無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年07月01日(日) 食いすぎたのは、あなたのせいよ/『コメットさん』(横山光輝)ほか

疲れ果てて今日は寝たり起きたり。

 朝のテレビ番組も見られたのは『コメットさん』だけ。ちょっと前からエンディングが変わってるのはテコ入れかな?
 もともとコメットさんがバトントワラーとなって踊るという、古くは『オバQ音頭』以来の(ホントに古いな)、「みんなもアニメのキャラと踊ろう!」パターンの一つなんだが、多分、一緒に踊ってくれるお子様達が少なかったのであろう。画面を半分割して実写のお子様たちやトワラーのおねいさん達が踊ってる様子を映し出しているのである。
 でも最近はこのパターン、「踊るコナン」のパラパラもそうだったが、まさしく「笛吹けど踊らず」ってことになってること多いように思う。全国的に流行ったのって、『アラレ音頭』あたりが最後じゃないのか。ちなみに私が盆踊りで踊った記憶があるのは『大ちゃん音頭』(いなかっぺ大将)だ。
 視聴率的には確かに振るってないみたいだ。
 『ニュータイプ』を見ると、ライバルと言ってもいい同じ魔女っ子ものの『も〜っと!おジャ魔女どれみ』の4月の視聴率が、12.8、11.9、11.3、11.1%と推移しているのに対し、『コメットさん』は、4.0、2.8、3.6、3.2%。とても太刀打ちできる数字じゃない。
 今時あんなに素直な女の子が主役のアニメってないから、出来るだけ長いこと続いてほしいんだが。なんだか昔『鉄腕アトム』と『Dr.スランプ アラレちゃん』が裏でぶつかりあって、圧倒的に『アラレちゃん』が勝ったときにも、「いい子の『アトム』が悪い子の『アラレちゃん』に負けた」みたいな批評があった。単純ないい子悪い子の比較もどうかと思うけど、『コメットさん』に子供が感情移入するにはちょっとおとなしすぎる印象はあるのだ。前田亜季の声もオヤジは萌えられようが(^^)、子供にとって魅力的かと言うとどうもね。
 その昔、九重佑三子のコメットさんも結構ドジってて、そこが子供の感情移入しやすいところだったんだが、今度のコメットさん、ソツがなさ過ぎるのである。
 横山光輝の『作家生活45周年記念出版まんが集』に、マンガ版の『コメットさん』が34年ぶりに初単行本化されてるのだが、結構グラマーで見たところ17、8歳、ちょっと小生意気で小悪魔的、カッコイイ男の子には惚れっぽくて、バトンをなくしちゃう定番ドジもあり、今のアニメ版と比べると、どっちかというとメテオちゃんのほうに近いイメージだ。
 うーん、長年横山マンガになじんできた身としてはやはりこの原作版コメットさんを見てみたかったなあ。
 でも目を皿のようにして見てみたけど、「原案・国際放映」とはあっても、「原作・横山光輝」の文字はなし。どうやらもともとテレビ企画のほうが先で、それに合わせて「原作」が描かれた関係らしいのだが、仮にも「原作」と銘打っている以上、著作権についてはマンガのほうにも何がしかの権利があるのではないだろうか。
 このままだと横山版が忘れられかねないようにも思うんだが、いいのかなあ、それで。


 マンガ、原作石ノ森章太郎・漫画MEIMU『キカイダー02』1・2巻読む。
 あ、やっぱり以前に出した『スペシャル・エディション』、続きを出さずに廉価版出しやがった。そういうのはコレクター相手に後で出すもんだよ、阿漕だぞ角川(昔からか)。
 元の漫画版より展開が早くて、もうハカイダーが登場している。うーん、顔がカエル(^_^;)。
 だからリアルにすりゃいいってもんでもないんだってば。
 ゴールデンバットがジローのプロトタイプ、ということで、ジローと同じ顔をしている、というのは面白いアイデアだけど、そうなると01=イチローとの設定の整合性はどうつけるつもりなのかな?
 今の感じだと、既に新キャラクターのヒナノはマサルというよりジャイアントデビルの秘密を持つアキラの役割のほうを持たされてるみたいだから、もしかしたらダーク→シャドウの展開も早いうちにされるのかも。
 でももとの漫画版とどこが違うって、デザインやストーリー展開もそうだが、キカイダーやほかのダークロボットに名前がないということだろう(設定上はあるんだろうけど)。
 キカイダーがグリーンマンティスに「キカイダー!?」と名前を呼ばれるシーンもない。というか、ゴールデンバット以外、喋れるロボットがいない。
 おかげでグレイサイボーグ、グリーンマンティス、カーマインスパイダーくらいまではなんとか分ったが、形状がまるで変わったオレンジアント、ブラックホースは一瞬分らなかった。ブラックホースなんてケンタウルスタイプの半人半獣になってるんだもの。
 ……コブラのロボットなんていたっけ? まさか「レッドスネーク」ってんじゃないだろうな(-_-;)。
 あ、ってことはハカイダーにも名前がないんだ。
 それが「リアル」ってことなら、なんかつまんないぞ、やっぱり。


 マンガ、椎名高志『MISTERジパング』5巻。
 こないだ4巻が出たばかりだってのに、もう5巻ってことはまさか完結が近いのか? はっきりパラレルワールドの設定を表面化させてからグンと面白くなってきた本作、やっぱり椎名さんはSFしてくれないとな。
 時空の彼方から天回によって呼び寄せられた本物の「秀吉」。
 なんだか突拍子もないみたいだけど、これ、つまりは「○○は二人いた!」ってパターンの変形なのだね。
 「義経は二人いた」とか、「二人の武蔵」とか。
 西郷隆盛なんか『カムイの剣』では何人もいたことになってたな(^^)。
 あ、そうか、これも結局はキカイダーとハカイダー、滝沢昇とブラック滝沢の関係なのだな。ああ、ちゃんと「少年サンデー」の伝統の上に乗っているとは。
 でも欲を言えばあと何人か女の子キャラが増えてくれたら申し分ないのだが。

