プラチナブルー ///目次前話続話

配属辞令
プラチナブルー第3章 椎名遼平・円香編
April,5 2045

『椎名遼平(しいなりょうへい) 経済産業省情報政策局に配属を命ずる』


「遼平、おかえり」
「うん、ただいま」

「初出勤はどうだった?」
「それがさ円香(まどか)、大変なことになっちまったよ。あぁ疲れた」

茶色の鞄をソファーに放り投げ、ネクタイを外しながら遼平は、首を右に左に回した。
その背中越しに、リビングの西側にあるオープンキッチンから、一定のリズムで
野菜を切り刻む音が聴こえてくる。

「どうしたの一体」

右手から奏でられていた音の変わりに、聴こえてくる円香の声。

「今日、辞令を貰ってさ」
「うん」

「4月のスケジュールが決まったんだけど」
「うん。」

「来週の月曜日から、新人研修があるんだよ」
「うん」

「ところがさ、この研修、研修所に泊り込まなきゃいけないんだ」
「え〜、何日間の研修なの?」

円香はキッチン奥の冷蔵庫に磁石でとめてあったカレンダーを手にとり、月曜日に印を入れた。

「うん、月曜から金曜までで、土日は休みで帰れるんだけど・・・」
「うん」

「でも、また次の月曜から金曜まで研修。そして次の週も・・・繰り返し」
「・・・ちょっと なに、それ・・・」

「研修期間の最終日の金曜日にさ、毎週試験があって」
「うん」

「それに合格すれば、研修は終わり、ということらしいんだ」
「うん。それなら遼平、がんばって1週間で終わりにしてよ」

カレンダーの月曜日から金曜日までの5個に印を入れた円香は、冷蔵庫の同じ箇所にそれを戻した。

「・・・うん、がんばるよ。でもさ、なんか今日の話だと、研修の終わりが今ひとつ見えないんだよな」
「・・・ちょっと遼平。アタシを結婚1年目から週末婚の可哀相な女にするつもり?」

ふたたび右手に包丁を持った円香が、まな板に置かれた野菜に包丁を突きたてた。

「勿論、全力でがんばるよ。たださ、いきなりオンライン・カジノ担当とか言われてさ」
「オンライン・カジノ? そっか、経済産業省の管轄だったわね。セキュリティ対策とかが仕事?」

「ううん。今日辞令交付のあとで、説明受けたんだけど」
「うん」

「プレイヤー研修なんだよ。しかも麻雀。僕、学生時代に仲間内でやったことしかない」
「・・・麻雀? プレイヤー? なにそれ」

「なにそれ、だよまったく。なんで僕が麻雀なんか打たなきゃいけないんだよ」
「配属を代えてもらったら?」

「うん、それがさ、同期の奴で、麻雀知らない奴がいてさ」
「うん」

「配置転換希望の話を持ち出したらさ」
「うん」

「『与えられた仕事ができない奴は、明日から来なくていい』 だとさ」
「ひどい話ね〜 けど、遼平なら大丈夫よ。がんばってくれないと研修より結婚生活が終わっちゃうわよ」

「おいおい、勘弁してくれよ」
「きゃはは。でも遼平、大変だけど、とてもラッキーね」

突き立てた包丁を抜き、ふたたび野菜を切り始めた円香。
なぜか鼻歌まで始まった。

うなだれている遼平をよそに、円香は随分と上機嫌だ。

(なんだ?円香のやつ、僕がこんなに落ち込んでいるのに、なんでこんなにはしゃいでるんだ?)

