無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年05月14日(月) 今日の実験……失敗/今週の少年ジャンプ『ヒカルの碁』

 朝起きて体重計に乗る。
 寝汗も結構掻いているから、さて、何キロくらい落ちたかと思ってみてみると……。
 85.8キロって、なんで? 500グラム増えてるじゃん!
 メシはおろか水分だって取ってないのになぜ増える。
 まさか誰かがこっそりと、私のからだの中に空中元素固定装置でも埋め込んだのであろうか?
 俺って実はキューティー・ハニー?

 ファンのみなさん、ごめんなさい。

 でも実際、理由が判らない。妖怪『寝肥(ねぶとり)』ってのが『桃山人夜話』に紹介されているが、あれは「女の病の一つ。大鼾をかいて色気なく騒々しいから愛想もつきるという。寝相の悪い女も変化の一つとか」ということだから、しげはともかく私には当てはまらない。
 謎だなあ。<(@_@)>?

 昨日の歩きがもう筋肉痛で来ている。
 トシをとると痛みが来るのに日がかかるというが、一日で来たということは、まだまだ私は若いんだろうか。
 んなわけねえな。
 ともかく、今日は仕事しながらからだを動かすと、あちこちに痛みが走るのであった。


 仕事帰りに自宅のマンションの隣の商店で、弁当を買い、ついでに今週の『少年ジャンプ』を立ち読みする。
 基本的にマンガは単行本を買う主義なので、雑誌はざっとしか目を通さないのだが、もう何週間も続いている「藤原佐為対塔矢行洋」戦、そう『ヒカルの碁』のこれまでで最大のクライマックスの結末が気になってたまらなかったのだ。
 佐為勝つか、名人勝つか、名人が勝っちゃったら、佐為の正体がバレちゃうわけだから、勝たせるわけにはいかないよなあ、でもそれで終わったら、やっぱり予定調和でつまらないよなあ、一体、作者のほったゆみさん、どんな手を使う気だ? と、期待半分、不安半分で見てみたら……。
 凄い。凄すぎる。
 ある意味、この展開は当然といえば当然であった。
 しかし、「佐為対名人」の決着に気を取られていた私にしてみれば、これはまさしくウッチャリを食らったようなもの。脱帽、なんて言葉じゃ表現しきれない、これはまさに奇跡としか言いようがない。
 少年マンガの王道を行くということは、ある意味、旧態依然としたパターンの繰り返しに堕することでもある。『少年ジャンプ』においては、連載が長期化するにつれて、初めは面白かったのに、似たような、同じような話が繰り返され、作品自体のエネルギーがどんどん消耗されていった。
 その最も古い例は本宮ひろしの『男一匹ガキ大将』だった。
 ウチのメンバーにはジャンプファンが多いので指摘するのは心苦しいのだが、鳥山明も、ゆでたまごも、車田正美も、高橋陽一も、今は尾田栄一郎も、この連載長期化による物語の引き伸ばしによる駄作化から逃れられてはいない。
 それはマンガ家の才能をすり減らす悪しき「ジャンプシステム」のせいであることは、マンガファンなら先刻ご承知であろう(この間こうたろう君からもらった『MAD☆キャラバン』には、当時のジャンプシステムのために牛馬のごとく扱われているマンガ家の様子が戯画化されて載っている)。
 なのにほったゆみさんはそのシステムに負けていないのである。
 これを奇跡と言わずして何であろう。
 私は軽々しく人のことを天才などと呼ぶことは憚るほうなのだが、ストーリーテリングにおいてほったゆみさんが手塚治虫をも越えていることは断言していい。少なくとも今後、『ヒカルの碁』をマンガ史において扱わないマンガ批評家を私は批評家として認めないことは間違いない。
 なぜ、『ヒカルの碁』だけがジャンプシステムの波に取りこまれずにすんだのか、ということは、なかなか難しい問題である。とりあえず、ほったゆみさんが自分自身知悉している「碁」を題材にしたため、ということは言えるだろう。しかし、他にも分析すべき点は多々あるように思える。今後の展開にしたがって、もう少し突っ込んだ読み方をしてみたい。


