無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記




ホームページ |プロフィール |掲示板「トーキング・ヘッド」 |メール
|藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2001年06月01日(金) あえて美人殺しの汚名をきて/『「彼女たち」の連合赤軍』(大塚英志)

 ううう、書きたくはないが書かねばならぬ。

 今朝の体重86.0キロ……(T_T)。

 なんで一日で1キロも太るかなあ、これはきっと便秘だ、便秘のせいなのよ、おなかに溜まった宿便を全部ひり出せばきっと痩せるのだわ〜。

 汚い話ですみません。
 なんというか、この栄養を全て体重に還元してくれる中年太りのカラダが恨めしい……。


 ここしばらく体はダルイは、目眩で頭はクラクラするは、ふらつきながら仕事をしていたが、今日は比較的楽。でも睡眠を取っても取っても疲れが取れずに昼間眠くなるというのはどういうわけかと思っていたら、いかりや長介自伝『だめだこりゃ』の中に「ピックウィック症候群」とあるのを発見。
 なんでも肥満等で睡眠中の気道が確保できないために慢性的な睡眠不足に陥って、居眠りしてしまう病気らしい。高木ブーが稽古中でも居眠りしていたのはその病気のせいだというのだ。
 特徴は断続的なイビキ。激しいイビキをするかと思ったら、途中、無呼吸状態になることもあるという。

 オレじゃん(・・;)。

 いや、勝手に自分は何の病気だなんて決めつけたがるのはみっともない。
 自分のナマケグセを病気のせいにして逃げているみたいだ。でもホントに病気だったらどうしようかなあ。もう罹ってる病気が多過ぎて覚えきれないのだが。


 大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義』読む。
 1972年、あさま山荘事件、というより一連の連合赤軍事件当時、多分私は事件の一連の首謀者たる森恒夫と永田洋子の写真も見ていたはずだ。
 しかしあれからおよそ30年、さて、彼らがどんな顔をしていたのかどうにも思い出せない。
 興味本意と言われればそれまでだが、私には彼らの顔がどうにも気になる事情があった。
 一般に、あの連合赤軍内部での「総括」事件は、思想統制を図るための粛清であったと思われている。しかし最初の犠牲者たる遠山美枝子を追いこんでいく永田洋子の詰問は以下のようなものだった。

 「あなたはなぜここに来たの?」
 「なぜって、軍事訓練に来ました」
 「違うのよ、あなた自身がどんな気持ちで来たかと言うことよ」
 「私は(中略)革命戦士になる必要を理解したから……」
 「あなたは自分のことを何も語っていない。なんであなたは山に来たの」
 「何を言えばいいの?」
 (中略)
 「それじゃ聞くけど、なんで朝、化粧をしていたの?」
 「……」
 「山に来て、どうして化粧をする必要があるの?」

 つまり、「化粧をしている→戦士としての自覚がない→総括」という極めて短絡的な思考の流れの果てに遠山は殺害されたことになる。
 あるいは予め永田らには遠山たちを殺害したい理由が別にあり、この論法はその口実として使われただけだ、という説もある。
 永田洋子は不美人であった。だから美人だったほかの女たちを殺したのだと。それが真実だとすれば古今未曾有と言われたあの事件、結局は「痴情のもつれ」と同じレベルのものに過ぎないということになる。

 真実はどうあれ、私が引っかかってしまったのは、この永田の詰問のしかたが、私自身が論争の相手を詰問する方法と酷似していたからだ。

 「君はこの件について、なぜこのような判断を下したのですか」
 「○○○だからです」
 「それは理由としては非論理的で根拠がありません」
 「あなたは私に何を言わせたいのですか?」
 「あなたの説明した理由と行動の間には矛盾があります。その理由を説明してください」

 この詰問のしかたのどこがズルイかと言うと、「人間は矛盾した行動しか取れない」「人間はそんなにものを考えて行動しているわけではない」という誰もが持ってる弱点にツッコミを入れている点である。
 このやり方で論争に負けることはまずない。
 では向こうが同じ論法で攻めてきた時にはどうすればいいかというと、「前提となる基本認識が異なっている」あるいは「あなたの言いたいことの意味がわかりません」と論点をずらせばいいのだ。

 で、この卑怯な手段を私に仕込んだのが誰かと言うと、他ならぬ私の母親だったりするのだ。しかもウチの母親が更に卑怯だったのは、そんな卑怯な手段で他人を言い負かしていたくせに「私は間違ったことは言わない(から論争にも負けない)」と断言していたことだ。

 子は親の鑑である。
 しげが私との口ゲンカで常に負け続けるのも、こんな親に育てられた男とつれあいになった運命のなせるワザだと思ってもらいたい。

 で、気になって調べてみた永田洋子の写真だが、ちょっとお袋に似ていた。
 美人ではないかもしれないが、不美人かどうかというのも主観だろう。大塚が「美人」と言った重信房子の若いころの写真も見たが、これも美人か不美人かは時代の雰囲気に左右されているような気がする。
 月並みな言いかただが、彼ら彼女らの反社会的活動は、やはり時代に躍らされていただけではないのか。

