無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年06月06日(水) フォークって民謡って意味なんだが/『メトロポリス』(手塚治虫)ほか

 体重、85.4キロのまま推移。
 全然つまんねーぞ、とみなさんもお思いだろうが、それは私も同じだ。
 先週、食事をかなり制限したせいか(なのに体重が変化していないが)貧血で倒れそうになったので、今週は食いすぎこそしていないが、きちんと食事をとるようにしている。
 それでも腹が減ってグーとなるのだ。決して食べすぎているわけではない。普通に食事するだけで太るってのは理不尽だ。きっとユ○ヤかフ○○メイ○ンの陰謀に違いない。


 新聞で社民党の辻本清美議員が小泉内閣批判。
 私はピー○○ートに乗っていた人間というものはどうかと思っているので(どう思ってるんだよ)、日頃のこの人の言動も「アイデンティティの基盤が薄い人だなあ」と思っていたのだが、やっぱりというか、あーあやっちゃったというか、「人気だけの政権は危険だ」と言い出しやがった。
 もちろん、人気だけの政権は危険である。従って小泉首相をヒトラーにたとえるのも故なしとは言えない。
 しかし人気のない政権はもっと危険なんだけど? 前の森政権の方がよかったとでもアンタは言いたいのかな? 政権の危険性は人気とは関係ないんだよ。
 人気がある分、小泉政権にはチェック機能が自然に働く。別に野党だけにそれが任されてるわけではないので、「今、社民党がやらなければ」なんて意気込んでもらわなくてもいい。
 結局、辻本さんの言ってることはただの揚げ足取りにしかなってない。
 記事によれば辻本さんとこには、脅迫メールみたいなのも届いてるようで、そのこと自体には私も憤りを覚えるが、それを言う前に自分の政治構想を先に語るべきじゃないのか。
 結局そんなもんがカケラもないから「イジメられてる」ことを主張することで反作用的に自己の正当性を訴えようとしているのだ。
 でもねえ、日頃のこの人の言動からは、どうにも「オッチョコチョイのあわてもの」というイメージしか浮かんで来ないんだけどねえ。言っちゃなんだが「苛められてもしかたがない」と思わせる要素がこの人にはあるのだ。社民党内でも大喜利の前の色モノ扱いされてる気がしてならない。

 エンピツ仲間の少女マンガ家、安奈さんが新しくHPを立ち上げているのを発見。
 ピンクで可愛らしくって、私のような中年オヤジが覗いているのは端から見たらさぞやキモいであろうと思われるほどである。
 ああ、私もHPを開設しようと準備してたのになあ。
 先を越されちゃったなあ、と言っても、私の作ろうとしてるHPは全然コンセプトが違うんで比較したってしかたがないんだが。
 ウチの日記もそろそろカウンターが4000に近づいてるってのに、HPの準備はストップしたままである。早いとこ原稿を揃えて開設せねば。

 マンガ、手塚治虫『メトロポリス』読み返す。
 初期作品であるために、稚拙で、お世辞にも面白いとは言えないが、それでもアニメ版よりプリミティブな魅力がある。
 「太陽黒点が増えている間だけ、ミッチィは生きられた」という設定、アニメ版では無視されていたが、こういう手塚マンガの核と言ってもいい設定をことごとく外している点がアニメ版をつまらなくしている最大の要素だろう。
 りんたろう、『火の鳥』作った時も手塚さんから「これは僕の『火の鳥』じゃないね」と酷評されてたのに結局同じ轍を踏んでるんだよなあ。
 ここで手塚治虫のキャラクターシステムというものについて考えてみたい。
 手塚治虫が自分のマンガのキャラクターを映画俳優になぞらえて何度も再使用するこの手法だが、果たしてマンガ的効果が高いと言えるだろうか。
 当たり前の話だが、他のマンガ家でこの手法を使っているものは非常に少ない。石森章太郎や永井豪が時折行うが、それでそのマンガが面白くなっているかというと考えものだ。
 俳優と違って、マンガのキャラクターはそのマンガの世界観と密接につながっている。例えばアトムはあくまでロボットであるし、ブラック・ジャックは医者なのである。それが他の手塚マンガにゲスト的に出た場合、極端な場合アトムが「人間」として描かれていると、余りにも違和感が生じてしまう。
 アセチレン・ランプ、ハム・エッグ、スカンク草井等の悪役に使いまわしが利くのは、彼らがステロタイプの悪役で無個性だからであって、それは『メトロポリス』のレッド公にも言えることだ。
 『メトロポリス』にはこれが初登場のレッド公とミッチィという二大キャラクターがいるのだが、レッド公がこのあと何度も役を変え、ある時は善玉、ある時は悪玉と幅広い役を演じるのに対し、ミッチィはこれ一作で消える。
 しかし、それはミッチィのキャラクターがこの『メトロポリス』世界観と不可分なためで、本来マンガのキャラクターはそうあるべきなのだ。
 私だってハム・エッグや丸首ブーンはご贔屓だけれど、キャラクターシステムには「ミスキャスト」だってあり得ることを忘れてはならない。で、手塚作品って、マンガもアニメもこのミスキャスト、やたらと多いのだよねえ。

