無責任賛歌
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| 2001年01月17日(水) |
雪が溶けて川になって流れていきます/『これから』(夏目房之介)ほか |
タイトルの雪ネタはこれで終わり。
読書補遺。 マンガ、安田弘之『ショムニ』(文庫)全3巻、実は江角マキコ主演のテレビ番組の方は殆ど見ていない。高橋由美子の「未来が見えます!」とか言ってたか、キレた演技は記憶のスミに残ってるが。 こういう組織の中の「ハミダシ者」ネタは映画『独立愚連隊』から『パトレイバー』に至るまで、エンタテインメントのツボを抑えた設定なので、ある程度は必ず面白くなる。 問題はその組織に集うキャラクターをどこまで個性的にできるかということだ。が、3巻Part2に至って、その方向への展開を作者は放棄してしまったようだ。それはそれで定型に収まりたくない作者の自由だから構わんのだが、定型の中でどこまで楽しませてくれるか期待していた向きにはこの完結のし方は不満だろう。 でもカナさんはやっぱりいいな。「眼で魅いて、胸でつかんで尻にしく、身の程知らずの虫はおあづけ」女はこうでなくちゃな。テレビじゃ櫻井淳子が演じてたって?(・・;) マンガ、高橋留美子『うる星やつら・おみくじこわい』、単行本持ってるけど作者のインタビューが載ってるので買い直し。しかし高橋さんも老けた。私より年上だから当たり前だけど。 世間がガンダムだナウシカだと言ってた頃、一番ハマってたのが『うる星』だった、というのはやっぱり、私が根っからギャグ者だったってことなんだろうな。
山を越えたらまだ雪が残っている。ある程度積もっていればそれなりの風情もあるが、地面のデコボコや植木のスキマにかろうじて残っている白茶けた氷の固まりは既にただのゴミである。職場の若い衆が庭を掃いている様子を見ていると、何となく寂寥感を覚える。 みんなから昨日はどうやって職場に来たのかと聞かれるので、「歩いてきた」と答えると驚かれる。でも車も通れず自転車も滑って転倒しかねんとなれば、歩く以外に方法はないがな。もっとも歩いていても何度か滑ってコケかけたが。
なんだか今日はやたらと若い子から変な質問を受ける。 「(自分が)汚い人間だって自覚ありますか?」 どういう脈絡だったかは忘れたが、世間話の中でこんな風に聞かれた。身もフタもねえ質問してきやがると思いつつもさらりと「あるよ」と言うとまた驚かれる。 「俺がこの仕事ついてるのは合法的に詐欺ができるからだよ」と言うと笑われちまった。まあ、私の仕事を知っていれば、納得して首肯される方もあろう。もともとこの世の職業の殆どが法律下で保護された詐欺みたいなもんだと思うが。 「ウチに遊びに行っていいですか?」と聞かれたので「いいよ」と言うとまたまた驚かれる。だからなんでそういちいち驚く? 遊びに来るというよりは女房を見てみたいらしい。こないだいいトシしてトラの帽子被ってることも話ししたりしたからなあ。動物園の動物を見てみたい感覚なのであろう。
職場でまた変な噂が流れた。私が女性二人をはべらして博多駅で豪遊していたと言うのである。ハンナ・バーベラのケンケンのトレーナーを着ていたというから、私に間違いないのだが(^_^;)、「女性二人をはべらして」って誰と誰だ。そんないい目にあった覚えはないぞ。大体「ケンケン」着て女誘うやつがいるのか。……オタクにはいるか。 多分、こないだ『独立』を見に行ったとき女房とよしひと嬢が一緒だったからその様子を誰かに見られたんだろうが、既に大分噂に「尾鰭」がついている。そのうち背鰭に胸鰭、コバンザメまでついてくることであろう。次にどんな噂になってるか、楽しみだ(^o^)。
ビートたけし『初級人間学講座� 〇�事問題講義 偽善の爆発』、仕事の合間に読む。ビートたけしのこの手の「時事放談」は居酒屋のおっちゃんのクダマキをそのまま文章化したようなものだから、ギャグとしてはレベルが低い(レベルが高いと弾圧受けるからね)が、それをとやかく言っても仕方がない。むしろたけしの「処世術」に感心してしまう。 以前、たけしの発言について「女性差別的」と女性団体が抗議したことがあったが、特にたけしが謝罪するわけでもなく、ウヤムヤに終わってしまった。たけしの毒抜きされた「軽さ」が、たかがギャグの一つや二つに目くじら立てんでも、という雰囲気を世間に作りだし、団体もそれ以上責任を追求できなくなったのだろう。 「日本は軍隊を持て」という発言も時代の変化もあろうが、今や咎められもしない。昔、横山やすしが同じこと言ったときには散々マスコミが叩いたくせに。 でも軍隊持ったって、人間が使いものにならなきゃ話にならんけどな。
