無責任賛歌
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| 2003年06月20日(金) |
さよなら/『ナジカ電撃作戦』3巻(完結/田代琢也)/「『ぼくら』連載漫画版 妖怪人間ベム』(田中憲) |
まずは言葉についてのニュース。 文化庁が忘れたころに行ってる(^o^)「国語に関する世論調査」が昨19日に発表された。 「今の若い連中はこんなにモノを知らない」ってトシヨリが憂える材料を提供するためだけにあるような調査で、いけ好かないことこの上ないのだが、読むとやっぱり「今の若い連中はこんなにモノを知らないのか」と憤っちゃうのである。ノせられてるなあ、俺。
コンビニの店員なんかがよく使うという、 「お会計の“ほう”、1万円になります」 「1000円“から”お預かりします」 「休ま“さ”せていただく」といった“さ入れ表現”。 この三つの表現が気になる人が増えたと言う。ところがどうも私ゃ、こういう表現に出会った記憶がないんだよねえ。コンビニの店員さん、まず「お会計」って言葉自体使わなくて「以上で1万円になります」、なんて言い方してるから、「ほう」だって使わなくてすむのだ。「から」も聞いた記憶がない。もしかしてこれって関東限定で流行ってるのか? 「さ入れ表現」はたまに聞くことはあるけれど、ついうっかりの誤用の域を出てはいない。 それより私ゃ、未だに「以上でよろし“かった”でしょうか」って言う店員が気に障って仕方ないんだが、これは話題にはなってないのか。
また、慣用句の意味を勘違いしている人も毎回増えつづけている。 例えばこんなの。 「流れにさおさす」=「大勢に逆らう」(本来は「大勢に従う」) 「役不足」=「役目が重くて辛い」(本来は「能力のわりに役目が軽い」) 「確信犯」=「悪いとわかっていながら行う行為、犯罪」(本来は「政治的、宗教的な信念から正しいと信じて行う行為、犯罪」) 漱石の『草枕』の冒頭の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」なんか、逆らってんなら流されないでしょうに。と言ってもどうせ若い人はもう『草枕』だって読んじゃいないんだろうねえ。とかなんとか言いながら、私も昔はこれを全く逆に覚えていたのでした(^_^;)。 「その仕事には私は役不足で」「なに〜!? この若造が生意気な!」なんて部下と上司の会話が全国でよくなされてるんだろうか。上司も言葉知らなくてそのままやり過ごされちゃうケースの方が多いんじゃないかって気がするけど。 ただ、三つ目の「確信犯」を誤用とするのは微妙なセンだよなあ。政治犯が「“一般的には”悪いとされてる行為をあえて自分の信念に基づいてやっちゃった」ような場合には、「悪いとわかっていながら行う行為、犯罪」ってことにもなるじゃん。まあ、ここのポイントは「確信」の「信」が「信念」ってところで誤用かそうでないかが分かれるんだろうけどね。
次に、「外来語120語の理解度ランキング」。 全部紹介するのはめんどくさいから、ベスト20とワースト20をご紹介。
(順位)(外来語) (語義) 1 ス ト レ ス……………肉体的、精神的な緊張や圧迫 2 リサイクル ……………資源の再利用、再生 3 ボランティア …………自発的に奉仕活動をする人 4 テ ー マ ……………主題、題目 5 レクリエーション ……休養、娯楽 6 サ ン プ ル……………見本、標本、試供品 7 リーダーシップ ………統率力、指導力 8 ス タ ッ フ……………職員、幹部、映画などの出演者以外の関係者 9 フルタイム ……………常勤の、専任の 10 ホームページ …………ワールド・ワイド・ウェブから提供される情報の表紙に当たるページ 11 キャンペーン …………選挙運動、宣伝活動 12 リフレッシュ …………気分を一新する 13 インターネット ………ネットワークが相互に接続された世界規模の通信網 14 プロジェクト …………計画、企画、開発事業 15 ドキュメント …………文書、記録、証書 16 ピ ー ク ……………最高潮に達する点、頂点 17 パフォーマンス ………実行、功績、公演、人前での表現行為 18 ケ ア……………手当て、世話、保護、介護 19 コ ス ト ……………値段、費用、原価、経費 20 ホワイトカラー ………事務系労働者 (中略) 101 キャッチアップ ………追いつく 102 スケールメリット ……規模の大きさに伴う利益 103 ノーマライゼーション 正常化、健常者と障害者とが隔てなく一緒に暮らす社会にすること 104 サ マ リ ー……………要約、まとめ 105 モラトリアム …………猶予、債務の返済期日を延期すること 106 モラルハザード ………道徳的危険、道徳的節度を失って行動すること 107 インセンティブ ………誘因、刺激、動機 108 ス キ ー ム……………公的な計画、枠組み 109 ジェンダー ……………社会、文化面の性差 110 デジタルアーカイブ …資料をデジタル情報にして保管すること 111 バックオフィス ………後方で事務処理や管理業務を行う二次的部門 112 ガバナンス ……………支配、社会的統括 113 リテラシー ……………読み書きの能力、識字率 114 トレーサビリティー …生産流通の履歴を管理し追跡できる仕組み 115 エンパワーメント ……権限の付与、問題解決の主体となる力をつけること 116 メ セ ナ ……………企業などによる芸術、科学、文芸の擁護、援助 117 タスクフォース ………特定任務を遂行するために編成された部隊、企画開発班 118 コンソーシアム ………企業共同体、発展途上国への援助方式の一つ 119 エンフォースメント …法律などの実施、知的財産保護のための権利執行手続き 120 インキュベーション …企業支援、地球の中心
ベストの方は、まあ、そんなもんだろうだろうって感じだね。ただ、こういうふうに日常語化してるものだと、かえって「どんな意味か日本語で説明してください」って言われても言葉にできないものも多いんだよねえ。「ストレスはストレスだろう」って言い返しにしかなんない。そこに実は「誤用」の可能性も生まれてくる。日本語化される過程で微妙な意味の差異が生まれてくるのだね。 よく言われてるのがベスト3になってる「ボランティア」。もちろん「奉仕活動をする人」って意味に間違いはないけど、日本人、この言葉の意味、やたら軽く使ってるよな。 まあ、中学で英語を習った経験のある人なら先刻ご承知だとは思うが、英語の“volunteer”には「志願兵」って意味もあるんである。また、学校で掃除を進んで行う人も「ボランティア」だったりする。社会奉仕についての感覚、意味合いがもっと広くて強いんだよ。日本人の「ボランティア」の感覚って、ご近所の草むしりとか老人介護のお手伝いとか、町内会的なものに卑小化されてんじゃん。もちろん、本来の意味で解釈するなら、休日のたびに町内会の役員の仕事を嬉々としてしてたり、老人ホームの慰問とか楽しんでやってる人は、一朝ことあるときには義勇軍として馳せ参じなきゃなんないね(^o^)。しかし、日本人の一般的英語力って、マジで中一程度もないのな。こんなムダな教育システム取ってるくらいなら、本気で学校廃止した方がよかないか。 もともと日本人の生活感覚って、ほとんど「ボランティア」だったんだから、こんな言葉導入する必要はなかったのだ。それを日本人の個別化を憂えたのかどうか知らんが、誰かがさもご大層なもののように持ちこんだおかげで、猫も杓子もそういうものを「持たなきゃいけない」もののように錯覚させた。それがかえって本来日本人が持ってた「絆」の感覚を失わせてる結果になってないか。 ああ、けど、「ホームページ」って「表紙」だけを指すんだねえ。となると「ホームページのトップページ」って言い方はおかしいってことなの? じゃあ、トップページを含んだホームページの全体はなんて呼べばいいんだ?
