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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年06月27日(木) 緩やかな統制に異議を/『七人のナナ』&『アベノ橋魔法☆商店街』最終回/『王妃の離婚』(佐藤賢一)

 仕事帰りの晩御飯、どうするかと、車の中でしげに聞いたら、「今日は寿司の気分」だとか。
 「でも、カネないし。諦める」
 「諦めることないよ、俺が奢ってもいいし」
 「なん、あんた、カネあると?」
 「あるわけじゃないけど、寿司一回奢るくらいはあるよ」
 「……明日は?」
 「毎日はムリだよ! ってゆーか、毎日寿司食うかい、普通」
 「……じゃあ、要らない」
 「なんで? 寿司食いたいんじゃなかったんかい」
 「食いたいけど食わん。だって、今日食って明日食えんのって悔しいやん」
 悔しいってよう、そりゃ単にぜーたく言ってるだけじゃないか。貧乏人のクセにつましい生活はしたがらないやつなんだよなあ。
 そのくせ、次の瞬間、「ねえ、どこか遠くに行きたいね」とか言い出すのだ、このスットコドッコイは。
 「じゃあ、休みに三井グリーンランドにでも行くか? 前から行きたがってたろ?」
 「いいけど、オレたちみたいなのが行っていいと思う?」
 この「オレたちみたいなの」とはどういう意味だ。
 実際の自分は傲慢なくせして、言葉だけは卑屈なふりをするこういったしげの態度に接すると、正直な話、イラダチを抑えきれないのである。しかも「オレたち」だなんて私もしげといっしょくたにされてるし。わしゃ三井グリーンランドに行っちゃいかんのか。行ったら追い出されるのか。っつーか、三井グリーンランドのどこにどう遠慮しなきゃならないのか。皇居やバッキンガム宮殿だって庶民に開放されてるんだ。どうして遊園地に遠慮しなきゃならん。
 もう口を利きたくなくなって、「だったら行くな!」と言って、車の背もたれを倒して寝る。
 素直に喜びゃいいのに、どうしてこうヒトコト多いのかな、しげは。


 26日の唐沢俊一さんの裏モノ日記で、ワールドカップのあの加熱騒ぎを冷ややかに批評されているのを読んで、なんだかホッとする。
 まずは香山リカ氏のエッセイに触れて、「若者の抑圧をその底に見、それを意図的に煽動する者が出てきたとしたら」という香山氏の言葉を引用されているのだが、これが杞憂でも何でもないことは既にオウム真理教の事件などでも証明されている。実際、乗せれば動くバカはいくらでもいるってことをマスコミが宣伝してくれたようなものだ。戦争を歓迎する人間は多くはないが、戦争になってしまったら、唯々諾々と従うのがほとんどの日本人の国民性だ。だから、国捨てて逃げても非国民じゃないって言ってるのに。そんな考え方してたら、世界の難民はみんな非国民ってことにならんか?
 唐沢さんが「日頃、ドメスティック・エゴに対して冷笑的、あるいは否定的な見方をしている人が、サッカーというフィルターがかかっただけでコロリと愛国者になってしまう。こういうのは腰が座っていないのである」と書かれているが、腰が座ってないだけならまだいい。サッカー見ざれば人にあらず、みたいな態度を取られるのが迷惑なのだ。
 これは「『クレヨンしんちゃん』はいいよ、見ようよ!」という趣味に関する勧誘とは全く質が違うものだ。私は普通の人が『クレヨンしんちゃん』を見ないからと言って怒りはしないが(日記中で私が腹を立てていたのは、あくまで「劇団員」や自称「オタク」のくせに『しんちゃん』を差別している点であることに注意していただきたい)、彼らは彼らに同調しないこと=敵と見なすのである。
 そりゃいくら何でも考え過ぎじゃないか、と言われる方もあろう。しかし、単にサッカーが好きなだけなら、ワールドカップ以外のサッカーの試合にだって、興味を示すはずではないのか。なのに、今のサッカーバカの大半は、「日本を応援する」ことにしか興味・関心がない。深層にある共同体意識や愛国心を、「趣味」や「嗜好」のオブラートに包んで提示していることは否定のしようがないのである。
 私は何もナショナリズムを全面的に否定しようとは思わない。
 ただ、国に対する思いを、仮想敵国を作る、敵を倒すという形でしか表せないのは、結局は精神の脆弱さを露呈しているだけであり、いずれは何者かに洗脳煽動される危険を孕んでいることを指摘したいだけなのである。
 私ゃ自分が強い人間だなんて思わないけどさあ、あんなお仕着せの中身がスカスカなイベント(念のため言っとくけど、これはサッカーというスポーツ自体がつまらないと言いたいわけじゃないからね。趣味レベルのものがムリヤリ国家的イベントに仕立て上げられてるってことを言ってんの)に乗せられるほど欲求不満に陥っちゃいないんだけど。

