無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年06月21日(木) つーきも、おぼーろに、しらーああうおの、/舞台『黙阿弥オペラ』(井上ひさし)

 朝まだき。
 まどろみの中、隣から聞こえてくるしげの声に目が覚める。

 「……お願い……縄をほどいて……」

 ……え?(・・;)

 「ああっ! だめ……」

 慌てて飛び起き、寝室から居間を覗くと、パソコンの画面を食い入るように見つめて『虜2』にハマッているしげの姿が。

 そう。
 最近、しげはエロゲー三昧の日々を過ごしているのだ。
 どうやら劇団メンバーの誰かから借りたらしいのだけれど(特に名を秘す)、いったんバソコンの前に座るや否や、しげの目は爛々と輝き、女の子をひっくり返したり縛ったり、好き放題している。

 だからお前、女だろうが。
 なんで美少女エロゲー、しかもSMものにハマるんだよ。

 「……私をこんなにしただけじゃ足りないんですか……」

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(脱力の間)

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 ……知るか!(`_´メ)



 あまり私がいやがるので、しげはヘッドホンをつけるようになったのだが、そこまでしてエロゲーに賭けるその情熱がいったいどこから生まれてくるのかは謎である。

 ようやく雨も小降り。
 それでも自転車の山越えはちとキツイ。
 
 ようやく懐が豊かになったので、仕事から帰って博多駅の紀伊國屋書店に向かう。
 しげを誘っていこうとしたが、どこかに遊びに行ってるのか姿が見えない。仕方なく一人で外に出る。
 途中、父と姉の店(床屋)に寄って散髪。
 父の日のプレゼントが遅れたことを詫びる。
 「そんなことより、なんで店に顔ば見せんか」
 「ときどき側は通りよるとばってん、しげが寄りたがらんとよ」
 「なんでや」
 「なんか怒られると思うとるんやない?」
 「なんで俺が怒るとや!」
 今怒ってるのはなんなんだ(-_-;)。
 でも、しげのほうも、昔ながらの臆病だからといって、何か土産がなければ顔も見せられないというのは、ちょっとどうかと思うのである。
 親父も言っていたが、「そのうち俺はいなくなるんだから」。
 お袋とももっと話をしろと言ってるうちにさっさと先に行かれてしまった。
 そういう点ではしげは、相当、人生を損していると思う。

 父、有馬温泉と嬉野温泉の土産をくれるが、全部饅頭。
 だからダイエット中だってのに。自分の息子が糖尿だって知っててなんでこんなことするかなあ。
 ……もしかしていやがらせ?
 ここらで濃いお茶が一杯怖いぞ。

 帰宅してみると、しげはいつの間にか家にいる。
 この日記の4000HITのご褒美に、本屋で売ってた「大人の科学 エジソン式蓄音機組みたてキット」をプレゼントするが、しげは一言、「糸電話?」と言っただけだった。
 しげは私に「プレゼントしても無表情だから、やりがいがない」と、いつも文句を言うが、それはお互い様というものだ。