 今回のアニメ版、アトラスは完全にミスだと思うが(だからロボットを人間にするなってば。途中まで実はロボットなのに人間のフリしてるのかと思ったぞ)他の手塚ファンはどう見るかな。

 マンガ、青山剛昌原案・太田勝と江古田探偵団まんが『名探偵コナン特別編』13巻。
 読みはしたがもう今更感想書くほどのことはないな。あっそうってなもんで。
 コナンに関してはここの推理が穴だらけとも言いたくないし。特別編で子供向けだからとは言え、少しはコナン以外のキャラクターも立ててほしいと思うけど。

 夜、テレビで久しぶりに『パワーパフガールズ』を見る。
 モジョがPPGのところにベビーシッター(のフリして世界征服の手伝いをさせ)にやってくるが、逆に降りまわされちゃう話。
 ああ、そうか、この三人、考えてみれば生まれたばかりなんだよなあ。通ってるところも小学校ってより幼稚園に近い感じだった。
 この子供にオトナが降りまわされるってコメディのパターンってのも古いよなあ。ルーツはチャップリンの『キッド』あたりか?
 親の留守中に子供が大暴れってんなら『トムとジェリー』にもそんな話があったなあ。

 NHK衛星第2、BSスペシャルで『日本フォークソング大全集』第2回見る。
 しまった、昨日第一回を見損ねた。
 でも実は私って、フォーク全盛期より若いんだよね。
 そりゃ確かにガロの『学生街の喫茶店』や平田隆夫とセルスターズ『ハチのムサシは死んだのさ』、ソルティーシュガー『走れコータロー』、フォーク・クルセイダーズ『帰ってきたヨッパライ』、はしだのりひことシューベルツ『風』、カルメンマキ『時には母のない子のように』、かまやつひろし『わが良き友よ』、ばんばひろふみ『「いちご白書」をもう一度』、風『22才の別れ』、かぐや姫『神田川』、みんな好きだったけど、特に入れこむほどじゃなかった。陽水には全く引っかからなかったし。基本的に70年代フォークってムサイ男が歌ってたもんだったから、小中学時には共感しようもなかったのだ。
 ぶっちゃけた話、高校の半ばくらいまではフォークより、アイドルに夢中だったのだな。
 ……だからアグネス・チャンと石野真子と薬師丸ひろ子が私の青春だったんだよう(T_T)。
 フォークをもうちっと熱心に聞くようになったのは、やっばり女の子の影響である。イルカの『名残り雪』もリアルタイムでは特に好きでなくて、親戚の女の子から「いいでしょ?」と言って聞かされたのが最初だった。で、付き合い始めた彼女もやっぱりイルカのファンでって、イルカとの縁が続く。
 でもそれも当然と言えば当然で、女の子の三人に一人はイルカのファンだった時代なのである。
 今じゃ考えられないよなあ。
 浜崎あゆみの女性ファンが今は多いようなもんかね? それにしてもなぜあのころあれほどイルカが流行っていたか、理由は謎だ。ともかくイルカのファンにあらずば女の子と話をすることもできなかったので、必然、聞くようになっていたのである。
 不純な動機だ(-_-;)。
 さらにその彼女の影響でNSP『夕暮れ時はさみしそう』とかマイペース『東京』とか谷山浩子『カントリー・ガール』なんてマイナーかつダークなフォークにまでどっぷり浸ることに(^_^;)。覚えてる人いるかな?
 でも最近のポップスって、アレンジはともかくメロディーラインはフォークっぽいものが増えてる気がするんだがなあ。時代は巡ってるんだろうか。

 同じくBSで映画『エイリアン』、シガニー・ウィーバーのインタビュー見る。
 「自分の望んだ役につけたためしがない」というのはホンネなんだろうな。にもかかわらずあれだけの熱演ができるというのはさすがだなあ。
 特に好みのタイプの女優さんではないのたが、気がついたら結構な本数の映画を見ていて、演じるタイプが全部違うのである。アメリカの岩下志麻って言ったらファンが怒るかな?(^^)


2001年06月05日(火) 一日本しか読んでません/『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』(長谷川町子)ほか

 今朝の身長40メートル、体重1万5千トン。
 つまんないジョークですみません。ここんとこダイエット状況にあまりにも変化がないもので、だんだんこっちもつまんなくなっているのである。
 便秘が続いていて85.4キロってことはもうチョイ痩せてるとは思うんだけど。
 こうなったら、巷に溢れるダイエット法をいろいろ試してみるべきかなあ。