「ラッキー? 麻雀が?」
「あらそうよ、だってアタシ、プラチナリーグなのよ」

「なんだそれ、プラチナ? 指輪の種類か?」

ゆっくりと回り続ける3メートル大の換気扇。
ちんぷんかんぷんの遼平は 大の字に寝そべって天井を見上げた。

研修と旧友
April,15 2045

『それでは8回戦の集計を致します。これから60分間の休憩を挟んで、15時50分に、この場所に集合してください』


担当官のアナウンスとともに、会場にいる64名からどよめきが起こった。
経済産業省青山研修所の地下2階で行われている新人研修1日目。

椎名遼平は20度ほどリクライニングする座椅子に背中をつけ、両腕を天井に向けて伸ばした。

「あ〜〜」

背伸びに近い緊張の弛緩。
部屋中がそんな緊張のほぐれた後の皆の声でざわめいた。

「遼平、調子はどうだ?」
「1階のラウンジでコーヒーでも飲むか」

背中越しに声をかけてきたのは、同期入省の河合晃一と、光宗陽介だ。

「8回戦、1度もあがれなかった。あがり方を思い出せね〜」

遼平は頭の後ろで腕を組み、椅子を180度回した。

「1度も?そりゃ酷いな。陽介は?」
「俺はトップ4回、2位が2回、3,4位が1回ずつだった」
「俺は3-3-1-1だ。陽介に負けた〜」

河合晃一は、リストバンド型の携帯端末の画面を指で、2,3回押しながら、自分の戦績を陽介に見せた。

「8回戦目、41,000点からまくられているな」

光宗陽介は、晃一の左腕を自分の目の前に持ってきて画面を覗き込むと、笑いながら腕を放した。

「遼平の戦績も見せてみろよ」

今度は晃一が、遼平の左腕を掴む。

「なんだ、こりゃ」
「25,000点持ちの2位が8回?」

陽介と晃一が呆れた顔で、椅子に座ったままの遼平の腕を放すと、
先ほどまで遼平が打っていた卓の状況を確認するように台を1周した。

「この手で槓(カン)?」
「というか、四槓流れじゃん。これ。」

「そうなんだよ。ドラの白が4枚来たから槓したら、『流局!』だってよ」

遼平は残念そうに、卓上の白を人差し指で叩いた。

「おいおい、遼平、こっちは国士無双の1向聴(イーシャンテン)だよ」
「こっちは東ドラ7だぜ。あ、こっちはメンチン聴牌してるし・・・」
「あはは、どうりで3人とも舌打ちして、睨み付けていったわけだ」

遼平は卓の前で呆れる2人を、ラウンジに誘うように天井を指差した。

「さあ、上に行こう」


1階にあるラウンジは、すでに満席だった。

「ついてないな〜 そういや別の組の研修もやってるんだ、ここ」

晃一が、ラウンジから出てきた。

「3階にも喫茶があるよ。そこに行こう」

陽介が左腕の画面で検索して見つけたようだ。

3人はエレベーター前の人だかりを横目に、階段へと続く扉を開いた。

「なあ、遼平。今日の実技試験の結果で俺たちがどうなるか知っているか?」
「いや、全くわからない。陽介は知ってる?」

遼平は手すりに置いた左腕で自分の体を持ち上げるようにして昇っている。

「うん。ゴールドリーグにいる一郎先輩の話だとさ、新人研修での合格率1割位らしいんだよ」
「1割? たったの5,6人?」

晃一が踊り場で振り返り、陽介に尋ねた。

「3年前の先輩の時の話だよ」

陽介が苦笑いで答える。

「落ちた人はどうなるんだろう・・・」

遼平が、不安そうに呟いた。

「受かるまで、ずっと裏方で仕事をしながらチャンスを待つらしいよ」
「裏方か〜 遼平はそっちの方が向いてるんじゃないのか?」

晃一が、冷やかしながら笑う。

「そうかもね〜」
「おいおい2人とも、裏方ってさ、研修生扱いだから、給料バイト並みらしいぜ」

陽介が呆れた顔で2人を見つめて続けた。

「それにさ、ブロンズで年収8000万、シルバーで2億。ゴールドだと年収5億だってさ」
「げげ、本当かよ、それ」
「ああ。だから俺も早くプレーヤーの仲間入りしたいんだよね」
「うわ。俺も気合入ってきた〜」

