無責任賛歌
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| 2004年07月28日(水) |
会話のナカミがウスくったっていいじゃないの……ねえ。 |
自分がオタクであるかそうじゃないのか、ということをいちいち気にするこたあないと思うのだけれども(そんなもんでアイデンティティーが左右されるなんて考えていること自体、情けないのだが)、ふと日常のハザマで、そういう自分の業と言うか性(さが)と言うか、自らのあり方を問われるような瞬間に出くわすことはあるものだ。 例えば仮に、電車の中で、向かいに座ったいかにもなバカップルが、こんな会話をしていたと、ご想像いただきたい。 「ねエねエ知ってる? 『ドラえもん』のしずかちゃんの名字」 「え〜っ? 知らない〜。アンタ知ってんの〜?」 「知ってるよ〜。常識だよ〜」 「何ナニ、教えてよ〜」 「あのね〜、『ミヤモト』って言うの。宮本武蔵から取ったんだよ」 「わ〜スゴ〜イ、アンタもの知りなんだ〜♪」 ……どうでしょう、あなたがしずかちゃんの“本当の”名字をご存知だとして、あなただったらここで、たとえ向かいにいるのがアカの他人であったとしても、何かヒトコト言ってやりたいという衝動にかられないでしょうか。 ……ちょっと以前にも、こういうことがあった。 劇団の練習中、雑談で手塚治虫の話題が出た時に、今や「歩く無知」が代名詞となっているところの穂稀嬢(ハカセ)が、これなら私も話題に乗れる、とばかりに嬉々としてこう言ったのである。 「私も見てましたよ〜、『ふしぎなメルモ』」 こりゃまた、えらく古いアニメを知ってるものだなあ、そのころハカセ、生まれてたっけ? もしかして再放送で見たのか、あるいはリニューアル版のことだろうかと思って、聞いてみた。 「どんな内容だったか覚えてる? キャンデー嘗めたらオトナになったりコドモになったりするんだけど」 「え〜? そんなんでしたっけ? 私が見てたメルモは女の子と友達になる話でしたけど」 はて、そういうエピソードもあったっけ? と首を傾げていたら、続けて穂稀嬢、こんなことをホザきやがったのだ。 「あれでしょ、メルモって、『トンガリ帽子』をかぶった」。 ……はい、みなさん、ご一緒に。
「それは『トンガリ帽子のメモル』だっ!凸(`△´+)」
まあ、穂稀嬢のような女の子が近くにいる場合にはこういう経験はしょっちゅうするのだけれども、まさか職場で似たような目に合うとは、予想もしていなかったのである。ここからが本題。
今日、昼休みに、同僚の二人がこんな会話をしていたのである。一人は30代半ばの男性Aさんで、もう一人は20代後半の女性Bさん。ちなみにAさんは、以前私に、「六月ってこんなに雨が降ってるのにどうして『水無月』って言うんですか?」と質問してきた人だ。 A「……『ムーミン』好きでしたねえ、アニメ、よく見てましたよ」 B「私、まだ生まれてなくて、アニメの方はよく知らないんですよ。原作は1冊だけ読んでるんですが」 A「原作読んでるだけですごいですよ。私はアニメだけですから。ちなみに好きなキャラクターは何ですか?」 B「やっぱりスナフキンですね。Aさんは?」 A「私はノンノンです」 B「ノンノン?」 A「ノンノン知りません? ムーミンの彼女ですよ」 B「それって、『スノークのおじょうさん』のことですか?」 A「スノークは男ですよ! ノンノンはスノークの妹です」 B「だからそれがスノークのおじょうさんじゃ……」 A「Bさん、ヘンですよ。スナフキンやスノークを知ってて、ノンノン知らないなんて」 B「でもノンノンってキャラクター、原作には出てこなかったような」 A「ノンノンはあれですよ、ムーミンと同じで『カバの妖精』で」
「カバじゃねえ、あれはトロールだ!」と心の声が爆発した。 ここでついに私がガマンできなくなってしまったのも、どうかお察しいただきたい。私はできるだけさりげなく、声にトゲが混じらないように優しく、二人の会話に割りこんだ。