 先日大塚英志さんの著書を読んで以来、昭和40年代の連合赤軍事件、日本赤軍事件に興味が沸いて、関連本をいろいろ読み漁っている。

 『一億人の昭和史』で、ようやく森恒夫の写真を見られたが、ちょっとヤクザな飯場のおっちゃん、という感じで、実は内心、岸田森をイメージしていた私は肩透かしを食らわされた。何となく「光クラブ」事件のような挫折のエリートってイメージ持ってたんだけど、根拠はなかったな。
 共産主義革命だの世界同時革命だの銃による殲滅戦だの、当時のムードに飲まれたとは言え、殆ど妄想の域に達している言動をとっていたんだから、知恵らしい知恵なんか持っちゃいないのは当然だったんだが、当時、子供心にも「革命」という言葉に理想的な響きを感じていた私は、たとえそれが残虐なリンチ事件を起こした犯人であったとしても、冷酷で狂気を孕んだ知性派であってほしい、と思っていたのだろう。
 私も危険なフィクションの中に生きてたんだなあ。

 『文藝春秋の昭和史』、重信房子の父、重信末夫氏の、娘を弁明した文が収録されている。
 このとっつぁま、井上日召の血盟団事件(団琢磨が殺されたヤツね)に参加して逮捕された経験のある人だったんだな。極右の娘が極左ってのも面白い、というかある意味当たり前過ぎる展開かな。
 「あたしはとうちゃんみたいにはならないわよ!」ってか?
 にもかかわらずこのとうちゃん、実に悪びれず堂々と娘のテロリズムを弁護しており、ある意味で清々しくさえある。
 家庭の貧困ゆえに娘を進学させられなかったことが娘が共闘して行く契機になった、と言っているが、でもそれって結局は「みんなビンボが悪いんや」と責任転嫁してるだけじゃん。ガキか。
 マスコミが自分たちの図式に合わせて事件を捻じ曲げて行くのは今に始まったこっちゃない。娘を「女の魅力でテロリストたちを操る毒婦」のように喧伝すしていることに対して、憤りを露わにしているが、それで娘のやった罪が相殺される訳じゃないんだがなあ。
 
 安岡章太郎『私の戦後史�掘戞▲螢鵐岨�人事件が戦時中の軍隊のシゴキによく似ている、としながらも、「殴り方のノウハウも知らない」と、なんだか「近頃の子供は集団で行動する機会が減ったために加減を知らなくなった」みたいな安っぽい論法を持ち出している。作家だから立派な分析ができるなんて思っちゃうのは権威主義的な発想なのだろうな。
 犯人たちが被害者たちについて「死ぬとは思わなかった」なんて言ってるのは、もちろんウソで、当然被害者を殺すつもりであったことは間違いない。
 だがここで興味深いのは、今言ったことと矛盾するが、この「殺すつもりはなかった」というのが、彼らの心理においてはウソではなかったのかもしれない、という可能性もあるからである。
 ここで「総括」という言葉がクローズアップされてくる。これが現実の「死」から意識を乖離させるために編み出された言葉だとしたらどうだろうか。
 と言うか、まさしくそれは事実なのであって、「総括」だからこそ彼らは仲間を死に至らしめることができたのである。「殺人」には抵抗あっても「死刑」は平気ってなもんだよねえ。
 彼らの悲劇は、そういったカリモノの革命思想に操られたまま、自分たちが洗脳されていることにも気付かず、自らの言葉を持とうとしなかった報いである。その意味で言えばまさしく戦時中の軍国思想と全く同じだ。
 ……そう言えばオウムも「ポア」って言ってたよな。言霊は現代でも生きているのだなあ。

 永田洋子『私、生きてます』を読んでも、その印象を新たにした。
 「私が仲間の女性を殺したのは私がブスでみんなが美人だからとマスコミは言ってますが、当時は女性の美はそれだけでブルジョアに通じるもので、共産主義革命を実現するためには否定しなければならないことだったからです」と弁解している。
 でもそれが即ち「私がブスだから美人のみんなを殺した」ってことなんだがな。
 結局言葉をすりかえることで、自分にウソをついてることから目を背けているのだなあ。
 誰ぞが言ってたな。
 「男はウソをつくが、女は自分がウソをついていることにすら気付いていない」って。
 吉行淳之介だったかな? でももとネタは『ハムレット』の「弱きものよ、汝の名は女なり」だな。
 あ、それと、永田洋子が少女マンガを模写していた、と大塚さんの本に書いてあったが、この自伝の中に収録されてたのは「みつはしちかこ」「ちばてつや」そしてなんと「友永和秀」(もちろん『名探偵ホームズ』などで知られるジブリ系のアニメーター。多分そうだと思うが、絵が歪んでるので、もしかしたら宮崎駿本人の絵の模写かもしれない)であった。
 誰が差し入れしてんだろうか。

 丁度、あの連合赤軍事件を扱った立松和平の『光の雨』が映画化されるそうである。
 もっとも映画はリンチ事件を「劇中劇」として描くそうだが。
 大塚さんの本の再出版も含めて、こういった一連の動きは、やっぱり重信房子の帰国の影響なのかな?
 