ワーストの方は、確かに日頃使わないのが多いんだけど、「ノーマライゼーション」「モラルハザード」「ジェンダー」といった、人権問題、差別に関する言葉の一般的認知が低いのにはちょっと笑っちゃうね。人権擁護派の方々がいかに口角泡を飛ばして熱弁を奮っても、笛吹けど踊らずってのが現状なわけだ。理念や思想先行で人を洗脳しようったってねえ、具体的かつ見えるような形で自分の問題として感じられめように先導しなきゃ、一般大衆は動かないよ。 考えてみたら私だって、「ジェンダー」って言葉を知ったのは松尾由美さんのSFミステリ『ジェンダー城の虜』を読んだのが最初だ(^o^)。生物学的な性差である“sex”と社会的な性差である“gender”を区別する必然性を大半の日本人は感じていない。けれどアメリカだって、ジェンダーを完全否定はしてないと思うんだけどなあ。なんかアチラものを日本人が輸入すると、どこか先鋭化・突出化、わかりやすく言えばトンデモ化する面が大きいと思うんだがねえ。 こういうの見てると、言葉の感覚に鈍感なやつが外来語をやたらと導入したがってる気がしてしょうがない。
えー、山本弘さんとこの掲示板が(以下略)。 だってもー、同じこと書くの飽きたし(-_-;)。
今日も残業で、帰宅は9時過ぎ。本当だったらもうちょっと早めに帰れたはずなんだが、バスが遅れて、連絡がうまく行かなかったのである。なんかこないだもこんなことあったな。 乗り換えのバス停の時刻を見ると、9時を過ぎてるのでもう1時間に2本しかバスがない。次のバスは30分後である。そこまで待つのなら、歩いて帰ったほうが早い、と思って、てくてく早歩きで帰る。運動にもちょうどいいか。 こないだは歩いてる最中に偶然しげと出会ったが、今日はもう誰にも会わないよなあ、と思ってたら、自転車に乗って帰宅途中の姉に会った。偶然とはこうもしょっちゅう起こるものなんだろうか。 「今、帰りようとね!」 と姉に驚かれたが、忙しいときはこんなものである。だから休日はできるだけ休んでたいのだ。
コンビニで「懐メロクッキー」というのを売ってるのを見つける。発売元はブルボン。 懐かしの歌謡曲のカバーを見て、CDでも付録に入ってるのかな、と思って、近づいてよく見ると、ホントにそうだった。五種類くらい出てるけど、これ売れると思ってるのかなあ(^_^;)。 確かに280円でCD一枚ってのは安いかもしれない。けれど、一枚買ったら、その人はもうこのクッキー買わないじゃん。リピートして買われることがないってことが最初から分かってるものを売るのかなあ。 ……ということは、逆にこれ、初回出荷のみでレアものにして売りきろうって戦略なんだろうか。そう思うとなんだか見過ごすのももったいない気がして、つい三つも買ってしまった。ザ・キングトーンズの「グッドナイトベイビー」、加藤登紀子の「ひとり寝の子守唄」、小椋佳の「さらば青春」の3曲。みんな子供のころに口ずさんでたものばかりだ。私、加藤登紀子は歌える曲がないと思ってたけど、これがあったんだな。 けど、歌詞カードはついてないし、保管はしにくいし、ちゃんとしたCD買ったほうがいいこたいいのである。まあ、ハナシのタネにって程度のものだね。
チャット中にしげが帰宅。まだ11時なので、ずいぶん早い。 仕事かと思ったら、ラクーンドッグさんの芝居の練習を見学に行ってたのだそうな。時間の余裕があったんなら、たまには家事の一つもしてほしかったものだが。 私がチャットをしていたので、しげの機嫌がまた悪くなる。ネット使っていいよ、と言っても「いい、使わん」と拗ねる。「食事はどうする?」と聞いても「勝手に食べれば?」と素っ気ない。 何を聞いても無視をするので、癇癪を起こして怒る。いつも繰り返してる喧嘩なので、「何度同じこと繰り返すんだ、いい加減飽き飽きしてんだよ!」と怒鳴ったら、しげ、「オレもアンタを怒らせるのいやなんだよ! もう出て行く!」と言い出す。 「ホントに出て行くんだな? 自分の意志で行くんだな? 俺に追い出されただなんて思ってないな?」 と念を押すと、「そうだ」と答える。 しげの顔を見ると、いつになく真面目だ。泣いてはいるが、悔しげでもない。むしろサバサバした、といった表情である。なるほど、しげが覚悟してるのなら仕方がない。結局、しげと私とは縁がなかったということだ。 そういうわけで、しげは荷物をまとめて出ていきました。どこに行ったかは知りません。もうしげがこの日記に登場することはないと思います。