私「『ノンノン』ってのは『スノークのおじょうさん』のことですよ」 B「やっぱりそうなんだ! ……でもどうして名前が違うんですか?」 私「『ムーミントロール』や『スノーク』っていうのは個人の名前じゃなくて、種族の名前なんです。彼らは固有の名前というものを持ってないんですよ。だからムーミンパパに子どもができる前は彼がムーミントロールで、今のムーミントロールに子供ができたら、今度は彼がムーミンパパになって、その子どもがムーミントロールになるんです」 A「じゃあ、『スノークのおじょうさん』と言うのはスノークの娘ですか?」 私「『おじょうさん』というのは『実の娘』という意味じゃなくて、スノーク一族の女の子、くらいの意味です。『スノーク・フローレン』ですね。アニメにする時、名前がないのは日本人の感覚としてはおかしいからと言うんで『ノンノン』という名前を付けたんです」 B「じゃあ、スナフキンというのも種族の名前なんですか?」 私「いえ、あの一族には個人名があるんです。ミムラ、ミイ、スナフキンは兄弟です」 B「あの3人、兄弟だったんだ!」 私「原作の設定ではですね。これ言うとびっくりされること多いんですけど、実はミイのほうがお姉さんです」 B「……逆に見える」 私「それから、『スナフキン』というのは英訳された時の名前で、フィンランド語の原音では『スヌスムムリク』と言います」 A「……そっちの名前じゃ、アニメには向かないですねえ」
後半は完全に知ったかぶりのサロンの馬鹿になり果ててしまったが、Bさんに「スナフキンの本名が分かってよかった!」と喜んでもらえたのでヨシとしよう。もちろん、「ムーミンはカバではない」ことも強調しておいた(~_~;)。 別に、知り合いであろうとなかろうと、間違いを訂正しなきゃならない理由はないのである。仕事上のミスとかじゃなくてただの雑談なんだから、「真実」を追い求めなきゃならないほど切実なことでもなんでもない。 それどころか、こんなお節介ばかりしていると、間違いを指摘されたことで逆に立腹されてしまうことだってある。たとえそれが些細なこと、マンガやアニメの話であったとしても、人によっては「恥をかかされた」と思いこんでしまうこともあるのだ。ヘリクツをこね、ムキになって反駁してこられたり、高慢だの差別的だのと見当違いな誹謗中傷を浴びせられたりすることもある。余計な口出しをしない方が無難だし、リコウな生き方なのである。そんなこたぁ、わかっちゃいるんだ。わかっちゃいるんだけどよう(T∇T)。 オタクかどうか、というよりも、まだまだオトナになれてねえよなあ、オレ、っていうのが今日の感想でありました。マル。
放置するわけにもいかないやな、と覚悟して、仕事帰りに歯医者へ。 以前通ってた歯医者は、知り合いのところではあるんだけれどもヤブで(-_-;)、歯石取り損ねて前歯全部に傷つけてくれたんで見限った。だいたい今度歯が折れたのもその傷が遠因になってるのである。 職場から歩いて3分のところに歯医者があったので、飛びこみでそこに行く。田舎の歯医者で街道からも逸れたところにあるので、客は少ない。そう待たずに診てもらえたが、レントゲンを撮ってもらうと確かにこのまま放置していると黴菌が入りこんで化膿する危険がある、ということである。さっさと剥き出しの神経を取っちまって、上から固めたほうがいいらしいのだが、糖尿なので一日で処置してしまうのはあまりよくないとか。しばらく通って、少しずつ神経を取っていくことにする。
博多駅の紀伊國屋でDVDと本をいくつか購入。 DVDは『鋼の錬金術師』7巻や、『ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL』7巻(完結)など。
今日読んだ本、縄田一男『捕物帳の系譜』。 マンガ、石ノ森章太郎『二級天使』(珈琲文庫)。 鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』1巻(秋田文庫)。