 これだけの熱狂が起きた、ということは、とりもなおさず他人に乗せられるばかりで、自分のアタマで考えようって人間が減ってきてるってことだ。「自分のアタマで考えてない」ってことにカチンと来るなら、ワールドカップ以前と以後とで、サッカーのルールにどれだけ詳しくなったか、説明してみろ(何度も言う通り、これは純正のサッカーファンに対する批判ではありません。俄かファン、エセファンに対するものです)。
 熱狂するなら他にもいくらでもあるだろうに、なんでもっと世間にオタクが増えないのか(そこに話を持ってくるかよ)。

 唐沢さんは更に、「現代アニメ論」を展開されているが、これについても大いに賛同したいのだが、書きだすと長々論文になってしまうので省略。
 ただ、何度もこの日記でも書いてるけど、若い人が昔のアニメや特撮を知らないのは仕方がないことだけど、「知らなくたって恥じゃない」と開き直るのはバカなだけだからやめた方がいいぞ。そりゃ、トシヨリが若い人を慰めるためのコトバでぁって、バカな自分を正当化するために使うコトバじゃないよ。
 別に威張るわけじゃないけど、オレたちゃトルストイもドストエフスキーも漱石も読んだ上で、『クレヨンしんちゃん』は面白いって主張してんだよ。でなきゃ、言葉に説得力ってものが出て来ない。自分たちのコトバにどれだけ人を納得させられるだけの論理があるかどうか、ちったあ考えろよな。
 ……唐沢さんの「情報は現在のそれが過剰になればなるほど、歴史的つながりが絶えてしまうものなのである」ってコトバ、諦観してるみたいで悲しいなあ。


 アニメ『七人のナナ』第25話(最終話)「合格発表!! 心の丘に花の咲く?」
 あ〜、しばらく見てなかったら、「影ナナ」なんてのが出て来てるよ。
 ダークサイドっつーか、ウィリアム・ウィルソンっつーか、この手のパターンはいやになるほど見てきてるんで、飽き飽きしてるんだけど、結末が更に「あなたもやっぱり私だから」って言って合体しちゃうってのもあまりにも定番で安易過ぎないか?
 同じ安易でもね、本来、一年経っても七人のナナが元に戻れなかったら死んじゃうって話だったのが、実はそれ、お爺ちゃんの勘違いでしたって肩透かしは別に腹は立たないのよ。それは話を引っ張るためのマクガフィンみたいなものだから。
 けど、そうやって七人のナナがいるなら、影ナナだって復活してなきゃヘンじゃん。結局、オチ付けるために八人目のナナを出したのはいいけれど、物語としてうまく着地できなかったってことじゃないのかね。
 せっかくハチャハチャな展開で久しぶりに楽しめるギャグアニメになるかと思ったら、また今川泰弘の説教臭さが出てつまんなくなっちゃった。だから「自分の気持ちに正直になることが大切」なんて薄っぺらなスローガンでアニメ作らないで欲しいんだけどなあ。


 アニメ『アベノ橋魔法☆商店街』13話(最終回)「甦れ!まぼろしの陰陽師☆」。
 あー、サッシの正体って安倍泰親だったのね。
 って実はこれ、ネタバレなんだけど、どーせ若い人は安倍泰親なんて誰なんだか知らないだろうから、名前出しても大丈夫だろう。第一、本編中でも泰親についての解説、全くないし。
 これまでの色々なアベノ橋商店街が全てサッシの心の中の仮想現実だったってのは、ブラウンだしディックだし押井なんだけれども、それはもうバレバレなのを承知の上でいろんなスラップスティックな世界を見せてくれたんだから、これはこれでいい結末なのかもな。
 結局最後はまた別の世界に逃げこんだだけじゃないのかって疑問は残るけど。
 ……で、最終回なのに予告編つけるなよ(~_~;)。