夏目房之介『これから 五○代の居場所』読む。 夏目さんより10歳以上若い私が「じじいになること」について語るのもおこがましいが、夏目さんといい、ビートたけしさん(この人にさん付けは似合わんが並べた片方に付けんのも変だ)といい、東京人というのはどうしてこうも「偏屈じじい」になることを憧れとするのであろうか。ボケ老人になって周囲をハラハラさせたい、という願望すらある。 私なんぞはまだまだ修業が足りないので、ボケてヘンなことを言ったり行動を取ったりするのが怖かったりする。今だって職場で居眠りして起き抜けに「あちゃらかぱー」とか言い出さないか心配してるのに。
帰宅すると女房は寝ている。せっかくコンビニに寄っておでんを買って来てやったというのに。 最近のセブンイレブンのおでんは具が豊富になっていてお気に入りである。以前はスジさえ買って置けば女房は際限なく食っていたが、ハンバーグや牛肉まであるのだ。肉一筋の女房には堪るまい。 女房、匂いで起きてくるかと思ったが布団にくるまったままである。ただ「メシ食うか?」の問いかけにだけは反応して「食う、食う」と寝言を言っている。四六時中モノ食ってるやつだが、やはり寝てても食ってる夢を見ているのであろう。
先週から始まったテレビQのアニメ、『パワーパフガールズ』が面白い。 OPから、マザーグース「女の子ってなんでできてる?」のパロディだが、確かに今時の女の子はいろんなものでできてそうである。 今回のエピソードは、「アメーバーブラザーズ」というチンケな悪党三人組がデカイ悪さをして正義の味方、パワーパフガールズに相手をしてもらおうと悪戦苦闘する話。でもやることといったら、道路にゴミを落としたり、公園の芝生に入ったりするだけ。 こういう悪さをしようとしてもできない悪党、というギャグは伝統的なもので、米映画にも『三悪人』『三人の名付親』『俺たちは天使じゃない』などたくさんある。黒澤明の『隠し砦の三悪人』もその系列に入ろうし、『網走番外地』にも、ム所の連中がチンケな悪事ばかり披露して、最後に嵐寛寿郎が「へいちょっとコロシを」といって、小悪党どもがビビる、というギャグがあった。マンガでは鳥山明が「どうだハナクソ付けてやったぜい!」とかやってたギャグが一番近いか。さてはスタッフ、鳥山アニメを見てるな? アメーバだから単細胞、という意味も掛けてるんだろうな。こういう「ルーティーンギャグ」は決して手抜きではなく、基本のなぞりなのである。これは子供向け無害アニメに見せかけつつ、コメディマニア垂涎のギャグ満載アニメであった。こんなんが民放で見られるたあ、いい時代になったもんだ。 あ、これアチラ製のアニメなんだが、ナレーションの小堺一機、明らかに『トムとジェリー』の谷幹一のセンを狙っている。いやあ、気が入ってるなあ。
『ワンピース』、オリジナルエピソード。設定的には相当無理があるが、原作も既に無理のある設定になっているので、原作を貶めているとは言い難い。まあ矢島さんが声アテてるし続けて見ようっと。
岡田斗司夫さんの「新オタク日記」が最近ハイペースで更新されている。立教大学での講義が学生に大ウケのようでメデタイ。 「創造性は必ずしも人を幸せにしない」「ものを作る動機は『不安』である」なんて、誰でも考えてるもんだと思ってたがなあ。今時の学生はそんなことも考えずに生きて来たのかと思うと、そっちの方が不安だな。 大体大した人生経験もない教師や親から「個性がない」と言われた程度で劣等感に苛まれているというのが情けない。だから「個性がない」と言われるのだ、ってこれじゃ堂々巡りだな。 でも岡田さんから見て若い人たちがみんな既成概念の範疇内でしか行動できないようにしか見えないのは仕方ないのではなかろうか。大抵の人間は変化とか進歩を嫌い、単調で平凡な日常と安定を求めるものだからである。 第一、大人が本気で個性ある人間を求めてたことが今までに一度でもあったか。そう言って若者をおだてておいて、出て来た杭は打つ、それが大人のやり口ではなかったか(某CMみたいね)。 だから私は社会的には常に平凡を目指しているのである。でないとウラで好きなことできないものな。
夜になって、女房起きてきて、AIQで知り合ったロデムさんに電話、公演時の照明の手伝いを依頼する。どうやら快諾していただけたようでありがたい。そのあと福岡シンフォニック合唱団のUさんにも同様の依頼電話、こちらも快諾。どうやら男手は足りてきたようである。 Uさんに『独立少年合唱団』の話をしたら興味を示されたよう。忙しいので見に行けるかどうかは分らないということだったが、マジメを絵に描いたようなUさんがアレを見てどんな反応を示すかと思うとちょっとワクワクしてしまう。いけないオトナだなあ。