 で、ここらで赤軍から離れて(^^)。
 マンガ、長谷川町子『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』読む。
 『うちあけ話』、西日本新聞の連載を毎週楽しみに読んでたのももう20年以上前だよ。
 NHK朝の連続ドラマ『マー姉ちゃん』の原作で、主役のまり子が熊谷真美で、作者の町子役がこれが人気爆発のきっかけになった田中裕子で、『のらくろ』の田河水泡が、まるで似てねーぞふざけんじゃねえ、の愛川欣也で、と、今じゃ誰も覚えてないよなあ。
 基本的に連ドラは見ない私が、母親のススメもありはしたけれど、案外丹念に見ていた番組だったんだけど。
 更に言えば、作者ばかりでなく、サザエさん一家ももともと福岡人だってことももう知ってる人は少ないんだろうなあ。
 アニメのほうでも、たまに「九州の親戚」なんてのが出てくるだけだし。
 でも、長谷川町子が磯辺でサザエさん一家を思いついて、私も子供のころ毎年海水浴に出掛けていた百道の海岸は、今やホークスタウンだ。かつての面影まるでなし。
 だもんで、私ゃあまりホークスファンにはなりきれないのである。
 『似たもの一家』、サザエさんちのお隣に住む作家の「伊佐坂難物」さんちのマンガである。でもこれも古い。昭和24年だもんねえ。
 長男が甚六、長女がウキエってギャグも、もう若い人には解らないだろう。
 実際、いつだったか塩浦さんに「惣領の甚六」の解説してあげたこともあったような気がする。本人はもう忘れてるかもしれないが。
 伊佐坂先生のヒロポンを隣の子が遊びに来てうっかり飲んじゃった、なんて話も、今なら絶対描けないネタ。昔は誰でもヒロポンやってたって、ホントなんだなあ。いっぺん親父もやってたかどうか聞いてみようかな。
 
 マンガ、高橋留美子『うる星やつら 夫婦ゲンカ始末記』。
 あれ? 高橋留美子のインタビューがなくなってるぞ。1ページだけだったけどそれが楽しみで毎号買ってたのに何考えてやがる小学館。
 今回読み返して驚いたのは、あれだけ読みこんでた原作なのに、何話か、細かいところを忘れていたこと。
 ちょうど作者がスランプでつまんない話が続いてたころだったからだな。タヌキのO島なんて、気の抜けた話だったしなあ。
 でもこの直後、「竜之介」登場で『うる星』は第2の山を迎えるのである。

 日記の更新、さっさとすませたかったが、元気なく寝る。
 でも先週に比べればまだカラダは楽だ。
 もうひとふんばりしたいなあ、トシのこと忘れて(^_^;)。


2001年06月04日(月) Nobles oblige/『韃靼タイフーン』1・2巻(安彦良和)

 おお、今朝の体重は85.2キロ、順調に減ってきとるな。
 ……って、元の体重に戻ってきただけじゃん。そろそろいい加減、85のラインを切りたいんだがなあ。いったい何が足りないというのか。

 世間ではネパール国王一家惨殺事件がどうのと騒いでいるが、ここまで遠く離れた国だと、興味がわくわかない以前に、何をどう考えてよいのか、皆目、見当がつかない。
 何しろネパールなんて、スガオくん一家が引っ越してった先って知識しか私にゃない(^_^;)。

 「おまえ、世の中の知識って全部マンガから仕入れてるだろ」
 「えっ?! それ以外に学ぶものってあるんですか?!」
 はい、クイズです。このギャグ誰のギャグでしょう♪

 それはそれとして、文化的な背景の全く解らぬ国のことである。
 言っちゃなんだが、報道してるマスコミだって事件の猟奇性に引かれてニュースにしてるだけであって、別にネパールに詳しいわけでもなんでもないと思うわけだ。
 それが証拠に、新聞じゃネパールの王制について、日本のような象徴制だが政治的影響力はあると説明しているが、これ、意味がわかって読んでるやついるのか。
 象徴制なら政治的影響力があっちゃマズイだろう。
 コトバ自体に矛盾があるんで、これ一つ取ってみても、ネパール王の立場ってのが、日本人の考える「象徴」とは別の意味を持っているんじゃないかと推察される。
 で、推察されるだけでどんなものかはまるでニュースからじゃ解らんのだな。
 国王一族を、結婚に反対されたって理由で殺した新国王が自殺して、新新国王が即位して、「あれはただの銃の暴発だった」と発表して、新新国王が即位することに民衆が反対して治安が乱れてって……。
 え?
 いや、まず国王が新国王に殺されたってことは民衆はもう知ってるわけでしょ? それを今更「銃の暴発」のヒトコトでごまかせるとでも?(ネパールの王室ってバカ?)
 それに新新国王の即位になんで反対運動が起きるわけ? もともと王室にトラブルの火種でもあったの? 王位継承順ってのが決まってないのか? ほかに王位を継ぐべき人でもいるの? 
 何がどうなってそんな展開になるのか、日本的常識じゃ全く理解不能じゃないの。
 そういった文化的背景を説明しようとしないんじゃ、見てるほうは、へえ〜、ふ〜んで終わるしかないがな。
 ニュースは何を伝えたいのか?
 何も伝えたくはないのだろうな(^^ゞ)。

