無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月06日(土) 理想の正論より現実の暴論/映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』

 休日だが出張。
 もっとも午後からなので、午前中はゆっくり寝られる……って、また病院に行き損なっちまったい。金曜の夜に出歩くと、やっぱり翌日は疲れ切っているのである。けど、医者にはマジでそろそろ行っとかないと、薬だけはもらっているものの、検査は2ヶ月近くサボってるんである。これはちょっとヤバいかも。
 最近、左手の指先が痺れてるんで、もしかしたらいよいよ糖尿の合併症が表れてきたのかもしれない。単に横になって寝てたせいで腕が痺れただけかもしれんが、まあ年齢的にもそろそろ可能性はある。
 働けなくなったらホントに覚悟するしかないんだけれども、また入院するようになったら、今度は個室を頼もう。もちろん、パソコンを持ちこんで、この日記を継続するためである。その前にノートパソコンを買って、使い方を覚えにゃならんが。


 出張と言っても、中味は会議。
 しかも私はメインではなくて、職場の若い女の子の付き添いみたいなものである。実際、用向きの内容っつーか、会議で何を話し合うのかもよく知らない。いいのかそれで(^_^;)……って、この出張自体、私はいきなり代理を頼まれただけなので、知らないのも当たり前なんだが。
 付き添いとは言っても、あいにく彼女も車の免許は持っていない。さて、どうやって行けばいいだろう? 出張先までの距離を考えると、電車やバスは時間がかかり過ぎて使えない。早めに出かければいいじゃないかと言われそうだが、午前中は彼女も用事があって、昼過ぎにならないと抜けられないのである。タクシー代くらい、職場が出してくれたってよさそうなものだが、ウチの職場はそういうところはとことんケチである。まあ、値段を考えたら、これはケチられても仕方がない額だが。
 で、結局、しげに車で送ってもらうように頼む。
 「なんでアンタの仕事を私が手伝わんといかんと?」
 と、しげは至極マットウな正論を述べるが、ここは暴論に従うしかない。「理想の正論より現実の暴論」。なんかこれも格言っぽくていいな(^o^)。最近格言づいてるのか。もっとも、こういう場合は「立ってるものなら親でも使え」とか、「猫の手も借りたい」とか、「○○とハサミも使いよう」とか、そんなのの方が妥当な気はするが。

 初対面の他人を乗せてしかも初めての道を通るのだから、しげ、運転には相当緊張したらしい。おかげでいつもの1.2倍くらいスピードが増している。
 いやあ、しげの車に乗ると、カーブがホントに楽しいなあ! 遊園地でゴーカートに乗ってるみたいだ(←皮肉だよ皮肉)。
 しかも、ナビしてもナビしてもやたら道を間違えやがるし。
 「その三つ先の信号の○○○って角を右に曲がって……」
 「○○○だね?」
 「うん、○○○」
 で、実際にその角まで来ると、「今、○○○ってとこだけど、ここは真っ直ぐだね?」
 「うん……って違うよ!『そこを曲がる』って言ったじゃんか!」
 「そういうことは早く言ってよ!」
 「言ったよ!」
 そんな調子で、更に渋滞にも引っかかったが、不思議にも出張先に到着したのが定刻の30分前。結果よければなんとやらだが、後部席に乗ってた彼女はなんと思ってたことやら。
 つまんなくて無駄の多い会議が終わったのが夕方の4時。
 この後、しげと食事でもするかと連絡を入れるが、「帰って来ぃよ」と一言だけ。
 「食事とかはせんでいいんかね?」と聞くが、やっぱり、「いいから帰って来ぃ」としか答えない。何となく腑に落ちない感じだが、文句をつけても仕方がないので、帰りは電車で博多駅まで戻り、そこで女の子と別れる。紀伊國屋で新刊を物色していったんバスで帰宅。
 ウチに入ると、しげは横になって、うでっと寝ている。……なんだ、「早く帰って来い」って、要するに疲れてるからすぐに外に出る気にはなれなかったってことかい。
 寝るんだったらしゃあないな、今日も映画は諦めるか、と思って、私もゆっくりするつもりで風呂に入ったその途端に、しげがバタバタとけたたましい音を立てて、風呂場まで駆けて来る。
 「ね、券どこ!」
 「……券って……何の券?」
 「映画の! 割引券!」
 「……前売券のこと? こないだ買った『スター・ウォーズ』の」
 「うん、それ! どこ!?」
 「ポケットの中だよ」
 「どこの!?」
 「背広の! サイフの中! そこに入れたの、オマエも見てたろ?!」
 「見てたけど直前に確認しとかんと、不安やん!」
 「オマエが自分で自分を不安に追いこんでるだけだろが! ……って、『直前』って何?」
 「大急ぎで行けば、『スター・ウォーズ』、間に合うよ!」
 「……なら、映画館で待ち合わせしとけばよかったやんか!」