 佐藤賢一『王妃の離婚』(集英社文庫・720円)。
 第121回直木賞受賞作なんだけど、確か、受賞はしたものの、評者の誰かが、「これが佐藤賢一の代表作とは言えない」とかなんとか言ってたように思う。それでも受賞できたのは、井上ひさしの強いプッシュがあったおかげらしいんだけれど、あの人、小説を読むのも書くのもヘタだしなあ。
 あまり期待しすぎないように、と思って読んだんだけど、なんというか、惜しいね、この作品。
 フランス国王ルイ12世は、一介の諸侯に過ぎなかったころ、11世から娘を押しつけられて妻としていた。国王に即位した今、彼は王妃ジャンヌを疎んじて離婚の申し立てをする。原則として離婚が認められないカソリックにおいて、唯一の法の抜け穴は、結婚自体の無効を言い立てることだった。
 しかし、「結婚の事実がない」と主張された王妃ジャンヌは、聴衆の前で厳然と異議を唱え、夫に徹底抗戦の構えを示す。だが新国王に阿る裁判官たちは、ひたすら王妃に不利な証拠ばかりをでっち上げた。
 かつて11世に追放された恨みを晴らすかのように、その娘が裁かれる様を傍聴に来ていた弁護士フランソワは、裁判のあまりの不正ぶりに憤り、また、王妃の毅然とした態度に惹かれ、弁護を引き受けることになる。
 ……ネタはすごく面白いんだよねえ。多分ある程度史実には基づいてるんだろうけれど、キャラクターが魅力的だし、敵も味方も権謀術数の限りをつくすあたりはまさしく波瀾万丈、フィクションの面白さに満ちている。、
 けど、文章がもう、どうにもいただけない。
 一見、この人、文章がうまいように錯覚するんだけれど、それは朗読を意識したと思しい、韻文的な文章によるものである。だからリズムに乗ってスラスラ読めはするんだよね。でもその書かれている内容がひたすらクドくて(-_-;)。
 例えば、検察側が王妃に要求した「処女検査」、この説明が延々と続くの。しかも同じ内容の文章が何度も出てくるし。作者、何をそこまでバージンに拘るかって突っ込みたくなるくらいで。
 ハッキリ言って、うまい作家なら、この半分の量でもっとキビキビした小説が書けるよ。抑制が効いていない文章はひたすら「ダラしない」だけだ。裁判の結果はだいたい予測がつくので、そこをどう退屈しないように面白く見せるかってのを工夫するのも作家の手腕の見せ所なのだけれど、あっさり終わらせちゃったからねえ。アレじゃ、ヤルことヤッたら、もうそれで裁判はどうでもいいって感じじゃん。これこそ肩透かし。
 飛ばし読みすれば、まあまあ面白がれるんじゃないかとは思うけれど、じっくり読むのはオススメしません、ハイ。

2001年06月27日(水) 「マチャアキ」離婚ってあまり言われてない。時代か(+_+)/DVD『八岐之大蛇の逆襲』


2002年06月26日(水) イカが怖い/『育ってダーリン!!』A・B巻(久米田康治)/ドラマ『ししゃもと未亡人』ほか

 オウム真理教の新見被告への死刑判決が下る。
 これももう、1995年の事件。7年も前のことだ。ローティーンの(下手をしたらハイティーンも)若い世代にはどれだけショッキングな事件だったか分らない人も多くなっただろう。
 オウムの被告たちの中には、事件発覚後も麻原彰晃に本気で帰依している者、利用して私腹を肥やそうとしていただけで最初から信じていなかった者、目が覚めて逆に麻原批判に回った者などいろいろ人間模様を見せてくれているが、こいつは完全に「帰依派」だったようだ。
 万が一、釈放されることがあっても、コイツだけは間違いなく教祖の命令通り、ポア(=殺人)を繰りかえすだろうと目されているのである。
 信教の自由がどこまで許されるのか、という問題については、大方の人間が「人に迷惑をかけない限りは」とか甘っちょろいことを考えてるんだろうなあ、と思う。
 本来、宗教ってのは、法律が許そうが許すまいが、そこに既に「ある」ものである。マスコミはやたらと信者に向かって、「麻原が命令したらアナタも人を殺しますか?」とか聞いてたけれど、これほど意味のない質問はない。だって、そこで「いいえ」と答えたら、そりゃ信者じゃないってことになるんだから。たとえ教義で、「人を殺すな」と戒律があっても、教祖が「殺せ」と言えば殺すのが宗教なんである。キリスト教だって異教徒を惨殺した歴史があるよね。これは信者を追い詰めるための質問でしかないし、オウム真理教だけを危険な宗教と見なそうとする誘導尋問でしかない。
 これは「もしも戦争になったら、アナタはお国のために戦いますか?」というのと同じ質問だ。戦時中なら、もちろん「イエス」以外に答えようがない。そして、『私は貝になりたい』のフランキー堺のように、敗戦後は「戦犯」のレッテルを貼られ、殺されることになるのである。さて、それが法として正しいと言えるかどうか?
 私ゃ別にオウムを擁護する気はサラサラないし、なんで破防法を適用しなかったんかねアホンダラが、と思ってる口なんだが、だからこそ、新見被告の死刑判決は法の上の矛盾だと思うわけである。オウムが宗教である以上は、死刑に値する人間は麻原彰晃しかいないし、麻原以外を死刑にすべきではない。もし、新見を死刑にしたければ、「オウム真理教は宗教ではない」ことをまずもって証明しなければならないのだ。オウムが宗教でないなら、彼らはただの「殺人の共謀者」に過ぎない、ということになり、死刑は求刑できよう。
 多分、法廷ではそんな「麻原の命令でやった」「麻原の命令と関わりなくやった」論争があったんじゃないかと思うんだが、マスコミ、相変わらず肝心なところは全然報道しないしな。そのへんハッキリさせてくれないと、もしかしたら新見が死刑になるにしろならないにしろ、法そのものが揺らいでいることになってるかもしれないのだ。
 ……だからよう、やっぱ終身刑は要るよ、絶対。そうでないと、誰かに洗脳されて人を殺した人間もみんな死刑ってことになるもの。それでいいのか。


