無責任賛歌
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| 2004年09月17日(金) |
爆発120%!/『カミヤドリ』1巻 |
書くだけでムカムカしてくるので、もう簡単に書くけれど、トンガリさんがまた難癖をつけてくる。昨日の会議で決まったこと、やっぱりよく分かってなくて、全然仕事に手を付けようとしてないばかりか、「昨日の会議の内容がよくわかんなかったから、まとめて書類にして出してくれ」と言うのである。出ても出なくても結局一緒かあんたは。 「わかんないわかんないって、そりゃ仕事できないってことじゃないですか!」 「あなたは私を無能呼ばわりするんですか! 大概にしてくださいよ!」 「実際その通りじゃないですか! あなたがここにいたらそれだけで迷惑です!」 「あなたも最近は元気だからそんなこと言うんでしょうけど去年までは病気で仕事もロクにできなかったじゃないですか!」 ……ああ、この人、こないだまで私が入院してたことも知らないのである。もちろん自室に閉じこもって外に出てこないからそれも当然なのだが。 なんかもう、どうしようもない応酬をしたあと私がどうしたかと言うと。 ……資料作ってトンガリさんに渡したのである。だって仕事してもらうことが目的なんであって仕事やめさせようってわけじゃないんだから。 ああ、でもハラワタが煮え繰り返ると言うか、血管ぶち切れると言うか、なんとも腹の虫が収まらない。いやホントにこのヒト自分からやめてくれた方がどれだけの人が胸をなでおろすことだろう。けれど心臓だけは毛が生えてる感じだもんなあやめろったってやめないよなあ。 一連のやりとりを上司に報告したら、「藤原さんには悪いけど、笑っちゃうね。挨拶一つできない、礼儀も知らない、仕事もしてない人からしてないだろうって言われるのは。あの人の代わりに資料作ってあげてるのはどこの誰なんだろうね」と言って慰労されたのだが、心が慰められた気分には全然ならないのである。
いやなことは二つも書きたくはないのだが、帰宅したら父から電話がかかってきた。 いや、電話自体は私の病後を心配してかけてきたのだが、あとの話題がどうにも腹が立つ内容だったのである。 父の幼馴染の友人で、私も子供のころからかわいがってもらっていたある方がいらっしゃるのだが、どうもしげのことを気に入らなく思っているらしい。どこでどういう話を仕入れてきたのか分からないのだが、しげの育ちが悪いだの何だのと父に告げて、「なんで別れさせないのか」とか談判したと言うのだ。 思わず電話口で「はあ?」と言ってしまったが、父の親友と言っても私とは赤の他人である。何の義理があってそんな余計な口を叩くのかワケが分らない。しげとその人とは顔を合わせたことだってそう多くはない。まだしもしげの家事ほったらかしぶりをよく知ってる劇団の連中から言われるほうがリクツは通るというものだ。 しかも我々夫婦を別れさせたい理由が「しげの育ちが悪いから」とはいったい何なのだ。ついそばにいたしげに「お前、育ちが悪かったのか?」と聞いてしまった(^_^;)。しげは笑って「よくはないぞ」と威張っていた(威張るなよ)。 そもそも「育ちがいいか悪いか」なんてこと、客観的な線引きができるものでもない。「あんたは育ちがいいかね?」と聞かれて「いいよ」と答える人間は大馬鹿だろう。結局は「自分の方が格上である」という差別意識があるからこんな発言が平気で出るのである。時代錯誤も甚だしい。 「でもどうしてわかったの?」としげは自分が蔑まれたことよりもそちらの方を不思議がっていたが、確かにそれが謎である。単に当てずっぽうでそんな中傷をしてるだけのような気もするが。 当然父も怒ってその方とはかなりな口喧嘩になったそうなのだが、父はこれまでにもその方とは何度となくこの手の話題で口論を繰り返してきているのである。今後、その人の性格が改まることはまずあるまい。 世の中には親切ごかしでこんなことを言う人がたまにいる。