 腹がすいたのでしげと近所のCOCO一番屋でフルーツカレー&豆腐とオクラカレー。

 ……組み合わせを間違えたなあ。

 オクラとパイナップルは合わない。

 帰宅してしげは「眠い」と言って寝る。
 私も眠かったが、がんばって昼間録画しておいた舞台『黙阿弥オペラ』を見る。
 以前福岡に来た時に生で見てるのだが、良くも悪くも作者の井上ひさしの癖が出ている作品。
 ともかく情報量を詰め込みすぎててセリフがすべて説明口調なのだ。
 河竹新七が「この度引退を決意して黙阿弥と名乗り……」なんていちいち自分で説明するのだものなあ。普通、どんな新人戯曲家だって、「新七さん……いや、違った、黙阿弥さんだったな」とかなんとか、他人との会話のなかで状況の変化は説明するぞ。
 基本的に井上氏、シナリオ技術に関しては素人レベルなのだが、それでもそう退屈せずに見られてしまうのは、やはりその「情報量」によるところが大きいのだ。
 「へえ〜、黙阿弥ってこういう人だったんだ」
 「樋口一葉って苦労人だったんだなあ」
 「共通語を作るって大変だったんだなあ」
 とか、そんな興味である。
 でも、そんなの芝居にしなくてもドキュメンタリーの方がもっと凝縮して説明出来るぞ、と突っ込みたくなるのは私だけではあるまい。
 更に言えば井上氏の作品は小説もそうだがすべてオチが弱い。見ようによっては尻切れトンボと感じられるほどなのだ。
 タイトルにまで『黙阿弥オペラ』と銘打ってるのに、黙阿弥、結局オペラ書かないし。……史実に拘らず、観客を満足させる脚色をしてもいいと思うんだがなあ。
 しかし、暗転が多く、間延びして退屈なこの芝居でも白眉と言えるシーンが1ヶ所だけある。
 『カルメン』のメロディーに『三人吉三』の詩を乗せて島田歌穂が歌うシーンだ。
 これが実によく合う。
 このアイデア一つでこの芝居は持ってると言えるだろう。

 と言うところで眠気に勝てずついに寝る。
 今日の体重は奇跡の82.4キロ。ついに80キロのラインが見えてきたぞ。もうひといきだ。


2001年06月20日(水) べとべと、ぬめぬめ、もわああっ/『トガリ』3巻(夏目義徳)

 久しぶりに気分を変えて、日記のバックの色を青から多分緑っぽい色(色弱なんで自信がない)に変える。
 前回は不評も多かったけど、今度のはどんなもんでしょ?


 今朝も雨がポツポツ。
 昨日の土砂降りで背広はぐしょ濡れなまま、今朝になってもまだ乾いてない。
 幸い、職場にクリーニングから受け取ってきたばかりの背広を置いたままにしてあったので、向こうに着いてから着替えればいいやと、自転車に合羽で山越え。
 殆どサウナスーツを着ているようなものなので、職場に辿り着いた頃には合羽のウラは汗だくである。
 いや、行きはいいんだけどね。
 帰りは生乾きのその合羽、もう一度着なきゃならんのよ。

 昔、大学時代のこと、体育の授業で「フェンシング」を選択していたんだけど、スーツの数が足りなくってねえ、仕方なく前の授業で他人が使ってたやつをそのまま着てたんだけど、これがまあ汗臭いやらハダにべとついてくるやらで、まさに地獄の苦しみ。
 あの時つくづく思ったな。
 わしゃホモには絶対なれん。
 かと言ってなりたいわけじゃないから勘違いしないよ〜に。

 最近の合羽、防水が完璧だから皮膚感覚はあの時と全く同じなのだ。
 うう、自分の汗でもやっぱり気色悪いよう。

 でもそんな思いをしたのに体重は83.6キロ。
 ちょっと揺り戻し。夕べ飲んだココアが原因だろうか。


 帰り道、川岸を通ると、カラスがカップ麺のカラをくわえて飛んでいるのを見かける。
 雑食性と言うのは知ってたが、ホントになんでも食べるんだなあ。

 カラスと言えば、マンガなんかでは大抵「アホー」と鳴いている。少なくとも赤塚不二夫のマンガでは確実にそうだ。
 実際、「アーホー」と鳴いてるカラスの鳴き声を聞いたこともあるのだが、普通に「カーカー」と鳴いてるカラスと種類が違うのかと思ってたら、そうではないようなのですね。
 ハシブトガラスは多種多様な鳴き声を持っているらしく、よく「人の言葉を真似る」というのも訓練すれば出来るようになるのだとか。
 逆にハシブトに追いやられて数が少なくなっちゃったハシボソガラスの方は「ガーガー」以外の鳴き方を知らないらしい。
 で、その昔の文献を紐解いてみると、『万葉集』にカラスの鳴き声について次の二首が見える。

 暁と夜烏鳴けどこの岡の木末の上はいまだ静けし

 (「アサー!」って、カラスの野郎が鳴きゃあがるけどよ、この岡の梢の上のほうはまだ全然静かじゃんかよ。)