 しげが椎名さんのホームページを見つけて劇団ホームページのほうにリンクしている。
 マンガ家さんのホームページって、面白いところとつまんないところの差が激しいが、椎名さんところはまあまあ面白い。週刊連載で忙しいだろうに、週イチで確実に更新しているのは立派。当然「ここでしか読めないマンガ」もあるし。
 そうだよな、ミソッカスロボットの元祖は椎名さんであって、マ○チやましてやハン○メイドメ○なんかじゃないよなあ。こういうねちっこい恨みを持つキャラ(横島忠夫の「ちちしりふともも〜!」には笑った)描かせるとうまいんだよなあ。
 ホームページについての評価は、好きなマンガ家さんだからと言って、必ずしも高くないものなのである。唐沢なをきさんとこの「からまん」なんか、99年以来更新がないけど、これはやっぱりほったらかし過ぎってもんだろう。


 マンガ、高橋留美子『犬夜叉』21巻。
 映画化も決定で久しぶりの高橋留美子作品ヒットでめでたくはあるんだろうけれど、なんだか四魂の玉探しかどうでもいいような展開になってるのはちょっとなあ。というか妖怪退治水戸黄門になっちゃってるのね。
 その手のパターンで一番面白かったのは毛羽毛現『百物語byYOKO』だったけど、「なぜ妖怪などという存在がこの世にあるのか」という設定がある分、同人誌的であっても『百』の方が『犬』よりも断然面白い。
 高橋さんの描く妖怪は人間臭すぎるのだな。つまりは手塚治虫の『どろろ』の流れ。人知を越える部分がないと妖怪ものって面白くならんのよ。
 更には時代にそぐわないラブコメムードがここんとこ続いているせいで、その辺がダレちゃうのだ。顔のない奈落の分身もうまく使わないと尻切れトンボで終わりそうで、何となくこの先が心配である。


 夕方からちょっと仕事したあと、しげと買い物に博多駅まで。
 しげが唐沢なをきさんの『うらごし劇場』を読みたがったので紀伊國屋書店まで探しに行くことにしたのだが、「帰りに買い物もしようね」なんて言ってたので、てっきり今日は、しげは仕事がないものだと思いこんでいたのだ。
 首尾よく本を手に入れたが、時計は8時を回っている。
 突然しげが、「じゃっ!」と手を上げてどこかへ行こうとする。
 「どこ行くんだよ?」
 「仕事」
 「……なんだ、今日仕事だったのか。買い物できないじゃん」
 「あんた行ってトイレットペーパー買っといて」
 なんだか詐欺にあったような気がしながらも、しげと別れて食材その他を買い込み、帰宅して、部屋の鍵を開けようとしたんだけど……。
 ない。
 部屋の鍵がない(・・;)。
 しげが鍵持ってたので私は部屋の中に置いたまま出て来たのだ。しげもそのこと知ってたくせに、けろっと忘れて仕事に行きやがったのだ。
 だああああ! あのクソアマァァァァァ!
 仕方なく、荷物を玄関前に置いたまま、しげのバイト先のリンガーハットへ。
 中を覗くと、しげは相変わらず愛想のない仏頂面で接客している。
 店内に入ると、また何しに来やがったという顔でしげがこちらを見る。
 「ご注文はお決まりでしょうか?」
 と聞いてくるしげに、おもむろに、
 「皿うどんにフリードリンク。それからウチの鍵」
 と注文。
 ……店内の人達に背を向けていたから気づかれなかったろうが、このときあいつは確かに笑っていたのだ。
 どちくしょう。

 このとき食った皿うどんは、81.2キロまで下がっていた体重を、翌日82.4キロにまで戻したのであった。……でも餃子だけとかオニギリだけとか頼めないじゃないの(T_T)。


2001年06月30日(土) 原稿アップ(´。`;)/『マンガ世界戦略』(夏目房之介)ほか

 突然だがまた、この日記の背景が変わってしまった。
 いや、今回は私の意思ではない。しげが勝手に変えたのだ。
 いったいどこから持ってきたんだか分らないけど、このコビトさんたちはなんなのだ。
 しかも白い背景になっちゃったから、今まで使ってた文字の中で、黄色なんかは薄くて読めなくなっちまった。
 それに「気に入ったら投票してほしいモケ」ってなんだよ。
 しげ、おまえ相原コージは嫌いじゃなかったのか。
 自分で気がついてないのかもしれないが、おまえのギャグセンスって思いっきり関西系でベタなんだぞ。


 今日はもう、まる一日カイてカイてカキまくってました。
 何って、『映画クレヨンしんちゃん』同人誌の原稿ですよお♪ なに想像してたの、イヤらしいわね!! ……って、しげのことをバカに出来ないベタなギャグだな(-_-;)。
 結局、原稿用紙何枚分くらいになったのだろうか、と思って数えてみたら53枚だった。同人誌がどういう版組になるか分らないけれど、まあ一頁に凝縮されて終わり、ということにはならないであろう。
 ……なんちゅうかねえ、どうでもいい内容なのに長々書くヤツの原稿ってさ、たいてい活字組小さくされて巻末に回されたりするのね。
 高校のころに私が書いてた文章はたいていそんな憂き目にあっておりました。ううううう(ToT)。
 当初は「100枚でも200枚でも書きます」、と豪語しときながら、結局その半分というテイタラクであったわけだが、まあ実質一日で書き上げたんだからこんなものであろう。
 「オトナ帝国大辞典」用の原稿も数えてみたら50項目ほど。
 もう少し頭を働かせれば思いつけそうな気もしたけれど、まあカキスギもカラダによくないかな(しつこい)。
 なんとかシメキリに間に合ったのはいいものの、山本弘さんにボツられないかとそれが心配。
 実はマンガのアイデアもあるにはあったのだが、さすがに描く時間がなかった。個人ホームページを立ち上げるときには、もしかして日の目をみることがあるかもしれない。


 夜は職場の宴会で、天神の某料理屋へ。上品なふりして食事は今イチだったので、店の名前は書きません。
 あまり職場の宴会には参加しないほうなのだが、別に私は宴会が嫌いってわけでもない。私は酒が飲めないのでいつもシラフなのだが、シラフでも常に酔ってるような人間なので実は何の心配もない。
 ただねえ、ウチの職場ってオカタイ人が多いんで、ギャグが通じなくってつまんないのよ。
 女性は多い。
 それはちょっとうれしいかもしれない。
 でも全員が全員ロッテンマイヤーさん。いやホントそんな雰囲気なのよ。
 それでもねえ、アニメのロッテンマイヤーさんは時々さばけたところもあったけどねえ、ウチの女性陣、酒でも入れば大らかになるかってえと、説教臭くなるばかりでさあ(+_+)。
 愚痴を言うんでも、楽しく言えりゃいいけど、ヘタすりゃ本気で陰々滅々となっちまうしねえ。
 今年はそれでもまあ気の合う同僚が何人かいたし、少しは楽しめるかとおもって行ってみたら、その方々が揃いも揃って欠席してやんの。
 あああ、周りがみんなマジメニンゲン。
 スケベニンゲンの私ゃどうしたらいいのか。
 でもそういう連中にもつきあってマジメぶりっ子してしまう私も相当偽善者であるのだった。