自分では「この人のために何かしてあげなければならない」「この人に意見ができるのは自分だけだ」と思いこんでいるのだろうが、そんなのはただの思いあがりで、実際は「そういう『親切な自分』を演じる」のが好きなだけなのである。自意識の塊のようなこういう人種にからまれると、全く鬱陶しくて仕方がないのだが、こういう手合いは天災のように忘れたころにやって来るので、関わり合いにならないでいることはなかなか難しい。私的な付き合いなら縁を切るだけですむのだが、仕事上でこんなのに関わった日には逃げることも叶わないからもう胃に穴が空くのも仕方がないのである。 さらに悲しいのは、たまに私がそういう連中と同一視されることがあることである。私の言動を見たり、この日記の文などを読んでいれば、そういう「余計なお世話」の類が大嫌いだということが分かりそうなものなのだが。読解力がないというか、人を見る力に著しく欠けているというか、何か意見を言われただけで「干渉」だとか「強制」だとかヒステリックにがなりたてるのがそういった連中のパターンなのだが、これもそもそも自分自身が他人に意見を押しつけたいタイプだから、他人の意見が全て「干渉」にしか見えないのである。まず自分の姿を鏡で見ろってば(-_-;)。 全く、世の中は自意識過剰と被害妄想の二種類の人間しかいないのだろうか。タメイキ。 父は「どこでそんなウワサ聞きつけたか問い詰めてみようと思う」と言っていたが、「余計なことはしなくていいよ」と言っておく。ウワサが本人のところに届いている時点で、そのウワサはかなり広範囲に広まっていると判断して間違いはない。そんなもんのルーツをいちいち探るだけ労力のムダだし、知ったところで何がどうなるものでもない。人を蔑みたいやつは相手がどういう人間かということより蔑む行為自体を楽しみたいのである。具体的に商売上の不利益を被るとか、そういう被害がない限りは、ほっといたらいいのである。 もっとも、そのお節介な父のお友達にはかなり本気で腹が立っているので、父はいざ知らず、私の方では今後お付き合いをすることはなかろうと思う。昔の恩義(といってもたいしたこっちゃない)と今の不快感を天秤にかけたら、やっぱ今の不快感の方が大きいのである。
夕食は昨晩と同じで親子丼。しげは当然ドンブリめし山盛りを米ひと粒残さずに食い尽くす。4日分くらい買いこんでいた材料が二日で尽きてしまった。恐るべしビッグ・ストマック。明日のおかず、何もなくなったぞ。 テレビで『ザ・ジャッジ 2時間スペシャル』を見る。 叶姉妹のネタのところで「いくら姉妹でも許せないことがある」とかいうセリフがあったが、それ見て「おいおい、あんたら『叶姉妹』ってユニットで、ホントの姉妹じゃないだろう」と突っ込んだ人、多かったろうなあ。 森光子が80歳にして白髪が全くないというのはちょっと信じられない話だが、あの舞台での活躍ぶりを見ていると、それもなんだか納得できてしまうのである。
読んだマンガ、三部けい『カミヤドリ』1巻。 感染症により怪物化した人間をハントするってのは基本的にゾンビものの変形であまり新味は感じられないけれど、絵柄とヴィヴィのキャラクターはなかなか好み。やっぱハードな設定の中でコミュニケーション不全の少女が人間らしい心を取り戻して……というパターンが好きなのだな。ただ、ヴィヴィはともかく、他のキャラまで表情の付け方が固いのは絵としてはやや読みにくい印象を受けた。