 今日も今日とてパソコン三昧、もうオタアミに『クレしん』については書きこむまいと思ってはいるが、ROMしているとやはり「その意見はなあ」とツッコミたくなって、手がウズウズしてくる。病膏肓であることだ。
 エロの冒険者さんが、ご自分の日記の中で、名前は出していないが、私の勘違いに言及して弁護してくれている。
 最初『オトナ帝国』を見たとき、ケンの「21世紀もあと30分で終わりか」と言うセリフを、「2100年の未来から現在をタイムカメラかなんかで覗きながら喋っている」と勘違いして受け取り、「ケンとチャコは未来人」と思い込んでいたのだが、これ、単純に「21世紀をあと30分したら20世紀に戻してやる」という意味だったのね。
 初期設定では「ケンとチャコは過去の世界から来た」ということになっていたらしいが、それも映画の中では消えている。あくまであの二人は我々と同じ時間軸の上に存在しているのであろう。
 それにしても、ただの誤解を「それだけケンとチャコが謎めいているからだ」とフォローしていただけるとはありがたいやら恥ずかしいやらである。
 なんだか他にも勘違いしているところがあるような気がして、もちっとだけ上映が続くなら、もういっぺんくらい見に行きたいような気もしているのである。幼稚園の先生トリオによるセーラームーンのセリフ、「……お仕置きよ!」というのは聞こえたが、その前が聞き取れなかったし。
 なんだかまた、しげを喜ばせちゃう結果になるのかな(^_^;)。 
 

 さて、今日もお散歩がてらのダイエット。
 ともかく体重の増加を食い止めねばならない。
 昨日よりも運動量を上げるつもりで、いつもは自転車で行く本屋まで、歩いていく。多分、距離的には往復4、5キロはあるはずである。
 出がけにしげが「飲み物買ってきてねえ」と言っていたのを思い出して、スーパー「大栄」に寄る。
 そのときふと、もしや……と思い、お菓子のコーナーを覗いたら……。

 あ、あった!
 もはや手に入らないかと諦めかけていた「ゴジラ名鑑」、「キングコング対ゴジラ」が!
 こうたろう君からプレゼントされた「モスラ対ゴジラ」と合わせて、四体中、二体ゲット。
 後は「初代ゴジラ」と「ゴジラ対デストロイア」だ。
 え? 「デスゴジ」はもう持ってたんじゃなかったかって?
 それがねえ、グスグス(T_T)。どういうわけだかゴジラの右手がポッキリ折れてたんですよ。
 パソコンの上に前向きに飾ってたのが、いつの間にか左横向きにされてたんで、ずっと気がつかなかったんだけど、てっきりしげがウッカリ折っちゃって、横向きにして誤魔化してたのかと疑っちゃった。おかげで「知らねえよ」としげの怒ること。
 まあ、あれは多分まだ在庫がキャナルシティで売ってたし、今度、買いなおせばいいや……と言いつつ、また売り切れてたらどうしよう(・・;)。
 ともかくゲットした二体は、もう破損したりしないよう、透明ケースに入れたまま飾っているのだった。


 結局1時間20分ほどかかって、帰ってきたら、しげはもう仕事に出かけていた。でも飲みものはたっぷり買ったし、冷蔵庫に入れておけば勝手に飲むであろう。「ふくれん」のグレープフルーツ水、カロリー抑え目で1000mlパックが100円というのは嬉しい。


 マンガ、吉田戦車『つやつや担任』B巻。
 A巻読んでから一月くらい経ってるなあ。『スピリッツ』に連載されていたときに時々立ち読みしていた時には面白かったんだけど、まとめて読むとギャグのパターンが同じで、ちょっとダルく感じてしまうのだった。
 『伝染るんです。』の頃に比べると、随分判りやすくなっていて、『戦え! 軍人くん』のころのギャグに回帰した感じを私は受けたが、「吉田戦車ってみんなどれもわかんなーい」という感覚のものにはその違いもよく判らないのだろうな。
 前にも書いたと思うが、異常なキャラクターを出してはいるが、『つやつや』のギャグの骨子は昔ながらのボケとツッコミなのである。決して「不条理ギャグ」なんて大げさなものではない。『伝染』の方がまだ、キャラクターのそういった定番のやりとり自体は破壊されていた。
 それを退行、と見るのは酷に過ぎるだろう。ギャグマンガ家の「延命」ほど難しいことはないというのは、我々が子供のころ大好きだったギャグマンガ家がほとんど現在「壊滅」状態にあることを見れば否定できない事実なのだから。