朝DVDを仕掛けておいたあにまる屋のアニメ『フイチンさん』を見る。 『メアリー・ポピンズ』に代表される「お手伝いさん」ものと言うか、あるいは佐々木邦の『苦心の学友』に代表される「学友」もののバリエーションと言うか、昔はよく見かけたけれども、最近のマンガ、アニメではなかなか目にすることが少なくなったジャンルであるが、これがもう何とも言えないくらいに見ていて落ち着くのである。 作画も、原作の線を崩すことなく、また単調な構図に陥ることもなく、「アニメだなあ」と感嘆のタメイキが洩れるくらいに美しい。昭和30年代、40年代のマンガをアニメ化したりリメイクしたりするときには、本当にその時代の精神を「現代にも通用する普遍的なものとして」映像化しようとする姿勢が必要なんじゃなかろうか。今川泰宏版『鉄人28号』にいささかの不満が生じるのは、なにかしら「余計な解釈」が混じってしまっているせいだと思うのである。
『スター・ウォーズ』エピソード3の正式タイトルが『Revenge of the Sith(シスの復讐)』に決定。最近、エピソード6『Return of the Jedi』の邦題が、『ジェダイの復讐』から原題通り『ジェダイの帰還』に改められていたのも、これの伏線だったというわけである。 『スター・ウォーズ』には全くハマらなかった、と、これまで日記に何度も書いてる私であるが、好きなキャラクターがいないわけではない。『帝国の逆襲』でのヨーダなんかも人を食った態度が相当好きではあるのだが、やっぱり銀河皇帝パルパティーン(イアン・マクダーミド)と、ドゥークー伯(クリストファー・リー)の二人なくして、スターウォーズ・サーガはありえない、というのが悪役絶対主義者である私の主張なのである。ダース・ヴェーダーはどうなんだって? だってアイツ、結局日和るから(^o^)。 タイトルから言っても、また、エピソード4への繋ぎという意味を考えても、今度のエピソード6に期待したくなるのは当然なのである。だいたい正義のヒーローなんて、一本調子の馬鹿ばっかりなんだから、権謀術数、知能と謀略の悪役の方に憧れるのは当然なのである。 ……いや、だから自分にないものを求めるから「憧れ」になるんであって、私個人は悪事に手を染めるようなことはナニモしてませんからね、念のため。
映画の話題、もう一つ。 当初、スティーヴン・スピルバーグが監督する予定で製作に入っていたけれども、『シカゴ』のロブ・マーシャル監督にバトンタッチされることになった、フジヤマ・ゲイシャ映画『さゆり』のヒロイン候補に、『グリーン・ディスティニー』『ラッシュアワー2』『HERO』のチャン・ツィイー(章子怡)の名前が挙げられているそうな。 しげがまた嫉妬するとイヤなので、あまり大きな声では言えないが、チャン・ツィイーは、最近の女優さんの中では“かなりの”お気に入りなのである。中国映画、香港映画の女優さんというのは、まあ美人さんは多いのだけれども、どの映画に出ても似たような使い方をされることが多いし、ちょっとトシ食ったらすぐにワキのどーでもいいような役に回ってしまって、あまり長続きしないことが多いので(ジョイ・ウォンが四十にもならないうちに引退するとは思わなかったよ)、ファンになりがいがないのである。 アクションがスタントなしでも結構こなせることがチャン・ツィイーの強みではあるのだが、出る映画、出る映画、ひとクセもふたクセもあるのが小気味よいのである。公開待機中の映画が数本あるが、古典アクションで金城武と共演する『LOVERS 十面埋伏』、カンヌ映画祭で話題を呼んだキムタク主演『2046』、鈴木清順監督久々の新作の『オペレッタ狸御殿』と、殆ど節操がないと言うか、イロモノに果敢に挑戦している印象すらある。そこに『さゆり』が加わるとなると、ヘタすりゃ致命的に評判を落とす危険すらある。こうもあの企画この企画と飛びついているのは、果たして熟慮の結果なのか、それとも逆に何も考えていないのか、それは分からないけれども、こういうデタラメな女優さんこそ応援したくなるのは、オタクの人情というものであろう。ホレ、押井守が佐伯日菜子に入れこんでたのと同じような心境なんですって。……譬えが分かりにくいか。 『オペレッタ狸御殿』でも日本語の歌を歌ってるそうだが、『さゆり』は完全な日本人である。『キル・ビル VOL.1』のルーシー・リューのカタコト日本語みたいになる可能性は頗る大なのだが、「それが楽しい」という映画の鑑賞の仕方だってあるのだ。「映画・ドラマのトンデモカタコト日本語」なんてサイトを誰か作ってたら、きっと大人気になると思うんだがね(私は疲れるので作りません)。なんにせよ、チャン・ツィイーがオーディションに合格しますように。マーシャル監督、よろしく頼みますよ。
