無責任賛歌
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| 2004年05月02日(日) |
東京の夜は更けて(3)/『スター・ウォーズ』展とシティボーイズ |
もうちゃっちゃと短く書かないと、とても日記がおっつかないので、物足りない方もおられましょうが、急いで書きます。 朝はグータロウくんに案内されて、国立科学博物館まで『スター・ウォーズ サイエンスアンドアート』展を見に行く。ジャバ・ザ・ハットの原型が明らかに『フラッシュ・ゴードン』のミン皇帝風なのを見て、宮崎駿が「『スター・ウォーズ』は白人至上主義がチラついてて嫌いだ」と言っていたのを思い出す。それは確かにその通りだし、私も『スター・ウォーズ』シリーズをそれほど面白くない、と感じていることは事実なのだけれども、民族間の差別意識というものは簡単に乗り越えられるようなものではないし、そこを糾弾してばかりいてもお互い意固地になるばかりである。「映画としてどうか」と尋ねられれば「つまんないよ」と答えるしかないのだが、C−3POとR2‐D2の凸凹コンビのやりとりの楽しさやナタリー・ポートマンの美しさまで否定するつもりはない。 しげは初めて「C−3PO」と「R2‐D2」を「シー・スリーピオ」「アートゥ・ディートゥ」と読むことを知ったとか。周知のことだと思っていても、意外と知らずにいることもあるという落し穴の典型であるか。
そのあと、こども図書館を回って、その偉容に感嘆。 ちょうどいい時間潰しになって、天王洲アイルまで移動、シティボーイズ・ミックス『ダメな人の前をメザシを持って移動中』を観劇。一昨々年あたりをピークに、ちょっと元気がなくなりつつあったシティボーイズのライブだったが、今年はかなり持ちなおしている。レポールはかなりあるけれども、最初から最後まで笑いの渦。「ホレーシオ」のスケッチなどは抱腹絶倒であった。
水上バスで浅草まで戻って、「ぱいち」でビーフシチューを突つく。昔ながらの洋食屋さんの味、と言えばいいだろうか、今まで食べたビーフシチューの中でも飛びきりの美味さに舌鼓を打つ。知る人ぞ知る店、ということだそうだが、近所にこういう店があったら、毎日でも通いたくなりそうだ。 グータロウくんちに帰るなり、しげは眠くなってすぐに横になる。私とグータロウくんは、ちょうどCSでやっていた『妖怪人間ベム』を見ながら、これってこんなにキッチュだったかなあ、と驚く。東京に来てまで見るアニメじゃないとは思うが。
2003年05月02日(金) 東京の空の下�� 2002年05月02日(木) 私は病院に行くかしら/『COMAGOMA コマゴマ』2巻(森下裕美)ほか 2001年05月02日(水) 行って来ます。/『20世紀少年』5巻(浦沢直樹)ほか
| 2004年05月01日(土) |
東京の夜は更けて(2)/小鹿番さんの死去と、またまたテンパる妻。 |
俳優の小鹿番氏が、4月29日、急性腎不全のため死去。享年71。 ついこの間、『放浪記』で菊田一夫を演じていた番さんを見たばかりだった。20年前に見たときにはまだ「作り」の部分があったものが、先日の舞台では実に自然に、菊田一夫本人といった風情を漂わせていて、年を取ってもなお演技が上達していくその素晴らしさに魅せられた。「至芸」とはこういう演技を見て称するべきものなのである。 朝食の席で新聞を読みながら、グータロウくんが、「小鹿番が死んだって聞いて、悲しむのは俺たちの世代が最後だろうなあ」と嘆息する。さて、それも怪しいものだ、と私は更に悲観的になる。いくら全国を回り、上演回数が記録を打ち立てていても、『放浪記』や『ラ・マンチャの男』の舞台を見た人間は、日本人の人口の数%に過ぎまい。「小鹿番」の名前を今回初めて聞いた、という人も多かろう。 