 しげ、具合が悪いということで、また迎えに来れず。
 けれど、今回は寝不足とかそんなんじゃなくて、本当に風邪らしい。
 タクシーを拾い、ウチの近所のコンビニで降ろしてもらって、滋養液を買う。
 ふとお菓子の棚を見ると、「世界名作劇場セピア」のガシャポン(食玩じゃないからこう言うしかない)が置いてある。『フランダースの犬』、『母をたずねて三千里』、『ピーターパンの冒険』、『赤毛のアン』と、これも写真で見る限りディテールがすごくいい。原型制作はやっぱり海洋堂で香川雅彦という人。思わず二つ買って、帰宅して開けてみたら……マルコ&アメデオとフィオリーナを見事にゲット!(『フランダース』は実は好みじゃなくてね)
 合体させるとマリオネットを操るフィオリーナと、アメデオと一緒に踊っているマルコが……。うううう、また一つハマりそうなブツが増えちゃったよう(T∇T) 。


 風邪を引いても仕事には行くというので、しげに滋養液と風邪薬を無理やり飲ませる。
 「これ、オナカがよくない時にって書いてあるけど、オレ、喉が痛いんだけど」
 「いいんだよ、どっちにも効くから」
 若く見えてもしげももうそろそろ中年が近い。風邪を放置しておくといつまで経ってもズルズルと回復しないことは見当がつくので、ちったあ自分のからだのコントロールは真剣に考えてもらいたいものだ。
 果物食って、日に当たれよ。

 少しでもしげを応援するつもりで、パート先のリンガーハットで夕食セットを頼む。
 しげから「何で食べに来るん?」と聞かれるが、「おまえを応援したいからさ」とは恥ずかしくて言えず、「リンガーの味を盗むためさ」とか言う。オマエは包丁人味平か。
 でも、麺ズサラダ、ゴマダレ味がやはり美味い。冗談で言ってたが、盗めるものならこの味盗んで、なんとかウチで作れないものかと思案。ゴマダレの中に入ってる難い粒みたいなのはキュウリを刻んだやつか?
 見栄切った以上、しげに聞くわけにもいかないんだよなあ。そのうち適当な食材で作ってみようか。


 マンガ、BONES・出渕裕原作・百瀬武昭作画『ラーゼフォン』2巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 アニメの方は未だに見たことないが、結構評判は呼んでるのかな。最近はそれほどネット散策もしていないので、情報に疎くなってるんである。週あたりの制作本数は多くても、全国ネットでしかもゴールデンタイムに放映しているアニメなんて、ジャンプ系列のアニメや『サザエさん』とか『ドラえもん』とか、数は限られている。『ラーゼフォン』だって、夕方の早い時間じゃ社会人は見られない。ビデオ仕掛けるには、私はほかに見たい番組が多すぎる(^_^;)。
 畢竟、マンガだけでも読んでおくか、と思ったんだけど、どうもイマイチなのである。時間軸の違う二つの世界の戦争、といういかにも面白い設定を考えていながら、その「時間軸の違い」を生かした展開に全くならないのはどういうわけ?
 考えてみれば、片方は世界そのものが「加速装置」持ってるようなものだから、まともに戦えばそっちが勝つに決まってる。これってどうも設定ミスっぽいが、どう収集つけるつもりなのか。
 恋人の屍を乗り越えてってドラマ展開も、果たして正義はどちらにあるのかってアンビバレンツも、もうこれまでにたっぷり見てきてるんだよなあ。15年くらい前だったらもう少しノレたかもしれないけれど、今ドキこの程度のお話じゃ、何か新しいものが付け加わらないと、続けて読もうって気にはなかなかなれないんだよなあ。
 新作アニメもいいけど、『ルーンマスカー』もどうなってるんだよ、出渕さん。仕事きちんと片付けてから、次の仕事にかかってほしいと考えてるの、私だけじゃないと思うけどね。