1988年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の実行犯の一人で、服役後、今年になって別の監禁事件を起こして再び逮捕された会社員、神作譲被告の初公判が東京地裁で行われた。 これまでの報道では、今年の4月に、被告の知人の男性が、自分が好意を寄せている女性と交際しているのではないかと思い込んで、男性を脅したときに、自分の起こした女子高生殺人事件を持ち出して、「おれは少年の時に10年懲役に行った。女を監禁した」とすごみ、「女を取っただろう」といいがかりをつけて、車のトランクに押し込んで、スナックに約5時間監禁して、暴行を加えた、ということになっている。 公判で被告は起訴事実自体は認めたが、「脅迫のせりふは言っていない」と主張している。 ……いやね、脅迫の言葉を言おうが言うまいが、監禁した事実は事実なんだから、なんでここだけ否定するのかね、そこんとこがなんだかよくわからないんである。この程度の否定で、罪が軽くなるものなのかね? あるいは本当にそんな言葉は吐いてないのかもしれないが、じゃあどうして被害者の男性は被告に前科があることを知ったのか、それもよくわからない。まあ、更に「知人」の誰かがこっそり男性に耳打ちしていたのかもしれないけれどもね。 この事件でまた、「加害者に厳重な刑罰を」という世間の主張は高まると思うが、だからと言って、刑法が改正される見込みはあまりないと思うのである。例えば少年犯罪の増加に伴って、少年法は確実に厳罰主義に傾いていて、改正もされているのだが、結果は犯罪の低年齢化を招いただけだった。これが「人権派」の「厳罰主義は犯罪の抑止力にはならない」という主張の根拠ともなっている。 私に言わせれば、少年法が存在していること自体、ナマヌルイんであって、小学生だろうが幼稚園児であろうが、犯罪者は犯罪者として処断しなきゃ厳罰主義とは言えんだろう、赤ん坊がナイフを振りまわして、誤って人を刺し殺したら過失致死罪に問え、そこまでやらなきゃ本当の意味で犯罪を抑止する効果はない、と思っているのだが、そこまで言うと「何もそこまで」と尻込みして「加害者擁護」に回ってしまう人が多いのである。所詮、このクニの人たちは、自らも悪に徹して悪を処断する勇気も覚悟もありゃしない。トホホだよ。 もちろん、神ならぬ人間に、人間を裁ける権利などない。いや、私は別に神を信じちゃいないが、人間が人間を裁くことがどれだけ傲慢なワザであるかは承知している。しかし我々はあえてその「神の代理」たる傲慢を行わなければならないものなのだ。治安がどうの、という問題を言いたいわけではない。社会は人間が存在しなければ成立しえないが、社会を成立させるためには人間の外に人間を越える「何か」が存在しなければならない、ということなのである(宗教でならそれは「神」になるし、一般的には「法」がそれを代行している)。「憎むな、殺すな、赦しましょう」の月光仮面だって、どくろ仮面を殺しているのだよ(相変わらず譬えが古くてすまないねエ)。 ここは、死刑囚の死刑執行ですらためらわれるクニである。みんなで犯罪者を人権擁護の美名の陰に隠し、ヌクヌクと成長させながら、その事実から眼を背けている国である。これももう何度も書いてることだが、よっぽど残忍で残虐で目を覆いたくなるような犯罪でも起こらない限り、何も変わりゃしないって。
2003年07月28日(月) ついに出ますよ、アレが/『タク坊の毎日』(中川いさみ)/『最良の日、最悪の日 人生は五十一から�◆戞幣�林信彦) 2002年07月28日(日) 台本書いてると仕事してる気になるなあ/『アベノ橋魔法☆商店街』2巻(完結/出口竜正)ほか 2001年07月28日(土) アイ・ラブ・アッシー。……違うって(-_-;)/『スーパーロボットマガジン』第一号ほか