深夜まで、三谷幸喜とビリー・ワイルダーの対談が放送されるので起きていたが睡魔には勝てず、ビデオをし掛けて寝る。でもそうするとなかなか見ないんだよな。こうしてまた一本テープがたまっていくのだ。
はい、これで今日は打ち止め。
| 2001年01月16日(火) |
雪の白樺並木、夕日が映える/『風の歌うたい』(吉田秋生) |
積雪30�僉∋各擦倭瓦禿犒襦■複辧▲丱垢箸發防堋漫△気△匹Δ靴茲Α⊃�場に行く手段がないぞ♪っと。 と言っても今日はサボるにサボれぬ仕事があるし(いや、仕事はいつでもサボっちゃダメだってば)、とりあえずタクシーには乗ったものの、道路は大渋滞、どうにも身動きできやせぬ。 仕方なく、タクシーを降り、歩いて行く。どうせ上司も、雪だし遅刻はしゃあないな、と腹を括っていることであろう。そう開き直って山道を行くと、状況が客観的に見えて実に面白い。 大体、昨日の今日だと言うのに自動車乗りは馬鹿ばかりである。タイヤにチェーンも巻かず、ツンツルテンのタイヤで山道を登ろうとし、溝に落ちるわ他の車に追突するわ、坂道を何台もの車が前進しながらずり落ちて行く様子などただのギャグである。中にはチェーンをつけたはいいものの、不慣れなため却ってタイヤに絡まって身動きできなくなってるやつもいる。 タクシーの運ちゃんは「雪が降ることって少ないからチェーンなんかみんな持ってないですよ」と言い訳していたが、だから馬鹿なのである。昨年の17年ぶりという大雪を忘れたのかね。結局、喉元過ぎればなんとやらで、ダサいチェーンなんぞ巻きたくないと考えてケチったツケが来ているだけなのだ。 で、みんな困ってるのに決して助け合おうとしないのな。滑って先に進めないのに、車を降りて後ろから押してやろうともしない。お互いに相手の方が阿呆だと思ってるから優しい気持ちも起こらんのだろう。もちろん、私も見捨ててさっさと通り過ぎる。世間ってホントにスバラシイ。 結局、職場には二時間遅刻。モチロンお咎めなし。散歩もできたし、そう悪い日でもなかったかな。
帰りも山道で苦労したくないので、早退。山を越えると福岡市内はもう雪が溶けかかっている。昨日作った玄関前のミニ雪だるまももう見えない。儚いなあ。 せめて三日雪が続けば、世間の自動車人も観念して自分の足に頼ろうって気になるかもしれないのに。そうすりゃ少しは空気もきれいになるだろうよ。
マンガ、吉田秋生『風の歌うたい』、コンビニで売ってる雑誌形式の例のシリーズの一冊。しまった、文庫で持ってた『きつねのよめいり』と中身同じだった。 吉田秋生は大友克洋の絵の影響を受けて線が均質化する以前の、昭和55年ごろが一番好きだった。だから『バナナフィッシュ』も『ヤシャ』も私は今イチはまれないのである。
| 2001年01月15日(月) |
雪は降る、貴女は来ない/『ウルトラマン対仮面ライダー』(池田憲章・高橋信之) |
うひゃひゃ、雪だ雪だ雪だ。 日本海側は全国的に概ね雪、福岡市内では5�僉∋慨嵒瑤任�10�僂寮兩磴世修Δ福A襪粒阿�ら表を見ると、いつも渋滞の道路が閑散としている。スリップ事故が多発しているのはお気の毒としか言いようがないが、自動車に頼りきっている現代人が、少しは自分の無力さに気づく機会にはなるだろう。 てなこと言って余裕かましてる場合ではないのだ。私の職場は山の向こうの更に向こうの山の中にあるので、この雪では自転車で行くのは不可能。慌ててタクシー会社に電話するが、どこも話し中で繋がらない。外に出てようやくタクシーを拾うが、当然スピードは出せずノロノロ運転。職場に着いたのが始業時刻から15分後、堂々たる遅刻だ。 でも私以上に遅刻してる同僚がいてホッとひと息。「この雪じゃ仕方ないです」とお咎めもなし。チッ、こんなことならもっとゆっくり来てもよかったぜ……ってぐーたらしてるんじゃねえよ。
仕事の合間に池田憲章・高橋信之編『ウルトラマン対仮面ライダー』読む。編者が「そんじょそこらの研究本とはワケが違う」と自負してるワリには中身はウスい。「ウルトラマンを初めて見たとき、こんなヒーローってあるのか?」と驚いたと言っているが、時代の一証言としての価値はあるとしても、絶対的な価値判断とは言えない。