遼平は、盛り上がる陽介と晃一の話を聞きながら、ますます自分のテンションが下がるのを感じていた。

「それにさ、先輩の話だと、プラチナリーグっていう一般には非公開のカジノもあるらしくてさ」
「プラチナ? まだ上があるのか?」

「うん、なんでもプラチナリーグ入りすると、国家からプラチナカードを貰えるらしい」
「カード?」
「そう、口座は国家管理のカードで、無尽蔵に使えるらしいぜ。あくまでも噂だけどね」
「すげえ、すげえぜ」
「なんでも去年、ゴールドリーグ唯一の女性が突如失踪して、噂じゃプラチナに行ったとか・・・」
「女?」
「・・・名前、なんだったかな〜 先輩から聞いたんだけど」

「は〜 なんだか、気の遠くなる話だな〜」

ため息をつきながら、遼平は2人の後を続いて階段を昇る。


3階にある喫茶『フォア・ローゼス』には空席があった。
春の日差しの差し込む窓際の席に案内された3人は、手渡されたおしぼりを受け取った。

「まなみちゃんか。かわいいね〜」

グラスを3個持ってきたスタッフの名札を見て、晃一が声をかける。
はにかみながらお辞儀をして、オーダーを取る目の前の女性スタッフ。

「まなみ・・・まなみ・・・違うな〜」

陽介は女性の名前を呟きながら首を捻っている。
何かを思い出そうとしているらしい。

「俺、キリマンジャロね」
「じゃあ、僕はモカ」
「モカ?モモカ?・・・違うな〜 あ、俺はビール」
「銘柄はキリンで良いですか?」

不思議そうに陽介に尋ねるスタッフ。

「まだ何か考えているし、陽介の奴」
「あはは、よほど気になるらしいね」
「そういや、こうして会うのも、遼平の結婚式以来だな。
奥さん、とてつもなく美人だったな〜 一体どこで見つけたんだ?」

晃一は、まなみの後姿を名残惜しそうに見ながら、おしぼりで顔を拭いている。

「お見合いなんだよ。そりゃ一目惚れだよ」
「だよな〜 むちゃくちゃ綺麗だったもんな〜 ほら、名前なんだっけ」
「ん、円香だよ」
「あ〜〜〜 MADOKAだ。それそれ。MADOKAだ。名前」

喉の奥に引っかかっていたものが取れたように興奮気味に、陽介がおしぼりでテーブルを叩いた。

「ん? どうした陽介」
「ほら、行方不明になった女性の名前だよ」

(MADOKA? プラチナ?)

遼平は頬杖をつき、窓の外の鳥が羽ばたく様子をただ眺めていた。

ウィルシャー・ホテル
May,4 2045

5月4日 21:00 ロサンゼルス連邦共和国

ジパングで2人の結婚式に招待できなかった人たちが、僕達のために催してくれたパーティが散会した。
これで、ゴールデンウィーク最終日までの、全てのスケジュールが終了した。
あとは明日の帰国の途だけだ。

「遼平、顔が真っ青よ。大丈夫?」
「ふ〜、大丈夫だよ。いろんなことに度肝を抜かれてね、魂が抜けそうだ」
「あはは、本当、お疲れ様、家に着くまで横になっているといいわ」

ウィルシャー・ホテルから、彼女の実家まで、送迎用リムジンの後部座席。
僕は彼女の膝枕の申し出を甘んじて受け、寝そべったまま彼女の顔を見上げている。

(この角度から彼女を見るのは初めてだな・・・)

そんな呑気なことを思いながら、ここ数日の多忙なイベントが頭を駆け巡っていた。

AD2032年、アメリカ上院は州都独立法案を可決した。
世界で初めての企業体による国家運営が始まったのは、ここロサンゼルス連邦共和国。
年間売上が60兆円を越えたウォルマートを始め、シリコンバレーの企業群や、ハリウッドの映画産業、
ラスベガスのカジノ、モルガングループ、ロックフェラーグループを筆頭に、地元の有力企業のほとんどが、
国を運営することに参加し、出資した。
最大の出資企業は、ここ半世紀で急成長を遂げたタツミコーポレーションだった。


「タツミコーポレーションの名誉会長が、円香のお爺さんだったなんて・・・」
「あはは、普通、結婚前に、お爺ちゃんの肩書きなんて話さないでしょ」
「そりゃ、そうだけど・・・」