 なんとなく気が晴れないので、キャナルシティの福家書店に寄って帰宅。
 明日は休みなのでゆっくり本を読んだりDVD見たり。

 夏目房之介『マンガ世界戦略 カモネギ化するかマンガ産業』読む。
 ああ、この本についても語り出したら原稿用紙50枚くらいは軽くかかりそうだが、とてもそんな体力はない。
 「マンガなんてくだらねえ」と偏見の眼でマンガを見るヤツと、「日本のマンガは世界一ィィィ!」と、オタク先鋭化するヤツと、どうもマンガを取り巻く人々の状況は両極端に分れてしまい、マンガそのものの魅力を語ることから乖離してしまっている。
 客観的かつ冷静にマンガを見ていく眼というものがまだまだ日本では育っていないのだな。テーマ主義に偏っていたこれまでのマンガ批評を、絵とコマのダイナミズムから説明していった夏目さんの功績は偉大なんだけど、後に誰も続いていないのがどうもね。
 未だに俗に「一流」って言われてる大手の文芸誌なんかでは、手塚治虫や宮崎駿を「ヒューマニズム」の一言で語ってしまうような単純かつ短絡的な批評が幅を利かせてるし。
 本書でも、夏目さんは日本のマンガ・アニメが世界に受け入れられていく過程の中で、どのような齟齬を生んでいったかを実に細かく分析していく。簡単に言って日本人はこれまで、「世界の中での田舎もの」って劣等コンプレックスが強すぎたのだね。ちょっと日本のマンガ・アニメがウケるとすぐ有頂天になり、作品の輸出に関して、テキトーな契約結んじゃって、地団太踏む羽目になる。
 なにがビックリしたって、『攻殻機動隊』があれだけ世界でウケたってのに、監督の押井守に1銭も金が入ってないってんだから(もちろんアチラの会社が全部ぶん取って知らんふり決めこんでるのである)。
 夏目さんのマンガ国際化戦略は実に具体的だ。産業としてのマンガ出版を活性化させるための構造改革と海外進出。これ、出版社だけでなく自治体自体も真剣に取り組んでいっていい課題じゃないだろうか。

 ああ、それと以前オタアミで紹介されてた韓国性のアニメ、『三本足の男』や『チ○ポ橋』(タイトル分らないからテキトー。見てない人にはない様は「ご想像に任せる」と言っておこう。)の作者の名前がこの本でやっとわかった。
 梁栄淳(ヤン・ヨンスン)と言うのだ。作品名は『NUDL NUDE』。韓国では超人気のマンガ家さんだそうな。宣伝のし方によっては充分売れると思うんだが、マーケティングリサーチのヘタな日本人にこの本やアニメを売るチカラはなかなかないだろうなあ。
 日本で出版されれば少なくとも私とよしひと嬢は確実に買うであろう(^^)。


 キネ旬ムック『マンガ夜話』vol.11「山口貴由『覚悟のススメ』/藤田和日郎『うしおととら』」読む。
 と言っても『覚悟』のほうはマンガ読んだことないので斜め読み。
 少年サンデーのWEBサイトで『うしとら』の作者がマンガ夜話見て怒ってるって話を小耳に挟んでたので、さて、そんなに貶されてるのかと思って放送を見逃してたので読んでみたのだ。
 ……あれを「貶し」と取るんだったら藤田和日郎、あんたはマンガがなにもわかってないや。と言うより、知性低すぎ。
 たとえばいしかわじゅんの「どっかでもう絵に関しては諦めてる」という批評。藤田氏本人は「オレは諦めてないぞ! 日々努力してるんだ!」と文句言いたいんだろうけど、いしかわじゅんの言ってることは「マンガの様式化を脱却しようとはしていない」という意味であって、別に欠点として指摘しているわけではないのだ。逆に「いろんな様式を取り入れて自分の表現を豊にしている」と誉めてるのに。
 いしかわじゅんも言葉足らずだったとは言えようが、発表されたものに対して、誉められようが貶されようがそれは受け入れるしかないことなのだ。
 こういう作者のケツの穴の狭さは作品に反映する。
 『からくりサーカス』がつまんない理由ももしかしたらこの辺にも理由があるのかな。

 資料的に充実してるようだけれど、「唐沢俊一さんの『カスミ伝S』」は早いとこ訂正しとこうね。まあトシアキと間違えなかっただけマシかもしれんが。


 マンガ、和田慎二『少女鮫』10巻(完結)。
 いやあ、ここまで打ちきりとはっきり分る結末もかえって清々しくていいなあ。いや、和田さん、本気で怒ってるだろうけど。
 何しろ登場人物すべて殺して終わりって、おまえは火浦巧か。
 でも出版社移ったことでもあるし、最後の2巻はなかったことにして、リメイクしてもいいんじゃないかな。主役の女の子、「ウィルスによる突然変異で超能力に目覚めた」なんてニュータイプな設定は捨ててさ、「傭兵経験のある少女」ってことだけで押してきゃ、充分ウケると思うんだがなあ。


 DVD『刑事コロンボ 完全版』vol.1『殺人処方箋/死者の身代金』見る。
 LDボックスで大半揃えてたのに、DVDで完全版先に出しやがるんだものなあ。
 でもLDのほうも石上三登志の解説がついてるので売っぱらうわけにはいかないのである。多分見てないのは数本だろうけど、なんとか全巻揃えよう。
 最初のコロンボ、よく言われてるがキャラクターがはっきりしていないので、まだまだかっこよく見える。ミステリーとしてはこれがシリーズにつながるためのパイロット版なので二本とも屈指の傑作。
 『殺人〜』、細かいストーリーはミステリーの定石で明かせないけど、ちょっとした描写、犯人が現場にハンカチを忘れた! ……と思ったらちゃんと取りに帰る、なんてところがウマイのだね。
 声優の小池一雄が亡くなっているので、追加部分の声を銀河万丈がアテてるけど、ちょっと野太すぎる印象。
 それよりゲストスターのジーン・バリーの声、オリジナル版では若山弦蔵(NHK放送時は瑳川哲朗)なのに追加版では変更されている。死んでないのになぜ?
 『死者〜』、声優が山東昭子。政治家になって以来この人が元女優ってことも忘れられてるんだろうなあ。