 でもイギリス王室と言い、「王族だって人間だい」というのが世界的な現実だとするなら、日本の天皇家のあの品行方正ぶりってのは何なんだろうね。もしかしたら奇跡に近いことではないのか。未来永劫そうだとは言わんが、少なくとも現在の天皇家において、今回のような事件が起きることは有り得まい。
 意外と知られちゃいない事実だけれど、昭和天皇、現天皇、皇太子と、結婚にあたっての周囲の(天皇家以外の)反対は確かにあったのだが、全て、本人たちの意志で押し切っているのである。
 もちろん、親の反対はない。常に「本気で好きならいいよ」である。
 ……解るかな? もし結婚の相手次第で皇位を捨てねばならぬ事態が生じるならそれも構わないと今の天皇家の人々は考えてさえいるのだよ。
 現実的にそれはなかなか難しいとしても、実は、世界で最もリベラルな王族であることは間違いないのだよなあ、日本の天皇家って。
 昔、お袋が、別に天皇礼賛主義者でも何でもなかったけど、「ああいう礼儀正しい人たちがいてくれるとホッとするよ」と言ってたのは確かに首肯できなくもないのである。
 オトモダチにするには気詰まりだけど、“象徴”ならまさしく納得ってところか(^^)。

 まあ、遠い国のことより、目下私がアタタ、と頭を痛めているのは、キャナルシティからのメガバンドール(ダイエー系列)の撤退である。
 確かに家電はヤマダ電器やコジマ電器で買うほうが安いし、スポーツ用品は私にゃ縁がないし、あそこで買うものってなかったんだけど、集客力が減って他のテナントにまで悪影響が出るのは困るのである。
 ましてやAMCが潰れるようなことになったらまた博多から映画館の灯が(+_+)。だから私ゃ天神東宝になんか行きたくないんだってば。
 ああ、でもてっきり潰れるのはリバレインの方が先と思っていたのに、キャナルが危なくなるとはなあ。

 仕事から帰ってひと寝入り。最近は二度寝しないと疲れが取れない。
 昨日も『アギト』を録画し損ねるし、『犬夜叉』もあまり熱心に見なくなったし、ちょっとエネルギーがダウンしているのは否めない。
 「最近見るアニメや特撮がないなあ」というコトバを吐く人は多いが、見る側のエネルギーがなくなってる場合の方が圧倒的に多いのである。
 枯淡の境地に辿りつくのも悪くはないが、20代でそれ言ってるやつはちょっと老けすぎてないかね。少なくとも『パワーパフガールズ』や『クレヨンしんちゃん』は毎週追っかけて見る価値はあるぞ。


 マンガ、安彦良和『韃靼タイフーン』1・2巻読む。
 安彦さんもすっかりアニメからご無沙汰してしまったが、書きたい作品が、「現代まで生き残っているアラハバキ党が、ロシアの世界征服戦略に対抗して、日本から孤立しながらもロマノフ王朝の末裔の姫を守ってゲリラ戦を繰り返す」なんてんじゃあ、アニメの企画が通るわきゃないよな。
 一応、北方民族を「アラハバキ」、ロシアを「ザバイカル」、アナスタシア姫はクローンと、少し設定を「緩和」してはいるものの、“問題”はてんこ盛りである。
 ザバイカルのトップはイっちゃってるヤツだし、「アラハバキは天皇家より古い」だの「北方領土返せ」だの、危ないセリフの乱れ撃ち(^_^;)。ちゃんと連載が続けられるのだろうかという不安が大だ。
 それにしても『韃靼タイフーン』とは凄い題名をつけたものである。「韃靼」というコトバも若い人には何のことか分らないだろうが、もともとバイカル以東に住むタタール人などのモンゴル系、トルコ系の遊牧民族を指す言葉だ。でも、安彦さんは「韃靼海峡」(間宮海峡)を視野に入れて、このタイトル付けてるんじゃないかって気がする。
 つまり、樺太からこっちの土地はもともとロシアの土地でも日本の土地でもなくアラハバキの……。
 さあ、果たして3巻は出るのかな?

 なんだかえらく固いマンガのように思われるかもしれないけど、安彦マンガ恒例のヌードシーンもちゃんとあるのでご安心を(^^)。
 セイラさん以来のお姫様キャラ、アナスタシアもいいけど、多分、安彦さんが初めてメガネっ娘をヒロインに据えたとおぼしき日出子ちゃんも萌えるぞ。ずっと制服で通してるところもよく解ってらっしゃる(^^)。


2001年06月03日(日) 全集員合(←解る人には解るね)/『だめだこりゃ』(いかりや長介)