 AMCキャナルシティ13にて、映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃(STAR WARS EPISODE 2 ATTACK OF THE CLONS)』。
 原題に忠実になってるせいではあるけれど、邦題が長いね。
 日本では書誌的・記録的な意味もあって、一度決めた邦題が後で変更されることはなかなかない。だから『スターウォーズ エピソード4 新たなる希望』という映画は存在せず、『スターウォーズ』という映画があるだけなのだが、シリーズ邦題を並べてみるとどうにも座りが悪い。これくらいは過去の作品名を変更したって構わないのではないか。

 以前にも日記に書いたような気がしないでもないが、もう忘れているので、改めて邦題のつけ方について書いてみる。
 邦題のセンスにも時代による感覚というものがあって、当時は粋に聞こえても、現代ではちょっと、というものもかなりある。
 一時期、「邦題は漢字二文字が粋」っていうルールがあったらしく、ジャン・ギャバンの代表作の一つ、“Pepe Le Moko”にも『望郷』というタイトルがついていた。「ペペ・ル・モコ」とは主人公の怪盗の名前なのだけれど、確かにそのまんまだと「『ペペ・ル・モコ』ってなに? 料理の名前?」なんて勘違いされそうだが、だからと言って、この邦題を「なんていいタイトルだ!」と主張するのはどうかな、という気がする。映画を見た人はわかると思うが、ペペの心境を「望郷」の二文字で片付けちゃっていいものか、という疑問が湧いてくるのだ。
 ビビアン・リーの『哀愁』だって、原題は“WATERLOO BRIDGE”。「哀愁のなんたら」というタイトルが氾濫してしまった今となっては、オリジナルタイトル通り、『ウォータールー(ワーテルロー)橋』としてもらってたほうが区別がついたのになあ、と思わざるを得ない。
 『慕情』になるともっと悲惨で、原題は“LOVE IS A MANY SPLENDORED THING”。「愛とはたくさんのすばらしいこと」じゃ粋じゃないってんなら、どうしてせめて「永遠に輝かしき愛」とかなんとか意訳できなかったものか。この「慕情」って言葉、今や『男はつらいよ 知床慕情』に使われるくらい、そのイメージが落魄してしまった。
 一度定着したタイトルをあとで変えることには当然問題が生じる。ただ、その拘りが、「過去の名作の邦題は粋だったから」という主観的なものであってはならないと思う。
 上記のものはいずれも、今やとても魅力あるタイトルとは言えなくなっているし、憶測だが、もしもデュビビエ監督が自作の邦題が『望郷』だと知ったら憤慨するのではないか。仮にデュビビエが「邦題を変えろ」と主張したとしても(死んでるけど)、今更あのタイトルを変えることはできないが、内容とかけ離れた邦題がついていることにそもそも問題がある、という認識は持って然るべきではないか。
 私は、邦題を今の感覚に合わせてもっとシャレたものにしろ、と言いたいわけではない。物理的な理由で、モノによっては改題を再考してもいいものもあるのではないか、と言いたいのだ。
 例えば、マレーネ・ディートリッヒの『情婦』“Witness for the Prosecution”などは、ミステリーであるにもかかわらず、タイトルでトリックの一部がバラされているのである。これなど、リバイバル時からタイトルを『検察側の証人』に変更するよう、ミステリ関係者はどうして映画会社に申し入れなかったのか。今からでも改題を要求してもいいのではないか。これを放置しておく、というのは、ミステリの読み方について「どうでもいいじゃんそんなこと」と蔑んでいるのと変わらないと思うがどうか。
 『スターウォーズ』の話に戻って、第四作を『スターウォーズ』のままにしておくと、そのうちこれが第一作で、『エピソード1 ファントム・メナス』(これも『幻影の脅威』じゃどうしてダメだったのか)のことを指すと勘違いする人も出てくると思われるのである。