 冗談はさておき、安保闘争以来の一連の学生運動の過激化は、幼いころの私にはどうにも理解のできないことだったが、テレビで東大の立てこもりを見ていた時も、ハイジャックやあさま山荘事件を見ていた時も、私の父の感想は一言、「バカ」であった。
 父は彼らよりひと回り上の世代ではあったが、戦後の社会主義革命思想に対しては、ある種のシンパシーを感じていたのだと思う。方法には賛同できないが、理念には、と言ったようなものなのかもしれない。
 しかし、彼らの内実がそういった理念とは縁遠い、ただの嫉妬などの感情の発露にすぎなかったことを知ったら、いったい父はどう思うだろうか。何しろかつて彼らを「バカ」呼ばわりした父は、今や「あのころの学生のほうがエネルギーがあったね」と言って憚らないからである。
 それって、オウムやバスジャック犯を擁護するのと変わらないってことに気付いてるか? 親父よ。

 大塚英志は、永田洋子が少女漫画風のイラストを描いていることから始めて、80年代のフェミニズムと、サブカルチャーとしてのフェミニズムを対照させながら、それぞれの「危うさ」について警鐘する。
 確かに「君ってキレイだよ」の一言すら言わせぬ女性の性を封印するかのようなフェミニズムは狂信的といえるし、萩尾望都や大島弓子ら、24年組のマンガが女性の性を否定しつつ発展してきたことは事実であろうが、それをいっしょくたにしてしまう論法にはかなり無理がないか。
 大塚はマスコミが永田の犯罪を不美人ゆえの嫉妬に収斂させていくことを批判しているが、実際、その通りである可能性の方が高いと思うがどうか。
 更には「宮崎勤事件」の、「オウム真理教事件」の、サブカルチャーが生み出したと言っても構わぬ事件について、その「矮小さ」について「分りやすい」と言いながらも「笑い飛ばせない困難さ」があると、矛盾したもの言いをしてしまっていることを大塚はどう考えているのか。
 その程度の分析なら、彼らを「バカ」と言い切りつつ、「エネルギーがあった」と評価してしまう私の父と実は同レベルなのである。
 連合赤軍事件の犯人たちや、オウム真理教事件の犯人たちについて、分析を施してやること自体、彼らを甘やかしてしまう大塚の日本的で単純な「母性」に他ならない。
 大塚は気付いていないかもしれないが、傍目にはそれはとても「気持ち悪いこと」なのである。
 多分大塚は、一つ時代が違えば、あるいはきっかけさえあったなら、彼らの中に名を連ねた可能性があったことに対して自分自身を許したいのだ。『多重人格探偵サイコ』の残酷描写も、自己弁護、自己正当化のためだったかと思うとやや興醒めである。

 大塚もまたコミュニケーション不全症候群のオタクなのである。
 「常にぼくの関心は<矮小>なる者の歴史化に向けられる」とする大塚の意見は、一見オタク擁護のように見えて、自分をその歴史の中に含めようとしない点においてただの差別化である。
 「オレはオタクだ!」と叫んだ後でないと、まともに大塚の言説を受けとめる者は、少なくとも彼が擁護しつつ甘えようとするオタクの中からは現われないと思われるがどうであろうか。

 ああ、今、気がついたが、つかこうへいの『熱海殺人事件』(初稿ね)、「ブス殺し」ってところ、連合赤軍事件の暗喩だったんだなあ。


 仕事から帰宅してみると鈴邑君夫妻(ふなちゃんも入れるのなら、親子、あるいはご家族と呼ぶべきか)がウチに来ている。
 仕事の都合でパソコンが使えないので、リレー小説の第1回、ウチのパソコンを使って書き込んでいるのだ。
 うーむ、第1回を読むかぎりでは普通のラブロマンスにもファンタジーにもホラーにもできそうな雰囲気である。果たして2回目のしげがどうつなげてくれるか。

 ついでに晩飯もご一緒しようと、鈴邑君の車で、井尻のMKに向かう。
 先週キズのついた鈴邑君の車だが、愛上さんの話によれば、翌日すぐに修繕に行ったとかで、見た目キレイになっている。
 「ああ、修繕したんだね」
 と鈴邑君に声をかけると、
 「え? 何のことですか?」
 と、トボケる。
 私のほうが呆気に取られていると、愛上さん、
 「傷つけたことは記憶から抹消してるんです」
 と耳打ち。
 鈴邑君、結構プライド高いのだなあ。