2001年06月29日(金) フェイト教授、さようなら/『スカルマン』7巻(石ノ森章太郎+島本和彦)ほか

 朝のテレビ番組で、「博多のとんこつラーメンに異変!」と何やらただならぬ特集が。
 ……見てみると異変というほどでもない。博多の料理の代名詞のようになっている「とんこつラーメン」があまり食べられなくなっている、というだけのこと
だった。
 特に女性に。
 「臭い」「しつこい」「太る」と評判は散々だ。
 それに対して男は「博多のラーメンはやっぱトンコツやろ」と堂々と言い放つヤツが圧倒的に多い。
 いつ、誰がそんなこと決めた。
 とんこつラーメン屋の主人も得々として言うのだ。
 「やっぱ伝統の味ば守りたかけん」
 伝統?
 たかだか50年やそこらで「伝統」などと口にするな。片腹痛い。
 何度かこの日記でも書いてるが、先祖代々の生粋の博多っ子はあんな臭いものは食わんのだ。あんなものを「博多の味」なんて言うな。
 ともかく博多に対しての世間の大いなる誤解は、まず第一に「とんこつラーメン」の発祥が博多だということと(本当は久留米)、武田鉄矢が博多出身だと思われてることだな(本当は雑餉隈←他地方の人、読んでご覧)。
 私の子供のころには普通のラーメン屋もまだまだあったのに、気がついたらとんこつ一色になってたんだもんなあ。
 博多ナショナリストである私としては、このままどんどん博多からあの唾棄すべき残飯ラーメンが消えていってくれると嬉しいのである。脳までとんこつスープのせいでとろけた男どもはほっといて、女性のみなさん、どんどん味噌や醤油や塩ラーメンを食べましょう。
 

 昨日のトーベ・ヤンソンの死去に続き、今日はジャック・レモンの訃報を知る。
 最後に『おかしな二人2』でウォルター・マッソーと共演できたのがせめてもの餞なのかなあ。演技的には「痛々しい」としか言いようがなかったんだけど。
 私の個人的なレモンのベストアクトは『お熱いのがお好き』でも『酒とバラの日々』でもなく、『グレート・レース』のプロフェッサー・フェイト。
 あのトニー・カーティスをライバル視し、部下のピーター・フォークをこき使い失敗するたびにヤツアタリするキャラ、どれだけ模倣されたことか。
 『チキチキマシン猛レース』のブラック魔王も『ハッスルパンチ』のガリガリ博士も『名探偵ホームズ』のモリアーティ教授も、そのエピゴーネンの域を一歩も出てはいない。定番、なんて言っちゃいけない。完成された演技ってのはああいうのを言うのだよ。
 どこか地上波でも衛星でもいいから追悼特集やらないかな。昔は誰かが亡くなったらたいていやってたような気がするのに、最近はサッパリだものなあ。
 吹替版でもいいよ。
 というか、カーティスを広川太一郎がアテて、レモンを愛川欽也がアテた(マリリン・モンローはもちろん向井真理子!)『お熱いのがお好き』なら全然文句はない。


 午後から通院のため仕事は早引け。
 仕事をぱたぱたぱたと片付ける。
 帰りしな、同僚の女性に、鞄につけていた私としげとのペアのバースディ・テディベアを見られる。
 「なんでそういうのを付けてるんですか?」
 と本気で疑問に思われたようなので、「妻が付けたんです」と弁明。
 「浮世のしがらみで」と付け加えたら受けてたようだった。
 まあ、似合わないからと言って、外すわけにはいかないものなあ。
 途端にしげから、
 「あなたは私のことを愛してないんだわぁ〜わぁ〜わぁ〜わぁ〜わぁ〜」
 と桜田淳子攻撃をされることは目に見えているのである。 

 病院で入院のための紹介状を貰う。
 診察はウチの近所ですませるのだが、入院は西新の成人病センターの予定で、ウチからはバスと地下鉄を乗り換えて、おおよそ1時間はかかる。
 入院ともなると当然この日記の更新も出来ないわけで、病院でその日あったことをメモ書きでもしておいて、あとでしげにパソコンに打ってもらおうかと考えているのだが、そうしげに相談した途端、
 「やだ」
 と言われる。
 「長く書くのはイヤだろうから、10行程度しか書かないよ。それならいいだろ?」
 と聞いたら、
 「違うよ。ウチから遠いから見舞いに来ないよ」
 だと。
 ……だからそういう態度で俺にばかり愛情を求めるってーのがそもそも「詐欺」なんじゃないのか?

 しげと天神で買い物をして食事。
 いつものことだが、しげが「肉を食べたい」と言うので、天神コアのレストランのフロアで、肉料理の店に入る。
 私はビーフソテーのセットで安く抑えたが、しげの野郎、遠慮なしに高い肉を選ぶ。いや、まあ、おいしかったからいいんだけどさ。店を出た途端、また「おなかがすいたね」だ。
 キサマの胃袋は底無しか(・・;)。
 結局、しげに引きずられるように紀伊國屋書店、福家書店、ベスト電器を回って、アクロス福岡地下のMKでまた食事。
 生まれて初めて北京ダックを注文する。
 藤子不二雄Aに、人間を北京ダックにするホラー漫画があったけど、そこまでしたくなるほどの味ではなし。というより、油っこいばかりで味がない。皮のパリパリ感は確かにあったが、それも人に勧めたくなるような美味ってわけでもないのだなあ。
 なんだか詐欺にあったような気分であったが、何より肉が思ったより少ないのがガックリであった。
 しげは一口二口食べただけで、おもむろに餃子を2人前注文。いや、おいしくなかったからって、別のを注文することはなかろうに。
 

 帰宅してひと寝入り、シメキリが明日の『クレヨンしんちゃん同人誌』の原稿を書く。
 まああまり同人誌が完成していない時点でネタバレ話をするわけにもいかんので、ちょっとボカして書くが、「こういうネタで書こう」と思っていたのに、それに関する資料が見つからず、困っていたのだ。
 ところが今日、偶然、本屋で『アックス』の21号にほしかった「情報」が載っているのを見つけた。
 これを天の配剤と言わずしてなんと言おう♪
 おかげで原稿が進むこと進むこと。
 やはりシメキリはギリギリまで粘るべきものである。