 タイトルの話ばかりでナカミがないな(^_^;)。
 さて、前作『ファントム・メナス』で、「ホントは『スターウォーズ』シリーズってつまんないんじゃないの?」とすっかり株を下げてしまった感があるが、今回は随分と失地回復を果たしている。
 もっとも、未だにドラマ性よりもイベント性を重視した作りのせいで、監督やスターウォーズフリークはともかくも、一般観客には退屈だろう、と思われるシーンは随所にある。
 ドロイド工場の追っかけシーンなどは最たるもので、どうせ助かるってことが解りきってる上に、たいしたサスペンスもそれを切りぬけるアイデアもなく、ただただ音楽がうるさくカットがチカチカ目に痛いだけだ。なんでもあれももとの脚本にはなく、現場での思いつきで挿入したシーンだそうだが、ルーカスが映画学校でドラマツルギーを何も学んでなかったことがよくわかる。
 アナキン・スカイウォーカーとパドメ・アミダラの恋も、冗長さが目立つ。
 恋の過程にメリハリがないことが原因だが、オトナになりきれていないアナキンは直情径行でも構わないのだが、「抑え役」パドメのナタリー・ポートマンがどうにもいけない。議員としてのストイックな面と、恋に落ちて以後の情熱的な面との演技の落差を表現できるほどの力がまだ備わっていない点がネックになっているのだ。脚本の上でも最初からあんなにラブラブじゃ、見ている観客は白けるだけだぞ。障碍があるから恋は燃えるんじゃないのか。
 ジョン・ウィリアムスの音楽もうるさすぎ。しょっちゅうBGM流してないと落ちつかないのは逆に神経症じゃないのか。

 何か思いきり貶してるみたいだけれど、しかしそれだけの欠点を備えていてもなお、本作は『スターウォーズ』シリーズ中、一番面白い。
 何よりそれはドゥークー伯爵役のクリストファー・リーの名演に負うところが大きい。善玉が悪玉を演じるのは難しいが、悪玉は善玉を演じられるだけの技量を持っているものだ。月形龍之介が吉良上野介と水戸黄門の両方を演じられたように、クリストファー・リーはドラキュラ伯爵とシャーロック・ホームズの両方を演じている。
 今回も、共和国に敵対する悪の親玉風に登場していながら、オビワンに「共和国の元老院は暗黒卿に支配されている、正義は我々にあるのだ」と勧誘するあたり、果たして真の悪はどちらか? と迷わせるだけの風格ある演技を見せてくれる。絶対悪はそれだけでカリスマなのだから、絶対善にも見えなければ意味がないのだ。クローン軍の攻撃にも動じないその余裕ある演技は、後のダース・ヴェーダー卿がただのチンピラにしか見えないほどだ。
 オビ・ワンもアナキンもドゥークー伯の前では赤子同然、唯一対抗できるのはヨーダのみだが、いやあ、この二人の念力合戦の楽しさときたら(フォースってやっぱり念力だよな)、まるで往年の時代劇、忍者映画を見るよう。
 自雷也と大蛇丸か、影丸と阿魔野邪鬼か、はたまたバビル2世とヨミか(マジでルーカス、横山光輝を参考にしたんじゃねーか)、走る電撃、崩れる伽藍!
 フォースでの対決は勝負にならぬと、続くはライトセーバーでの肉弾戦、宙を駆けドゥークーの死角を狙うヨーダ! 余裕でかわし、ライトセイバーを振り上げるドゥークー! 実力伯仲のこの均衡を破る最後の手段は何か!?
 ホントにこのままヨーダが大ガマに、ドゥークー伯が巨竜に変身して戦ってくれないかと願ったくらいだよ。
 それにしてもヨーダがここまで活躍するとはねえ。数十年後にポックリ逝くのが信じられないくらいだ。それともこのときの戦いのムリがたたって、あんなんなっちゃったのかもね。
 さて、敵方にどんどんいいキャラが増えてく『スター・ウォーズ』シリーズだけれども、次作ではクローン戦争のきっかけを作ったジャー・ジャー・ピンクスが自分の罪を恥じて自決してくれることを希望(^o^)。コメディーリリーフはC−3POとR2−D2の二人だけで充分だって。
 あ、でも吹替え版の田の中勇さんのジャー・ジャーはちょっと聞いてみたいかも。それに、クリストファー・リーは羽佐間“プリズナーNo.5”道夫さんだぞ! ドラキュラ役なら私なんかは千葉“フォーグラー博士”耕市さんの声が刷り込まれてるんだけど、これもまたヨキかな。


 帰りにどこで食事をするかでケンカする。結局、金龍でラーメンに落ちつくが、たかが食事のことでどうしてこう争えるかね。

2001年07月06日(金) ニュースな一日/DVD『遊撃戦』第一話ほか


2002年07月05日(金) 金曜で〜とだ。一応/映画『マジェスティック』/『気になるヨメさん』1巻(星里もちる)/『クロノアイズ』6巻(長谷川裕一)

 時間帯が合わずに、しげと一緒に映画に行ける日も減っていたのだが、今日は先々週に引き続いてしげの仕事が休み。こういう機会はもう逃せない、ということで、仕事が終わるなり、粕屋方面に向かう。
 何の映画を見るかは随分迷った。私は『パニック・ルーム』を見てみたかったのだが、しげが怖がってまた私の指だの腕だのをつねったり握りつぶしたりもいだり食ったりしそうなので自ら却下。
 ジム・キャリーはできるだけ新作を追いかけているので、時間が長いし題材的にあまり興味は惹かれなかったが、『マジェスティック』を見ることにする。