と思ってたら、30分くらいしてしげが帰って来ました。 「何しに戻ってきたんだよ! 出ていったんじゃなかったのか!」 「いや、だから出てったから帰ってきたよ」 ……オレはおまえととんち合戦してるんじゃねえっっっっ! 彦一かおまえは。
マンガ、スタジオファンタジア原作・田代琢也作画『ナジカ電撃作戦』3巻(完結/メディアファクトリー/MFコミックス・540円)。 アニメはずいぶん前に終わっちゃったけど、マンガはずいぶん引っ張ったねえ。アニメ制作再開をねらってたんだろうか。 最終話は設定自体はアニメと同じ。ただ、アニメのほうはリラがヒューマリットの少年と旅立ってしまうが、マンガ版はあくまでナジカの相棒として終わる。どちらがいいとは言えないが、画面の緊張感はやっぱりアニメの方が圧倒的にあった。マンガ版の作者さんにもう少し絵心があったら、ナジカのパート2もありえたかもなあ、とか想像してみたりして。
マンガ、田中憲「『ぼくら』連載漫画版 妖怪人間ベム』(講談社・1575円)。 何で今ごろこういうのが復刻されるか、理由はよく分らないけれど、懐かしいからいいや。とは言え、私はこのマンガの存在をすっかり忘れていた。時期的に昭和43、4年ごろと言えば、『ぼくら』は確実に買っていたから、読んでないはずはないんだが。 作者の田中憲は、今は「田丸ようすけ」と名前を変えているらしいが、それも私は全く知らなかった。 しかし、絵が上手い。もちろん昔の絵柄であるから(少年マンガ時代の白土三平の影響を受けていることは見てすぐに判る)、古臭くはあるが、線が生きているのである。アニメのキャラデザはお世辞にも美しいとは言い難かったし、第一よく動いてなかった(^_^;)。が、マンガ版のベロなんか、目も口もよく動いているのである。こういうマンガ家さんが売れなかったってのは、なんとも勿体ないハナシだ。 アニメでは語られなかった、ベム・ベラ・ベロの誕生秘話(アニメじゃ偶然生まれたようにオープニングで言ってたけど、実は彼らを作った人間がいたのである)や、パラパラマンガもあり、読み応えは充分。ただ、やっぱり値段が高過ぎ。売れないと思ってんだろうなあ(^_^;)。
2002年06月20日(木) 癒してくれなくていいってば/映画『怪盗ジゴマ 音楽編』/『夏のロケット』(川端裕人)ほか 2001年06月20日(水) べとべと、ぬめぬめ、もわああっ/『トガリ』3巻(夏目義徳)
| 2003年06月19日(木) |
壊れる妻/『ゆうきまさみのはてしない物語 〜天の巻』(ゆうきまさみ)/『ロケットマン』5巻(加藤元浩) |
大友克洋監督の新作『スチームボーイ』が公開予定の10月には完成しないことがハッキリしたようで、バンダイビジュアルが公開延期を公表。 「現在、完成に向けての最終段階の作業を続けておりますが、ラストのクライマックス・シーンが質・量ともに当初の予想をはるかに超えた緻密な作業が必要な状況に立ち至ってしまいました。最高の作品として完成させるために、甚だ遺憾ではありますが、今秋の公開を見送らせていただき、作品をベストな形で完成させた上で、改めて来年の公開に向けてチャレンジさせて頂くことになりました」ってことだけど、「チャレンジ」って何なんだそれは。映画制作は「仕事」だろう。いつから大友克洋は「冒険野郎」になったんだ。 まあ、スケジュールの見積もりが甘いってのはアニメ制作にはツキモノなんだし(なんでそんな無理なスケジュールを立てるんだよって現場の意見は、初めから無視されることが多い)、未完成のまま公開した『火垂るの墓』とか『春エヴァ』、『ガンドレス』よりゃ良心的と言えるのかもね。 しかし、こないだ『死霊のはらわた』の上映会で会った映像制作会社の知り合いも『スチームボーイ』に期待してたけど、そんなに大友克洋って信頼されてるのか。大袈裟なもの作るとあの人たいていコケてんだけどねえ。『メトロポリス』や『スプリガン』を見て、まだあの人に期待するか? っつーか、『アキラ』の時点で底が見えてたと思うんだが。 どっちかと言うと、『老人Z』や『最臭兵器』みたいなギャグ路線の方が好きなんだが、そっち方面じゃ世界には紹介できないのかねえ。 でもとりあえずは見に行くよ、鈴木杏出るし(^o^)。