 マンガ、クレイグ・マクラッケン原作・石川裕人翻訳『パワーパフ ガールズ <DCコミックス版>』3巻(小学館 /ワンダーライブスペシャル・788円)。
 コミックス版のエピソードは、アニメの方にはないものばかりってのはアチラのお約束のようだ。おかげで、初登場のプリンセスもギャングリン・ギャングも、以前から何度もPPGと戦ってきたような扱い。このマンガで初めてPPGに出会うお子様たちには(あんまりそんな子はいないと思うが)、不親切この上ない。そのためにコラムでいろいろ解説してくれてるのはいいのだけれど、お子様にはちょっと専門的過ぎ……というか、オタクしかターゲットにしてないんじゃないかな?
 今巻も「この話、日本の特撮・アニメで見たような」ってな話がいっぱい。
 第一話はいきなり放射能怪獣が海から現れるし(これがハリーハウゼンの『原子怪獣』よりも『ゴジラ』のパロになってるのは、やたらコマ割りで足や尻尾による破壊のカットを見せている点で明らか)、バブルスが巨大化するのは巨大フジ隊員かも(^o^)。アチラにも「巨大女」映画は数多くあるけれど、怪獣ものとのセットになってるエピソードだから、やっぱり「ウルトラ」シリーズの影響の方が強いように思われる。
 モジョの「パラノイア光線銃」は『パーマン』からか?(^o^)
 でもこれは「パラノイア」と言っても不安神経症になるだけだから、違うかも。あるいはさすがにアチラでも「パーになる銃」ってのは出せないのかもね。


 マンガ、久米田康治『育ってダーリン!!』A・B巻(完結/小学館/少年サンデーコミックス・各500円)。
 久米田康治の普通のラブコメ(^o^)。
 サンデーの増刊に連載されてて、どうやらオトナの事情で打ち切りにあってたらしいのだが、新作を加えて奇跡の復活。作者本人は「これはなにかの罰ですか!?」と叫んでるけど。
 だってねえ、絵柄的にはともかく、ギャグ的には『改造』『南国』の片鱗も見せない上品さ(ラスト近くにドギツイキャラがちょっと登場するけど)。シチュエーションコメディとしては、小学生の婚約者を理想のダンナサマに鍛え上げようという逆『じゃじゃ馬馴らし』『ピグマリオン』的展開な第1部は少年マンガにはあまり見られなかった設定で、新味があるけれども、第2部の「夫婦であることを隠して寮生活」、なんてのはこれまでに腐るほど同パターンがある。直接の影響は『ストップ! ひばりくん』っぽい。「は〜ん」(←何のことか解説はしない)を期待してた当時の読者は肩透かしを食らった気分じゃなかったろうか。
 つまんないかと言われると微妙なところで、「慣れてないな」という批評が妥当なところか(^_^;)。この本で一番、久米田さんっぽいギャグはどこかっていうと、帯と巻末フロクだったりするのは『改造』ファンへのサービスかお詫びか。
 ……あ〜、そこのアナタ、帯に「ドラマ化!」とか書いてあめるけど、本気にしないようにね。横に小さな文字で「希望」って書いてあるから。
 フロクはA巻が「地丹式ラヴ論」で、B巻が「羽美式ラヴ論」。地丹よう、「そんなの愛じゃないとかいうけれどそんなのも愛なんだよ」とか言ってるからあんな目やこんな目に合うんだよ(-_-;)。
 羽美ちゃん、「がんばればがんばるほどあんたの事嫌いになるよ彼」って言ってるけど、私、私のためにがんばってくれる女性に出会ったことないです。「彼」を「彼女」に読み変えるとすっごくキツイんですけど、私に死ねと言うのですか。って、マンガのキャラに人生相談求めてどうするよ(ー’`ー;)。