早いとこ単行本になってくれないかと毎号楽しみにしている『言語』の斎藤美奈子さんのエッセイ、『斎藤美奈子のピンポンダッシュ』であるが、10月号の第22回、『信長か秀吉か家康か』と題して、小学校6年生の「社会」の授業の内容が紹介されている。 それによると、いわゆる「ゆとり教育」の一環として、「もしなれるなら信長、秀吉、家康の誰になりたいですか」という問題があるという。斎藤さんの知人の息子さんは、その三人の誰にもなりたくなくて困ったとか(^o^)。 ほかにも「なぜ頼朝は弟である義経を追いつめて殺したのか」「タイムマシンに乗って杉田玄白にインタビューするとしたら」とかいう問題もあって、かつての知育偏重を反省し、歴史をただ知識として覚えるのではなく、その「人間性」にまで迫ろう、というのが主旨であるようだ。斎藤さんはそれを「だれそれの気持ちになって考えるのがそんなに大切?」「『人間性』を主軸にしたら、必然的に『気性』を云々しなければならなくなる」と言って疑義を提しているのである。 でもこの「三人のうち誰に」っての、私も小学校のころに先生から聞かれたことがあるな。やっぱり5年か6年のころで、今時の若い人はよく知らないかもしれないが、例の「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス(信長)」「鳴かぬなら鳴かしてみしょうホトトギス(秀吉)」「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス(家康)」の三つの俳句を引いて、「あなたならどのタイプになりたいですか?」という質問をされたのである。 小学生も高学年となればチエも付いてくるし、先生が「どんな答えをほしがっているか」くらいは見当がつく。間違っても「信長」と答える子はいなくて、たいていは秀吉か家康タイプに分かれる。内心では「でも好きなのは真田幸村なんだけど」とは決して言わないのである(NHK人形劇『真田十勇士』なんかを見てたらそりゃ秀吉のファンにも家康のファンにもなりようがない)。けどそうやって「教師の気に入るように慮って」答えた解答にどんな「教育的成果」があるんかな、と疑問に思うのは斎藤さん一人ではあるまい(まあ媚の売り方は覚えるだろうがね)。だいたいそんな「俗説」のイメージを歴史の真実であるかのように語るというのは、それこそ「歴史の捏造」ではないのだろうか。それは私も小学生の時分から疑問に思ってはいたのだが、なんだかそのあたりの現代教育、どんどん妙な方向に歪んでいっているように見える。 思うに現代の教育界、「ゆとり」どころか「あせって」いるのだ。犯罪の低年齢化が進むにつれて、学校は何をしているんだ、子供の心をちゃんと見ているのか、などなどと突き上げられる。何か事件が起きてしまえばいったい誰の責任なのか、校長か担任か親なのか、スケープゴート捜しに奔走し、誰かの一瞬の油断が責められババを引かされる。おかげで教育界はノイローゼ寸前、これではトチ狂った先生たちによって「なんだかなあ」と言いたくなるような授業方法が生み出されても仕方がない。ともかく求められるのは「即効性のクスリ」なのだから、副作用まで考慮する余裕はなくなっているのだ。いや、もしかすると即効性すらない気休めを与えられているに過ぎない場合もあるかもしれない。結局、彼ら教師たちは、子供の心に「思いやり」と「優しさ」を取り戻すことができれば犯罪を防止することができるという極めて短絡的でノーテンキな思考しかできなくなっているのである。 別に「世の中が悪い」と言いたいわけではないが、犯罪の低年齢化は社会の必然である。共同体がとうの昔に解体し、高度な情報化社会と化している現代においては、人間もまた一つの情報にすぎず、「ワン・オブ・ゼム」としてしか機能しない。現代では本当に必要な人間など誰一人存在していないのである。にも関わらず、学校では先生対生徒、生徒間においてさえも一人一人が互いに必要としあっているような擬似関係をムリヤリ作らされている。目端の利いた生徒なら、その欺瞞を何年も続けさせられていればいい加減で嫌気がさすのは当然で、中には堪え性なくぶち切れるガキが出てくることもあり得ようというものである。そこに「思いやり」なんてキレイゴトを投げかけるのは火に油を注ぐようなものだ。別にこんなことは私一人が語ってることじゃなくて、これまで何万編も語り尽くされてることなのだが、そういうことが分かっていてもなお「生きる力」云々のキレイゴトを語り続けなければならないところに現代教育の一番の病根があるんだろう。 