無責任賛歌
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| 2001年04月07日(土) |
初めての花見/DVD『ブルース・ブラザースBBパック』 |
なんだか半端じゃなく仕事がメチャクチャ忙しくなってきたぞ。土曜日だってえのに、午後になっても帰れない。 4時近くになってようやくウチに帰りついた時には女房はフテ寝していた。 何度起こしても起きようとしない。 「待ちくたびれて寝ちゃったよう。なんで中途半端なときに戻ってくるのぉ?」 「どうせ昨日、明日花見だからって興奮して眠れなかったんだろう。さっさと起きろ!」 とたたき起こして、朝のうちに女房が作っておいた弁当を持って近所の公園に出掛ける。 桜は満開をちょっと過ぎた感じだが、さすがにこの近所の桜の名所だけあって、花見客が大挙している。公園の中には野球場があって、そこはその昔あのピンクレディーが『サウスポー』を歌ったということで有名なのだが(そんなん誰も知らんわ)、その周囲の芝生では早々とバーベキューを始めている。 「どこに座ろうか?」 「人のいないとこ」 ……そんなところあるか。弁当の中身を見られるのがイヤだというので、仕方なく、桜の咲いていないところに座る。何のための花見だ(^_^;)。 女房の作った弁当は昨日買ったオカズを、ロッテリアのオマケのピカチュウ弁当箱に全部ぶちこみ、更に入りきれずにお握りをパックに詰めたという壮大なものである。……よっぽどこの花見を楽しみにしてたのだな。 軽く四、五人分はある弁当を二人で平らげる。こうなることを予測していて、朝から何も食べていなかったので、一応腹には入るが、自分でもよくここまで食えたな、と内心思う。 タコのソーセージは作らないと言っておきながらちゃんと作ってあった。照れくさいので気がつかないふりをして食べたが、「あ、食べたね」とちゃんと女房はチェックしてくる。 鳩が飛んできてフンをしそうになったので、食べ終わる早々、その場を離れたが、考えてみれば結婚して以来、女房と花見をしたのは始めてである。満足したかなあと女房に聞いてみると、「理想と違った」と言う。 なんだか二人きりでラブラブなムードに包まれたかったらしいが、花見ってもともとそんなもんではないと思うが。 天神のベスト電器で『ブルースブラザースBBパック』を購入した帰りにも公園に寄って、タコ焼きを買って食べる。8個入り500円は高いと女房は言うが、タコがでかいのでこんなものだろう。いい加減昭和40年代感覚で物価を測るのはやめて欲しいものである。
帰宅すると女房は睡魔に襲われぶっ倒れる。 その間に一人で『ブルース・ブラザース』『ブルース・ブラザース2000』をメイキングも含めて立て続けに見る。 『ブルース・ブラザース』の方はディレクターズカット版、つまりは劇場公開でカットされた部分を復活させた完全版、と謳っているが、劇場公開版のほうが監督自らのカットによるものなので、この表現はおかしい。どうもこの「ディレクターズ・カット」という言葉の意味を知らないで使っている映画関係者も多いみたいだ。 第一作にはジョン・ベルーシが「神の御心は謎だ」と呟くシーンがあるが、このセリフ、劇場公開の時にはカットされていたもの。しかし、続編でダン・エイクロイド、J・エヴァン・ボニファントが同じくこのセリフを口にする。二作をつなぐ重要なセリフなのだ。 ちょっとマジメなことを書かせてもらえれば、『ブルース・ブラザース』はもともとアメリカのミュージカルシーンの中では継子扱いされてきたブラック・ミュージックの復権を目ざしたものだ。メイキングの中でダン・エイクロイドが、「アメリカン・ミュージック」とやや穏当な表現をしているのに対し、監督のジョン・ランディスは無邪気なことにはっきりと「ブラック・ミュージック」と言い切っている。……でなきゃアレサ・フランクリンやジェームズ・ブラウンにスポット当てたりはしないよな。WASPの歪んだキリスト教文化の中で、神の恩寵が受けられるはずのない音楽に「神の光をあてた」という点で、この作品、思いきり挑戦的な作品になっているのだ。 