 しげが帰ってくるまで、夜更かし。
 具合が悪いのに帰ってきてみりゃ亭主は高イビキってのはヤだろうなと思った気遣いだが、多分しげはそんなことには全く気付いていないだろう。腹の虫抑えに餃子食う。
 3時に帰宅したしげ、薬が効いたのか、見た目はそれほどキツそうではない。けれどそのまますぐに寝室に転がりこむから、やっぱりキツイのか。
 私は私でパソコンに座って、さて、日記を更新しようかと前を見ると、見なれぬ白い物体が。いや、見慣れないと思ったのは間違いで、先日組み立てて置いておいた「イカデビル」のフィギュアが背中を向けて裏返されていたのだ。
 私は触った覚えはなし、しげが落として立て直したときに間違えたのかな? と思って、しげに「おまえ、イカデビル、ひっくり返したか?」と聞いてみた。
 しげ、一瞬、間を置いて、弱々しげに「うん」と答える。何やらワケがありそうだ。
 「……なんで?」
 すかさず叫ぶしげ。
 「だって怖いやん!」
 ……ちょっと私、コケました。
 いや、マジで椅子から転げ落ちるとこでしたよ。
 怖いぃぃぃぃぃ? イカデビルがぁぁぁぁぁ?
 イカデビルってよう、死神博士の正体ということになっているけどさあ、放映当時はなぜ、あの死神博士がよりによってイカなんぞに自分を改造せにゃならんのか、と、ガッカリしたもんだったんだよ(ホントはギルガラスになる予定が、都合で変更になったらしい)。実際、あっさりやられて弱くてよう。
 「どこが怖いんだよ! イカだぞイカ! 美味しそうなくらいじゃん」
 「背中は美味しそうだけど顔がイヤあ!」
 ……そういうもんかなあ、顔を怖くしてる分、スタイルはどう見てもヤリイカなんで、「所詮はイカ」感が強いと思うんだが。
 ともかく、ケツ向けてフィギュア立てるのもバカみたいなので、しげによく見える位置にあえて立て直す。この程度で怖がるというのは人間としてダメだと思うからである。
 しげは本気で自分の怖がりを治さねばならんと思う。今度、寝入ったときに耳元で怪談を聞かせてやろう。睡眠学習で少しは耐性ができるかも。


 深夜、CSファミリー劇場で『ししゃもと未亡人』。
 その昔、と言っても昭和62年だからついこの間だが(私はもう、昭和50年以降は「最近」と呼ぶことにしたぞ。文句あっか)、関西テレビ系で『現代恐怖サスペンス』の第一話として放送されたもの。タイトルが全然変わってたから、最初原作がなんだか気がつかなかったのだが、これ、阿刀田高の代表作の一つ、『干魚と漏電』の映像化だったのだね。
 引っ越してきた家で、電気代が前に住んでいたときより増えていることに気付いた未亡人が、その原因を調べて、電器屋や役所と交渉・家捜ししていくうちに、謎の電気コードが床下に続いていることを知って……というストーリーなんだけど、驚いたのは、トリックのネタ、冒頭でバラしてやがること(^_^;)。
 だからまあ、ミステリーの映像化としては駄作としか言えないんだけど、これが妙に世間では評判を読んでるらしいのだよね。ナンシー関と町山広美の対談本『堤防決壊』でも「すごく怖いドラマ」として紹介されてたし。いや、何がコワイって、たかだか千円程度電気が増えてただけで、その原因に拘る未亡人の偏執狂ぶりに。で、その未亡人を演じてるのが小川真由美だから、演技に説得力があることったら(^_^;)。
 わざとネタバレさせたのも、予め結末が解ってれば、カタストロフに向かって一歩一歩近づいていく小川真由美の悲運が際だって、「恐怖サスペンス」になるってことなのかも。
 小川真由美以外はみんなチョイ役なんだけれど、これに実にゼイタクないい役者さんを使ってるのもドラマに厚みを加えている。役所の署員に故・小坂一也、近所の魚屋に菅井きん、電気代の集金人に平田満、隣家の主人に三谷昇(小川真由美にハイエナそっくりと陰口叩かれるギャグあり)、電機修理屋に松田洋治、役所の調査員に益岡徹。ああ、ビデオに撮って、しげにも見せればよかった!

2001年06月26日(火) やっかみをキャッチコピーにしてちゃねえ/『高校天使』3巻(加藤四季)ほか


2002年06月25日(火) 揉んだら出る/『松田優作物語』6巻(完結/宮崎克・.高岩ヨシヒロ)/『仮面ライダーSPIRITS』3巻(石ノ森章太郎・村枝賢一)

 ようやく梅雨らしくなったか、今日もそぼ降る小雨。
 ……ちょっと気になったけれど、そぼ降るの「そぼ」って何?
 語感から判断するに雨降りの擬音じゃないかとは思うが、自信がないので『日本国語大辞典』を引いてみる。
 万葉時代から平安、鎌倉のころまではは「そほふる」と発音していたようだ。「そぼ降る」形に変化したのは近世に入ってから。「そほ」というのはやはり「そほそほ降る」という擬声語からきたもの、という説が有力なようだが、「細小降(さおふる)」の意味、なんて説もある。「そ」は「衣」のことで、「ぼ」は「下に沈む」意、つまり、衣に水が染みとおる意を表す、なんて説は、もうほとんどクイズである。
 語源探索の世界は、何万という文献を調べて、ようやく単語一つの語源が類推できる程度という、努力が実を結ばない世界だから、牽強付会な説が横行するのも仕方がない面はあるが、自説を披露するにしても、あと一呼吸して落ちついて考えてから発表した方がよかったんじゃないかと思うが、どうか。