でもみんなどうして「今の教育はダメだ」とか「おかしい」とか言いながら子供を学校にやるかね。行き先を見失ってるバスと知ってて乗っかる乗客も所詮はバカだと思うけど。「だって他に交通手段がないじゃないか」と言うのなら、そもそも今の教育界を安易に批判する資格はあるまい。 それに、“本当に”学校に通わせること以外に教育方法の選択肢がないのかどうか、世の親がどれだけ考えたというのだろう。いったい今の学校の授業の中で、社会に出たときに真に役に立つ勉強がどれだけあるというのか、子供にキチンと説明している親がいるのだろうか? 小学生の親はただ託児所がわりに子供を学校に追いやり、中高生の親は自分の見栄のために通わせているだけではないのか? そこが生徒間のいじめや暴力、教師の手前勝手な思想の押しつけ、あるいは下らぬ校則での管理など、社会の理不尽な現実のミニチュアであることを知った上で子供を送り込んでいるのだろうか? もし「それこそが社会勉強だ」と主張するのなら、もう私には何も言うことはないけれども。 映画『誰も知らない』で、YOUが演じていた母親が「学校なんか行かなくてもえらくなった人はいっぱいいる」と言い放つシーンがある。アレを見て「なんて無責任な母親なんだ」と憤る人はいるだろうが、実は一昔前の親というものはどこでも同じセリフを吐いていたのである。だって本当に「学校に通わせるだけ時間のムダ」と思っていた親が多かったから。現代だって、「学校以外の選択肢」を選ばせた方がいい子供は本当は何万人、何十万人という単位でいると思う。
レイモンド・ベンスンによるOO7・ジェームズ・ボンドシリーズの最新小説『赤い刺青の男』は、ご存知の方も多かろうが“あの”『OO7は二度死ぬ』の「直接の」続編で、日本を舞台にしている。 このほど映画化とロケ誘致の実現を目指す署名活動が、北海道登別市で始まったそうな(同じく小説に登場する香川県でも既に署名活動を開始)。 けれどもここんとこOO7シリーズの映画は殆ど映画オリジナルとして作られており、原作は存在していない。巷に流れている小説版はあくまでノベライズなのである。 ジョン・ガードナー、ベンスンと、イアン・フレミングの衣鉢を継ぐ形で書かれてきた小説オリジナルシリーズは、これまでただの一本も映画化されたことはなかった。フレミングの原作があったころにはたとえ原作をかなり逸脱した内容であろうと原作のネームバリューは無視できず、タイトルはあくまで原作を踏襲してはいたのだが(第15作『リビング・デイライツ』まで)、映画製作会社であるイオン・プロダクションとしては「別にガードナーやベンスンの小説をムリに映画化しなくても、映画オリジナルの方が、客が集まるし」といった判断でもあるのだろう。スペクター再登場の話などもあって、決してつまらなくはないのだが。 だから、北海道や香川県がいくら署名運動を展開したところで、映画化はかなり難しいと思うのだが、『赤い刺青の男』をお読みの方はご承知の通り、あれにはなんと『二度死ぬ』のタイガー田中が再登場しているのである。タイガーと言えばもうこれは丹波哲郎以外の役者は考えられないので、もしも映画化されるのなら、丹波さんには失礼ながら、時間的な余裕はそんなにないと思うのである(^_^;)。OO7シリーズでボンド以外のゲストキャラが同一同俳優で再登場した例はリチャード・キールのジョーズなど、数えるほどしか例がない。それを考えると、これは確かに映画化してもらえんものかという気はしてくる。 ピアース・ブロスナンのOO7降板は決定して、次作のボンドはどうやら『エバー・アフター』『ミッション・インポッシブル2』のダグレー・スコットになるらしいが、もしも『赤い刺青の男』が映像化されるとすれば、“若返ったボンド”(スコットは来年40歳)と、トシを取ったタイガー(丹波さんは現在82歳)との共演になるわけで、いくら「ボンドはトシを取らない」ことが暗黙の了解だからと言っても、どうしたって「同一人物の再会」と言い張るにはムリがあるのである。