 寝る前に再び体重を量ってみたら、86.2キロ。……また増えてるじゃん。
 まあ、食うだけ食ってトイレに行ってないからこんなもんなのかもしれないけどさあ。

 布団に横になって、DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』、今日はデジタルマスターバージョンを見る。
 でも、一日間を置いて見たせいか、オリジナルバージョンとどこがどう違うのかよく解らない。どっちもキレイに見えるんだがなあ。
 そのうち、ゆっくり時間が取れる時にでも、じっくり見比べてみよう。


2001年05月13日(日) 愛の嵐/DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』コンプリートボックス

 部屋中のカレンダーをめくるのを忘れていたのだが、今日になってようやくめくる。
 今時『エヴァ』のカレンダー掛けてるやつも珍しいだろうが、今月は『少女革命ウテナ』の長谷川真也描く綾波という、イラストとしてGOODなもの。姫宮アンシーが綾波のコスプレしてるようなもんだが、ともかくふとももがもうとんでもなくセクシー。こんな肉感的な綾波も珍しかろう。
 それをトイレに貼ってるってのがまたなんとも(^_^;)。


 今日は二週間ぶりの練習日だが、しげから依頼されていた脚本の第一稿、朝6時の時点でまだ仕上がっていない。
 夕べ早寝をして、起きてから書き上げるつもりだったのだが、ついまた眠ってしまった。しげは「ウソツキ」と私をなじるし、えいくそと一念発起して、二時間で脚本を仕上げる。多少、荒削りなところはあるが、第一稿だからそう問題はあるまい。

 しげは仕事のミーティングがあるとかで、予約している練習部屋は、私が開けに行くことになっている。ところが、脚本を印刷していたら、あと一枚というところで用紙が品切れ。予備の紙のありかが分らず、ウチを出るのが遅れる。
 慌てて自転車をかっ飛ばし、10時ピッタリに「パピオ」に到着。もう穂希嬢(どうも「ハカセ」と呼ぶほうがしっくり来るなあ)は来ていて待っていた。
 「てっきり私も遅刻かと思ってたんですけど」
 起きたのが9時25分で、慌てて同じく自転車をかっ飛ばしてきたそうである。
 今日集まる予定なのは、あとしげとよしひと嬢だけでちょっと寂しいが、二人が来るまでにできたてほやほやの脚本を穂希嬢に読んでもらう。
 受けはイマイチ(^_^;)。
 やはり「わけが分らん」と言われる。一人よがりな芝居を書いてるつもりはないんだがなあ。どうして毎回同じ批評ばかり言われるかなあ。何か人間として欠けているところがあるのだろうか。

 1時間ほどして、しげとよしひと嬢、ほぼ同時に到着。
 とりあえず肉練から、ということになったが、私は特に練習着を用意して来ていない。しげが、
 「なんで準備してないの!?」
 と怒るので、
 「だって演技するわけじゃないし……」
 と答えたら、
 「もう決定してるんスけど、あんたのキャスト入り」
 ……は?
 「いや、たしかに他に人がいなけりゃって言ったけど」
 ややしどろもどろになる私に、しげの一言。
 「いないんだよ」

 と言うわけで、多分4年ぶりの舞台出演が決定。
 おかげで普段着のまま肉練させられたが、『灼熱ブギ』(vo.田中真弓)にノって踊れってのは、四十男には無理だよう(T_T)。

 今回の芝居は二本立てのオムニバスである。
 まだ正式タイトルは未定なので、便宜上、A・Bと呼ぶが、今日の相談で演出とキャストだけは決まった。

 A 脚本 勘よしひと
   演出 嶋田悠太
   出演 藤原敬之(夫)
      勘よしひと(妻)
      桜 穂希(友人)

 B 原案 嶋田悠太
   脚本 藤原敬之
   演出 勘よしひと
   出演 鴉丸 誠(織姫あや)
      嶋田悠己(日高ありす) 
      其ノ他大勢(河合亜季夫)

 ……ホントに決定なんだろうな。しかし変だなあ。ウチはもっとメンバーは多いはずなのになんでこんなにオモテに出てくるやつが少ないのかなあ。
 まだ物語の筋をあかすわけにはいかないが、私は、特撮ドラマの脚本家で、家では気の弱い亭主、といった役どころである。なんだか私には合わない気がするんだけど。
 シノプシスを読んだかぎりにおいては、鈴邑君か藤田君のほうが似合いそうなんだが、二人とも仕事の都合で裏方しかできないというのならしかたがないのである。
 ……でもね、でもね、あのね、結構おいしい役なんだよ?
 なんたって、ウチの劇団のマドンナ、よしひと嬢を奥さんに、更には穂希嬢を愛人にできるんだから。
 今からでもお二方のうちどちらか、私の代わりにやってみない?