例のアンマンの国際空港爆発事件で、毎日新聞の五味宏基記者が記者会見。 何度も頭を下げて、自らの不注意が引き金となって事故を引き起こしたことについて、「道義的責任を一生背負って生きていこうと思う」と語る。 この事件の報道がまとまった形でなされるのもこれが最後になるんじゃないかな。イラク戦争も既に事後処理ってことでしか語られなくなってるし。 まあ何度も書いてる通り、私は戦争そのものには何の興味もなくて、それすらもワイドショー感覚で楽しんでる脳天気な人々の方にずっとお笑い感覚を刺激されてしまうわけだが、この五味記者が最終的にイラク報道のオチをつけてくれたって点で、全く世の中というものはよくできていると思うのである。こういうバカが最後に登場してくれたってことが天の配剤なのかねえ。 もちろん五味記者はただのバカなんだけれど、博多弁で言えばこういう人が「のぼせあがり」なんである。「戦場だってことを自覚してなかったのか」という批判は実は当たっていない。「ホンモノの戦場」だからこそ、爆弾拾って帰ろうなんて非常識な思いに駆られちゃったのだ。「イラク戦争を取材した証しを持っておきたかった」なんて五味記者のコメント、「甲子園の土」と同じ感覚ではないの。 でも、そういう感覚にとらわれてなかった日本人があの戦争の最中にどれだけいたかね。ヒステリックに反戦を唱えてた連中も、アメリカべったりだった連中も、本質は五味記者とたいして変わらんがな。もしそこにそいつらがいたら、爆弾ならずとも「何か」を持って帰るくらいのことは「のぼせあがってた」日本人なら誰だってしかねなかったと思うがねえ。実際、してるんじゃないか。 五味記者は、戦争のさ中にいたからって、必ずしもその実態を理解できるものではない、ということを証明してくれたことで、凡百の「戦争論」を机上の空論化してくれた。戦争体験者だって国際通だって、所詮は自分の知る狭い範囲でのモノイイしかできゃしない。日本人がエラソウに戦争を語ること自体、今や滑稽なんである。 いつもはこういう「バカの罪」が報道されるたびに、救われない気分になるのだが、今回は私としては「功」はあったなあと思う。何かを語ることを仕事にしてる人たちを別にして、一般大衆が自分に関係ない戦争について訳知り顔で語ることくらいバカなことはないってこと。
朝方しげがまた「気分が悪い」と言うので、仕方なくタクシーで出勤。 ところが台風のせいで仕事が全部キャンセル。しょうがないから有給取って帰ろうかとも思ったけれど、バスが動いてないので帰れないのでありました(-_-;)。しょうがないから一日雑用。合間に読書、『八つ墓村』なんかを読み返す(だいたいいつも本は何冊か持ち歩いているのである)。 こういうのんびりした日って、久しぶりだけど、それが台風のおかげってのも何だかねえ。
夕方まで待って、しげを電話で呼び出す。1時間だけ有休を取って、一緒に食事をするつもりだったのだが、迎えに来たしげの格好を見て驚いた。 先日、日記に「虎柄のシャツ着てた」と書いたが、今日のしげは毒々しいまっ赤な花柄のハデハデシャツに例の黄色いサングラスである。女じゃなけりゃ、どう見たってただのヤクザだ。 「何だよその格好は!」 「売ってるシャツなんだからいいじゃん!」 そういう問題ではないのである。 「なんでそこまでいやがると!?」 「なんでそこまで恥ずかしくないんだよ! おまえはそんなやつじゃなかったろ!?」 「おとなになったんだよ!」 違う。それは絶対に違う。 でも、どう説得しても、話が全くかみあわないから何の効果もない。 なんかさあ、『ここだけのふたり』で、夫にかまわれなくなったたきえがどんどんオカシクなってったのを思い出すなあ。しげが壊れてってるのも私のせい? 私がしげに何か悪いことをしたとでも言うの?(T∇T)
リンガーハットで冷麺(ゴマダレ)、蒸し鶏ちゃんぽん、皿うどんを頼んで分け合い。しげ、蒸し鶏を食べながら「こういう薄味のほうがいいよね」とか言ってるが、充分濃いと思う。味覚はまだ変わってないのだな。 しげの話によれば、今フェア中の皿うどんのファミリーパック、4食入り税込み503円ナリを、一店につき百個売らなきゃならないノルマがあるそうである。とは言え、ウチの職場じゃそういうのを宣伝するの、禁止されてるしなあ。こういう販促には全く向かない職場なんである。 誰か買ってくれませんか(^_^;)。