 で、しゃぶしゃぶの食い放題。鍋が二つなので、鈴邑君としげ、愛上さんと私がペア。まるでス○○○ングのようだが(こらこら)、これにはちゃんと理由があるのだ。
 鈴邑君としげの二人は肉好きと言えば聞こえはいいが、徹底的な野菜嫌いなのである。野菜を勧めても「食べた」と言って、実はエノキしか食っていない。後はひたすら肉、肉、肉である。
 愛上さんにふなちゃん、私はもっぱら卵に野菜に豆腐なので、1時間もすると、向こうの鍋のスープは、表面に分厚い油の層ができていてどんよりと黒く、こちらの鍋は未だに澄んだ色である。
 こういう食べ方は人間としてどうかと思うが。

 食事の後、本屋とマルショクに寄って買い物。
 マルショクでついに「ゴジラ名鑑」、残りの『初代ゴジラ』と『ゴジラVSデストロイア』を購入。ああ、これで四体全部そろったわけだけど、せっかくこれだけ造形がよいのだから、今度の新作に合わせて、『大戦争ゴジ』や『ミレゴジ』も出してくれないかなあ。
 前に買って破損していた『ゴジラVSデストロイア』、やっぱりしげが落として壊してたようだが、新しく手に入れたことだし、今度だけは許してやろう。
 もう二度と「フィギュアなんて集めるな」なんて言うなよ。

 帰宅は10時。
 くたびれ果てていたので、帰宅するなり日記も書けず、散歩にも出られず爆睡。明日の体重が心配だなあ。


2001年05月31日(木) 多分まだ20世紀は終わっていない/DVD『なぞの転校生�供�

 ああしまった。今朝は体重計に乗り忘れてしまった。
 夕べはしげの働いてるリンガーハットでたらふく食ったので、かなり体重が元に戻ってるような気がする。もしかして無意識のうちに体重計に乗るのをからだが拒否したのかも。
 でもちゃんとメシ食ってるのに、今日も体調は優れず。
 午前中は雨模様で気分も優れず。

 職場で休み時間に同僚と昔話に花が咲く。
 「東京オリンピック、覚えてます?」といきなり振られたときにゃ苦笑した。覚えてたらすごいよ、私ゃ1歳だったんだから。
 外見が老けてるんでもっと年上だと思われてたんだなあ。まあいつものことなんで今更驚かないけど。
 でも歳のワリにはアタマに相当白髪が混じってきてるのはちょっと寂しいかな。親父が今の私と同い年のころにはこんなに老けてなかったし。]
 「今の若い子って、ホントに昔のことに興味持たないのね。私たちなんか、生まれる前のことでもいつの間にか知ってるのに」
 その同僚、カステラ食べる時によく「帝銀事件」を思い浮かべるそうである。

 大坂万博。
 吉展ちゃん事件。
 安保闘争。
 よど号ハイジャック。
 あさま山荘事件。
 そういった70年代のキーワードとなる事件の数々が、やはり自分の心を形成してきたのだということに改めて気づく。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』では、負のベクトルたるそれらの事件(万博を除く)が直接語られることはなかったが、ケンとチャコの行動のウラには明らかに潜在していた。

 今だから笑って語れる話であるが、私も小学校の頃、学校に立てこもった経験があるのである。
 理由は当然他愛無い。
 いじめっ子に水を引っ掛けられ、そのまま授業にも出られず、階段の踊場に机でバリケードを作って、授業をボイコットし、担任教師に「水を引っ掛けたあいつに仕返しさせろ!」と要求したのだ。
 完璧にあさま山荘事件の模倣であるが、今の若い人にはなんでそんなややこしいことをしたのか理解不能であろう。
 「立てこもり」とか「持久戦」とかいう言葉が、ただの感情の発露に過ぎない行動に、なにかしら大層でご立派なことをやってるような気分を与えていたのだった。
 時代だったんだねえ。
 そのときの顛末も今思うと笑うしかない。
 教師の取った対応もまたあさま山荘と全く同じだったからだ。
 私の説得が不可能と判断した担任は、私の親に連絡して私を迎えに来させた。現実のあさま山荘の犯人たちで、親の説得に応じようとした者は他の仲間から「総括」されてしまっていたが、単独犯であった私は、簡単に投降した。
 もちろん、泣きながらである。
 親は私を叱らなかった。
 子供のころから親に叱られなかった日は一日たりとてなかったのに、この「立てこもり」事件の時には親は全く私を叱ろうとしなかったのだ。
 代わりに親は何と言ったか。
 「教師が生徒一人一人のことを見てくれるなんて思うな」
 小学生ではあったが、自分が政治犯の模倣を行っているのだ、という自覚が私にはあった。たかが子供のケンカを、いかにも政治的なもののように見せかけねばならなかったのは、はっきり言って担任がクラス内でのイジメを放置していたからである。
 イジメにあっていたのは私だけではなかったのに、生徒の誰一人としてそれを担任に抗議しようとはしていなかった。しても担任が対処しないことは目に見えていたからだ。
 私が泣いたのは、私の抗議がそのいじめっ子だけでなく、教師にも向けられていたことを、当の担任が全く無視したためだった。
 担任はそのとき自分の監督不行届きを謝るどころか、私の面前で親に向かって「この子、病院に連れて行きませんか?」と言ってのけたのだ。
 親が激怒したのは、言うまでもない。