 マンガ、横山光輝『血笑鴉』。
 槙山光輝って、正直な話、評価がとてつもなく難しいんだよねえ。
 この『血笑鴉』を読んでみてもわかるけど、「醜い男が実は超人的な技能の持ち主」って設定、山田風太郎忍法帖シリーズの定番なんだよねえ。
 悪く言えばパクリなんだが、更に山本周五郎をミックスしたりするものだから、ダークな話なんだかほのぼのなんだかよく分らない仕上がりになっているのである。
 で、つまんないかと言うと面白いわけよ。山本周五郎は菊池寛の主題主義の流れにあるわけで、キャラクターもある程度リアルに描かれている。しかも「市井もの」と言ってもいいくらい何の変哲もない人物を配置して、それが世界観を作ってもいるのに、そこにダークな殺し屋をぶちこむのである。
 この違和感がかえって変な魅力を醸し出してるんだから、なんと言えばよいのやら。
 誉めてんだよ、これ。念のため。


 マンガ、石ノ森章太郎・島本和彦『スカルマン』7巻(完結)。
 なんというか、ラスプーチンはあっさり死ぬわ、飛岡は実は仮面ライダーだったわ、最後は変身忍者嵐にキカイダーにゴレンジャーにロボット刑事にキョーダインにイナズマンも出てくるわ、読者サービスのつもりかもしれんが、全然サービスされた気にならないぞ。
 世界観が違うものを一緒くたにしたって珍品ができるだけだろ?
 『マジンガーZ対デビルマン』みたいなもんだぞこりゃ。
 石森章太郎の原作の完成度が高かっただけに、この終わりかたはどうにも納得いかない。ラストは結局『幻魔大戦』だしね。


 DVD『人造人間キカイダー THE ANIMATION』5・6巻(完結)。
 ようやく完結、テレビ版との差異はわずかだが、ギンガメのカットが差し替えられたりしてるとこだろうか。テレビを見てたときには見逃したが、再生ロボットの中には、再生どころか初登場のブラックホースやカイメングリーン、ブルーバッファローなんかもいたのだな。……だったらそれまでの11話の中にちゃんと出しとけよって。
 『キカイダー01』の製作も決定したそうだが、そのタイトルだと、原作通りジローが主役にはならないんだろうか。


2001年06月28日(木) 事故&カラオケ地獄変/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』�機��供憤舵�良和)

 事実を書きます。

 今日も朝から雨でした。
 雨合羽を着こんで、いつもの職場への山道を自転車をこいで行きました。
 下り坂の曲がり角、信号の向こうに通学中の小学生が人道一杯にたむろしていました。
 フードをかぶっていて視界が狭かったので気づくのに遅れました。
 子供たちは誰もこちらを見ていません。
 慌ててベルを鳴らしブレーキを踏みました。
 毎日の山越えでブレーキが利きにくくなっていた上に、雨が降っていたせいで、さほど減速は出来ませんでした。
 一人目は避けましたがその向こうにいたもう一人は避けられませんでした。
 男の子にぶつかって、自転車は止まりました。
 轢いた、というより押し倒した感じです。
 男の子は倒れました。
 「大丈夫? 立てる?!」
 顔を顰めて痛そうにしています。見ると膝小僧に血が滲んでいます。
 男の子の腕をとって立たせました。小さな、とても軽い子でした。骨折などはしていないようでしたが、痛くてかえって涙も出ないようでした。
 男の子の友達がワラワラと寄って来ます。
 口々に男の子の様子を聞きます。
 ケガをしたのは膝だけのようでした。
 リーダー格のような男の子が、「保健室まで歩いていけるようですから、ぼくたちが連れていきます」と言いました。
 私はその間「ごめんね、ごめんね」と謝るばかりでした。

 もし、人を死なせていたら、ごめんねですむ話ではありません。
 自転車でも充分人は殺せます。
 私はその程度のことも自覚していない馬鹿者なのでした。
 しげにその話をしたら、「人が避けてくれると思ってるからだよ」と言いました。更に「車の免許取るから、仕事の送り迎えしてやるよ」と言いました(私は視力が極端に悪いので、免許は取得できないのです)。

 人に反省することなど出来るのだろうか、と思うことがあります。
 取り返しのつかない失敗をした時、謝罪は事態を解決させるどころか、火に油を注ぐことになることすらあります。
 なぜなら、反省のしかたに人は「程度」を求めるからです。
 「その程度で反省したと言えるのか」と。
 私もこれまでに数々の失敗を繰り返して来ました。そのたびに思うのは、私の失敗を糾弾する人々の「憎しみ」の強さです。
 私は「憎しみ」そのものを否定はしません。たとえば私が人を殺したとしたならば、遺族の方が私を憎むのは当然だからです。
 しかし、「憎しみ」は必ずその人の心を押しつぶします。その人の夢も、希望も、理想も、憧れも。
 私が本当に心から「反省」しそれを実際の行動に移そうとするのなら、その人たちの「憎しみ」を解くことを考えなければなりません。
 しかし、そんなことが可能なのでしょうか。
 愛するものをなくした人の心を和らげることなど、その加害者には不可能なことなのではないでしょうか。
 私は自分の愚かさの原因を、人全体の愚かさにすりかえようとしているわけではありません。ただ私自身、一歩間違えれば人を殺していた立場になって初めて思ったのです。
 罪を償う方法なんてないのだと。私はただ、裁かれるのを待つしかないのだと。


 

 27日、トーベ・ヤンソン死去。享年86歳。
 昨年は弟さんのラルス(ラッセ)・ヤンソンさんが亡くなられた。月並みな言いかただが、まるであとを追うように逝ってしまわれた。
 トーベさんは生涯ご独身だったようである。弟さんと二人でムーミン谷の仲間たちの物語を紡ぎ出す生活は、トーベさんの人生そのものだったのであろう。
 この一年間、多分とてもお寂しかったのではなかろうか。