やっぱり映画化はムリですかねえ。 豆知識だけれど、丹波さん、『二度死ぬ』の中では「グッモーニン、ミスター・ボンド」と発音もアクセントも実に見事な英語を披露している。丹波さんのプロフィールを覗いてみると「戦後GHQの通訳をしていた」というこりゃまたビックリな経歴も記載されているので、丹波さんの英語はホンモノだ、と思っている人も多いと思うのである。けれどこれ、真っ赤なウソで、ご本人が「全く喋れない」ことを『笑っていいとも』にゲスト出演したときに告白しているのだね。 それで通訳なんかできたんか、とビックリされるだろうけれど、まあ戦後すぐのことだからいくらでも嘘八百がまかり通った時代だったというか、そこにいただけで何も仕事しなくてもしたフリするくらいの演技力は丹波さんにとってはおちゃのこさいさいだったというか(^_^;)。ともかく『二度死ぬ』の英語はあれ、外人さんの吹替えで丹波さんの生声じゃないんである。ちょっと聞いただけだと丹波さんの声に似てるんでウッカリダマされちゃうんだけれども(私も昔は本人の声だと思いこんでました)。
2003年09月17日(水) そう言や久しぶりのカラオケだったな/『雑多なアルファベット』(エドワード・ゴーリー) 2002年09月17日(火) 放生会の掘り出し物/『博多の心』(朝日新聞福岡総局)/『魁!! クロマティ高校』5巻(野中英次) 2001年09月17日(月) 祝日には旗を。私は出さんが/『クラダルマ』1・2巻(柴田昌弘)ほか 2000年09月17日(日) クウガと絶叫としゃぶしゃぶと/『少年探偵虹北恭助の冒険』(はやみねかおる)ほか
| 2004年09月16日(木) |
小田部通麿氏ご逝去/あさりよしとお『まんがサイエンス�宗� |
やりたくないけどやらなきゃなんないトンガリさんを囲んでの会議。 もともと今日は会議の予定はなかったのだが、当初予定していた会議の日と、トンガリさんの出張が重なったので、ほかのメンバーの方々との時間の調整等、四苦八苦してようやく今日の時間が設定できたのである。 でもやっぱりトンガリさん、予定の時間に遅刻してくる。いや、ほかにも遅刻してきた方はいらっしゃるのだが、「みなさんが遅刻されるので私も遅刻していいと思いました」と、こう言い訳する。なんだよ、その言い草。 今回に限ったことではないが、この人はいつも「○○さんがこれこれこうだから私もズルしていいと思いました」と言い訳して自己正当化を図ろうとする。なんか小学生の「だって○○君もイタズラしてたんだもん。ボクだけじゃないもん」と同レベルであるが、もちろん「そんなの言い訳にもなりませんよ」と言っても、「ああ、そうですか」と言ってプイと横を向かれるだけなのだ。 当然、列席のみなさん、ムッとされているのだが、もう「この人には何を言ってもムダ」と諦めきっているので、ただ沈鬱な空気が漂うばかりである。 けれども会議の進行役は私なので、内容によってはトンガリさんにネタを振るしかない場合もある。でまあ、懸案のちょっとおかしなお金の流れについて質問をしたのだが、「そこはこれこれこのように処理をしております」と、平然と言う。処理していないことはこちらの調べでハッキリしているので聞いたのだが、よくもいけしゃあしゃあとウソをつけたものだ。でもこれがウソではなくて自分では本当に仕事をしたように思いこんでいる可能性もあるから始末に悪い。 「処理なんかしてないですよ。こちらでちゃんと調べてますから」 「そんなはずはありません、そちらの勘違いじゃないんですか?」 「現実に未処理のままです。処理をしたのなら、どこにそれが記録されてますか?」 そんなに強い口調で問い詰めはしなかったのだが、トンガリさん、突然席を立つと、無言でバタバタと部屋を出て行ってしまった。残された私たちは呆気に取られた。