だから1作目に比べて2作目が「ジョン・ベルーシがいないから劣る」という意見は近視眼的だと言わざるを得ない。「1作目のリメイク」という言い方も当たらない。二作は根底においてちゃんとつながっているのだ。 ジョン・モートン演ずるキャブが「なぜ白人の私と犯罪者の白人のあんたが兄弟なんだ!」とエルウッドに怒鳴るシーン、でも黒人のソウルを忘れていたのはキャブのほうなのだ。キャブが自らの魂に目覚めるのは、第一作と同じく、ジェームズ・クリオファス・ブラウン神父の折伏による。J.B.に光を示されて悔い改めない者はいまい(^^)。 たとえてみるなら、手塚治虫に「キミ、マンガ家になりたまえ」と言われたら、そいつは他の誰から才能ねえぞと言われようと、マンガ家になる道を選ぶであろう。それと同じだ。でも手塚治虫だって、かつてのマンガ壇においては邪道扱いされてきていたのだ。 ホンモノのソウルはどこにあるのか、そこを見逃すと、1作目も2作目もなんだか素っ頓狂なふざけた映画にしか見えない。 神が本当にいるなら、聖書の教えが正しいなら、その使徒に犯罪者を選ぶのは当然だろう。キリストがマグダラのマリアを庇ったことをWASPの連中は忘れちゃいないか。 ……念のために言っとくがベルーシもエイクロイドもランディスもWASPではない。 それはさておき、2作目だけなぜか日本語吹替が収録されているが、これが最低に近い出来だった。ダン・エイクロイドはまた玄田哲章。好きな人だけど、エイクロイドはミスキャスト。声質もマシンガントークもまるで真似できていない。 というか、全体的な演出にまるでリズムがないのである。日本の声優はミュージカル映画になると実力のなさを露呈してしまう。 B.B.キングもJ.B.もチョイ役もみんな茶風林に演じさせるってのは何を考えてるのかなあ。日本人にソウルはないのだろうな。
| 2001年04月06日(金) |
プレ花見/『ミスター・クリス』3巻(秋本治) |
今日も朝から鼻血が出るが、もう休むわけにはいかない。 鼻薬を鼻腔に噴霧して、薬も飲んで、無理やり抑える。ああ、頭が重い鼻の奥が重い。なのに仕事は容赦がない。 薬の副作用か、気分だけは高揚しているのが恨めしい。 仕事がくそ忙しくて帰宅が8時。 1日ごとに1時間ずつ帰るのが遅くなってきてるぞ、女房はそろそろお冠だ、ヤバイなあ。 明日、弁当持って花見に行こう、と約束しているので、一緒に買い物に出掛ける。
ウチの近所のスーパーは10時まで開いているので、腹をすかした二人はまず「ガスト」でたらふく食って朝からの空腹を満たすのであった。 ファミレスのメニューなんてどこの店でも似たり寄ったり、かと思うとさにあらず、ここは時々何だかよく分らない料理を出してくるので、結構ご贔屓なのである。しかも、下手をすると人気がないのかいつの間にかなくなってしまうコトも多いし。 以前、みぞれあげもちを食べたとき美味かったので女房に分けてやるが、「べたつく」と言って露骨に眉間にシワを寄せる。……もちはもともともちもちしてるよ。そこまで嫌うというのは昔もちと何か相性の悪いことでもあったのか? すっぽんゼリーという名前だけ聞くと少しも美味そうでないものを頼んでみるが、薄い醤油味のゼリーという感じで本当に美味いんだかまずいんだかよく解らなかった。
本屋に寄って買ってきたマンガ、秋本治『ミスター・クリス』3巻を食事しながら読む。 秋本さんの漫画はともすれば解説的なセリフが入って、ストーリーの流れや盛り上がりを阻害してしまうところがあって、惜しいなあと思ってしまうのである。 ジャンボジェットを洋上の空母に着陸させるというアイデアは面白いが、その実現の可能性を先に解説しちゃうのはいただけない。普通は成功した後で理由を説明するのがセオリーなんだが。 シナリオ作りのあまりうまくない人だなあ、とも思うし、キャラクターも深みがない。肩肘張らずに読めるのがいいところなのかもしれないけど、『こち亀』がもしも終わったら、次作のプレッシャーに一番悩んじゃうのではなかろうか。