 今も昔も、生徒と本気で向き合おうとしている教師なんてただの一人もいない。それは断言できる事実である。


 帰宅して二時間ほど寝る。
 最近は仕事から帰るなり、疲れて一度寝て、それから起きてまた夜寝るという生活が続いている。
 生活のリズムとしてあまりよくないことはわかるので改めたいのだが、どうにも睡魔には勝てないのである。


 夜起きて、DVD『少年ドラマシリーズ なぞの転校性�供戮鮓�る。
 特典で原作者眉村卓の市川森一によるインタビュー。と言っても新撮ではなく、十年ほど前、NHKギャラリーとして放送されたものである。
 原作では転校生は「ギリシャ人のような美少年」として描かれているのだが、眉村さん、その描写を「西洋の美のほうが上とみなす偏見だった」と反省している。確かに、転校性が美少年でなければならない必然性はないのだから、これは仰る通りであろう。
 それを考えると、ドラマで転校生を演じた星野利晴が決して美少年ではないことはかえってよかったのかもしれない。

 関係ないが、この星野利晴君、顔立ちや雰囲気がウチの劇団の藤田君にちょっと似ている。あ、誤解のないように言っとくけど、演技の質が、ということね。
 どこか現実感がなくって、周囲の空気が読めていないところなんか、こないだの舞台で演じてた役とそっくりだったりする。
 藤田くん本人がこのドラマ見たらどう思うかな(^^)。

 更に特典、高野浩幸と星野利晴のボイスメッセージも収録されているが、高野氏の話によれば、何と『超人バロム・1』のリメイクが企画進行中とか。
 どうしてこう、誰も望んでいないリメイクまで企画されちゃうのかな(^_^;)。
 絶対ポシャるに7万点。


 晩飯はレトルトカレー。
 上に乗せる目玉焼きを作っていたら、しげが「私にも作って」とねだる。
 そんなん自分で作れよ、と言うのだが「あんたの作ってくれたもののほうが美味しい」と甘えてくる。
 一見、私を誉めてくれてるようだが、よく考えたらしげのやつ、「私は目玉焼きすら美味しく作れません」と言ってるのと同じではないか。
 アホらしくなって、フライパンに卵を落として「後は自分でやれ」とほっぽらかす。
 こっちが疲れてるときくらい、逆に簡単なものでいいから作ってくれたら嬉しいのになあ。


 今日はしげの仕事が休みなので、夜の散歩にしげも歩いて付き合う。
 福岡空港の横を歩いている時、しげが突然、山の向こうに見える光を指して訊く。
 「あれがアクシズ?」

 「アクシオン(福岡にある体育施設)」だ、バカやろう。

 でも、福岡って、本当に悪の組織みたいな名前の建物が多いよな。


2001年05月30日(水) まるでNENNEのように/『帰ってきたハイスクール!奇面組』(新沢基栄)ほか

 さてさて、実に順調に日記の更新が遅れている。
 このままいくと、一週間分溜まってしまうのではないかというテイタラクであるが、時間が取れない時や、体調がすぐれぬ時と言うのはあるのだから仕方がない。
 昨日も今日も、立ってるだけでこんなにツライのは何故なのかと考えてみたら、要するに下血が続いているので貧血を起こしているのだと気づいた。
 ならば血肉となる栄養をつければよかろう、ということになりそうだが、せっかく体重のほうが85.0キロ、と少しずつではあるが順調に落ちてきているのだ。食べた途端にリバウンドで一気に 体重増加、なんてことにはなりたくない。
 今日も朝から雨が降っているが、運動は欠かしたくない。

 でもさすがに職場まで山を歩いて越えてくほどの元気はないので、行き帰りはタクシー。まあ、無理というほどの無理はしていないのである。
 何度となくタクシーを利用しているので、偶然同じ運ちゃんのタクシーに乗ることもある。
 今日も仕事帰りに乗った運ちゃん、以前、「体育館の上に停まって女子更衣室を覗いていたUFOを見た」という話を聞かせてくれた運ちゃんである。別にビリーバーってわけでもなさそうだけど(でもUFOってどうしてセコイことしかしないのか)。
 「糖尿で最近運動してる」という話をすると、「私も以前に……」と糖尿話。不思議なもので、私の乗るタクシーの運ちゃんと話をしてると、たいていが糖尿。糖尿は糖尿を呼ぶのか?
 夕べロイヤルホストまで歩いた話をすると驚かれる。確かに歩くと1時間以上はかかる距離だからなあ。