僕は半年前、初めての「見合い」で円香に出逢って、一目惚れをした。
帰り道に近くの神社で、
「この先、全ての運を使い果たしても構いません。どうか彼女と結婚させて下さい。」
と、財布ごと賽銭箱に投げ入れた。

後日、神主さんが免許証を自宅に届けてくれた。
確か、見合いの前に目を通した吊り書には、彼女の職業欄には、国家公安委員会と書いてあった。
役所関係ということで、その時は、てっきり親父が誰かに頼まれた義理の見合いの席だと思っていたけど、
円香を一目見て、しがらみだとか義理絡みだとか、当初の面倒臭さを全部忘れたもんだ。

「結婚しても、仕事は続けたい?」
「う〜ん、私、私服刑事になって、拳銃をぶっぱなしたかったんだけど、現場には出してもらえないから、辞めちゃう」
「あはは、そっか、安月給だけど、頑張るよ」
「うんうん、頑張ってね。私もお気楽主婦道を極めてみるわ」

彼女は、主婦らしくない主婦だけど、主婦業務は完璧だと思う。
いや、主婦らしい主婦なんて、母親の記憶がない僕にとっては、主婦道なんてものは全く想像もつかない。
でも、少なくとも彼女の笑顔を見ていると、毎日楽しそうだ。
が、その笑顔の根源が、『僕との結婚生活によるもの』なのだろうか・・・
と、ここ数日の、彼女の生い立ちの一部を現実として知って、僕は改めて考え込んでしまった。

「僕が、仕事に行っている間、暇を持て余していない?」
「う〜ん。これでも、けっこうスーパー主婦道は多忙だわ」
「そっか、円香に小遣いを少ししか渡せなくて、ごめんな」
「いいのよ、遼平だって、同じでしょ」

去年の冬のボーナスで、精一杯、奮発したつもりのフランス料理に感激してくれた円香。
でも、今日のパーティに出された料理やワインの銘柄を見た限り、
なんだか、とてつもなく生きてきた世界観のギャップを感じてしまった。
急に心の中でなんとも言えない不安感がむくむくと湧きあがる。

(そういや、ブロンズリーグに合格すれば、年収は20倍になるって陽介が言っていたな・・・)

「なあ、円香・・・」
「ん? なあに?」

車の窓ごしに懐かしそうに外の景色を眺めていた円香が僕に視線を合わせた。

「僕と結婚して、幸せかい?」
「・・・うん」
「本当?」
「どうしたの?急に・・・おかしなことを訊くわね」
「いや、なんかさ、今夜、会った人達を見たら、僕よりも君に相応しい人が、沢山いたんじゃないかと思ってね」

円香は一瞬、驚いたように瞳孔を開き、またいつものように瞳を細めて微笑んだ。

「あん、遼平ったら・・・今、きゅんとしたわ」
「なんでだよ」
「だって、遼平が可愛いこと言うんだもん」
「なんだよ、それ」

円香の膝の上にある僕の頭を、彼女は抱き締めた。
彼女の胸の中で、少しだけ僕の固くなった心が溶け始めた。

僕の左腕の携帯端末が着信を知らせる光を放った。

「あら、遼平、電話みたいね」
「うん、誰からだろう・・・」

僕は、体を起こし、左腕の端末をオープンにした。
ボタンを押すと、5インチの画面には陽介と晃一が手を振っている。

「あ、この2人、結婚式で女装していた人達だ」
「うんうん、陽介と晃一だ」

「よ、遼平、元気か〜。お、美人妻の円香ちゃん、こんばんは〜」

画面の向こうでは、晃一の顔がさらにアップになった。

「どうしたんだ?2人揃って・・・ん?その店・・・」
「そうそう、遼平のおじさんのBARに来ているんだよ」
「おお、早速使ってくれてありがとう。」
「いい店だね〜ここは」

先週の研修で、陽介と晃一が一緒になったことや、
この2人がいるBARが叔父の店だということを円香に説明しながら、
左腕の画面を円香が見えやすいように近づけた。

「なあ、遼平、今、店に円香ちゃんに良く似ている女の子が居てさ、
ちょっと、お前にも見てもらおうと思って電話したんだよ。」
「なに言ってんだよ、円香レベルの女の子が、そこらへんにゴロゴロいるわけないだろう」
「その意見は、俺も同感なんだけどさ、まあ、見てくれよ」