 映画までの時間つぶしに、「かに一」でバイキング。
 「昔に比べてすっかり少食になった」とほざくしげ、肉を焼き、メシをくらい、新しいオカズが並ぶたびにおカワリに走る。
 つまりしげの「あまり食べられないからバイキングはイヤ」というのは、「2千ナンボ払ってるんだから、五食分くらい食えて当然や! なのに三食分しか食えんやんけ!」という文句なのである。文句かそれは。
 私がカニの脚の身を剥いて、ツルリと引き出すと、しげ、目を見張って「オレも剥く!」と取り上げようとする。
 「なんだよ、食うのか?」
 「食わんけど剥きたい!」
 しげのカニ嫌いはひとえに「うまく殻が剥けない」という点にある。食欲が常に勝っているヤツなので、エビだのカニだの、食うスピードが減殺されるような甲殻類はしげの天敵なのだ。あるいはしげの前世はプランクトンでカニに食われてたものか。
 周知の如く、カニの剥き方は要領さえわかっていれば至極簡単である。しかもこの店のカニ、殻にもう切れ目が入れてある。関節からもぎって引っこ抜けば、スルリと簡単に身が出るのだ。
 「オマエ、剥き方知らんかったんか?」
 「うん」
 「『ここだけのふたり』で『カニってバカだよね、こんな剥かれやすいカラダして』って書いてあったじゃん」
 「だからやると!」
 むりやりカニを取り上げて、首を捻りながらカニの足も捻るしげ。
 うまく身を引き出せて、ニヤッと笑ってカニの身を返されるが、なんだかねー、エサもらってるみたいで食欲が減殺されるねー。


 まだまだ時間は余っているので、道すがらの本屋回り。
 別府(「べふ」と読む。あの温泉とは別場所)の明林堂で本を物色していたが、ふと、金属製のパズルみたいなのがズラリと置いてあるコーナーがあるのに気づく。こういう「知恵の輪」は昔から大好きだったので、箱の空いたサンプルを一つやってみる。ひねくり回しているうちになんとか外してもとに戻す。
 しげにも「やってみない?」と手渡す。つまんないプライドだけは高くて、ちょっとでも恥をかきそうになことになるとプイと逃げることの多いしげだから、もしかしたら「やらん」と拒絶するんじゃないかなー、と思いきや、意外にもすんなり手に取ってやり始める。
 でもやっぱりしげ、どうしても外すことができない。とうとうあきらめて放り出す。なんかな〜、やっぱりどこか根気が足りないんだよな〜。

 突然「わっ!」と声をかけられたので、ビックリして振り返ると、立っていたのは穂稀嬢。
 「どしたの? こんなとこで」
 「何言ってんすか。ここ、ウチの目の前ですよ」
 そいつは知らなかった。っつーか、穂稀嬢をウチまで車で送ったことも何度かあるのだが、住所をはっきりと認識してなかった。そう言えばこのへんだったよなあ。
 「しげさ〜ん!」
 「ハカセ〜!」
 いきなり抱き合い踊るしげと穂稀嬢。踊るといっても、リズム取りながらお互いのカラダを鏡に映ってるみたいに揺らしてるんだが、アレですよ、志村けんと沢田研次の鏡コントみたいな感じね。……本屋でいったい何やってんだか。
 穂稀嬢、お母さんとふたり連れだったが、御母堂はこういう娘御のほよよんとした態度をどう見ておられるか。話によると穂稀嬢の悪行の数々を全くご存知ないようであるが(^_^;)。いやまあ、別にしげと不行跡があったわけじゃないけどね。
 台本の話などして、辞去。


 粕屋のサティに付いてもまだ時間は余っているので、あちこちの店を冷やかす。
 しげがCD屋でなにかを探している間に、隣の本屋に行って買い忘れてた本を何冊か買うが、あとで見てみたら、もう既に買ってたやつだった。新装版だったので勘違いしたのである。最近ボケて来たのかこういう失敗が多い。ヤバいなあ。
 ゲーセンでUFOキャッチャー、今日は調子がよくて、クマのプーさんのカップや、ミッキーマウスの飲茶セットなどを立て続けにゲット。
 しげがステッカーがほしいというので、取ってやるが、相撲取りの絵に禁止のマークがついていて、「NO SMOKING」の文字。こーゆーしょーもないものをなぜ欲しがるかな。
 と言いつつ、私もガシャポンで『あずまんが大王』のカプセルフィギュア(こう呼ぶことを最近知った)を三つも手に入れてたから人のことは言えないのだが(^_^;)。