 マンガ、新沢基栄『帰ってきたハイスクール!奇面組』読む。
 去年の12月に出てたんだな、この本。
 雑誌形式だけれど、単行本にするには6篇と短いので記事も含めてこういう形式をとったのだろう。
 しかし驚くほどに変化がない。線に衰えがないのである。もっとも、ギャグのレベルも変化がないので笑うこともできないんだけれど。
 もともとそういうマンガだから、貶すのも心苦しいのだが、学校では不良で通してる天野邪子が家の中ではお嬢様で、それが親にバレないように四苦八苦する、なんてシチュエーション、今時やるかい。
 いや、当時から古臭いところが味ではあったんだよな、奇面組。
 明らかに田渕由美子あたりに影響を受けた、けれどいかにも模写っぽくてうまくない絵がかえってなんだかほのぼのしてて、少年ジャンプの中では新鮮に見えた。
 「変な顔だって個性さ」というストレート過ぎる主張(ギャグマンガに思想や主張は御法度だ)も、作者の若い情熱ゆえと許容して、マンガ自体はつまんなくても嫌いにはなれなかったのだ。
 そういう性質のマンガだったから、アニメになった時は無残だった。
 原作のつまんなさが増幅されてしまったからである。しかも制作は当時最低レベルにあった東映動画。『奇面組』『ついでにとんちんかん』『ウイングマン』と駄作が続けば「東映動画に原作出すな」と本気で言いたくなったものな。
 で、『幽遊白書』しかり、『ONE PIECE』しかり、今に至るも東映制作のジャンプアニメに傑作は生まれていない。
 しかし、『デジモン』のようなハイクオリティアニメも制作しているところを見ると、スタッフにチカラはあるのである。結局、東映スタッフは原作マンガ(特にジャンプ系)をバカにして作ってるのだよな。これ、三十年以前からの東映の悪しき伝統である。
 『奇面組』のアニメ、新沢さん自身、相当テコ入れしたらしい。
 初期はつまんなかったのが、後半、結構メリハリが利くようになっていた。
 映画になった『決闘!三重の塔・珍拳勝負!!』(原作は五重の塔)はモロ『死亡遊戯』のパロティだったが、ボスを怒裸権榎道から若気市猿に変え、しかも声優にジャッキー・チェンのフィックス、石丸博也をアテるという粋なことをしてくれた。
 もう忘れられてるアニメかもしれないが、あの映画版はスタッフも結構気を入れて作っていたと記憶している。
 ああ、もう20年が経つのか。
 「うしろゆびさされ組」も懐かしいなあ。あの曲、私としげのカラオケの定番の一つなんだがフリはもう忘れた。
 マミマミはアキモトがかっさらって行ったけど、ゆうゆはどこに行ったんだろう。

 マンガ、西岸良平『西岸良平名作集 ミステリアン』読む。
 珍らしや、侵略モノ、週末モノの純粋SFである。  
 こんなもんを西岸良平が描いてたなんて、全然知らなかったファンも多いのではないか。
 でも、『三丁目の夕日』というか『夕焼けの詩』というか(未だになぜ連載と単行本でタイトル変えてるのかわからん)、あれしか知らない人には意外かもしれないが、結構あのマンガの中でも、西岸さんはSFをやってるのである。テレビの『世にも奇妙な物語』にも原作をいくつか提供してるし。
 タイトルはもちろん東宝特撮『地球防衛軍』から取ったものであろう。でもこのマンガでは宇宙から地球にやってきた宇宙人を総称して『ミステリアン』と呼んでいるようである。侵略目的で来ているミステリアンもいるが、多くのミステリアンは調査目的で地球人のフリをしているだけである。
 要するにルパーツ星人なわけだな。そう思って見てみると、全体的な構想が『ウルトラQ・宇宙指令M774』によく似ている。キール星人っぽい侵略宇宙人も出てくる。多分、いや確実に『ウルトラQ』を見てるぞ、西岸さん。
 でも、そういういかにもB級SFを換骨奪胎したような後半の展開より、最初の数作、特に地球にいて地球人に成りすましているうちに本当に地球人だと思いこんでしまう「地球病」という設定、これはなかなか秀逸だ(永井豪にもそんなマンガがあったけど)。
 冨・権力・酒・セックス・ギャンブル。
 ミステリアンの心を狂わせ、彼らのアイデンティティを破壊してしまうほどに地球に渦巻く欲望のエネルギーは強かったのだ。
 ああ、なんだか1話を選んで舞台化してみたくなるなあ、こういうの。ちょっと前半はフレドリック・ブラウンっぽいSF寓話なのである。
 
 なんのテレビ番組だったか忘れたが(だからこの日記書いてるの一週間遅れなのよ。へたすりゃこの日のことかどうかもあやふやだ)、ビートたけしや立川談志が「野党が小泉に具体案が無いって責めてるけど、ねえのはどっちだってんだ」とか「不況不況って言ってるけど、飢えて死んでるヤツ誰もいねえのにどこが不況だ」と吠えていた。
 野党も好きになれないし、マトモな企業努力もしないで不況不況と騒ぐ連中にも嫌気がさしているが、お二人が語る内容にしてはありきたりというより、オヤジの放談というか愚痴だ。似たようなことなら私も言ってるぞ。
 もう少しヒネた意見を言って欲しいなと思うが、それができなくなってる状況の方が由々しいことなのではないのか。