スーパーで卵やチーカマやハンバーグ、シューマイなど、明日の弁当のおかずを買いこむ。ソーセージは定番なので、絶対買うのだ、と言ったら、女房がやや軽蔑したようなジト目でこちらを見る。 「やっぱりソーセージはタコにしなきゃな」 「絶対にタコにしてやらない」 ああ、なんて微笑ましい夫婦の会話。
| 2001年04月05日(木) |
鼻血ブーって覚えてる?/『ブレーメン�供截牡�(川原泉)ほか |
昨日、根を詰めすぎたせいだろうか。朝起きてみると息ができない。 鼻血で鼻が詰まっているのだ。鼻をかむと、チョコボールほどの血ガタマリがゴソッと出てくる。頭がふらつき顔面が痙攣するが、寝不足だったわけではないので、やはり体調を崩しているのだろうと思い、仕事を休む。 でもこれで明日はまた仕事に追われることになるのだ。
というわけで昨日はずっとパソコンの前にいたのだが、今日はずっと布団の中。気持ちがどんどん鬱になるので、もうこれは夢の中に逃げこむはかないとひたすら眠る。ところがこういう時に限って夢の野郎は妙に現実的である。 あまりに現実的で忘れた。
寝ていても腹は減る。 女房は夜の仕事になって以来、昼はずっと寝ているので、仕方なく目玉焼きとレトルトのハンバーグで飯を食う。 するってえと女房は「一人で飯食いやがって」と文句つけてくるのな。仕方なく豆腐チャーハンを作ってやる。 鍋に作りおきしておいたら、勝手に食べていた。 「鍋の、食べてよかった?」 「うん、おまえのだよ」 でも、必ず食ったあとで聞いてくるというのは基本的に既成事実を積み重ねて事後承諾で物事を進めていくタイプだってことだよな。……イヤなやつ。
岡田斗司夫さんの「オタク日記」、2月分が更新されていたので読む。 「青少年有害環境対策基本法とメディアのあり方について」というテーマの座談会についての記事だが、いやはや、田原○一郎といい、民○党のなんたら議員といい(どうせ党に依存してるだけで自分の意見なんてないやつだから名前なんか書いてやらない。匿名にするのは相手のプライバシーや人権を守らないため、という場合もあることを知っておくべきだよな)、どうしていい大人にこうバカが多いかな。岡田さんも苦労させられてるよなあ。 「有害図書」の基準なんて恣意的なもんで、時代と環境次第だってことくらい常識だと思ってたんだが。「あんたの顔が有害」なんて言い出したらサベツでしょ? だったら「この表現が有害」って指摘することだってサベツでしょうに。 結局みんな、何かを差別したがってるのだよねえ。で、世の中には許容される差別と許容されない差別があると。 ……そんな中途半端なことを言うくらいなら、いっそのこと○○○○○○、○○○○○○○○○○。……自主規制してんだから、法規制しようなんて考えるんじゃねえぞ、既知外ども。
マンガ、きくち正太『おせん』2巻。 グルメまんがに共通して思う疑問は、「そりゃ話の上ではいかにも美味そうに描いてるけど、それホント?」という単純なコトだったりする。 だって漫画の中に出てくる料理って、まさしく「絵に描いた餅」なんだものな。ファーストフードが日本人の味覚を破壊したというのは本当かもしれないが、もともと破壊されても仕方のない貧弱な味覚しかなかったのだとも言える。それを憂えて見せても、老人の繰言と何の変わりもありはしない。 絵は面白いんだが、薀蓄が鼻についてきたなあ。
マンガ、川原泉『ブレーメン�供截牡�。 ……今気づいたが、この本、「ジェッツコミックス」なんだなあ。……『少年ジェッツ』はとうに廃刊されてるというのに、どういうわけかね? それはそれとして。 川原さんの絵が最近硬質化していることがちょっと気になる。宇宙船が味も素っ気もない直線と曲線で構成されてるとかそういうことではなく、人物自体が昔のふわっとした味わいを失ってきているのだ。 川原マンガの主人公たちはのん気そうに見えて神経質、傷つきやすい心の持ち主ばかりなんだが、それは多分作者自身にも当てはまるんじゃないかと思う。……今の線って、どこか余裕がないんだよね。それが心配。 なんだか最近はマンガの出来が云々というより、川原さんがマンガを続けている、ということだけでホッとするようになっている。