 今朝の体重、85.4キロ。
 思わず胸をなでおろす。
 そうだよなあ、昨日のいきなりの87.0キロ、いくらなんでもそんなことあるはずないと思ってたけど、やっぱりメーター自体、イカレてたんだろうなあ。
 大したことなにもしてないのに一日で1.6キロも痩せるわきゃないわけだし、と、安堵の涙である。
 と言いつつ、今日のメーターの方が壊れてたんだったらどうしましょ(+_+)。

 FCOMEDYのオタアミ会議室、『メトロポリス』の感想がぼちぼち書きこまれている。
 しかも誰もアレを誉めようってヒトがいない。
 やっぱり言いだしっぺというか、勇み足のお調子モノが現われるのを、みなさん、手ぐすねして待っていたのだな(^^)。
 実際、まともな批評眼を持ってる人間だったら、いくら作画がよくたって(それにしたところで映画の表現としてみた場合、技術が先走るばかりで意足りず、といったレベルなのだが)、あの映画の出来が決して誉められたものではないということは判断がつくと思うのである。
 ダメな映画の見本みたいなもので、書きこみも実に具体的に『メトロポリス』のどこがどうダメなのか、客観的に分析している。
 仮にあれを誉めるってえと、「1+1が3になったっていいじゃないか」くらいのゴリ押しが必要になる。せめて「出来が悪いのはわかるんですけど、昔から大友さん好きなんで今回は勘弁してください」くらいの賛同者くらいはいるかな、と思っていたのだが、さすがにいくらオタアミのお歴々とは言え、アレを擁護する気にゃなれなかったのだろう。

 しかしである。世の中は広い。
 アレを誉める人が捜せばいるのですねえ。

 映画フォーラム、『メトロポリス』のオフィシャルサイト、大友克洋のファンページ、どちらかというと、このあたりの方々は賛否両論、いや、それどころか「ストーリーも作画もすばらしい!」と絶賛している御仁までおられるありさまである。
 基本的に私は、誰がどんな感想を抱こうが、それは別に構わないと思っているし、映画のイロハもわからぬやつがアレを褒め称えようが、まあ、我関せずをきめこんでりゃいいだけの話、と、鷹揚に構えていたのである。
 でもねえ、よく読んでみると、アレの賛同者って、やっぱただの信者なんだわ。
 手塚教、大友教、りんたろう教の信者。
 理論もへったくれもない。
 「アレの価値がわからぬやつはイカレてる」の一点張り。
 広義のカルト(「ダメ映画だけど好きだ!」)は映画の多様性を許容するもので、ファンシーンを活性化する働きがあるが、ほんまもんのカルトは始末に悪いだけだ。世界中のアニメーターたちが「ディズニーにあらずばアニメにあらず」の風潮を打ち壊していくのに半世紀をかけたことを忘れてはならない。
 大友やりんたろうごときが持ち上げられてカルトになっちゃったら、ほかのアニメが潰されちゃうぞ。
 まあ、これだけ百花繚乱たるアニメ大国の日本にあって、そこまでの事態に陥る心配はなかろうが(セルアニメ偏重というイビツさはあっても)、20年ほど前の一時期、SFファンの間で、平井和正が好きだと言っただけで「もしかしてオタク『幻魔』?」と揶揄されたごとく、「あんたオオトモ?」と言われるような状況になりつつあることを、かつて『童夢』の完結を一日千秋の思いで待ち続けた経験のある私は危惧するのである。

 ……そうだよう、好きだったんだよう、オオトモ(T_T)。なんでここまで落ちやがるんだよう。

 いいか、『アキラ』以降の大友しか知らない若きファンの諸君、今のオオトモは大友の皮をかぶった人間モドキだ。
 『童夢』を読め。
 『さよならニッポン』を読め。
 『気分はもう戦争』を読め。
 『ショートピース』を読め。
 『アキラ』が彼の最低作だということが理解できるだろう。
 日本のマンガシーンを塗り替えた「大友ショック」は、『アキラ』以前のことだったと、それはマンガ史に残る事実として、リアルタイムの体験者たちが正確に証言しておくべきことなのである。


 いかりや長介自伝『だめだこりゃ』読了。
 『8時だョ!全員集合』が視聴率40%を常時取りつづけるオバケ番組だったころには、あれが「東京の」笑いだとは殆ど認識していなかった。
 カトチャンは「スンズレイしました」のギャグで解る通り福島出身だったし、シムラの「東村山」だって関東ではあっても埼玉だ。
 いや、地方の笑い、というより全国区の笑い、という気がしていたのである。更に付け加えるなら、「東京の笑い」の代表は、そのころの私にとっては落語でありクレージーキャッツであったから。
 しかし、『全員集合』のギャグは、実の所、ほとんど「東京都墨田区出身」であるいかりや長介のイニシアチブのもとで創案されていたのである(もっともご先祖は新潟らしいが)。
 洗練された笑いにはほど遠い。
 ナマの勢いだけで見せている部分も多々あった。
 でも自伝を一読して、やはりあの番組は東京者の一徹さのもとに作り上げられていたのだなあと、思うに至った。
 プロデューサーの居作昌果(いづくりよしみ)が以前上梓した全員集合本と比較して読むと、『全員集合』が終了する際の事情が微妙に違う。
 居作氏は疲れの目立ついかりやさんにちょっと休んでもらうつもりだったという。しかしそれをいかりやさんは「肩たたき」と受け取った。
 居作氏は「あの時いかりやさんを引き止めるべきだった」と言い訳する。しかし、実際にはそれをしなかったのだから、ウソをついているのがどちらかは明白だ。
 いかりやさんは抗弁せずに身を引いた。それが江戸っ子(東京っ子?)というものなのだろう。