またヒステリーを起こしてどこぞに雲隠れしたのか? と溜め息をついて、仕方なく残りの議題について話を進めることにした。 ややあって、なぜか涼しい顔で戻ってきたトンガリさん、屈託もなく「ああ、私の勘違いでした。未処理のままでした」と言って、全くナニゴトもなかったかのように椅子に座った。いや、「勘違いしてました」ってそれだけか。「すみませんでした」の一言もなしか。 列席のみなさんも、憮然とした顔で押し黙っているが、この空気の重さにも気がつかんのかアンタは。 「……じゃあ、これから処理していただけるんですね」と声をかけたが、トンガリさん、無言のままである。やる気あるのかないのか。はらわたが煮え繰り返りそうになるが、なんとか抑える。でも抑えると胃に悪いのかなあ。かと言ってここで怒鳴ったってやっぱり胃に悪そうなんだよなあ。だからどうすりゃいいのよ。 会議が終わったあとで上司が「今日のトンガリさんはちゃんと出席したしわりと協力的だったね」とニコニコ笑いながら言っていたが、あっちこっちから圧力かけてムリヤリ出席させただけじゃん。トンガリさんのナカミはまるで変わってないのである。これからだってどうせまたミスをやらかして、それを誰かの責任に転嫁して、自分はのほほんとしてるに決まっているのである。そう予測がつくだけに、今からもう胃がキリキリと……。 ああもう、これ以上は何も書きたくない。
夕食は昨日買ってきた材料で親子丼。 鶏の胸肉、千切りキャベツにエノキ茸、卵は二つ、片方は黄身のみで味を濃くして、つゆは焼肉のタレにマヨネーズを混ぜてお湯割り。これでつゆだくの親子丼のできあがり。3人分作って、しげには二人分をどんぶりに山盛り割り当てたのだが、これをやっぱりペロリと平らげた。で、最後に言ったセリフが「おかわりないと?」 ……ないよ(~_~;)。
帰宅はちょうど6時。WOWOWの『青銅の魔人』放送にギリギリ間に合う。 前編の『怪人二十面相』の方は昔見たことあったんだけど、今回のこの続編は初見。 魔人の中に二十面相が入ってるにしろ(ネタバレだけどこのトリックがわからんやつなんてまずいないから書いたって構うまい)、その能力は殆どロボットだからこれはもうSFっていうしかないんじゃないかね。もちろんこの場合、誉め言葉としては使ってない。何がイヤって、明智小五郎がなにやら分けの分からん液体の瓶を取り出して、魔人に向かって「これをかけると機械の継ぎ目から入ってお前のからだを溶かしてしまうぞ!」とすごむところ。で、実際にかけてるし。明智がそんな芸のない脅しをするかい。……いやまあ、低予算の添えもの映画に文句つけたってしょうがないんだけどね。
マンガ、あさりよしとお『まんがサイエンス�宗戞� もう9巻。連載は10年越えてると思うんだけれど、これだけ続いてネタギレしないというのもまさに世に科学のタネは尽きまじ。と言いながら巻末付録の専門家一覧見ると、ドクター脳とかミスター脳とか似たようなキャラがしょっちゅう出てきてるけど。学年誌連載だからこの程度のダブリは仕方ないか。ウンコの話なんかは「学校でウンコをしよう」運動があってたころの話なのかな? 胃弱になっちゃった身としては実にタメになります。
俳優の小田部通麿氏が、8月29日、再生不良性貧血のために死去していたことが判明。享年77。 「おたべ・みちまろ」と聞いて、はて、どんな俳優さんだったかとパッと思い出せない方もおられるだろうが、特撮オタクにとっては、いや、悪役俳優ファンにとっては忘れようったって忘れられない方である。たとえ名前は知らなくても、そのいかにも悪役然とした目つきに獅子鼻の異相、あれは一度見たら決して忘れられるものではない。出演したドラマは思い出せなくても、あの時代劇この時代劇と、脇役で散々ヤクザとかをされていたから、40代以上の人間なら、小田部さんを見たことがない人はまずいないだろう。写真を見れば、「ああ、この人!」と言ってきっとポンと手を叩くに違いないくらい印象深い方なのである。