マンガ、榎本ナリ子『センチメントの季節』7巻。 大人の少女マンガだなあ。と言ってもレディースじゃないんだよね。 見知らぬかわいい女子高生が突然、部屋に訪ねてきて、「泊めて……泊めてくれたら何をしてもいいよ」と言う。男の欲望を充足させるためだけのような展開は、どうにもあざとくて好きになれない。 でも、現実の女って、そんなやつが多いんだよね。 結局、男の好むシチュエーション、男の好む姿態、男の好む愛の囁き。そんなものを与え続けることでしか自分の居場所を確認出来ない。 作者が意識しているかいないかは分らないが、今回のストーリーの骨子には『ファウスト』がある。「もう一度過去に戻れるなら」という普通はSFやファンタジーで描かれるべき題材だ。それを作者は、「現実」として描いた。夢想を現実化するためには、「あざとい展開」は不可欠だったのかもしれない。 『ファウスト』からあまりにも離れたところに少女たちは佇んでいる。少女たちの世界はあまりにも小さく狭い。 男には女を哀れむことしかできないのかもしれない。
マンガ、秋本治『こち亀’76』。 雑誌形態で出たものをつい購入。いや、今更124巻も揃えられませんて。 なぜ『こち亀』がここまで続いたか、という分析、意外と誰もやってないのね。岡田斗司夫さんが以前、「ドラえもん=両さん」説を唱えてたことがあったけど、ちょっと無理がある気がする。いつでもそれなりの人気があったこのマンガを誰も打ち切ろうとしなかったってだけじゃないのかな。 それにしても最初期の両さんは今より遥かに「まとも」だなあ。
マンガ、新井理恵『× ―ペケ―』4巻。 新井理恵って、『ケイゾク/漫画』を描いた人だったんだなあ。未だに女房買い続けてるけど、面白いか? これ。
「キネマ倶楽部」の会報が届く。 森卓也さんが毎号日本の喜劇役者について思い出を語るのだが、今回は柳家金語楼の巻。実は私が最初に覚えたコメディアンがこの人。多分、私は『ジェスチャー』のギリギリ最後に間に合っている世代である。 戦前の警察による芸能人の統合整理で、落語家をやめざるを得なかった金語楼は、そのころにはもう全く落語はやっていなかったが、それでも私にとっては、当代一の名人としてのイメージが親から刷り込まれていた。 例の『兵隊落語』のレコードを曽祖父が持っていて、母に繰り返し聞かせていたために、その母から「ヤマシタ、ケッタロー」のギャグを散々聞かされていたからである。 曽祖父曰く、「エノケンはドタバタやってるだけで芸はない。本当の芸人は金語楼だ」。 この評価が正しいかどうかは置くとしても、戦前、金語楼がどれほど高い評価を庶民から受けていたかが解るセリフだ。森さんも、安藤鶴夫の「恐らく現代のいかなる第一流の落語家も太刀打ちできない」というコトバを引用してその技量を称えている。 私が実際にその人の芸を見て「これはうまい」と思えたのは、古今亭志ん朝、春風亭小朝、立川談志の三人だが、もちろんその技量は昔年に比べれば落ちていることは否めない。円生も志ん生も私の記憶ではじいさんの芸だ。 早くに落語をやめたことが金語楼をして伝説の落語家たらしめたのではないかとも思う。
NHKの『真剣10代しゃべり場』に庵野秀明監督がゲスト出演していた。 テーマは「一人でいるのはいいこと? わるいこと?」という、本当に今時の10代はこんなことで真剣に悩んどるんかいの、とい言いたくなるしろもの。 本人たちは真剣かも知れんけどねー、そんなん語り合わなきゃならんもんかねー、という題材だけどねー。 と思ってたら、庵野さん、番組中についポロッと「まあ今度のテーマはつまんないから」と一言。ああ、身もフタもない(^_^;)。 確かに『エヴァ』だけ見てたら、このテーマ、庵野さんにあってるように見えるかもしれないけど、もう監督自身は次のところに進んじゃってるんだよね。いつまでも人が同じところにいるものと思っちゃいけないのである。