晃一は、入り口付近に座っている3人組が、画面に映るように角度を変えた。
店内が暗くてはっきりとは見えない・・・が、確かに雰囲気は良く似ている。

「どう、思う?円香・・・」
「う〜ん、暗くてよくわからないわね。でも、私よりも、むしろ、リカに似ているかも・・・」

「なあ、遼平、似ているだろ?」
「遠目だけど、マジで美人だぜ」

晃一と陽介は、僕が「うん」と認めないと、延々とこの話題を続けそうな勢いだ。

「今日はさ、お前の弟が休みらしいから、彼らのグループと一緒に打とうと思うんだ」
「へ〜、酔っ払って負けるなよ」
「おう、仲良くなって、いいショットを送るぜ」
「あはは、頑張れ」

画面の表示がフェードアウトして、待ち受け画面の円香の画像に切り替わった。

「あ、私だ」
「うんうん。普段は、円香の画像にしてるんだよ」
「わ〜い、嬉しい、私も遼平の画像を待受けに変えようっと」
「今は、どんなのにしてるんだい?」
「え〜とね」

円香が、左腕の携帯端末を開けると、リアルタイムで英文がスクロールしている。

「何なの、これ・・・ニュース?」

「ううん。これはね・・・とある組織からの暗号指令なの」

地下室のカジノ
May,4 2045

5月4日 21:30 辰巳邸 in Los Angeles

遼平と円香を乗せたリムジンが、ビバリーヒルズを東西に走るサンタモニカ大通りに入った。

―――ワシが日本から来てから ずっと変わらない景色だ―――

円香の祖父、直樹が数年前に話した声が、遠い記憶の中に聴こえてきた。
車中から左側に見える見慣れた風景が、円香に自宅が近づいたことを知らせる。

「遼平、そろそろ着くわよ」
「・・・ん、うん?」

いつの間にか、円香の膝枕の上で眠りに落ちていた僕は、彼女の声で目を覚ました。

「うなされていたけど、大丈夫?」
「僕が?」
「うん、なんだかとても苦しそうだったわよ」
「・・・そういや、悩ましい夢だった気がする」

僕は、オンラインカジノのデビュー戦で3人リーチに囲まれた夢を見たことを円香に話した。

「それは悩ましいわね」
「結局、聴牌が入って切った5ピンが、ロン、ロン・・・」
「あら、2人に当り?」
「・・・いや、さらにロン。・・・三家和(さんちゃほう)で流れた」
「ぎゃはは、ついていたわね」
「そう、『きゃはは、ついていたわね』と言って倒した上家が・・・」
「うんうん」
「・・・円香だったんだよ」
「・・・遼平、面白すぎだわ」

全身で笑った円香の膝が揺れ、その上にある僕の頭も必然的にシンクロした。

「あ、そうだ、自宅の地下室に、お爺ちゃんが作ったOn-line Casino Barがあるの」

自宅に着くと、彼女に誘われ、地下2階の店へと向かった。
普段は、円香の祖父の友人や、父親の接待の時だけオープンしているらしいのだが、
今夜は、皆がウィルシャー・ホテルに集まったので、円香と2人きりで使えるということだ。

円香が、携帯端末で地下室の照明を入れるように連絡をすると、地下2階の店の入り口のネオンが点灯した。
木製の扉を開くと、中は驚くほど広い。
旧式のルーレットやスロットから、あらゆるテーブルゲームが整然と並んでいる。
円香は僕の左手を握ると、部屋の右奥のスペースにある、Barのカウンターに案内した。

「じゃあ、遼平はそこに座ってね」

彼女は僕に座るよう勧めると、自分はカウンターの中に入り、グラスを取り出している。
円香が飲物を作っている間に、僕は、店全体を漠然と眺めていた。
奥行き1m.程のダーク基調のテーブルは、横にも1m.の間隔でラインが入っている。

(あれ?一枚板じゃないのかな・・・)