 いつものように職場までしげに迎えに来てもらったはいいのだが、途中で銀行に寄って札束を十億円ほど卸したときに(←だから意味もなく見栄を張るなってば)、カバンの中にサイフがないことに気がついた。
 さて、職場で背広から出して、カバンの中に突っ込んだのは確かに覚えているのだが、そのときにチャックを締めたかどうかが記憶にない。
 となると、考えられるのは、落としたか掏られたかだが、まあ十中八九、前者だろう。ウチの職場には生活に困ってヒトの財布をくすねなきゃいけないような貧乏人は一人もいない。それでもあえて、一番の貧乏人は誰かと問うたなら、その答えは私だ(^_^;)。自分で自分のサイフ盗んでどーする。
 またなあ、「ちょっと職場に戻って」とか言ったら、しげのやつ、ブツクサブツクサ15時間ぐらい愚痴りまくるんだろうなあ。
 かと言って、ニョーボに叱られるのが怖くて黙ってたって、いつかはバレるのである。それに、私のサイフの中にはカネはほとんど入っていないが、映画館やビデオ屋やカラオケ屋のカードだのはギッシリ入っているので(サラリーマンのサイフじゃねーよ、それ)、もしも誰かに盗まれたら、そいつは「何の役にも立たんやんけ!」と激怒するだろうが、私は大損なのである。
 しげが文句つけられるのを覚悟の上で、「ごめん、職場まで引き返して」と頼む。
 「なんでいきなり!」
 「財布落とした」
 「……どこに!」
 「多分、オレの机の下」
 「ホント? 間違いないと?」
 「うん、ハッキリ覚えてるから大丈夫」
 ハッキリ覚えているのなら、財布を落としたまま忘れたりするはずもないのだが、そこはあえて自分で自分には突っ込まない。
 しげ、なおも疑わしげなジト目で私を見ていたが、どうしたわけか、急に泣き出しそうな顔になった。
 「どしたん?」
 しげ、ガマンできない、といった表情で、「オナカ痛いと!」と叫ぶ。
 「腹が痛いって……なんで?」
 「知らん。早く帰ってトイレ入ろうって思ってたのに」
 「……なにか悪いものでも食べたんか?」
 「知らん。オナカ冷えとうとよ」
 それはつまり、寝冷えしたということではないのか。しげはムチャクチャ寝相が悪いので、朝起きるとフトンも毛布も蹴っ飛ばして、下半身丸出しで寝ていることがしょっちゅうなのだ。これではおなかを壊さないはずがない。
 「寝冷えだろ? それ」
 「わからん。ともかくオナカ痛い」
 「腹、さすっちゃろか?」
 わざわざいったん帰ってきた道を戻ってもらうのだから、少しは親切にしてやらないと、と思って、しげの腹に手をやった途端、つい、魔が刺した。
 しげの腹は太い。
 新婚当初のキュッと締まっていたあの可憐な面影はどこへやら、今や「肉の大陸」、家族10人分はあろうかという「鏡餅」と化している。
 そんなところに手をやろうものなら、ホラ、アノ、揉みたくなってしまうではないか。
 で、つい、揉みました。
 途端に走るしげの絶叫。
 「揉むなー! 揉んだら出るー!」 
 揉んだら出るって……出すなよ。 

 サイフは無事、机の下に落ちていた。
 サイフを取り戻した後、トイレに大至急直行したいしげを先に返して、自宅の近所の「ほっかほっか亭」で、ダブルカツ丼に特製ビーフ弁当、やきそばと、消化に悪そうなものばかり晩飯に買っていく。
 しかしこれは別にしげに意地悪しているわけではなくて、うどんみたいなおなかに優しいものは、しげは「食いごたえがない」と言って、断固として食べないのである。買って来ても食べないことがわかりきってるものは、買うだけ無駄なので、こんなこってりしたメニューになってしまうのだ。そのせいでしげの腹の調子が悪化したとしても、そいつは自業自得ってものである。
 で、しげのやつ、やっぱりペロリと平らげるし。どこが腹イタなんだってんだよ。