| 2001年04月04日(水) |
ちかれた日〜(死語)/映画『宇宙怪獣ガメラ』ほか |
昨日は開かなかった日記が、今日になってようやく復活。 しかし、不安は的中しており、2日の分が全てオシャカ(死語)になっている。というわけで、愚痴も含めて、2日の分の書き直しと3日の分をひたすら書き続けていたのであった。 日記に賭ける私の執念に女房もいささか呆れ顔である。 「なん、またおんなじの書きようと?」 「日記なんだから違うのかくのも変だろう」 そう言いながら、内容が微妙に変わっていくのが不思議なところである(^_^;)。実際、二日も経ちゃあ、何があったかなんて簡単に思い出せるものでもない。人間の記憶は1日経つと50%、2日経つと75%が失われると聞いたこともある。読んだ本の感想だって、変わってくるのだ。半年前の日記なんか読み返すともう完璧に他人である。「こいつ、なにバカなこと書いてやがるんだ」と、自分の日記を読み返して楽しめるのだから、これはもう何がなんでも続けねばなねまい。
でも、マジで書き直しはしんどい。 合間に本を読んだり、テレビを見たり、気分転換しながら、結局帰宅後の時間を殆ど費やして書き直すことになってしまった。 で、登録ボタンを押した途端、「エンピツ」からの案内が。 「ただいま、消失した分の日記を手作業で復旧しております」 もう書きなおしたあとじゃあああ! しかし、まさか、「エンピツ」のスタッフ、書きなおした上に過去の日記を再登録したりせんだろうな。これ以上私を脱力させんでくれよ。 女房曰く、 「自分で保存しておけばいいのに……」 そんな高度な技術は私にはない(-_-;)。
『パワーパフガールズ』、全話録画するのもなんだかなあ、と思っていたので、8話ほど録画した後やめていたのだが、今日は「巨大ロボ・ダイナモ」が登場するとあって、久しぶりに見る。 おお、四月になってオープニング、エンディングともにリニューアル。こういう日本版だけにつけられたオープニングというのは、ビデオ化されたときにカットされることも多いので、結構貴重である。『サウスパーク』もビデオにはテレビ版のオープニングと次回予告がないしなあ。以前のものよりアップテンポで、今回のほうが好みかな。 本編は予想以上の怪作。ベースはやっぱりマジンガーZ+アフロダイAってとこだ。アチラのロボットアニメは『フランケンロボ』みたいに擬人化されたものの方が普通だから、やっぱりこれは日本のアニメの影響なんだろうな。結末は『ダーティペア』だし。 だいたい敵がいくら巨大怪獣だからって、巨大ロボを出す必然性は全くなく、これ、純粋に博士の「趣味」の産物なのである。しかもデザイン的にはどう見たって「ダイナモ」の方が紛れもなく悪のロボット。目はブラックオックスみたいな半月型だし。光線は出すわ、怪獣の発射するトゲを跳ね返して街は破壊するわ、まあ渋谷のガメラ状態ですわな。 で、肝心の怪獣は、自分のトゲがささって弾けちゃうてんで弱っちい風船怪獣だったってオチ。「ありがとう博士!」じゃないだろう。 アメリカは俗悪番組のレイティングが厳しいと聞いてるけれど、こんな暴力的でモラルのカケラもない番組を堂々と子供に見せてるんだから、どこまでウワサはホントなんだか。
チャンネルNECO、ガメラ特集2日目、で、何を放映したかってえと『宇宙怪獣ガメラ』だよ(^_^;)。 知らない人のためにちょっと解説すると、旧ガメラシリーズは、昭和40年『大怪獣ガメラ』から昭和46年『ガメラ対深海怪獣ジグラ』まで、全7作作られて、製作会社の大映がいったん倒産して打ち切りになってたのね。 それを再建したのが先年亡くなった徳間康快社長なんだけど、平成ガメラシリーズで復活する前、昭和55年に旧シリーズのフィルムをそのまま流用して、宇宙人が送り出す怪獣から地球を守るために戦うガメラ、という旧シリーズとは全く関係のない設定ででっち上げちゃったのがこの一本なわけです。 で、主演の良い宇宙人を演じるのがマッハ文朱。……当時私ゃ高校生でしたからねえ、さすがにお子様に混じってこれを見にいくことは出来なかった。