帰宅すると女房がやたらと「気分が悪い」とうるさい。暖房つけてるのに寒気がしてたまらないそうだが、そりゃあ「下半身裸」でいれば、いくら部屋を暖かくしてたって無意味だろう(-_-;)。隙間風は下から来るしな。 何度注意しても絶対に下を履こうとしないで、いつも腹を壊し、体調を崩しているので、私もいい加減こういう馬鹿には付き合っちゃいられない。無視していると、スネて私に摺り寄り、ウルウル涙目で芝居がかった声で言うのである。 「ああ、あの優しい貴方はどこへ行ったの?」 ……もとからいねーよ。だからパジャマかジャージぐらい履けって。 メンバーの前など、公共の場では、私に対してツンツンして因循姑息、乱暴狼藉の限りを尽くしている女房であるが、家の中だとこんなものである。外面に騙されないように。 当然女房は飯も作ってないので、私一人で買い物をし、うどんを作ってやる。肉も卵もモヤシも入れてやったから栄養はたっぷり。これで私のことを「優しくない」なんてゴタクを並べてやがるのだから、いかにウチの女房がクサンティッペであるかは明白である。
テレビのニュースは、どのチャンネルも鳥取の新生児略取事件の犯人逮捕の報道。ともかく赤ちゃん無事でよかったよかった。 当初から動機は「子供欲しさの犯行」と囁かれてはいたが、更に男がらみとは定番過ぎて拍子抜けである。しかも犯人が超ド○ス。こりゃ、女性週刊誌の格好の餌食だわ(^_^;)。 こういう情動的な犯罪やキレた犯罪はニュースになるが、ミステリーにあるような、計画的かつ知的な犯罪はニュースにならない。理由は簡単で、理知的な犯人はまさしく何の痕跡すら残さぬ完全犯罪を成し遂げているからである。 マスコミも余り馬鹿にばかり関わってんじゃないよ。見逃してる事件、いくらでもあるだろ。
読書補遺。 豊田有恒『日本SFアニメ創世記 虫プロ、そしてTBS漫画ルーム』、山本暎一の『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』と併せて読めば、まさしく昭和30〜40年代のテレビアニメ創世記の喧騒と混乱が見えてくる一冊。星新一・柴野拓美・平井和正・広瀬正・筒井康隆・小松左京・眉村卓・光瀬龍と、綺羅星のごとく登場してくるSF作家たちの名前に圧倒される。自分がつくづく幸せな時代に生まれ育ったのだなあ、という感慨と同時に、物故作家も多いことに思わず吐息。 『鉄腕アトム・イルカ文明の巻』でアニメ史上空前の42%の視聴率を取ったことについて、手塚治虫が「どうして俺の脚本より豊田の脚本の方がヒットしたんだ」とぼやいていた話などはいかにも一番病の手塚さんらしくて可笑しい。『宇宙少年ソラン』盗作騒動や『宇宙戦艦ヤマト』設定変更の紆余曲折など、新たに知った事実も多い。 ……今気づいたが、今度のウチの芝居、豊田さんの『タイムスリップ大戦争』にもインスパイアされてるな。刷り込まれたSFマインドは思わぬところで発現するものである。 『バトル・ロワイアル THE MOVIE 完全攻略ガイドブック』、MOOKとして、なかなか上質の出来。写真やスタッフ資料が豊富なだけでなく、シナリオ(採録台本)も収め、また、識者のコメントも的確。 特に小峯隆生氏が、「バトルで最強な武器は銃ではなく手斧」と指摘しているのに思わず首肯。本来オタクたるもの、この映画が青少年に有害かどうかという話題より、こういうディティールに拘った話題を展開させることの方に意義を見出すべきものなのである。うーん、やっぱり生き残るべきは光子だったんだよなあ。
| 2001年01月14日(日) |
雪の断章/アニメ『ポール・グリモー短編集〜ターニングテーブル〜』 |
今日は外は雪。多分市内では初雪。女房とよしひと嬢は寒い中を練習に出かけたが、私は部屋の中でぬくぬくと過ごす。 午前中は殆どパソコンの前で日記を書いたり、サイトを覗いたり。
DVD『ポール・グリモー短編集〜ターニングテーブル〜』見る。グリモーのアニメに接するのは『王と鳥』が初めてだと思っていたが、この『ターニングテーブル』、以前広島アニメーションフェスティバルで見ていた。多分、グリモーの追悼特集だったのだろう。 初期作品や短編であるせいか、『王と鳥』ほどの先鋭さはないが、グリモーがディズニーとは全く対極の暗いペシミズムに満ちた作品を作りつづけていたことは分る。改作前の『やぶにらみの暴君』も一部が紹介されていて、声を当てているのはアヌーク・エーメ! 本人もまた、つなぎのシーンで幻のごとく登場する。しかも背景には『やぶにらみの暴君』の日本版ポスターが! グリモー監督自身が実写の世界からアニメの世界へと消えていくラストも切ない。そのうちこの作品の感想も広場にUPしよう。