 この本の中に、いかりやさんの、いかにも東京っ子らしい、そして私の好きな文章が二箇所ある。
 プロローグの「注さんへ」の最後の部分。
 「これから、いろいろ記憶を辿っていこうとおもう。そうすれば、また荒井や時田(ジミー時田のこと)にも会えるだろう。」
 もう一つは、エピローグ、この本のシメの文章。
 「私の人生に残り時間がどれだけあるかはわからない。ただハッキリしていることは、これから先も『ザ・ドリフターズ』の名前の通り、漂流物のごとく、流され続けていくことだけだ。
 こんな人生があってもいいのだろう。」

 何年か前、同僚と「ドリフ」の話をしていて、調子に乗った私がドリフのギャグスケッチを十数個、舞台設定から人物配置、ストーリーの流れに至るまで、微に入り細に入り、ルーティーンの微妙な変化も含めて、立て続けに披露した時、「よく覚えてますね」と感心されたことがある。
 みんな「ちょっとだけよ」とか「カラスの勝手でしょ」とか、決めのセリフは覚えていても、スケッチの流れそのものは覚えていない人が多いのだ。
 「ドリフよりクレージーの方が面白い」というのが私の子供のころからの印象だったのだが、でもやっぱりドリフが好きだったんだと自覚させられた一瞬だった。

 今日は休日出勤だったのだが、仕事から帰って半日はひと寝入り、そのあと朝まで、更新し損なっていた日記を書きつづけて過ごした。
 読んだ本の感想くらいしか書くことないけど、こんなもんでカンベンしてください。


2001年06月02日(土) レトロポリス/アニメ映画『メトロポリス』(2001)

 体重が、体重が、87キロ〜(T_T)。
 だから野菜ばかり食ってんのにどうして太るんだよう。
 ズボンのベルトがだんだんしまってきてるから、痩せてるはずなのにどういうわけだ、やっぱり筋肉がついてきてるのか?

 土曜で半ドン、先週行き損ねたアニメ『メトロポリス』に行く約束をしていたのだが、帰宅してみるとやっぱりしげは寝ている。
 まあ、日記の更新が遅れているので、ギリギリまで寝かしといてやるかと、夜までひたすら日記を書く。古い分になると、もう一週間くらい時間が経っているので、思い出すだけで時間がかかるのだ。やれやれ。

 さすがにそろそろ起こさねばと、7時過ぎにしげを起こす。
 多分人気がなくてすぐに打ちきりだろうから、今日あたり行かないと前売券がもったいないのだ。
 そうまでして、天神東宝まで自転車をかっ飛ばして見にいった結果はどうかと言うと……。
 ちょっとトサカに来て思わずオタアミ会議室に書きこみをしたので、それをちょっと転載。
 いや、なんというか、同じような内容を二度書く元気がなくて。



 会議室のみなさま、こんにちは。藤原敬之です。

 公開一週間が過ぎたってのに、だ〜れも話題にしないな〜、もしかしたらつまんないのかな〜。
 でもあの『メトロポリス』を21世紀に蘇えらせようってんだし、作画監督が『メモル』『ムーミン』『天たま』『お勢』の名倉靖博だし、まあ、脚本が大友の、監督がりんたろうのと、不安材料はどかんとあるんだけど、全然楽しめないってことはないんじゃないかな〜、そう思って見に行ったんですが……。

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 うわあ、これほど誉めるところのないアニメを見たのは『プロ野球を100倍楽しむ方法』以来だ。
 ともかくどこからどう貶していいか分らないくらいにひどい。