 随分私が臆病だなあ、と、ご疑念を抱いている読者もおありなのではないか。
 しかし、同時に、私が何を恐れているか、賢明な読者ならばお判りであろう。
 そう。しげの嫉妬である。

 「あのな、これはな、芝居なんだからな。夫婦ったって、あくまで演技なんだからな?」
 「わかってるけど?」
 「じゃあ、練習中、ヤキモチ焼いたりしないな?」
 「当然じゃん」
 「……ウチに帰っても焼いたりしないな?」
 「……なんで? ウチのことはウチのことでしょ?」

 「……」
 「……」

 見える。私には見える。
 練習が終わったあと、家に帰るなり、しげは背後から妙に優しげな、それでいて生暖かい声で囁くのだ。

 「……今日は、楽しかった?」

 うわああああああ。\(*o*;)/

 公演は来年2月の予定である。それまで針のムシロが続くのか。
 誰か助けて(T_T)。


 練習のあと、天神のベスト電器に回って、予約していたDVDを何枚か、それからしげに頼まれた戦隊ヒーローシリーズの主題歌曲集のCDを買っていく。
 ご機嫌取りもこれからは頻繁にしないとなあ。
 先日のチャットで知った、モンティ・パイソンのアンソロジーも予約。しげはパイソンファンなので、これも喜んでくれるだろう。
 実はも一つ、ついに出る『仮面の忍者赤影』のDVDBOXも予約したのだが、しげは赤影が嫌いなので、このことは内緒にしておかなければならない。
 帰りに菩提寺の横を通るが、すっかり散財しているので、母の日のお参りは止める。どうせ今年7回忌だし、そのときまとめてやるからカンベン、お袋。

 それにしても、本当に演技するとなると、とても今の体調、体型ではやっていけない。マジで体重を落とし、体力をつけねばならない。
 実際、ロバート・デ・ニーロ並の努力をせねば、脚本にあるような、「妻を抱きかかえて走る」なんて演技ができるわけがないのだ。実は、自分の体重を足で支えるのも限界に来ている。
 なぜなら、今の私の体重は、86キロなのだから。

 ああ、ついにばらしてしまった……。
 って、知り合いはみんな知ってるんだけど。
 
 というわけで、今日からこの日記は、『無責任賛歌 兼 ダイエット日記』となりました。果たして本当に2月までに痩せられるのかどうか判りません。なんといっても公演までもう9ヶ月しかないのですから。まずは今晩から、夕食後毎日軽くジョギングをします。
 目標、65キロ。……ホントかよ(・・;)。

 とりあえず、30分ほど走って、フロに入ったら、85.2キロになりました。まあ、ここからが出発点ですね。

 今日買った、DVD『BLOOD THE LAST VAMPIRE』、コンプリートボックス、レギュラー版とどこが違うのか、まさかフィギュアが入っててどうのなんてアホなもんじゃなかろうな、と心配していたが、オリジナル版と、デジタルマスター版、特典映像の三本立てに、寺田克也のピンナップとショットボード集、シナリオが付いて来るのだった。
 と言っても、オリジナルとデジタルマスターとどう違うのか、目の悪い私にもわかるのだろうか。
 とりあえず今日はオリジナルフィルムのほうを見てみるが、印象は劇場で見たのと同じ。CGが手描きアニメと馴染んでいるのが凄い。
 『青の6号』、『ゲートキーパーズ』の「GONZO」も、CGだけはハイレベルだが、この『BLOOD』の、「プロダクションIG」の方が、演出としてのCGの使い方が手馴れている感じで、頭一つ抜き出ている印象である。
 でも「CGが凄い」ってことばかりに注目しちゃうのも問題なんだよなあ。


2001年05月12日(土) 今日までそして明日から/『私はスポック』(レナード・ニモイ)

 あっ、また投票ボタンが変わってる。
 「押せば〜?」って、しんちゃんかい(+_+)。


 福岡の映画館は、某ホ○劇場を除いて全て踏破してるつもりだが、去年新しくオープンしたばかりのワーナーマイカル福岡東(粕屋町)にはまだ行ったことがなかった。
 ちょうど今日から『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』が始まるので、場所の確認がてら、二度目の鑑賞。
 正直なところ、もう二度目だし、最初に見たときほどの感動はあるまい、とたかを括っていたのだ。第一今度は、同人誌のためのネタを確認するためだから、メモ書きに気を取られて、映画の話の流れについてはいけまいと思っていたのだ。
 ところがぎっちょん(←古い。でもこれ語源はなんなんだろね?)。
 私はルノアールのココアより甘かった(←c.江口寿史)。