テーブル手前にボタンがいくつかついている。
僕は[open]というスイッチを押した。
すると、突然、目の前の1m.四方の四隅から光が放たれ、フォログラムが現れた。

『Ladies and gentlemen,welcome to ・・・』

予期せぬアナウンスの始まりに、僕が驚いていると、左側に円香が座り、飲物を2人の前に置いた。

「子供の頃にね、私とリカもそのボタンを押して驚いたことがあるの」

円香は、悪戯っぽく笑いながら、画面下のセレクトキーを操作し、プレビューを進め始めた。
幾度かチャンネルが切り替わって、やがて、フォログラムに映し出されたのは、

GOLD LEAGUE CHAMPIONSHIPのプレート

「あ、今夜はゴールドリーグの準決勝ね 遼平もここを目指してるんでしょう?」
「恐れ多い、まだ、スタートラインにも立ててないよ」

僕は、苦笑いしながら、グラスを手に取り、口に運んだ。

『Please select the object person who bets.』

賭けの対象となるプレイヤー4名のプロフィールがスクロールしている。
名前、Level、保有のレーティングに続き、過去の対戦データが映し出される。

従来の麻雀が、親の第一打の切り出しでスタートするルールであったのに対し、
オンラインカジノでのルールは、配牌から5分間、顧客が賭ける時間が設けられている。
そして、締め切られると、プレイヤーに配牌が公開され東1局が始まる仕組みだ。

顧客は自分のIDでログインし、4人の配牌を見て誰があがるかを決定し、
その後、あがり点数、あがり順目のオプションを追加する。

向聴数(シャンテンスウ)が低く、Levelの高いプレイヤーへは賭けが集中し、倍率は下がる。
一方で、配牌5向聴でも、あがりきれば、当然払戻しの倍率は格段に高くなるため、
状況に応じ、終盤になればなるほど、賭けの対象もオプションの選択も選り好みされる。


「さあ、遼平、決まった?」
「う〜ん、難しいね。親が早そうだけど・・・」
「うん、そのselectってところに数値を入れると倍率が見れるわ」
「試してみよう」

僕は、東家-2,900点-7順目と入れてみた。すると倍率は・・・2.53倍

「微妙な倍率だな」
「あ、私のは5,380倍だ」
「あはは、凄い倍率だね」


そして、東1局が始まった。




Name Level向聴 予想得点予想順目
東家GEORGIA720502 2,9007
南家ICHIRO823304 12,00015
西家DRAGON6685 06selectselect
北家KILIMANJARO 9945 04 selectselect


命の値段
May,4 2045

5月4日 21:45 辰巳邸 in Los Angeles

『ポン』

3順目に親のGEORGIAが東を鳴いた。


辰巳邸地下2階にあるOn-line Casino Bar
僕と円香以外には誰もいない。

ホール右奥にあるカウンターの中央には1m四方のフォログラムが立ち上がっている。
僕は久しぶりに触れるオンラインゲームを円香に教えてもらいながら興じた。

ゲームでの遊戯そのものより、円香とゆっくりと過ごす休日に、僕は満足していた。

「あ、親がダブ東を鳴いたね、1向聴(イーシャンテン)だ」
「うんうん」

立体フォログラムに映し出される雀卓は、立体映像で、4人の手を、自由に切り替えることもできる。
視点をオートスクロールに設定し、全体の映像を放映側のチャンネルに任せることもできた。


『チー』

東家GEORGIA 4順目



親の仕掛けに、仕掛けた牌のクローズアップ画面。
そして、リアルタイムで全員の手が映し出される。
頬杖をついた僕は、左にいる円香に微笑みかけた。

「あ、聴牌が入った、予想通り、親の2,900点かな〜」
「うん。5-8ピン待ちね」
「7順目の上がりなら僕の予想通りだ」
「253円ね」
「あはは、大本命ってわけだ」