| 2004年07月27日(火) |
だけーどボクにゃ前歯がないよ、虫歯の虫〜に食べられた♪ |
昼間、突然しげからメールがある。ちょうど仕事の合間だったからよかったが、そろそろ『帰ってきたヨッパライ』をCメールの着メロにするのはやめようかと思う。 内容は「今日、早く帰れない?」というもの。いきなりそんなことを言われても困るが、いったいどうしたのか聞き返してみると、「寂しいと」と一言。また持病の鬱が始まったらしい。とは言え、仕事がひと段落するには、もうしばらく時間がかかる。 なんとか都合をつけて早引けすることにして、しげには「3時まで待て」とメールをする。ばたばたと仕事を片付けたのがちょうど3時。追い立てるようにしげから「今着いた」とのメール。駐車場に出てみると、待ち伏せていたようにしげの車が停まっている。 車に乗りこんでも、しげは口を尖らせてモジモジしているばかりなので、「なんかあったのか?」と聞くが、はかばかしい返事をしない。いつものことだが、急にそんな気分になっただけらしい。「こういうのは困るぞ。しょっちゅう休むわけにはいかないし」と言うと、「わかっとう」と言って、涙目になる。これ以上は何か言っても無意味なので、ともかくどこかに食事に行くことにする。 食事をする前に銀行に寄ってくれ、と頼んだら、ダイヤモンドシティまで連れて行かれた。「ここなら銀行も食事もいっぺんに行けるから」というのだが、あちこちうろつき回るだけで神経が疲れてしまうと言うのだから、かなり煮詰まっているのである。
フタバ図書で、コミックスなど数冊を買う。 しげはこないだ月嶋つぐみの『天使的探偵団』を読んで以来、「こいつらの人間関係はどうなってるんだ〜!」と喚いている。実はこの作品には『殺し屋田中一郎』という姉妹編があって、そちらとキャラクターの一部がリンクしているのである。『天使』を読んだだけではその人物相関図がよく分からないので、しげはあちこち本屋を回っては『田中一郎』シリーズを探していたのである。 「そんなにこのマンガ面白かったか?」 「うんにゃ。でもよくわかんないところがあると気になって仕方がないんだよう!」 ……その反応は「鬱」というよりも「躁」なんじゃないのか(~_~;)。 秋田書店のサスペリア・ミステリーを置いてある本屋自体少なくて、途方に暮れていたのだが、さすがフタバ図書、全6巻が見事に揃っていた。まあ、買いはしたけど、こういう買い方って、相当なムダガネ使いである。ケチなしげがそれでもほしがるのだから、やっぱりしげは今、躁状態にあるのである。
ワーナーマイカルの前のフードコートで、食事。買ったばかりの『ガンダムエース』にかかっていたヒモを噛み切ろうとしたら、突然、歯が折れた。前から上顎の糸切り歯が虫歯になってはいたのだが、こんなに簡単に折れるとはなあ。よく見ると歯のウラにポッカリ穴が空いていて真っ黒。オモテからその「黒さ」が透けて見えるほどである。相当放置してたせいだろう、と言われそうだが、前にかかってた歯医者がヤブで、歯石を取ろうとして、歯の根元を削りすぎて折りかけたことがあるのだ。これはそのときの適当な治療が尾を引いているのだろう。 痛みも特になかったのだが、しげの方が慌てふためいて奇声を上げる。 「病院に行きぃ!」 「そうだな、そのうち行くよ」 「明日行きぃよ! 黴菌が入って死ぬよ!」 その危険がないわけではなかろうが、それにしても慌てすぎである。なんでも、しげが学生のころ、本当に虫歯の毒が脳に回って死んだ先生がいたらしい。別に私は歯医者嫌いではないので、通院するに吝かではないのだが、そう煽られるのもかえって行きにくいものである。 映画を見ようかと思ったが、しげが特に見たいというほどのものがない。『マッハ!』も『セカチュー』も『ハリポタ』も、昼間から1800円もかけて見たくはないと言う。仕方がないので帰宅。 帰りに「グッデイ」に寄って、カメの抗菌・消臭リキッドなどを買う。カメが休むのにちょうどいい岩の置物などはないかと探しているのだが、適当なものがない。時間がか買ったので、駐車場で待たされていたしげ、ますます落ちこんでいる。「オレよりカメが好き、オレよりカメが好き」とブツブツ恨めしげに呟いている。恨み節を口にしているうちは、しげの鬱もたいしたことはなかろう。