 アニメのムーミンは、旧シリーズは好きで嫌いだった。
 日本という風土に合わせて、原作を相当改変させていたせいであろう。東京ムービー製作の分も、虫プロ製作の分も、アニメファンはどちらが好きか、ということで論争していたが、どちらもムーミンのキャラクターが普通の人間の男の子だったのである。
 いや、もちろん外見じゃなくて性格がだけど。
 ならファンタジーにする必要ないじゃん、と子供の私は生意気にも思っていた。私が好きだったのはムーミンパパでありママでありスナフキンであり。
 つまり、「大人」が好きだったのだ。「大人」に憧れていたのだ。
 そして、ムーミンのあまりの子供っぽさに自分を見るような気がして、好きになれなかったのだ。
 大塚康生さんは私の最も好きなアニメーターだが、ムーミンを日本化してしまったことについてだけは余計なことをしてくれたなあ、と残念に思っている。
 もっとも、日本化したものが人口に膾炙したために、より原作に忠実な『楽しいムーミン一家』も作られたのだろうけど。
 事情はなかなか複雑だ。


 昨日の夜、テレビを見ていたら、番組名は忘れたが小倉智明が出ていて「迷惑なカラオケ客」ってのを特集していた。
 セクハラ親父ってのは論外だが、自己陶酔してるやつ(マイクを離さないやつ)、ヒトの歌を聞かないやつ、なんてのが大抵嫌われてるみたいだ。でも見てるとホントにひどいやつがいるね。
 しかも女で(ーー;)。
 もう、椅子の上に立膝で座って大マタおっぴろげて歌ってやんの。
 こんなヤツは滅多にいないだろう、と思ってたんですが。

 いました。

 すぐそばに。

 そうです。うちのしげです。

 いきなり「ねえ、カラオケいかない?」と言い出したのに、なんの気なしに「ああ、おごってくれるんならいいよ」と付き合ったのが運の尽きだった。
 最初はまあ、いつも通りで何ということもなかった。
 『木綿のハンカチーフ』を二人で歌ったとき、しげと私とで、「この男(女)ひどいね」と意見が分かれたくらいで(しげは「恋人を忘れる男がひどい」と言い、私は「男の思いを受け止めようとしないわがままな女がひどい」と言うのだ。この曲、フルコーラスで聞くと男女間できっとこの手の論争が起きるところが実は楽しいのである)、ごく普通に歌いあっていたのだ。
 異変が起きたのは食事を注文するのに時間がかかるので、連続で私が歌った後である。
 「じゃあ、今度は私が続けて歌うね」
 これが連続し始めた。食事の注文よりも歌うほうが目的であることは明らかだった。
 気がついたら後半、ほとんどしげ一人で歌いっぱなしである。
 結局4時間ですよ、4時間。
 8時から12時まで。こっちが「もう遅いから」と言っても無視。とても付き合う体力は私にはなく、最後の1時間は文字通りしげの独演会になった。
 だから私ゃ明日も仕事があるんだってば。
 言っても聞かない。
 しげの眼がイっている。
 しかも私に「これ歌って」と『水木一郎メドレー』なんてシャウト系を要求してくる。んな体力あるかい(~_~メ)。だから『快傑ZUBAT』は福岡じゃ放映されてなかったんで細かいところは歌えんのだよ。
 でも歌ったよ、結局(ーー;)。
 しかたなく最後まで付き合ったけれど、こんなことは二度とゴメンだ。

 途中で歌うのを止めたのは、毎回必ず違う曲を歌うようにする、と決めているので、そろそろ歌える曲が尽きてきたということもある。
 曲は知ってても演歌は歌いたくないし、好きなアニソンはたいてい女性歌手のだし。
 しげと二人だけだとうろ覚えの曲を練習できるので気が楽なのだが、もともと音域が狭いので練習しても結局歌えないことがわかるだけ、という曲も多いのだ。
 しかも新曲で好きになれる曲も少ないし。『コメットさん』の『君にスマイル』はいい曲なんだけどやっぱり女性歌手(^_^;)。


 しげが歌いっぱなしの間、ようやく手に入れた雑誌『ガンダムエース』の創刊号を読む。
 メインはもちろん安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』。というよりほかのマンガや記事がしょぼすぎる。
 北爪宏幸との新旧キャラクターデザイナー競演ってのはちょっと酷ではないのか。マンガ家としての力量の差がありすぎるのである。

 もともと、安彦良和の線の持つ「揺らぎ」は基本的に閉塞線によって成り立つアニメには向いていない。安彦良和が参画した数々のアニメーションの中で、最も氏の資質が発揮されたアニメはといえば『クムクム』であろうが、それとても、もともとの安彦氏の絵が持っていた独特の温かみは完成作では半減しているのである。
 20年前とは、安彦氏の絵も相当に変化している。
 アムロも、フラウ・ボウも、等身が伸び、やや面長な印象を受ける。その「絵が変わった」点をもって、本作を貶めることは不当な評価というものだろう。
 未だにどこがどう違うのか明確に答えられる人間が少ないのが困りものなのだが、アニメとマンガは違うのだ。
 似て、非なるもの。
 マンガの止め絵が表現し得ること、静止画の持つ間、コマとコマのあいだの間に、アニメを引退し、マンガ表現に取り組んできたこの10年の蓄積が見事に評価されているのだ。
 流れは一見同じに見える。
 家族を失ったフラウ・ボウをアムロが叱咤し、「走れフラウ!」と叫ぶシーン。
 アムロは涙を流し、倒れたガンダムを、人々を殺戮したザクを見る。
 1ページごとに挿入されるアムロのバストショット。アニメでは一瞬で流す、テンポを考えたら流さざるを得ないワンカットも、マンガでは「溜め」となる。
 時間が止まり、読者はそこでアムロの心の怒りと悲しみを共有するための充分な時間を得る。
 20年以上経って、私は初めてこの「走れフラウ!」というセリフを、まるで自分がアムロに成り代わったかのように感じ、自分の発する声として読むことが出来たのだ。
 まさしく「オリジン」の名に相応しい。季刊誌ゆえに次号は秋の発売だが、週刊ペースで絵やドラマが荒らされる心配もない。おそらくは全20巻にはなるであろうこの今世紀最初の「大作」を読める恩恵に浴したことを喜びたい。

 まだ物語は始まったばかり。
 これから先、安彦さんの描くセイラさんに、ミハルに、マチルダさぁ〜んに、ハモン様にララァに会えるのだ(女ばっかりやんけ。それにミライさんはどうした?)。
 ああ、生きててよかった!