……精神的な意味でなく、親が許さないという物理的な理由によるものです。で、何年か後、テレビで初めて見て……。 どう感想を言っていいものだか(・・;)。 世の中にヘタレた映画は数多くあろう、日本特撮史上の汚点に『惑星大戦争』や『宇宙からのメッセージ』を挙げる人もいるであろう。でも『宇宙怪獣ガメラ』に比べりゃ、オリジナルな分だけ充分映画になってる。 でもこれは旧ガメラシリーズのファンですら忘れたくなるような出来なのですね。 夢の中でガメラが宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999と競演したり、亀有公演前派出所が出て来たりという不必要なサービスが悪い、とかいうレベルではない。ともかく旧作をツギハギして、間をよい宇宙人と悪い宇宙人のやりとりだけで埋めてるだけだから、物語にメリハリというものが全くないのだ。 いったい大映はこの映画をなぜ作り、どう売ろうと思ったのか、それが全く見えてこない。 『スターウォーズ』がブームだ、なら日本でも『惑星大戦争』を作ろう、安易だが、そこには日本的かつ山師的な興行師の思惑というものが見て取れる。しかし、『ゴジラ』もまだ復活していない、日本人が怪獣に全く背を向けていた時点で、なぜ『ガメラ』か? もうこれは、大映にはSF作品がそれしかなかったから、と考えるしかない。でなけりゃ、もともとアトランティスの伝説に残る巨大カメ、という旧シリーズの設定をわざわざ変えてまで「宇宙もの」に仕立て上げた意味が理解できない。安易を通り越して完璧に狂っているのである。 ……でもねー、それでもねー、この作品、嫌いになれないんだよねー。 なぜかって、それがまた実に単純な理由なんだけど、「ガメラが敵怪獣を倒す順番」なんですよ。 バルゴン→ギャオス→バイラス→ギロン→ジャイガー→ジグラ、これが旧シリーズの順番。 ギャオス→ジグラ→バイラス→ジャイガー→ギロン→バルゴン、これが『宇宙怪獣ガメラ』の順番。 つまり、露払いがギャオスで、シメがバルゴンなわけです。この二頭がその設定及びデザイン的に他怪獣といかに別格的な意味を持っていることか。ゴジラに対抗できる名怪獣が、モスラ、キングギドラ、メカゴジラであるとすれば、ガメラのそれはバルゴンとギャオスしかいない、そういうことなんですね。旧シリーズからつきあってきた怪獣ファンならば、ご理解できることなんです。 ……本当に単純な理由(^_^;)。 あ、別にこの映画見てね、なんて勧めませんよ。でも、平成ガメラを見ちゃったあとでは旧ガメラは見られねー、と思ってる方々、映画は一作一作、別の視点で楽しむことが出来るものです。つまんないと簡単に断定できるのは自分自身がつまんない見方しかしてない場合だってありえるということを考えておきましょう。 どんな駄作でも楽しめない映画はない。 これ、私の実感ですが、信用できないって権威主義的な方には、故淀川長治氏も同じことを言っていたと付け加えておきます。いやみだなあ。
で、この後DVD『ガメラ 1995〜1999 軌跡』を見たら、金子修介と樋口真嗣が「『宇宙怪獣ガメラ』は痛い」と喋っていたのだった。わはは(^_^;)。
昨日、シティボーイズライブのDVD購入特典、『シティボーイズ インストア ライブ』が送られてきた。 早速見たかったのだが、私が日記を書いているスキに女房が先に見てニヤニヤ笑っていたので、なんとなく一緒に見る機会を逸していたのだ。確かに日記書きばかりで女房と夫婦の会話をあまりしてないなあ。ここ数日女房の態度がえらく冷たいが、きっと拗ねているのだ。 やっぱりいくらなんでも1時間程度で書き上げるようにしないとなあ。ながら族でやってるから結局は3時間も4時間もかかってしまうのである。 それはそうと『シティボーイズ』、キャンペーン風景を連続して録画したものだが、編集がよく工夫されていて、ダレ場がない。 ただ、ラストで大竹まことさんが、ライブももう長くないようなことを発言されていたのが気になった。確かにお三方、もういいお歳ではある。そうそうライブを続けてもいられないだろう。しかし本当に面白い喜劇を見せてくれる舞台というのが少ない今、お三方にはもう少し頑張って欲しいなあ、と切に思うのだ。 ……爆笑問題、なぜ舞台をやらんのだ。