 ワーナーマイカル福岡東(粕屋)で、映画『マジェスティック』。
 フランク・ダラボン監督の映画は実は初見である。すみません、『ショーシャンクの空に』も『グリーンマイル』もまだ見てないんです。エアチェックはしてるんですけど。別にスティーブン・キングが嫌いってわけじゃなくてただの偶然です。でもこれじゃ映画ファンと名乗れませんね。

 「マジェスティック」というのは、映画中では「威風堂々」と訳されているが、本編では実は映画館の館名のことである。エドワード・エルガー作曲の軍隊行進曲『威風堂々』の原タイトルは“Pomp and Circumstance”なので、この曲を直接イメージしてタイトルを付けたってわけじゃなさそうだけれど、辞書を引くと“Majesty”にもやはり「荘重な、威風堂々とした」という訳が載っている。そう言えば、“Her Majesty”と言えば女王陛下のことで、『モンティ・パイソン』では王室関係のパロディのスケッチでは必ず『威風堂々』がBGMで流れてたから、アチラではこの二語は、関連語として認識されてるのだろう。
 もちろん、単に映画館の名前以上の意味を制作者がこのタイトルに含ませたい意図は容易に理解できる。これはもう、アメリカの民主主義をあたかも「絶対王制」の如く、声高に主張した映画であって、深読みすれば「アメリカのやることは全て正しい」と言ってるみたいで、いささか鼻白む点もないではないのだ。

 時代は赤狩り真っ最中の1951年。
 主人公はしがない脚本家のピーター・アプルトン(ジム・キャリー)。
 かつて女のシリに惹かれて(なんじゃそら)、何も考えずに共産党の集会に参加したことのある彼は、非米活動委員会から審問会に召喚される。
 ところが“偶然”自動車事故に遭い、記憶喪失となった彼は、ローソンという田舎町で、その町出身の第2次大戦の英雄、ルークと“偶然”顔がそっくりったために、本人と間違えられる。
 自分がルークかもしれないと考えた彼は、父親だというハリー(マーティン・ランドー!)の後を継ぎ、さびれた映画館、「マジェスティック」の再建に乗り出す。アデル(ローリー・ホールデン)という恋人もでき、順風満帆に見えたピートだが、委員会の調査の手はすぐそこに迫っていた。
 そして、彼の本当の記憶が戻る日も……。

 偶然がいくつも重なるご都合主義はこの映画の場合は欠点にはならない。
 これはまさしく運命の不思議を通して、生きることの意味を問う物語であるからだ。
 しかしこの映画の何が気になるかというと、これがまたヒネクレたものの見方だと指を差されそうだが、欠点らしい欠点が見当たらない点にある。
 設定もストーリーも全くと言っていいほど破綻がない。
 気取った演出も小難しい理屈もなく、俳優の演技も的確で演出も堅実、制作者の意図がこれだけわかりやすい映画もそうそうない。
 でもそれは、映画としての枠組が優れている、というだけのことだ。言い替えれば、外形さえ整っていれば(基本を押さえた映像テクニックさえあれば)、中身がカスでも映画は「名作」っぽくなっちゃうのである。

 「赤狩り」がアメリカの汚点であった、それはその通りだろう。マッカーシズムがファシズムであることを認めたというのは、アメリカが自らの罪を「反省」する態度すら持つ「民主的国家」であることを証明していると言いたいのかもしれない。
 しかし、その「反省」の態度にこそ、逆に偽善を感じざるを得ないのだ。はっきり言って、「赤狩り」を題材に選んだのは、そけがアメリカ国民の誰もが「反省」していることを納得しやすいものだったからに過ぎない。あれが一番、わかりやすいし、罪を認めるのにたいした勇気は要らないのである。言っちゃ悪いが「桜の木の枝を折りました、すみません」レベルのものだ。広島・長崎の原爆投下やベトナム戦争や対テロ報復は「重過ぎる」し「正しい」と思ってるし、仮にもしかして間違ってるかもしれないとチラッとは思っても、やっぱり「反省したくない」から題材には選ばれないのだ。
 そういう態度ってフツー、「卑怯」って言わない?
 そんな風に見ていくと、「威風堂々」がただの見せかけ、中身のない薄っぺらな「反省ぶりっこ」だよなあ、という気になってくる。反省したフリして実は主張を押しつけてくるというのは、小林よしのりが『ゴーマニズム宣言』でしょっちゅう使ってた手だ。
 ああ、そうだよ、これ、フランク・ダラボン版『ゴーマニズム宣言』なんだわ。映画としてはよくできてるしねー、ジム・キャリーやマーティン・ランドーの演技は必見と言ってもいいくらいなんだけどねー、民主主義に則ろうが結局あんたら好きで戦争やってるんじゃんってなもんで。結局は「臭いモノにフタ」して自己肯定、自分賛美してる映画じゃねー、まあ同情はしても共感はしませんわ。