悲しいことに、番さんのような浅草出身で舞台を中心に活躍し、テレビにはあまり出ない役者さんの評価というものは“最近では”どうしても低くなる(全く出ていないわけではないのだが、ちょっとしたゲスト、という役が多いので、その真価はわかりにくい)。しかし一度でもその舞台を見れば、「こんな凄い人がいたのか!」と唸ることは間違いないのだ。なのに、テレビしか見ない、という人間が、それがさも当然といった態度で何の興味もなげに「小鹿番? 誰、それ?」なんてほざいているのを見ていると、こめかみの血管が切れそうになる。そんなヤカラには、そもそも役者や演技を批評すること自体、不可能なのだ。シロウトならともかくも、「批評家」と名乗る人間までそんな自分の「不勉強」を恥とも何とも思っていない発言をしばしばしてしまうのは、いったいどういうことなのだろうか。 ナンシー関が、時代観察者としての目は持っていても、ドラマや役者の演技を批評する目をついに持ちえなかったのはそういうことである。おい、世の中のエセヒョーロンカどもよ、喜劇を語りたいんだったら、年間、舞台の100本くらい見とけよ。せめてテレビ中継だけでも。 しげを無理やり『放浪記』に連れて行って見せていてよかったと思う。今後、誰か別の役者さんが菊田一夫役を引き受けたとしても、番さん以上の演技は絶対に望めまい。これまで一度も『放浪記』を見たことがなかった、と仰る方は、人生で最も素晴らしい瞬間の一つを経験する機会を永遠に失ったのである。それくらいの人が亡くなったのだという“事実”くらいは、番さんに興味がない人であっても知っておいてほしいのである。 森光子さんの悲しみはいかばかりだろう。
テレビのニュースで、昨日行なわれたイラク人質事件の今井、郡山両氏の記者会見の中継を見る。のっけから「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べても「ごめんなさい」とか「申し訳ありません」とかの謝罪のコトバはなし。予測された展開ではあるが、要するに「我々は悪くない」の一点張りである。 何が問題とされているか、について、本人も含めて周囲が全くわかっていないなあと呆れかえったのが、「自己責任論」についての郡山氏の次の発言。「ジャーナリストは危険だからこそ現場に立って伝えるものがある。リスクを背負っているのだから、僕らには当てはまらない」。 あの、そのあんたが言うね、「リスクを背負っている」ということが「自己責任」ということなんであってさ、だからみんな、「イラクに行きたきゃどうぞご勝手に」と止める気もないし、「死のうが生きようが勝手じゃん」と突っ放してんだけどねえ。だから誰もあんたの言ってること否定してないよ? 仮に死んで帰ってきてたとしても「自己責任だからしょうがないよ」って、君らの功績認めてあげるよ? あんたらの言ってることって、それを望んでるとしか思えないんだけど、国民の感情と利害は一致してるよねえ? それを家族が「助けて助けて」「自衛隊撤退」と訴えたから「なんでそんなん助けにゃならんの」って話になったんだってば。 その家族は会見場の隅で「ウチの息子たちはなんて素晴らしいのだろう」って顔で見てるし、本人たちの顔はもう完全にイッちゃってるし、こりゃ、既知外はもうどこまでいっても既知外のままだわなあ。