 ふと思い立って、散歩がてらリンガーハットで働いてるしげを見に行き、晩飯もそこで食う。
 しげは私を見てニヤニヤしそうになるのを一生懸命抑えていたが、それを見て私もなんだか笑いそうになる。
 注意力のある人が見たら妙にぎこちないウェイトレスと客に見えたろう。
 皿うどんを頼むが、いつもメニューが同じなので、あとでしげから「どうして毎回?」と聞かれる。
 たいした理由じゃないが、ちゃんぽんは汁が多くて食べきれないだけなんだけどね。

 何やかやと、夜の時間が取れず日記の更新が遅れていたので、記憶を辿りつつ深夜までかかって5/25日分(金)をUP。
 先日ボーリング場で遊んだ時のことを書くが、書き終わったあとでいろいろ思い出すことも多く、書ききれない。
 鈴邑君の浮気願望についても書いておけばよかったかな(^^)。
 最近「若い娘はエエなあ〜(*^。^*)」とか「女子高生、もう最高!」とかトバしてるようだが、これはふなちゃんがオトナになったら、ちょっと危険なことになるかもしれない(^o^)。
 それ以前に上(P)君に狙われてしまうかもしれないが。
 愛上さんも気苦労が絶えなかろうなあ。
 そのあたりのバカ話も書いていけばどんどん分量は増えるし、実際面白い話も多いのだが、プライベートに関わる部分もあるので省略。
 それに、さすがに1時を回ると既に体力は尽きているし、明日の仕事に確実に響く。泣く泣く切り上げて寝る。
 まあ、そこまで日記にイノチ賭けるくらいなら、さっさとホームページ作っちまって本や映画の感想はそっちに移せばいいのだが、より面白いモノをなんて欲を掻くから予定がどんどん遅れていくのである。
 たいしたことできるわけでも無いのにねえ。


2001年05月29日(火) ヒステリー・ヒストリー/『オサムとタエ 早春残光編』(村野守美)ほか

 朝の体重、昨日と変わらず85.2キロ。
 仕事中、フラフラして立ってられなくなるが、脱水症状だろうかと思い、お茶だの水だのをがぶがぶ飲む。
 それでもどうにもカラダが持たなくなって、1時間だけ早引け。
 これがまず間違いのモト。

 帰宅するなり、しげが部屋の奥から声をかけてくる。
 でも玄関先まで出てくるわけじゃなし、遠くで何と言ってたかよく聞こえないし、こちらは気分が悪いわけだし、まだ靴も脱いでなくて、と言った感じだったので返事もできなかった。
 それでも何か声をかけてくるようだつたので、「聞こえないよ」と返事をしたところ、突然、「どうしたって言ってんだよ!」と金切り声を上げられる。

 ああ、またヒステリーだ。
 何度かこの日記にも書いているが、しげは時々前後の脈絡なく情緒不安定に陥り、ヒステリーを起こすことがあるのである。
 冷静な時には冷静で、ヒステリー起こした時の自分のことを思い返して反省もするのだが、まあ、狂ってるときは狂っちゃってるので狂わないようにしろと言ったってそりゃ、無茶な話なのであろう。止めようったって止まらない。
 日頃からココロのコントロールをしてくれてると助かるんだけどなあ、そうもいかないのかなあ。しかもたいてい私が疲れてるときとか具合が悪い時に限ってヒス起こしてくれるものだから、私の疲労は倍化するのだ。

 「なに怒鳴ってんだよ、なんかイヤなことでもあったのか」
 「別に何もねーよ、勝手に決めつけんなよ」
 「じゃあ何を怒る必要があるんだよ」
 「怒ってなんかいねーよ! 怒ってんのはそっちだろ!」
 「俺がいつ怒ったよ! お前が怒るから俺も怒るんだろ!」
 「あ〜そうだよ、正しいのはいつもアンタで悪いのはオレなんだよ」
 「なにヒネクレてんだよ」
 「ヒネクレてなんかいねーよ!」
 「ヒネクレてるじゃねーか。自分で自分がどんな態度取ってるかもわかんねーのかよ」
 「どーせオレがバカだからダメなんだよ。オレがバカでどうしようもないから嫌われるんだよ」
 「いつ誰がお前を嫌ったよ。勝手に決めつけてるのはお前じゃないか、そんな態度とられちゃメイワクだよ」
 「ホラ、見てん、メイワクって、オレのこと嫌ってるじゃないか」
 「嫌ってねーよ!」
 「ホントはオレに出て行って欲しいんだろ? オレが出て行かないんで仕方なく諦めてるんだろ! どうせオレは弱虫だよ。オナサケでアンタに飼ってもらってるだけだよ。アンタの言うとおりハイハイ言ってりゃいいんだよ」
 「誰もそんなこと言ってねーだろ!」