 烏とふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとぞ鳴く

 (オオウソツキのカラスの野郎がよ、あのひとが来るはずもないのに「来るよ」っ鳴くんだよな。ええかげんにせんかい。)

 この二首の内容を信じるなら、既に昔からカラスの鳴き声は「アカツキ」と「コロク(子ろ来=あの人が来る)」の二通りがあったことになる。
 確か江戸落語には「嬶(かかあ)」と鳴くってのがあったような気がする。なんにせよ。人語に移しやすかったんだな。


 模倣犯と言っていいのだろうか、池田小学校の殺傷事件以来、子供を狙った事件が続発している。
 昨日は、東京杉並区の幼稚園に、杖を持った50代の女が、包丁を振り回して乱入しようとした。
 今日は今日とて岐阜で、37歳の女が、下校中の女の子に包丁でおなかを傷つけたそうである。
 昨日になってようやく池田小学校はマスコミに対して「過剰な報道は自粛してほしい」と申し出たそうだが、今更、素直に言うことを聞く報道機関があるものか。
 そのニュースを伝える「ニュース23」自体、またぞろ「報道の義務が」などと自己弁護の苦しい言い訳をしている。
 てめえらに義務なんてねえよ。
 ネットをいろいろ覗いてみても、批判めいたことを言いながらも、実はみんなこの事件を楽しんでいるのだ。
 犯人のことを「タクマくん」などと愛称で呼んでいるのがその証拠だろう。

 ネット上における無自覚な悪意を私は否定はしない。
 まさしくそれは、一般的な表現媒体には表れにくい、「時代の潜在意識」とでも言えばよいようなものだからだ。個人の場合と同じく、時代のそれもまた、単純に「いい悪い」で査定していいものではない。
 その「悪意」は、後の時代から見て、この時代の人間が、「他人の不孝を精神的な糧として生きていたのだ」という事実を確認するための、何よりの証左となるのだ。

 だからと言って、私ゃあの犯人を「タクマくん」なんて呼ぶ気にゃ絶対になれん。
 別に善人ぶってるわけじゃないよ。
オノレの「悪意」をコントロールできない人間にシンパシィを感じなきゃならん義理はないだけの話だ。


 マンガ、夏目義徳『トガリ』3巻読む。
 またタイムリーにも、主人公のトーベエが通り魔殺人犯を追いかける話。タイムリーすぎて、自粛とかさせられないか心配だな。
 ついにトーベエ、子供の命を助けてしまう。しかし「咎」を倒すことの出来る木刀「咎狩(トガリ)」は、「悪」を力に変える刀。人を助けたトーベエは「咎狩」を操る力を失ってしまう。
 この二律背反な設定を作者はまだうまくコントロールしきれていない。でもだからこそ一つ山を越せれば俄然面白くなりそうな予感はある。
 地獄の統率者エマの「扉の向こうにあるのは希望か絶望か」というセリフ、ありふれてはいるが、まさしく「咎狩」の設定はそこに収斂されてゆくべきものだろう。
 ここまで話を広げたのである。作者には、悪を倒すのに、愛と正義では足りないものなのか、生きることはより強い悪を求めねばならないことなのか、あまり小ぢんまりとまとめずに答えを出していってほしいものである。
 ちゃんと百八つの「咎」を倒した先に何が見えてくるのか、『どろろ』みたいに尻切れトンボにならないようねがうものである。


2001年06月19日(火) 孤独な自転車乗り/『となりのののちゃん』(いしいひさいち)

 昨日は昼間土砂降りになったものの、朝と夕方は晴れていたので、今日もタカを括って自転車で通勤。
 行きは濡れずにすんだのだが、帰りはしっかりやられた。
 霧雨ほどにも降っていなかったのに、あと100メートルで家、というところでドザザッと来た。
 下着までぐしょ濡れである。
 ここまでの豪雨だと傘どころか合羽も役に立たないからなあ。かと言ってそうそうタクシーにばかり乗って行くわけにもいかんし。

