冒険者さん、チラシのスペル、「ODYSSY」になってますけど「E」が落ちてますよ。 隣じゃ超調子っぱずれなドオンチが「ラブ・イズ・オーバー」歌いやがるわ、歯の欠けたガキは走りまわって覗きに来やがるわ、クーラーは全然利いてないわと散々だったのだが、もう話はいつもながら勝手に盛りあがること。 なにが凄いって、ぴんでんさん、先日北海道で行われた「オタクアミーゴス」公演にわざわざ行かれたのだが、この裏話が話を聞いただけでも5000円の価値はあるという(^^)。 余りに笑いすぎたので、「いいんですか、有久さん、そんなに面白がってて」とかえって心配されてしまったが、そんなに固い人間だと思われてるのかなあ。私は○○な話も××な話も大好きなんだが。と言うより「物語」の原典はまさしくソコやアソコに原点があるものだと信ずるものである。 申し訳ないが、どんなに面白かったかは、とてもじゃないが凄過ぎてここには全く書けないのだ。どうしても知りたい人は、今度の九州公演のチケットを買おう。そしたらAIQのみなさんにもお会い出来るぞ。8月15日から福家書店で販売するそうですよん。 (それはそれとして、ぴんでんさん、HP立ち上げてぴんでんさんの「武勇伝」、公表できる分だけでも公表しませんか?) ここに書ける無難なところで(無難なの選んだら一気に数が減るのだが)、『スカルマン』の最終回についての話題など。どうやらやっぱりアレは打ち切りだったらしいのだが、ぴんでんさんが、「まるでシマモトにイシノモリが乗り移ったかのようだ」との説には大笑い。実際、マトモに完結できた作品なんて、石森作品には少ないものなあ。 今日初めて知ったのだが、ぴんでんさん、メディアファクトリー刊の石ノ森章太郎ワールド、全巻お持ちだそうである。それで「あまり『009』には思い入れなくて」などと仰るのだから、ほんとにAIQの方々はどこまで濃いんだか(^_^;)。 エロさんオススメの「黒木豹介」シリーズも読んでみたいんだがなあ。相当トンデモだってことだから、かえって勇気が必要な感じなのである。今日のお話だと、なんかいきなり釣り人のエサのゴカイを「生き物を大切にしろ!」とか言って黒豹が池に放してやるシーンがあるそうである。 ……魚に食われるって、ゴカイ。 と言うか、それ以前に諜報員の癖にそんなアホなことやってて務まるのか。 ああ、話してたネタ書いてたら、日記が何10ページあっても終わらん。こないだの職場のつまらん宴会に比べたら月とすっぽん、提灯に釣鐘、雲泥の差で楽しかったのであった。 すみません、また何かあったら誘ってください。m(__)m
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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