| 2001年04月03日(火) |
ボクの地震、キミの地震/ドラマ『陰陽師』第一回ほか |
夕べ眠くて仕方なかったが、朝起きるともう8時。 うわあ、まるまる8時間も寝ちまったい。仕事疲れとは言え、こうも寝過ごすってのはやっぱり体が鈍りまくっているのだ。 外は小雨。慌てて今日もタクシーで出勤するが、明日こそは絶対に早起きするぞ。
今日も目一杯仕事。となると日常雑記的なことは何も書けないかというとそうでもない。一日が仮に1時間しかなくたって、その間に「できごと」はあるのだ。
某新聞の記事、福岡県北九州市の「指導力不足教員に関する人事管理研究協議会」が、4月2日、七項目の「判定基準」をまとめて市教育長に報告したとか。でもどういうわけだか、そのうち三つしか紹介してない。 1,適切な生徒指導をしないなど、教員としての使命感や責任感に欠ける。 2,子供との人間関係を築くことができないなど、子供の立場に立った対応や教育的愛情に欠ける。 3,指導計画書を作成できないなど、基本的知識や指導の工夫に欠ける。 これだけでも納得できるようでいてどうにも曖昧な基準。どうも変だな、と思ってほかの新聞を調べてみると、割愛された項目の中に、「疾病のある者」と書かれてある。 それじゃあなにかい、教師が○○○だといつ倒れるか分らないから学校に来ちゃダメとか、○○○で○○○だと生徒が怯えるからダメとか、そんな意味かい。 そんなつもりはない、と、この基準を設けたやつは言い出すかもしれないが、じゃあ、この病気なら適格、この病気だと不適格、なんて決めていいものなのか? こんな基準自体が差別なんだってことに気づいてないのだ。 実際、教師や生徒だけでなく、どの職場でも、地域でも、この病人や身体障碍者を表向き受け入れるようなそぶりを見せつつ、現実的には排除しようって風潮が例の日の丸・君が代法制化以来じわじわと顕在化してきてるように思えてならない。 なんだか胸糞が悪くなったので、久しぶりに“裏”モノ会議室にこの件についてコメントを書きこむ。今回は特に反応なくてもいいや、と思ってたのだが、志水一夫さんがコメントをつけてくれて、やっぱり嬉しかったのだった。 夜、また軽い地震。この間の余震なのかな、と思ったら、中国四国だけでなく、東海地方でも地震があったらしい。 今度は本の山も殆ど揺れることはなく、大して動揺もしなかったが、それでも女房は慌てふためいている。 「どうしてくれる?」 どうしてくれるって、何をどうしろというのかね。いつも思うのだが、女房は興奮するとTPOを全く無視したセリフを吐くので何が言いたいか解らなくなるのである。 「どうしてって……余震だろ?」 「誰の?」 「『誰の』って、なんで『余震』に『誰の』なんて修飾語がつくんだよ!」 やっぱり何が言いたいのかよく分らない。もしかしたら「余震」を「預金」と聞き間違えたのではないか。だとしても預金が地震と何の関係があるのか。 女房の脳内構造は常に謎である。
WOWOW新番組アニメ『魔法戦士リウイ』、後半だけ見られる。 作画レベルは上、シリアスな絵柄でファンタジーかと思ったらギャグだった。スケコマシの魔法使いの話らしいが、事前の情報をあまり仕入れていなかったので録画はしていない。まあ、無理して録るほどのこともなさそうだったけど。 チャンネルNECO、今日から『ガメラ』特集、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』、多分7、8年ぶりくらいに見る。 ああ、本郷功次郎に上田吉次郎も出てたんだよなあ。蛍雪次朗のお師匠の蛍雪太朗という人も出ているらしいのだが、顔を知らないので誰だか分らない。 今見返すと特撮は相当チャチで、空中戦が映えないのだが、それでもギャオスが地上で羽ばたいて砂塵を巻き起こすあたりは迫力がある。