女房とよしひと嬢、帰ってきたのが11時。おい、14時間も経ってるぞ(・・;)。塩浦嬢が参加できるのが3時からだったので、パピオの1階でずっと練習していたのだそうな。二人とも泥のように疲れきっていたがそりゃそうだ。
私「練習はうまくいったのか?」 女房「……よしひと姉さまに聞いて……」 私「藤田君はどうだった?」 よ嬢「……ノーコメントです……」 ……いったい何やったんだ藤田。
二人ともお腹をすかしていたので、スパゲティを作ってあげる。口に合うかどうか自信がなかったが、美味しいと言ってもらえてほっと胸をなでおろす。
BSで映画『十三番目の人格 ISOLA』。劇中劇の『雨月物語』の方が面白い。 CSで『SNL』、アンディ・カウフマンが太鼓のパフォーマンス。タモリ風のハナモゲラで歌う芸はやはり絶品。
読書補遺。 正月からこっち、つい書き忘れていた本についてまとめて書く。
マンガ、西岸良平『三丁目の夕日』、お年玉スペシャルということで、昭和30年代の学習雑誌の付録、双六と福笑いが付いているので買ってしまった(^_^;)。 基本的に同時代に描かれない風俗ものは小説だろうがマンガだろうがノスタルジック過ぎて好きになれない。『るろうに剣心』みたいに時代考証デタラメな猿マンガになるからだ。30年代なんて埃っぽいだけだがな。
『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』6巻、初収録は『絶滅の島』別バージョン。アニメ化されたのはこちらの方だったのか。
小花美穂『パートナー』3巻(完結)、『こどものおもちゃ』一作で終わるかと思ったら、意外としぶとく生き残っているな。でも絵も構図もキャラクター設計もストーリー構成もありきたりで決してうまいとは言えない。『こどちゃ』の初期は結構少女マンガのタブーに挑戦するかのような意気が感じられてよかったのになあ。
佐々木淳子『那由他』1巻、昔、彼女にこのマンガを勧められて、絵も構図もキャラクター設計もストーリー構成もありきたりで決してうまいとは言えない(同じやん)とケチョンケチョンにけなし、別れる原因になったことを思い出した。今見返すと、まあまあ面白いやん、と思うようになったが、昔は若かったので仕方ない(当たり前だ)。すべからく、モテようと思ったら女の子の好きなものを貶さないことである。
藤原カムイ『H2OImage』3巻(完結)、ラストが『エヴァ』だ。って、こっちの方が描かれたのは早いんだが。それにしても巨大な母の胸に抱かれたいというイメージって、そんなに魅力的なのか? 母親というのは安らぎの場所でもあろうが、同時に牢獄でもあると思うんだがな。
衣谷遊『AMON デビルマン黙示録』2巻、なんでアモンが最初っから不動明の性格してるんだ。『デビルマン』の下手な続編やインサイドストーリーはオリジナルを貶めかねないからやめた方がいいんだがなあ。
永井豪『凄ノ王』5、6巻(完結)、少年マガジン連載時より、更に百ページ以上を加筆。でも収拾がつかなくなっただけ。永井豪のファンがスゥッと離れて行ったのがこの作品からだったよなあ。実際、線が固くなり、女の子の絵に魅力がなくなってきたのだ。いま吉川英治の『神州天馬峡』を漫画化してるが、絵の方は見るも無残である。
泉麻人『気になる物件』、まあ要するに『VOW』あたりで取り上げてた変な建造物の解説集だったりする。この手のパイオニアは赤瀬川原平さんで、『超芸術トマソン』は本当に笑わせられたが、泉さんには残念ながら赤瀬川さんほどのフザケた洞察力はないので今イチ面白くない。 福岡の物件も紹介されていて、「大橋の『巨泉』というスナック」……だから面白くないってば。 「路上観察学会」は今どうなってるのかな。
| 2001年01月13日(土) |
正月の半ばに/『天才伝説 横山やすし』(小林信彦) |
特に記念日ではないが、書きたいことがドカンとあるので書く。うざったいと思う方もおろうが、自分とこのHPで遠慮したって仕方がない。うっかり読んで疲れた人は野良犬に噛まれたとでも思って諦めて下さい。