 とりあえず脚本から行きますけどね、手塚原作がこのままでは映画にならないと考えたことは一応理解できる。
 でもだからって、新たに付け加えた設定やキャラクターに説得力がないんじゃまるで無意味だ。『スプリガン』の時にも思ったけれど、根本的にドラマツルギーってものを理解してないんじゃないのか大友克洋。
 原作のミッチィにあたるティマ、こいつが登場するまでがともかく長くてタルい。丸首ブーン大統領とレッド公の政治的駆け引きだの、ヒゲオヤジ探偵のロートン博士探索だの、人間対ロボットの確執だの、背景を説明したくなるのは解るけどね、盛りこみすぎて整理がついていない。手塚流のキャラクターシステムの使いすぎなんだよねえ。
 なのに、原作にある「おそらくいつかは人間も発達しすぎた科学のためにかえって自分を滅ぼしてしまうのではないだろうか?」というセリフを述べるベル博士を省いたのは、あまりに説明的過ぎるからということなのかもしれないが、その分余計な設定を加えてしまって結局説明過多になってるのは、言ってみれば自家中毒。
 ヒゲオヤジの捜査に協力するロボット刑事や、革命を狙っている地下組織(『罪と罰』からの流用?)の存在など、思わせぶりに登場させといて、あっという間に消してしまう。これじゃドラマに殆ど寄与しない。
 『未来少年コナン』を見習えとは言わんが、「都市」を描くのなら、民衆の存在を早々と消してしまうのは矛盾だろうに。ラングの『メトロポリス』だって民衆は最後までいたぞ。「引く」技術を知らないのか。
 主人公のケンイチの行動原理も不明瞭。
 というか、殆ど主体的な行動をしないし、何も考えてないような印象しかない。
 ティマに逢って、照れて、ロックに追われて、レッド公にとっ捕まって、メトロポリスの崩壊とともにティマを失って、それでどこが主人公だ。
 そのティマを失うあたりも、前提となる彼女との心の交流が充分に描かれてないために、何ひとつ感動を呼ばない。
 おい、ケンイチ、おまえ、言葉も満足に喋れないティマと出会って、その正体をちったあ疑問に思うことは無かったのか。
 ティマが人間ではないと知って、ショックを感じたり迷ったりすることはなかったのか。
 新人の脚本家だって、主人公の心の葛藤を描かなきゃならないってことは知ってるのに、ケンイチについてはそんな感情が全く描かれない。
 おい大友、乗り越えるべき障碍を描かなくて、観客がキャラやドラマに感情移入できると思っとんのか、コラ。

 ああ、だめだ。
 脚本のアラ書きたてるだけで長文になってしまう。
 りんたろうのアホ演出ぶりまで書いてたらキリがない。

 こんなアホ映画について書き込みするのは時間の無駄かもしれないですけどね〜、この映画、女房誘って見に行ったおかげでね〜、「手塚で大友でりんたろうで何を期待したの」って散々言われて夫婦喧嘩になっちまってね〜、その恨みをつい吐き出したくなっちゃったんですよう(T_T)。
 私怨でどうもすみません。
 ネタバレ改行したにもかかわらずここまで読まれて、まだなお見に行ってやろうと考えてるお方がいらしたら、せめてパートナー同伴では行かないのが身のためとご忠告させていただきます。
 ……言わなくてもみなさん、クソつまんねーって事前情報を知ってらしたんでしょ、通のかたばかりでしょうから。うじうじ(ーー;)。



 ああ、文章が上ずってるなあ。
 しげとケンカしたって書いてるけど、これマジで、帰りがけに「これからどうする?」「帰るよ!」となんとも些細なケンカ。
 これで離婚にでも発展してたら、私、大友刺しに行っちゃうよ。
 まあそういう佐野善左衛門みたいなことはしないけど、オタアミに書かなかったりんたろうのアホ演出について少しだけ補足。

 例えばアクションシーン、ケンイチがティマを連れて逃げる所、いわゆる「追っかけ」なんだけど、ここでまずりんたろう、銃を取り出すロックと、逃げようとするケンイチをスローモーションで描くのね。ここまではいい。つまりこれは果たしてその銃口から逃げられるかどうか、気を持たせる演出なんだから。
 でも、そのあと、弾をよけたなら、後は一気呵成にスピードアップして逃走劇に突入しなけりゃいけない。
 けど、二人のタテになって撃たれたロボットのフィフィ(原作にも出てくるけどデザイン的には『火の鳥宇宙編』のロビタに近い)が出てきて動きが止まる。そしていきなり画面が超ロングになるのね。二人がメトロポリスのどこを逃げてるか見えないくらいに。
 追っかけをロングで描くなどと言うアホな演出を私は初めて見たぞ。
 移動撮影が困難だった昔、例えば『隠し砦の三悪人』で黒澤明がカメラを複数台直線に配置して次々と馬で追いかける三船を捉えるような苦労をしていたことをりんたろうは知らないのか。
 いや、せめて『カリオストロの城』くらい見て勉強しろよ。
 りんたろう、今回は手塚っぽくしないために「虫プロ」系のアニメーターを外したと言ってたが、なんで平気でそんな嘘つくかな。マッドハウスは立派な虫プロ系でないの。
 演技のつけ方もタルいわりに手を振りまわしたり背筋を反らしたりというオーバーアクト、つまりディズニーの悪影響を受けっぱなしの虫プロ系演技のまんまだ。こんなんで感動できるやつの鑑賞眼は、はっきり言って最低である。

 ティマは可愛かったんだけどねえ。
 初めはケンイチをどう誘うのか、天使か悪魔かどっちかって雰囲気があって。でもデザインがよくても、脚本と作画と演出の三つが三つともアホじゃどうにもならないのであった。

 しげとケンカしたので、寝たのは午前4時(仲直りに時間がかかるのよ)。
 二時間しか眠れなかった。明日は休日出勤だってのにもう(+_+)。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)