 タクシーと言えば、福岡ではここしばらく、同一犯と思われるタクシー強盗が続発している。
 手口はほぼ同じで、深夜、刃物で運転手を脅して金を奪ったあと車から降ろし、犯人はそのまま逃走、車を乗り捨てる、と言ったやり方。
 タクシー会社によっては、アメリカのような客席との間のシキリを導入することも考えていると言う。
 ひと月ほど前、タクシーに乗った時に、運転手さんに「強盗なんか怖くありませんか?」と聞いたら、「タクシー強盗するやつなんていませんよ。たかだか1万か2万しかないんですから」と笑って答えていたんだが。
 逆に言えばその「たかだか1万か2万」のために犯罪を起こす程度のバカがその辺をウロチョロしているわけだ。
 冗談じゃなく、職場の近所で事件は起こっているのだ。
 あまり残業しないでさっさとウチに帰るようにしよう。
 って、いつもそうしてるけどね。
 
 しかし明日も大雨だと?
 給料日直前で金もないってのに、どうやって職場に通えってんだよう。

 CSチャンネルNECOで鈴木清順監督『すべてが狂ってる』を見る。
 鬼才、鈴木監督の旧作だけれど、今の眼で見ると、メカケの子だからとか親が不倫してるからとか、その程度でグレてる若者ってのも純情に見えてしまうのだから、今の時代は昔に比べてやっぱり殺伐としちゃったのだろうか。

 マンガ、いしいひさいち・おがわひろし『となりのののちゃん』読む。
 『ホーホケキョ となりの山田君』アニメ化の騒動をフィクションを交えて書いた一連のマンガを、7月から新しく始まるテレビシリーズ『ののちゃん』のアニメ化に際しての出来事であるかのようにスライドさせて収録しているが、これはちょっと事実の捏造に近いやり方だ。
 まるでジブリの鈴木プロデューサーが今度の『ののちゃん』を企画製作しているように仕立てているのはジブリから訴えられても仕方がないように思うが、この程度のことはディズニーのパクリに比べりゃ微々たるもんで見逃されちゃうものなのだろう。

 今日の体重83.2キロ、昨日と変わりなし。
 結構汗かいてるのに一進一退って感じだなあ。


2001年06月18日(月) オンナノウラミ/『うる星やつら 努力、女の道!!』(高橋留美子)

 いきなり蒸し暑い一日。
 昼間は土砂降りだったし。
 でもラッキーなことに通勤の行き返りはどちらも晴。濡れずにすんだ。
 いよいよ本格的に梅雨なのだろうな。


 あちこち「エンピツ」のご近所さんの日記を読んでいると、「ニュースキャスターが『小春日和』って言葉の使い方を間違えてた」という記事を読んで苦笑。
 私も昔は(小学生のころだよ)間違えてたからね。
 「小春」というのは陰暦10月(陽暦なら11月から12月にかけて)の異称。つまり初冬のころの春みたいに晴れた日のことをいう。
 単に「春」ってつくだけで季節が春だと勘違いしてる人、多いんだよね。
 だもんで、以前『徘徊する異人達』という芝居の脚本を書いた時に、そのネタを使った。
 日本語の間違いを外国人に指摘されるというギャグ。
 あの時の藤田君の慌てた演技は堂に入っていたなあ。

 日本人のほうが日本のことを知らないのはよくあることだ。それを短絡的に「日本人の恥」とは言いたくないけれど、「別に知らなくたっていいじゃん」と開き直るのは人間として恥ずかしいと思う。
 そういう人、大人にも子供にも増えたよなあ。


 仕事の帰り際に残業を頼まれる。
 しまった、逃げ損ねた(^_^;)。
 帰りが7時を過ぎてしまったので、予定していた原稿書きが出来ず。仕方がないので散歩をしながらアタマの中で構想を練り上げる。


 マンガ、高橋留美子『うる星やつら 努力、女の道!!』読む。
 インタビューはラムちゃんの声優、平野文。
 魚河岸のオカミさんになってたのは知ってたけど、ホントにすっかり老けちゃったなあ。『うる星』声優の中じゃ一番の若手だったのに。
 80年代のアニメだからもう20年が経つのだ。