 ああ、こうやって書いてみても不毛だ。もちろん、ケンカの後半、しげはわあわあ泣きじゃくっている。
 いや、しげのやつ、何となく泣きそうな顔してたから、つい私が「びろーん」って言って、からかったら、その瞬間、緊張の糸が切れたせいか、大声で泣き出しちゃって。
 普通、口ゲンカの最中にギャグ飛ばすかね。ああ、骨の髄までギャグ人間なのが恨めしい。

 それにしても、随分具体的かつ詳しく覚えてるもんだなあ、普通、ケンカって言えばお互い感情的になってるから、内容なんて忘れちゃうもんじゃないか、と思われる方もあろうが、要するに毎回、口ゲンカのたびに同じ会話を繰り返しているから、もう暗記しちゃってるのだ(-_-;)。

 で、これから先はあまり書きたくないのだが、結局、しげをなだめるために、私は、私がいかにしげを愛しているかを具体的に細かく詳しく告白させられるのである。

 絶対たくらんでヒス起こしてやがるぞ、クソしげめ。

 あ、そこの奇特な読者の方、ノロケか、結局って、怒んないでね(^_^;)。
 すみません。犬も食わない話でした。


 間が悪い時は間が悪いもので、ケンカの真っ最中にいきなり玄関のチャイムが鳴る。
 出て見ると、赤ちゃんを抱いた若夫婦がご挨拶。ウチの隣にお引越ししてきたのだ。
 「すみません、子供がいますのでうるさいと思いますが」
 「いえいえ、こちらも夫婦ゲンカの真っ最中でうるさいと思いますが」
 そんなこと自分からバラしてどうする(ーー;)。
 でも、このマンションに住んで足かけ10年になるが、ウチの隣に引っ越してきた家族がこれで三組目になる。
 なにか私たちに問題でもあるのだろうか。
 タオルを頂いたので何かお返しを考えなきゃなあ。


 結局、早く帰宅した意味はなく、充分に休養が取れないまま、それでも夜の散歩は忘れまいと、すっかり腹を減らしたしげと連れだって、食事に向かう。
 時間はもう10時を回っている。ってことは、6時間もケンカしとったんかい。ああ、時間のムダ。
 だからどうせ仲直りするんだったら、最初からヒス起こすなよう(T_T)。
 余計な気苦労させるな……って、だからそこで泣くなってば、バカしげ。

 本屋を回ってロイヤルホストへ。
 買ってきたばかりのマンガを読む。


 佐藤竜雄・滝沢ひろゆき『学園戦記ムリョウ』2巻。
 滝沢さん、エッチマンガから出て来た人のようだが、こんな丸っこい可愛らしい絵柄でエロ描かれていたら、さぞやそそることであろう……って、今回のマンガ、健全といえばこれくらいテレビアニメの王道を行こうとしているマンガもないくらいであるのだが。
 どうやら遥か彼方の宇宙で行われているらしい戦争に地球も巻きこまれて行きそうな気配なのだが、それを選ばれし若者たちが救う、という、ありふれているが演出次第でどのようにも面白く出来そうな題材。でももう2巻目だというのに脇キャラ増やすばかりでストーリーそのものはまだ少しも進んでいないので(『ナデシコ』もそうだったなあ)、今のところは隔靴掻痒。
 でも那由ちゃんの桃太郎と河童のコスプレはかわいいのであった(^^)。


 村野守美(「もりび」って読むんだよ。男だからね、念のため)『草笛シリーズ オサムとタエ 早春残光編』、待望の復刊である。でもおそらく数十巻はあろうかという連作シリーズを一作だけの傑作選とはもったいない。
 双葉社、ぜひ続きも出してえな。

 たしか石子順か誰かの日本漫画史では「アニメの手法を漫画に持ちこんだ」という評価をされていたように記憶している。つまり、背景は細密な美術なのに、キャラクターはマンガチックってことなんだろうけど、その批評、間違いじゃないけど、水木しげるやつげ義春がとうの昔にやってる手法でもある。
 で、今回久しぶりに読み返して気付いたけど、実際つげ義春に相当インスパイアされてるのだわ。
 つまり『紅い花』のシンデンのマサジとキクチサヨコの関係にだな。
 オサムとタエ、背丈が2倍以上も違うから、小学1年と高校生くらい違うと思ってたのに、5年と6年だったのだな。いくらそのころの男と女の成長に差があるからと言って、これは結構凄いデフォルメだ。
 だからこそいやらしくなる一歩手前で抑制が効いてはいるけどね。

 田舎の、小さな港町、小学生が全部で10人くらいしかいない町の、性に目覚める寸前の子供たちが見たオトナたちの人間模様。オサムとタエは主人公というより狂言回しの役割だ。
 でもシリーズ中の『花梨の実』だけはまさしく村野守美版『紅い花』で、これだけはオサムとタエが完全な主役。
 少女の性が少年には解らない。解った時には多分オサムとタエはもう思い出の中だけでしか心を交わすことが出来なくなる。思い出が懐かしく、甘酸っぱく、そして寂しいのは幼馴染が性の目覚めまでも共有してしまうからなのかも知れない。
 いや、なんだか照れくさいけど好きだったんだよなあ、このシリーズ。