帰宅したころから、頭痛が激しくなって来る。台風のせいか。いや違うよな。腹が重いのは便秘のせいだと思いたい。 昨日の日記を書いたりしてるうちにガマンができなくなってきたので、しげが仕事に出かけたあとははやばやと寝ることにする。 てなわけで、今日はチャットもなし。お待たせした方、申し訳ありませんでした。
ゆうきまさみ『ゆうきまさみのはてしない物語 〜天の巻』(角川文庫・680円)。 まさかこれまで文庫になるとは予想してなかった。あとがき対談(ゆうきさん&井上伸一郎)も載ってるので、単行本持ってても買っちゃった。でも文庫で結構薄いのに、七百円近くもするのである。文句は言わないから、給料上げてくれ。駄目か。 対談で『ニュータイプ』創刊時のエピソードを読んでいると、具体的には書かれていないけれども、角川春樹の功罪って、手塚治虫に匹敵するんじゃないかって気がしてくる。アニメファンをジブリ系とオタク系に分けちゃったというか垣根を作ったというかね。本来そこまで対立するはずはないんだが。『幻魔』作ってたときはそうでもなかったけど、やっぱ『サイレントメビウス』作ったあたりからなあ(^_^;)。 ゆうきさんが宮崎さんの映画を「あれはオタク文化じゃないからな」と語っているのが何だか寂しいのである。確かに批判されるべき点はいくらでもある。実際に宮崎駿映画を見に行ってる連中の大半がアニメとしての価値をほとんど見ようとしてないってことも確かだ。けれど、宮崎駿の「技術」を評価できないオタクって、じゃあ何を評価してるんだって気がしてくるんだがなあ。 あと、原田知世話で盛りあがってるのは本当に懐かしかった。私は未だに薬師丸ひろ子と原田知世を見捨ててはいないのである(* ̄∇ ̄*)。
マンガ、加藤元浩『ロケットマン』5巻(講談社/KCGM・410円)。 前巻から「水無葉の事件簿」って感じになって、『Q.E.D.』との差別化がちょっと付きにくくなってるキライはあるけれど、誠実な創作姿勢は変わりがない。ただ、世界を舞台にするために「T.E.(トゥルー・アイズ)」という国際情報組織を設定したのは便利ではあるけれど、葉みたいな情に流されやすい子供をエージェントにするのかなあ、という疑問はどうしても付いて回る。もう少し「葉を使うメリット」をアイエネスが示してくれたらなあ、と思うんだが、それともそれがこの物語の根幹になってるのかな。もっとも、そういう細かいところにも注文をつけたくなるのは、それだけ加藤さんの描くもののレベルが高いからなんだけれど。 でも、最初のエピソード「影がゆく/虎よ、虎よ!」はちょっと出来が悪い(^_^;)。「災いを招く本」の保管を以来される葉だったが、初め謎のような絵が描いてあったはずの本が、いつの間にか白紙の本にすりかえられていた。一度も手放ししてなかったはずの本がなぜ? これって、謎というほどのものじゃあないんだよね。ミステリ読み慣れてる人なら、すぐにトリックもその背景も気がつくし。この程度の謎なら、もっと単純な始末の仕方があるように思わせちゃうのがやや失敗。 2本目は「金属モンスター/天の向こう側」。こちらのほうが読み応えがある。「T.E.」の創設時からのメンバー、ビント・ベルガー。元ソ連のロケット開発者の一人である彼は、ミサイルの誘導制御装置を入手して、「どこか」を破壊する計画を練っているらしい。調査を依頼された葉は、彼が、現在生死不明の葉の恩人、「R」の友人であることを知る。 フォン・ブラウンも回想シーンに登場して語られるV2ロケットの開発の歴史と悲劇。それがビントの「動機」に重い説得力を与えている。「守りの女神」という謎の言葉があっさり解かれちゃうという物足りなさはあるけれど、やはり推理モノは人間ドラマとして描かれてることが命だ。 新本格作家の作品をどうにも好きになれにいのは、やっぱり「推理モノが人間描けてなくて何が悪い」って開き直ってるからなんだよなあ。そりゃ、推理もの以前に小説じゃないでしょ。 今巻でどうやら「R」の消息も知れてきた。次巻は更に盛りあがってきそうな印象である。推理ファンなら、今、加藤さんの作品を見逃すと損だよ。