やっと体調も安定。 と言っても夜中に何度も目覚めてしまうのは昨日と変わらないのだが、原因が病気のせいではなく、隣で寝ている女房のイビキやエルボードロップのせいであるので、これはまあ仕方のないことであろう。 おかげで二度寝三度寝をした末、朝4時にはもう眼が冴え冴えとしてしまった。仕方なくパソコンに向かい、昨日の日記などをつけたあと、あちこちのサイトを覗く。 唐沢俊一さんが11日付けの日記で「笑いと差別」について論じている。「笑い」が必然的に差別性を内包していること、「差別はよくない」式のタテマエと「差別ってどうしてもしちゃうよな」というホンネとは実はどちらも人間社会では不可欠なものだということ、大まかに言えば、その二点についてコンパクトにまとめている。 でも実際にはこのホンネ派とタテマエ派との間には、男と女の間以上に、暗くて深い川があるのである。ホンネ派が「差別はなくならない」と言えばタテマエ派が「貴様は差別を容認するのか!」と激昂するし、タテマエ派が「差別はなくせる」と言えばホンネ派が「そりゃ妄想だよ」と揶揄する。両者ともに、どうしても中庸に立てないのだ。 したがって唐沢さんがどんなにその中庸を説いたところで、両者には馬耳東風にしかならないことは解りきっている。特にタテマエ派にとって、「差別撲滅」は自己のアイデンティティと深く関わっている場合が多いので、自説を絶対に曲げようとはしない。それを変にいじくって崩壊させてしまうと、パニックに陥ってしまいかねないのである。 実は私の職場には、このタテマエ派の方々がゴマンといらっしゃるので、どちらかと言うとホンネ派の私は発言には常に注意しておかねばならないのだ。全員を敵に回して言葉で勝つ自信はあるが、あとで逆恨みされて村八分、つまり差別反対派から差別・迫害されまくるのは解りきっているので(^_^;)、できるだけ沈黙を守るようにしている。 卑怯なやつだと思う方もあろうが、バカには勝てんのである。
女房、7時になってようやく起きてくる。寝たのが夕べ10時ごろだから、まるまる9時間寝通し。人の体に青痣こさえといて、いい気なものである。
朝7時、CSで『怪談おとし穴』を録画しながら見る。中身は現代版四谷怪談なのだが、主演が私の大のご贔屓、故・成田三樹夫。後年、TV『探偵物語』で「工藤ちゃ〜ん」の名ゼリフでコミカルな演技もこなしていたが、もともと徹底的に冷徹な悪役が似合う人だったのだ。TV『江戸を斬る 梓右近隠密帳』の由井正雪と映画『伊賀忍法帖』の果心居士の二つが私のフェイバリット・ミキオである。
映画を見ながら友人にメールを書いていると、隣室にいた女房が、突然、「お願い、助けてぇぇぇ」と、気の抜けた声で私を呼ぶ。何事かと思って覗いて見ると、女房はDVDを見ながら、自分のHP用の『花嫁はエイリアン』のデータ作成をしている。映画の中に、過去の名作のシーンがいくつか挿入されているのだが、それらが何か解らず、嘆いていたのだ。 「ねえ、これ何の映画か解る?」 「ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンのキスシーンだな」 「だから何?」 「『カサブランカ』」 「あ、ありがとう! 他のは?」 「……なあ、おい」 「何?」 「エンドクレジット見りゃ、引用された映画全部わかるんじゃないか?」 「……おお!」 まあ、間抜けなやつだと知っちゃあいたが。でも『カサブランカ』くらいは分らないと演劇人としてちと恥ずかしいと思うがな。ちなみにあとの引用作品は『オペラハット』『泥棒成金』他でありました。
女房、あれだけ寝ていながら、「眠い眠い」を連発して練習に出かける。 朝食はカレースパゲティ。自宅で作るスパゲティは、ソフト麺に限る、が持論である。適度な固さに湯がくのが難しい棒麺に比べ、ソフト麺は少しくらい炒めるときに焦がしても、却って香ばしいくらいで、男の手料理には持ってこいだからである。麺は予め少量の焼肉のタレで炒めて下味をつけているので、インスタントのわりには味に深みが出て美味しい。 あとでこの日記を女房が読んだら、「一人で美味いもの食いやがって」と怒るかもしれないが、自分だって外で美味いもの食うこともあるんだろうから、おあいこである。 風呂に入り、昨日買ったばかりの歯ブラシで歯を磨く。毛先が山型、しかも柄が湾曲しているので歯にフィットして使い易い。この「柄を曲げる」ってアイデアだけでも特許を取ってるんだろうな。単純なことだが、最初に思いついたやつはやはりサスガとしか言いようがない。
午前11時、郵便局を回り、博多駅の紀伊國屋へ。目的は夏目房之介『これから』だったが、つい他の本も物色。まあ、いつものことだけど。 つい目が止まって、うっかり買ってしまったのが小林信彦『天才伝説 横山やすし』(文庫)である。ああ、単行本が出たとき、「どうせ文庫になるだろうな、で、マニアックな小林信彦のことだから後日判明したいろんな事柄を加筆したりするんだろうな、今買うと損するぞ」と思いつつ結局買っていたのに。案の定、加筆があり、森卓也の解説まで付いているのだ。こうして私は無駄に金を本屋に落としていく。ううう(T_T)。