あのご面相で本職はお寺のご住職だったのだから、まさに鬼神も三舎を避けるといった雰囲気だったのではなかろうか。 私にとって小田部さんと言えば、何と言っても往年の特撮時代劇ドラマ『仮面の忍者赤影』第2部「卍党編」で演じた不知火天馬役が極め付けである。 いきなり「ファイヤー!」と叫んで火炎攻撃、火柱と爆発で赤影を散々苦しめたあのド迫力! 時代劇なのに英語? という文句は『赤影』に関しては付けてはいけないのである。 東映時代劇の役者さんにはこういう豪快な悪役さんが多かったが、小田部さんはその中でも特に郡を抜いた迫力であった(『赤影』には第3部「根来編」にも魔風刑部役で続けて登場)。 『燃えよ剣』では珍しく善人役で最後まで土方歳三に付いていく壬生の伝蔵役を演じておられたが、やはりその本領は悪役にあったと思う。『赤影』の悪役さんはもうかなりの方が物故されてしまっているが、もともと甲賀幻妖斎の天津敏さんを初め、阿波地大輔、汐路章、二見忠男といった諸氏も小田部さんも、みな大部屋出身で脇役専門、日の当たる主役を演じる機会はないに等しかった。それでいて自らの立場を卑下することもなく、かえってその強烈な個性を持って役を全うし、時には主役をも食うほどの存在感を見せておられたのだ。今、若手でそんな役者がどれだけいるというのだろう。寂しい。
2003年09月16日(火) 狂熱の一夜/映画『南の島に雪が降る』/『C級さらりーまん講座 付和雷同編』(山科けいすけ) 2001年09月16日(日) オタクの輪ッ!……古い(^_^;)/『(週)少年アカツカ/おまわりさんを追いかけろ!号』(赤塚不二夫)ほか 2000年09月16日(土) 電波とスケルトンと二人乗りと/アニメ『バットマン マスク・オブ・ファンタズム』
| 2004年09月15日(水) |
みんなゴミの山に踏みこむ覚悟はあるのか/『武装錬金』4巻 |
早朝出勤が続いてるせいで、やや寝不足の毎日。 職場でウトウトすることも少し多くなってきたけれど、これは糖尿の薬のせいもあるようである。何にせよ、居眠りしていたのでは仕事は捗らないので、頑張って目を開けていようとするのだが、そうするとアタマが重くなってきて、仕事にならない。 どうすりゃいいのか、と悩んでいたら、鼻水がズズズと垂れてきた。なんだ、アタマが重かったのはカゼのせいか。 先週からこっち、しげが鼻水をズルズルさせていたので、それが移ったものらしい。病み上がりで体力ないところに持ってきて、風邪まで引いたのではまた寝こんでしまうことになりかねない。定時に退出して、近所の内科に行くことにする。
迎えに来たしげに「おまえの風邪が移ったぞ」と言ったら、「オレもアンタから移されたんやけん。おあいこやん」と言い返される。 「同じ風邪が移るか。オレはお前が風邪になる前は胃痛で入院してたんで、風邪じゃないの!」 私がなぜ入院したのかも、もう忘れているのだ。いったい誰のせいでストレス溜まったと思ってるのか。胃に、胃に、穴まで開いたのだぞ。記憶力のあるないを云々するどころの話じゃない、しげのやろうはひとでなしの糞ったれである。 ふと、気になって、「お前、今日『そして誰もいなくなった』の先行予約の日だけど、頼んでおいたの、忘れてないだろうな?」と聞いてみた。 しげはケロリとした顔でこう言った。 「ネット予約だから今日中にやらなくてもいいんだよ」 ああ、やっぱりしげは大馬鹿だ。 「『ピクニック』からハガキで案内が来たんだから、ネット予約とは関係ないよ! 電話で予約しなきゃならないんだよ!」 モノ忘れだけならまだしも、記憶まで勝手に捏造して頼まれごともサボっていたのだ。チケット取れなかったらどうしてくれる。ああ、また胃痛がぶり返して来そうだ。 診療時間終了間際に滑り込むように診察をしてもらう。熱は7度。これからどうやら熱が上がり始めそうな気配なので、風邪薬のほかに解熱剤も頂く。 具合は悪かったが、食料が尽きかけていたので、「レッドキャベツ」に回る。水のボトルをぶら下げるだけでダルくなるが、水ももうないので、イヤでも汲んで帰らなきゃならない。しげはこの間作ってやった親子丼が美味かったらしく、「親子丼親子丼」と連呼しているが、普通、私の方が具合が悪いってのに、看病する気もなく、メシまで作らせようというのは人として……。 そうなんだよ、ヒトじゃないんだよしげは(T.T)。 料理を作る元気はないので、ほか弁によってハンバーグなどおかずのみを買って帰る。一応、今日がしげの本当の誕生日なのでイチゴのショートケーキをデザートに。