 帰宅して、ガシャポンを開けると、幸いダブりはなし。
 ちよちゃんとともとおーさか。榊さんがなかったのは残念だが、おーさかがゲットできたからいーや。おーさかのムネがぺたんとしてて手の甲が前向きで、脚が外またなのが実にリアル。制作者、よく女の子を観察してるよなあ。もともと原作者のあずまさんがアチラ方面のご出身というのが作用してはいるのだろうが。でも体型をいちいち見られてるってのはやっぱり女性はイヤなんですかね。女性が気にするほどに男はそんな外見的なものを気にしちゃいないんだけど、一部のヘンタイの持ってるイメージに踊らされてるからねえ。
 パソコンの上に並べるが、もうスペースが目いっぱいになってるので、鬼太郎フィギュアを後ろに回す。それでも水木ファンか! と誰かから怒られるかもしれんがやっぱ並べて楽しいのは妖怪よりもきれーなね〜ちゃんでしょう(^o^)。
 ……だからたかが人形じゃん、怒るなってばしげ。


 マンガ、『気になるヨメさん』1巻(小学館/ビッグスピリッツコミックス・530円)。
 オビに「星里もちるの善意と悪意! 同時発売!」とあるのは、『本気のしるし』5巻が一緒に発売されてて、それとはマンガの傾向があまりに違い過ぎるから、注意を喚起するためなのかも(^o^)。
 『危険がウォーキング』以来、ほのぼのギャグが星里さんの持ち味、と思い込んでいたファンにしてみれば、『リビングゲーム』で青年誌に進出して以降、シリアスの度合いをどんどん深めていく傾向(と言えば聞こえはいいが、実体は「人間関係ドロドロ化」)にある星里さんの作風に違和感を感じていた分、この『気にヨメ』の加奈子さんの脳天気さには、ホッとさせられるものがあると思う。
 いや、フツーに考えたらこの加奈子の設定、男の反発くらってもおかしくないいんじゃないかと思うんである。
 後先考えない「飛び入り好き」で、いくら結婚届をまだ出してなかったからって、一応は夫婦生活を営んでるツマがだよ、ミスコンに飛び入りしてグランプリまで掻っ攫っていけしゃあしゃあとしてるなんて、ちょっとひどすぎないかい?
 しかも、そのミスコンを主宰してる会社が、「偶然にも」主人公の塚本くんの取引会社だったせいで、上司命令で一年間「ミスで通させる」ってのは、いくらマンガだからって現実離れし過ぎている。そこまでしてヒロインを「ミス」として立てなきゃならんか? ってなツッコミの一つも2ちゃんねるあたりではやってそうな気がする(覗いてないけど)。
 それでもなお、星里ファンの大半(もちろんオトコ)が可奈ちゃんを「かわいいなあ」と思ってしまうのではなかろうか。それは例えば、ミスコンを主宰したタイヨウ堂の社員が、いきなリ主人公の自宅を訪ねてきたときに、可奈ちゃんがメガネをして髪を上げて、しかも関西弁まで喋って(わざとではなくたまたま関西に行ってたので移っただけってところがいかにも天然)うまく誤魔化したりするそんな健気さにもあるんだけれど、やっぱりファンの「もうあんまりドロドロした人間関係は見たくない」心理も働いてないか。
 でもこれが読者としての私の勝手なところなんだけれど、一度『本気のしるし』であれだけどーしよーもない男と女の関係を描いているのを見せつけられてると、今更『気にヨメ』でほのぼのーとしたもの見せられても、どうしても「ウソっぽいなあ」と感じてしまうのである。
 坪田さんのような恋のライバルを登場させておいても、ライトなシチュエーションコメディだからってことなのか、誰かが傷つくような展開にはならない。もうアレですよ、主人公たちが夫婦であるってことを隠してて、夫にも妻にも恋のライバルが現れるって図式は、設定としては往年のテレビドラマ『奥さまは18歳』と全く同じね。ハラハラはするけどドロドロには決してならない、多分ラストでは二人が夫婦って事実はバラされるんだろうけれど、やっぱりトラブルは丸く収まってハッピーエンド、というヌルイ展開になることは容易に予想がつく。そんなんでいいのかね、ホントに。
 でも、『気になるヨメさん』ってタイトルも気になるなあ。
 知ってる人は知ってるが、このタイトルもやはり往年のテレビドラマ、榊原るみ・石立鉄男主演の『気になる嫁さん』から取ってることは確実。あれも死んだ弟の未亡人(と言っても式を上げただけで結婚生活はまだ)が男兄弟の中にいきなり飛びこんできて、という危うい設定だったんだけど、その最終回、結構、切ない終わり方してたんだよなあ。
 もしかして、ほのぼの路線に見せかけてるのは、実はラストでどんでん返しで悲劇的に終わらせようと考えてるんじゃ……? あんなに二人ががんばってるのにそりゃいくらなんでも悲し過ぎないか。
 ……ってよ、ああ、もう、言ってること支離滅裂。私ゃ結局ハッピーエンドにしてほしいのかほしくないのかどっちなんだよ!