酔って階段から転落して入院中だった中島らも氏が、26日に死去。享年52。 こないだ事故のことを日記に書いた時に、何となく感じてはいたのだが、こういう時の予感は往々にして当たる。多分、事故のニュースを聞いたらもファンの大半がそう思ったに違いない。こんなことなら、裁判で実刑くらってた方がよかったんじゃないか、というご意見もあろうが、「更生」したらも氏などらも氏ではないのは、以前も日記に書いた通り。そうなるべくしてなったのである。運命にとやかく文句をつけたところで、やるせないばかりである。 らもさんについては、これからいろんな人が語るだろう。わかぎえふさんはもとより、シティボーイズのみなさんも、竹中直人さんも、いとうせいこうさんも、いつかどこかで、何かを語ると思う。けれど多分、その誰一人として、自分がらもさんの本質を本当に語れるとは思わないに違いない。エッセイストだったり作家だったり、ミュージシャンだったり、二十面相さながらの方だったが、ご本人が自分の本当の顔を忘れてしまっていたように思える。 グータロウ君に電話して、「らもさん死んだよ」と告げる。「『ガダラの豚』まだ読んでないんだ」と言うので、「あれはいいぞ」と勧める。直木賞に落ちて推理作家協会賞を受賞した作品だが、あれはSF大賞を取ってしかるべき作品だった。
2003年07月27日(日) 揺れて揺れて揺れて/『のだめカンタービレ』1・2巻/『平成よっぱらい研究所 完全版』(二ノ宮知子)ほか 2002年07月27日(土) イナジュンはいいねえ〜♪/DVD『カタクリ家の幸福』/『雨柳堂夢咄』其ノ九(波津彬子)/『ガンダムエース』9月号ほか 2001年07月27日(金) 『クレしん・オトナ帝国同人誌』完成!掲示板も見てね/『怪』11号ほか
| 2004年07月26日(月) |
何が決まったと言うのよ〜(T∇T) |
内密で上司たちと「トンガリさんをどうするか」会議。こちらもいろいろと資料を用意して、「これこれこれだけ経理に問題があります」と提出する。 いやもう、このままトンガリさんに仕事をしている“フリ”を続けてられても、経理に不透明なところが膨らんでいくばかりなので、ホントにどうにかしないと仕方がないところまで来ているのである。けれど、問題点の問題であるところはみな共通認識を持てたのであるが、じゃあどうしたらいいのかって結論は、「どうにもならない」ということなのであった。……いやまあ、そうなるんじゃないかと思ってたけどね。 例の中傷ハガキのオタクストーカーもそうであるが、明らかに脳に問題があると思われる人間は、どんなに問題があろうとも、かえって辞めさせることができないのである。だってサベツになっちゃうから♪ ……だから、既知外にだって、サベツから守ってやんなきゃならない性質の人もいるし、そうでない人もいると思うのに、なんで一律にいっしょくたにしちゃうのかねえ。 「どうにもならない」ったって、このまま、トンガリさんを放置してくわけにもいかないから、「何とかして会議には出てもらう」ということになったのだが、だからそれができないから困ってるんじゃないのよ。勝手に向こうが逃げるんだってば。 「困ったなあ」「困ったなあ」だけ言ってたって、ものごとは解決しないんである。もう、こんなコンニャク問答を延々と続けるのも限界だ。このまま何も状況が改善されないのであれば、いずれ私に責任がしょわされてしまうことになる。その前にこちらが辞めたほうがまだ傷は浅いというものだ。来年を期に本気で転職を考えることにしようと思うが、そろそろその下準備にかかったほうがよさそうである。