2001年06月27日(水) 「マチャアキ」離婚ってあまり言われてない。時代か(+_+)/DVD『八岐之大蛇の逆襲』

 昨日か一昨日か、しげと話してて、「うん、その通りだ!」と納得したことを思い出したので書く。
 
 「俳優・田中邦衛の代表作ベスト3は、『若大将シリーズ』の青大将と、『ルパン三世・念力珍作戦』の次元大介と、『金田一耕助の冒険』の等々力警部である。」

 反論は受け付けないのでよしなに(^^)。


 今週の『少年ジャンプ』30号、『ヒカルの碁』が一週間休んで後の久々の巻頭カラー(巻中はあったけどね)。
 塔矢行洋の引退で急展開、という表面上の動きはあるが、どうにも気になっていたのは佐為がここ二回、連続して全く姿を見せなかったことだった。
 ヒカルと佐為の別れはもう避けられないような感じだ。もしかして、本当に消えるように前触れもなく、このまま……。というような展開も予想していたのだが、今週はしっかりラストに佐為が登場。
 ほっとするというより拍子抜けした。
 まだヒカルの側にいたのなら、今まで姿を見せなかったのはなぜなんだろう?
 たいして演出上の意図があったようにも思えないし。
 ちょっとうがち過ぎかもしれないが、これってまたぞろジャンプの悪癖、「延命措置」なんじゃないだろうか。本当は佐為はこのまま消えてしまい、最終回に向けて最後の展開を……という予定だったのが、編集部が原作者にムリヤリ連載の継続を強要したとか。
 でも佐為のこと以外にも伏線を今まで張ったっきりになってるの多いし(高校の囲碁部はどうなった)、もはやジャンプ連載陣の一翼を担っている以上は簡単に連載を終えられないということも原作のほったさんは解っているだろうし、本当は『ヒカ碁』はまだまだ物語の中盤、と言ったところなのだろう。
 何より、以前から名前だけしか出てこなかった倉田厚、一柳先生らがいかにも主要キャラクター、といった風貌で登場してきたのだ(でもどうしてみんな揃いも揃ってデブ?)。当然、彼らとの戦いを描かないわけにはいくまい。
 そうなるとやはり気になるのは、佐為が今後どうなっていくかだ。
 このまま消える、ということはあり得ないだろう。しかしヒカルの側にい続けることももう不可能だ。かといって簡単にほかの人に乗り移るっていうのも安易過ぎるしなあ。アキラにとり憑いたりしたらそれこそ顰蹙ものだし。
 実は佐為は本当は怨霊で、本因坊秀策の早世も佐為のせいだったとか。塔矢行洋との一戦でますます現世への執着を弥増した佐為は、本格的にヒカルを操っていこうとする……ってそれじゃつのだじろうじゃんか(ーー;)。
 やっぱり他人に乗り移る可能性が一番大かな。残った候補はあかりちゃんくらいしかいないような気がするけど。姿を消した伊角さんという手もあるけど、ヒカルのライバルとしては弱いしなあ。
 いっそのことライバルを渡り歩くというのはどうだ? ヒカルと対戦するときだけ相手に佐為が乗り移るの。乗り移られた方はその間だけ記憶がない。ハッと気付いたら対局が終わってて、いつの間にか負けてたり……。
 「え? 俺、今ここに座ったばっかりなのに、どうしてもう終わってんの?」とか。
 ……冗談です、すみません。m(__)m
 第一、佐為が御器曽プロにでも乗り移ったりしたら凄くイヤだ(-_-;)。
 でも、今までいろんな意味でこちらの予想をいい意味で裏切る展開を見せてくれた『ヒカ碁』である。
 できることなら、今後も予測のつかないアクロバッティングなストーリーを期待したいものなのである。


 芸能ニュースやネットで堺正章の離婚が報道されてるが、これがまあ世間の反応が見事なくらい、岡田美里バッシングに終始している。
 まあ、普段なら芸能界の結婚離婚報道に興味持つことなんて滅多にないんだが、今回は『フロン』読んだあとで、その手のことについてつらつら考えたりもしてるし、どっちかと言うと離婚そのものより、世間の反応の方が興味深かったりもするしで、ちょっと書いてみたくなった。
 「てめー勝手なこと言ってんじゃねーぞ」とみんなの神経を逆撫でしたのは、おもに「芸能人の妻が夫が忙しいからって文句垂れてんじゃね〜」「それだけ自己主張しておきながらPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったなんてふざけんな」「ハナ肇を馬鹿にするな」と言ったところであろうか。
 確かにラストのには私も思いっきり納得しちゃうな。
 「『新春かくし芸』でも(故人の)ハナ肇さんのように、銅像(の役)になればよかったのに…」
 ハナ肇に対するコメディアンとしての評価は、実は私も必ずしも高くはない。でもそれはあくまで「芸の出来」に対する評価であって、岡田美里の言うように「ハナ肇が楽をしていた」なんて思ったことは一度もない。それはハナさんの仕事に対する打ちこみぶりを見れば誰だって解ることだ。
 なんだかそれって、「いいよな、芸能人は、馬鹿やって金が貰えるんだから」と内情も知らずに放言するのと同じレベルだよな(私も父親から「お前の商売なんて俺でも出来る」と言われた時は、あ、こいつ所詮は世間知らずの坊ちゃんか、とガックリしたけど)。
 岡田美里がどういうタレントなんだかよく知らないんだけど、自分の仕事について「楽でいいね」と言われたとしたら嬉しいだろうか。心に傷を負ってるのかどうか知らないが、そのことで相手に対する思いやりを持てなくなったとしたら、そっちの方を治療せねばなるまいと思うのである。