今日の第一目的は当ホームページの第2回オフ会。 少し早めに待合場所の日暮里駅に着いたので、しげとグータロウ君と連れ立って、谷中の墓地を回る。ここは夏目漱石の『こころ』の舞台になっていることでも有名で、もちろん当時のままというわけではないだろうが、広さとかなんとなくな感じを味わってみたくて前から散策してみたかったのである。 実際に歩いてみると、舗装された道路などは当然、明治の代にはなかったものだろうが、ちょっとした脇に離れた石畳の路などや、生い茂った木々の間で苔むしている墓石などに往時の面影を見出すことは充分可能であった。 幸田露伴の『五重塔』のモデルとなった塔のあとはまだ残っているが、昭和32年に放火によって消失して以来、五十年近い月日が経っているというのに、未だに再建されてはいない。礎の跡はそぞろ寂しいが、案内板に「設計図は残っており、再建は可能である」と未練ありげに書かれているのがますます物悲しい感興をそそる。 徳川慶喜公の墓は、すっかり観光地になっていて、ただっぴろい庭園の中に鉄柵があって、その柵越しに墓が覗けるようになっている。いくつも墓石が並んでいるので、さてどれが慶喜公なのやらと、キョロキョロしてたら、通りがかった地元のお爺さんと思しい方が、「回りのは側室や息子の墓だよ」と教えてくれ、コピーの図面までくれた。こういう人と触れ合えるのも旅の醍醐味である。
オフ会の参加者は、グータロウ君、鍋屋さん、ヨナさん、あやめさん、しげに私の6人。鍋屋さんは足を骨折していて、松葉杖をついての賛歌。全くありがたいことである。 会場は以前も来たことのある日暮里の怪しいトルコ料理店、続いてやっぱりのカラオケ。詳細はコンテンツの方にレポートを書くのでそちらに譲りたい。楽しい数時間を過ごして、もうちょっといろいろみなさんとお話ししていたかった、と名残惜しがりつつお別れ。もう一つ心残りは、ヨナさんにしげの腰を見て貰えたらと思っていたのだが、会場がちと狭かったので、断念したこと。急な会場変更があったので致し方なかったのだが、これでまた次の機会に上京してオフ会、という目標が立てられると思えばガックリするほどのことはないかと気を取りなおす。 みなさんと別れたあと、新宿へ移動。劇団「うわのそら」公演『水の中のホームベース』を見る。唐沢俊一さんが監修されているということで飛び込みで見に行ったのだが、話の骨子の基本は小劇場の伝統と言ってもいい『ゴドーを待ちながら』である。つまりは第三舞台の流れであって、これに三谷幸喜味をふりかけた、という印象で、悪くはないが「唐沢俊一」の名前を期待して見るとちょっと拍子抜けはするかな、という出来。恐らく唐沢さんの監修は「ギャグ監修」のあたりだろう。「不幸自慢」のギャグ部分などはモンティ・パイソンそのまんまであった。これも詳しくはコンテンツに批評を書く予定。 私は概ね満足していたのだが、しげは終始仏頂面で、一度たりとも笑わない。「つまんなくはないけど、嫌い」とニベもない。地元劇団として見ると悪くはないが、プロの芝居だと思って見ると腹が立つ、ということのようだ。けれど、怒りながらもしげ、「でも自分たちが演じてもあんなにうまくできないんだ」と言って落ちこみ、うなだれている。確かに、会話の間の取り方、畳みかけるようなテンポ、その演劇的センスは、ウチのセンスのない役者たちと比べれば雲泥の差である。でもだからって、落ちこまれてもなあ、そこで発奮してやる気出さなきゃ芝居やる意味なんてないじゃん。他人と関わることを拒否している自分を肯定してちゃ、芝居がうまくなることだってありえないんだから、そりゃ自業自得ってものなんである。
グータロウ君ちに帰ったのは、9時過ぎ。 腹をすかしたしげは、早速コンビニで買って来たおにぎりをぱくついている。 私は昼間、いささか食べすぎているので晩は抜くことにする。グータロウくんが「大変だなあ」と気を使ってくれるのだが、もともと食欲はたいしてある方ではない。会席の類で目の前にモノがあって、それになかなか手がつけられていないと、もったいなくて気分が落ち着かなくなり、つい「俺が食べてやるしかないか」と食べてしまうのである。誰もお前にそんなこと頼んでない、と突っ込まれそうだが、「もったいないおばけ」に取り憑かれているオジサンはこういうものなので、普段はあまり宴会に誘ったりしないようにお願いします。「(^^; ) 今日の芝居のことなどお喋りしているうちに、またしげと口論になる。 