昨日、「ほんだ」で買ったCD、一枚はヘンリー・マンシーニのベスト集(約1000円の安売りCD)。 マンシーニ好き、なんて言った日には、コワモテの映画通からは「ケッ、甘ったるいヤツめ」とかバカにされてしまうのだが、好きな映画のテーマミュージックをことごとくマンシーニが作曲してたんだから、これはどうにも仕方がないのである。先日亡くなったばかりのジェリー・ゴールドスミスも恐ろしいほどの数の映画音楽を作曲してた人だが、こちらの方はフシギと引っかかってこない。『スタートレック』シリーズだって、私の一番好きな『TOS』のテーマソングはゴールドスミスじゃなくてアレクサンダー・カレッジの作曲だしなあ(この人もゴールドスミスのスタッフではあるのだけれども)。 それはさておき、マンシーニが好き、と言ってるわりには、実はサントラで持ってるのは遺作の『トムとジェリーの大冒険』だけだったりする。なぜかと言えば、とてもじゃないが枚数が多すぎて、全部コレクションすることなんて不可能だからだ。いったい何10種類「ベスト版」があるんだか知れたもんじゃないし、しかもそれぞれアレンジが違ってたりするから、集め出したらキリがないのである。 ではなぜ一枚、意を決して買ったかというと、芝居の客入れに流す音楽に、ミステリー・探偵モノのテーマソングを流そうと考えて、だったらそりゃまずマンシーニだろう、と思ったからである。既に本編で『ピンク・パンサーのテーマ』は使う予定になっていて、これに『刑事コロンボ』『暗闇でドッキリ』『ピーター・ガン』『追跡』『風のささやき(『華麗なる賭け』より)』『シャレード』なんかを繋げれば、マンシーニ・ミステリー・ミュージックの出来あがり、というわけである。 ミステリーなら、ヒッチコックでバーナード・ハーマンじゃないのか、とミステリファンからツッコミが入りそうだけれど、だからちょっと「甘さ」もほしいんですよ。それにヒッチコックはミステリーっていうよりサスペンス・スリラーだし。 でも、買ってきたマンシーニ、聞いてみたら悉くサントラとはアレンジが違うのであった。……いや、使えなくはないんだけれども。
こないだキャナルで「ブルース・ブラザース・ショー」を見ていろうちに、「ホンモノ」を見たくなったので、DVDで久しぶりに『ブルース・ブラザース』を見る。 以前、ツインボックスが出た時に『B.B.2000』と合わせて買っていたのだけれども、「トールサイズのDVDもほしいほしいほしい」としげからねだられていて、こないだついに「一枚買ったら一枚タダ」フェアで買ったのである。……ケースの背丈が高くなってるだけで、中身は変わってない(どころか、解説書が付いてないだけ損)のだが、コレクターとにそういうリクツは通らないから(~_~;)。 何度も見返すうちに「鮮度が落ちる」映画がザラな中で、『ブルース・ブラザース』の輝きは全く色褪せていない。それどころか、昔見た時には単にハデだなあ、としか感じていなかった、ショッピングモールをブルース・モービルで破壊しまくるシーン、これがもう、ダンスしたくなるくらいに痛快なのだ。……25年前には福岡には、いや、日本全国にだってあんな郊外型の四角四面なショッピングモールなんてなかったからねえ。それが「どういうものか」ということはピンと来なかったんだが、今や福岡にはトリアス久山やダイヤモンドシティがある。トイざラスだってあちこちにあるのだ。……ありゃあ、思いっきり破壊したくなるよなあ(^o^)。 簡単に言っちゃえば、ショッピング・モールなんてしろものは、ブルース・ブラザースみたいな人間が歩いて似合う街ではないのだ。いや、そもそもあれが「街」の顔をして見せていること自体、なんだか高慢ちきである。田舎親爺の成金が燕尾服着てるけど、腹が出てピチピチしてるようなダサさっつーかね。ありゃあ、徹底的に破壊してやって正解。それこそ「ブルース」の魂ってもんだろう。
カメの水が濁ってきたので、「レッド・キャベツ」まで出かけて行って水を汲む。水換えの回転が速くなったので、ボトルをもう一本買うが、またしげは「なんでそこまでカメのために」とブツブツ文句を言う。そこまでしなきゃ、生き物を飼うってことにならないんだよ( ̄△ ̄#)。 積文館で『手塚治虫マガジン』などいくつか本を買って帰宅。 ……永井豪の『魔神王ガロン』、手塚キャラを使って『バイオレンス・ジャック』をやろうとしてるみたいだけど、結局、敵はロックって発想がなんともねえ(-_-;)。