南家ICHIRO 5順目



「あ、南家が掴んだわ、5」
「うん、3ソウか四、七萬引くと、出ちゃうね」
「うん」


南家ICHIRO 7順目



「あ、引いたわよ四萬」
「うんうん、万事休すだ・・・あ」

「・・・ツモ切りしたわ」
「なんでだろう・・・」
「親も仕掛けてから、ツモ切りが続いているからかな」
「うんうん」


次第に、展開されていくゲームに見入る2人。
一打一打に2人が

南家ICHIRO 10順目-12順目







「あら、今度はそれを外すんだ」
「ピンズが場に高くなってきたね・・・もう14順目だ」
「本当だ、北の人はピンズで染まったわ」
「西家の人は降り気味だ」
「南家はタンヤオもついた」

東家GEORGIA 15順目


南家ICHIRO 15順目 


北家KILIMANJARO 15順目



「あ、北家も聴牌した・・・」
「6ピン? 北落とし?」



『リーチ』

画面が一瞬光り、スクロールした。北家のリーチ宣言を演出しているのだろう。
ズームアップされた北家の宣言牌は、6ピン。


『ロン』

「あ」
「あ」

南家のロン宣言で、画面は南家の手牌が倒れるシーンに切り替わった。
ゆっくりと倒される13枚の牌。
僕と円香の声がかき消される程の大きな音がフォログラムから流れだした。


You are win


立体画像の左上から中央に、突然文字がフェードインすると、
勝者をスポットに当て、続いて南家に賭けたデータがスクロールを始めた。

僕と円香はカウンターの前に座ったまま、ハイタッチをして喜びを分かち合った。


『The dividend to you is 5380 times.』

「凄い、円香。100円の5380倍?」
「きゃっほ〜。嬉しい〜」
「うんうん。凄いよ円香 538,000円だよ」

画面には$538,000の文字が点灯した。

「・・・あ、ごめん遼平」
「ん? どうした?」
「アタシ・・・100円じゃなくて、100ドル賭けてたみたい」

「・・・先週、僕が掛けた生命保険の受取金額より多いよ、それ」
「きゃはは」

嬉しさよりも金額への驚きが強く、信じられないという思いで画面を見つめる僕。
深呼吸しながら、無邪気に笑う円香から零れる香水の匂いも一緒に大きく吸い込んだ。

「さあ、次よ、遼平。」

東2局の配牌をチェックする彼女の横顔を、僕は絵画に引き込まれるように見つめていた。

彼女の告白
May,4 2045

5月4日 22:30 辰巳邸 in Los Angeles

「円香は、いつ頃麻雀を覚えたんだい?」
「ん〜いつ頃だろう。トランプや花札を覚えた頃だから…」
「じゃあ、随分と小さい時からだね」
「うんうん」

フォログラムの中のゲームは南3局7順目を迎えていた。
東1局で、円香が当ててからは、ずっと2人の予想は外れ続けている。

4人の配牌を見て、『誰が何点で何順目に上がる』ということを予想することは、かなり難しい。
ゲームが進行していくうちに、賭けの選択肢には、様々な種類のものが用意されていることがわかる。

例えば、誰が・何点・何順目というような複合的な賭け方の他にも、
『上がり牌』・『裏ドラ』・『槓ドラ』などの牌が何かを単一での予想、
『上がり役』・『翻数』だとか、『放縦者』を予想する選択、
『明槓』・『立直』・『鳴き』の総数を当てる賭け方など、
ゲームの勝者を選択以外にも、あらゆる角度からの項目が賭けの対象となっていた。

また、1局ごとの細かい設定の他にも、1試合ごとの順位を予想するオーソドックスな方法。
リーグ戦やトーナメント戦の順位予想や、個人プレイヤーの年間の成績予想など、
そういった、長期的な賭け方は、個人を支援するスポンサーや、年金運用の年齢層の人達によって、
多額の資金が動いているようにも思えた。

画面右横のヘルプガイドを開いてみると、解説者リスト・攻略ガイド・など様々なリストが並んでいる。
プレイヤー自身の全成績を数値やグラフにした表や、スタイルをテキスト化したものまで、
一晩かかって目を通したとしても、全体を把握できないほどの情報が凝縮されていた。

「遼平、新しい飲み物を作ろうか?」
「あ、うん」

フォログラムの世界のテキストに没頭していた僕を、円香の声が現実の世界に引き戻した。

「随分と熱心に読んでたわね」
「うんうん、何かすごい世界なんだな、と思ってね」
「あはは、そうね」
「これさ、プレイヤーの立場からだと、ただ勝ち続けてればいいわけ?」
「う〜ん、そこら辺はどうなんだろうね」