しげが「街中で大声を出したり、人の通行の邪魔をするな」と私を非難したのがきっかけだったのだが、「大声を出した」というのは、トルコ料理屋からカラオケに移動する途中で、しげが「陽射しが強いのでサングラスを買いたい」と言い出して、我々をあちこち引っ張りまわそうとしたので怒ったのである。普段ならともかく、今回は鍋屋さんが松葉杖なのだ。自分が今どういう状況に置かれているのかなんで気がつかないのか。「人の通行を邪魔した」というのは、芝居の帰りにグータロウ君と連絡を取った時、携帯の電波状況が悪いので、ウロウロしたことを言っているのである。人のいないところに行こうとしても、東京はどこだって人は多い。誰かの通行は結果的に邪魔することになってしまうので、こんなのはまさに難癖である。 つまりはまたまたしげは「いっぱいいっぱい」になっていて、非常識な言動を繰り返しているのだ。全く、人んちに来てまで口喧嘩なんてしたくないんだが、話の流れでそうなっちゃったのでどうにもならないのである。グータロウくんも一緒にいろいろとなだめてくれはするのだが、結局、しげの気が落ち着くまでかなり時間がかかってしまった。こんなにしてもらっても、明日になったらしげは今日反省したことをケロッと忘れて同じことを繰り返してしまうのだ。しげみたいに何でも忘れられて、罪悪感に一切とらわれずにすむ人生が送れたら、どんなに気がラクなことだろうか。
2003年05月01日(木) メモ日記/淡白なメールの夜。 2002年05月01日(水) 疲労度の爪/『コミック伝説マガジン』No.6ほか 2001年05月01日(火) 実は某大学推理研OBです/『チーズはどこへ消えた?』(スペンサー・ジョンソン)ほか
| 2004年04月30日(金) |
東京の夜は更けて(1)/中洲の夜のキティちゃん |
就業時間ギリギリまで仕事。 旅行行きの準備は昨日、寝るまえに済ましていたので、慌てる必要はなかったのだが、ヘタをしたら、残業して飛行機の離陸時刻に間に合わない可能性すらあった。それくらい、トンガリさん相手の仕事は神経が疲れるのである。 いよいよ時間が間に合いそうになかったので、新入社員のAさんを巻きこんで、仕事を手伝ってもらう。トンガリさんの事情を知っている人にはとても協力はしてもらえないので彼にお願いしたのだが、これもAさんにとっては本来の仕事ではないので、うまくダマくらかして給料外の仕事をさせているわけである。我ながら悪人であることだが、切羽詰まっているので、なりふりかまってはいられないのだ。心の中で手を合わせて、黙々と仕事を進める。トンガリさんはそういう様子を見てもこちらに挨拶一つせず、自分の「仕事」だけをし続けている。あとでAさんからやはり「あの人は何なんですか? どうしてあんな人を放っておくんですか?」と聞かれるが、それが言いたいのはこっちなのである(T∇T)。
帰宅して、出発時刻まで少し間があるので、ピザクックでピザを頼む。しげに「何か食いたいものがあるか?」と聞いたら、最初はやっぱり「うどん」と言っていたのだが、ポストにちょうどピザのチラシが入っていたのを見て、急に気が変わったのである。何だかよく分らないが、「ダイエーホークス応援」とやらで、新発売の「大えびクック」とやらが安いのに目が止まったらしい。Sサイズをしげが3分の2、私が3分の1で分けて食べるが、結構プリプリした歯応えで美味い。 腹ごしらえをしたらすぐに空港に向かうつもりだったのだが、急にしげが「パソコンのモニターを代える!」と言い出して、私のパソコンを抱えて、コードを外し始めた。私のモニターは旧型の場所を取るデカイもので、しかも画像が歪み始めていたので、しげが前に使っていた薄型のモニターと取り替えようとしているのである。 