 平野さん、「高橋先生はどうしてあんなに男の気持ちを描けるのか」と発言されているが、これは押井守の「『うる星』は原作者の男への恨みから成り立ってるからね」という批評と表裏一体をなすものだろう。
 高橋さんがしょっちゅう「自分はマンガが描ければいい」と発言されてるのを読んでると、その背景に多分あまり言いたくない過去があるんだろうな、ということが何となく感じられるし。
 だって、高橋マンガの男って、必ず女を裏切っているもの。
 あたるがラム以外の女の子にちょっかいを出すのを初めとして、『めぞん一刻』の五代くんも響子さん以外にもこずえちゃん、小夏ちゃん、まあ他にもいろいろあったみたいだし。らんまの外道ぶりはもちろん、あのストイックそうな犬夜叉ですらかごめと桔梗の両天秤。
 「男に恨みがあるんじゃないか」と言われても仕方がないのだ。
 普通、これで男に人気が出るわきゃないのだが、ヒロインが決まって「鈍感な聖母」なものだから、そういう男が物語の中で「許されてしまう」という構図を持つのだね。
 だから、「好き勝手しても、男の一番汚いところには気付かないでいてくれる」ラムちゃんや響子さんやあかねやかごめに、男のファンがつくことになる。
 ……結局、高橋さんは同じマンガしか描いていないのだよなあ。
 つまりは『四谷怪談』のバリエーションなのだ。実は結構、「根」は古い。
 だからこそ、そのパターンからはちょっと離れた『人魚』シリーズの再開を待っているんだけどねえ、こっちは。


 ああ、短く書くつもりがそれでも少し長めになっちゃった。
 昨日から桑田乃梨子の『おそろしくて言えない』を読み帰してハマっている。
 今晩もそれを見返して寝よう。

 体重は83.2キロ。一日で昨日増えた分が消えたばかりか更に痩せる。やっぱり熱くなって汗かいてるせいかなあ。
 ……こまめにフロに入ろう(-_-;)。


2001年06月17日(日) 父の日延期(^_^;)/映画『高校教師』

 唐沢俊一さんより弔電(じゃないよな。でも「弔メール」ってのも変だし)の御礼のメールが届く。
 恐らく何百本も来ているメールにいちいちご返事を差し上げてたんだろうなあ。簡単なメールを一本お送りしただけなのに余計な手間をかけさせてしまって(まあコピーするだけだろうから、数十秒だろうけど)申し訳ないことであった。
 
 ウチの親父も多分あと十年は生きてはいまい。
 いつ寝込んでもおかしくない体調ではあるので、こちらも覚悟はしておかねばならんのだが、あの偏屈の頑固者の、それでいて甘えん坊の、あまりに人間的なオヤジが死ぬなどとはやはり実感が湧かないのである。
 葬式代の貯金もしてないしな(出す気がなくても焼き場に持ってくのにいくらかはかかるらしいが、それもない)。
 でもそれも私の現実逃避だろう。
 そろそろ準備はしておかねばならんのだ。

 とかなんとか言ってるが今日は父の日ではないか。
 何も用意してないぞ(^_^;)。
 って、もちろん、先立つものがないからであるが。
 先日からしげと相談はしてたのだが、ともかく一緒に昼間、出かける時間が取れないので、買い物一つできないのだ。「近所のスーパーやコンビニで買うのもなあ」ということで、給料出てヒマが出来たら、ということで先送り。
 親不孝は相変わらずである。

 とかなんとか言ってたら父から電話。
 察しがよすぎるぞオヤジ(^_^;)。
 「ああ、ゴメン、父の日のプレゼント買っとらん」
 「ああ、どうせ受け取れんからよか」
 「……なんで?」
 「今、嬉野」
 「……はああ?」
 オヤジももう先がないと悟ってるのか、もう好き勝手遊びまくりである。先日は関西にも旅行していて、土産があるので、そのうち取りに来いとのこと。
 それはいいのだが、毎回挨拶で「生きとったか?」と聞くのは心臓に悪いのでやめてほしいんだけど(-_-;)。