カウンターの中で円香がグラスに氷を落とす音が響いている。

「プレイヤーは、賭けの対象者となることで、その掛け金の数%が収入になるから、
勝っている人の人気と収入は自然と上がっていくわよね」
「うんうん、確かに、賭けて貰えなければ話にならないもんな」
「だよね〜」

グラスを両手にひとつずつ持った円香が、席に戻ってきた時には、オーラスの牌が配られた。

南4局
17,500点 GEORGIA
34,500点 ICHIRO
12,000点 DRAGON
36,000点 KILIMANJARO


「さあ、オーラスだ」
「うん、もう一度当たるといいね〜」
「うん、がんばろう」

名前、レベル、配牌の向聴数、得点、順目の項目が画面に現れた。
現在の順位に従って、トップまでの得点差も表示されている。
その時、円香の携帯端末が着信を知らせるイルミネーションが灯った。

「あら、新しいミッションが来ちゃったわ」
「ミッション?」
「そう、組織からの指令よ」
「指令? 組織?」
「やだ、5月5日の0:00だなんて、あと小一時間しかないわ」

携帯端末に表示されているテキストに目を通す円香の横顔からは笑顔が消えていく。
僕は円香の顔と彼女の携帯端末とに交互に視線を移しながら、グラスを口に運んだ。

(組織? なんなんだそれは一体・・・)

不意に浮かんだ疑問を彼女に問いかけようかどうかと迷っていると、

「アタシね・・・実は・・・」

円香が椅子を右に90度回転させ、僕のほうへ向いた。
僕も慌てて彼女に向き合うよう左に椅子を回転させようとしたが、椅子が回らない。
どうやら、この椅子は右回転専用のようだ。
一度立ち上がり、彼女の正面を向いて座り直した。

彼女が両手を自分の足の上に置き改まった姿勢で僕と向き合うように座っている。

(何か、大切な話の告白なのだろうか・・・)

緊張感をほとばしらせながらも、彼女の左足の高い位置まで切れ込んでいるスリットから見える脚。
シルクのスカートの布地が、彼女の脚の輪郭をあらわにし、僕は不覚にもそれに目を奪われてしまった。

「遼平に話してなかったことがあるの・・・」
「うん、どんなこと?」
「アタシね、ファミリーからの仕事を請け負ってるの」
「うん」

(なんだ、内職のことか、円香に小遣いをあまり渡せてなかったからな。仕方がないよ)

「でね、時々報酬を得てるんだ。専業主婦は忙しいなんて嘘をついてごめんなさい」
「そっか、話してくれてありがとう」

僕がそう云うと、円香の表情がパッと明るくなった。

「でねでね?遼平。アタシ、これからも仕事を続けたいの」
「うんうん。いいよ」
「本当? 本当にいいの?」
「うん。いいよ」
「きゃ〜遼平大好き」

円香が突然立ち上がり、僕に抱きついた。

「ああ〜良かった。ずっといつ云おうかと迷ってたの」
「う、うん」

(そんなことならいつ話してくれてもOKしたのにな)

僕は彼女を抱き締めようして左腕を背中に回した。
右手はカウンターにぶつけてしまった。

「結構ね、危険な仕事もあるんだけど、遼平がいるから大丈夫よね」

(え?・・・危険な仕事?)

「でも、麻雀を打つだけの簡単な仕事だから、安心してね」

(え?・・・麻雀を打つ仕事? ファミリー麻雀? 内職?)

僕の頭の中には疑問符の暗刻(アンコ)が新たに誕生した。
彼女を抱き締めたまま深呼吸を2度ほどする時間が流れた後、

「さ、今夜のアタシの仕事ぶりを遼平も見ててね」
「う、うん」
「じゃあ、あと1時間しかないから、早速仕度をしましょう」

再び円香が、左腕の携帯端末を開いた。
僕はその時、彼女の髪の残り香に包まれ呑気に彼女を見つめていた。

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