買いこんだ本を持って、早速マクドナルドでファンタを飲みながらまずは『天才伝説』を一読。 以前単行本で読んだときにも思ったのだが、小林氏の「自分の見聞したことに基づいてしか書かない」という姿勢は、一見良心的だが、客観性を欠く場合も生じるという欠点を併せ持つ。東京人である小林氏には関西の芸人について書くことはもともと不慣れで、本当は本人もやりたくなかったのではないかと推察する。小林氏の『唐獅子株式会社』が横山やすし主演で映画化された関わりがなかったら、多分、小林氏の書く日本の喜劇史の中に「やすきよ」が登場することすらなかったのではないか。 小林氏はまだしも、一般の東京人は関西芸人について驚くほど知らない。テレビ放送がないから仕方がないのだが、博多に住み、関東関西どちらの番組も平行して見ながら育ってきた私にしてみれば、東京人の無知ぶりは「それで『笑い』について語れるつもりか」と憤りたくなるほどだったのである。関東関西、どちらの笑いが上か、などという不毛な争いをしたくはないが、まずその存在を知らないことには話にならない。 私が大学にいた頃、東京人で、松竹新喜劇、吉本新喜劇の存在を知らなかった人が殆どだった。 漫才についてもそれは然りで、あの80年代の『花王名人劇場』を中心とした狂乱の漫才ブームが、例えば福岡ではそれ以前からのずっと「地続き」のものだと認識されていたのに対して、東京ではほぼ突発的かつ衝撃的に迎えられていたように思う。 別に「やすきよ」は「漫才ブーム」で出て来た人ではないし、確かに「花王」で漫才のトリをよく務めてはいたが、関西漫才師のベスト、と地元の誰もに認められていたわけでもない。東京人がその辺を錯覚するのは、結局、「それ以前」を知らないからだろう。 『天才伝説』の中にこんな笑える一節がある。 1974年、大阪にいた小林氏が知人に誘われる。 「『さ、ハザマ・カンペイを観に行きましょう』 『ハザマ・カンペイって何ですか?』」 小林氏にすれば、正直に自分の経験を語っただけだろうが、「1963年から大阪の芸能を見ている」わりにこの程度の認識だ。 後年、吉本新喜劇が東京に進出し、間寛平の独特のボケぶりもようやく東京で知られるようになったが、彼の旬が20年前に終わっていることは関西以西ではとっくに分っていることだ。東京人は「カンペーちゃん」の残りカスを見て喜んでいるのである。 いや、70年代当時ですら、間寛平は「カカ、カンニンナ、カンニンナ」などの一発芸で受けてはいたが、芸人としての評価は必ずしも高くなかった。吉本で言えば先輩だから当たり前なのだが、岡八郎・花紀京の芸の深みに敵うものはなかった。相方との絶妙の呼吸でこずるい悪党を演じたときの花紀京は、ルーティーンに見せつつ着実に観客の笑いをコントロールしていた。 逆に間寛平はその全盛時ですら、舞台上でつい「素に戻って」笑いの間を外すことも多かった。彼の不幸はそんな場合も客にはウケていたことだ。他の吉本のメンバーに比べ、寛平が東京進出に出遅れたのは、芸ナシの自分をどう売るか模索していたからに他ならない。 『天才伝説』の加筆の中で、小林氏が上岡龍太郎の「やすきよが漫才史の上で過大評価されている」という言を引き、「東京の人間にはなかなか漫才の歴史が掴めない」と書いているのも正直ではある。実際、あの漫才ブームの中で本当に実力があったのは、東京ではセント・ルイスとビートたけしだったろうが、関西では恐らく中田カウス・ボタンとオール阪神・巨人である。 ただ、カウス・ボタンの芸は実にテレビの電波に乗りにくい。ビートたけしの毒舌は「批評」であるが、カウスの芸は詐欺師・犯罪者を体現して見せるので、「こいつ、ほんまやっとるんちゃうか」と一瞬錯覚してしまうのである。「やすきよ」よりやや後輩ということもあったのだろうが、評価の高さに比べ、テレビの露出度は少なかった。 花紀京やカウスの芸を見ている人間にとってはビートたけしの悪党ぶりもそれほどショッキングではない。私がビートたけしに驚嘆したのはその毒舌に対してではなく、相方を無視し間を外しても「狂気」でそれを補い漫才を成立させている点にあったのだ。 『天才伝説』、解説の森卓也氏は名古屋人、小林氏よりは関西芸能に詳しい。まるで小林氏の無知の間隙を埋めるかのようにエピソードを語っていくあたりも面白いが、要はその批評のし方だ。 「全盛期の時、きよしは、もっちゃりした個性を生かし、全速で飛ばすやすしと観客の間をつなぐ役廻りをしていた」 この「もっちゃり」という表現が小林氏にはできない。森氏は、これらのエピソードをいくら紹介しても「全て小林信彦に収斂される」と謙遜しているが、だったら最初から書かねばよいので、これはヨイショである(^_^;)。全く、食えないジイさんであることだ。