 夕べから頭痛がして朝からずっと気分が悪い。
 しげがカレーを作り出したのはいいのだが、換気扇を回さないものだから、部屋中に妙に焦げ臭いカレーの匂いが充満してしまったのだ。
 ちょっと吐き気まで催してしまったので、早々と寝たのだが、夜中に帰ってきたしげ、またぞろ寝ている私の口の中に皿うどんを押しこんでくる。
 だからなんで寝てるのにムリヤリ起こすんだよう。
 しかも寝てる時に食わされたら確実に太るではないか。
 案の定、今朝の体重は85.0キロ。……い、1キロ以上太ってやがる……(T_T)。

 起きてもずっと頭痛が激しく、何度もパソコンに向かうが、同人誌の原稿が書き進まない。せっかくの休日だというのになあ。
 冗談ではなく、もう1週間ほどしか余裕はないので、この日記も明日からは縮小版とさせていただきます。
 いや、別に長く書かなきゃならないと決まってたものでもなかったんだけどね。

 原稿が進まないので、昼間はCSチャンネルNECOにかかってた劇場版『高校教師』を漫然と見る。
 ああ、これ、新婚2年目くらいのころにか、しげと観に行ったんだなあ、と懐かしく見る。
 当時の二人の感想は「岡本信人がいいね」で一致してたのだが、実際、今見返してみても脚本の破綻が大きくて、どうにも笑っちゃうしかない部分が大きいので、その辺しか誉めるところがなかったのだ。
 破綻の原因は荻野目慶子と鈴木杏樹のキレタ演技に負うところが大きいんだよね。脈絡もなくテメエの過去のトラウマ語り出してヒステリー起こすキャラをこんなに出したって、客は白けるばかりなんだが。
 唐沢寿明と遠山景織子の二人だけにドラマを集約させておけば、それなりに楽しめる映画になってたと思うんだけど。
 遠山景織子は芝居が下手なところ(特に発声)が、かえって繭という少女の不安定さをうまく表現出来ていて、テレビ版の桜井幸子よりずっとよかったと思う。
 唐沢の「僕は繭を抱いていたのではなく、その寂しい魂に抱かれていたのだ」というナレーションにも納得できたし。
 男は少女に対しても(少女だからこそか)母親を求めてしまうものなのである。


 まだじっくり読んでなかった今月号の『ニュータイプ』『アニメージュ』などをパラパラと読む。
 『アニメージュ』で押井守がエッセイの新連載。
 「映画で非現実を描かんでどうする」みたいな調子の、いかにもな押井節が楽しい。佐伯日菜子(しかも蛇女)のファンだったとはなあ。
 黒井ミサといい、貞子といい、確かにその手の「非現実的な」役が似合う人ではあるのだが(今、『三大怪獣地球最大の決戦』をリメイクするとしたら、サルノ王女役は絶対この人だろう)、私ゃ『静かな生活』や『毎日が夏休み』の佐伯さんも好きなんだがなあ。自然な演技だって(今いち下手だけど)出来る人なのだ。あまり役が偏ると、次の仕事が来なくなるぞ。
 大森望が『クレヨンしんちゃん オトナ帝国』について、「大人向けにアニメを作るのはいかがなものか」と批判的意見。だからもともと『クレヨンしんちゃん』は子供向けじゃないんだってのに。
 こういう批判を「木によりて魚を求む」というのだ。


 ご飯が切れたので、改めて炊くが、水の量を間違えたのかとぎが足りなかったのか、パスパスで食えたものではない。仕方なくドライカレーにして炒めて食う。
 これでまた気分が悪くなり、まだ夕方だというのに横になる。
 しげが練習から帰ってくるが、やっぱり疲れてるようですぐ横になる。
 今日はなんだか二人揃って疲れてる日だった(いつもそうか)。

 9時過ぎに目が覚めると、もうしげは仕事に出ている。
 しまった、CSで『エコエコアザラク�掘戮鯱寝茲垢襪遼困譴討拭�
 吉野公佳(『高校教師』にも出てたな)から佐伯日菜子にバトンタッチした映画版だ。まだ再放送があるみたいだから、その時は録りのがさないようにしよう。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)