 マンガ、長谷川裕一『クロノアイズ』6巻(講談社/マガジンZKC・560円)。
 第1部完結。
 ううむ、うまいなあ。
 前巻で主人公の大樹が、“確実に”“間違いなく”“絶対に”“何一つタイムパラドックスを起こさずに”死んじゃったので、さて、これをどう解決するかと思ってたのだけれど、あれをああしてこう来たか。
 ちょっと書いただけでもネタに触れちゃうので、書き方が難しいのだが、SF作家たちが時空間理論について頭を悩ませている課題について、実に明快な、しかもこれまでにない新解釈を考案している。
 タイムパトロールたるクロノアイズには、歴史上、何の影響も与えない人間が選ばれるはずなのに、カラミティ・ジェーンはいるわ、宮本武蔵はいるわ、アトランティスの王妃はいるわ、ミトコンドリアイブはいるわ、こりゃどういうこと? って謎にも、ちゃんと筋の通ったリクツが付くようになってる。
 そうか、この手があったか! ってなもんで、久しぶりにセンス・オブ・ワンダーを感じさせてくれるSFマンガに出会えたって印象で、頗る気分がいい。

 でも実は一番気に入っているのは、シリアスなストーリーの合間に差し挟まれるギャグと適度なエッチだったりする(^_^;)。いや。いいぞ、「ニセクロノアイズ」(^o^)。アレだけ活躍しといて、最後はちゃんとオチ付けてくれるあたり、美味しいよなあ。えっちのほうも第1部完だけあって大盤振る舞いだね〜。アナが脱がされるのは当然(^_^;)としても、ペル、パペッティア、ハデスときて、スリーピーまで脱がしてどーする。首から下しかないぞ。いやもー、この、「女の子キャラは脱いでこそ命!」という信念こそ、漫画家の鏡というものでありましょう。
 ……この程度でセクハラなんて文句つけるなよ、エセフェミニスト諸氏。

2001年07月05日(木) 疲れてるとかえって饒舌/DVD『アリオン』ほか


2002年07月04日(木) 丼より皿/『快傑ズバット大全』(ブレインナビ)ほか

 仕事がたて込んで、帰りがちょっと遅れる。
 途端に帰り道がやたら渋滞。信号で横入りしてくる車がやたら多くて、ホントに一台も動かない。
 しげと、晩飯は「めしや丼」で、と約束していたのだが、その「めしや丼」が目の前10メートルのところに見えているのに、前の車がビクとも動かないので、全然、駐車場に入れない。
 「オレはそこに入りたいだけなんだよ〜!」
 と雄叫びをあげるしげだが、前の車に聞こえるはずもなし。
 私だって、仕事帰りは当然腹を減らしているのである。叫びたいのは山々だが、そんなことをしても空腹感が癒えるわけもない。隣に飢えた狼がいて吼えているのを聞いていると、ますますハラがグーと鳴り始めるが、どうにもならない。
 糖尿病のせいだろう、喉も異様に乾いてくる。「めしや丼」の前の自販機がすぐそこに見えるので、先に降りて飲み物だけでも飲んでやろうかとふと思うが、またしげに「自分一人だけぇ」とブチブチ文句言われるのも気が滅入るのでひたすら耐える。

 信号待ちを何回繰り返したか、ようやく店に入るが、真っ先にお茶に飛びつく。この店はお茶さしがテーブルに置いてあるのがありがたい。
 期間限定で「ウナギ定食」「ウナギ丼」が出ていたので、しげが定食、私が丼を頼む。皿より丼の方がウナギは美味い、というのは『美味しんぼ』からの知識だが、腹に入ればどちらも変わらん。ここは定食だとご飯のお代わりが利くので、しげはいつも迷わず「丼より皿」である。
 あ、これ、コトワザになるな。みんなも使おう、「丼より皿」。意味は「食欲は全ての欲に勝る」(^o^)。
 『美味しんぼ』のウンチクもしげの食欲には叶わないのだな。スーパーで一尾千円もするようなウナギを買うより、ここの780円の定食を食ったほうが、冷奴も味噌汁もついてくるし、ずっと安上がりである。