 手塚門下ってことを考えると、オサムのネーミングもその辺からかな、という気がするが、手塚さんの奥さんは悦子さんでタエではなかったのであった。

 今日こそは日記をまともに更新しようと思ったのに、しげのせいでなんも書けなかったのであった。これも一週間後に記憶を辿りつつ書いたものだ。
 ウチに帰りつくなり、疲れ果てて寝る。
 ああ、ゆっくり体を休めたいよう。


2001年05月28日(月) 才能がないなんて言い訳だ/DVD『チャーリーズ・エンジェル』

 休日が所用でツブレまくっているので、全然休んだ気になれない週明け。
 体重は85.2キロ。もう一息で85キロを切られる感じだが、さて、何年ぶりであろうか。
 いやいや、油断はいけない。楽観的になった途端、たいてい向こうからフンドシは外れるのだ。
 ……ふと書いてみて気づいたが、今時の若い人はこういう言い回しも知らなくなってやしないかなあ。少なくとも桜雅嬢が知らないことは確実だと思われる。


 先日、劇団メンバーの藤田君宛に送っていたメールの返事がようやく来る。
 内容は予想通り「音響ってどんなことすればいいんですか〜?」という能天気なもの。
 よしよし。藤田君はこうでなくちゃ。
 劇団創立メンバーの一人である彼にしてこういうホニャラカだからなあ。
 しげは「今のこの時期に音響プランが決まってるものか〜!」と喚くが、だから「音響頼む」と言われて、「自分がプランを立てるわけではない」あるいは「自分にプランが立てられるはずがない」と考えるのが藤田君なんだってば。

 初歩的なことを今更書かねばならんものかなあ、とも思うのだが、結局は人がなぜモノを作ろうとするかってことなんだよねえ。
 たいていの作家が「なぜ作家になったか」ってことを聞かれて答えるのは「既成の物語より、自分が書いたほうが面白いから」。人間ってのは贅沢なもので、ビクトル・ユーゴーやアレキサンドル・デュマやドストエフスキーを読んで感動してもそれ以上のドラマを求めるものなのよ。
 読んだ小説、見た映画・舞台、それはみんな過去のものになる。
 だから結局、人が「面白さ」を追求しようとしたらそれは必然、自分で何かを作り出そうとするしかない。その人に才能があるかどうかは関係ないのだ。

 しげが藤田君とどういうやりとりするか知らないが、こちらの対処は風に柳である。ぼちぼちと行くから。


 買ったばかりのDVD『チャーリーズエンジェル』、特典、コメンタリー、日本語吹替え、立て続けに見る。5時間くらいぶっ続けだな。
 先日、ベスト電器のLIMBでこれを買った時、ZUBATさんが「なんでそんなモノを」と驚かれていたが、しげ曰く、「だってビル・マーレーが出てるし」と言ったのには私も一瞬絶句したが、確かに納得。
 後半、敵に監禁されてからのビル・マーレーの独演は必見であったが、今回の監督のコメントで、これが全てマーレーのアドリブであることが解った。自由にやらせたほうが実力を発揮するタイプかどうかを見ぬいたマックジー監督、なかなかのものである。
 最初見たとき、随分爆発した演出だなあ、と思っていたのだが、カットされた未公開シーンなんかを見ていると、下品になる一歩手前で抑えていることが解って、これは収穫。
 トイレで男装したキャメロンとドリューがティム・カリーのナニを覗きながら世間話をするように「あんなに小さくて役に立つのか?」とからかうシーンをカットしたのはドラマのテンポからいっても正解だろう。
 それにギャグとしては『裸の銃』シリーズレベルで、演じる二人がヤンキー上がりにしか見えない二人だから、確かに下品になりすぎる。昔のチャリエンだったら絶対に出て来ないギャグだ。それがイカンと言うのじゃなくて、このあたりで、旧作との差異がはっきりするということ。
 でもナレーションにあるように「三人揃って頭が切れて」と言うのは「切れる」の意味が違うんじゃないかとツッコミたくはなったな(^^)。

 『モンティパイソン・アンソロジー』、中味は『イン・アスペン』『パイソンズ』『パイソンナイト』の三本だが、最初の二本だけ鑑賞。
 ここ数年のパイソンメンバーの動向も確認できた『イン・アスペン』だったが、ウワサの「遺灰で登場グレアム・チャップマン」、これはあくまでギャグで本物じゃなかった(^^)。途中で蹴飛ばしてこぼしちゃうんだもんなあ。
 よく、この手の危ないギャグは日本じゃやれないと言われるが、けっこうゲリラ的にはやってるのだ。ウルサガタに気付かれちゃったら問題視されて幻になるけどね。
 それにしてもDVDの付録のTシャツ、着ると汚れるしどうしたらいいのか。



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)