しげ、今度の日曜日にP.P.P.のメンバーで集まってパーティを開くとか言っている。9月生まれの人間が多いので、誕生会だということなのだが、会場を何とウチにするという。 「パーティって、いったい何人来るんだよ」 「うーん、5、6人?」 居間はビデオと本の山でとっちらかったまま、横になって寝る空間すらないというのに、そんな人数が入るわけがないのである。それなのに、しげは少しも片付けようとする気配がない。というかそれ以前に、ウチがそういう状態だということはP.P.P.のみんなも知ってるはずなのに、なんでウチで開くことに賛同したのか。意地悪かイヤガラセか。 私に怒鳴られて、しげは渋々部屋を片付け始めたが、果たして明々後日までにこの腐海と化した部屋が片付くかどうか、どうにも心許ないのである。
昨日に引き続き、『コナン・ドイルの事件簿/死者の声』。 本物のドイルは死ぬまで霊魂の存在を信じていたけど、その辺史実とちょっと変えられてるのは仕方がないところか。 マンガ、和月伸宏『武装錬金』4巻。 敵方の生徒会長コンビ、『るろうに剣心』でもやってた「姉と弟」パターンで新味がない。さらに言えば、『るろうに』のころと比べると、和月さんの線がかなり「固く」「直線的に」なっているので、キャラクターの深みまでなくなってしまっている。普通マンガ家さんは画力も作劇力も上達して行くものだけれど、この人の場合、どんどんヘタになってるのがフシギだ。ギャグもワザとらしくなりすぎて白けるし、自己弁護の解説がまた鬱陶しくてねえ。
熱は収まったが薬のせいか急激な睡魔に襲われる。 ホームページのプロフィールの部分を更新していたら、ふと意識が消えた。こりゃ危ないと思ったので、日記も書かないまま就寝。 いちいちホームページのトップに飛ばなくてもプロフィールが覗けるようになりましたので、おヒマなお客さまはどうぞご笑覧下さい。
NHKが、来年3月末から放送する朝の連続テレビ小説『ファイト』のヒロインに『スウィングガールズ』で一番“萌え”要素が高かっただろうと思われる眼鏡ッ娘(^o^)を演じていた本仮屋ユイカちゃんを抜擢。平成生まれのヒロインはこれが初めてだそうな。 うーん、各キャラクターの描き分けがはっきりしていた「スウィングガールズ」だからこそあの眼鏡ッ娘は目立ってたのだけれど、単体だと地味過ぎやしないかなあ。かわいいことはかわいいんだけど、すごく平均的な顔してて、ポートレイトをしげしげと見ても次見た時には忘れてるんじゃないかって印象なんだけど。もっともアクがない方が朝ドラ好きの奥様方には受けやすいかもしれない。 でもどうせ勤務時間の関係で、私は殆ど見られないんだよ。……ああ、いかん、映画自体はイマイチと思いながら、出演者の女の子たちにはしっかりハマッてしまっているぞ(^_^;)。
2003年09月15日(月) 西手新九郎は「心の遊び」に留めておこうね/『アレクサンドロス 〜世界帝国への夢〜』(安彦良和) 2001年09月15日(土) オタクなばーすでぃ/映画?『スペースカッタ2001』in「山口きらら博」ほか 2000年09月15日(金) ネパールとサウスパークとおだてブタと/『ブタもおだてりゃ木にのぼる』(笹川ひろし)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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