 難しいのはそこなんだよなあ。
 どうも最近、マスコミでPTSDという言葉が安易に使用されてる面があって、少しは専門家に聞いてみたらどうだとハラを立てていたところでもあったのだ(例の池田小学校殺傷事件で、「被害者の小学生のPTSDが気がかりです」とか言ってるレポーターがガンガン小学生に子供の心を傷つけるようなインタビューしてた件とかね)。
 岡田美里がPTSDと診断されたってのはウソじゃないんだろう。だから「PTSDだなんて病気を隠れ蓑にして被害者ぶってるんじゃないか」という批判は当たらないと思う。
 岡田美里バッシングで気になるのは「その程度の軽い病気、我慢出来んのか」という思いが批判者の間に蔓延してるからなんだよね。それ、基本的に病人自体に対する偏見であり差別であるのだ。これだから病気になったことのないやつは始末に困る。
 病気は軽いからいい、重いからよくないというものではない。それぞれの症状に対して適切な処置をする必要があるのだ。「自分はその程度のことは克服できる。だからあいつのはただのワガママだ」というのは自分を基準とした傲慢でしかない。そう思うのは勝手だが、それが他人への批判になりえるなんて考えてたら大間違いだ。
 別に岡田美里を擁護したいわけじゃないよ。あの程度の記者会見や報道で、PTSDってホントかどうか、どの程度の症状だったのか、なんて、専門家でもないのに判断できるわきゃないのだ。「あれだけ喋れるんならウソだろう」って言うんだったら、40度の熱出してウワゴト言ってても「喋れるから健康」って判断してもいいのか。「E・H・エリックや堺正章が暴力的でなかった」と断言出来る証拠でもつかんでいるのか。何をみんなえらそうにもの言ってるんだ。
 「岡田美里のあの言い方では、PTSDに対する誤解を生じさせる」とか言ってるやつもいるようだが、病気に対して予め誤解と偏見に満ちた見方しかしてないからそうなるのである。その点に関しては岡田美里に罪はない。彼女の病気については、彼女自身と医者が考えていけばいいことであって、知識もない連中がとやかく判断できるものではなかろう。
 まあ、もっとも離婚した途端、彼女のPTSD治ったそうだけどもね(^_^;)。

 それよりも、私が「アタタ」と思っちゃったのは、岡田美里が会見の最後で「愛情がなくなったらいっしょにはいられないんじゃないですか?」と言ってたそのセリフでしたね。
 やっぱり「恋愛信仰」の中にどっぷり漬かってた人なんだねえ。
 歳の差のある夫婦の場合、世代的に共通の話題も少ないので、それを「愛情」で埋めようとするんだろうけど、それが間違いのモトなんだよなあ。
 「話題」は「話題」でしか埋められないのよ。ほかの何かで代用が効くものじゃない。だから彼女が「夫が忙しくて一緒にいてくれなかった」と言うのを「夫が忙しいんだから仕方ないじゃないか」と切り捨てるのはワーカホリックな日本人の暴論。
 若い妻と結婚したんなら、その「話題」を作るために仕事をセーブして時間を作る「覚悟」も必要になるのです。堺正章のほうにもその覚悟が足りなかったってことはあるんだと思うけどね。それは「愛情」の問題ではなくて、「夫としての仕事」なのですよ。
 「芸能人としての仕事」を優先したいのなら「結婚という仕事」との両立は無理でしょ? 堺正章も結婚当初は仕事がなくて(^_^;)両立できてたみたいだけど、状況が変わったんだからしかたがないやな。
 実際に芸能界に限らず、世の中には「仕事が楽しいから結婚しない」あるいは「仕事が忙しくて家庭と疎遠になったから別れる」って人たちも多いわけだし。だから、堺・岡田の離婚は、極めて自然なものなのであって、それ自体は別に誰から批判されるべきものでもないのよ。
 エリック・クラプトンのように「結婚するから引退する」って言えりゃあよかったんだろうけど、多分、堺正章、妻との収入を合わせても貧乏だったんだろうねえ。……ホントか?


 今日も残業があったが、なんとか切り抜けて7時過ぎには帰宅。
 テレビをつけるとNHK『クローズアップ現代』で、アメリカの「代理母」の問題を取り上げてたのだが、その特集のタイトルが「代理母は許されるのか」。
 ……だからなんでみんなそんなにえらそうなんだよ。
 許されるかも何も、代理母を必要としている人がいて、それを引き受けてあげたいという人もいて関係が成り立ってるのに、一体なんの権利があって「許す」の「許されない」のと判定したがるのだ。神様にでもなったつもりかNHK。
 番組の中でも代理母が口々に言ってたが、子供を引き取る親が、代理母を自分たちの子供を作るための「道具」としてしか見ようとしていない、そちらの方が問題なのである。特にその問題は日本人の親の場合に多いという。
 つまり、代理母から生まれた子供である、ということを隠しておきたいというのだね。
 ……隠しておきたいような子供なら最初から作るな(`´メ)。
 これも代理母がさも罪悪であるかのように意識誘導しているマスコミに責任の一端があるのである。
 「クローン反対」の問題も含めて、「差別を撤廃するフリをして実は逆に差別を蔓延させてる」事例が頻出している。
 やっぱり日本人は心の底で「常に誰かを差別したがってる」のよ。


 DVD『八岐之大蛇の逆襲』見る。
 まだガイナックスがダイコンフィルムだったころ(←『仮面の忍者赤影』風♪)、そのスタッフが総力を結集して製作した超豪華なアマチュア特撮映画。
 ブックレットで監督の赤井孝美さん(最近は『プリンセスメーカー』の、と言うより『星界の紋章』のって雰囲気になってきてるなあ)が、「最低のプロ映画」と卑下しておられるが、やっぱりこれは「アマチュア」として評価してあげなきゃ酷ってもんだろう。
 だって脚本も演出も、樋口真嗣の特撮だって「アマチュアのくせに凄い」ってレベルでしかないんだもん。平成『ゴジラ』の特撮が部分的に「アマチュア以下」で、『八岐之大蛇』が部分的に「プロ以上」なんで、いかにも伝説の名作と錯覚されてるだけじゃないかな。確かに屋外での自然光による撮影は『ガメラ』三部作の先駆と見なせようが、ぶっちゃけた話、「照明費を浮かせる」手段でもあるのだ。
 いや、自主映画は私も何度も作ってるから、その辺の事情は痛いほど伝わってくるし。
 じゃあつまんなかったかっていうともう最高に面白いのよ。イタイけど面白い(^_^;)。勢いだけで作ってるのがビシビシ伝わってくるから。
 ヤマタノオロチの背中が岩と草ってのもちゃんと『古事記』読んでるなあ、とか、でも首があんなに短いのは特撮の限界だなあとか、「やれることとやれないこと」がはっきり見分けられるのね。だからプロの映画に対する「ここはこうやれたはずだ」という批判が出て来ない。
 昔、ビデオで出てたころは「アマの映画か」と見ようともしなかったんだが、今思い返すと痛恨の一事だったな。
 しかし、赤井さんも樋口さんも庵野さんもみんな若いし「学生」だねえ。見てるだけでもう赤面♪


 疲れが溜まっているのかそのまま落ちる。明後日は病院だし、同人誌のシメキリでもあるし。もうひとふんばりしなきゃなあ。
 体重は82.2キロで微増。
 昨日しげが作った山盛りスパゲティのせいだな(ーー;)。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)