 マンガ、TEXT.宮崎克・ART.高岩ヨシヒロ『ふりかえればアイツがいた! 松田優作物語』6巻(完結/秋田書店/ヤングチャンピオンコミックス・590円)。
 1989年。
 松田優作がこの世を去ってもう、13年になる。
 となれば、今時の高校生、大学生は松田優作のことをほとんど知らない。ビデオやBS、CSでチラッと見たことくらいはあるかもしれないが、当然、その「時代の雰囲気」までは掴めるはずもない。
 こういう実在人物のマンガ化が、果たして、その人物が生きていた時代までも浮きあがらせることが出来るのか、と言われれば、それはやはり難しいのではないか、としか言いようがない。
 昭和40年ごろ、下関は「猥雑なほど活気に満ちていた」だろうか?
 昭和30年代をピークに、北九州とその周辺はどんどんさびれていった、というのが福岡から見た場合の実感である。今はレトロ記念館なんか建てて、なんとか持ち直してるけれど、当時そんなに「活気」があったんなら、松田優作がそこを脱出したがった理由が分らないじゃないか。
 当時、下関は「死に体」だったのである。
 「街は若く、松田も若かった」なんて、某ウールリッチの小説の冒頭をモジられても、「そんな大層な街か、下関が」としか地元民は思わんぞ。「異国情緒」なんて言葉を平気で使ってるけれど、東京人から見たらそうだってだけの話で、そんなの「アメリカ人の見たフジヤマ・ゲイシャの国日本」ってなもので、勝手な思いこみに過ぎない。
 松田優作を神格化するための脚色は、かえって松田優作の役者としての価値を減ずることになりはしないか。
 『ブラック・レイン』が、本当に松田優作の人生のシメとして相応しい映画だったと言えるのか。「生涯を賭けて創りたいと思う映画があります」と松田優作が医者に告白した映画とは、本当に『ブラック・レイン』のことを指していたのだろうか。
 別に松田優作でなくとも、役者なら誰でも自分の命より作品の方を優先する。映画は量より質だ。細く長く生きてたくさんの映画に出るより、渾身の演技を目の前の一本に賭けるほうが普通だ。たとえその映画が『ブラック・レイン』でなく、たいした映画でなかったとしても、同じ言葉を松田優作は語ったように思う。 


 マンガ、石ノ森章太郎原作・村枝賢一漫画『仮面ライダーSPIRITS』3巻(講談社/マガジンZKC・580円)。
 今巻は「ストロンガー」「スカイライダー」「スーパー1」編。
 ついに登場、立花藤兵衛に谷源次郎の“二大”おやっさん。村枝さんの絵柄では、小林昭二にも塚本信夫にも似ているとはとても言えないが、キャラクターとしてのエッセンスは伝わってくる。
 ただ、谷源次郎はともかく、立花藤兵衛、もう少しキャラとしては「重く」ないかな、とか、ちょっと不満なところもないではない。城茂と岬ユリ子の悲しい別れを経て、戦士をサポートし続けることに「懲りた」と言わせる演出、往年の仮面ライダーファンから見れば、やや納得しかねる設定ではなかろうか。
 確かに、『ストロンガー』を最後に、立花藤兵衛は仮面ライダーシリーズに登場しなくなった。しかし、それは戦いに「懲りた」からだろうか? 「スカイライダー」と「スーパー1」のときも、実は他のライダーたちとどこかで戦っていたのではないか。そう考えることのほうがごく自然だと思うんだがなあ。
 ライダーたちの戦いをあれだけ見てきたおやっさんだ。新たな敵が現れたと言うのに、黙って見過ごしてはいられないだろう。悲しみを乗り越えて悪の組織と戦うことを、ライダーたちに決意させる側に回るのが、おやっさんとしてのごく自然な行動ではないだろうか。
 もっとも、おやっさんに限らず、これまでの仮面ライダー一人一人の描き方自体、9人のキャラクターの違いを際立たせるためだろう、結構誇張されていたんで、おやっさんにだけ「違うんじゃないか」と突っ込むのもヘンだけれど。
 けど、かつてのファンは、ある意味、ライダー以上に小林昭二さんには思い入れが深いと思うんである。どうしたって、小林さんの声や演技を想定しながら見ないわけにはいかないんだよなあ。……「ワシはもう懲りたんだ」なんてセリフ、小林さんが言うか?
 けれど今巻は岬ユリ子が極悪なほどに美しかったので全て許す(* ̄∇ ̄*)。
 いやもう、まさかあのタックルのお笑いコスチュームを美しいと感じさせてくれるとは……村枝さん、スゴイよ!

2001年06月25日(月) 1時間日記(^_^;)/アニメ『名探偵コナン』オープニング



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藤原敬之(ふじわら・けいし)