鋭角的な目がギャオスの冷酷さを表現していて、やはり私は、新版ギャオスの丸っこい目よりも好きなのだ。 ああ、この映画、中洲の今はなき松竹ピカデリーが大映直轄の映画館だったころに見てるんだよなあ。四歳で映画館に連れてってもらってたってのも今考えると凄いな。というか、三歳のとき『バルゴン』も見てるんだが。どっちも死んだばあちゃんに連れられてである。ばあちゃん、映画にどんな感想持ってたんだろ。 新作は脚本の伊藤さんが『キングコング対ゴジラ』を参考にした、と言っていたが、見比べてみると、意外なほどに旧作との共通点がある。ギャオスを捕獲するために、既存の施設を利用し、それが失敗して結局はガメラに頼ってしまう展開などがそうだ。結構、このパターンの元祖に近いのではないか。 そうなると、ギャオスが太陽に弱い、という設定も新版に残しておいて欲しかったなあ、と思うのである。
時代劇チャンネル『鞍馬天狗』13話、最終回。 本放送のとき、てっきり最終回は見逃していたと思い込んでいたけど、ちゃんと見ていた。 そうだそうだ、殆ど打ち切りじゃねえかって思いたくなるくらい、いきなりな終わり方だったんだよなあ。 明治維新がやってきて、実は杉作は女でしたって展開があるものと思っていたのに、ラストはいきなり慶応2年から明治に飛んで、洋装の草刈正雄と藤真利子、伊藤つかさが踊ってるんだもの。 ……やっぱり本当は2クールやる予定じゃなかったのかなあ。最終回のゲストが峰岸徹って、どう考えても弱いし。
『刑事鬼貫八郎12 まだらの犬』 うわあしまった、この原作短編、読み逃してたぞ。鬼貫警部シリーズはたいてい読んでたのになあ。 12話まで続いているということはやっぱり人気があるんだろうけれど、できれば原作通りに丹那刑事を主役にして、鬼貫警部がバックアップする形にして欲しいよなあ。大地康雄は役者としては好きだけど、鬼貫のイメージとは似ても似つかない。原作者も気に入ってないと明言してるのだから、別の局でもうちょっときちんとしたものをつくってくれないかな。 無理だろうけど、満州舞台にした『ペトロフ事件』から時代設定も戦前にしてね。 チョイ役の小宮孝泰がいい味出してたな。この人がテアトルエコー出身で『宇宙戦艦ヤマト』にも出てたって、『ブンカザツロン』読んで初めて知ったんだが、となるとコント赤信号の中では一番役者の経験積んでるってことか。女グセが悪くなきゃ、もうちょっと売れてたろうにな(^^)。
NHK『陰陽師』第1回。 期待はしてなかったが、塩浦さんからぜひ録画しといてくださいと頼まれてたので、ともかく見る。ホントは『鬼貫』の方を録画したかったんだけど。でも出来はどっちもどっちだ。 原作者は満足してるようなことをどこかに書いてたが、温厚で知られる夢枕さんだから、内心、腹立ててても本音は漏らすまい。小説の原作者としては、もう少し怒ったってよかったのではないか。 つまり作りが岡野玲子のマンガ版に相当引きずられているのである。特に杉本哲太の博雅は原作よりマンガ版をベースにしたとおぼしい。マンガ版はデフォルメされた丸い目のせいでちょっとオッチョコチョイの面が強調されてるが、原作の博雅はあくまで「漢(おとこ)」なのである。杉本の博雅もただのマヌケにしか見えない。 稲垣は稲垣だ。マジメな人なだけに、この人、実は役者としては華がない。一生懸命やればやるほど、小ぢんまりとしちゃって、ミスキャストにしかならないという悲しい運命の人なのである。それをあろうことか晴明役を振るとはねえ。NHKも酷なことをするもんだ。 全何回かな? 5、6回のミニシリーズにしとけばいいと思うけどな。
「エンピツ」のトラブルのせいで、日記の書きこみが不可能になる。それどころか、昨日書いた日記まで消えている。 怒りの雄たけびは昨日のリテイク日記をどうぞご覧あれ。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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