エドワード・ゴーリー『ギャシュリークラムのちびっ子たち』読む。 内容は現代版マザー・グース『10人の小さな黒ん坊』と言えばいいだろうか、ただ淡々とアルファベットにのせて子供たちが次々と死んでいく。当然その数26人(^o^)、しかもそれだけでオチはない。いやあ、あっさりしてて小気味いいなあ。ゴーリーの絵本、『うろんな客』『優雅に叱責する自転車』と三冊しか邦訳されてないのがもどかしい。もっと読みたいぞ! でもこの本、置いてあったのがしっかり子供用の絵本コーナー。おいおい、いいのか紀伊國屋。
帰宅して便所掃除すると、もう4時。女房に電話をして5時半に待ち合わせして映画を見ることにする。 それまでにたまっていたビデオを少しは消化してみようと、先週から始まっているNHK教育ドラマ愛の詩シリーズの『幻のペンフレンド2001』第一回を見る。 ビデオテープが残っていないために、往年の少年ドラマシリーズは全て名作であるかのように思われているが、リアルタイムで見ていた私にすれば、本当に名作と言えるのはせいぜい数本である。 大体、ドシロウト同然の新人中高生を使ってドラマ作りしてるのだ。そうそう傑作揃いになるはずはない。特撮のチープさは、当時においてすら何考えてんだNHKと言いたくなるくらいで、例えば合成は必ずと言っていいくらい「ズレ」ていた。 それでも私が欠かさず見ていたのは、かわいい女の子が出ていたからである(おいおい)。まあクラスに一人くらいはいるちょっと美少女ってレベルなんだけどさ、それが却って身近で、思春期の私はドキドキものだったのだ。 今回の谷口紗耶香と加藤夏希の両ヒロインも若かりし頃なら燃えていたであろうかわいらしさである。さあ、果たして全12回録画しきれるか。
聞けば、NHK少年ドラマシリーズ、好事家の間に残されていたものがDVD化されるとか。 第一弾はなんとあの『タイムトラベラー』最終回! 後に原田知世、南野陽子、内田有紀、中川奈奈とヒロインを代えて映像化され続けた筒井康隆『時をかける少女』の初映像化作品である。30代後半から40代にかけての世代にとっては主人公の芳山和子といえば島田淳子(浅野真弓)であり、たとえ『ウルトラマン80』で眼の下にクマ作って現れようが、グラビアでヌードになろうが、永遠のヒロインなのである。 このほかにもこのシリーズは、池上季美子、上原ゆかり、伊豆田依子、斎藤とも子、杉田かおる、紺野美沙子、古手川祐子と、数多くの美少女を輩出してきた。その全てが見られぬとしても、一部だけでもこの21世紀に復活するとは、なんと幸福なことであろうか。
そうこうしているうちに待ち合わせの時間。慌ててバスに乗り込むが、ズボンをうっかりはき忘れてしまい、慌ててタクシーで引き返す。おかげで時間に15分遅れてしまった。理由を話したら女房に「パンツいっちょだったの?」と聞かれる。んなわけあるか。ジャージだよ。
新しくできたお好み焼き屋でヤキソバを食べたあと、シネリーブルで『独立少年合唱団』を見る。ベルリン映画際で新人賞、と聞いていたので、相当感動的な話なのか、と思っていたら、これがヤオイ一歩手前の大怪作。 「ボクがキミでもいいじゃないか。キミはボク、ボクはキミだよ」 ……よかないわい。 予告編の段階で女房は「ヤオイの話だねえ」と言っていて、私は「そんな馬鹿なことがあるか」と一笑に伏していたのだが、まさか女房の直観が当たるとは(-_-;)。さすがのよしひと嬢も「趣味に合わない」と言っていたが、男の私はひたすら気持ちが悪いだけだった。
帰宅して『キカイダー』最終回と『幻のペンフレンド』第二回を見る。 今回のシリーズ、何か物足りないな、と思っていたら、ロボットは出てきても、下っ端の戦闘員が全く登場しなかったのだ。まあ「ダーク、ダーク」と叫びながら迫ってくるのもアニメじゃやりにくかろうが、おかげでダーク基地の巨大感がちっとも出ていないのであった。残念。 『幻ペン』、主人公の兄貴が「レトロ趣味」というのがおじさん世代と若者をつなぐ設定として秀逸。脚本は寺山修司の天井桟敷にいた人だとか。これから結構面白い展開を見せてくれそうで楽しみである。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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