 帰宅するなりドッと疲れが出て、横になる。
 新番アニメの『ふぉうちゅんドッグス』、漫然と見るが、『ハム太郎』の路線を犬でやろうって感じの作品であまり好感が持てない。そのまま『アンビリバボー』の心霊モノを見てたら、怖がりのしげが悲鳴をあげて「消して消して!」と騒ぐ。「じゃあ電気を消そうか?」と、部屋を真っ暗にしてテレビだけ点けといてやろうかとも思ったが、さすがにちょっと意地悪かな? と思ってやめる。
 眠気激しく、あとはもう意識がない。
 9時くらいに寝て、朝まで全く目覚めなかったってことだ。おかげで日記の更新もできなかったけど、こういう日もあるわな。


 ブレインナビ編『快傑ズバット大全』(双葉社・2100円)。
 しげが読んで「宮内洋って、丹波哲郎のお弟子さんなんだ!」とびっくりしていたが、やはり『キィハンター』からの流れを知らない人には、そういう基礎知識も伝わっちゃいないのだよなあ。
 そういう意味でも、こういう、微に入り細に入り、詳細を極めたようなムックが出版されるということは意味のあることだろう。
 私にしたところで、『ズバット』はテレビでは一度も見ていない。
 もちろん、嫌いだったわけではない。情報だけは『テレビマガジン』などで知ってはいた。
 何しろ普通のヒーローとは設定があまりに違いすぎる。
 私立探偵でギターを抱えた渡り鳥で(この時点で既に設定に矛盾がありすぎるな。出張販売の探偵って、『パラノイアストリート』かい)、指を立てて「ちっちっち、お前は日本で2番目だぜ」みたいなキザなセリフを吐く小林旭と宍戸錠をこき混ぜたようなキャラを、あの宮内洋が演じているのだ。「ズバッと参上、ズバッと解決!」だなんて、ケレン味ありすぎ。しかも、敵は悪の組織とは言え、怪人とかの類ではなく「用心棒」なんである。『仮面ライダー』とは異質も異質、こんな、デタラメで笑いどころ満載の設定、いったい誰が考えついたんだってなものである。
 こういう素っ頓狂なドラマを私が嫌いになるはずがない。
 もっとも、嫌いにはならなかったが、引いてはいた(^_^;)。どっちにしろ、実物を見ないことには話にならない。面白いか面白くないか、ともかく見てみたいなあ、とは思っていたのだ。
 でも、見ようったって、本放送時、福岡じゃ放送してなかったのである。当時は系列局がなかったんで、東京12チャンネル(現テレビ東京)の番組って、ほとんどこっちには来なかったんだよねえ。考えてみりゃ、テレビQが開局しなかったら、『エヴァンゲリオン』だって見られなかったかも知れないのだ。あーあ、福岡は田舎だ(+_+)。
 果たして、再放送がどこかの局であったのかどうか、あったとしても今度は時間帯が合わなかったのだろう、結局、LDで『快傑ズバットメモリアル』を見るまで、ウワサのみ聞くばかりで、全く本編を見る機会がなかったのである。

 基本的に、自分が見たことのある番組でない限り、こういうムック本を私は購入しないのだが、そういう事情なので今回は買った。読んでやっぱり思うことは、「本編が見たいぞー!」である。
 設定やストーリー展開はやはりデタラメ。『さすらいは爆破のあとで』とか『大神家一族の三姉妹と天一坊』なんてサブタイトル眺めるだけでこの脚本家、脳ミソ膿んでるんじゃないかと思ってしまうが、実際膿んでるやつだった。『弟切草』の長坂秀佳。ドラマ作りのノウハウを知らないし節操はないし、脚本家ワーストテンを作ればまず間違いなくトップ候補の御仁である。だからこの人の脚本をまともに映像化するとホントにただの駄作になってしまうのだが、アホに徹して作ると『キカイダー01』のように見事なバカドラマができあがるのである(01がビジンダー=志穂美悦子のムネのボタンを外そうとする迷シーンは長坂脚本の真骨頂だろう)。この人がどれだけバカかというのは、巻末のインタビューを読んでもすぐにわかる。「日活映画なんて現実離れしていてなんかバカバカしい」なんて、おまえが言うか(~_~;)。
 しかし、そのバカ脚本を更に上回る演出で堂々たるバカドラマを作り上げた役者と監督はエラい。宮内洋と田中秀夫に脱帽である。こうなると早いとこDVDボックスを出してほしいと切に思うが、サイフの都合もあるので、できれば来年あたりに(^_^;)。 

2001年07月04日(水) 喉が異常に乾くよう/DVD『少年ドラマシリーズ ユタとふしぎな仲間たち』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)