 メモを取るたびに、1回目には見のがしていたカットやセリフに気がつくだけでなく、あちこちに張られていた伏線にも改めて気付く。
 そうか、「スナック・カスカビアン」でしんちゃんたちがオトナになったのも「匂い」のせいだったのね。

 ひろしの回想シーンは子供のころ、父親銀之助との二人乗り自転車のシーンで始まり、現在の家族の自転車シーンで終わる。そうか、「家族」は21世紀も繰り返すって、この時点で語られてたんだなあ。というか1回目そのことに気付いてなかった私がバカ。
 前にもここで泣いたのに、今回も泣いてしまった。しんのすけの「とうちゃん、オラのことわかる?」のセリフに続く、ひろしの「ああ、ああ」と言うセリフ、こんなに情感がこもっていたのか。
 声優陣の、一つ一つのセリフに込められた思いが伝わってくる。1度目は泣けなかった「俺の人生はつまらなくねえ!」のセリフにも泣けた。なぜここまで私ははまってしまっているのだろう。でもそんなことわからなくてもいい。後半、私の涙は一瞬たりとも乾く間がなかった。

 音響もまるで違っていた。
 特定の映画館を非難したくはないので伏字にするが、前回『オトナ帝国』を見に行った○○○○は、スピーカーをスクリーンの裏に置いただけのクソ設備であった。
 冒頭シーンのビートルが、玩具ハウスに隠れたカスカベ防衛隊を探すひろしの足音が、5.1チャンネル(多分)サラウンドで聞こえてくる。
 極めつけはクライマックス、タワーを駆け上るしんちゃんのBGMだ。
 こ、こんないい曲だったとは。もはや涙は止めど無く流れている。
 音楽、荒川敏行と浜口史郎。この二人の名前も忘れはしないぞ。

 思わずハッとしたカット。
 走るしんちゃんの姿に見入っている夕日町商店街の人たち、魚屋で「お魚くわえたドラ猫」が逃げて行くのにも気付かない。
 あの『サザエさん』のルーティーンに町の人たちはもう背を向けている。
 『しんちゃん』と『サザエさん』のどこが違うか。
 『サザエさん』は既に様式の枠からはみ出ることなく伝統芸能化している。しかし、『しんちゃん』は永遠の幼稚園児でありながら、まだ今を生きていたのだ。

 「とうちゃんの足の匂いより臭い匂いはないぞ」、そう言ってしんちゃんは走る。ケンが「足の匂いでも止められない」と言っているのに、全く聞いていない。しかも、ひろしが足止めをくらって足の匂いがなくなっているのに、しんちゃんは意味もなくタワーを駆け上がって行く。
 デタラメだ。
 ケンとチャコが自殺を思いとどまったのも、しんちゃんの勘違いとキジバトのためだ(あんな高いところに巣を作るとはあの鳩も相当おバカ)。
 こんなにいい加減で、偶然に頼った結末はない。
 でもだからこそ感動を呼ぶのだ。
 ケンがふとつぶやいたように、私たちは近頃走らなくなった。意味のない行動を取るのが恥ずかしくなっていた。そつなくやり過ごすのが大人になることだと思っていた。
 でも無意味で、無責任で、自由で、おバカな行動が、世界を救うことだってあるのだ。『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』で、あたるがラスト、意味もなく走って世界を救ったように。
 もう一度走ろう。
 ただ意味もなく、夕日に向かって。
 『クレヨンしんちゃん』は別にシリアスな話に変わってしまったわけではない。やっぱり今回も今までと同じく、「おバカが世界を救う」物語だったのだ。

 映画が終わって、しばらく立ちあがれなかった。二度見て、一度目以上に泣いた経験は生まれて初めてである。もう迷いはしない。私の最高のフェイバレット・アニメは文句なくこの『オトナ帝国』だ。