2002年06月19日(水) VS借金取り(^o^)。って、笑ってる場合かよ/『卓球戦隊ぴんぽん5』(桑田乃梨子)ほか 2001年06月19日(火) 孤独な自転車乗り/『となりのののちゃん』(いしいひさいち)
| 2003年06月18日(水) |
「日本人」という名の妄想/『少年名探偵 虹北恭助の新・新冒険』(はやみねかおる) |
昨日、タクシーに乗ってて、ラジオから流れてきた話。喋ってたのは多分、栗田善成。 林家ペー、パー子のことであるが、あの「ペー」がカタカナなのかひらがななのか、みなさんご存知だろうか。私ゃ気にしたこともなかったんだが、パー子さんがカタカナなんだから、当然カタカナだろう、とお考えの方も多いかもしれない。 ところがさにあらず、マネージャーさんに問い合わせたところ、正解は「縦書きのときはひらがなで、横書きのときはカタカナ」なんだそうな。テレビや雑誌の表記がそれを忠実に守ってるとはとても思えないが、ご本人には拘りのあることなのかもしれない。 けど、筆記体ならともかく、普通、「ペー」のひらがなとカタカナの区別ってつかないよなあ。この日記の字体だと、ひらがなは「ぺー」で、カタカナは「ペー」。わかんねーよ(^_^;)。 ついでに言っとくと、もともとペーさんの芸名は「林家平平」と書いて、「はやしや・ぺえぺえ」と読ませていた。もちろん「おまえなんかいつまで経ってもペエペエだ」という意味である。ところが、いつの間にか「平」が一つ落ちて、「林家平」と書かれるようになった。これでは「はやしや・たいら」と読まれてしまう。そういうわけで「林家ペー」と表記することにしたのだとか。
台風6号、九州接近。 と言ってもコースを見るとちょうど朝鮮と日本の間を通りすぎるような感じで、それほど被害は出ないのではないか。今年はどうもカラ梅雨っぽいし、少しは雨が降っといてくれないと、また夏場の水不足を招きかねないので、今回の台風はどっちかと言うと歓迎した方がよさそうだ。 今朝もしげは朝帰り。7時に電話をかけてきて、「今日は早出?」と聞いてくる。仕事が終わってまたどこかでバイト先の人と朝までくっちゃべっているのである。で、ウチに帰ったらまた夜まで寝こくつもりなんだから、もう完全に家事をしようって気なんかないのである。食った栄養が全部ちちに行ってるやつはこれだから。
昨日まで、がんばって仕事したので、今日は少し時間の余裕がある。 雨も降ってたので定時に退社。ちょうど通りがかった同僚が車に乗せてくれたので、いつもは歩いて15分かかるバス停まで運んでもらった。少しは雨に濡れずにすんでありがたい。 いつもは連絡がうまく行けば1時間とちょっとで帰宅できるのだが、雨のせいでバスも遅れがちである。結局1時間半かけて帰宅。でも、バス待ちの間にコンビニでレトルトカレーとコロッケを買えた。これが今日の晩飯。
9時から『ザ!世界仰天ニュース』を見る。 「少女ユウコの100日間」。 吉岡忍のノンフィクション『日本人ごっこ』で詳しくルポされてる、タイ人の女の子の日本人なりきりっ子事件だけれど、まあ、1時間のテレビ番組だし、深い掘り下げがないのも仕方がない。 1986年、タイのバンコクに、日本大使の娘・ユウコ(番組内では紹介されなかったが、これはタイでも放送されていた『おしん』の田中裕子から取られている)と名乗る少女が現れた。彼女はある名門大学にやってくると、たどたどしいタイ語で、タイ国内の観光案内を頼む。日本大使館のサイン入り証明書も持っていた(もちろん偽造)彼女を、すっかりホンモノと信じた学生たちは歓待する。 「日本は努力して発展した。あなたたちタイ人も頑張らないといけない!」と、学生たちにお説教をするユウコ。日本コンプレックスの強いタイ人たちにそういう強い口調で言えば、彼らをダマすことなどたやすい、ということを、彼女は肌身で知っていたのだ。 日本の桜に関する文献を軽々と翻訳し(これも図書館で猛勉強して訳した)、彼女の「日本人ごっこ」は2ヶ月以上に及んだ。ある時は区役所まで騙し、警官を護衛につけて地方視察までやってのけた。しかし、調子に乗った彼女は大きなミスを犯す。入手不可能と言われた中国舞踊団のプラチナチケットを希望者に取ってあげると約束したのだ。しかし、ニセモノの彼女にはそんなことができるはずもない。 ウソはバレた。彼女の正体は、出稼ぎでバンコクに出てきた、ごく普通のタイの田舎の少女だった(テレビでは流れなかったが、本名はカンティア・アサヨット)。