今年3月、群馬県高崎市で小学校1年生の浜名愛ちゃんが殺害された事件の第2回公判が23日に行われた。犯人の野木巨之被告は前回公判で起訴事実を認めていたのだが、今回は殺害に至るまでの詳しい経緯を証言している。 この野木被告、27歳になるのだけれど、その経歴や趣味を聞くと、全く痛いオタクの典型みたいなやつである。高校時代の成績はトップクラスで、大学進学も望めたのにマンガ家を目指して上京、代アニに入学したが、卒業後は結局マンガ家を断念、故郷に戻って自動車部品製造工場に勤務した。本人にしてみれば「転落人生」といったところだろう。成人女性とうまく付き合えなくって、結局はダンボール箱25箱分もの少女DVDやビデオ、約80冊のロリコン雑誌やフィギュアがお友達であった。それだけでガマンしていればいいものを、愛ちゃんにイタズラしようとして騒がれ、犯行に及んでしまったのである。……いやねえ、なんでまたこんな事件取り上げるかってねえ、一見温和に見えるそいつの顔がねえ、知り合いのやっぱりデブいオタクによく似てるんだわ。いや、顔だけじゃなくて、言い訳がましいところもそっくりで(見てるか? Sくん。キミのことだよ)。 なんたって、公判で弁護士に水を向けられて、好きなアニメ作家やマンガについてペラペラ語りまくったというんだから、罪の意識、カケラもねーなー、という感じなのである。一応、事件について聞かれた時には涙を流して反省の弁を述べたそうであるが、ホンネは今人気のアニメが見られない悔しさから泣いてたんじゃないのか。 被告の母親も証言台に立って、なんとか情状酌量を勝ち取ろうと必死の弁明。しかし、「たった一人の大切な息子を見捨てることはできない」とはなかなかの言い草である。今まで見捨てていたからこそ、息子がこういう犯行に及んだんだって自覚はあるんだろうか。……いや、私も傷害事件の情状証人として証言台に立った経験はあるから、たとえどんなに被告に罪があろうと、弁護側に立った以上は、被告を徹底して庇わなければならない、というのは分かる。情状証人に客観的理性があってはならないのだ。 けれど、それにも「限度」ってものがあるんであってね、そもそも被告を更生させるだけの価値が本当にあるのかどうかっていう点については、どうなんだろう。母親が被告を責めない理由を裁判長に問われて、「私がそれをしたら本当に寂しい子供になってしまう」と答えてる時点で、こいつが救う価値のないクソ野郎だということを逆証明してしまっているとは思えないだろうか?(私が弁護した人物には、何十人もの情状酌量の嘆願があった。本当に気の迷いで犯行に及んでしまっただけなのである) なんだか、こいつが本当にその知り合いのSにダブってきて仕方がないのだが、自己中心的で協調性はまるでないし、高慢で反省するこた知らないし(反省するオタクなんて殆ど知らないが)、ホントにいつか犯罪者になっちまうんじゃないかと心配なのである。……仮にこいつの弁護を頼まれても、まっぴらごめんなので、頼むからアブナイことはしないでいてほしいんだけど、現状を見る限りはムリかもなあ(-_-;)。 翻って、仮に私が事件を起こしてしまったら(あくまで仮定ですよ。私ゃ犯罪に手を染める気は毛頭ありませんからね)、誰か熱心に弁護してくれる人はいるだろうか。なんか真っ先にしげが裏切って「いつか絶対やると思ってました」とか証言しそうな気がするんだけれど、これが妄想であってくれればいいなあ(+_;)。
2003年07月26日(土) オタクな本屋にクラシックは似合わない/『TNくんの伝記』(なだいなだ)/映画『デブラ・ウィンガーを探して』ほか 2002年07月26日(金) 親しき仲ほど礼儀なし/『風の帰る場所』(宮崎駿)/『うっちゃれ五所瓦』1・2巻(なかいま強)ほか 2001年07月26日(木) 全ての知識はマンガから/ドラマ『美少女仮面ポワトリン』第一話ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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