なんで出かける寸前に、と思ったが、しげは「何か仕事してたら、あんたとケンカせずにすむから」とヘンなことを言い出す。よくよく聞いてみると、要するに、毎年東京に出かける寸前になると、しげは「向こうで会う人に嫌われるんじゃないか」とか疑心暗鬼に陥って心が落ちつかなくなり、「もう行かん」とか言い出してしまい、私と口論になるので、そういうことを忘れるために作業に取り組んでいるのだそうな。分ったような分らないようなリクツだが、ともかく「出かけたくない」という気持ちにならずにすみはしたようだ。 午後7時半に家を出る。空港まではタクシーで10分、出発は8時40分なので、1時間も早いのだが、しげは心落ちつかない病なので、早めに到着。 出発までの時間、ロビーでお土産を物色。昨日のうちにキャナルシティでオフ会参加のみなさんへの土産は買っていたのだが、もう一品、何か面白いものはないかと物色していたら、これがあった(^o^)。 あのサンリオのキティちゃん、もちろん数限りないキャラクターグッズがあるのだけれど、地方に行くとその地方限定の郷土色溢れた「演技」を披露してくれていることをご存知の方は意外と少ないようである。福岡でもよく「山笠担いだキティちゃん」というのはよく絵柄として使われているのだが、今日見つけたのはそんなかわいいものではなかった。 いくつかミニタオルが並んでいて、そのうちのいくつかは「博多とよのか」いちごの帽子をかぶってたり、まあごく普通のものだったのだが、そのうちの一つがえらくぶっ飛んでいた。 何とキティちゃんが「中洲の夜の女」になって、ワイングラスの中で「私をめ・し・あ・がれ」ってな感じのポーズを取って誘っているのである。 ……いいのか、サンリオ、こんなの作って。 果たしてこんなん貰って喜んでもらえるかどうかわからなかったが、もう買うとしたらこれしかない。迷わずこれを選んでレジに行ったが、実際、こんなん売れてるのかねえ。 「土産に何を買った」なんてことは日記にはあまり書かないようにしているのだが、これはさすがにびっくりしたので書いちゃいました。この日記の読者で、近々福岡に立ち寄られる予定がおありの方は、ぜひこの「夜の女キティちゃん」をお土産にどうぞ(^o^)。
飛行機は落ちもせず、無事羽田に到着。機内ではずっと桂歌丸師匠の『お化け長屋』を聞いてました。……師匠、まだ68歳だったんだねえ。『笑点』に出始めたころはまだ三十歳そこそこで、まだ二つ目だったわけである。ちょっとご面相に騙されていたな(^o^)。 浜松町でグータロウ君に出迎えてもらって、お宅までワゴン車で連れて行ってもらう。一年ぶりになるが、しょっちゅう掲示板だの電話だのでやりとりをしているので、あまり久しぶりという感じがしない。 「一年ぶりだっけ?」 「そうじゃない?」 「違うよ、その間に秋頃一回来てるよ」 「だったっけ?」 殆どいい加減である(^_^;)。 もう深夜で午前様だというのに、四方山話をしながら、ウチから持ってきたシティボーイズのライブDVD『鍵のないトイレ』をグータロウくん、しげと一緒に見る。持って来たのはこれだけではなくて、12年分、11本なので、これから先、グータロウくんはシティボーイズ漬けにさせられるのである。まあ「洗脳」したがるのはオタクの悪いくせではあるが、頭を固くする洗脳ではなくて柔らかく空っぽにするものだから、別に構わんだろう(^o^)。
2003年04月30日(水) メモ日記/白い人たちの夜。 2002年04月30日(火) 今もまだへにょへにょ(疲れてんだよ)/『開田無法地帯』(開田あや・開田裕治) 2001年04月30日(月) 別れのトワレ/映画『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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