テレビはその結末を語っただけで、ゲストもたいしたコメントを付けずに終わってしまったが、ノンフィクションを著した吉岡忍氏は、数年後にカンティアを探し出してインタビューを試みている。吉岡氏の興味は「なぜ日本人になりすまそうと思ったのか」を問い質すことで「タイから見た日本」を浮かびあがらせよう、ということだったのだろうが、私の専らの興味は、「この子は自分のウソにどう始末をつけるつもりだったのだろうか」ということだった。どう考えても「いつかはバレる」ウソだということはわかっていたと思うのだが。 恐らくそれは違うのだろう。彼女は「自分が本当に日本大使の娘のような気になってきた」と語っている。彼女が一番初めに騙していたのは他人ではなく、自分だった。彼女はタイ人の日本人への憧れを利用して日本人になりすましたのだが、誰よりも日本に憧れていたのは、カンティア自身だったのだ。 この事件を考えるとき、日本人である我々はどんな感慨を抱くだろうか。そのように憧れられることに面映さを感じるものもいるだろうし、もっと強い、拒絶感を感じるものもいるだろう。 けれど、そう感じる日本人たちこそ、実は「日本人ごっこ」をしているとは言えないだろうか。つーか、アイデンティティってもの自体、ただの妄想って言えば妄想なんだからね。なんかまた、押井守的に夢と現実がどうのこうのって話になりそうだから、これ以上の感想は控えます(^o^)。
続けて、『新・夜逃げ屋本舗』第10話。 源氏(中村雅俊)は、不良少年の借金取りに追い込まれている中年の教師・宮島健作(山田辰夫)に出会う。ところがこの少年は、家出中の宮島の一人息子・友明(塚本高史)だった。 友明は、交通死亡事故を起こした彼の友人を、父親が警察に売ったと信じこんでいた。源氏は、宮島の夜逃げの方法を考える一方で、なんとか二人を仲直りさせようと奔走するが……。
見よう見ようと思いながら今まで見逃していたこのシリーズ、キャストが映画版と一新されてるのは残念だし、夜逃げのテクニックがあっさりしてるのもいささか拍子抜けだけれども、もともと「借金したって無責任に逃げちゃえばいいじゃん」というコンセプトが好きなので、細かいところに文句をつけようと思わない。できればまた映画版を作ってほしいと思っているくらいである。 しかし山田辰夫がこんな実直な教師を演じるようになったんだなあ。昔は不良少年「しか」、演じないような印象があったんだけど。
はやみねかおる『少年名探偵 虹北恭助の新・新冒険』(講談社ノベルス・777円)。 同時発売のもう一冊だけど、仕事が忙しかったんで、読むのに時間がかかってしまった。 『春色幻想』『殺鯉事件』『聖降誕祭』の三本立て。一応今回は恭助が三作とも登場するけど、やっぱり主役はカメラ屋の若旦那のような気がするのは私だけだろうか(^o^)。後ろの作品リストにもこれ、「虹北恭助」シリーズじゃなくて、「虹北商店街」シリーズって書かれてるものな。 マンガの少年探偵はたいていトシを取らないけれど、小説の場合はちゃんとみんなトシを取るのが一般的。不登校の恭助君も、年齢だけは15歳、ヒロインの野村響子ちゃんともども、本当なら中学三年生のはず。もちろん「本当なら」ってのは一般常識のワクから捉えた感覚的表現でしかないので、恭助君は小学校卒で正しい。 たまにしか虹北商店街に帰ってこない彼だけれど、どうやら故郷で暮らすことを決意したらしい。次巻からは「高校生編」ということだけれど、中学行ってなくて高校どうやって入れたのか、それが一番の謎かも。 『春色』はまあまあ、『殺鯉』は捻り過ぎ、『降誕』はムリがあるって出来だけれど、無意味でドロドロな殺人がないだけ読後感はいい。ただ、お話全部、「冒険」にはなってないよなあ(^_^;)。
2002年06月18日(火) 狂乱の終わり……始まり?/『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店)ほか 2001年06月18日(月) オンナノウラミ/『うる星やつら 努力、女の道!!』(高橋留美子)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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