 今回も私が泣いたので、しげが喜ぶこと喜ぶこと。
 映画館の隣の「SATY」で、オムライスをぱくつきながらも、いつもはさほど映画の感想を聞こうともしないくせにやたらと「どうだった、どうだった?」と聞いてくる。
 ちくしょう、また泣かせようとしてやがるな。どうもこうもねーや。
 俺はお前と出会えてよかったよ。お前と一緒にこれからも生きていけるのが嬉しいよ。あの映画見ながら、そんなことを考えていたんだ。でも、そんな気恥ずかしいセリフ、お前を目の前にして言えるか。
 ここで書いたからいいだろう。直接、俺の口から言わせようなんて思うな、バカタレが。


 連日オタアミ会議室を覗いているが、そろそろ一通りの感想は出尽くした感がある。実のところ、肯定派、否定派も含めて、私の予想をはるかに越えた意見が現われなかったことにホッとしている。
 その映画が認知、評価されるためにはとにもかくにも話題にならなければならない。しかし、いつぞやの『エヴァ』論争のように、「『エヴァ』を認めない者はアニメファンではない!」と言い切るようなファナティックなやつらが現われるようになると、その作品は正当に評価されなくなってしまう。
 薄いカルトは作品を世間に認知させる推進力となるが、濃いカルトは、作品の評価を地に落とすのだ。
 一見、感情的なやりとりに見えながら、『オトナ帝国』ツリーはごく冷静にそのテーマについての語り合いが続いていた。本当にこの映画が『ホルス』や、『カリ城』や、『うる星2』のように、カルトとなり得るかどうかはまだまだ未知数だが、その下地を作るお手伝いはできたように思う。
 ということで、私としては最後のつもりで、今日の日記に書いたようなことを書きこみ。
 ツリーを最初に起こしてから、都合、7回くらい書いたかな?
 でも4つのツリーで80近く書き込みがあったから、まあ10分の1、このくらいのはしゃぎぶりなら、会議室のみなさんに対して、そう迷惑にもなっていまい。


 レナード・ニモイ(富永和子訳)『私はスポック』読む。
 これは凄い。
 自伝の類というものは、たいてい我田引水的な自慢話になるか、露悪的なスキャンダル本になるか、どっちかである。いずれにせよ、書き手の意図とは裏腹に、その伝記の作品的評価などは無視されて、ゴシップについての興味から読まれてしまうことが圧倒的に多い。
 実際、「作品として」読むに値する自伝など数少ないのだ。
 ましてや『スター・トレック』については、これまで数々の「ウワサ」が流されてきた。Mr.スポック役のレナード・ニモイとカーク船長役のウィリアム・シャトナーの確執などは、ある意味「常識」でさえあった。
 しかし、この自伝、冒頭から度肝を抜いてくれる。なんと、「スポックからニモイに宛てた手紙」で「物語」が始まるのだ。
 それからもニモイは随所でスポックと対話しつつ、自らの軌跡を客観的に捉えようとする。これはまさしく演劇における「狂言回し」の手法である。
 映画『チャーリー』がこれと似たような手法を取っていた。ある俳優の回想を、記録者が質問を繰り返す形で誘導していく。ともすれば、自己弁護的になる俳優の言葉を、記録者は冷徹に問い質し、道を作っていく。ああ、そうか、これのルーツは『ハリウッド大通り』だ。
 そう、これは一篇の「小説」だ。
 『スター・トレック』サーガのスタッフ、キャストたちとの関わり自体をサーガとした、「創作」なのである。

 エピソードの一つも紹介しないのは不親切かもしれないが、どれを選んでよいやら判らないくらい、笑える話のオンパレードなのである。
 「カーン役のリカルド・モンタルバンの筋肉隆々の胸はホンモノだった」と書いてあるのを読んで、そう言えば『サタデー・ナイト・ライブ』中のスケッチ、「どっちがモア・マッチョ」にしっかりモンタルバンの名前が紹介されてたなあ、と思い出す。いや、そんな、他人のマッチョさにいちいち驚嘆して見せんでも(^_^;)。
 犬猿の仲と思われてるのを承知で、ワザとシャトナーと喧嘩して見せたり。
 スポックのくせにいつもユーモラスなのだ。
「スポックが恋しいか? いや、なぜなら彼はもう私の一部だから」。この言葉には素直に感動する。渥美清も寅さんについて似たようなことを言っていた。これが言えるのは、一つの役に固定されることが演技者としての死につながりかねない俳優にとっては、恐ろしく勇気がいる言葉なのである。
 なのに、この「物語」の末尾は、ニモイに向けられたファンの女性のこの一言で結ばれる。
 「あなた、レナード・スポックでしょ!」
 感動。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)